噴火と月と予見について


御嶽山での噴火で亡くなられたかた、親しい人の安否がまだわからず不安に暮れている方、そしてなにより目の前にいるのに助けられなかったなど自責の念にかられている方、やがて、いずれ、平穏な日々がいずれおとずれることを願ってやみません。

天候不順が続いていてからの紅葉の入り絶好の行楽日和だったのが災いしました。
しかもこれ以上ないほどタイミングが悪いことに、みんながお昼を食べようと人が頂上に滞留する時間を狙ったかのような噴火。ほんの数日、ほんの数時間早くても遅くても今回と被害は1桁以上違ったことでしょう。これ以上悪いタイミングはなかなか思いつかないほどです。

タイムライン

9月 9日 台風14号通過
9月 9日 中秋の名月
9月10日 スーパームーン(月が軌道上、最も地球に近づくためとても大きく見える日)
9月10日 御嶽山52回の火山性地震を観測
9月11日 御嶽山85回の火山性地震を観測
9月12日 御嶽山10回の火山性地震を観測
9月13日 御嶽山 7回の火山性地震を観測
9月14日 御嶽山 8回の火山性地震を観測
9月15日 御嶽山27回の火山性地震を観測
9月16日 御嶽山12回の火山性地震を観測
9月24日 台風16号 温帯低気圧に変わり愛知方面へ
9月25日 未明 大雨により名古屋の東山線が水没
9月27日(土) 11時52分 御嶽山 噴火(水蒸気)

噴火にあたり得られた知見

地震計、傾斜計、空振計、衛星測位を常時監視していたが山体の膨張が確認されたのは噴火のわずか7分前。
噴火警戒レベルの引き上げは噴火の前兆を捉えることが前提となっているので今回のように前兆が観測されない噴火はそもそも減災対策としては考慮が足りないように見えます。

御嶽山の山頂の地震計、昨夏から故障していたとの報道もあり、もしかしたらこれがあればもっと局所的な火山性微動を拾えていたかもしれない、、、が、いずれにしろこの程度の変化の現れでは噴火の予見はできなかったであろうと想う。水蒸気爆発であった場合、そもそもこれらのセンサー類の高精度化の延長線上では予見はできないということなのか。

噴火と月

東日本大震災のときに地震と潮汐のデータを移動平均とかをとりながらクロスをしたりてデータを眺めていた。素人論考だが、開放マグニチュードと潮汐にはそれなりの相関をグラフ上にみてとることができたきがする。相関係数まで出して傍証するところまではたどり着けなかったのだが、昭和の学者にがんばって相関ありと結論をだしていた人が居たので、これだけデータが揃っているので時代がそれなりにすすめば研究者がまとめるんだろうなと他力本願。

で、その当時、世界中の噴火の情報と世界中の地震の情報を集めて、火山のVEI(火山爆発指数)と地震のマグニチュードをデータベースにぶっこんでいろいろ角度かえてみたのですが、まあタイムスケールとか、規模とかが指数化しても違いすぎて有意化できずにほっぽったスクリプトがあったことを思い出しました。つくりかけだけどそのままURLのリンクを貼っておきます。まあ自分でつくっておいてなんですがつくった意味をみいだせない程度の代物なので、だめでしたという報告になるのかな。
kuippa.com/volcano.php

地震と潮汐は関係ありそうだと仮定したのは、そもそも潮の満ち引きというのは月の引力と太陽の引力変化の関係を結果として観測できるものです。本当は引力変化のデータセットがあればいいのですが、そんなものはないので、その代替品としての潮位を利用しました。

月は約12時間周期で1周して、それにつられて海水面が満ちたり引いたりする。つまり海面の高さが上下する。これは地球-月-太陽の順にならんで引力の方向が太陽と揃うときに海水面が高い大潮、逆に一番揃わないときに小潮となります。

www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/db/tide/knowledge/tide/choseki.html

これらの変化はなにも海水だけではなく、岩石にも影響します。地球潮汐とよばれる現象で一日で30cmの変動があるとされています。固そうな岩盤も満ちたり引いたりしているわけですね。(個体潮汐)

そもそもプレートがこれらの潮汐の結果なので、そこからくるプルームやマグマの上昇と噴火は大きいスケールでは切り離すことができない。エネルギーが溜まりきって噴火にいたるというキッカケの部分でも、それなりに考慮に値するのではないかなと想うわけです。

で、そういえば噴火と潮汐はぶつけて考えなかったな、と。
というのは、直感的に噴火を湯の突沸のようなものと考えていたので、加わる熱量との関係のみできまるだろうから、そんなものは吹き出してみるまでわからないし、タイミングが予見できたとしても、巨大地震との関係性をみいだせるかどうかぐらいだろうと思っていたからです。

しかし、今回のようなマグマの噴出ではなく、水蒸気タイプの噴火であれば、潮汐とぶつけたら何かでるんじゃないかなと。というのも9/10あたりに火山性微動があったとの報道をみて、ちょうどその時は中秋の名月、そしてスーパームーンだったなと思い出したんです。

満月 2014年9月9日(火)10:38
新月 2014年9月24日(水)15:14

名古屋湾近郊の潮位変化のグラフをみてみましょう。

Screenshot 2014-10-02 00.40.20

9月10日のあたりに、月の軌道が地球の側に寄った上に、ちょうど大潮状態だったと。

地震の場合は、一番振幅の大きいタイミングから1~2日たってピークブレイクに起きるケースが多かったのだけど(5日程度の移動平均曲線と2日程度の移動平均曲線がクロスするライン)、そんで27日というとちょうど次の大潮のタイミングですね。

山の地下水の浸潤って数十年とか数百年単位だとおもうので、台風は関係ないかもしれませんが、小潮とかでストロー現象で岩盤間の地下水同士がつながり、大潮のタイミングで吹き上がってきた熱水反応とか、偶然かもしれませんが仮説程度には考慮の余地はありそうです。
どうかな?無理あるかな?
ちょっとあるね。

阿蘇山

せっかくなのでごく最近、これまた噴火警戒レベル1のまま噴火したので個人的には驚いた、阿蘇山でもみてみましょう。

Screenshot 2014-10-02 00.41.10

8月30日、31日 熊本県・阿蘇山の中岳第1火口 小規模噴火

あ、これまた大潮の下りかけのところ。結構いけてる予測な気がしてきました。
まあ、地震と同じく忌避日はわかっても予想には役立ちませんが。
もっとももうこういうのは火山学者には既知なのかもしれませんね。

その他

わたしが第一報を知ったのはツイッターで流れてきたyoutubeの噴火に巻き込まれるという動画でした。ニュース速報に触れるよりも早く、そして動画があまりにも緊迫感のあるものであった故、驚いた次第です。初期のニュース速報では「岳」の漢字で報道があり東京都の奥多摩の「みたけ」かと一瞬おもったのですが、長野、岐阜の県境の「おんたけ」でした。いずれにしても著名な山。それほどの山であってもなんの前触れもなく登山者が頂上を目指している最中に噴火してしまうのかと、本当に驚きました。

噴火を予見したような書き込みがあり、噴火男と呼ばれているという人がありましたね。
うちの父親も、登った山が翌週だとか翌月に噴火したとかいう経験が2度ほどあって本人のネタになっているので、「なに、御嶽山も登ってきたの?」って聞いたら「みたけなら先月のぼった・・・」と言われました。

・・・。

引用元等

>
噴火7分前、山体の膨張を観測 気象庁、予知は困難か
噴火が始まる約7分前に山体がわずかに膨らむ変化が観測されていたことが分かった
www.asahi.com/articles/ASG9Y0J13G9XULBJ01R.html
<<

>
御嶽山の噴火のニュースで困惑したこと
finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/09/post-dde3.html
9月10日からの火山性地震及び火山性微動の回数(速報値を含む)は以
下のとおりです。
             火山性地震 火山性微動
 9月10日        52回     0回
 9月11日        85回     0回
 9月12日        10回     0回
 9月13日         7回     0回
 9月14日         8回     0回
 9月15日        27回     0回
 9月16日(15時まで) 12回     0回
<<

御嶽山噴火で勝間和代氏に非難の声!「大規模噴火は数千年に一度。警戒は無駄」
matome.naver.jp/odai/2141182494501618101
動画を確認したが、勝間氏がそのような旨で発言したとは汲み取れない。タイトルは釣りですね。

入札価格のハードの方が99.9%のほうが気になった。
さすがに…とも思ったけど、想定しているハードの見積もりを各社とってから、その中から想定スペックをあげてその価格を予定価格にしたのであれば、そんな感じになるのかなと。
火山の観測装置とか民生転用もできないから、インテグレーターがいくら集まっても、お付き合いで入札が1社になるのもやむない話しなのかなとも思った。まあそういうのをパージしちゃうと誰もやる会社なくなって技術が断絶しちゃうんだろうね。

御嶽山頂の地震計、昨夏から故障 噴火時、観測できず
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140930-00000019-asahi-soci
山頂付近に長野県が設置した地震計が、昨年8月から故障で観測できない状態だったことが30日、わかった

国立天文台の情報より
www.data.jma.go.jp/kaiyou/db/tide/suisan/suisan.php

新月・満月の時刻表 最新2014年度版
eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/

国土交通省>気象庁
ホーム > 各種データ・資料 > 海洋の健康診断表 > 潮汐・海面水位に関する診断表、データ > 潮位表
www.data.jma.go.jp/kaiyou/db/tide/suisan/

地球潮汐 - 陸地の干潮・満潮
www.eri.u-tokyo.ac.jp/okubo/ResearchHP/HP38.EarthTide.pdf


ぼっち主義はシゾイドパーソナリティ障害


シゾイドパーソナリティ障害(スキゾイドとも言う)というものがある。

  • ぼっちが好き
  • 他者と親密な関係をもちたいとは思わないか、あるいはそれを楽しく感じない
  • 親しい友人、信頼できる友人がいない
  • 性体験への興味がもしあったとしても少ししかない
  • 喜びを感じられるような活動がもしあったとしても少ししかない
  • 賞賛にも批判に対しても無関心にみえる
  • よそよそしさ、超然とした態度あるいは平板な感情

4つ以上当てはまったら君も立派なシゾイドパーソナリティ障害だっ!
障害とあるが一般人口の7.5%と結構な割合に及ぶそうで、男性のほうが女性より2倍多い。遺伝起因。
社会生活を営むにあたり、他人に迷惑をかけるわけでもなく本人も生活する上で困ることが何一つない。そんな障害。

口数少ない職人気質のオヤジさんのイメージだろうか。あれが多分シゾイドだよね。
なんかこれをみて、凄く腑に落ちた。多分俺もスキゾイドだなと思ったわけです。

世の中には理性が負けちゃう性欲異常者がいるように、理性が強すぎるのも後天的な性格形成の問題だと思っていました。男性の発現率が2倍ということは劣勢遺伝かね。7.5%ともなるとかつて見合い結婚とかで結婚してた層とかはまるごとシゾイドなんじゃないかなとも思える。

  1. ぼっちでいることが苦にならず、むしろ性に合っている
  2. 他者への関心や関わりへの欲求が乏しい
  3. 流行やファッション、外見にも関心がない
  4. 自分から話し始めることを避ける
  5. 時に奇異な喩えを使うことがある
  6. 無生物や形而上学的概念に魅了されたり、数学、天文学、哲学的運動に興味をもつ
  7. 他人の賞賛や批判に対して無関心に見える
  8. よく知らない人と親密であるという不確かに我慢が必要

特徴抽出をおこなうとこんな感じだろうか・・・。心当たりありまくる人はいないだろうか。ありまくるんですけど・・・。世の中にはさみしがりやが居る。おしゃべりがいる。多動なやつがいる。枯山水の前に座らせたら3分と我慢できない人もいるのは想像もできる。でも黙って座らせたら枯山水楽しんじゃったりしてずっと座ってるようなやつもそれはそれで障害だということか。そもそも遺伝レベルで個体ごとにそれほどまでに興味関心にずれがあるとは思っていなかったな。ふむ。

学校で一緒に昼食をとる友達がおらず、便所の個室でご飯を食べるのを便所飯というそうな。便所飯のひとは確かに孤独であるが、他者からの目が気になっているという意味ではシゾイドではないのだろう。別に他人からどう思われようがあんま気にならなず、景色がいいところとか、そういう自己の価値観で気に入ったところで飯を食いだすんじゃないかと思う。屋上とか日当たりのいい土手とかね。一人でそういうところに行ってしまうやついなかった?きっとそういう奴。

異性にモテたいのにモテないのでこじらせてしまったり、友達が欲しいのにできずに鬱憤がたまってしまったり、自己の評価が不当だと感じて鬱積してなにかの複雑性とからまったりなんてことがシゾイドにはない。欲求が薄いので犯罪には走らないが、同時に名誉をあたえても金をあたえてもそれをモチベーションに釣ることができないので組織としてはちょっと度し難い。仕事のできるできないの個人の能力とは別なのもちょっと分かり難くい理由なのかも。
そういえば西郷隆盛は「命もいらず名もいらず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。」と評されたそうだ。まあ使うほうからすると困るよね。

いやぁ、こういうのは後天的な体験から形成された価値観だと思ってたんですよね。
変な喩えとかを使うのも、暗黙的に知っている知識が違うので、その暗黙知のすり合わせができてないから伝わらないとだけ思ってたんだけど、そもそも暗黙知がずれるということが既に興味が他にむいているということだと。
それぞれの項目を自分の体験とヒモ付て、なんでこういう価値観になったのかというのを結論づけていたのだけど、自分は気質として他人からの評価をそもそも気にしない傾向があるので、ほっておくとどんどん仙人化するから気をつけようと思えるようになっただけでちょっと収穫かもと思いましたとさ。

そんなわけで、今日は誕生日でした!(こういう空気の読まなさがシゾイド

**参考
www.e-heartclinic.com/kokoro/senmon/spd01.html
シゾイドーソナリティ障害は一般人口の7.5%、喜怒哀楽の感情、他者への関心や関わりへの欲求が乏しく周囲からの評価には無頓着、流行やファッションと無縁。無生物や形而上学的概念から数学,天文学,哲学的運動に興味。孤立した生活様式。時に奇異な喩えを使うことがあります。

ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BE%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E9%9A%9C%E5%AE%B3

「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」を追求するモラトリアム人間は、心理的性格としてシゾイド(分裂症)的だと言われます。
www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/okono/3.htm

「命もいらず名もいらず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業はなし得られぬなり」
sasakitsuneo.jp/leader/04.html


スコットランド独立がどうこうのあれこれ


初めてのあてもない一人旅はスコットランドだった。16歳の夏であったろうか。
当時英国の左っかわの方に両親が住んでいたこともあり、それまでも一人で海外行きの飛行機にのったりなど国内外一人で長距離移動するのも比較的慣れたものであったのだが、宿泊先がきまっていたり、どの電車に乗ればいいかなど路順を事前に調べてもらったりしていたので旅という旅ではなかったように思う。

まだ青臭いガキンチョはどこに泊まるかも決めずに、ちょっとスコットランドの方に行ってくるねと行って旅に出た。
宿泊地はグラスゴーとエディンバラ。その後、私もおっさんになり世界各地いろいろなところに行った気もするのだが、はじめてタヨリもアテもない一人旅であったゆえ、最初の宿泊地グラスゴーという都市だけは今でも鮮烈に覚えている。

当時のグラスゴーは強烈な不況にあえいでいて、英国内でも最悪に近い状態の治安の悪い都市の一つだった。サッチャー政権が1980年頃に炭鉱閉鎖を決めたため街には失業者があふれていた。その失業問題は以後20年以上解消できないままでいた。無論当時の私はそんな事など知ろう由もない。

グラスゴーの駅にあったインフォメーションで朝食のついた安い宿泊施設を案内してもらい、B&Bというよりはホテルに近いエレベータのあるユースに泊まる。ちょっと厚めのベーコンとソーセージにハッシュドポテト、目玉焼きと薄いパン。シリアルとやたらに美味しい牛乳とオレンジジュースのありふれた朝食を寝坊して食べ損なったのを今でも記憶しているのだから食べ物の恨みというのは恐ろしい。自業自得なのだが…。はて、食事の内容を覚えているのに食べれなかったことも覚えているということはどういうことだろうか。数泊したのだろうか? もしかしたら行きと帰りで立ち寄ったのかもしれない。

まあ、そんな宿泊施設。地上から4~5階だっただろうか、街の屋根を見下ろせる程度の高さの部屋であったことは覚えている。鉄パイプと薄いマットのベッドに大きいソファー・チェアー。夜、開けた窓から乾いた炸裂音が何度か聞こえた。パン、パンパンと。そんな音がたびたび。何度か。これダメなほうの炸裂音だと気がついたときに気休めにドアの前に大きめの椅子を動かしてバリケードを築いてから寝たのは別に臆病だと責められるほどでもないように思う。あぁ、寝坊も許されようというものだ。

経済が悪いのはすべてイングランドのせいらしい。そんなスコットランドが独立したいのだという。
グラスゴーでは賛成派が反対派をうわまったが全体では否決された。

東京の地下鉄でサリン事件が起きていた頃、ロンドンの地下鉄ではIRA(アイルランド共和軍?)のものとみられる爆弾テロが相次いでいた。彼らは昔からなんとしでも独立したいのだ。独立を主張したいのだ。失敗した今、またかつてのように先鋭化した集団が過激な手段がとられないことを願うばかりだ。

日本では英国のことを「イギリス」と呼称する。しかしアイルランドとかでイギリスなんていおうものなら、胸ぐらぐらいは掴まれることは覚悟しなければいけない。イギリスとはイングランドのことであって、スコットランドはイギリスではないのだと物静かそうなおじいさんからも説教をうけるだろう。日本の学校で習ったような英語をつかうとアメリカ人みたいな言い方はやめろと注意される。とても気むずかしい地域なのだ。ちなみにイギリスといわれて快く思わない地域は多いので、日本以外ではユナイデット・キングダム、U.K(ユーケー)と言うのが無難である。あ、もちろん日本でUKなんていおうものなら生暖かい目をされるので、日本では空気を読んでイギリスと言うようにしよう。空気を読んだ世渡りはかくも難しいものである。

言葉も違うし、違うことも強いこだわりがあって、違う通貨も出回っている。(通貨単位は一緒のポンドなのだけど、アイルランド中央銀行というものがあって、違う肖像のお札やコインが出回っていたりする。いまでもあるのかな?)

また万里の長城のように、イングランドとスコットランドの間にはハドリアンウォール(ハドリアンズウォール)という列島を東西に横断する物理的な壁がある。
これは神聖ローマ帝国時代に国境線としてAD122年頃から建設が始まったもので、当時のローマ帝国も抵抗が激しいスコットランド側の平定を諦めることに決めた地点でもある。かれらの先祖はローマ帝国ですら退けた。つまり、2000年も前からかの地は併合容易ならざらぬ地域なのだ。

ロシアとクリミア、シリアの問題、イスラム国の問題、中国と南沙諸島の問題。いつだって国境とそこに帰属する人たちの問題は地球上から一度たりとも消えたことがない。一度収まった国境ですら今回のように分離を叫ばれることがある。所以はどうあれ現代国家の一部地域が独立を果たすというのは生易しいものではない。生易しい問題ではないが、まったく考えなくてもよいわけでもない。

近代国家が戦争をするというコストはかつてのそれより格段にあがってきている。
かつて戦争をすることによって得られる利益というものがあったが、近代国家は戦争によって得られる利益よりも損失のほうが大きくなっている。

近代戦による焦土化、戦争による経済の停滞、国際商流からの仲間はずれ、負傷兵への保証、家族への保証、国際連合からの報復。いずれも、先進国であればあるほど看過できない問題だ。また勝っても併合コストは生易しいものでない。得られるものよりも失うもののほうが大きすぎるため先進国同士での戦争はわずか数十年ばかりではあるがこれまでは回避されてきた。

戦争をすることのコストがあがり、戦争の脅威が少しでも遠くにおいやられると抑止力たる暴力装置(軍)の問題がうかびあがる。軍などは集約化したほうが運用コストが下がる。市町村で組織された自警団をいくらたばねても軍にはらならいが、市町村を束ねてから国をつくり国の自警団をつくれば軍隊になる。ある種の大掛かりなものは国というレベルで運用したほうが、コストも下がり成果があがる。

しかし、国より大きな枠組ができたときはどうか。国連という連合組織や、EUという協同運用体がスコットランドにとっては、イングランドと組むよりもよいのではないかと天秤にかけることができるようになる。国よりも大掛かりな経済的な枠組み、治安維持装置ができてしまうとこんどは国という枠組みが形骸化する。

国の眼目は秩序を維持するための暴力装置と、通貨を運用し信用を維持するだけの信用。それを支える税収、その集まった税を分配する分配権にある。税の再分配は不平等を感じさせるものであってはならないし、信用を維持するためには将来にわたり継続性が予見されなければならない。

信用担保のための通貨(ユーロ)は国連やEUに依存できるとしたときに、先進国の一部地域の独立というのは選択肢としてありうるべきものとなる。

現実問題として考えると、スコットランドが独立することへの経済的な合理性はまったくもってないし、そもそもユーロに加盟できるのかとか、軍の問題はどうするのかとか、秩序維持ができるのかとか、通貨の信用性は担保できるのかなど、外部からみると、人々が扇動されているようにしかおもえない熱病にうなされた何かなのだが、それがアイデンティティなのだよと言われれば、なるほどそうなのかとも思わなくもない。

変化に対するリスクが考慮され今回は否決されたが、このような問題は再噴することだろう。もしかしたらそれはスコットランドでではないかもしれないが、国というものが地域のあつまりで集合離散を繰り返すものであるのであるので外部の環境が変われば国の状態もかわる。

やらかした国への国際制裁がうまく機能しなかったとき、内政的要員により指導者が誤った判断をするしか選択肢がないとき、大衆扇動がうまく機能したとき、自然や人的な災害に見舞われた時。ささいな連続性の喪失で変化は突然に訪れる。

やれやれ、なんの話しであったか。
おおぉそうじゃった。国じゃったな。
かつて人々は国をつくるメリットを見出した。お互い少しづつ譲りあって大道合意形成をする。国は最大公約数的な枠組みをつくる。経済連携などで国同士があつまって妥協点を探る。大きな枠組が完成に近づくにつれ、最小単位は国からもうすこし小さなユニットになる可能性は十分にある。

日本全体を指す時、全国という言葉がつかわれる。日本もお国の集合体なのだ。