年末に読もうと思ってamazonで買った本数冊。今日届いたので開けたら同じ本が2冊はいってた。わしはもうダメかもわからんね。さて、2015年に読んだ本レビュー。2冊目。ルワンダの中央銀行につづいてこんどは西国分寺の中央銀行のおはなしだぜ。
西国分寺にあるクルミドコーヒーというカフェのオーナーが書いた本。
紅茶屋という商売がら新しくオープンした喫茶店とかの情報はよくきいたりするのだけど、クルミドコーヒーさんを知ったのはもう4~5年ぐらい前になるだろうか?コーヒー好きの某有名経営コンサルタントのショーンKさんからお聞きした。カフェのネットワークではなく、トップノッチのコンサルタントから伝え聞くというのがこのお店の特殊性をある意味とてもよく表しているなと思うのだけど、著者の影山知明さんは東大法学部卒でマッキンゼー・アンド・カンパニーにお勤めののちヴェンチャーキャピタリストだのファウンダーだのになってからのクルミドコーヒーなのである。
駅から徒歩1分以内の線路が見える距離の駅近物件で、しかも実家の新築ビル。経営者は東大法学部卒でマッキンゼー。もうなんか聞いただけでひれ伏さなきゃいけないんじゃないかと思っちゃうよね。これで経営がうまくいかねーってならいったい世の中で誰がカフェビジネスで成功できるんだという感じなのだけれども、本を読むかぎりではとても苦労されている様子が伺える。やっぱりカフェというのはなかなかに大変なようです。・・・カフェだけじゃないか。
この本を読んだキッカケは、昨年2015/6/22一橋大学で影山氏の公演があるというのをたまたま何かで知り、そういえば噂に名高いクルミドコーヒーにまだ行ったことがなかったと思いだして、行って、公演もおもしろかったので公演会場で本を買ってみたりした次第なのであります。
国立一橋大学は国立(立川市と国分寺市の間にあるので「くに・たち」!)にあって、自分のいる三鷹からは中央線でいっぽんでいける駅であります。で、経路には西国分寺があるので途中で降りればクルミドコーヒーにも寄れるわけです。正直、なかなか西国分寺の街には行く機会がなくて、降りたのも初めてなんじゃないかというぐらいだったのだけれども、ちょっと散策散歩しようかなという心を3分で挫く程度には住宅に特化した街でした。
公演では、童話作家のミヒャエル・エンデがらみの経済、「エンデの遺言」とかで話題になった評価経済とか贈与経済とか、そして地域通貨とか、そこらへんを中心にコミュニティハブとしてのカフェや、おフランスではcafe philo(philosophyのフィロ)などとよばれる「朝もや(哲学カフェ)」なんかの取り組み、西国分寺は統計でいう「外れ値」を目指すとか、なかなか尖ったことを言っていました。・・・。資料もメモもないので、うろ覚えですが。カフェの話しかなと思ったら、予想外の角度だったのでちょっと驚いたのを覚えています。効率や合理性重視の金融外資から、エンデの遺言系にシフトをいれられる方というのは揺り戻しにしてもなかなか凄いですね。
地域通貨は、10年ぐらい前にはいっときブームに近い状態になったこともあるのだけれども、結局、リアル通貨への兌換を負担するのがお店という設計がほとんどで、その実態はお店が負担する縁日券や駄菓子券程度のものでなかなかおもしろい通貨設計がされなかったためにすぐに下火になってしまいましたね。クルミドコーヒーさんもやられているようですが、デットやらエクイティに精通したうえで、カフェのようなオールドエコノミー、ローカルビジネス、そして地域のコミュニティをよく理解した人が設計すれば持続可能な面白いものができるかもしれませんので外れ値の期待大です。
公演後に会場で本を購入したのですが、本の売り子をされていた方がその直前までお店にいて、レジで私の担当をしてくれた方と同じだったそうで覚えられていて、お話ししたのですが、レジでちらりと対応しただけの一限のお客さんの顔を数時間後にまったく別の人が大勢いる会場でよく覚えてるなと感心しました。なんでも、学生時代バイトしてて、就職してから、クルミドコーヒーに出戻ったのだとか言っていた気がする。出戻りしたくなるほど、よい職場なんだなと。
・・・さて、思い出しながら書いているのだけれども、書評といっておきながら本の内容がなかなか思い出せないんだw
あ、そういえばNHKの夜の番組で司会っぽいことをやっているのを見かけてビックリしたんだよね。おおぉぅ、やっぱりモノが違いますねと。
そう、まったく本筋とは関係ないんだけど、地下の部屋で飲んだんだけど天井にあったバッテンのマスキングテープはなんの印だったんだろう・・・と、どうでもいいことばかりを思い出しながら、肝心の本体に辿りつけない。やっぱりもうだめかもわからんね。
というわけで、ぺら読みしようとして開いたら全部読み直しちゃった。
目次から抜粋。
「投げ銭」システムでは広がらなかったコンサート
日本にチップが普及しない理由
利子はコーヒーで払います
「期待利回りマイナス50%」の金融商品
出資に基づく関係性の可能性
駅前がチェーン店ばかりになる理由
「お店にチラシを置いてもらいたい」への答え
誰かを支援したときもらえる「お金」
お店×農家×援農ボランティア
自動販売機化する社会
コラム4:地域通貨が続かない理由
日曜日からスッキリしない、クルミドの「朝モヤ」
コラム6:東京にはパブリックがない?
仕事の正体は「時間」である
GDPを成長させる方法
ね?カフェやりたい!って人なんかが読んだらちょっとびっくりしちゃうかもしれないね。
なんで、スジが思い出せないのかよくわかった。
掌、随筆のような形をとっているのもあるのだけど、観察している環境が近しくて、そこから抱く課題感やその解決策など考える思考経路が似たようなものなので、自分のなかで胃に優しく消化してしまっていたようだ。でも、普通の人は胃もたれするかもしれない。
「経済は目的なのか、手段なのか」
利子はコーヒーで払います
クルミド債の発行、少人数私募債という社債の一種で一口5万
利回りをコーヒーにて支払い
クラウドファンディング
地域通貨「ぶんじ」
ソーシャルキャピタル
古代ギリシャのアゴラ、古代ローマのフォルム(forum)
お金のための経済をやめる。お金以外の価値の大切さを見直す。
喫茶店のマスターが私募債発行とか、ついていける人のほうが少ないんじゃないかな。個人的には好物だけど。
通底しているものは、「人際交流(人同士の関係性)×金融」かな。
自分もお店っぽいことを10年やって。お金儲けとはかなり離れたところで、オールドエコノミーの似たようなことに触れてきた。自分が創業前に経営計画を立てた時に、計画の段階でそもそも損益分岐点を超えられず、「駄目だこりゃw」と思いながらもやってしまったのを思い出す。
利便性とセキュリティがトレードオフの関係にあるように、経済的合理性とは相反するなにかがそこにはあって、それの重要性を説いているのだと思う。それが何か、直感的には、多くの人たちもわかっていると思うし、自分もなんとなくはわかったのだけれども。それがなにか言語化できるようになったら是非シェアしていただきたい。
セキュリティを無視した便利がただの危険なものであるように、その何かも経済合理性で可算できるものになれば、金融から引き起こされる大事故も回避できるかもしれない。
金融などの感覚がないまま人とのつながりだ、絆だのの方向にいってしまうと、結局その経済的負担を誰かに押し付けて無視する、ただのスピリチュアルな人になってしまうのだけれども、この2つのバランスを持ったまま、いや、というより金融というモノサシを持ってそれらを測ったり設計できる人は稀有な存在ですよね。大切にしていきたいです。よっ!西国分寺の外れ値!!
ん、そういえば最近似たような活躍をする見聞きする人が居たな。気仙沼ニッティングの御手洗さんか、すこし被ってますね。彼女も高潔な印象がありますが、これだけ能力のある人達なら金儲けだけならもっと簡単にできるだろうに、ありがたやありがたやですね。