まちづくりと種まき


まちづくりに成功するとその成功がために失敗する。繁栄と衰退は糾える縄の如しである。衰退しっぱなしよりはいいのだが、今、三鷹はたぶんその移行期にある。

「100年先を見据えたまちづくりを考える 〜二子玉川の事例〜」という会が三鷹でやっていたので、どこで知って参加申し込みをしたのかも忘れてしまったが行ってきた。

法政大学 現代福祉学部 教授 保井美樹氏
二子玉川エリアマネジメンツ 代表理事 佐藤正一氏
二子玉川エリアマネジメンツ 事務局長 笠原徳広氏
まちづくり三鷹 代表取締役会長 内田 治氏

ミニ講演+トークセッション+懇親会という感じ。
二子玉川での取り組みや、現在の三鷹での状況、エリアマネジメンツなどについてお話しいただいた。
商業をやっている仲間からは三鷹については厳しい評価をきく。中央線界隈の複数の駅に出店している店長などは特に辛辣だ。曰く三鷹はまちづくりに失敗していると。次回不動産の更新どうしようか悩んでる人もいるし、実際出るのを決めてしまった人もいる。

駅前地区の再開発が進まず、向こう数年単位で厳しい状況が見えている。うまくいっても効いてくるのは数年はかかる。スーパーマーケットなど生鮮食料品屋の多くがなくなったため駅前通りの人の流れも変わってしまった。人口は年数千人単位で増えている、だが街を人が歩いていない。これってどういうこと?と。病気のようなもので、なってしまったものは緩和療法的な手しか打つ手がない。まちづくりも病気にならないよう健康でいたい。

街の中心がひとつしかない城下町が街のアップデートが難しいように、中心部がひとつだと、並行稼動や入れ替えが難しく更新が難しくなる。それがシステムではなく、耐久財だとなおさらだ。

今日、こんな記事が話題になっていた。

空き家地獄の時代「もうタワマンは法律で禁止すべきである」
news.livedoor.com/article/detail/16007393/

タワーマンションは例えば六本木ヒルズなどは300年持つような設計で立てているというが、現在の日本の戸建ての平均建て替え年数は、調査によってはわずか27年とか言われている実情が表しているように、住宅の構造寿命より先に建て替えがなされるケースが多い。

タワーマンションも、数十年、どんなに長くても百年も経てばそれらもいずれは更新の時期を迎える。築年数が行ったタワマンが低所得者用向けになってメンテナンスがろくされず火事をおこした惨事は、都市づくりとして先行するロンドン先輩が教えてくれているのだから、家電リサイクル法みたいに撤去用の引当金は公がデポジットしておおけよとは思う。だが、タワーマンションが日本で問題になるのは数十年後だろう。
目下、日本でこれから深刻化するのは今から数十年前に開発された団地やマンションなどの大型建築物である。日本の建築基準法は高度経済成長期、オイルショック後の1981と、阪神淡路大震災の2000年に大きく変わっている。数十年前にピカピカの新築として建った団地やマンションなどは、いまだ現存していてここに生活する人が一人でもいる以上、これらのケアがちょっとデリケートすぎるのだ。

古くて保全もできない建物とたいして距離もないところにタワーマンションが新たに建つ。街としてはちぐはぐな感がでてしまうのは否めない。駅というものに依存している以上、このようになってしまうのは致し方ないことなのかもしれない。

だが、100年というタイムスケールで考えるならば、本当はもっと俯瞰してみなければいけないいけないことがある。忘れられがちだが、最初に飛行機が飛んでから117年である。我々はそういう技術進歩のもとに生活しているのだ。技術や生活様式というものは変わる。

今から130年前、1889年(明治22年)中央線の元となる甲武鉄道が新宿駅立川駅間で開通した。
1930年(昭和5年)に三鷹駅ができたが、この頃、三鷹はまだ村である。日本の全国の人口は7,307万人だ。

国立社会保障・人口問題研究所
日本の将来推計人口(平成29年推計)
50年先の将来推計値までしかないが、わずか50年で日本人の数は100年前の人口になることが見えている。

resas.go.jp/population-future/#/graph/13/13204/2012/0/9.679480099505447/35.66837571/139.5558413

三鷹個別の推計でみると50年で倍になるか、減っても2万という恐ろしい推計になっている、ちょっとなんだこれ怖い・・・。

100年前。
鉄道が敷設される前は、移動の手段は徒歩や馬車であり、その中心は街道であった。街道沿いという生活の拠点、表を避けるために人があまり住んでいないところに中央線を引いたのだ。かくしてそれから駅が生活の中心になり、そして物流の主役はモータリゼーションになった。100年後はどこが表になるだろうか?オートパイロットのドローンとかが主役になるなら調布飛行場あたりかもしれないね。

今、三鷹の新川地区では、大深度の東京外かく環状道路がそこで地上の中央道と乗り入れるらしく開発が進められている。イーロン・マスクが進めるハイパーループ構想より、着実なところでTokyoの地下モータリゼーション網は実現するだろう。

だが、自動運転の車はどの道を通るの?とか、セグウェイ的なパーソナルモビリティはどのように処理するの?とか、ドローンの流通網とかができたらどこを飛ぶの?とか、そういう未来構想にはまったくの未着手だ。すごくもどかしい。

時間による効用が無視した街づくりがおこなれていると感じる。
今、1つの種を100種類でも植えておけば、それのなかのどれかが増えて100年後にはそれが街全体を食べさせてくれるかもしれない。しかし、もし10年後にそれでくおうと思ったら、1000本の実をつけることが既にわかった苗を植えなければいけなくなる。もし、今それを食おうとおもったら、人の口の数分どこからか買って来なければならない。
病気になる前なら、ほんの少しのケアで済んだものも、こじらせてしまったら大変だ。とかく公は問題がおきるまでことを放置しがちである。

それが役に立つか立たないか、価値があるかないかを有識者が判断できる時点で、種まきの時期は過ぎているのだが、確度をあげようとするために、どんどん取り掛かりが遅くなる。

リスクは一切受け付けないという人がいる。またその声は大きい。
リスクとは不確実性のことで、不確実性とは未来のことである。
未来を拒否して過去を語るだけの精神的老人になってはならない。

ぁぁ、本当は100年先の未来について書こうとおもったのだけどジジ臭くなってしまった。反省。


goosehouseと地域音楽


goosehouseというシンガーソングライターのグループがあるんだけども、今はあったんだけどって過去系なのかな?ミュージシャンにおなじみのレーベル移籍騒動みたいなのがあったようで、ごたごたしているようだ。ジョニーだけ残ったのがなんともらしくていいなと。ムーミン谷が最高の場所だと確認するために旅にでるスナフキンみたいだな。

地域で音楽ライブをやるにあたってクラウドファンディングを始めたので音楽についてちょろちょろ書く。
faavo.jp/tokyomitaka/project/3328

で、せっかくなのでgoosehouseについて書こうとおもって 、どうも2012年ごろに書きはじめたまま放置されてた記事をひっぱりだしてきた。「わしゃぁgoosehouseを褒めそやしたいのじゃ」というタイトルで、投稿直前まで書いてたのだけども、みたところ、いろんなミュージシャンの曲を聞いたり調べたりしようとして途絶えている。ということは、音楽聞いているうちにどうでもよくなっっちゃったんだとおもう。ありがち。でも、内容を読んで見ると2012年も2018年もあんま実態変わってねぇなと。

サカナクションのNFパンチ(NF将棋が好き)ちゅうyoutube番組の中で、若者集めて音楽について討論番組っぽいのをやってたりして、「CDって必要?」「ミュージックビデオって音楽?」こういう討論テーマがあった。曰く音楽をどのようにリリースしたらよいか、どんなメディアで聞いたらよくかわからない時代になってしまったそうである。聴衆者の受難であるだけでなく、作曲側、演奏側の受難の時代なんだそうだ。


music hackathon tokyo に参加したのはかれこれ一年前も前になる。もうすぐSpotifyが上陸するよと言っていたのに、まだ上陸する気配がない。もしかしたら天正遣欧少年使節団と一緒に旅立って、慶長遣欧使節とでも一緒に帰国するのかもしれない。だとしたら数年かかるのもいたし方のないことだ。

SpotifyやPandoraは音楽を無料または定額で聴き放題にするサービスなのであるが、日本には素敵な音楽著作権管理団体があるのでバテレン追放令下に入国するようになかなか上陸できない。国内でも開発者用アカウントを特別にアクティベートしてもらった人たちがいるのだが、便利すぎて手放せなくなったと聞いた。本当、わしもアクティベートしてもらえばよかったのぅと後悔している。


これは何年も前に書いたものなのだけど、結局Spotifyが日本で公開されたのは2016年9月なので、数年かかるは妥当な読みだったね。1600年の航海技術ではヨーロッパに行って帰ってくるのに7~8年かかってるけど、現代の日本でも先端潮流が入国するのには7~8年かかるみたい。なんじゃそりゃ・・・。

その音楽の流通の妨げのひとつになっていた悪名高い包括契約が最高裁で否定された、のも、今じゃ数年前の話しか・・・。ここの部分はまるっと削除っと・・・。

本来であれば、どの局でなんの曲がいつ掛かったかというのは管理団体がモニタ、記録して、権利者に見える状態で管理され著作権使用料が著作権者に払われるそうなのが、日本ではそうなっていない。著作権管理団体はほぼ独占寡占であるために、その管理を放送側におしつけることが可能でテレビ局やラジオ局、はたまたyoutubeやニコニコ動画に至るまでその管理がいらない包括契約が常態化されてきた。管理楽曲ごとにJASRAC使用許諾番号などを得てから放送などという手続きは現実的ではないし、e-Licenseなど他の著作権管理団体の管理する楽曲を流すことが難しい状態となっていた。

私的録音録画補償金制度は、カセットテープやMDに始まって、CD-R、DVD、Blu-ray、そして音楽がダウンロードするものになるようになると、パソコンやポータブルレコーダーのようなハードディスクを持つものについても課金を求めようとしている。コンテンツを保護するためにDRMのような暗号化が施され、それを煩わしいとストリーミングに移行してはまた新たな問題を産む。

結局なんじゃのかんじゃのと作り手側とそれを聞きたい側の途中になんか作り手側にも、聞き手のためにもならない余計なものが挟まる。

著作権は万国著作権条約ぐらいを起点とした70年程度の歴史しかない比較的新しい権利であるが、ここのところ、職務上の発明や著作をどのように扱うかという問題がうまれつつある。

音楽が商業化され、媒体を通して流通するモノ化すると、この職務上や契約上の作曲や作詞が、契約上の問題をうむようになった。ネット登場以前は、流通枠は固定されていたのでプロモーション費用を十分にかけられたメジャーレーベルのアーティストが市場を支配的に独占することができた。小資本とかが暗黙則を破ったら市場からしめだせば事は済むので、優越的地位は揺るぎようがなかった。

自分がgoosehouseを褒めそやしたかったのは、そういう時代の流れの中で、音楽に再び愉しみを呼び戻してくれたからだ。荒削りでも育つ様まで見れるのは面白い。
彼、彼女らの説明を簡単にしておくと、それぞれが独立したシンガーソングライター6~7人からなるグループで、それぞれがユニットを組んでカバー曲を披露したりしながら、やいのやいのと談笑する月一セッションライブをustreamからYoutubeLiveに流してきた。検索ヒット率が高いポピュラー・ソングを高めのクオリティで多人数でやるので、絨毯爆撃のように数を提供でき、youtube内の関連動画にあがってくる率や、Twitterの登場などもあってSEO的にもばっちりだ。ここらへんの作戦練ったひとすごいなとつくづく思う。

大人な邪推を言うと、どこかのレーベルとかの契約研修生とかをレッスン費用あたりとバーターで安く契約して、まあ、芽が出たらラッキーとかやってたのかなとか考えちゃうんだけど、まあ事実はわかりませんが、大人都合はともかくとして、なんにせよ当人たちが楽しそうだったのがいいよね。
まあ、脱退前は数ヶ月むっつりしてたりするのをみると、大人な事情が透けてみえたりもするのであれだけれども、体制を支える側の成功率や透視台効率を考えると、これもまぁしょうがないよね、と。同じことをメンバー変えてやってもなかなかマジックは生まれないし。成長したらインキュベーションからはできるだけ追い出していかないと育たないし。

でね、ここのところメンバーも固定化して、新旧の入れ替えもおきなかった。いつのまにかガチョウのインキュベーションからGooseという群れになった。巣立った卒業生も力をつけてきて、飛び立ったのが戻ってきたんだろうね。そりゃニルスも大慌てさ。

・・・で、ここからどうやって地域音楽につなげよう?

そう、goosehouseみたいに苦労しつつもある程度華やかな舞台に出れた子はよいとしても、そこに至れない子や、そこから数十年を経た人たちはどうなるか?

お向かいに俳優の橋爪功さんがやられている劇団の事務所があって、縁あって数年前から商店街でステージイベントをやるようになって気がついたんだけれども、地域には若くてこれからがんばりたい!っていうミュージシャンや、ベテラン勢まで、そういう人たちがごろごろ居るんですね。

音楽みたいなそれぞれの趣味が大きく異なるもので、大きな音がでるものを開放系の公共空間でやるのは、主催側としてはかなり頭がいたい問題が何ダースもくっついてきて、下げる頭も、首の筋肉もたりなくなるのですが、だけども、若い人たちとかに機会をつくるのは大人の役割ですよね。わしも大人になったもんだのぅ。また、60、70歳の年配者たちが楽しげに演奏してたりするのを見せるのも、当人達の楽しさだけじゃなくて、大切なことなんじゃないかと思うわけです。

あの大御所のバックバンドで演奏してたんだよとか、好々爺善としているけど、あの人、若いときスター誕生の優勝者してデビューしてたんだよとか、あっこのお店の女将は、大手レコード会社のボーカルオーディションでグランプリだったんだよとか。そういう諸先輩方が身近にいるのに、いままでは気が付きもしなかった。世阿弥も風姿花伝で時分の花と老木の花を例えてたけど、若い時分の消費されるだけの草花に目は移りがちだけど、葉もつけない枯木にまことの花を探すのは実に難しい。

公共施設はクラッシクみたいな格式高い演奏会をする場所はあるのだけど、小さなものはない。ライブハウスは吉祥寺や荻窪とかに吸われていってしまうし、まあ、演奏したいだけなら大人ならお金だせば借りられるけど・・・、でも、地域っていう横串でもなければ、世代やジャンルが交じる機会なんていうのはないですよね?

才能や練度は、もちろん人によって様々。
でも、音楽というものが再び形を変えつつある今、もう少し身近な音楽体験ができる、プラットフォーム造りというか原体験提供の機会は、これからますます重要になってくるんじゃないかと思う。オーディエンスとして消費するんじゃなくて、全員がミュージシャンになるぐらいでちょうどいいんじゃなかろうか。盆踊りのそれに近い。

正直クラウドファンディングでお金を集めても手数料で2割持っていかれてしまうし、お金集まらなくても運営できるように手はずは整えてはいるのだけど、それでも、わざわざクラウドファンディング化したのは、地域の片隅でその場に来た人たちだけが楽しかったねーのいっときのもので終わりにしたくなかったから。

ここは連雀町。グーズハウスの決め台詞「一人でも飛べるけどみんなと一緒だともっと飛べる」みたいに、「雀は一匹だとチュン、二匹だとチュンチュン、三匹だとチュンチュンチュン」みたいなのを標語にして頑張りたいと思います。

クラウドファンディングどんとおまちしております。
faavo.jp/tokyomitaka/project/3328

参考

Ustreamのライブアーカイブもおおよそすべて残っているので気に入ったひとはこちらも見るとすげぇ楽しめます。
www.ustream.tv/channel/playyouhouse?rmalang=ja_JP

2012年のカバーで俺がHOIに選んだのはメモによると
レーザービーム/Perfume(Cover)でした。
youtu.be/LVPcTo5nGnU

作り物で押し固めた音楽、Goose Houseをボロクソに批判したい。
basement-times.com/goose-house/

こういう批判もありますよね、ぼかぁ演奏後の「ありがとうございます」っていうのが、プロスポーツ選手がインタビューで間に挟む「そうですね」ぐらいに違和感はあった。


科学技術週間国立4研究施設の一般公開



JR中央線沿いの三鷹と京王線沿いの調布は電車などがつながっておらず南北の行き来が困難である。その交通の空白地とも揶揄されるエリアになかなかおもしろい研究施設などが集まっていて4月22日、科学技術週間の恒例行事として、海上技術安全研究所(NMRI)、交通安全環境研究所(NTSEL)、電子航法研究所(ENRI)、そして、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の4研究施設の一般公開がおこなわれた。

このエリアは武蔵野台地のヘリとなっていて崖地となっている。そのため井の頭や深大寺のように掘らずとも自然と湧き水が出て綺麗な川が流れ出る地域である。青森についで日本で二番目に古い土器は井の頭公園でみつかったものだそうで、縄文時代には湧水が文化揺籃に重要だったことが推測できる。

湧水と緑豊かなのでわさび田などがいまだにあり、昔の人がここに国立の天文台を立てようと考えたぐらいには空がよくみえた山の稜線なのである。江戸期は一泊ぐらいでいける行楽地として、明治後期には別荘地として開拓され、その後、中島飛行機などの軍需工場として住民の流入が相次いだ。江戸の大火や、東京大空襲のときの疎開地として街が興った。

東京と八王子を結ぶといっておきながら三鷹と府中で終わっている東八道路は通称30メートル道路とも呼ばれ、比較的道幅が広くまっすぐな道路だ。真偽は定かではないのだが、一説によると、戦時緊急時に滑走路としても転用可能なように考慮されているとかなんだとか。本当のことはわからないけれども、多分転用はできるようにはなっている。

上記の4つの国立研究所はその30メートル道路沿いにある。滑走路をそこにつくるなら、駐機場にするにはこれくらいの土地は必要だってくらいバカ広い。

なぜ三鷹みたいな内陸に海の研究所や、宇宙の研究所があるんだよ!?と思うかもしれないけれども、おそらく戦中戦後、まだ人口密度が高くなかったころの名残だろう。現在、学園研究都市といえば、筑波だが、それくらいの郊外感覚で、電気通信大学や国際基督教大学、そして国立の研究所がたてられたんじゃないかなと推測する。全部推測だ。あはは。

 

毎年、商店街に科学技術週間のポスター貼ってと送られてくるので存在はしっていたのだが、今回始めて見に行ってきた。これはいいものだよ。うん。前置き長くなりまくってしまったけれども、写真でもアップしようとおもう。

 

海上技術安全研究所(NMRI)

この馬鹿長い建物は、長さ400m×幅18m×水深8mもある水槽がはいっている建物。いっそあと600m足して東京オリンピックのカヌー会場にしよう。

高校生時分水泳部だった自分らは、この近くの25mプールでせこせこ泳いでたので、一度でよいからこの400mプール泳いでみたかった。

 

波の発生装置とかがある。お魚ロボットとか。

極地の氷の上をどうやって進むかとか、氷が貼られているプールとかがあった。めちゃめちゃ暑い夏日だったが、圧扉のなかは寒い。宇宙よりも遠い場所だ。

 

交通安全環境研究所(NTSEL)

時速60キロ相当の風洞体験とか、交通シミュレーターとか。こちらも、鉄道運転体験装置とかあったのだけれども、子どもたちが写り込んでいるので、後ろ姿だけのこの写真だけ。

電子航法研究所(ENRI)

管制系とかシミュレーター系は子どもたちに大人気で、長いことならばいないといけなかったので残念ながら、駆け足にてちら見。

 

宇宙航空研究開発機構(JAXA)

宇宙より遠い場所から、宇宙へ。

みんな大好き。スパコン。

みんな大好き大きなタービン。

みんな大好きばかでか風洞。

まあ、他にも機体とかいろいろあったけれども、まあこんな所で。

 

あんま人がはいらないからか、よくわからない植生になっていて、雑草の一本から楽しかった。

背高泡立草の群生とか、やたら茎の細い酸葉(すぱんぽ)の群生とか、15cmも背丈がない菖蒲だかあやめだかあからない紫の花とか、で、この紫のこいつは何者だろう。あんま見かけたことがない気がするので、パシャリ。

 

 

まあ、そんなわけでみんなも来年はいけばいいとおもうよ!