(書評)ルワンダ中央銀行総裁日記


2015年に読んだ本が大掃除でごそっとでてきたので書評しつつマケプレで売って処分していこうと思う。
2015年はあまり既刊書籍を読まなかったが、web小説みたいのは小説家になろうで600タイトルぐらい糞流し読みした。面白いのもあれば面白くないのもあるのだが面白くなくても単行本で数冊分書き上げている人とかがいて、作者のモチベーションはなんなんだろうかなんてことを考えながら読むとそれはそれでとても面白く読める。

 

「ルワンダ中央銀行総裁日記」は、「まるで異世界に飛ばされたライトノベルだこれ」と昨年ツイッターで話題になったので、読んでみた。その実はかなり「日本銀行」とは系の出版物に近い。が、硬派である。というより義がある。こういう気概がある人が現代にも居れば、世界はよりいいものになっているのになと思う。現代の日銀マンとかにぜひ読んでもらいたい。というか読むべきだ。
アフリカのルワンダといっても「ルワンダ大虐殺」程度の知識しかない。遠い世界のものと思っていた。まさか、ルワンダの中央銀行二代目総裁が日本人だったなんて。
もう10年ぐらい前になるかな、ルワンダから紅茶を買おうかどうか悩んだ時期があった。(紅茶屋さんなんだよ!)細かくは買ったのだけど正直個人商店が売るには辛いものであったので、仕入れるまではいかなかった。近年はルワンダからのコーヒーや紅茶をよく見かけるようになった。ルワンダで農業政策がまわるように中央銀行があれこれしていてそこに日本からの先輩が活躍されていたなんて思いもよらなんだ。
著者の服部正也氏は1918年(大正7年)生まれ1999年に亡くなられている。

ルワンダまわりの年表とともに抜粋してみよう。

1962 ベルギー ルワンダ独立を承認
1965 服部正也 日銀からIMFへ、IMFからルワンダ中央銀行総裁として派遣
1971 服部正也 帰国 日本銀行 外国局外事審議役
1973 ルワンダ クーデターでハビャリマナ少将が大統領就任
1980 服部 世界銀行副総裁
1990 ルワンダ愛国戦線による北部侵攻
1994/4 ハビャリマナ大統領暗殺
1994/4-6 ルワンダ大虐殺
1994/7 愛国戦線が全土制圧 新政権樹立

 

わずか1年で”逃げ出した”ベルギーから派遣された前任の総裁にかわり就任することになるのだが、毎朝市場にいってお砂糖などの価格をチェックしてなど、「そこからか!」という中世感は否めない。

 

食いものにしようと群がる利権商売人、銀行、抵抗勢力への啖呵がかっこいい

P101
まず前任者がどのようなことをやったかは、私には興味のないことだ。
またいきさつなども私にはまったく興味がない。
私は歴史家ではなく実務家なのだ。
私はルワンダの破綻に瀕した財政金融を建直すためにルワンダにきたのだ。
そのためには現状を打破することが必要で、現状是認は私の任務に反するのだ。

 

新任のザナナ蔵相の人物評がクソミソ

P281
彼はベルギーの一流大学を出た法学士であるが、彼が大学で習ったことは自己弁明の詭弁だけではないかと思われた。
彼の考えでは大臣はなんでも決定できるということらしかった。
彼は(略)予算準則を無視した。(略)条文を無理に「解釈」を曲げて、(略)予算繰越を認めた。(略)調査もせずに入札の無効を宣言した。
彼は毅然と胸を張って「あなたがたは一体私を誰だと思っているのですか。私は大蔵大臣ですよ。私は予算を作り、これを執行し、税金をとる。国庫の資金繰りや、国際収支のことは中央銀行のしごとだから総裁に聞きなさい」
彼は猜疑心が強く、敵か味方かの眼でしか人を見られなかった

 

亡国の政治家。
立法立案するものが解釈で無双しだすとほんとうにロクなことにならないだなと他国の経緯から学ぶ。日本もあまり他人事ではないが。
ルワンダ大虐殺という悲劇について、存命中に加筆されたようだ。西側の報道でしかしらないので、聞いたこともない説明ばかりで驚きがあるが、ああ、今シリアでやってることだなという既視感もある。歴史は繰り返すのだなと。

P304
ウガンダ支援の偏向報道をした米メディア
「ワシントン・ポスト」「ニューヨーク・タイムズ」
「愛国戦線」があたかも正義の軍であり、フツ族が無条件に悪いといった報道姿勢をとっている。
(略)
「愛国戦線」軍はウガンダで組織され、兵士の訓練も武器の調達もウガンダ国内で行われた
多くのウガンダ陸軍の将校が参加している
かつてハビャリマナ大統領に対するクーデーターに失敗したフツ族の、元ルワンダ軍のアレクシス・カニャレングウェ大佐が亡命しているのにウガンダ軍の将校が軍の指揮をとるのは、その主力がじつはウガンダ軍であるからではなかろうかとの疑問(略)アフリカ諸国ではこれをウガンダによる隣国への武力進攻(略)

ルワンダ、ブルンディ両国の大統領が搭乗した飛行機が着陸直前に撃墜
ツチ族の支配する「愛国戦線」のしわざとみて
フツ族によるツチ族の大虐殺
撃墜後ただちに「愛国戦線」軍がルワンダ軍に攻撃を開始

 

歴史経緯についても説明してくれている。

P309
ルワンダ、ブルンディ両国
ツチ族の王が支配する国
少数派ツチ族はいわば貴族の地位
多数派フツ族は隷属的地位
ツチ族の土地を借りてその牛を飼う権利の代償契約
植民地時代、王政を通じての間接統治によりツチ族支配を強化
入植が禁じられていた西北部へツチ族の進出し多大の摩擦

 

P322
世界はいまだ力が支配していることを痛感すべきで
一人で祈っても平和は来ない現実を直視すべきである。
国連憲章にもかかわらず、大国は気が向けば適当な大義名分を掲げて、武力で他国を攻撃することや、自分が気に入った他国の党派に直接に、または第三国をつうじて、武器を供給することが公然と行われているのが現実なのである。

平和、平和と叫ぶよりは、戦争は必ず起こるものとして、その被害を極限するための自衛策をとり、(略)犠牲を限定するため、武器輸出禁止を大国間で合意すべきであろう。
国際収支のため武器輸出をすることや、累積債務の支払いのため武器輸出で外貨を稼がざるを得ない状況に追い込むことは、資本主義経済の道義的破産といわざるを得ない。

 

人類の歴史から戦争がなくなった年は一年も存在しない。2016年にもなって北朝鮮が水爆実験をしたそうな。まあ、かの国は中央銀行がどうこう以前のレベルの話しなのではあるが、結局それらの国へも武器を輸出している国があって、外貨を稼がねば国は立ちゆかず、国家がもはやビジネスとして威力を喧伝しなければならない事態になっている。中央銀行の人間が道義的破産状態にあるといわなければいけない事態はなげかわしいことこのうえない。平和平和と太鼓を打ち鳴らすのもただおめでたいお話しではあるのだが、財政を行き詰まらせひもじくくいっぱぐれさせては経世済民などはありえない。まあなんというか日本も武器輸出をしようとしているし、そもそも人口が二倍近くに増えてから数十年すると大きな戦争がはじまるのが歴史的経緯というか、サルだって密度がふえれば縄張り争いおっぱじるってなものだ。人口動態がそのような構成になっている国が近くにあるので心配事は耐えないのだが、そもそも自国においても権力をかさに詭弁をふるい解釈を好きにする人たちもいるし、なんというか、まあ、そういう人たちもいてもいいんだけど、一筋だけでも筋を違えずにいてくれる人も少しはのこっていてくれれば、まあそれほど陰惨な事態にはならんだろうと2016年に期待して本年も宜しくお願いいたします。

 


わいが2015年に高く評価したyoutubeの音楽動画


去年リリースとかじゃなくて、あくまで見たのが去年というだけ。
MVPはTaylor Swift、日本だとサカナクションかなー。

youtubeのミックスを聞いていると誰から聴き始めても必ずたどり着いてしまう、カナブーンやゲスの極み乙女はなかなか強敵だった。ニュースターかな。
BABYMETALは国内でも完全にキャズムを超えましたね。CMも見るようになったし。では、いってみましょう。ロック多めです。

 

 

 

東京カランコロン / いっせーの、せ!【MUSIC VIDEO】

チャットモンチーやクラムボンっぽいラインだけれども。男女で歌うスタイルでカッコいいのはハンバート ハンバートかバービーボーイズ以来かってぐらい。
The Heavy – What Makes A Good Man? (Official Video)

ペプシ鬼退治のCMに「Same Ol’」がつかわれてたので、昔の曲にたどり着いてこれがなかなかよかったっす。

 
Al Jolson – “You Ain’t Heard Nothing Yet” (1919)

歴史上最初の有音映画でつかわれた曲だっけかな? ”The Jazz Singer” (1927)、曲がいいというよりは教養としてどうぞ。

 

【片平里菜】 Special Live ①

goosehouseでお馴染み(逆か?)のキャタピー。弾き語りでわかる圧倒的実力。「女の子は泣かない」って曲はとても素直でいいです。生歌Liveのパフォーマンスがいっぱいあるのだがビュー数が1万もいってなくて、もっと見られるべきだと思うだよ?
The Pretty Reckless – Fucked Up World (Director’s Cut)

日本でいうとTHE BAWDIESのインディーロック路線。ちょっとMVがエロいのでおこちゃまNGで。

 

James Blood Ulmer & Ornette Coleman Theme From Captain Black

モダンJAZZ的な。詳細よくわかってないけど、いいなと思って。

 
Sia – Alive

2014年Chandelierという曲のバレイ少女で世界中の度肝を抜いたsiaだけれども、なんと新しいMVには日本の空手少女を起用してきた。この見覚えのある空手の型はと思って調べたらやはり高野万優ちゃんらしい。やっぱりこの年令で燕飛を演舞できる子なんかそういないよね。
Fall Out Boy – The Young Blood Chronicles (Uncut Longform Video)

MVで50分でってのが新しい見せ方だなと思った。もう映画かって具合いですよね。コストも。Fall Out BoyのMVはどれも完成度たかい。LMFAOのParty Rock Anthemをアルバムにしちゃったみたいな。
Charisma.com / HATE

日本っぽくないピコポコダンスサウンド。いい音づくり。女性二人の掛け合いはDOUBLEを彷彿とさせる。平たく歌っているので、唱いあげないかんじだけれどね。
BOMI 「Y.O.U」MV

クラムボン的な。bomiさんはiYo-Yoのデビュー曲ですごい衝撃をうけたんだけど、ひさかたぶりのリリースだったのかな?去年はなんかショーンさんの番組でトレンドキュレーターやってて驚きました。「月曜のメランコリー」は超難易度の高い曲になっていて、個人的にはこの曲スゲェ…っておもうんだけど、ポップなほうがいいとおもったのでY.O.Uをピックアップ。
toconoma”relive” MV

JAZZ、曲の盛り上げへの持って行き方がとても好き。気分があがる。モチーフの使い方がすげぇ。ノリノリになれる。1曲30分ぐらいでやってほしい。toconomaは「おーー、見つけたー」って感じ。うれしい。
fox capture plan × dynabook 「Supersonic」Music Video

トリオJAZZ。バンド力高いなと。ベースがバキ音が気になってしまうのはyoutubeで低音がカットされてるからだろうか?「疾走する閃光」ドラムのパスパス音が気になるにようになってるのでわざとなのかな??普段パスフィルターされた音ばかり聞いてるからかな・・・
Something Special performed by H ZETTRIO 【Official MV】

トリオJAZZ。軽妙軽快な速弾きピアノ。追い越せ上原ひろみ。
米津玄師 MV「アンビリーバーズ」

ポップでキャッチー。こういうキーボードのバッキングを聴くとTMネットワークを思い出してしまう世代です。
フレデリック「トウメイニンゲン」Music Video | frederic”Tomei-ningen”

こちらも、とっとてもキャッチー!MVの子も可愛いしカナブーンの後釜・・・を。
The cold tommy / 「パスコード」 MV

オーソドックスロック。乾いたハイキーなボーカルがミスチルっぽさがあるけど、曲がいいなと思うっす。ちゃんと乗れるいいリズム。いいバンド。
【MV】ヒステリックパニック – 憂&哀

完全にマキシマム・ザ・ホルモンのフォロアーという感じではあるのだけれども、うまいし、ここまでくるとスガスガしいリスペクトがあるのでいいんじゃないかなと思うんだ。
Calvin Harris & Disciples – How Deep Is Your Love

ダンス・ミュージック系なんだけど、周波数とか音像とかがすごい計算されているんだろうなとパシュパシュ抜けてるスネア音を聞いているとおもうのです。ここにのっけるべきではない大御所ですが。

 

OneRepublic – Counting Stars

実に2015年っぽい曲。
Anly Debut Live『太陽に笑え』@Shibuya eggman

若くて美人なのにめっちゃブルージー、でもポップさもあるのでこういうタイプのシンガーソングライターがいっぱい増えるといいなと。片平里菜さんライン。女性のこのラインは豊作ですね。
<ノラガミARAGOTO>OPテーマ THE ORAL CIGARETTES「狂乱 Hey Kids!!」MusicVideo

歌い方は今時だなーと思うのだけど、オーバードライブでキャリキャリのギターのカッティングとかこの疾走感はそうそうでないなと。
夜の本気ダンス MV “By My Side”

昔のライブとかがあがっているのだけど、グルーヴいいなー。バンドとしていいなー。「夜の本気ダンス – 戦争 (Live at Mersey Beat)」のlive映像とか、みるといいバンドだなーっておもいます。

 

感想

こうやってリストにしてみると2015年はロックバンドとJAZZと女性シンガーソングライターが豊作でしたね。
ミュージック・ビデオの質や意味合いも一昔まえとだいぶ意味がかわりました。

2015年、ニコニコ動画は回線があれすぎて音楽を聞くプラットフォームとしては機能しなくなりました。
soundcloudもなかなか音楽にたどり着くのが難しくなってしまった。

なので今年はyoutubeのミックスをメインに作業音楽にしてたのだけど、youtubeのCMが下品すぎて泣きそうです。酒とかパチンコとか競馬とかのCMをこの並びにつっこもうと思ったやつ出てこいって!
musicハッカソンでspotifyの試験アカウントを貰ったので試してみたのですが、この手のサブスクリプションサービスは2016年はどうでしょうね?googlemusicだけじゃなくて、映画見放題みたいなamazon primeも本格化しそうだし。いい曲やパフォーマンスに出会えればいいなと願っています。
ジャンル好き嫌いないので、おすすめあったら教えて下さい!

全部リスト

www.youtube.com/channel/UC-DDSDEajpDlHfFKBHx2p4g/feed

 

 

 

今年早速いいなと思ったもの

NakamuraEmi – YAMABIKO

 

やっぱりこの世代の女性シンガー豊作だね!


人権という発明と奴隷制やら身分制やら


奴隷解放宣言よりわずか前、米国議会では真面目な討論がされていた。

「奴隷を鞭打つとき、女性であった場合、裸にするのは紳士的ではないのではないか?」

わずか200年前の出来事である。
後世からすると滑稽とも言えるような議論を真面目にする時期というものがある。そしてまだその議論をするにまで至っていない国や地域というものも存在する。

 

アメリカの奴隷制

初代大統領のジョージ・ワシントン、アメリカ独立宣言(1776年)のトマス・ジェファソンも当然のように奴隷所有階級だ。エイブラハム・リンカーンが1863年に奴隷解放宣言をしたときもリンカーンのまわりに奴隷商はいたし、義父は奴隷売買業者だったのではないかとも言われている。開放宣言というエポックになる程度にその時代まで奴隷制というのはごく当たり前に社会制度として存在した。

 
奴隷制度があった時代の欧米の資産家の複式簿記でしるされた帳簿には奴隷という勘定科目が乗っているという話しをきいたことがあるが、19世紀に隆盛した複式簿記よりも奴隷のほうがあとだとは、いやはやである。

 
米国南部の奴隷の多い地域、1750年ヴァージニア州の黒人奴隷が102,000人、総人口231,000人である。奴隷の割合はなんと人口の44.15%にものぼる!1860年まで時代を下って、米国全体平均でも12.57%(3,953,760/31,443,321)が奴隷である。

 

奴隷推移2015-12-24 19_58_25-スタート

クリックしてwwwf-pub-freeatlast1.pdfにアクセス

労働力が直接、生産力に直結していた時代。家内制手工業から工場制手工業に変遷する未満の時期は、労働資本=人間の頭数である。この割合で奴隷が必要であったようだ。

 

 

日本の身分制と人口割合

日本でも領民は財産だった。もっとも支配層も「よき支配者」であることが求められたわけで、一揆やお取り潰しなどもあったので支配地域ごとに見れば絶対王政といえるようなものでもなかったようだが、統治体系として支配層(家)の財産として勘定された。庄屋には郡役所に収める財産目録には抱えている領民や小作農そのものや、そこからの上がりを”確定申告”することが責務付けられていた。律令制下での荘園制の時代は言うにおよばず、労働力が生産性に直結していた時代のあいだは文字通り領民こそが財産であったのだ。

 

1831年 墓石制限令 ← 平民の墓石を許可
1863年 アメリカ奴隷解放宣言
1869年 四民平等 ← 皇族・華族・士族・卒族・平民・賤民という身分制は残す
1870年 平民苗字許可
1871年 卒族、賤民を平民に編入(新平民)、平民と華族・士族間との通婚許可
1872年 皆学、職業転居の自由を制定
1875年 平民苗字必称義務令
1876年 秩禄処分 ← 華士族に対する家禄支給の全廃
1947年 第1回参議院議員選挙、日本国憲法施行 ← 皇室以外の世襲身分の廃止

 

四民平等とされた明治維新であるが、実際は身分制度は残って華族や士族という身分制度が廃されたのは1947年の戦後になってからである。
明治維新で秩禄処分で対象になったのは支配階級である。この明治3年ごろの士族+卒族は人口比率で6.4%程度であったようだ。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E6%97%8F

 

賤民制が制度としてあった時代の人口割合をすこし調べてみる。
佐貫藩(千葉県/上総国)1万6千石(領民1万6千人相当)で穢多97人、非人26人とある。人口比で考えると0.76%にしか相当しない。久留里藩(千葉県/上総国)3万石に対し、穢多入口74人、非人人口128人でこちらも人口比0.67%程度。

c.f. 明治初期における穢多・非人の人口分布に関する一考察(3) 松井 茂樹
ci.nii.ac.jp/els/110004687558.pdf?id=ART0007422310&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1450953551&cp=

江戸の人口で検討してみる。町方並寺社門前人口と、弾左衛門・車善七・松右衛門の手下(いずれも世襲の江戸の穢多頭、非人頭役職名)と当日寄非人(無宿人など)を合計して計算する。

c.f. 江戸の人口
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3

1692年江戸の門前人口353,588に対して、非人頭手下勢4,329人、当日寄非人1,037人、これは人口に対して1.52%に相当する。1835年の2.6%を最大として、割合でみると都市部でも人口比1%代後半から2%前半で推移しているようだ。wikipediaから数字を参照しグラフにまとめた。

 

穢多非人人口比率2015-12-27 20_23_39-フォト

※左側縦軸:門前人口、右側縦軸:手下、当日寄人口

 

グラフの1750年とか、1777年とかの当日寄非人の数字が極端に減っているのを見ると、当時の役人が鉛筆をナメた数字のような気もするが、wikipediaからのデータをつかったに過ぎず、引用文献から精査したわけではないので、郊外都市、千葉県のようなところで1%未満、江戸で2%前後というぐらいの割合なのであろうという規模感がつかめれば充分である。

 

保護必要層とアウトサイダー

***手下勢と言うと、現在では指定暴力団を連想する。

クリックしてh26_jousei.pdfにアクセス

日本で公的に現認されているアウトサイダーは指定暴力団であるが暴力団構成員数は、警察庁の統計によれば平成26年で構成員(22,300)と準構成員(31,200)を合計して53,500人である。平成3年には91,000人であったが減少の一途をたどり現在最小値を記録している。人口比では0.045%しかいない。江戸時代の手下勢と比較すると最低でも20倍以上の差がある。

 
当日寄無宿人は今でいうところのホームレスを連想する。
ホームレスは厚生労働省平成24年度調査では全国に9,576人しかいないことになっている。そんな少ないわけもないだろうと思うのだが、この数字を信じれば人口比に直すと0.0079%程度しかいないことになっている。

www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000027ptf.html
なんか、どっちの数字もお役人の数字の取り方への誠実さが江戸時代以下な気がするのだが・・・、どうかな?

 

米国ではソーシャルセキュリティーナンバーを持つためには住所が必要で、住宅を借りるには銀行口座が必要で、銀行口座を開設するにはソーシャルセキュリティーナンバーが必要で、このサイクルから弾かれるとアウトサイダーになってしまうという流れがある。江戸時代で言うならば寺請してもらえないと長屋でご隠居から部屋も借りられず、部屋もなければ身請けも口寄せもしてもらえないので生業ができず、社会的にはアウトサイダーになってしまうのと似ている。
歴史からみると社会構成的には人口の2パーセンタイルぐらいは社会保護が必要になるはずなので、かなりの数を取りこぼしているのではないだろうか?マイナンバーの発番とかで住所が確認できない層を認識できるようになれば漂流民の社会統計もとれるようになるかな?

 
見落としているのかなと、生活保護世帯数について調べたら、平成26年の速報値では2,163,716人となっていた。人口比に直すと1.8%であった。

クリックして0000062671.pdfにアクセス

 

労働層と奴隷と見習い身分

さて、保護層とアウトサイダーをあわせても人口比2%程度なので、米国などで奴隷制が必要としていた12-44%とは大きく異ることがわかる。現代のイタリアの例だが、都市労働者階級(37%)+農村労働者階級(9%)で労働層の合計がちょうど46%となっている。

 

ブルジョアジー(労働人口の10%)[4] – 上流階級の起業家・管理職・政治家・自営業など
ホワイトカラー中流階級(17%) [4] – 肉体労働ではない中流階級労働者など
都市プチブルジョア(14%) [4] – 商店主・スモールビジネス起業家・自営業など
農村プチブルジョア(10%) [4] – 田舎で農林業に従事する、小規模起業家・不動産オーナー
都市労働者階級(37%) [4] – 都市で肉体労働に従事する人々
農村労働者階級(9%) [4] – 農業・林業・漁業などの第一次産業に従事する人々
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%9A%8E%E7%B4%9A

 

現代のわれわれの「奴隷」という言葉への価値観からすると、鉄球を足につけ鞭で打たれながら強制的に労動を強いられているイメージはあるが、酷い経営者なんていうのはいつの世にもいるわけで、奴隷を殺してしまうまで鞭打つか、従業員を鬱になるまで追い込むかぐらいの差でしかないのかもしれない。

 
労働層、これらは江戸時代で考えるとどの層であったのだろうか?
小作人、住み込みで働く職人見習いや丁稚という身分の人たちには決められた給金というものがなかった。いや、そもそも明治維新前までは人の流動がすくなかったために、お金の掛取り(集金)は盆と暮れの年2回程度で、他はツケの信用でまわる社会であったので給金が払われないことは労働衛生環境的にはなんの問題もなかったのやもしれない。

 
現代まで残っている職業でみると、お相撲さん、力士の給与は幕下にはつかなくて、幕内も引退するまで部屋預かりにして独立するときに初めて現金でもらうみたいな運用がされていると聞く。これが昔しながらなのやりかたなのだろう。衣食住が確保されていれば、毎月の決められた金額を与えられるより、小遣いでこと足りる。

 

この手順を踏まずに飛び出したりすると、身請け人もおらず、寺請証文を書いてもらえないので転居も新しい生業もすることができない。核家族化の前の長屋の時代、まさに「大家といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同然」の時代であった。親方は親で、弟子は子なのだ。

 
借金のかたに吉原に身請けされるなどとあるが、結局そこで読み書きや礼儀などの教育を受けて、嫁ぎ先をみつけて最終的にはいずこかに身請けされる。当時の世俗を調べてみると、人身売買のような悲壮感は感じない。ただし飢饉の時はかなりの悲惨さがある。
古代アテネの時代から、楽しい奴隷ライフをおくれせてくれない雇い主は結局殺されるかなにかするので、どんな生業でも、持続可能性がない人の道にそれたことを長くは続けることは難しい。

 

 

身分がある家の身分の無い人

現代の人権感覚から考えると、奴隷制より恐ろしいなと思うのは身分や財産がある家の身分がない人への扱いである。財産を散逸させないために、家督を継がない次男以下には婚姻や外働き、分家を許さず部屋住みの下男のような扱いをしていたという記録がある。独立を許さない分下男より辛い。

 
耕作面積が少く田分けが難しかった山間部の地域では財産を散逸させないために、農家ですら厳格な家長制度を運用する必要があった。比較的近世まで続いた長野の風習「おじろく」「おばさ」で、記録を追うことができる。

 
名家や武家の次男は家督を継がせないために、仏門に出家させ女人禁制の山に幽閉し、結婚させないことが常道とされた。ここらへんは有名所だと真言宗の総本山高野山などのご由緒で伺うことができる。院や房は、学を収めるための場として機能し、長男に何かあったときのために待機場であるだけでなく、図書館や叡智の集積地修練場となり、多くの人材も排出装置として機能した。

 
長子相続制は、世襲にまつわる係争を回避するための経験則からの発明なので、日本だけでなく英国などの爵位などの身分制を置く地域に広く見られるが、今回はちと本筋からそれるので言及するに留める。

現代の身分制

現代の身分制は職業が代替しているということに異存がある人はいるだろうか?ニュースでも犯罪者は無職**、自営業**、公務員**だし、ニュースソースとして重要なのは職業と年齢だ。

 

家内制手工業から工場制手工業にかわり、そして工場制機械工業にかわり、これら過去の身分制度はあまり用をなさない意味のないものになった。江戸時代から人口が4倍になっても、お米の生産量は1.4倍程度にしか増えていない。貿易という手段で、資源を手にいれることができるようになり、機械のほうが労働力より安くなったからだ。
この200年で人口が4倍に増え、平民にも苗字が必要になったし、墓も必要になった。
この100年で農作地よりも職住近接が重要になり、土地のほうが資産価値をもつようになった。
この50年で身請けしてくれる家の身分よりも、身請けしてくれる企業での役職が重要になった。
この30年。工場制機械工業は成熟し、労動組合などが組織され労働者の権利が確立し、正社員だの非正規だのと新たな身分制度がうまれてきている。
だが、しかし、この10年。
人頭の時代も土地や設備などの資源の時代も終わり、金融と情報の時代になった。
科学技術の発展をみると工場制機械工業すらも終焉の様相が伺える。工業化の時代(Industrial Age)は一段落し知財の時代(Transfer of knowledge)になったそうである。情報革命(Information revolution)では、工場は完全無人化され、コンピューターの頭脳ICは既にコンピュータによってつくられている。工場制機械工業から自動制機械工業になったと言っていい。これらが代替するのは労働層だけでなくホワイトカラーだ。人切り(首切り)がまるでリストラクションの唯一の手段かのように、評価される現状は、モジュール化できない労働層には経済性がないと判断されているからだ。

 
企業同士がM&Aをするときに、当然、無形資産の価値評価(日本がとてつもなく弱い分野)をする必要がある。これには「のれん代」だけでなく、そこに勤めている人材の価値評価(valuation)をする必要がある。人材価値評価は、言葉悪く言えば、まー、奴隷という勘定科目よろしく、企業財産目録に人のリストと値札をつけるような話しなのではあるが、経済的に評価するために必要な仕組みだ。こういう流れは未来においてどうなるであろうか?

 

 

情報化がすすむこれからの10年、職住近接の意味は変わるであろうし、われわれが人権だとおもっているものの常識も50年後にはまるで違うものになっているに違いない。「うわ、この時代の人たちお金で時間を拘束されてたみたいよ」とかいわれるのかもしれない。

 

 

… あと書き。

内容にかなーーりセンシティブなものを含んでいる箇所があるので、かなり回りくどく書いたら、思っていた数倍の長さになってしまった。でも、六曜が差別だとかで揉める地域もあるらしいので正直もう意味わかんないんだけど・・・こんなんでどうだろう?