駅前にデータセンターを建てるのは是か非か


駅前にデータセンターをつくることに反対意見があるようだ。
個人的には駅前データセンターはそんなに悪くない判断だと思う。
なんでかということをつらつら書こうと思う。

人口動態とビルの減価償却年数

一般的な鉄筋コンクリート造の建物の減価償却期間は34年以上が必要であり、耐用年数は肉厚鉄骨で51年、鉄筋コンクリート造で70年となる。
つまり、鉄筋鉄骨のコンクリを建てると、半世紀はそれがそこに残る。

今、戦後高度経済成長期に建てた半世紀前のビル群が償却期間を終え、問題が顕在化してきている。
定借ではなく分譲してしまったために権利関係の整理もできず、住民に退去してもらうこともできず、壊すにも莫大な費用がかかり、かといって経済合理から建て直すこともままならずにっちもさっちもいかない「負」動産の続出が加速する。
壁紙変えましたぐらいのリノベーションで誤魔化して、現地をよく見もしない外国人などに売りつけることで値段が支えられているが、その本質は原野商法と似てる。

新規にビルがどんどん建てられているが、築浅の15~20年ぐらいは、まだいいかもしれないが基本的には減価償却費として計上できるのは減価償却費の計算方法が
「減価償却費 = 取得価額 × 0.9 × 償却率 × 経過年数」
であることからも分かる通り、賃料収益が悪化する築古になってからなので、だいたいの土地持ちや不動産オーナーなどは、騙されてノンリコースローンだとかでモノも取られたうえで借金だけ背負う。
高く買いますよ、ビル建てますよなどと甘言で上モノ壊したら再建築不可のまま都市計画税とか固定資産税が跳ね上がって、泡吹いて駐車場にして収益物件になってさらに税金があがって全部むしられる未来。
まあ本質は老老相続なのでご当人は勝ち逃げなのかもしれないが・・・。

さてさて、話しがそれつつあるので戻すが、今、耐久年数があるビルを建てた場合、目先の利益のために生贄を探さないのであれば、街の人がよくよく考えなければいけないのは築後20年以降の事である。

今年生まれるであろう子どもの数は70万人を割りそうだ。15歳以下の人口数は約1500万人。
この1500万人という数字は昭和5年の20~35歳の人口に相当する。
つまり何かってぇと、20年後に住宅を必要とする働き盛りの20~35歳の人口は昭和5年並になる。
日本の市町村のおおかたが村だった時代の需要しかないのに、壊すも治すもできん耐久財を大量に抱えることになることが目に見えている。

20年後、大抵の商用ビルやら住宅用のビルなど、老人ホームか、しいたけ栽培ぐらいにしか使えやしない。

昭和5年にあなたの街に何があったか国土地理院の地理院地図(昭和29年ごろの航空写真がある)でも見てほしい。

千葉ニュータウン中央駅付近に昔なにがあったか?
1961~69年の千葉ニュータウン中央駅付近


maps.gsi.go.jp/#15/35.801595/140.121517/&ls=std%7Cort_1928%7Cort_riku10%7Cort_old10&blend=000&disp=0001&lcd=ort_old10&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

商業フロンティアとしての駅前

駅前に賑い施設を誘致することは街の活性化には重要。
しかし、時代のみると、商店街からは八百屋、魚屋、豆腐屋、肉屋などの生鮮食料品屋が消え、本屋が消え、だいたいの個人商店は消え去って久しい。これが戻ることはないだろう。
集約化と商品のコモディティ化は逆行しえない。

経済競争において、ロケーション優位は生産地に近いか、あるいは消費地に近いかに依拠する。
駅前商業産業が優位だったのは、人通りが多く消費地に近かったからだ。
徒歩移動だった昔ならこの優位は街道沿いになり、鉄道網ではなく自動車社会の場合は幹線道路沿いとなる。

はてさて、半世紀後に駅前は消費地最前線であろうか?
自動運転、配送ドローン、パーソナルモビリティが発達した未来でも?
日本で最初の鉄道ができたのは明治5年(1872年)のことだそうだ。
駅ができて100年を過ぎている街はそう多くない。
果たして50年後もそこに駅が必要とされているだろうか?
飛行機とかになってない?
縦方向に集積しているところはビル風があるので、高さ制限があるビルの無いエリアのほうが裏返って人通りのある駅前になる可能性まである。
前段で述べたように耐久財はそう簡単にはなくすことはできない。

人々が都市部で鉄道網を利用していたのは通学通勤の為だ。
人が集積するといいという経済合理のためだ。
付加価値生産において人力の労務の時代に巻き戻らないことは、現在の産業分類別の付加価値生産額を見ても明らかだと思う。

人がいなくなる未来、経済のフロンティアは演算力を生み出すデータセンターが生産地であり、あるいは電力を消費する最終消費地となるかもしれない。

データセンターの特性と地域レジリエンス

レジリエンスってのは柔靭性、弾性とか回復って意味。
地域力つったって、そんなものは見えはしない。
では、地域レジリエンスはどのように類推することができるだろうか?

樹齢のいった御神木がある神社の周りは地価が高いみたいな話しがある。
神秘性とか信心ということではなく、数百年と樹齢を重ねられたということは、大規模な災害、浸水水害、地盤が強いことの証左になっているからだ。まあ、あと古樹大樹って、地域住民の助けなしには維持管理できないからね。病気やら虫に食われたり、よさげな木があるで、薪にされて終わりよ。

これと同じぐらいわかりやすい指標にデータセンターが入ってきた。
データセンターというのは、地盤が強固で地震加速度による被害が軽微で、水害による浸水が想定されておらず、かつ電気系統が複数はいってくるようなところに作られることが多い。

さほど距離が離れていなくても地震で揺れるところと揺れないところがある。
これは地べたの下の堆積物の違いによる。プリンのような泥炭層にのっているのか、岩盤の上にのっているのかで当然上の建物が受ける加速度は変わる。

精密機械の塊でものすごく高いデータセンターを、プリンの上で保管するわけにも、水没するかもしれないところや、土に埋もれるような場所においておくわけにはいかないので、どこに建てるかは非常に重要な戦略性をもった選定がおこなわれる。
族が攻め込んできたり、暴動がおきるような治安の悪いところにも置いておけない。

千葉の印西市は、米国側の海底ケーブルの引上げ地(多分2系統?)が合流するところあたりで、東京につなぐハブになっている。結構な投資をしたとも聞いている。

産総研の陰影起伏図に特殊地質図を合成表示したもの。
gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#14,35.80856,140.12129

まあ、反対する人たちは、反対することがしのぎで、将来のこととか関係ないのかもしれんけどね。

参考

駅前の一等地にデータセンター計画、「人が入れない施設が建っていいのか」と反対の声相次ぐ
www.yomiuri.co.jp/national/20250425-OYT1T50156/

「減価償却費」の計算について
www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/saigai/h30/0018008-045/05.htm


明るい日本の住所表記に安心してくださいはできますか


久しぶりにマサカリが飛んでくるネタらしい。
ネットショップを20年近くやってると、うちみたいな弱小零細でも何万何十万と住所処理を処理することになり言わずには居られない鬱憤もたまる。
つくづく日本語のシステム、データベース化は難しい。

英語であればアルファベット24文字と大文字小文字ぐらいなのでUpper()なりlower()なりでどちらかに統一すれば検索できる。
日本語は漢字、ひらがな、カタカナぐらい?
漢字は一般的なコンピューターシステムでサポートされているJIS系の第1~4に補助漢字までいれてだいたい約16,000字ぐらいが一般的なフォントで対応されている。
ということは、24文字を1万6千文字に増やした分だけ頑張らなきゃいけないのか! それは大変だね!!

・・・なんていう枠には収まらない。

だからこそ、地獄のフタを一度でも開けた人たちはマサカリを投げつけるのである。完全に理解した曲線のバカ山の能天気さは絶望の谷底からみると眩しすぎるのだ。
地獄に落ちてしまった亡者が手をのばすほどには。

16000文字÷24文字=666.66666666666倍

そこは決して開けてはいけない地獄のフタなのである。

分かち書きカカシ先生は脳みそを求めて旅に出る地獄

ちょいと前に話題になった動画に「変なAI」というのがあった。

雨穴さんの【科学ホラーミステリー】変なAI
www.youtube.com/watch?v=NAv0aScEQm0

このホラーミステリー的な動画では作中にAI「kakashi」というのが出てくる。カカシと聞くと、インターネット老人会の人たちはすこしざわざわする。

古い話し。

kakashi、実は2000年の頃に実在していて、かつては全文検索エンジンをつくるのに、kakashiやらnamazuやらをつかって分かち書き、インデックス化をしている時代があった。

分かち書きというのは、英語の場合は単語と単語の間がスペースで区切られているため、単語で検索することができるが、「日本語 は 文中 に 区切り が ない」ので、こんな感じ分解してやる。

チャセンやらメカブやら形態素解析が一般化する前までは突っ込まれたテキストをどこで区切るのかは実に大問題で、無計画な全探索などをおこなってしまうと一生かけても応答しないぐずのろ検索エンジンになってしまうのだ。そんな風に予め持っている手持ちの辞書と突き合わせて文章を細切れにして索引をつけておく必要があった。

愛知海部飛島新田竹之郷ヨタレ南ノ割

これは日本一長い住所から、あえて郡とか字の区切り文字表記を抜いたものであるが、日本人の何人がこれを正確に分かち書くことができるだろうか?線でも引いて区切ってみてほしい。

正解はこれ。

愛知県 海部郡 飛島村 大字飛島新田 字竹之郷 ヨタレ南ノ割

人間に難しいことはAIにも難しい。
2023年現在、だいぶ進化したとは言え、ChatGPTに日本語の文字数を尋ねるとおかしな答えが帰ってくることがある。夏を季語に俳句を読んでもらった。

2023年なうてのAI、ChatGPTさんは俳句を読めても、それが何文字ですか?みたいな人間には簡単に見える質問には満足に答えることができないことがある。ここに日本語の難しさがある。

もしかしたらこれは、GPTの学習が「日本語」ではなく、文字コードのバイナリで線形学習していることによる弊害かもしれない。存在しない「視覴」なる単語を使いだしたという騒動を見ているとその確信を強くするが、マルチモーダルを目指す過程に今この瞬間だけ見ることができるマルチバイト言語に現れた時代の徒花と考えれば、音数え 趣深し 梅雨の藍。

これはおもしろい。UTF-8とChatGPTのトークン:
視覴 e8 a6 96 e8 a6 b4 |25038|244|25038|112|
視覚 e8 a6 96 e8 a6 9a |25038|244|25038|248|
視聴 e8 a6 96 e8 81 b4 |25038|244|36735|112|
「覚」の前半と「聴」の後半がくっついたみたい t.co/oSpUfNxsUN— Haruhiko Okumura (@h_okumura) June 8, 2023

ちょっとだけ解説すると、文字コードのUTF-8のバイナリはリバースにスタックされてるので日本語化するときは読み込み順を逆にしてからエンコードしてやらにゃならない。U+07FFみたいなんがバイナリ読み込みするとFF07みたいに拾われてくるので07FFに結合してUTF-8でデコードする感じ。これはUTF-8が1-4バイトの可変長であることに多分由来しているんだろうけど詳しくは知らんし自分には荷が重いので、ここではそんな地獄もあるよと軽く触れる程度で終える。しらんけど。

地名の読み方無限地獄

日本語を分かち書くことはただでさえ難しいのに、さらに厄介なことに、固有名詞、地名はさらに輪をかけてそれを困難にする。

地名をなんと読むか、読めない地名をどこで区切るかは母語を日本語にする人にもとても難しい問題だ。
そのため表現も揺らぎやすい。
やがて同じ読みでもいくつも書き方が存在するようになる。

山手、山の手、山ノ手。

ひとつの書き方にいくつも読み方、ひとつの読み方に複数の書き方が存在するようになる。
山手と書いて、やまのてと読んだり、やまてと読んだり、どちらでも正解だったり、読み方が決まっていたり、あるいはどちらとも間違いだったりする。会社によって自治体によって運送会社によって正解が変わる。東京にも山の手はあるし神奈川にも神戸にもある。

これに方言も混じれば読み方がさらに増え、さらに書き方が増える。
こんな風にして地名は発散する。

昨年ニホンゴムズイという、アプリを習作がてら作った。
歴史的な経緯(?)から千葉県にはとてもむずかしい難読地名が多いのだけど、それを4択クイズにしただけのそんなにおもしろくもないゲームだ。

※ 今はAppleデベロッパライセンス切れ(?)でダウンロードできないけど、一応リンクだけ残しておく
apps.apple.com/jp/app/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%82%A4/id1608182925

我孫子市、富津市、酒々井町、東庄町

匝瑳市、鋸南町、八街市

読めるだろうか?

正解は・・・

我孫子市(あびこし)、富津市(ふっつし)、酒々井町(しすいまち)、東庄町(とうのしょうまち)、匝瑳市(そうさし)、鋸南町(きょなんまち)、八街市(やちまたし)

千葉県の基礎自治体だけをあげつらっても、ごらんの難読さ加減。

ちなみ、今ちらっとゲームのデータを見てきたのだけど、千葉県では地名に使われる漢字は常用漢字うち737文字しか使われておらず、1538が不使用となっている。逆に139文字は常用漢字以外の漢字が使われていた。

同表記なのに別の場所という例もある。

181-0016 東京都三鷹市深大寺と182-0012 東京都調布市深大寺は数キロと絶妙に離れているが連続した一体エリアではない。


調布深大寺にある植物公園は神代寺植物公園だの神代高校だの、神代とする別の漢字表記もある。
深大寺がお寺の名前に由来しいて、神代は神代村に由来しているわけだが、こんな風にすこしの区別付けのために漢字表記をあえて変えた。そしてその変更にはそれなりのこだわりがあったので放棄するわけにはいかない。
三鷹の深大寺と調布の深大寺はまだ自治体が別だからよかった。だが、もし合併したら?

630-8016 奈良県奈良市南新町(みなみしんちょう)(52~212番地)
630-8356 奈良県奈良市南新町(みなみしんまち)(1~32番地)

950-3323 新潟県新潟市北区東栄町(とうえいちょう)
950-3104 新潟県新潟市北区東栄町(ひがしさかえまち)

673-0012 兵庫県明石市和坂(わさか)
673-0012 兵庫県明石市和坂(かにがさか)

住所については、例外の枚挙には暇がないのである。
そして永遠に地名は増殖する。

なんかまだまだまだまだいい足りないが、長くなったのであと2回ぐらいはつづく

参考

とにかく日本の住所のヤバさをもっと知るべきだと思います
note.com/inuro/n/n7ec7cf15cf9c

住居表示に関する法律
elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=337AC0000000119

愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹之郷ヨタレ南ノ割は本当に日本一長い地名か?
dailyportalz.jp/kiji/140708164564


まちづくりと種まき


まちづくりに成功するとその成功がために失敗する。繁栄と衰退は糾える縄の如しである。衰退しっぱなしよりはいいのだが、今、三鷹はたぶんその移行期にある。

「100年先を見据えたまちづくりを考える 〜二子玉川の事例〜」という会が三鷹でやっていたので、どこで知って参加申し込みをしたのかも忘れてしまったが行ってきた。

法政大学 現代福祉学部 教授 保井美樹氏
二子玉川エリアマネジメンツ 代表理事 佐藤正一氏
二子玉川エリアマネジメンツ 事務局長 笠原徳広氏
まちづくり三鷹 代表取締役会長 内田 治氏

ミニ講演+トークセッション+懇親会という感じ。
二子玉川での取り組みや、現在の三鷹での状況、エリアマネジメンツなどについてお話しいただいた。
商業をやっている仲間からは三鷹については厳しい評価をきく。中央線界隈の複数の駅に出店している店長などは特に辛辣だ。曰く三鷹はまちづくりに失敗していると。次回不動産の更新どうしようか悩んでる人もいるし、実際出るのを決めてしまった人もいる。

駅前地区の再開発が進まず、向こう数年単位で厳しい状況が見えている。うまくいっても効いてくるのは数年はかかる。スーパーマーケットなど生鮮食料品屋の多くがなくなったため駅前通りの人の流れも変わってしまった。人口は年数千人単位で増えている、だが街を人が歩いていない。これってどういうこと?と。病気のようなもので、なってしまったものは緩和療法的な手しか打つ手がない。まちづくりも病気にならないよう健康でいたい。

街の中心がひとつしかない城下町が街のアップデートが難しいように、中心部がひとつだと、並行稼動や入れ替えが難しく更新が難しくなる。それがシステムではなく、耐久財だとなおさらだ。

今日、こんな記事が話題になっていた。

空き家地獄の時代「もうタワマンは法律で禁止すべきである」
news.livedoor.com/article/detail/16007393/

タワーマンションは例えば六本木ヒルズなどは300年持つような設計で立てているというが、現在の日本の戸建ての平均建て替え年数は、調査によってはわずか27年とか言われている実情が表しているように、住宅の構造寿命より先に建て替えがなされるケースが多い。

タワーマンションも、数十年、どんなに長くても百年も経てばそれらもいずれは更新の時期を迎える。築年数が行ったタワマンが低所得者用向けになってメンテナンスがろくされず火事をおこした惨事は、都市づくりとして先行するロンドン先輩が教えてくれているのだから、家電リサイクル法みたいに撤去用の引当金は公がデポジットしておおけよとは思う。だが、タワーマンションが日本で問題になるのは数十年後だろう。
目下、日本でこれから深刻化するのは今から数十年前に開発された団地やマンションなどの大型建築物である。日本の建築基準法は高度経済成長期、オイルショック後の1981と、阪神淡路大震災の2000年に大きく変わっている。数十年前にピカピカの新築として建った団地やマンションなどは、いまだ現存していてここに生活する人が一人でもいる以上、これらのケアがちょっとデリケートすぎるのだ。

古くて保全もできない建物とたいして距離もないところにタワーマンションが新たに建つ。街としてはちぐはぐな感がでてしまうのは否めない。駅というものに依存している以上、このようになってしまうのは致し方ないことなのかもしれない。

だが、100年というタイムスケールで考えるならば、本当はもっと俯瞰してみなければいけないいけないことがある。忘れられがちだが、最初に飛行機が飛んでから117年である。我々はそういう技術進歩のもとに生活しているのだ。技術や生活様式というものは変わる。

今から130年前、1889年(明治22年)中央線の元となる甲武鉄道が新宿駅立川駅間で開通した。
1930年(昭和5年)に三鷹駅ができたが、この頃、三鷹はまだ村である。日本の全国の人口は7,307万人だ。

国立社会保障・人口問題研究所
日本の将来推計人口(平成29年推計)
50年先の将来推計値までしかないが、わずか50年で日本人の数は100年前の人口になることが見えている。

resas.go.jp/population-future/#/graph/13/13204/2012/0/9.679480099505447/35.66837571/139.5558413

三鷹個別の推計でみると50年で倍になるか、減っても2万という恐ろしい推計になっている、ちょっとなんだこれ怖い・・・。

100年前。
鉄道が敷設される前は、移動の手段は徒歩や馬車であり、その中心は街道であった。街道沿いという生活の拠点、表を避けるために人があまり住んでいないところに中央線を引いたのだ。かくしてそれから駅が生活の中心になり、そして物流の主役はモータリゼーションになった。100年後はどこが表になるだろうか?オートパイロットのドローンとかが主役になるなら調布飛行場あたりかもしれないね。

今、三鷹の新川地区では、大深度の東京外かく環状道路がそこで地上の中央道と乗り入れるらしく開発が進められている。イーロン・マスクが進めるハイパーループ構想より、着実なところでTokyoの地下モータリゼーション網は実現するだろう。

だが、自動運転の車はどの道を通るの?とか、セグウェイ的なパーソナルモビリティはどのように処理するの?とか、ドローンの流通網とかができたらどこを飛ぶの?とか、そういう未来構想にはまったくの未着手だ。すごくもどかしい。

時間による効用が無視した街づくりがおこなれていると感じる。
今、1つの種を100種類でも植えておけば、それのなかのどれかが増えて100年後にはそれが街全体を食べさせてくれるかもしれない。しかし、もし10年後にそれでくおうと思ったら、1000本の実をつけることが既にわかった苗を植えなければいけなくなる。もし、今それを食おうとおもったら、人の口の数分どこからか買って来なければならない。
病気になる前なら、ほんの少しのケアで済んだものも、こじらせてしまったら大変だ。とかく公は問題がおきるまでことを放置しがちである。

それが役に立つか立たないか、価値があるかないかを有識者が判断できる時点で、種まきの時期は過ぎているのだが、確度をあげようとするために、どんどん取り掛かりが遅くなる。

リスクは一切受け付けないという人がいる。またその声は大きい。
リスクとは不確実性のことで、不確実性とは未来のことである。
未来を拒否して過去を語るだけの精神的老人になってはならない。

ぁぁ、本当は100年先の未来について書こうとおもったのだけどジジ臭くなってしまった。反省。