(書評)幸せな未来は「ゲーム」が創る ジェイン・マクゴニガル


REALTY IS BROKEN、邦題「幸せな未来は「ゲーム」が創る」

世界には15億人のゲーマーがいる。
ワールド・オブ・ウォークラフトというひとつのオンラインゲームをとっても、地球上で週に30億時間以上がゲームに費やされている。これまでに合計593万年の時間が費やされたそうだ。593万年というと、人類が二足歩行になってからの時間よりも長い。

ゲームを遊んだあとに何がのこるか?
時間は無為に費やされなんの生産性もない、それが15億人も。

これは一見”ヤバイ”ことのように見える。
まったくの人生の無駄遣いだと。
著者のジェイン・マクゴニガルは、この事実を持ってして、人類はもっとゲームに時間を費やすべきだという。ゲームは共同問題解決環境だし、ゲームがもたらす効用は人類に必要なものだからと。

 

Jane McGonigal: Gaming can make a better world

 

そのようなジェーン・マクゴニガルの主張を知ったのはTEDでの動画をみていた時だった。それからこの本を手にした。私は辞書やリファレンスブックのような本以外、一度読んだ本を読み返すことはほとんどないので、読み終わった本は処分していく質である。ここ最近書評を連投しているのも年末の大掃除で出てきた本を処分するついでである。

だが、この本はここ数年、本棚に残ってる数すくない本である。読むのに非常に時間がかかった。章ごとの主張が多くの示唆を含み、思考をうまく整理できなかったからだ。

 

この本の主張をいまだに、うまく自分の中で消化できてはいない。
連想想起するものが多く、そこから考え事をしたり、調べ物になってしまったり、とにかくつっかかる。読み終えはしたものの「幸せな未来はゲームがつくる」という、主題にまだ自分なりの解を見いだせていない気がする。

 

私はゲームを嗜む。かなり酷い類のゲーマーに分類されると思う。
いまだってゲームをしながらこの文章を書いている。
所謂ゲーマーのなかでも「廃」の文字がつくほうかもしれない。
重課金勢ではないが、ヘルモードが好きだし、簡単すぎると自分のなかで縛りルールをつくって、ゲームデザイナーが考えてもないような遊び方で遊んでしまったりもする。

 

ネット黎明期にはいわゆるフリーゲームという類のゲームも作ってたこともある。雑誌で取り上げられたり人気ランキングに乗ったりしたこともあったが、RPGをつくればこれは教育ゲームだとレビューを書かれるし、育成ゲームをつくれば「うちの子供が泣いている」などと親御さんからお便りが届いてしまう程度にちょっと変わったものをつくってしまっていた。まあ、すこし世間とはずれた価値観や視点であることに反論はないのだが、ゲームには相応の理解がある自分がこの本を読んでも、そこには多く考えるものがある。

 
で?ゲームが共同の問題解決環境だと?

もしかしたらだが、教育と同程度にエピックな未来がゲームというフレームワークをベースに起きるかもしれない。たしかに、ゲームには最近話題のアクティブラーニングなどにも通底するものがある。いや、そのものなのかもしれない。

 

P18
ゲーム産業規模 2012年 680億ドル規模
巨大な仮想貯蔵庫を作り、思考する努力、感情的エネルギー、集団的関心を現実世界ではなくゲーム世界に注ぎ込んでいる。
・・・
地球上で週に30億時間以上がゲームに費やされている

ゲームに費やされた時間を、浪費とみるか、仮想貯蔵庫に溜め込んでいると見るか。実際に何もためていないので、「仮想貯蔵庫」に貯めているという感覚は多くの人にはわからないものだと思うし、賛同もできないことだろう。しかし、信用経済下において流通通過の大部分は仮想的な記号でしかない。人間への与信を始めその仮想度はますます高まっていっている。
まだ、ゲームの扱えるメタ情報が少ないだけで、社会性や関係性がゲーム社会に乗り入れてくれば、このクロスはあっという間におこなわれるはずだ。このような試みはMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)で状態的におこなわれているRMT(リアルマネートレード)、または、ただの絵がついた、運営側が確率を自由にいじれるただのカードに70万円も”貯金”する人たちがいる社会の異常性はなかなか説明のつくものではない。

「射幸性を極限まで高められ正常な判断ができなくなっている」と、そう評価することもできるが、ああ、今は確かにそうかもしれないが、もしかしたら遠くない未来にはそうじゃないかもしれない。
もう10年ぐらいか、株式市場や為替市場は、私からみればただのゲームにしか見えなくなった。金融会社がやるような価値算定と統計的手法を使えば、お金を持っている人たちがどのように動くかは計算できるし、あとは簡単なプログラムを書くだけだ。最終的には相場を動かせるほど重課金したほうが勝つだけ。ゲームよりも、つまらない。

 

P22「なぜ私たちはゲームのちからを単なる現実逃避の娯楽として片付けてしまうのでしょうか?」

ゲームを娯楽という目的として捉えるのか、手段として考えることができるのかが、これからは重要なのではないか。

P28「まもなくわれわれすべてがゲーマーになることは間違いない」

現代の貨幣通貨は、人類がつくった仮想世界のゲームのコインとさして実態は変わらない。ゲームが社会プラットフォームになったときに、これはおきるだろう。

P30
ゲームデザインは単なる技法ではありません。二十一世紀的な思考と先導の方法です。そしてゲームは単なる暇つぶしではありません。真の変革を起こすための二十一世紀的な協働の方法です。・・
アントワーヌ・ド・サン=デグジュペリ
「未来とは、あなたが予知しようとするものではなく、自分で実現するものだ」
・・
二十一世紀においてゲームは、未来を実現する主要なプラットフォームとなることでしょう。
・・
仕事のストレスを軽減し、満足感を・・するゲーム。教育システムを改善してくれるゲーム、老人が・・社会とつながりを持てるゲーム、・・世界的な問題に立ち向かうゲーム。

高度情報化の社会において、ゲームというよりはゲーム的情報整理の手法は、確かにプラットフォームになりうるものだ。いや、そのものと言ってもよいかもしれない。
知識と体験を共有するための「教育」と情報を楽しませる「ゲーム」、この2つを不可分にしなければ、未来は大きくかわる。

P39
ゲームに共通する4つの要素
コア:ゴール、ルール、フィードバックシステム、自発的な参加
補強要素:インタラクション、画像、物語、報酬、競争、仮想環境、勝利条件

バーナード・スーツ「ゲームをプレイするとは取り組む必要のない障壁を、自発的に乗り越えようとする取り組みである」
Salen,Katie,and Eric Zimmerman, Rules of Play:Game Design Fuundamentales(MIT 2004)

みたことがあるような要素だ。
そう、まだ類型的なものをまとめているだけにすぎない経営学などビジネスにも使える。ビジネスがおこなう試行錯誤と、情報の取り方、貯め方はゲームにも多く学ぶことがある。

P44
フロー状態
Csikszentmihalyi,Beyond Boredom and Anxiety

P58
チクセントハイミ「楽しみの社会学」
フローとは「何かを創造的に達成することや高度な能力を発揮して満足した、爽快な感覚」・・
フロー感が日常生活にどうしょうもなく欠けている一方で、ゲーム的な活動にはものすごく豊富にある・・
学校やオフィス、工場などでの日常の生活環境がフローを提供できないのは深刻な倫理問題であり、人類が緊急に対処すべき問題のひとつ
・・
現実の仕事の仕組みをゲームのように変えていくこと

感情的な報酬である「フィエロ」
意味のわからないカタカナが注釈もなしに出てきて困惑しているのだけれども、フローはflowだとして、フィエロってなんだ。ラテン語のphile-ero(英語にするならwill be preferかな?)あ。p55にあったfiero イタリア語で「誇り」だって。カタカナだとググっても出てこないし綴から意味想像できないから辛い。P127に(快哉感)のカッコ書きあり。余計意味わからんね。読み方もわからんね。(かいさいかん)だって。

P71
「外発的」な報酬・・好きなものへの耐性がついてしまい、もっとほしい・・
「快楽の順応」・・長期的な満足を得るためには最大の障壁・・得れば得るほど、幸福であり続けることは困難になります
・・
「内発的」な報酬・・単に何かに打ち込むこと、完全に没頭する喜びを得る行為
「自己目的性(autotelic)」 ギリシャ語でauto:自身 telos:ゴール
・・
困難を達成することで・・ノルエピネフリン、エピネフリン、ドーパミン。満足、誇り、高揚感・・オキシトシン、恍惚感・・力強さ、エンドルフィン・・幸福ベータエンドルフィン(モルヒネの80倍強力)

ここらへんの内発的要因、外発的要因は経営工学のモチベーション・マネジメントでも研究されていますね。やる気をだしている社員に報酬を与えるとやる気がなくなるとか。衛生環境をあげてもモチベーションはあげることができない、二要因理論とか。

P76
「満足いく仕事」「成功への希望」「社会的なつながり」「意味(所属)」
・・
グローバル化により誰もが外発的報酬への夢をみるようになった・・新興国で顕著で、満たされることなくより高い消費を促され、生活水準向上のために限られた天然資源を奪い合っています・・ゲームは外発的な報酬への要求を刺激しません

途上国の「外発的報酬」は、生命、生存権レベルでの衛生環境に近いので、アメリカ人の言うような単なる強欲と言い切ってしまえないのではないか。戦後日本人の寿命を劇的に伸ばしたのは冷蔵庫の普及によるものであるが、同様に中国の家庭が全て冷蔵庫を持てば資源がたりなくなって世界が滅ぶと言われていることに近い。
「報酬への夢を煽る」という点では、仮想物も現実物もかわらなくて、最近はギャンブル的な射幸心を煽りまくるガチャのようなものがあり、間欠強化ともよべる手法で人々の仮想的な物欲を満たす手法が取られているゲームも多い。強欲で刺激的。ゲームは善良なものであると無垢にいうことは、ちょっと残念ながらできない。

P80
ワールド・オブ・ウォークラフトは満足感の高い仕事なので、ゲーマー達は539万年もの時間をこのゲームに費やしています。・・ゲームが与える「至福の生産性」・・仕事は、自己開発・・よりよく、強く、豊かにすること・・成長させることのできる個々の特性は・・数値とともに表示されます・・切れ目なく続くクエスト・・ワークフローをうまく管理することが求められます・・経験値を獲得すればレベルがあがり、レベルがあがるほどにより挑戦的な課題が選べ・・挑戦的な仕事でやる気が高まり、さらに経験値が稼げる生産性の好循環サイクル

エドワード・カストロノヴァ「ワールド・オブ・ウォークラフトの世界は失業率ゼロだ。」

計500時間ほどプレイしてようやく自分のアバターを現在の最高レベルまで育てることができる。「エンドゲーム」ここから本当の楽しさが始まる。

これは、・・・まるで現実世界ではないか。義務教育期間を500時間で復習させるのはどうだろう。そしてクエストに社会問題を配置するのだ。問題は自身の成長を即応的な数字化できないことだけだ。これも技術的課題なだけで超えることが可能なものであるようにも思う。

P96
ゲーマーたちは、プレイ時間中の80%を失敗に費やしています。
「どうしょうもない明らかな大失敗プレイ」に対するポジティブな感情反応・・
成功よりもむしろ失敗のほうが感情的な見返りとなているよう・・
プレイヤーは受け身で失敗するのではなく、派手に、おもしろくなるように失敗していた・・
正しい形での失敗のフィードバックは報酬なのです。

自分がコントロールしているという感覚は、成功への強力な原動力
楽観主義者にとって、挫折は活力の素

合理的な楽観性はつねにゲームに組み込まれています
どのゲームも、どんな謎も解けるようにできていて・・
失敗がランダムで理由もなく起きるとしたら・・

 

P102
ゲームの楽しさは攻略の家庭から、そして理解しようとする過程から生まれる。ゲームでは学習が麻薬となるのだ。だからこそ、ゲームにおける楽しさは、つねに成功できるようになると失われてしまう

学習への大きなヒントがここにある。
よき学習者はそれをゲームにしている。

P164
2009年 米国、日本、シンガポール、マレーシアの8大学コンソーシアム
「援助行動」が求められるゲームのプレイ時間と、ゲーマーの現実生活での援助行動意欲の関係に関する学術研究

お互いに助け合う必要があるゲームを長い時間プレイしている若者たちは、プレイしない若者たちよりも実生活で友達や家族、近所の人や知らない人の手助けを行う傾向が有意に高いことがわかった

気になったので元論文を探してみた。

[The Effects of Prosocial Video Games on Prosocial Behaviors 2009]

クリックして09GAYISMSLKBHS.pdfにアクセス

筑波大学大学院人間総合科学研究科の湯川 進太郎さんだろうか?
もうひとり日本人いるね、お茶の水女子大学 坂元 章さんか
この二人が共著しているオープンアクセスの論文をciniiでみつけた。

子どものテレビゲーム接触への保護者の指導方法と効果 : 小学校高学年児童と保護者を対象にしたパネル研究の分析から(一般論文)
ci.nii.ac.jp/naid/110009671764

スクリーンショット 2016-01-18 02.26.05
湯川さんは他の論文をみるかぎりは児童がメディア接触からの暴力性の影響を調べてるっぽひ。こちらを見ると、向社会的なコンテンツが好影響をもたらす結果だけでなく、暴力的コンテンツによる悪影響について(むしろこちらが氏の調査のメインか)も書かれているので、マクゴ二ガルさんの捉え方は側面的かもしんない。

 

 

さて、上記は三部構成になっている1部からの引用である。2部、3部は1部を環境理解とすると、応用、展開というような構成になっている。書評をかくべく、久しぶりに開いたがやはり、読む人に考え事をさせる本だ。

マクゴニガルさん、年末に新書を出したらしい。これからポチる。

 

 

 

今年は、久しぶりにゲームを数本つくってみようか。
幸せな未来をわたしも作りたいからね。


(書評)あんなに大きかったホッケがなぜこんなに小さくなったのか 生田 與克


アイッ!
魚屋さんが書いた本だ。
「あんなに大きかったホッケが何故小さくなったのか?」って、この本のタイトルをホッケを食べながら言ったら「ホッケって大きかったの?」なんて事をいわれて、俺までへこんじまったよ。

最近はアジの開きもちいせぇし、仕出し弁当にはいってる魚の煮付けなんかもいつのまにか切り身から丸のまんま小さいのがゴロっと入ってる。ロウソク鯖みたいなヤツだ。今年はサンマも不漁だとかでほとんど食えなかった。魚がどんどん小さくなるし種類も減る。しかもみんなそれにあまり気がついてもないんだ。かー、嫌になっちゃうねぃ。

この本は、築地魚河岸三代目、マグロ屋のセガレ、うなぎ屋の孫 生田與克さんが書いたチャキチャキ江戸前な本だ。
いやね、うちの爺さんも神田の紺屋町から三鷹村に疎開した身だし、三鷹のここいらへんも元々たー江戸の振り袖火事で神田の連雀町からしっこして連雀村をつくった人たちだからさ、「ひ」が発音できないで「し」になっちゃうような人たちがまだ居たりするんだよね。団子屋のおねーちゃんだとか。うちの爺さんは職人系だったのでこんな風なチャキチャキっとはしてねぇんだけども、じっちゃんのかぁちゃんの実家もうなぎ問屋だったようなことを聞いたことがあるので親近感を覚えるんですわ。
てな具合に、このブログの口調でここまで読めてるなら、スラっと本文もよめちゃうんじゃねぇかな。こんな感じの口語と文語がまざったような、文体で仕上げられている。・・・が、内容は至って真面目。日本の海洋資源への取り組みへの懸念や、その解決策への提言が、魚屋さんの言葉できちんと下処理されて食べやすいように煮付けられている。かなり骨太硬派な内容を食いやすいように仕上げた本なんだ。

 

インターネット界隈のウオッチャー(魚っちゃ!なんてな?)には有名な生田さん。
とにかく話しが旨い。落語家とかも舌をまいちゃう旨さがあらぁね。さすが魚屋さんだよ。ちょっと毒魚なんじゃねぇかってぐらいピリっと効いたりするのもオツなところだ。

 

あてくしが初めて生田さんを知ったのは、「今夜も築地テラスで」という江戸川大学とかいうところがやっているyoutubeの動画番組だったかな。3年ぐらい前か。当時はBONSAI LAB.とか、3Dプリンターの話しが聞きたくて見たんだけど、ついでに見て、なんか面白いおっさんが居るぞと、それから深掘りしてみたんだけど、楽しい楽しい。
JPLIVE.TV 「今夜も築地テラスで」 with 築地・マグロ仲卸三代目 生田與克 様

www.youtube.com/user/JPLIVETVchannel/videos

 

学者さんとくっついた

動画配信を覚えちゃった生田さんは、時をそれほど置かずに魚食文化を大切にしようって「さかなTV」を始めた。海洋資源の専門家として、ブログ界隈でも名のしれた当時三重大学准教授だった勝川俊雄氏と絡みだしてからは、もうとまらない。

勝川先生自体のブログはそれなりに有名で、あてくしもたまに読んでて、水産庁の「海洋資源は豊富だから大丈夫です」論に孤独に真っ向から立ち向かうってすげぇなと関心してたのだけど、でも、ま、学者さんって感じで、脱乱獲にむけてはとても真摯な研究姿勢なんだけど、そんなに口達者じゃぁなかった。これが、生田さんと組んで、凶悪なコンビが誕生したもんだと思ったもんよ。海外の水族館とかそういうアカデミックな方面からの知識も貪欲にとりこんで代弁していくのはすげぇなと。

 

政治家ともくっついた

青年会議所で一緒だったという、いまじゃ内閣府副大臣まで務めた大田区選出の平将明氏と、当時野党だった自民党のインターネット広報番組「カフェスタ」にでて好き勝手喋るようになって、準レギュラーからほとんどレギュラーになって、お歴々相手に歯に衣着せぬ好き放題をしてて自民党も変わったなぁと思わせたもんです。ニコニコ超会議とかに政治政党がブースをだすとか、そういう頃ですね。

政治家だの政治活動家だのの話しなんてその場のおためごかしばかりの発言か、視野狭窄なんじゃないのという義憤にまみれた残念なものばかりなのだけれども、平さんは元は大田市場のしいたけ八百屋さんをやっていたということもあって、自らの下請けの時代の実体験があるので、話しを聞いていて発見がある。八百屋、魚屋の市場コンビはなかなか踏み込むことができない知らない世界だからね。

長靴はいた魚屋のおっちゃんが自民党本部に出入りできている間は大丈夫だなとか思ったりもしたもんですが、最近、おわっちゃったので、やっぱりアレですかね、なんかあるんですかね?再開しないんですか?

・・・。

最近の放送みたら、あれ、めぐちゃん結婚引退?ほえ、生田さんマジで自民党の推薦候補に応募するの???ん。マジですか。政治家ってキャラではないと思うけど、どうなんだい。んー。んーー。長い目で見れば必要なことだけど、どうだろうね、今の政治っていう仕組みだと個人は大したことはできないので、在野のほうが活きる気もするけど・・・んー。どうだろう。つっこんだら嚢中の錐になるかな?んー。政治分野で水産はやってほしいけど、政治家にはなってほしくはないなー。個人的には。

 


www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF+%E7%94%9F%E7%94%B0

 

いやぁ、またしても本の内容とはまったく関係ない書評になりつつあるのだが・・・

魚を今後もおいしく食べるために「乱獲、乱売、乱食」の負のスパイラルを止めよう!
魚食を大切にしたい、継続可能なものにしたいという信念がこもったこの本が、なんと1,296円だぁ、これは奥さん買わない手はないよ!
ちょっと甘っからく煮て、晩ごはんのとき食卓の話題にでもすれば、一食分だけじゃなくて、孫子にまで美味しい魚が食えるって寸法さ。海に囲まれた島国である日本。日本は漁業先進国だとおもってるかい?そりゃ、最新のレーダー積んで、でも、産卵親魚まで乱獲してちゃ魚がいなくなるもの当たり前だよな。

いつまでも旨い魚が食えるために、監督官庁に頼らずに食卓が賢くなろう。
かしこく食べてかしこく増やそう。シーフードスマート。
お腹だけじゃなく、頭の栄養に是非一冊。


(書評)ゆっくりいそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~


年末に読もうと思ってamazonで買った本数冊。今日届いたので開けたら同じ本が2冊はいってた。わしはもうダメかもわからんね。さて、2015年に読んだ本レビュー。2冊目。ルワンダの中央銀行につづいてこんどは西国分寺の中央銀行のおはなしだぜ。

西国分寺にあるクルミドコーヒーというカフェのオーナーが書いた本。

紅茶屋という商売がら新しくオープンした喫茶店とかの情報はよくきいたりするのだけど、クルミドコーヒーさんを知ったのはもう4~5年ぐらい前になるだろうか?コーヒー好きの某有名経営コンサルタントのショーンKさんからお聞きした。カフェのネットワークではなく、トップノッチのコンサルタントから伝え聞くというのがこのお店の特殊性をある意味とてもよく表しているなと思うのだけど、著者の影山知明さんは東大法学部卒でマッキンゼー・アンド・カンパニーにお勤めののちヴェンチャーキャピタリストだのファウンダーだのになってからのクルミドコーヒーなのである。
駅から徒歩1分以内の線路が見える距離の駅近物件で、しかも実家の新築ビル。経営者は東大法学部卒でマッキンゼー。もうなんか聞いただけでひれ伏さなきゃいけないんじゃないかと思っちゃうよね。これで経営がうまくいかねーってならいったい世の中で誰がカフェビジネスで成功できるんだという感じなのだけれども、本を読むかぎりではとても苦労されている様子が伺える。やっぱりカフェというのはなかなかに大変なようです。・・・カフェだけじゃないか。

 

この本を読んだキッカケは、昨年2015/6/22一橋大学で影山氏の公演があるというのをたまたま何かで知り、そういえば噂に名高いクルミドコーヒーにまだ行ったことがなかったと思いだして、行って、公演もおもしろかったので公演会場で本を買ってみたりした次第なのであります。
国立一橋大学は国立(立川市と国分寺市の間にあるので「くに・たち」!)にあって、自分のいる三鷹からは中央線でいっぽんでいける駅であります。で、経路には西国分寺があるので途中で降りればクルミドコーヒーにも寄れるわけです。正直、なかなか西国分寺の街には行く機会がなくて、降りたのも初めてなんじゃないかというぐらいだったのだけれども、ちょっと散策散歩しようかなという心を3分で挫く程度には住宅に特化した街でした。
公演では、童話作家のミヒャエル・エンデがらみの経済、「エンデの遺言」とかで話題になった評価経済とか贈与経済とか、そして地域通貨とか、そこらへんを中心にコミュニティハブとしてのカフェや、おフランスではcafe philo(philosophyのフィロ)などとよばれる「朝もや(哲学カフェ)」なんかの取り組み、西国分寺は統計でいう「外れ値」を目指すとか、なかなか尖ったことを言っていました。・・・。資料もメモもないので、うろ覚えですが。カフェの話しかなと思ったら、予想外の角度だったのでちょっと驚いたのを覚えています。効率や合理性重視の金融外資から、エンデの遺言系にシフトをいれられる方というのは揺り戻しにしてもなかなか凄いですね。
地域通貨は、10年ぐらい前にはいっときブームに近い状態になったこともあるのだけれども、結局、リアル通貨への兌換を負担するのがお店という設計がほとんどで、その実態はお店が負担する縁日券や駄菓子券程度のものでなかなかおもしろい通貨設計がされなかったためにすぐに下火になってしまいましたね。クルミドコーヒーさんもやられているようですが、デットやらエクイティに精通したうえで、カフェのようなオールドエコノミー、ローカルビジネス、そして地域のコミュニティをよく理解した人が設計すれば持続可能な面白いものができるかもしれませんので外れ値の期待大です。

 

公演後に会場で本を購入したのですが、本の売り子をされていた方がその直前までお店にいて、レジで私の担当をしてくれた方と同じだったそうで覚えられていて、お話ししたのですが、レジでちらりと対応しただけの一限のお客さんの顔を数時間後にまったく別の人が大勢いる会場でよく覚えてるなと感心しました。なんでも、学生時代バイトしてて、就職してから、クルミドコーヒーに出戻ったのだとか言っていた気がする。出戻りしたくなるほど、よい職場なんだなと。
・・・さて、思い出しながら書いているのだけれども、書評といっておきながら本の内容がなかなか思い出せないんだw
あ、そういえばNHKの夜の番組で司会っぽいことをやっているのを見かけてビックリしたんだよね。おおぉぅ、やっぱりモノが違いますねと。
そう、まったく本筋とは関係ないんだけど、地下の部屋で飲んだんだけど天井にあったバッテンのマスキングテープはなんの印だったんだろう・・・と、どうでもいいことばかりを思い出しながら、肝心の本体に辿りつけない。やっぱりもうだめかもわからんね。

 

というわけで、ぺら読みしようとして開いたら全部読み直しちゃった。
目次から抜粋。

 

「投げ銭」システムでは広がらなかったコンサート
日本にチップが普及しない理由
利子はコーヒーで払います
「期待利回りマイナス50%」の金融商品
出資に基づく関係性の可能性
駅前がチェーン店ばかりになる理由
「お店にチラシを置いてもらいたい」への答え
誰かを支援したときもらえる「お金」
お店×農家×援農ボランティア
自動販売機化する社会
コラム4:地域通貨が続かない理由
日曜日からスッキリしない、クルミドの「朝モヤ」
コラム6:東京にはパブリックがない?
仕事の正体は「時間」である
GDPを成長させる方法

 

ね?カフェやりたい!って人なんかが読んだらちょっとびっくりしちゃうかもしれないね。

なんで、スジが思い出せないのかよくわかった。
掌、随筆のような形をとっているのもあるのだけど、観察している環境が近しくて、そこから抱く課題感やその解決策など考える思考経路が似たようなものなので、自分のなかで胃に優しく消化してしまっていたようだ。でも、普通の人は胃もたれするかもしれない。

「経済は目的なのか、手段なのか」
利子はコーヒーで払います
クルミド債の発行、少人数私募債という社債の一種で一口5万
利回りをコーヒーにて支払い
クラウドファンディング
地域通貨「ぶんじ」
ソーシャルキャピタル
古代ギリシャのアゴラ、古代ローマのフォルム(forum)
お金のための経済をやめる。お金以外の価値の大切さを見直す。

 

喫茶店のマスターが私募債発行とか、ついていける人のほうが少ないんじゃないかな。個人的には好物だけど。

通底しているものは、「人際交流(人同士の関係性)×金融」かな。
自分もお店っぽいことを10年やって。お金儲けとはかなり離れたところで、オールドエコノミーの似たようなことに触れてきた。自分が創業前に経営計画を立てた時に、計画の段階でそもそも損益分岐点を超えられず、「駄目だこりゃw」と思いながらもやってしまったのを思い出す。

 

利便性とセキュリティがトレードオフの関係にあるように、経済的合理性とは相反するなにかがそこにはあって、それの重要性を説いているのだと思う。それが何か、直感的には、多くの人たちもわかっていると思うし、自分もなんとなくはわかったのだけれども。それがなにか言語化できるようになったら是非シェアしていただきたい。

セキュリティを無視した便利がただの危険なものであるように、その何かも経済合理性で可算できるものになれば、金融から引き起こされる大事故も回避できるかもしれない。

 

金融などの感覚がないまま人とのつながりだ、絆だのの方向にいってしまうと、結局その経済的負担を誰かに押し付けて無視する、ただのスピリチュアルな人になってしまうのだけれども、この2つのバランスを持ったまま、いや、というより金融というモノサシを持ってそれらを測ったり設計できる人は稀有な存在ですよね。大切にしていきたいです。よっ!西国分寺の外れ値!!

 

ん、そういえば最近似たような活躍をする見聞きする人が居たな。気仙沼ニッティングの御手洗さんか、すこし被ってますね。彼女も高潔な印象がありますが、これだけ能力のある人達なら金儲けだけならもっと簡単にできるだろうに、ありがたやありがたやですね。