労働資本と生産性の議論


経済誌などが血眼になって生産性をあげにゃならねぇと吹いてまわっている。

その通りなのではあるが、よくよく論旨をよんでみるってぇと、例えるなら「落ちてるどんぐりは余さず拾え、1つ残らず!素早くだ!」みたいな感じで、既存の作業の範囲内で高効率は目指すものばかりだ。新しくどんぐりの苗を植えましょうみたいな議論はあまり見かけない。見かけても虚しく響くだけだ。

何を植えるかの検討もせず、探しもせず、実ったものを根こそぎもっていく。
経営活動はいまの世でも狩猟採集型のみしか生存できない。
これなら、取りこぼした実をリスに運んでもらうほうが一か八か生産性はあがるってもんだ。

 

さて、労働資本の価値低下がいよいよもって顕著に顕れだした。

若いやつは現金(資本)をもっていないけれども働けるという労働資本をもっていて、これを使って現金とか家とかの資本を貯めていく。老人になったら労働資本は失うけれども資本をつかって、食っていく。みたいな社会だのだが、若いやつが労働資本をつかったところで、稼げなくなった。日本の若年者層の給与の最頻値はだださがりである。

というのも、労働そのものがあまり価値を産まなくなったからだ。

生活飲料の為に、毎朝水辺まで往復一時間というような時代ではない。社会資本を積み上げ、どんどん少労力化していったわれわれは結構くるところまで来ているのである。

 

だからといって、これを企業のせいにしたり社会制度の仕組みにしたりして、内部留保に課税しろとか、企業に吐き出させろとかはあまりに頓珍漢である。人間の労働力より機械の労働力のほうが安価で安定するようになっていくのは変えられないのだから、環境の変化のほうに適用するべきなのだ。

 

ここ20年ぐらいの日本をみていると、企業の大分類別の限界利益は低下の傾向にあり、労働資本をつかってお金を稼ぐよりお金をつかってお金を稼ぐほうが高効率になってきた。人を使って稼ぐよりも、設備をつかって稼ぐよりも、なによりお金をそのまま使って稼いだほうが高効率なのだ。

国債は通貨の信任のうえに成り立っている。最も低リスクなものである。リスクフリーだ。もし、これらの事業収益の期待値が国債のリターンから得られるものよりすくないのであれば、事業になど投資せずに国債に投資して寝てたほうがよい。

実際はリスクを獲りにいっているにもかかわらず、くたびれ儲けで、結果として利益率がリスクフリーレートすら越えられない事業セクターも多いことは皆様ご承知のうえだと思う。しかも撤退することもできなかったり。

 

シャープが経営危機に陥ったのは世界の亀山工場への投資が契機ともいわれているが、工場は新しい雇用をつくったかもしれないが、その実、その工場を建てるのに貸し付けた銀行や、最後にそれらの資材、知財をお金で買取った会社が得たものの効率性のほうが高い。でも、このような経済活動だけであれば、労働力はいらないし雇用も発生しないのだ。

労働力による価値生産、生産物による価値生産、高付加価値技術による価値生産。この比重が年々かわってきている。雇用を作る社会公器のために、企業を位置づけちゃうと、行き詰まるのは目にみえている。

 

で、こんな状況下で労働分配率のお話しである。

みんなが一生懸命どんぐりを拾っている最中に、どこかで誰かが栗を植えたのか、生えているのを見つけただかした奴がいて、その栗の実を独り占めしているのだという。これは是か非か。

どんぐり林は36(万)人居る村を支えるために一生懸命拾わなきゃいけないのに、あそこの栗林では2(万)人しかいないという。これは是か非か。

 

ハイテッキーな情報化社会では、今まさにどんぐりだの栗だの、米だの麦だのが出始めている。

今起きている、破壊的イノベーションはこういうことである。今までの最適化チューニングの数直線上とは別のレイヤーで起きている環境変化に対して、どんぐりを高効率で拾う技術修熟は役にたつのかという話しだ。

 

日本では社会保障による配分はあっても、現金による再配分はないのでなおさら世代間闘争に発展する。
小人閑居して不善をなすという言葉があるけれども、人の働きに価値を認められる制度や仕組みをつくらないと社会制度が破綻してしまう。労働価値を経済資本以外に、例えば社会資本に振り分けられる仕組みでもいいし、まぁ、なんでもいいけれども、増えるしか脳のない通貨資本の分配率を労働とクロスして心配してもしゃーないんじゃないのと思うけど、まぁ、多分あまり誰とも共有できない気がするのでこんなところで。

 

 

 

参考

MIT デービッド・オーター教授

 

Does Productivity Growth Threaten Employment?
By David Autor and Anna Salomons1 June 19, 2017

クリックしてD_Autor_A_Salomons_Does_productivity_growth_threaten_employment_Final_Draft_20170619.pdfにアクセス

 

 

「労働分配率の低下とスーパースター企業の興隆」
富はスーパースターに 労働分配率、世界で低下
www.nikkei.com/article/DGXMZO22937520R31C17A0EE8000/

 


エビと海老と蝦


昨日、食事中にテレビを流しみてたら林修先生の番組で海老と書くのは、エビは腰が曲がっていて、ヒゲも長く老人ようだから海老と書くのだよと語源を紹介していた。海老がロブスターで、蝦のほうがシュリンプだそうな。

 

 

ここで、かねてよりの疑問が噴出した。

生物としては腰が曲がっているのはロブスターではなくシュリンプの方だ。
伊勢海老やロブスターのような大型のエビの腰はあまり曲がらない。

大型のロブスターを「海老」と書くのは、人間よりも海老が長生きで長老のようだからではないだろうか。

 

 

伊勢海老のような生物は脱皮で外殻だけでなく内蔵も更新されるため、なんと寿命がない。脱皮に失敗したり捕食さえれなければ平均寿命24歳前後だった縄文人や人生50年の戦国時代よりもよほど長生きだ。

140歳のロブスターが見つかったとか、伊勢海老の同一個体が先代の海女から同じ場所いるのを知ってるとか、そういう伝聞がある。海老は次の脱皮でも同じ外形的特徴がのこり、また同じ巣穴を縄張りにするので蟹などに比べるとよほど個体識別がおこないやすい。捕まえにくい深さや巣穴で籠城に成功した伊勢海老は海女と長い隣人になれたことだろう。

老人のようだ。じゃなく、実質的にも海の中の長老なのではないだろうか。

 

死骸にたかるノミのようなエビがいる。蝦が虫偏なのはわかる。

浜辺でぴょんぴょんと跳ねているハマトビムシとかヨコエビとよばれる仲間は、真軟甲亜綱、フクロエビ上目、端脚目に属する。

お寿司のネタになったりするシャコとかは、トゲエビ亜綱、口脚目、シャコ科。
同じく寿司ネタとして人気の甘エビは十脚目、タラバエビ科。
ボタンエビは軟甲綱、十脚目、タラバエビ科
伊勢海老は軟甲綱、十脚目、イセエビ科
ロブスターは軟甲綱、十脚目、ザリガニ下目、アカザエビ科

 

エビと一口にいっても生物学的にはじつに上位のほうで違ったりするのだ。
ちなみタラバガニは軟甲綱、十脚目、ヤドカリ上科、タラバガニ科でヤドカリの仲間になるが、ズワイガニは軟甲綱、十脚目、ケセンガニ科だ。

 

 

昔の人が海老を海の老人と書いたのは、実際に十二分に年配者だったからじゃないかなというロマンを片手に今度伊勢海老を食べるときに思い出して欲しい。

 

ちなみに、自分は伊勢海老を食うとトイレにこもったっきりになるアレルギーをどうももっているようで、昔しはうまいうまいと食ってたが、結婚式などたんびにものすごい腹痛でトイレから出れなくなることに十二分に大人になってからようやく気がついた。その他、高級中華でもたまぁに駄目な海老があるのだが、まだ正体がつかめていない。ピザとかにのっているようなエビなら大丈夫。たぶん。

 


ヴォイニッチ手稿とぶぐばぐぶぐばぐ


ヴォイニッチ手稿がまたもや解読されたという。こないだのロシアに数学者につづいて今度は、イギリスの中世の文献の専門家だそうな。ちょっと英語圏の動向を追ってみたけど、ラテン語の人たちが「お前まじでか」と言っているようなので、残念オチかもしれない。興味があったので英語の報道ほうを読んでみたけど、ちと自分にはわからなかった。2行しかないのかね?

 

ヴォイニッチ手稿の解読ついに成功?そこには婦人病の治療法が描かれていた!?(英研究者)
karapaia.com/archives/52245622.html

 

ロシアの数学者たちが「ヴォイニッチ手稿の言語構成の解読に成功」との報道。使われている言語の60%は英語とドイツ語であることが判明。そして内容の一部には「ケシからアヘンを採取する方法論」が含まれる模様
indeep.jp/russian-mathematicians-proved-the-meaning-of-the-voynich-manuscript/

なんかロシアの数学者達のほうが、まだアプローチがちゃんとしてる感。

 

ラテン語と古ギリシャ語

日本人がその語の成り立ちを考えたときに漢文の影響を排除できないように、英語も古典ギリシャ語やラテン語を無視することはできない。e.g. (exempli gratia / たとえば)、化学や自然科学領域では死語とされているラテン語でさえもそれほど遠くない存在で、いまだそこここにある。

 

化学科の大学一年生は有機化学などでIUPAC命名法を習うが、きちんと命名法に従って記述されていれば化学式を連想することができる。ここで主につかわれるのは元素記号や学名がラテン語に由来していて、冠でギリシャ数詞がもちいられる。古ギリシャ語やラテン語のくびきからは現代社会でも効いている。

略語で意味を通じさせることができるのは、共有知、暗黙知があればこそである。

ちょいと古いがネットスラングで、afk(away from keybord)だの、wktk(ワクワクテカテカ)などがあるが、ゲーマーがタイプ速度を優先したのと、墓石などに刻むのに母音が落ちる方向に省力化されてきたのもの似たようなものかもしれない。

 

IUPAC命名法でいうところの2-プロパノールが慣用名イソプロピルアルコールで通じるのは、その双方で単語の背景に知っておくべき知識が暗黙的に共有されているからなのさ。

 

読まれるための文章と読まれないための文章

常用されていないのに、略語を使う理由は読まれないための工夫だと思われる。
はたしてヴォイニッチ手稿は読まれることを前提としたものか、読まれないために工夫したものなのか。

同じようにまだ解読されていないレヒニッツ写本などは、右から左にかかれている以外は素直なので読まれることを前提としているものだと思うが、正直ヴォイニッチ手稿はどちらなのか判別できない。

ラテン略語でかかれたのであれば、後人にも読まれるための文章として書かれたものであろう。しかし、それが、それがページセンテンスごとに意味を持つには、略語だとしてもページあたりの語彙数があまりに少ないと感じるのだ。表音文字であればなおさらである。exempli gratiaをe.g.と大胆にサイン化、表意化したとしても、その情報量は少なさは補えないんじゃなかろうか。

 

もし、これらが読まれないための工夫がされていた場合、それは暗号ということになるが、暗号であればさらに複号前の語より情報が落ちるのが常である。日本語のような表意文字の情報の圧縮度に比べたら大した情報を含んでいないじゃねぇかな。

個人的には文章のようにみえるものはただの文字楽譜だとおもうので、奏者にだけわかればよい、後人にも読み方さえ教えてあげれば読めるものとして残したのだと思うが・・・・・・、そういう個人的主張はおいておいて、仮にヴォイニッチ手稿に意味ある文章が略記されているパターンを考えてみる。

 

暗号と複号

暗号文より複合文のほうが情報が多くなるパターンを考えてみる。

「今日の5限の体育本当にめんどくさい。」という文意を伝えた女子高生同士のメモのやり取りが発掘されたとして、そのメモが「次・授業・だるい」としか書かれていなければ、欠落した「体育」という情報にたどり着くのは不可能に近いが、メモの共有者同士では、次の授業が体育であると暗黙的共有があるので、意思疎通ができる。

そのような、暗黙知をテキスト化して、暗号表にする方式がある。

事前に配っておいたスパイ手帳の3ページ目4番目の項目を実行しなさいとかを指示するだけであれば、北朝鮮工作員御用達の乱数放送みたいに数字をラジオ放送で流すだけで意思疎通ができるうえ、相手は複号用の鍵を手にいれるまでは推測でしか暗号を読むことはできない。

複号用のテキストに聖書のようなポピュラーな書籍を使うこともあるが、センテンスでの引用ができなくなるので、単語ごとの引用になる。この場合は、ほとんど暗号文と複合文のテキスト長はかわらなくなる。

125ページの3行目3番目の単語(P125L3W3)、32ページの12行目5番目の単語(P32L12W5)のように、羅列する。P45L12,P21L3W1,P21L4W4 のようになり、ヴォイニッチ手稿は異様な繰り返しの多さ、まるで音楽のシンコペーションのような特徴をみたしているので、可能性として、なくもないかもしれないけれど、年代からいっても「鍵の本」が失われているので、複号は無理だろうね。

単語の出現頻度などから推測はすることぐらいしかできない。まあ、その場合は、完全に読ませないための工夫がなされた暗号ということになるね。

 

まぁ、でもなぁ

突然だけど、

武具、馬具、ぶぐ、ばぐ、三ぶぐばぐ、合わせて武具、馬具、六ぶぐばぐ。

菊、栗、きく、くり、三菊栗、合わせて菊、栗、六菊栗。

 

これは、1718年より上演されている有名な歌舞伎演目の外郎売の一節。もし、これにまつわる、いろいろなものがロストして、ふいに、この文面だけ後世に伝わった場合、日本語の単語こそ使われてはいるが、そこから意味をすくい取るのは困難であろう。武具、馬具、ぶぐ、ばぐなんだから、2武具馬具なんじゃないかとか後世の研究者を悩ませるに違いない。

 

パイポパイポパイポのシューリンガン

シューリンガンのグーリンダイ

グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助

ここまでくると、もっと研究者を悩ませることになるだろう。落語の寿限無は既に発生年代不明になっているようで、米沢彦八(~1714)より後っぽいが、まあ、そんな感じ。

 

カエルピョコピョコミピョコピョコ。

 

 

ドリフの早口ことばとかを聞きながらおもうんだけど、やっぱり文字譜なんじゃないのぉ。あってもチャントぐらいだなぁ。シンコペーションの効いた繰り返しが多すぎるよ。

ちなみにイラストのほうには意味があるのは同意。

昔のこのブログ投稿。

線をひけばすぐわかるヴォイニッチ手稿のイラスト

ヴォイニッチ手稿に書かれたスペイン語

ヴォイニッチ手稿はどうみても楽譜

 

c.f.

有機化学論文のラテン語
chemistry4410.seesaa.net/article/135191973.html

 

ギリシャ語及びラテン語の数詞
www.nihongo.com/aaa/chigaku/suugaku/greek.htm

 

学術用語におけるラテン語の影響についての研究
ci.nii.ac.jp/naid/120005578685

 

IUPAC命名法
ja.wikipedia.org/wiki/IUPAC%E5%91%BD%E5%90%8D%E6%B3%95

 

学名
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%90%8D

 

外郎売
www.arcadia-enter.com/geiko-pro/school/04.html