代議士制についての検討


えらそうなタイトルで今日も上から目線!
政治というものが機能している実感があまりない。というか、まー、ほとんどない。

商店街のようなオールドエコノミーに触れるようになって、政治家っていうのはこういうところに生息しているんだと気がつくようにはなったけれども、それでも国会議員の秘書にフィリピンパブいかいないのと軽口いうぐらいしかすることはない。

政治活動はめんどくさい人たちが幅をきかせていているので絡んじゃダメなものだと、現認している。しかし、重要なことは一応はそこで決まっていて、社会統計とか、現場の実感からはそりゃねぇだろうょお代官様というのが庶民的実感。

 

で、議員定数の削減が叫ばれていますが、私は逆に少なすぎるんじゃねぇのと思うわけです。
うちの市とか18万人もいるんだから、市議とか200人ぐらいにしたらいいのにと思う。
いや、真面目に!

 

確かにね、議会運営費や、議員報酬、活動費、さらには議員年金までいたれりつくせりなうえに、議員立法どころか発言回数までゼロの議員の必要性は自分にはわからないのだけれども、そんな議員様は減っても決議権をもつ議員は増えてもいいんじゃないのと思うわけです。議員が多すぎるんじゃなくて職業議員が多すぎるんっすわ。

 

 

そもそも、地方議会の議員は手弁当で報酬もでず議員専業ではない国も多い。多いというか、諸外国では基礎自治体レベルの議員は名誉職と考えられているので規定の給与がある例のほうがすくない。というか、あるの?
北九州市で2年4ヶ月全議会を欠席しる議員へ報酬が3千万円超支給されたとかニュースになってたけど、さすがとしかいいようがないよね。それで財政収支赤字なんだよ?

cf.総務省資料:諸外国における地方自治体の議会制度について

クリックしてNo29_senmon_5_si2.pdfにアクセス

英国:名誉職。議会では給与は基本支給されていない。
ドイツ:議会は夕方開催され、議員活動により収入に損失を受けた場合に補償される制度だ。こちらも名誉職の規定。
スウェーデン:基本は無給で専業職ではない。議長や委員長などコミッショナーのみフルタイム専業として報酬。
フランス:基礎自治体、コミューンの議員は基本的に無償。広域デパルトマン・レジオンには手当。
イタリア:出席に応じた日当を支給。
韓国:無報酬の非常勤であったが2003年に名誉職の部分を法改正で削除。

人口数千人の村ですら専業政治家を配備しようと制度設計されたのはなんでなんだろう?
イギリスやアメリカからの議会制民主主義の輸入であれば地方の議員は無報酬の名誉職になってるはずなんだけど。明治維新の士族や卒族への秩禄処分で生活が破綻しちゃうからとかの迂回とかかな????
現代までそれが続いていて、基礎自治体の収支をみると財政収支おかしなことになってるけれども、それを決める人たちが利害関係者だから議論もされないよね。
どのような経緯で議員に報酬がでることがあたりまえになったのだろうか?
総務省の資料をこうやってみると、各国並で日本の議員数が特段すくないようには見えない。

 

基礎自治体における議席数比較2016-02-09 18_22_32-No29_senmon_5_si2.pdf

基礎自治体における議席数
でも、本当かな???
日本で2,000人あたりに14議席もあるようには感じられないんだが????

 

代議士制が始まった、大日本帝国時の衆議院発足時の議員定数と日本の人口の推移とぶつけてちょっと調べてみた。

年代/衆議院議員定数/日本人口/何人あたり

1890年 300人 5,596万人 18.7万人 ←第1回衆議院議員総選挙
1925年 466人 5,974万人 12.8万人 ←普通選挙法公布
1954年 467人 8,829万人 18.9万人
1967年 486人 10,024万人 20.6万人
1970年 491人 10,372万人 21.1万人
1976年 511人 11,309万人 22.1万人
1986年 512人 12,167万人 23.8万人
1993年 511人 12,476万人 24.4万人
1996年 500人 12,586万人 25.2万人
2000年 480人 12,693万人 26.4万人
2015年 475人 12,689万人 26.7万人

※人口統計が1920年からなので1920年の人口データを使用
www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000000090004&cycode=0
www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/ugoki/h12ugoki/h12tokei/h12tou01.htm
衆議院議員定数の推移でまとまっているものがなかったので、あちらこちらから適当に虫食い引用。

@ひとりあたりの議員数

衆議院議員2015-12-16 14_40_44-05k5-4.xls- Excel
衆議院議員で26.7万人分の意見を代議することになっている。

 
同様に地方議会
地方公共団体の議会の議員及び長の所属党派別人員調

最新の資料 平成26年12月31日現在 H26.12.31 の議員定数情報
www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/syozoku/ichiran.html

と、resas.jp の人口構成統計 2015から都道府県、市、23区特別区、町村の人口をフィルタ&集計して各議員定数で割った。

総人口 126,597,298人
都道府県議会議員定数2,733人
県議会議員は46,321人を代表する
特別区人口(東京23区)9,084,451人
特別区議員定数 906
都議会議員は10,027人を代表する
市人口125,839,822人
市議数定数19,024人
市議会議員は6,615人を代表する

町人口 9,788,030人
村人口 556,675人
町村人口計 10,344,705
町村議会議定数 11,467
超村議会議員は902人を代表する

有権者あたりのとすれば分母が小さくなるけれども、それでも、20歳未満人口を考えればせいぜい2割もないぐらいだろう。だとすればいちばん多い市の想定でも、せいぜい5,000人に1議席じゃない?
2,000人に14議席と35倍ぐらい差があるんだけど???

いんぼーだ!!(典型的なめんどくさい意見)

 
まあそんなわけで、代議士制を機能させようとするならば、議員定数は少なくとも10倍ぐらいにしたほうがいいんじゃねぇかなと。幸せの最大公約数、負担の最小公倍数として、地域で全体最適化をするのが代議士制なのじゃないかなとおもうのだけど、実態は無理な合議制にして声のでかい数人の意見がぶつかって座礁する、民主主義なわけで、ちょっとどうなんだろうねと。狭い範囲の意見しか代議しないから議会が決定権を持たずに前例ことなかれ主義にならざるを得ないよね。

 

もしこれが株式会社ならだよ?
全役職全階級募集で各自フォーマットの履歴書提出、ペーパテストはなく、面接(ただし試験官は質問はできない)のみとなれば、できない約束ばかりを繰り返す口達者な営業職しかいない会社が出来上がるのもあたりまえだわ。
「アレはオレがやった」だのの「アレオレ詐欺」が手柄を喧伝するだけになるよね。やらせてみたら何もできなかった。実態は官僚にアウトソースするだけ。「オレは入社試験を突破したんだ信を得ている」となる。

 

選挙により信を得ているとかいうけれども、実際は6,000人とか26万人の意見を代議しているわけではなく、ちょっと騒がし煩い人たちだったり利益誘導に熱心なグリード(貪欲)達の意見を代表するだけになるのもやむないこと。
せめて役職ごとに募集するか、テーマごとに議会をたてて有識者に代議してもらうか、いっそ陪審員みたいにサンプリングによる議会とかのほうが機能するんじゃねぇのと思う。ま、選挙カーぐるぐるまわすだけだと実質なにもできない議会しかできあがんないよね。なんでこんな風になったんだろうね。学術的な研究ないのかな?

 

 

 

 

 

追記:

書評で代議制民主主義なる本があることを知った。そのうち読んでみよう。
評 池内恵さん
dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books/2-0045511.html?page=2016-02-14


国債のマイナス金利と政策金利のマイナス


日銀がマイナス金利をこのタイミングで実施するのはマネタリーベースを考えればいたしかたのないことだ。

日本マネタリーベース2016-01-30 17_58_08-m.csv - Excel

マネタリーベースはなにかってぇと、日銀がうほほーーいって発行したお金の残高のことね。

マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」
www.boj.or.jp/statistics/outline/exp/exbase.htm/

みてわかる通り、ここ数年でぐゎぁあああーあああああああーーああああああああああひょーぅ!って感じで増えている。左軸は億円。右軸は億ドル(黄緑の線がドル換算)ね、当時の月中平均レートでドル円換算したときの平均残高だよ。ちょっとわかりにくいかな?
2013/1の発行残高は1,319,205億円だったのが、2015/12には3,463,793億円になっている。

ざっと2.6倍!

きっと、みんなの貯金も2倍にはなっていることだろう。ん?まだ??
ま、まさに異次元って感じで、お金発行しすぎだっちゅうの!っていいたいけれども、これもそれも他国の中央銀行が先に刷りまくって世界中でお金がボンボン増えているからしかたのない話し。増えすぎたお金に金利をつけるとさらにどんどん増えていってしまうからマイナス金利の登場ってわけさ。

主要時系列統計データ表(月次)
www.stat-search.boj.or.jp/ssi/mtshtml/m.html

リーマン・ショックかベア・スターンズショックか

リーマン・ショックは突然おきたわけではなく、その前にサブプライムによる危機を顕在化させ経営危機に陥ったベア・スターンズのほうがニュースとしては衝撃度が強かった。もし、今後リーマン・ショックのような事態になるのだとすれば、その引き金どうこうは今回の日銀のマイナス金利よりもギリシャ危機の横でひっそりと為されたプエルトリコ国債の実質デフォルトが象徴としてあげられるんじゃないかな。

マイナス金利が近代で普通に登場するようになって猛威を振るいだしたのは2014年末から2015年の初頭に掛けてだ。去年スイス中央銀行が市場に仕掛けた阿鼻叫喚は記憶に新しいけれども、今年も日経のあれから日銀の発表までの乱高下で死人がでるかとおもうと、なんだかなーという気分にはなる。

2015/5/16
スイスフラン騒動で大儲けした人と大損した人の阿鼻叫喚の叫びまとめ #fx
matome.naver.jp/odai/2142132210649651101

リスクフリーであるはずの国債の取引金利が、日本国債だけでなく財政健全化をはたしつつあるドイツのような国でも昨年からマイナス金利が発生している。政策金利よりもわかりやすく先行しているように感じるので注目すべきかもしんない。

金融業と金利

利率を理解することは、資本主義社会においてより自由に生きていくための最低必要条件であると思うのだが、複利や現在価値と将来価値を基礎的教育に組み込まれていないので、んー、日本において、それらの本質的な意味を理解している人はとても少ないように感じる。うん。たぶん。

ちょっと暴論かもしれないけれど、多くの人は現金3億円と収益率15%がついている5,000万円の資産、どちらがお得かの比較検討するための素養をもっていない。説明変数を明示すれば計算をすることはできる人は多いだろうが、実際には関係する変数がとても多いため、その実情を理解し判断まですることはとてもむずかしい。何が変数として関わってくるか見えないからだ。
例えば、所得税がいくらになるだの、固定資産税はいくらで計算しなきゃいけないだの、相続税が何%だの、リスクは何%で計算したほうがいいだののマイナス率も混在するし、そうすると何年で損益分岐に達するだのという理解まで辿りつけず、結果、判断を誤る確度が高くなってしまうこともある。結局、金利だの収益率だのを気にすることができるのは資産家やその重要性を理解している人を雇うことができる人だけのものになってしまっている。
これは、いずれ書こうとおもってたのだけれども、日本の全95産業中分類における付加価値額の分散から偏差値を去年ちょろりと計算してみたのだが、銀行業の付加価値額の偏差値が139あることがわかった。
「偏差値が」である。偏差値139
平均偏差は3.46だ。上位下位の5産業を除くと平均偏差は0.74に収斂するのに・・・。
これは例えるなら、学内のマラソン大会で一人だけスクーターで参戦した結果を報告してくるようなもんだ。
まあ、つまり、何がいいたいかというと、ちょっと違うルールで参戦しているやつが混じってるぞ。と。
でも、そこで増えた金は区別なく労働資本市場に混ざってきているんだよね。

 

ソニーが「あれは金融会社だ」とか言われて久しいけれども、日本の製造業で大企業と言われている企業でも結局その利益を出しているのは金融部門からくる特別損益だったり、最近は苦しんでいるあの企業だってフランチャイジーへの店舗売却を特別損益ではなく循環利益に組み込んでしれっと報告していたりしてどうなってるのよと思わせてくれたり、過大な設備投資で苦しんでいるあの企業だって結局は設備投資をしたために借り入れの失敗だからね。楽天創業者も銀行出身で、最近はカードに力をいれるのとかをみていると金融事業になってきたなーと感想を持つことぐらい許されるよね。

 

お金で労働力や設備を買って、ものづくりをしてお金を稼いだり、サービスに変換してお金を稼いだりするよりも、お金を増やすならばお金に働いてもらってお金のほうで勝手に増えてもらったほうが効率がいいいのはあたりまえで、現状、お金を稼ぐにあたり、労働集約的産業と金融業では同じルールで競争していると言うことはできない。
中世では金利を禁じている国がある程度に、金利は為政者を悩ませる問題だった。
ここらへんは去年、ピケティ回(タグ:財福主義)でブログにしっつっこく書いたので、興味があるひとは読んでみてね。シリーズにしちゃって相当長いから「マイナス金利」でブログ内ぐぐると関連箇所がでてくるかも。

銀行の役割

日本銀行のような中央銀行の役割は信用の創造であり、信用を創造することで物価を安定させお金に価値をもたらすことである。で、民間の銀行や信用金庫はお金を貸し付けることで、その信用を再創造することが役割だ。

 
近代の銀行がおこなっている業務とはなんであろうか。
貯金で集まったお金に0.02%の利率をつけて、0.9~3.5%の金利をつけて企業に融資することだろうか?
「晴れの日に傘を貸付ようとし雨の日に傘を奪う」とも揶揄されているが、これも仕組みから考えればいたしかたのないことである。

 
通常、銀行がおこなう貸付には「事故がおきた」ときのために保険がかけられており、貸付先が倒産したときには保険により即刻全額が補填される。だから、無理に返してもらうよりは、いっそ潰れてくれたほうが損も手間もなく貸付金を回収できるのだ。

 
で、その保険をかけるために、企業の業種分類ごとに財務内容を調査して破綻懸念先だの実質破綻先だのの分類がなされ、財務基盤に影響がでないようにするために貸付金に対して貸し倒れ引当金が積みあげなければならない。貸付先の財務内容が良ければ積立額をひくいままで貸せるし、悪くなれば貸せなくなる。
ビジネスモデルや将来性、雇用だのを審査などはする必要はなく、実績として儲かっていればより金を貸してブーストさせ、損が出始めたら手を引くという設計なのだ。

 

ちなみにだが、貸出融資に保険を掛けない銀行が日本には一行だけある。
政府が100%出資している日本政策金融公庫なのだが、これは独立行政法人の再編時に国金と信用保証の部門が統合されてしまったために、自分で自分に保険を掛けるのは意味がないので、貸付にここだけは保険をかけていない。貸せないような業者に貸せるのは国金だからではなく、ここだけルールが違うからだ。

 

そういう意味で、日本の市中の銀行が信用の再創造をおこなっているというよりは、中小企業には社長を連帯保証人して保険を掛けられるように書類整理をおこなう程度だし、大企業には値踏みできないような新しいことはさせずに、可算しやすい設備投資のみに資金供給をおこなう仕組みになっている。

 

審査といっても財務上の書類業務になってしまうので、外資の監査法人がもつような、コンサルティング能力とか事業や市場のバリュエーション能力を貸出金融産業が蓄積していくことができていない。ここらへんが日本の基盤産業の産業競争力をこの数十年削いでいる主な理由であるように思う。
というかね、為政者側が日本ではイノベーションが産まれないとか嘆く声が聞こえるけれども、むしろ、なんで産まれてくるとおもってんのかな?新しい挑戦者はでてこないように仕組みを整えてあるんだから当然だよね?

 

市場の暴落と景況感

年明けから中国を震源として株価が暴落している。
中国ではまだ生活に影響がでていない、関係ないという報道があった。

中国人に聞く「実際のところ景気どうですか?」
wedge.ismedia.jp/articles/-/5903

 

金融市場は信用創造、資金調達にかかわる部分なので先行する指標である。商品先物市場で考えるとわかりやすいけどここは6ヶ月先に取引する商品の値段を決定している。
もともとは、今年は大豆が不作だからお米の需要がたかまって米価はあがるなーとか、収穫前に取引価格を決めていく相場だ。次に仕入れるときの価格を決めているのが市場。だから、その価格で取引されたものが、

生産者→仲買人→卸→小売業者→消費者

ってな感じにだんだんと反映されていって、先物価格が反映された価格で店頭に並ぶのは半年以上先になるってわけさ。

 

余談だけれども紅茶には先物市場とかがないけど、コーヒー豆には先物市場があるので、それを見る限り2011年や2015年みたいな高騰はなさそうだからコーヒー好きさんはよかったね。円安は影響あるだろうけどさ。
逆に紅茶とかハーブは円安やら南インド側の天候不順によって卸値がめっちゃくちゃになってて泣きそう。みんな泣いて。今年あまり仕入れられないなー・・・。2倍ぐらい違うんだ。いやになっちゃうね。

 

1.株価の減少により資産額が減少する
貸付の根拠にしていた資産額が減少し財務の悪化。貸し付けていた側の銀行などは、さらなる担保を求めたりする。

2.貸し剥がし
信用が減少したので、引当金を増額をもとめられるわけだが、これに応じられないと、貸付金の引き上げ(貸し剥がし)や、新たな(貸し渋り)が発生する。

3.経営の困難
やっている事は変わらなくても資本の調達が困難になり、貸付金利の条件が悪化するために利益をあげることができなくなってくる。

4.生活苦しくね?
会社が利益あげられないから給料下がるし、従業員整理はじまるし、新規で従業員募集しているところはないし、生産力が落ちるから物価はあがるし、海外品のほうが安くなるし、よけい地場のものが売れなくなるし、あれ、生活苦しね?の状態になる。
まあ、そんな感じで、資金市場の悪化が生活に影響あるのなんてもっと先だよ。すくなくとも1年程度はかかるよ。
心配なのは消費税増税のタイミングと経済的ショックが重なると、ちょっとえらいことだよね。

 

利益率と金利

おまけネタ。
上場している企業の業種別の利益率(ROE)

決算短信集計結果
www.jpx.co.jp/markets/statistics-equities/examination/
市場第一部・二部・マザーズ・JASDAQ合計

クリックしてrenketsu_goukei2015_3.pdfにアクセス

 

5-8% 程度であるが、日本の企業業績はいまのところ順調っと。

 

2016-01-30 14_19_53-renketsu_goukei2015_3.pdf 2016-01-30 14_22_51-renketsu_goukei2015_3.pdf

 

 

 
ん。で、何がおきるんですかね?


iコンピテンシ・ディクショナリと無意識的無能


情報処理試験やらでお馴染みのIPAさん「いまオシ」のiコンピテンシ・ディクショナリ(以下、iDC)のセミナー聞いてきました。オレが聞いてどうするという感じなのだけれど、聞いたというか、主催側なので・・・。

 

規模的に60人以上技術者を抱えている受託や派遣型のソフトハウスぐらいからは効果を発揮するんじゃないかなと感じました。業務上ISOとかPマークとかを取得しないといけないような会社にはいいとおもう。iDCはITスキル標準(ITSS)みたいな何かです。2014/7に試用版を公開して、2015/6に2015版を公開、ちょうど今頃に前年の取り組みや実績があがってきた感じです。

 

プレス発表 企業の目的に応じた人材育成に利用できる「i コンピテンシ ディクショナリ2015」を公開
www.ipa.go.jp/about/press/20150630.html

ここらへんは情報システムユーザースキル標準(UISS)、組込み技術者スキル標準(ETSS)などわちゃわちゃしているんですが、ここらへんがまとまってきた感じなんでしょうか?流行りもの感はぬぐえませんが、それだけ要望が強い分野でもあります。
iDCは主にタスクディクショナリとスキルディクショナリから構成されていて、業務遂行にあたりスキルセットを確認するためのチェックツール(というよりリスト)になっています。なんかIT系のヘッドハンターとかがヒアリングしながら値踏みしていくときのチェックしていくシートっぽいよね。

 

これをつかって抱える人材の弱点や強みの確認や、人材育成や教育にやくだてていきましょう。ということです。
印象としてはPMBOK(ピンボック/プロジェクトマネジメント標準知識体系ガイド)ぽいなーと。設計のときに相互互換は考慮したというようなことは言っていました。

 
ただ、なんかこういう評価項目がupWorks(oDesk/海外のクラウドソーシングのサービス)とかにあったら、外国の人、特にインド人とかは全部に◎をつけてゴリゴリっとアピール返してくるよね、と。そういうときどうしたらいいんだろうね?

学習には段階があって、よくいわれているのは、

1.無意識的無能:できないことがわかってない状態
2.意識的無能:できないことがわかっている状態
3.意識的有能:意識すればできる状態
4.無意識的有能:意識するまでもなくできる状態

とかになっているって言うじゃないですか。(たしか本当は5段階)
こういう自己申告によるチェックリストの場合、

「できないことすらわかっていない人物」と「できることを意識する必要もない人物」が、同じ自己評価になる可能性があるんですよね。

例えば、
Q「(戦略) 市場機会の評価と選定 > ビジネス環境分析手法 > ニーズ&ウォンツの把握」

無意識的無能くん「◎だろ、余裕ダシ!フンイキでびしばし伝わっし!いつもやってっし!!」
無意識的有能さん「☓かな。難しいんだよね。こないだも顧客の要望汲み取りきれなかったし…」
なんて具合いに、予想される成果から判断すると評価が逆転する可能性すらある。
そもそもできる子のほうが状況把握が正確なので評価が厳し目になる。
「できる子」は条件が出揃わない状況で安易にできるとか言えないもんですし。

 

それに、「できる」と言っても、アウトプットが金になるレベルとゴミにしかならないレベルは実際には混在する。そんで、業界や所属会社によってはゴミでも金にできたりするのが、またなんとも・・・難しいところ。
プログラミングも成果物と実績でしか評価できないという点では、小説家や作曲家とたいしてかわらないのだけれども、「漢字が書ける」「バイエルンが弾ける」を持ってして、同じスキルやタスクを処理できるものとしてあつかっていいものか?
正確にその部分だけを反復して市場で競争するわけではないから、外形評価も自己評価もとても難しい。
それに同じ作者だって名作と駄作は混在する。
定量的な何かがないと、スキルセットとしてはインディケーター(ものさし)の問題がつきまとう。
人間も負荷をかけてベンチマークをとることぐらいはできるけれども、やはり表層的にならざるを得ない。

「握力20Kgなのに大車輪ができるのはおかしい」とか、コンピテンシーディクショナリがビッグデータになるほどデータを貯めてスキルやタスクの相関が見えるようになっていけば、無意識的無能と無意識的有能の区別がつくようになるかな?

 

でもコワーキングとかコライティングとかの協創の未来を予想すると、寄与度がどうこうだとか、いばらの道になるかもしれないし、どうなんだろーねー。

人から評価されたり評価したりする世界から遠のいちゃってるので、鈍って答えが出ません。

 

どうおもいます?