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  • エビと海老と蝦

    昨日、食事中にテレビを流しみてたら林修先生の番組で海老と書くのは、エビは腰が曲がっていて、ヒゲも長く老人ようだから海老と書くのだよと語源を紹介していた。海老がロブスターで、蝦のほうがシュリンプだそうな。

     

     

    ここで、かねてよりの疑問が噴出した。

    生物としては腰が曲がっているのはロブスターではなくシュリンプの方だ。
    伊勢海老やロブスターのような大型のエビの腰はあまり曲がらない。

    大型のロブスターを「海老」と書くのは、人間よりも海老が長生きで長老のようだからではないだろうか。

     

     

    伊勢海老のような生物は脱皮で外殻だけでなく内蔵も更新されるため、なんと寿命がない。脱皮に失敗したり捕食さえれなければ平均寿命24歳前後だった縄文人や人生50年の戦国時代よりもよほど長生きだ。

    140歳のロブスターが見つかったとか、伊勢海老の同一個体が先代の海女から同じ場所いるのを知ってるとか、そういう伝聞がある。海老は次の脱皮でも同じ外形的特徴がのこり、また同じ巣穴を縄張りにするので蟹などに比べるとよほど個体識別がおこないやすい。捕まえにくい深さや巣穴で籠城に成功した伊勢海老は海女と長い隣人になれたことだろう。

    老人のようだ。じゃなく、実質的にも海の中の長老なのではないだろうか。

     

    死骸にたかるノミのようなエビがいる。蝦が虫偏なのはわかる。

    浜辺でぴょんぴょんと跳ねているハマトビムシとかヨコエビとよばれる仲間は、真軟甲亜綱、フクロエビ上目、端脚目に属する。

    お寿司のネタになったりするシャコとかは、トゲエビ亜綱、口脚目、シャコ科。
    同じく寿司ネタとして人気の甘エビは十脚目、タラバエビ科。
    ボタンエビは軟甲綱、十脚目、タラバエビ科
    伊勢海老は軟甲綱、十脚目、イセエビ科
    ロブスターは軟甲綱、十脚目、ザリガニ下目、アカザエビ科

     

    エビと一口にいっても生物学的にはじつに上位のほうで違ったりするのだ。
    ちなみタラバガニは軟甲綱、十脚目、ヤドカリ上科、タラバガニ科でヤドカリの仲間になるが、ズワイガニは軟甲綱、十脚目、ケセンガニ科だ。

     

     

    昔の人が海老を海の老人と書いたのは、実際に十二分に年配者だったからじゃないかなというロマンを片手に今度伊勢海老を食べるときに思い出して欲しい。

     

    ちなみに、自分は伊勢海老を食うとトイレにこもったっきりになるアレルギーをどうももっているようで、昔しはうまいうまいと食ってたが、結婚式などたんびにものすごい腹痛でトイレから出れなくなることに十二分に大人になってからようやく気がついた。その他、高級中華でもたまぁに駄目な海老があるのだが、まだ正体がつかめていない。ピザとかにのっているようなエビなら大丈夫。たぶん。

     

  • ヴォイニッチ手稿とぶぐばぐぶぐばぐ

    ヴォイニッチ手稿がまたもや解読されたという。こないだのロシアに数学者につづいて今度は、イギリスの中世の文献の専門家だそうな。ちょっと英語圏の動向を追ってみたけど、ラテン語の人たちが「お前まじでか」と言っているようなので、残念オチかもしれない。興味があったので英語の報道ほうを読んでみたけど、ちと自分にはわからなかった。2行しかないのかね?

     

    ヴォイニッチ手稿の解読ついに成功?そこには婦人病の治療法が描かれていた!?(英研究者)
    http://karapaia.com/archives/52245622.html

     

    ロシアの数学者たちが「ヴォイニッチ手稿の言語構成の解読に成功」との報道。使われている言語の60%は英語とドイツ語であることが判明。そして内容の一部には「ケシからアヘンを採取する方法論」が含まれる模様
    http://indeep.jp/russian-mathematicians-proved-the-meaning-of-the-voynich-manuscript/

    なんかロシアの数学者達のほうが、まだアプローチがちゃんとしてる感。

     

    ラテン語と古ギリシャ語

    日本人がその語の成り立ちを考えたときに漢文の影響を排除できないように、英語も古典ギリシャ語やラテン語を無視することはできない。e.g. (exempli gratia / たとえば)、化学や自然科学領域では死語とされているラテン語でさえもそれほど遠くない存在で、いまだそこここにある。

     

    化学科の大学一年生は有機化学などでIUPAC命名法を習うが、きちんと命名法に従って記述されていれば化学式を連想することができる。ここで主につかわれるのは元素記号や学名がラテン語に由来していて、冠でギリシャ数詞がもちいられる。古ギリシャ語やラテン語のくびきからは現代社会でも効いている。

    略語で意味を通じさせることができるのは、共有知、暗黙知があればこそである。

    ちょいと古いがネットスラングで、afk(away from keybord)だの、wktk(ワクワクテカテカ)などがあるが、ゲーマーがタイプ速度を優先したのと、墓石などに刻むのに母音が落ちる方向に省力化されてきたのもの似たようなものかもしれない。

     

    IUPAC命名法でいうところの2-プロパノールが慣用名イソプロピルアルコールで通じるのは、その双方で単語の背景に知っておくべき知識が暗黙的に共有されているからなのさ。

     

    読まれるための文章と読まれないための文章

    常用されていないのに、略語を使う理由は読まれないための工夫だと思われる。
    はたしてヴォイニッチ手稿は読まれることを前提としたものか、読まれないために工夫したものなのか。

    同じようにまだ解読されていないレヒニッツ写本などは、右から左にかかれている以外は素直なので読まれることを前提としているものだと思うが、正直ヴォイニッチ手稿はどちらなのか判別できない。

    ラテン略語でかかれたのであれば、後人にも読まれるための文章として書かれたものであろう。しかし、それが、それがページセンテンスごとに意味を持つには、略語だとしてもページあたりの語彙数があまりに少ないと感じるのだ。表音文字であればなおさらである。exempli gratiaをe.g.と大胆にサイン化、表意化したとしても、その情報量は少なさは補えないんじゃなかろうか。

     

    もし、これらが読まれないための工夫がされていた場合、それは暗号ということになるが、暗号であればさらに複号前の語より情報が落ちるのが常である。日本語のような表意文字の情報の圧縮度に比べたら大した情報を含んでいないじゃねぇかな。

    個人的には文章のようにみえるものはただの文字楽譜だとおもうので、奏者にだけわかればよい、後人にも読み方さえ教えてあげれば読めるものとして残したのだと思うが・・・・・・、そういう個人的主張はおいておいて、仮にヴォイニッチ手稿に意味ある文章が略記されているパターンを考えてみる。

     

    暗号と複号

    暗号文より複合文のほうが情報が多くなるパターンを考えてみる。

    「今日の5限の体育本当にめんどくさい。」という文意を伝えた女子高生同士のメモのやり取りが発掘されたとして、そのメモが「次・授業・だるい」としか書かれていなければ、欠落した「体育」という情報にたどり着くのは不可能に近いが、メモの共有者同士では、次の授業が体育であると暗黙的共有があるので、意思疎通ができる。

    そのような、暗黙知をテキスト化して、暗号表にする方式がある。

    事前に配っておいたスパイ手帳の3ページ目4番目の項目を実行しなさいとかを指示するだけであれば、北朝鮮工作員御用達の乱数放送みたいに数字をラジオ放送で流すだけで意思疎通ができるうえ、相手は複号用の鍵を手にいれるまでは推測でしか暗号を読むことはできない。

    複号用のテキストに聖書のようなポピュラーな書籍を使うこともあるが、センテンスでの引用ができなくなるので、単語ごとの引用になる。この場合は、ほとんど暗号文と複合文のテキスト長はかわらなくなる。

    125ページの3行目3番目の単語(P125L3W3)、32ページの12行目5番目の単語(P32L12W5)のように、羅列する。P45L12,P21L3W1,P21L4W4 のようになり、ヴォイニッチ手稿は異様な繰り返しの多さ、まるで音楽のシンコペーションのような特徴をみたしているので、可能性として、なくもないかもしれないけれど、年代からいっても「鍵の本」が失われているので、複号は無理だろうね。

    単語の出現頻度などから推測はすることぐらいしかできない。まあ、その場合は、完全に読ませないための工夫がなされた暗号ということになるね。

     

    まぁ、でもなぁ

    突然だけど、

    武具、馬具、ぶぐ、ばぐ、三ぶぐばぐ、合わせて武具、馬具、六ぶぐばぐ。

    菊、栗、きく、くり、三菊栗、合わせて菊、栗、六菊栗。

     

    これは、1718年より上演されている有名な歌舞伎演目の外郎売の一節。もし、これにまつわる、いろいろなものがロストして、ふいに、この文面だけ後世に伝わった場合、日本語の単語こそ使われてはいるが、そこから意味をすくい取るのは困難であろう。武具、馬具、ぶぐ、ばぐなんだから、2武具馬具なんじゃないかとか後世の研究者を悩ませるに違いない。

     

    パイポパイポパイポのシューリンガン

    シューリンガンのグーリンダイ

    グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助

    ここまでくると、もっと研究者を悩ませることになるだろう。落語の寿限無は既に発生年代不明になっているようで、米沢彦八(~1714)より後っぽいが、まあ、そんな感じ。

     

    カエルピョコピョコミピョコピョコ。

     

    https://youtu.be/qo_Ihn6PCuE

     

    ドリフの早口ことばとかを聞きながらおもうんだけど、やっぱり文字譜なんじゃないのぉ。あってもチャントぐらいだなぁ。シンコペーションの効いた繰り返しが多すぎるよ。

    ちなみにイラストのほうには意味があるのは同意。

    昔のこのブログ投稿。

    線をひけばすぐわかるヴォイニッチ手稿のイラスト

    ヴォイニッチ手稿に書かれたスペイン語

    ヴォイニッチ手稿はどうみても楽譜

     

    c.f.

    有機化学論文のラテン語
    http://chemistry4410.seesaa.net/article/135191973.html

     

    ギリシャ語及びラテン語の数詞
    http://www.nihongo.com/aaa/chigaku/suugaku/greek.htm

     

    学術用語におけるラテン語の影響についての研究
    http://ci.nii.ac.jp/naid/120005578685

     

    IUPAC命名法
    https://ja.wikipedia.org/wiki/IUPAC%E5%91%BD%E5%90%8D%E6%B3%95

     

    学名
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%90%8D

     

    外郎売
    http://www.arcadia-enter.com/geiko-pro/school/04.html

  • 電気自動車と大局観

    イギリスとフランスの政府は2040年までにガソリン車の新車の販売禁止を打ち出した。中国政府も同じような措置を検討しているそうだが、世耕経済産業大臣は「いきなり電気自動車にいけるわけでもない」として、大局については先送りする方針をとった。なんというか、兵の練度は高く戦術はあるが戦略がないと敵対国から評されたかつての日本の軍部のようである。

     

    経産相「いきなり電気自動車にいけるわけでもない」
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170915/k10011140721000.html

     

    「いきなりスマートフォンにいけるわけでもない」と同じような経営判断が国レベルでなされている危機感。燃料自動車の部品点数は全部で10万点ほどある。これらを部品を大手メーカーに納入している零細業者も多い。

    対して電気自動車の部品点数はわずか100点ほどしかないという(*1)。部品メーカー従属産業はその仕事を失うだろう。もし、電気自動車に世界がシフトするのであれば、そのトレンドを無視するのはとても危険なことである。既存の自動車メーカーはシャーシ屋さんになりさがる可能性がある。

    すべての工業製品、ソフトウエア製品の部品は汎用モジュール化する方向にトレンドがあるのは明らかだが、それを無視して先送りするのはあぶねぇ話しだ。戦術どころか戦略も、ひょっとするとどうしたいのかというビジョンも怪しいんじゃねぇか。

     

    自動車の歴史

    • 1769年 自動車 誕生
    • 1777年 電気自動車 誕生
    • 1886年 ガソリン自動車誕生
    • 1900年 ガソリン自動車の量産化(この頃は蒸気自動車が主流)
    • 1908年 T型フォード(自動車大衆化)

    燃料自動車よりも電気自動車のほうが歴史があるんだね。

    日本でみてみると人力車は都市圏では1926年頃、地方でも1935年頃から減少に転じたそうだ。紀元前からあった馬車を輸送市場から駆逐するのにガソリン自動車の登場から50年も必要としなかった。馬の寿命や、車夫の労働寿命を考えれば、衰退産業への新規流入が三世代続くこともないだろう。産業の置き換えに数十年も必要としなかったはずだ。

     

    なぜ電気自動車か

    ガソリンエンジンのエグゾーストノートが好きだという人は残るだろうし、現に石油発動機の愛好会のようなものもまだあるので、愛用する人は残り続けるだろう。

    でも、これからが電気自動車なのは、自動運転などの電子制御が重要となり、それに必要なのがサーボーモーター(モーターの状態を検出でき制御できるモーター)だからだ。

    駆動装置の総電気化には、バッテリーの蓄電技術だけでなく、ソフトウエア技術のブレイクスルーが必要なのだが、どちらも既に製品化される程度には練れてきている。そして、その技術は踏みあがりはパネェ勢いだ。

    自動車より安全基準の厳格な飛行機で、アクチュエータが油圧式から電気式に切り替わりつつあるのは、なにも軽量化だけのためではない。燃料エンジンを電子制御しようとすると燃料注入量をコントロールするのは、アクセルを上手に踏めるロボットをつくるようなもので、昨今のソフトウエア技術を活かしきれないのである。燃焼度がどうなっているのかセンシングして、それを制御するなどせねばならず、複雑すぎるのだ。キープイットシンプル!

     

    電気自動車の普及と予想

    いま、日本の自動車台数、ハイブリット車台数、電気自動車台数をグラフにするとこんな感じ(*2)。電気自動車なんて雑魚もいいところ。

    このうちEVだけ抜き出して、表示してみる。点線は近似式。

    で、現在のEV車の販売台数推移の近似式を2040年まで伸展させてみる。

    まあ、いまのペースなら2040年には110万台程度。結構のびる感じはするけれども、それでも市場の15%程度にしかならない。だが、近似式、現在の「y = 1113.4×2 – 4972.3x + 4204.5」これはあくまで電気自動車のラインナップがあまり揃っていない状態。なんのブレイクスルーも今後ないとした場合の伸展上だ。

     

    だが、メーカーはそのような経営計画はしていない。

     

    ルノー・日産、22年に完全自動運転/販売の3割 電動車に
    https://www.nikkei.com/article/DGKKASDZ15I31_V10C17A9MM8000/

     

    ルノー・日産、22年世界販売1400万台に 16年比4割増
    https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ15HMM_V10C17A9000000/

     

    ここから逆算すると、420万台。

    日本の日産、三菱の3割というと、市場シェア14%の3割だから市場の4%ぐらい。24万台。

    2022年に24台なら2040年に140万台ぐらいで、420万台ぐらいが流し込まれるなら2040年には3,000万台。
    この数字だけ追えば「いきなり電気自動車にいけるわけでもない」という、言説にはある程度説得力がある。

     

    いずれにしろ、まだ自動運転も日本では試験走行しかなされておらず、電気自動車向けのインフラ整備もなされていないので、あと5年ぐらいでどの程度社会環境に変革があり、その時の販売台数がどうなっているのかで、将来どうなるのか予測できるだろう。

    いずれにしろ、電気自動車化による部品点数の変化は日本のものづくり偏重政策に重大な外部環境変化であり、テスラモーターズの登場からだけみても、いきなり市場環境が激変するかもしれないから大局的にはどうすべぇぐらいの先見性は欲しい。燃料バイクと電動バイクのほうがシェアのリプレイスとしては先行していそうなので、時間があったら調べたいな。

     

    トヨタはテスラに手を出そうとして袖にされて、東芝とかNECがある駅に求人投下しているみたいだけど、ちと日本の自動車産業は足が遅いかもしれないね。というか日本の電機メーカーはソフトウエアに対して感度がにぶすぎるので、もうどうしょうもないのかもしれないけど。

    政治のほうも、いくら政治が技術に遅行するといっても、ちょっと、心配になるレベル。

    自動運転とかソフトウエア制御による環境判断の未来がこないわけはないので、いからインフラはそれに沿わしてつくっておかないと、古臭い耐久消費財に金を払い続けることになるぞ。ネットや電気をつかえないビルをいまから設計するようなもんだよね。

     

    ロジスティクスの変化

    かつては、人の足の移動距離に応じて宿場が整備され、それから電車による流通が整備され、そして現代はトラック流通網になっている。道路網はそれに添って整備されてきた。トラックが自動追従型の自動運転になったら?生活道路に、アシスト付き車椅子とか、小型モビリティが混在しだしたら?
    生活道路のうち、この道は、電動モビリティ優先とかそういう、街設計は必要だよね。

    いきなりはこないけど、くる気配はもう数十年ゆっくり前進してんだから、ゆっくりでいいから準備しようぜ。鉄腕ダッシュでソーラーカーが日本一周したのいつだよ。ドローンが宅配してくれる宅配網とか整備計画ぐらいはしてほしいなぁ。

     

    参考

    (*1)
    電気自動車により変化する産業構造
    https://allabout.co.jp/gm/gc/423948/

     

    自動車誕生から今日までの自動車史(前編)
    http://gazoo.com/article/car_history/130530_1.html

     

    (*2)
    日本における電気自動車のシェア!
    https://ischool.co.jp/2017-05-31/