原発を再稼働しなければ、日本は経済的に沈むという経済的合理性と、原発のような過酷事故を起こしたものを再び動かすなんてとんでもないという心情的大衆性がぶつかっていまもたびたび非生産的な論争がうまれている。
なんじゃかのぅ。
専門家でもないし相手にされるとも採用されるとも思えないので、振り切って奇計奇略を考えてみたいと思う。きまじめな人気分わるくされたらごめんなせぇ。
自分の現状認識
もっと被害の大きい地震がそう遠くない時期にまたおきる
襟裳沖、東京湾北、東海、南海、何度もおきる。日本を取り巻く地殻の応力は大規模に変化しており、M7クラスの地震は日本全国毎月ごとに%オーダーの発生確率がある。(※俺的計算による・・・)地球のタイムスケールでは10年はほぼ同時だ。
噴火もおきる
大規模地震と噴火が結びつかない歴史はない。関連で地震がおきれば富士山噴火もありうる。六ケ所村に火砕流の痕跡があったり近所の山が噴火する可能性もある。いや、まぁ、十和田火山噴火はぶっちゃけそうそうないとはおもうが、調査がほとんどされていないが北朝鮮国境にある白頭山の噴火なんかはそろそろ現実味がある。白頭山の噴火はかつて渤海国を滅ぼした。プリニー式噴火になれば、日本の発電送電網、また原発の冷却のような耐久消費財の維持コストは格段に跳ねあがる。災害による維持コストの変化は現況下では埋没コストとして検討しなければならない。
1000年に一度の災害はけっこうおきる
1000年サイクルの地震を起こす箇所が日本には何箇所あるかを考えると、いくつもあるもんだということがわかる。そして電気や飛行機という現代人が恩恵にあずかっているほとんどのテクノロジーはこのわずか100年のものだ。過酷な太陽風にさらされたこともなければ、降り積もる火山灰に高圧送電網がさらされたこともない。100年に一度の金融恐慌は30年ぐらいもあればおきるし、地球上はいつも紛争にまみれている。サリンを地下鉄でばら撒かれるなんていう凶行を一体誰が予見できただろうか。環境は変化する。いままでなかったから大丈夫だというのはこれらの外部環境の脅威の変化にたいしてあまりに愚鈍すぎる。
跳ね上がる安全コスト
超地殻変動期に突入したこんな時期に原発を動かすのはどうかしている。安全コストの問題だ。ヘッジではなくリスクアセスメント。同規模の地震が遠くない時期におきるとわかっている中で、環境変化の発生評価を311以前並みとはできない。経済的な投資をしたところで、汚染地区は経済的人的な投資をおこなっても現状復帰がおこなえない。半減期はお金では買えない。福島は30km圏内であったが、事故処理が間違えば300Km圏内が同じことになっている可能性は存分にあった。不幸中の幸いを何度も期待してはならない。大規模噴火の場合、逃げ遅れた人間はおおよそすべて死ぬというのはポンペイが教えてくれている。火山性ガスがあたりを覆い、火山灰で水流がつまり、空気中に電気を流す細かな石英が交じる、そのような状況下で原発のような高度産業構造物を平常稼働させるコストはいかほどか。それでも安全のためのコストは十二分に払われていて問題ないとするという言い分はわかるが、いくら論理的に納得できる資料が用意されようとも、すでに事故がおこってしまった今、心情的な同意が得られることはないだろう。急いて心情的なものを無視すれば、より無茶な考えや行動をおこすひとの材料にしかならない。それは不幸なことだ。
原子力は学問として衰退する
原子力発電で事故をまのあたりにした日本で育った子供は原子力分野を目指さなくなくなるだろう。10〜30年間は確実に多くの若者が夢見て志す環境ではなくなる。目指す若者が少なければ優秀なやつの存在確率も下がる。日本は世界的な競争のなかで劣位となり、産業分野として競争優位を確保することができなくなる。人材が確保できなくなる未来が想定される。そもそも新たな電力需要が喚起されない現代において大規模発電所+高圧送電網という重厚長大な建築物は成熟期から衰退期にさしかかっている。鉄鋼が大型炉から小型炉に以降したように、発電もユニット施設化するだろう。
課題点と、これは酷いといいたくなるような解決策
最終処分場の問題
日本国内には安全な場所なんてない。噴火みたいな自然現象は10年もすりゃ安定化するけど、放射性同位体はあれだし、安定状態にできないんだから、キャスケットにでもぶっこんでロシアの永久凍土でも借りるよ他ないんじゃないの。
資源とエネルギー不足
火力の燃料費高騰により、経済と成長を食いつぶすから原発再稼働するよりないという経済的合理性があるとおもうのだけれども、安全のためのコストを埋没費用として考えた場合、経済的合理性なんて声高にいうほどないんじゃねぇのと思う。
かといって、貿易赤字をそのままにしてものづくりのコストにエネルギー費用が転嫁されても、日本の経済的優位性は確保できなくなる。ものづくりは成熟国家の競争優位を確保できる材料なのか?という疑問はあるにせよ、現状それで成り立っているものを否定するわけにもいくまい。人工での労働生産なんて人口動態のボーナスが付く新興国のものだからそのものの未来ごとうっちゃってもいい気もするけど、産業移行期間を空白期間にもできない。
そこでどうにかエネルギーコストの上昇を抑えなければいけないわけだ。じゃあ再稼働しかない。本当に?
どうせ地震がおきたら100兆超規模の債権が発行されるし40兆しか税収がない国で100兆の予算組んでる財政規律だし、いずれデノミとかデフォルトはすることになるんだろうから、世間なみに通貨発行量増やして、エネルギー輸入コストの増大分には債権分をぶちあてて、形式上はお金を払いましたという構造で手当するよりないのではないか。酷いなぁとは思うが。
戦争をもって戦争を養うという考えがかつてあった。圓や軍票の発行により、円の経済圏と切り離した。終戦にあたり結局円もデノミすることになったが、原発をもって原発を養うとか、いうとややこしくなるが、通貨発行戦争をもってエネルギーコストの上昇は養なえるのではないか。各国のマネーサプライだのマネーストックの上昇率をみれば、エネルギー費用の増加分ぐらいまぎれてもわかんねぇべさ。
新エネルギー
メタンハイドレートもあるし、藻類オイルもあるから未来明るいよねとつぶやいたら、
2~3回死んでやり直してこいw という意味にもなる気もしたが、まあ実務のうえで考えるとそんなもんか。頭お花畑で夢想するだけにはエネルギー問題はそう遠くない時期になんとかなるんじゃないかと楽観していたりする。
アメリカはシェールガス革命でエネルギーコストが下がるがこれはアメリカだけの問題であって、日本は恩恵にあずかれない。しかもこれは結構はやくに枯渇すんじゃねぇかと思う。
他方、排他的経済水域ぐらいしか誇る資源がない日本だが、そこに貯蔵されるメタンハイドレートは真面目に産業化すればシェールガス並みのインパクトがある。国は平成30年には商業化の道筋をつけるとしているので、そんなに未来の話しではない。
ここで重要なのは太平洋側のメタンハイドレートはメタン生成菌由来による生物合成であることがわかってきていることだ。石油は化石燃料とされているが、もともとは嫌気性菌や嫌気性の藻類の作った堆積物層にすぎないのではないか。植物類や藻類がカーボンキャプチャーしたものが炭泥層になり、酸素が含まれないため、メタン生成菌のような嫌気性の細菌やオーランチオキトリウムのような従属栄養の藻類により、炭素固定される。メタンだのスクワレンだのができる回路が解明されれば、オイルは管理下において作れるようになる。しかもその有機物を発電のために燃やしてもその炭素が彼ら嫌気性菌のごはんなのでカーボンキャプチャーストレージのサイクルはもんじゅより現実味がある。海底採掘は正直採算はどうかとおもうけれど、採集しかできなかった資源であったエネルギー資源というものは、栽培ができる資源になるんじゃないかと頭お花畑なのです。ま、俺が2~3死ぬ間にはきっとなんとかなるんじゃないかな。