メートル法について


前回、前々回とお米と、アメリカ(米国)について書いたので、「米(メートル)」について書こうと思う。
米つながり。
ちなみにメートルの当て字の「米」ね。米 (m)、瓦 (g)、立 (L)。
と、思って、メートルでニュースみてみたんだけど、メートルのニュースなんてないよな。

4月から大学生になった子も多いとおもうけど、理系の大学に進学するとまず習うのがSI単位系なんではないだろうか?

アメリカとかで使われているヤード・ポンド法とかもあるけど、国際的な規格はSI単位系。メートル法。
NASAの火星探査機が落ちた理由が、ヤーポンとメートルを間違えたからみたいな話しもある。調べると原因はそれだけではないみたいだけど、まあ、実務ではヤーポンに向き合うと、トラブルもまま経験することになるので、完全には無視できないところ。国際通商では単位とても大事。

テレビやモニターのサイズなんかもいまだにインチだし、ゴルフなんかでも何ヤードみたいな言い方はいまだにする。
例えば、靴のサイズひとつとっても英国とアメリカで同じインチを採用しているはずなのにサイズが違う。

日本の25センチはUSだと7インチになって、UKだと6.5インチになる。メンズとレディースでも違って、レディースの25センチはUS8インチで、UKだと6.5インチになる。つまるところ、なんのこっちゃわからねぇって話し。

天下を我が物とするために、権力者が常々やってきたのは利便性ではなく、単位の統一と変更。

日本でも明治維新政府が、幕府の影響を削ぐためにいろいろやった。
前任者の全否定、キャンセルは世の常。
明治改暦もそのひとつで、不定時法(日中、夜間の1/6を1刻とする。夏と冬で1刻の長さが違う)から現在の24時間制の定時法に。暦も農業に適した太陰暦から太陽暦への変更した。
その中でも、尺貫法から計量法への変更も行われたのだが、これにはだいぶ苦労している様子がうかがえる。

度量衡法、尺貫法と併用1891年(明治24年)
から、
尺貫法の使用を禁止1951年(昭和26年)
メートル法完全実施は1959年(昭和34年)
まではだいぶ間、60年もある。

祖父の持ち物で、秤が新品の状態で出てきて、なんだろうと思ったのだが、尺貫法が禁じられる昭和34年直前に買ったのだろう。祖父らしい。

twitter.com/intent/retweet?tweet_id=1443897196672217090

これなどを見ると、この資料が何年のものかはわからないが、
尺貫度量衡の製造禁止、昭和9年(1934年)
メートル法以外の使用禁止、昭和14年(1939年)
とあることから、少なくとも昭和初期にも完全切り替えをしようとして失敗していることがうかがえる。

無理もない。
明治24年の導入から少なくとも数十年は送らないとその単位を仕事でバリバリ使っていた旧世代が引退しない限り無理だ。

特に、建築物などに使われる単位となると世代を超えて単位が残る。
ホームセンターなどでは2×4木材が182cmとかあるいは364cmで売られているが、これは単に江戸間の1間が約182cmだからである。182cmが1単位になっているので、これを1単位にしていろいろ作ると、いろいろすっぽりハマるのである。

1間とか、1坪、1畳とか、民家から畳がなくなっても、お部屋が何畳という感覚は、伝統建築物がその単位で残る限り残り続けるだろう。だって近代工業製品である電車のドアだって182cmみたいな高さで未だに設計されるからね。メートル法にあわせて2mのドアとかだったらなんかそわそわするとおもうよ。
座って半畳、寝て一畳とか、半歩の距離とかみたいな、肉体に基づいたサイズ感は、家具の使い勝手や街全体にかかるものなので、北極から赤道までの長さを1000万で割った1メートルよりも、実感訴求力があるのはいたしかたないところ。

江戸期の江戸は、人口密集と物流から栄養状態が悪く、身長が低く平均で156cm程度しかなかったと研究されている。

・江戸間では一畳が176cm×88cm
・京間は一畳が191cm×95.5cm

で、江戸の一畳が小さいのも、こういった理由からだろう。
時代が進めば、もしかしたら洋式便器の高さが1単位になるかもしれない。
ちなみに国によって体格が異なるので、便器の高さは国によってだいぶ違うが、日本国内ではだいたい一緒。
というのも、日本人の平均身長は、ほぼすべての都道府県で数センチも差がないから。

茶碗一杯の量とか、ドリンクの標準サイズとか、そういう、淘汰されてもある程度残る単位っていうのは、生活に根ざしたものになるので、それが文化なのかなって思う。

まあ、だが、華氏(°F)貴様だけは許さないけど。

参考

メートル法
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E6%B3%95

メートル法になれましょう 昭和34年
x.com/intent/retweet?tweet_id=1443587526640369666

ちなみにこのメートル法の資料でもう1つ、見つけたことあるものがこちら(昭和初期)
x.com/intent/retweet?tweet_id=1443897196672217090

マーズ・クライメイト・オービター
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%BF%E3%83%BC

「NASAの火星探査機がヤード・ポンド法が原因で失敗した」という話は正しいのか?
note.com/celestial_worlds/n/nb77ea16bf253

US/UKサイズの靴は何cm…?靴の『サイズ』を徹底解説!
www.t-w-c.net/topics/detail/1225/

尺貫法とは? 歴史や計算方法、住宅建築での使い方
www.eyefulhome.jp/sodate/article/japanese-traditional-unit/

京間(関西間)とは?畳の寸法・サイズや江戸間(関東間)との違いやについて解説!
suumo.jp/article/oyakudachi/oyaku/sumai_nyumon/other/kyouma/

ワインボトルの世界基準が750mlの理由とは
wsommelier.com/note/2024/12/06/post-844r/

明治改暦
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E6%94%B9%E6%9A%A6

江戸時代の男女の平均身長はどれくらいか。(2004年)
www.edo-tokyo-museum.or.jp/purpose/library/reference/alphabet/5148/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E7%94%B7%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%9D%87%E8%BA%AB%E9%95%B7%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%82%8C%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%8B%E3%80%82%EF%BC%882004


お米はどこに消えた。お米がない。


当方はお米の専門家ではありません。「うるち米」がなにを指しているか漠然とか知らないレベルです。
専門家に素人が口をはさむなどおこがましい、上から目線だと思われる方へはごめんなさい。
素人意見で恐縮です。

さて、うるち米ですが、せんべいやらの原材料でもよく見かけるあれ、我々がよく食べるお米で、「もち米」に相当するものが「うるち米」呼ばれるお米の種類だそうです。コシヒカリだとか、ササニシキは品種。

「うるち」ってなんじゃらほいと思ったのでさらに調べると、サンスクリット語で「vrihi(ウリヒ)」という説があるそうです。日本で栽培されているジャポニカ米の稲ゲノムを考えると栽培原種は長江流域だから、サンスクリット語は違うんじゃないかなって素人ながら思うです。

古語のウルシネ説というのもあるそうです。
シネはイネ(稲)、ウルは潤うだそうですが、こちらの方がまだ納得感があります。アラシネ(荒稲)、オロシネ(愚稲)。とすると「もち米」の「も」ってなんだ??迷宮に入りそうなので、主題にもどりましょう。

さて、スーパーにもうお米がありません。小売価格も1.5~2倍程度になっています。

以前、スーパーでみかけたお米の棚のからっぽでした。数日後には埋まってましたが、昨今はずっとこんな感じです。当方は一応、飲食店の免許もあるので界隈の方の話しも聞くのですが、仕入れ値があがりすぎてみなさんヒーヒー言っておられます。茶碗一杯50円時代、そりゃ原価割れの心配も出てきます。

相対取引価格の全国平均で昨年の159%になっています。
小売事業者、飲食店事業者向けの価格で176%、156%なので残念ながら業者の仕入れ値があがっている以上、小売の価格は数ヶ月先まで下がることはないでしょう。

昨年の収穫前には、新米が出回ればこの価格状況は改善されるだろうと見込まれていましたがそうはならず、そのまま値上がりが続いています。

農水省の説明も「投機のせい」から「品薄を心配し在庫増」からと説明が変化していますが、「品薄を心配してみなさんが少しづつ在庫を買い増した結果」とするならば、販売実績が増えていなければなりませんが、その農水省が発表している米穀販売事業者における販売数量及び販売価格の動向(速報)」から販売数量をみてみると、小売事業者向けは90%を割っているし、事業者向けの販売も101%すら超える月もないことから、いくらなんでもその説は無理があるだろう思う次第です。

転売目的で買われたお米は、冷暗所保存ができないので、暖かくなるころにはコクゾウムシが湧いて慌てて転売されるのではないかとの説がありました。どうでしょうね?個人的にはもう国内にお米の在庫そのものがなさそうだなって思います。

農林水産省の「米の相対取引価格・数量、契約・販売状況、民間在庫の推移等」の速報値をグラフにしてみます。AIが簡単にグラフにしてくれるかとおもったのですが、表組みがAIにすら難読化されてて、しかたないので自分でエクセルをいじいじしました。古米のデータと並べてわかりやすいようにしましたが、色がそろってないのはごめんしてちょエクセルが悪いんじゃ。

元の表データでも黒三角が連続していることからもわかる通り、在庫は平成30年から一番ない状態です。出荷段階でみても販売段階でみても、農家からの出荷数量でみても一貫して減ってるので、まあ、ないんだなって感じです。

農水省の「米に関するマンスリーレポート」を見てもなさそうです。

なんか初期の報道だと豊作だったけど、21万トンって流れてましたね。

たしかに、収穫量は多そうです。
収穫量で21万トン多かったのに、市中の在庫は少ないことになります。
そこで投機で買いました業者が居たとか、みんなが少しづつ買い増したから出回らないんだ論がでてきたわけだとおもいますが、はたして本当に要素はそれだけでしょうか?

他に仮説は考えられないでしょうか?

円安だから外国から買われている

お米が日本で値上がりしている頃、日本のお米が日本で買うより安く売られているというポストをTwitter上でよくみかけました。実際、輸出統計を見ると増えています。

ヨーロッパの穀倉地帯で戦争が行われている関係で麦などの穀物価格は倍程度になっていて、かつ金利の関係で購買力平価でみても1.5倍ぐらいの相当な円安なので、日本のお米は海外からみるとかなりの割安感がありますね。大規模に買われていても不思議はありません。

でも、2年前と比較しても精米で1万5千トンぐらいなので、行方不明分には届きません。
本年度はさらに急増して4万トンぐらいになっている可能性はありますし、統計に現れない形で輸出をされているかもしれません。肥育用の穀物を麦などで揃えるより、お米の方が安そうですからね。非主食品として加工されてしまえばなかなか追えません。

個人的にはこれが一番要素としては強そうだなと思っています。

悪意をもった統計と印象操作

豊作ということになっています。でも、作付け面積は年々減っています。
豊作というのは本当でしょうか?

この7年で1割もの作付け面積が減少しています。
平成20年には860万トン、令和元年に700万トンあった主食用のお米は、令和5年には661万トンで、令和6年には679万トンです。
今年のうなぎ稚魚は豊漁だというニュースがありましたが、前年よりわずかに増えただけをもってして豊漁だの、豊作だのという気が農水にはあるようです。ほぼ絶滅レベルにあるにもかかわらずです。
とうとう実需が供給を割り込んだことで、価格上昇が発生した可能性があります。

戦国時代の石高は1人の人間が一年間に必要なお米の数を表していると言われています。
1石=10斗=100升=1,000合、1合=150gとすると、150㎏に相当します。0.15トン。
昨年度の収穫高679万トンは4526万石に相当するので、いくら輸入で他のものが食えるようになったとは言っても日本の人口は12,450万人の半分にも届かず、輸入食料品の超高騰と重なって受給を割り込んだんじゃないかなと。

お米の収穫量は江戸時代末期からさほど変わらないなんていうのを聞いたことがあります。増えた人口は輸入食材によって頼ってきました。そもそも21万トンというのは去年との比較であり、それでも去年足りなかったんだから、今年も足りないよねっていうそれだけのお話しの可能性。

資材の高騰による品質悪化

円安の影響もあり、あらゆる物資があがっています。肥料や石油化学製品などはエネルギーを必要とするので、その影響をもろにうけます。農薬などは石油化学製品の最たるものです。トラクターを動かすのにもエネルギーが必要です。

二年前東北で田んぼを見た際、ずいぶん病気にやられているなと思いました。放棄されている田んぼなのかと思ったほどですが、あちこちがそんな感じでした。でも作況指数では100となっていますね。
実際の品質は統計上の値よりももっと悪化しているのではないでしょうか?
作付け面積が減り、収穫量を増やそうと密集化させると病虫害の被害も受けやすいです。
収穫量が同じでも同じ品質であるとは限りません。

陰謀論

極東でも戦争が近い!
日本は食料安全保障が弱く、戦争が始まればまっさきに餓死するのは日本だと言われている。
だから、外国から調略をうけていて食料が戦争を見据えて密かに密輸出されているのだ。

第二次世界大戦終盤の日本のお米清算量は約587万トンで戦前の7割り程度(by AI による概要)なので、日本からお米、100万トンかすめとって、海峡封鎖すれば日本から継戦能力が奪える!
終戦直後の日本の人口は約7,200万人なので、その半分の50万トンを奪うぐらいで十二分。
貨幣も弱いから予算もたいしてかからない。
もしバレたところでなんの問題もないからおおっぴらに買い付けろ~
政治不信とか社会不安おこせたらなおのことヨシ!!

って、敵性勢力が農家を回った可能性。
投機じゃなく調略。
信長の野望とかCIVIでみんながよくやる手口。
三年の蓄えなきは国にあらずは、天明の大飢饉で言われた言葉だっけ?

おわりに

あるいは、その複合要素みたいな感じで、お米はもうないんじゃないかと思います。そもそも弾性があまりなかったところに輸入材の高騰がおいうちを掛けたので顕在化した感じ。

昨年度は年数回ぐらいしか、更新しなかったので今年度はブログを週に何度かは更新するぐらいの気概でがんばりたいとおもいます。なんかこれ書いてってテーマがあったら言ってちょ。


お米について、調べてみた結果、わかりませんでした。
素人意見、いかがでしたか? 〆

参考

コメの混乱、農水省「投機のせい」→「品薄を心配し在庫増」説明転換:朝日新聞
www.asahi.com/articles/AST3043LDT30ULFA01VM.html

備蓄米、政府に納入せず転売か 供給元の事業者に違約金、農水省
news.yahoo.co.jp/articles/d20d19c900071f97ae8f47e5b7bded09b65c1bca

令和6年産米の契約・販売状況、民間在庫の推移及び米穀販売事業者における販売数量・販売価格の動向について(令和7年2月末現在)
www.maff.go.jp/j/press/nousan/kikaku/250331_1.html

民間在庫の推移(速報)
www.maff.go.jp/j/seisan/keikaku/soukatu/aitaikakaku.html

うるち米とはどんなお米?もち米との違いや語源とは
www.okomeya.net/okomeya_note/%E3%81%86%E3%82%8B%E3%81%A1%E7%B1%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%8A%E7%B1%B3%EF%BC%9F%E3%82%82%E3%81%A1%E7%B1%B3%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84%E3%82%84%E8%AA%9E%E6%BA%90/

平安時代の文献にある呼称「ウルシネ」が転訛
x.com/RiceriderZennoh/status/1500576957217583111

粳稲(読み)ウルシネ
kotobank.jp/word/%E7%B2%B3%E7%A8%B2-442194

米に関するマンスリーレポート(令和7年3月)
www.maff.go.jp/j/seisan/keikaku/soukatu/attach/pdf/mr-919.pdf

“消えたコメ21万トン”はどこに? 価格高騰の課題と対策は?
www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/my-asa/myk20250207.html

令和6年産水陸稲の収穫量
www.maff.go.jp/j/tokei/kekka_gaiyou/sakumotu/sakkyou_kome/suiriku/r6/syukaku/index.html


偲ぶサイ享年102歳


祖母が亡くなられた。享年102歳の大往生である。
100歳を越えてからは養護施設に入っていたのだが、亡くなられる直前まで夜勤のかたと普通に会話をしていて、夜の見回りの際に亡くなれているのを発見したそうだ。

深夜12時20分ごろ家の固定電話が鳴る。たまに深夜に変な宣伝FAXが紛れこんだりするのが、その日は留守電を残している気配があったので階下に降りて確認したら介護施設から。至急連絡を下さいとのことで折り返したところ、夜勤の方から上記を告げられた。
幸い極近所の施設なので一人深夜に駆けつけ応急対応させてもらった。医師の死亡確認や両親は明朝になってからの対応。深夜にあなたの親が死んだと叩き起こしても、寝不足の人間を増やすだけだ。

亡くなられる前日、37度代の発熱があり翌日には下がったと両親から聞いていたので、深夜の電話にも予感はあったのかもしれない。

最後のお世話をしてくださっていた夜勤の方によると、熱は下がったのだけれども、血圧は高い状態は続いていて、本人も食欲がないから夕飯はいらないよとなどと話していたそうだ。寝る間際にベッドをリクライニングから戻し、点滴のガイドベルトなどなどが緩んでいたのを自分で直されているぐらいには元気で、ほんとしっかりしていて・・・普段と変わりがなかったのになどと会話。多くのかたを見送られたであろう施設のかたにも動揺があった。最後まで丁寧に仕事をしてくださって感謝しかない。

家から出ることもなかった専業主婦。著名人でもないごく普通に生活をし、ただただ長生きした祖母。ここで私が書き記してでもおかないと誰が追悼文をあげてくれるわけでもなし、記憶とともに偲ぶことにする。

いっとき書道が趣味で、家にいくつか作品がある。
なんて書いてあるかは読めない・・・万葉集とかかな?

最晩年

施設でも最高齢の102歳だが、頭のほうはかなりしっかりしていた。
入所されている方は70歳代でも痴呆と見受けられるかたもいらっしゃり、人の老い方には様々だと知らせてくれる。身内贔屓かもしれないが、101歳ぐらいまでは歩行補助具だけで自分でトイレに一人で行けていたのは、普通にすごいなとおもう。

耳は遠く、ほぼ聞き取れていないなかったのではないか。
最初のうちは会話はなかなか成立しないのだが、やり取りしていくうちに意思疎通できるのは、本人の推測による補完なのかもしれない。認知能力はたいしたもので、ホームでは掛け算とか漢字の読みとかを答える問題などがリクリエーションとしてあったのだが、正直、漢字などは高校生でも読めない子が半分以上いるぐらいのレベルの問題をやっていた。お花の名前の漢字シリーズなぞ俺だって危うい。

連れ合いの祖父に先立たれてからは100歳まで一人暮らしができていたというのが、そもそも驚異的なのかもしれない (しっかりしていたため要介護認定がとれなかった) 。もちろん、訪問介護やデイケアなどを利用しつつではあるし、別棟ではあるが私の店というか小屋や家があるので、目が届く範囲であったというのはあるが、足腰が立たなくなり呆けてしまうと、こうはなかなかいかない。

祖父の最晩年も頭は比較的しっかりしていたが、だんだん歩けなくなったり、電子レンジの使い方がわからなくなってしまった・・・とか、尻もちをついたとき立ち上がりかたがわからなくなってしまったとか、本人が自覚しながら自分の体の機能がだんだん停止していく。そんな風に老いがすすんでいった。祖母の場合は最後まで認知はしっかりしていた。死ぬのを忘れているんじゃないかとか、このままのペースでいったら120ぐらいまで余裕なんじゃないかとか思ったりもしたが、そんなことはないわけで、胃腸が機能不全におちいり栄養吸収ができなるパターンでいっときは個室で看取り待機となっていた。まあ、持ち直したんでそっから8ヶ月ぐらいずっと看取り用の個室だったんだけど。さすがに100歳をすぎれば時間の問題ではあった。最後は心臓が鼓動を。もしくは肺が呼吸を忘れたんだと思う。死因には老衰と書かれていた。

私の直系尊属はみなさん長生きで、102、98と99、95かな?
長命種のエルフとかドワーフなんじゃないかと思う。さしずめ母型がエルフで父型がドワーフかな。手先器用系だからって冗談だけど。単に医療技術の高度化が甚だしいのだとおもう。そして戦中を生き抜いた人たちの逞しさよ。現代科学は遠からず不老ぐらいは実現するかもしれないが、それはそれで恐ろしい世界だ。ご長寿老の人達をみてきて、長生きの秘訣があるとすればストレスのない生活と、不健康から離れていたからの結果でしかない。ストレスだらけで不調を抱え、欲望に飲まれ、ただ生きながらえるだけならば、それはそれは本当に恐ろしいことだ。胃ろうとかの延命治療だけは絶対にしないでくれとは俺が申し使っている両親からの数すくない希望ではある。

個人像

名前を「さい」と言う。わたしがごく幼少の頃は「さいは何歳?」とか、そんな言葉あそびをしていたな。
栃木の生まれで、「い」が「え」になるので、もしかしたら親とかは「さえ」と呼んでいたのかもしれない。あるいは「い」ではなく、「ゑ」「ヱ」なのかもしれないが戸籍上は現代ひらがな。ちなみに祖父は「ひ」が「し」になる江戸っ子なので子供の頃は二人にいろんな言葉を言わせるのが面白くてしょうがなかった。

祖父とは見合い結婚。両親だかが決めた結婚で、目黒雅叙園でやった結婚式だか、その前日に初めてあったと聞いた。結婚式当時どのひとが旦那かわからなかったと婆さん談。昔しっぽい。

そう、ドワーフ。
かつて士農工商に身分制度が別れていた頃なら双方間違いなく職人系の家系で、祖父方は金細工、祖母方は人形師だったと記憶している。(確認したら正式には農家?)
多分だけど、手先の器用さとか幾何系理解には遺伝要素がそれなりにあって、そういう職能目的で昔の人はインブリードしてたんじゃないかと思う。幾何系に興味を持つのはスキゾイドパーソナリティ障害(社会的関係への関心の薄さ、感情の平板化、孤独を選ぶ傾向を特徴とする人格障害)などと現代では分類されたりするが、職人像とか職人気質がまんまあてはまるよね。アスペかスキゾイドみたいなのしかいない理系男子は恋愛とかに興味が薄いひとが多いので、放っておくとオタク趣味に走るだけで結婚とかに興味を持たないことも多い。だから親というか家が適当に結婚させちゃうっていうのは、まあ、ある点では昔ながらの知恵なのかもしれない。孤独が好きっていう配向性をパーソナリティ障害とか言われてもねぇ。恋愛至上とか経済至上とかと別の世界線に混ぜても肉食に狙われるだけだし不幸だとも思う。

まあそんなわけで、祖父も祖母も喧騒とか怒りとか諍いとか妬みとか嫉みとかそういう負の感情からは程遠い人たちだった。家を建て替えるときとかに祖父母達とも一緒に住んだこともあるのだが喧嘩とかしているのもみたことがない。にこにこと穏やか。感情が平板とかいわないで欲しいな。

二竿の和ダンスを背にこたつを横に2つ並べ、電気ポットを真ん中に挟んで、ちょっと高くした座椅子に横に並んで座る。祖父が向かって右側、祖母は左側。七福神が揃いで宝船に乗っかってるぐらいの福徳さ。じいちゃんが縁側で一人囲碁の棋譜を並べているときは、ばあちゃんはお茶を飲みながらただ穏やかに眺めてたな。
私が子供の頃からお年寄り然としていて、そして亡くなるまでおじいちゃんおばあちゃんだった。

祖母の弟が家を訪れたとき、この二人を評して「なんとも福徳」と言っていたが、まさに言うて妙だとおもった。さすが人形師は言うことが違う。

さてこの、大叔父が来たときが私にとってはほぼ唯一の祖母方の実家家業を祖母以外から聞く機会だった。
祖父の金細工の商売はモノがモノなのでどちらかというと皇族とか華族、国外の王族とかが相手だったので戦争を挟んで贅沢品と禁止され、戦中は手先の器用さのために軍需に駆り出され、戦後はあれもそれもGHQに禁止されと、細工技術としては断絶した。生き残りはやがて時計メーカーとかに纏まっていって活路を見出したと聞いている。電気とか半導体とかもか。逆に人形のほうはそのまま職能として残り、なんか私が子供の頃はテレビCMとかしていたようないくつかの人形メーカーに纏まったと聞いた。最近は少子化の関係で産業事態もうないかもしれない。ひな祭り人形とか五月人形とかまだ職人さん達つくっているのだろうか? 上野の東側に仏壇屋と並んで専門街があった気がするけど、買ったなんて話しは、あまり聞かなくなったね・・・。

大叔父も、その時は、文化財みたいなすごく古い人形を直すぐらいだなぁと言っていたが、そういう伝統技術もやがては失伝していく。息子さんも継いではおられないそうだ。その時こられていた大叔父のお子さんは、数学だかの学者になったとかそんな事をいっていた。旧姓でciniiとかでググってもでてこないし違うんじゃないかと思うんだけど。まあ、ここでは本題ではないので置いておく。

旧姓を調べたら、全国人数400人しかいないみたいたので伏せておかないとね。もっとポピュラーな名前だと思ってた。ちなみに現在の姓は約7000人だ。そりゃ氏族としてはうちは繁茂はしねぇわな・・・。絶滅しかねん。

・・・。
英語だったら出てくるかなと調べたらなんかいっぱいでてきた。音でしか聞いてなかったから漢字を間違えていたみたい。こっちの漢字だと1700人はいるみたいだ。栃木に多いみたいだし、こっちか。ググったらインタビューとかが出てきちゃうし、ちょっと立場のある人みたいなので文中の特定に結びつきそうなところは遡り削除しました。ああ、出てきた顔写真の目元とかばあちゃんに似てるな・・・。・・・。ホロリとする。

兄弟間では、頭しっかりしていうるちにと別れは済ませ没交渉にするようなことを言っていたので、これからどこまで訃報をまわすかは悩むところだが、連絡先がわからないと思っていたので有名人だと少し助かる。

うちの雛人形は、人形だけじゃなくて、藁にさしこんだ人形の首がいくつもあるなと子供心に不思議に思ってたんだ。三人官女とかのさらし首かな、おっかねぇなと。お金がなくて体が買えなかったのだろうか。とか。だけど、そういうじゃなくてばあちゃんの実家が人形師だったんだね。さらし首にどんな意味があるのかは聞いておけばよかったな。・・・。ちょっと調べてみたけど、人形師でも頭師ってやつなのかな??

栃木の実家では家の中の土間のようなところに小川が流れていて、そこに金魚とかが泳いでいたそうだ。橋のたもとかなとも思わなくもないが、事実だとしたら風流なもんだね。どんなものだったのか見てみたい。

水道がなかった時分は家の中に小川を引き込んでいたものなのだろうか?
なんか富山あたりには今でも炊事場用の共同利用の井戸端小屋があるのを見聞きしたことがあるが、寡聞にして家の中を小川が流れるなどという屋敷は聞いたことがない。湿気で建物が傷んでしまいそうだ。いや、それを寛容するぐらいのなにかこだわりがあったのだろうか? 思えば自分も店に木を生やしてるし血は争えないのかも。

祖母は水戸黄門の「ちゃんばら」すら怖くてみれないレベルの怖がりだった。
驚くほどの心配性。
だから祖父が亡くなるのが怖すぎて見舞いにいけず祖父も呆れていた。いよいよ臨終というときに家のすぐそばの病院に駆けつけようというときも、何も聞こえないふりをして、どん兵衛にお湯を足しだしたときは、さすがにそれに付き合って自分も死に目に立ち会えないのは嫌なので置き去りにしてしまった。ごめんなさい。

祖父が亡くなれてから数十分後、ばあちゃんが遠方から駆けつけた叔母に連れられて病院に来た。祖母はただ家の前で待っていたそうだ。ただ、ただ、心配で、怖かったのだと思う。

召集令状の赤紙を片手に走って爺ちゃんを迎えに行った話しや、息子を栄養失調で殺す気かと医者から怒られ自分の実家に疎開させた話しなどは何度も聞いた。もしかしたらそういう経験が死に対する激しいトラウマになっていたのかもしれない。だけどもう何も心配はいらない。しっかりものの爺ちゃんもそばにいるはずだ。なんの心配もいらない。

この1年はコロナの影響もあり、ほとんど面会をすることもままならない状況であった。
面会にも予約が必要で、最大で1家族で2週間に1度という制限。面会も玄関のガラス越しにタブレットで最大15分のみ通話会話。亡くなれた翌朝も施設に行ったのだが、多くの家族が面会時間のため建物の外に列をつくっていた。

養護施設はどこも入ったら最後、認知症の老人がどこかにいかないような造りになっている。エレベーターのボタンを同時押ししなきゃいけないとか、下駄箱の中のひとつに文字ボタンがあって決められた順番でおさないと自動ドアが開かないとか脱出が困難なつくりになっている。だが、コロナ下ではそれに加えて入るのも困難な建物になっていた。ほんの気軽な訪問が多くの老人の命を奪いかねないのだから致し方がない。

うちからも近い施設だったので、1~2週間にいっぺんぐらい出荷のついでにちょっと足を伸ばして顔を見にいっていたのだが、この一年は数ヶ月に1度程度の頻度となっていた。ばあちゃんが事態を理解していたかはわからないが、さみしかったことと思う。

生前は、お正月の面会が最後か。緊急事態宣言がでていたので、ガラス、マイク越しの面会。 俺が生まれる前に閉店した祖父母がやっていた時計屋があるのだが、それを改修して、開けるねって話しをした。太宰治なども来ていたお店なのだが、シャッターを閉めたまま当時のまま数十年。だが家主が不在の1~2年で建物は人が住んでいないと途端に痛むのだということをまざまざ思い知らされた。風はときどきは通してはいたんだけどね。

ばあちゃんはできあがったら写真を撮って見せてねと言っていた。
間に合わなかった。見せられなくてごめんなさい。

その何回か前の面会のときは、俺が生まれた子供を紹介してくれた夢をみたと言っていた。 見せられなくてごめんな。

ばあちゃんのことだからあらゆることが心配だったに違いない。
だけれども何の心配もいらない。生きている人たちでなんとかするよ。心配しないで。だだ、すれば。