平成最後の夏期講習PoliTech子供について考える


今回はEの島の子供について、ポリティカル&テクニカルに考えてみる。子供??子供ってなんてざくっとしたテーマだな、なんのこっちゃと思って議論の様子をみたら、支援を必要とする子供達をみたいな議論だった。教育はすでに他のセクションでやられてしまっているし、こりゃ難しいですな。何について考えればいいんだろう。子育て、虐待からの救出かな? これは、やれることやるしかないよね。

まとめテンプレ

  • 今までの分野の課題
  • 今後の分野の課題
  • 問題解決の指針(何をどうしたら)
  • ポリ(政策的に解決するには)
  • テック(技術的に解決するには)
  • その分野の未来ビジョン

E:子供

第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)E:子供

2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
テーブルE<子供>
「社会全体で子育てする仕組みをテクノロジーでつくる」
★世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター長 須賀千鶴
・READYFOR株式会社 代表取締役 米良はるか
・一般社団法人RCF 代表理事 藤沢烈
・アクセンチュア株式会 オープンイノベーションイニシアチブ プリンシパル 久池井淳
・箕輪編集室 代表 箕輪厚介
・サイボウズ株式会社 代表取締役社長 青野慶久
・一般社団法人Code for Japan代表理事 関治之

議論ピックアップ

虐待、保育
紙でやってる、関節作業だけで仕事が終わる
支援がバラバラ
組織がつながっていない
データ連携と個人情報の保護法
自治体予算ITが分割されてしまっている
善意が可視化される仕組み
イノバックの事例
NPOなどの成果の可視化
アウトリーチ、どうやって発見していくか
どうやってデータをあげていくか
現場がびびる
雛形をつくれば
首長トップ、自治体の職員、運用の支援をしてくれる技術者を揃えないとだめ
行政から名簿を取り出す
贈与経済を回す
新しい町内会
投げ銭のしあい

今までの子供の課題

子供に課題があるわけではなく、課題があるとすれば環境。

親の暴力だったり経済環境だったりネグレトだったり、学校のいじめだったり、教師だったり、性的虐待だったりあれやこれや子供を襲う問題は有史来あったのだろうが、その凄惨さは文明化が進んだことでだいぶ早期発見早期対応がおこなわれるようになったように思う。法律にも大抵の子供への脅威は明文化されているので、新たな脅威が生まれるとすれば馬車だったのが車になって子供が交通事故で死亡するだとか、街路灯がない暗い道に出てた露出狂が現代ではエアドロップ(スマホのファイル共有機能)ですれ違いざまに卑猥な写真を送りつけてくるとか、技術革新で脅威の「手法」が変わるぐらいだと思う。

今後の子供の課題

技術革新の速度は法律の成文化よりも早い。そのため脅威に遭遇している子供の発見が重要となる。
再発防止のため、脅威の早期発見も重要だ。早期発見には監視が必要で、機械的な検知と、衆目監視がある。社会の連携を高めることで衆目監視機能は高まるが、地域社会の希薄化によりこの機能低下が懸念される。

問題解決の指針(何をどうしたら)

外部からの問題と、内部からの問題がある。
外部からのひきおこされた問題については粛々と対応するよりない。

脅威の事前防除、発見し次第課題の解決。同じ問題がおきないようにウオッチ。この一連の反復の速度を改善していくよりない。脅威は湧き続けるし環境の劣悪さも相対的なものであればかならず下位が割合で存在する。それは仕方のないことだとしても、対応により絶対的な不幸は減らせる。

子供自身、またはそれに強い影響をあたえる家庭そのものに問題が認められた場合どうか?教育セッションでも書いたかもしれないが、子供の教育については遺伝的要因が5割、残り2.5割が家庭環境のこりが教育などそれ以外の環境であるとのことだ。賢さはあまり遺伝しないが、貧困(お金を管理できないとか計画性をもてないとか)は伝承性がとくに強い。遺伝だけでなく資本や文化資本の継承もあり貧困は連鎖する。

虐待を受けた子が親になったときに自分の子供にも虐待してしまうという負の連鎖がある。ここにもちょっとセンシティブだが自己抑制などの遺伝要素が絡むようにも見える。

遺伝の影響は低年齢および、社会に出てからが増大することが知られている。逆に学校などの画一的な指導のもとではあまり差がつきようもない(テストなら最悪で0点、最高でも100点の範囲に収まる)ので影響は抑えられる。逆に自由競争などになると影響が顕著になっていく。ゲームの下手なやつと上手いやつが同じテーブルに座って、点数がリセットされずずっと積算され続けるようなものだ。

両親の遺伝のうちどの形質を引き継ぎ発現するかは、兄弟でも異なる。その子供がどのような特性を持っているのかはそれなりに強い影響度がある。しかし、本人に資質もなく環境もクソだった場合、それをリセットできるのは地域とか学校とかのみであるが、社会としてはここを伸ばしていくよりない。
遺伝の問題はこれからさらに顕在化していくことだと思う。そのときに人類社会がどう向き合うかは、まあ、細かく間違えながらも進めばいいんじゃないかな。

安藤 寿康:行動の遺伝学-ふたご研究のエビデンスから

Figure 3. さまざまな心理的形質における一卵性双生児と二卵性双生児の相関

Figure 4. さまざまな心理的形質における遺伝・共有環境・非共有環境の相対的寄与率

Figure 6. 行動遺伝学の10大発見( Plomin, DeFries,Knopik & Neiderhiser 2016)

Figure 8. 知能の遺伝と環境の寄与率の生涯にわたる発
達変化のメタ分析( Tucker-Drob and Briley 2014)
Genetic Contribution: 遺伝A
Shared Environmental Contribution: 共有環境C
Nonshared Environmental Contribution: 非共有環境E

Figure 10. 男性の収入に及ぼす遺伝と環境の影響の年齢による交互作用( Yamagata et al., 2013)

ポリ(政策的に解決するには)

子供を食い物にする試みは常にある。これが社会問題化し世論の圧力が高まるのを待つことなしに法制化を粛々とやるよりない。

テック(技術的に解決するには)

法制度で書かれていてもケースごとに判断が複雑になり裁判で判例が積み上がるまで、現場が萎縮して対応しないことがある。法律の論理記述をおこない、法律に精通した有識者や各省庁間が連携してことにあたる必要もなく、通りすがりの人が「あ、虐待かな?どうなんだろう?」と疑問に思った程度で通報、初動が行えるように、自動情報処理の体制を整え、最初の敷居をテクノロジーとデザインで下げよう。

あとは、あれだ。再犯率が異様に高いタイプの犯罪はGPSの足輪をつけるていどの処置は日本もおこなうべきだと思う。刑務所は刑罰のための収容施設だけれども、更生を目指す施設ではない。技術で再犯率を下げられるなら手当をしないのは不作為だとおもうな。

子供の未来ビジョン

子供には常に未来がある。
大人はがんばれ。

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貧困は自助努力で解決出来るの嘘~努力では貧乏から抜け出せない理由~ 脱税レイヤー風呂屋さん

2018/09/18 17:23

平成最後の夏期講習PoliTechスポーツ健康について考える

平成最後の夏期講習PoliTech教育コミュニケーションについて考える

平成最後の夏期講習PoliTech高齢者について考える

平成最後の夏期講習PoliTech財政について考える


平成最後の夏期講習PoliTech教育コミュニケーションについて考える


今回はBの島の教育コミュニケーションについて、ポリティカル&テクニカルに考えてみる。

教育コミュニケーションねぇー。

まとめテンプレ

  • 今までの分野の課題
  • 今後の分野の課題
  • 問題解決の指針(何をどうしたら)
  • ポリ(政策的に解決するには)
  • テック(技術的に解決するには)
  • その分野の未来ビジョン

B:教育コミュニケーション

第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)B:教育コミュニケーション

2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
テーブルB<教育・コミュニケーション>
「どうすれば多様で自由で信頼性の高いメディア空間を創れるのか?」
★NewsPicks取締役CCO 佐々木紀彦
・読売新聞東京本社編集委員 猪熊律子
・PLANETS 編集長 宇野常寛
・東京大学 情報理工学系 准教授 川原圭博
・株式会社LOUPE 代表取締役 浅谷治希
・カドカワ株式会社 代表取締役社長、株式会社ドワンゴ取締役CTO 川上量生

議論ピックアップ

教師の数が多すぎる
先生が生徒にとってのメディア
教師が現実を知らない
教室のオープン化が必要
社会保障の楽しさを教えてこれなかった
工業社会ではなく情報社会なのに教育が変わってない
教育を変える唯一の解決方法は「なし崩し」
多様性を持ったAIのよるカスタマイズされた教育
教える方、教科書に読んでもらいたいというサービス精神がない
学校教育は十数%しかインパクトがない(遺伝が半分、残りは家庭)
テクノロジーを使って海外やお爺さんお婆さんと繋げないか
世代間対立につながる可能性
徴教師制(教えたいと思ってない人を教師にする)
既存のシステムを変えようと思ってない人が教師になっている
学習進度が違う子達を纏めて指導するのは無理
大人になって必ず必要なものにもうちょっと時間を割いて(社会保障、金融)

今までの教育コミュニケーションの課題

先日中小企業振興公社の方に聞いたところ東京では「ものづくり」での起業はわずか4%程度しかないという。しかしながら、産業支援制度をはじめ教育制度もいまだにものづくり社会を念頭に制度設計がなされている。

ものづくり社会においてはマニュアル通りにそつなくこなせる人材が有用である。汎用的に要領のよい人材が求められ、それらを評価するために型に嵌める教育がおこなわれてきた。しかし、機械化が十分に進んだ現代では量産型人材の活躍の場は限定的になってきている。柔軟性、応用性が求められるこれからの社会において求められるのは代替不可能な個性だ。いかにその個人の特性を伸ばすかが重要となる。考える力や、学ぶ力をどのように身に着けるかが課題となる。

日本の22歳以上の大学への入学者比率は世界的にみても断トツの最低である。これはつまり大学が新しい知識や技術を学ぶ場所としてはまったく機能していないことを意味する。リカレント教育が声高に叫ばれているが、きちんとした最新の知識や技術を習得する場としての大学が機能してねぇのにリカレントしてもしょうがないだろうがよ。大学は就職予備校ではないとの掛け声で現実から目をそむけているが、民間ではもはや通用しないような、古い設備や古い知識で飾られてた大学。764校もの大学が教員の終身雇用(テニュア)のために維持されている側面も無視してはならない。

商業高校や工業高校はあまり勉強が得意ではない子でも食い扶持を確保する受け皿になってきた。しかし現代においては簿記ができたとしても企業の経理部門の人手は弥生会計を入力する程度しか必要なくなり、車や家電の修理をする技術よりも、あらゆるものがモジュール化された社会においては無人化された工場で生産された部品を買い直したほうが安く早い。これじゃあ食っていけない。

労働集約型産業が終焉を迎えようとする社会において、口を糊することができる最低限の教育の場は必要だ。産業別に考えれば現代ではサービス業なのかもしれないが、そちらにフォーカスできている教育機関は少ないように思う。また、ぴかぴかのトップノッチを磨くことができる教育の場も必要だ。数学オリンピックに出ちゃうようなのはスーパーサイエンスハイスクールとかがあるので、まだこちらのほうは機能しているように思うが、双方をしっかり機能するものを揃える必要がある。

今後の教育コミュニケーションの課題

核家族化が進み地域に個人商店のようなものもなくなった現代において、子供が普段の生活のなかで接することができる大人は両親か教師のみとなってきている。あまりにも少ない。親が駄目で教師も駄目だってぇと、子供が自律的に機会を得て立派に育つのは大変な困難だ。

ファカルティ・ディベロップメント(教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組)も機能しているとはいい難い。ドイツだったか10年教授をしたら5年は民間で働くというように制度を日本も取り入れるべきかもしれない。徴教師制ででもいい、「でもしか先生(教師でもやろう、教師しかできない)」はもうやめよう。

教員が受ける3万円の免許更新講習の中身とは – 放送大学編
既に知っている内容
スキップ可能な動画
番号だけ入れればよい履修確認
ほぼ過去問であるテスト

クラスの学級委員決めるときでもそうだったが、「俺がやりたい!」という立候補よりも推薦できめたほうが、大抵はうまくまわる。本当にたよりになるやつは謙虚で控えめだからな。政治家もいっそ強制的な推薦による徴政治家制とかにしたら、どう回るか社会実験したいよね。まあ今の社会は地域のつながりが失われすぎていもう無理かもしれないけれども。推薦するにも周りの人をもう知らなくなってしまっているか?

子どもたちの生活を取り巻く外部環境の変化は過去数十年のそれとはまったく異なるスピードで変化している。これは情報化社会となったことが契機であるが、インターネット以前と以後、スマートフォン以前と以後、ディープラーニング以前と以後でまったく様相が異なるように同じよう規模とスピードで今後も変化が連続するものと思われる。これらについていけないデジタルディバイドなどを抱えた人たちが混在する環境下での教育は困難を極める。もう無理って感じ。

社内研修がしっかりしている大企業はともかく、最後に勉強したのは数十年も前じゃったかのぅという老人は社会に多い。社会のセキュリティ水準や運用水準は一番低いところに合わさるので、「数十年勉強とかしたことねぇわぁー」っていう人達の知的水準にあわさって社会は運用される。
大人の義務教育を課すべきだと思うんだよね。スマホとかインターネットの使い方とかそんなもんでいいから。還暦になったら義務教育もやり直そうぜって感じ。テストをパスできなかった人だけ2年ぐらいでいいからさ・・・。老人体育とかやれば認知症も発見できるし、いいことづくめじゃね?あ、クラス内恋愛で熟年離婚とかになると悲劇か?

問題解決の指針(何をどうしたら)

ひとりの教師が多数の生徒を抱えた密室空間。閉鎖性をかかえるのよくない。小中学校は別の問題で難しいかもしれないけれども、大学ぐらいはオープンエデュケーションで外部評価可能なものにしようぜ?

中高等は、生活面を指導する担任と、授業を教えるのはわけるべきだ。
授業もピカイチに面白く、内容もとびきりの動画素材である。Moocなどの形式で配信すれば、教師はチューターレベルでいいんじゃないかな?

英語のように、わかっていない人がわかっていない人にわかったふりして教えることほど悲劇なことははないよ。子供向けプログラミング教育の必修化とか絶対無理。こういう悲劇なんとかしようよ。

ポリ(政策的に解決するには)

昨今の文科省の不祥事や、大学への資源分配失敗を見ていると教育行政しくじってるな感がぱない。
獣医学部の新設が52年ぶりだとか、私立医学部の入試で女子は一律点数を引かれてたとか、中学生に性教育したらけしからんとか、あんなのこんなの。
なにやってるんだかって感じ。ここらへん闇しかないよね。
もったいないよ。

政治が教育に絡むと強烈なアレルギー反応があるので、アンタッチャブルだったのは理解できなくもないのだけれど、せめてもエビデンスベースドラーニングにしようよ。なんでそういしているのか、比較対象もないものを慣例だからとやり続けるのよくないよね。

中高一貫校みたいに、地域内で並行稼動でいろいろなシラバスを選択可能にして、評価できるようにしないと。日本だって北は北海道みたいな広大なエリアに広がったところから、東京みたいな小中学校が狭い地域に林立しているところがあるんだから、全部を同じ仕組みでぶん回そうとするのが無理じゃもんな。
その地域で一番適したパッケージを選べるようにしなきゃ。中国がやっている新疆に強制的な教育施設と何が違うのってことになる。
人間は選択肢が複数ないと間違えやすいんだ。教育も選べるようにしておくべきだとおもうよ?

テック(技術的に解決するには)

やっぱMoocかな。アクティブラーニングや反転学習は家で動画とかを見て勉強して、学校には宿題をやりにいくところっていうような仕組み。日本ではただのビデオ学習と混同されて誤解を含んだ形で拡がりを見せているけれども、本来は座って授業を聞いても学習定着率ほとんどないんだから、もっと能動的に学ぼうぜっていうの。

体感でもそうだけれども教育効果はラーニングピラミッドの研究通りだと思う。

ラーニングピラミッド
www.osaka-c.ed.jp/blog/ichioka/kocho/images/img_al1.gif

座って誰かの御高説聞いても5%ぐらいしか記憶に残らないの。
だから一番学習効果が少ない講義なんていうのは、お家で済ませて、学校みたいなみんなで合う場所で互いに教えあいっことか議論することに時間わりふったほうがいいよね。

オープン教育リソースとかみたない、教材開発のムーブメントもテクニカルには重要だよね。でもこれも反転学習が進めば自動的に普及されるんじゃないでしょうか。

もひとつは、二回ぐらい前のブログに書いた品川女子の学生が保護者のファンドからお金をひっぱって事業化までおこなうみたいなプロジェクトベースドラーニングの集大成。なかなかこれはそこらの学校でできることではないけれどもやれたらすごいね。

ここらへんをやるには、一般企業並みにテクノロジーに明かるい専任が必要となる。
ちゅっと詳しいぐらいの先生が片手間に面倒をみるんじゃ無理だ。学校業務の事務や情報管理は専任をおくべきだよね。むしろ教育に片手間のテクノロジーぐらいしか介在していないのだとしたら、その教育は外部環境を無視した手淫的なお慰みでしかない。そんなものに学ぶ側を巻き込むなっていいたい。

教育コミュニケーションの未来ビジョン

X年後の日本。
会社づとめのA氏に地元の中学で本年度40時間の教育実習の割当がおこなわれた。この制度で選ばれると陪審員制度と同じように、特別な理由が無い限り拒否できない。と言っても、昔の教師のように教壇に立って教科書を読み上げるように教える必要はなく、生徒達は各々の進度に応じ動画を見て勉強してくる。

教室ではディスカッションをしたり、それぞれが学んだことについてショートプレゼン(Show&Tell)をおこなう。大人はそれを円滑にすすめたり議論が変な方向に進んださいにファシリテーションしてあげるだけでいい。
クラスには複数人の大人がいるので得意なことを担当すればよく負担もすくない。
自分が担当した子どもたちのチームはある事業を企画して利益をあげ納税するまでのプロジェクトベースドラーニングを提案してきた。資金は他のチームがやったように地域クラウドファウンディングで募るらしい。
その分野なら自分の業務知識も役立つし、少しは教えてあげられるかもしれない。
子供達の授業に参加した結果、自分も本格的に学び直したくなった。これが落ち着いたら、2年ほど大学に戻って業務知識と先端科学をあわせて新しく論文を書いてみようかと思う。

・・・なんて事になればいいね!

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[平成最後の夏期講習PoliTechスポーツ健康について考える](
kuippa.com/blog/%E5%B9%B3%E6%88%90%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%A4%8F%E6%9C%9F%E8%AC%9B%E7%BF%92politech%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88/)


Adobe Education Forum 2018みるみる


PDFとかフォトショップとかで有名なAdobeさんが、教育についてのフォーラムをしたそうな。動画のアーカイブが残ってたのでみてみた。

Adobe Education Forum 2018 AI時代を生きる力 ~企業が求める創造的な学校教育とは~

レポートのPDF、テキストのコピペもできないのはどうなのよ。動画が倍速で見れないの辛い。ピクチャーボックスで動画をプレビューすると、再生位置が飛ぶからよくない。youtubeにあげておくれなまし。ぶつぶつ

個性重視が生み出す大学教育力

国際ジャーナリスト モーリー・ロバートソン氏による基調講演。
その昔、週末に徹夜するとあらわれてたラジオの陽気なおじさん。アーリーモーリーバードですっとばしてた頃の印象しかないので、最近ちらと見るテレビコメンテーターとかの文化人っぷりを見ると、更生(?)って可能なんだなって信じられる。もしかしたら、ところどころ飛んでいるのでピーなところは編集されているだけかもしれないけれど。

才能が次の才能を呼び覚ますcritical junction

悩んで手が止まってたジグソーパズルも、ひとつハマりだすと周りも急にハマりだすことがある。技術的障害があって越えられなかったことも、誰かがうっかり閾値を超えるとそれに続くことがある。アリの上にアリがのったぐらいじゃ越えられない障害も、数匹が重なることでアリが集中して、いつの間にか小川を越えるアリの橋になるようなものだ。

半導体の発明がなければ、インターネットの発明もなかっただろう。

古くには飛び杼が発明されなければ紡績機の発明もなかっただろう。

これから日本がcritical junctionにつかまらならいために必要なのは、異分野間のweek tidesだろうと思う。じゃないと誰かが何かを乗り越えてもそのまま消失するか、再発見されるか、普及するまでの数十年を待たなければならない。

化け学的な反応で言うならば、反応がすすむためには熱量が必要だ。だけれども、熱はかならず散ってしまう。アクティビティ(活動性)とポテンシャル(潜在エネルギー)の高い人材を局所に偏在させてギュッと圧力かければ、あとは反応は勝手にすすむ。人も同じだ。反応に必要な熱量を下げるための触媒などもあってもいい。だが、吸熱反応と発熱反応を混在させないことだ。

かつてはそれが大学のような場や学会などであったのかもしれない。インターネット黎明期にはフォーラムや掲示板だったのかもしれない。現在の日本ではクリエイティビティの秘密基地はだいぶ散らばってしまったように思う。リアルに回帰しつつある?

300万で映画を撮りたいと動いても、反応が進むより先に水をさされて熱が散ってしまうのは想像に難しくない。だが誰かがそれを乗り越えれば反応は続くやもしれない。

AIなどにより人間のバリュエーションができるようになるか?

身長や体重のように、コンピューターが人間の価値を算定する日はくるだろうか?これは、おそらくくるだろう。
現在の社会実装のなかでも給与、保険の掛け金や機会損失時の損害補償など、人の経済的価値の算出はなされている。
人材価値評価は大変手間がかかるものだが、AI、もといコンピューターシステムは運用を効率化することには長けているので、遠からずこれらの分野から実装されることになるだろう。つか、転職市場のマーケティングAIとかまさにこれだよね。

モジュール化し、あらゆるものを代替可能に運用しようとする圧力がある世の中で、人材評価価値をあげるためには互換不能性、つまりレアリティを高めるよりない。
コモディティな人材が一山いくらで価格付けがされるのに対し、希少価値があるものはオークション取引となるため価格があがるのは当然だ。
まあ、正直、レアキャラは隠密行動しないと見世物小屋に入れられて辛い目に合うだけなので、既存のルールを変えるほどの強烈な個性・能力の場合は、まず隠者スキルを身につけるのが幸せだとおもうよ。これは本人の気質次第かもしれないけれども。

企業×創造的破壊

ファシリテーター:立教大学 経営学部 教授 中原淳先生
パネリスト:ソニー銀行株式会社 執行役員 ルゾンカ典子氏
キリン株式会社 事業創造部 部長 佐野環氏

中原淳先生のはハズレがすくないのでいつも面白いですね。今回は特に氷結の母、佐野環氏がおもしろかった。

課題発見力、設定力というのはこれから重要になるよね。プラグインという考え方もなかなか。商品開発のようなバリューチェーンのごくごくいち部分を捉えて創造的な仕事としてはいけない。

創造的問題解決実践のフロントランナーたち

Kids Creator’s Studio 第1回修了生 菅野晄さん(小6)

某国際中高生向けプログラミングコンテストなら優秀賞とれるレベルだなと思った。プログラミングの内容が素晴らしいというよりは、それを対外的に説明できる能力がすごいですよね。練れてるよね。

奈良県ココニワプロジェクト 第1期生 森川李奈さん (同志社女子大学2年)

千葉大学 環境ISO学生委員会 内山桜さん(千葉大学3年)

大学2年生、3年生とあるので、どちらも20歳前後だとおもうのだけれども、末恐ろしい。内容は無難なんだけれども、将来を嘱望されるっていうのはこういうのを言うんだろうね。

創造的問題解決能力を育てる授業 ― 海外大学事例

Adobe(米国) Senior Director, Worldwide Education Sales リサ・グラハム

そうだよね、問題解決能力必要だよね。適切な課題設定や仮説が持てないと、AIみたいのが進歩しても使う側にはなれないし。

学問分野で問題解決のプロセスを研究するのがあるんだけれども、プロセスの明確化、ここらへん日本なんかいつの時代もなんか弱いよね。昔、いい本がいくつかあったんだけれども今検索するとあまりよさげな本出てこないね。残念。

創造的問題解決能力を育てる授業 大学事例

筑波大学 図書館情報メディア系教授 長谷川秀彦先生

なんか単位くれなそう(偏見)。

Adobeのカンファレンスで正面切って、Adobeのなんちゃらクラウドのどこがクラウンドなんだよ、こんなものを買っておいて誰も使わないんじゃ困るとか喧嘩売っていく姿勢がすばらしかった。パワポもテキストオンリー。伝えるなんてどうでもいいぜっていうハードボイルドで流石大学人って感じ。
典型的なスライデュメントで、こんな感じで大学で授業してるのかなって不安を覚えたんだけれども、講師やインストラクターはAdobeから来ているようなので一安心。やっぱ単位くれなそう(偏見)。

筑波大学 芸術系教授・日本サイエンス ビジュアリゼーション研究会代表 田中佐代子先生

サイエンス ビジュアリゼーションなるものをはじめてきいたのだけれども、テキストをビュジュアライズ化するそうです。これは面白い。
アート系とサイエンス系の学生が同時に受講して30人程度の受講人数だそうです。もったいないね。

ビュジュアライズは義務教育ぐらいでshow & tellと同じレベルで必修にしておいてほしいです。できればひねてない単位くれそうな先生で・・・。

あと、プレートテクトニクスね。

創造的問題解決能力を育てる授業 高校事例

品川女子学院 情報科 主任 竹内啓悟先生

いやぁ、まいった・・・。流石品川女子学院。すごすぎるぜ。
アクティブ・ラーニング、プロジェクトベースドラーニングだ。
模擬起業で保護者からなるファンドの前でプレゼンして出資を募るそうで、10万円しか90万得るクラスもあるそうな。こんなんやってみたすぎるよね。

この先生は民間からの転身らしいけれども、やっぱり教育畑しか歩いてない人にはこれはできないよね。

@しなじょ

製作に向かうための教材はすべてオンラインで動画教材を用意しました。動画で50本ほど。
生徒から複数同じ質問があったら、動画にまとめてあげておく。

完全にアクティブ・ラーニング。

子供のアウトプットは常識という名の偏見にとらわれていないので、無尽の可能性がある。馬鹿みたいな質問から気がつくことも多い、どうかしちゃってるアウトプットが世界には必要だ。

品川女子じゃないんだけれども今年、千葉のほうの女子高生グループが三鷹のショートプレゼン大会に乗り込んできてネクタイをリサイクルするってプレゼンを聞いたのだけれども、会場の大人たち唸りまくってましたもんね。その後、南アフリカだかの方で開催された大会で賞を取ったとかなんだとか聞きました。日本のcritical junctionは今の高校生世代が打破していくのかもしれない。彼らの発熱反応から熱を奪う吸熱源を遠ざけてあげるのが大人の役割かもしれない。