生産性の変革で戦争はおきた


あけましておめでとうございます。年初そうそう重テーマ。

昨年はAI元年だったなー、だとするとまた産業革命がおきて生産余剰とかがうまれるのかなー。余剰がかさなると戦争になるのかなーー、とか、漠とおもったんだけど、なんでそういう結末になったのかよくわからないので言語化。

IT革命、人工知能により生産性の革命がいままさにおきようとしている。
かつて生産性に革命がおきたときどうなったのか?

 

おサルの生産性

去年の干支でもあったサルは自然菜食であるので、サルの生産性イコール「自然からどれだけ食料を確保できたか」である。サルの生産性が高まり、群れが充分な食料を確保できると個体数が増える。

群れを構成できる自然限界数(ダンパー数)は50頭程度であるそうなので、これを超える前に群れが分裂する。

サルの時間移動距離は時速数百メートル程度で、縄張り圏内に別の群れがあると生存競争のために生死をかけた争いが生じる。ちなみに人間などにより給餌がおこなわれた場合はボス猿が誕生するそうだ。なわばりが衝突しても餌が充分にあるからかな?

 

人間のダンパー数は報告によると148名であるそうだ。

狩猟採集から農耕になった約1万年前より定住し社会構造を得た。縄張りが重複するのでこちらも「ボスヒト」が発生する。ま、豪族、館を中心とした、氏族により利害調整をおこなわれるような感じ。ボスヒトのボスが誕生し、さらボスヒトのボスのボス(ヒトキング!)が誕生し立憲君主制に至る。中世までキングの役割は収穫地、農地獲得のための領地獲得が戦争の主な目的であった。

 

人間の時間移動距離は街道が整備されている状態で時速4〜5km程度。詳しく調べていないのだが、おそらくこの時間内移動可能距離圏内に郷(村)が形成されてきたはずだ。高低差がない場合30キロが1日の歩行移動可能圏であるので、江戸期など中世における街道における宿場などはこの単位で整備されており、それにともない宿場町が形成される。後の中核都市。

職業軍人が生まれる前まで戦争は農閑期におこなわれた。この当時の戦争はこのままでは食い扶持に困る若く血の気の多い余剰人員の処分先でもあった。勝っても負けても口減らしの合理がある。この理はサルの時代のそれとあまり変わらない。

近世。ヒト類は「空気からパンを創る」科学技術の発明により自ら食糧問題を解決した。短時間あたりの移動可能距離も格段に伸びて食料問題はエネルギー問題になった。農地問題が解決されたので、都市化がすすみ、限界までつきつめた最密構造の居住空間でも生活を送れるようになった。群れの利害は食料から快適さに移行した。
企業は、子会社化や事業部制をとり、擬似的な群れをつくることでダンパー数をなんとかこえないように合従連衡をおこなう。争いは企業間による経済戦争や政治家による利益誘導に代替されるようになった。

だが、武力を伴った戦争もまだ人類の歴史から戦争がなくなったわけではない。
争いの目的はなににシフトしたのであろうか?エネルギー??快適さ??他人を使役できる経済力??

 

ヒトの近世

ここ300年ぐらいの歴史をざくっと考えてみる。

  1. 生産性の大規模改善により人口増、社会に対して多くの余剰人員が生まれる。
  2. 余剰人員が新たな技術を開発したり科学を探求したりして産業を興す。
  3. 産業構造の変革により継代事業は立ち行かなくなり、新興が台頭し旧家の多くは没落する。
  4. 社会保障としての公共事業や公共事業的性質の兵用がおこなわれる。
  5. 新天地に移民政策、棄民政策がなされる。
  6. 戦争が大衆から望まれるようになり大規模戦争。文化衝突。

 

1700年代 農業革命(輪栽式農業/新大陸からのじゃがいも流入)で農作物の生産性の大幅改善。
1800年前後 産業革命で自動紡績機、蒸気機関の発明。
1810年 缶詰の発明
1811-17年 ラッダイト運動
1857年 生産余剰で穀物価格が急落、世界恐慌
1914年 第一次世界大戦

 

ヨーロッパの超長期人口推移

www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9010.html

 

2〜300年前は世界的な天候不順や噴火による飢饉(1839天保の大飢饉 1845ジャガイモ飢饉)があったので、戦争以外に人口増を抑制する因子が多くあった。新大陸アメリカ(1776年ごろ〜)やニュージーランド(1830年ごろ〜)、オーストラリア(1770年ごろ〜)への移民も多く出たので生産余剰や余剰人員を新天地の開拓に転用できた。もっとも新天地では恐ろしく多くの命が失われたが・・・。また、黒人奴隷の輸入により経済で他人を使役することもできた。

 

 

日本についてみてみる。

人口の超長期推移

www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html

 

おもしろいのは農業生産性が大幅に向上し、これだけ人口が増えた日本において、江戸末期(5000万石=150Kg×5000万=750万トン)と現在のお米の生産量(798万トン)がほとんど変化がないことだ。一石は一人の人間(一日3合)が1年食べるのに必要な量だという。お米のみが基準になった場合、750万人が日本の適正人口だが、ま、食料は米だけではないので江戸末期には3,000万人が居た。
江戸末期は男性の平均身長は155cmと栄養状態はあまり芳しくなかったが、今は栄養状態を改善したうえに12,000万人分の口を糊することができている。これは、畜産業や水産業の進歩、そして海外からの食料輸入ができるようになったからだ。

 

1839 天保の大飢饉(長期の天候不順、東北の冷害) → さつま芋、じゃがいも、かぼちゃなど
1849 伊豆韮山反射炉、1850 佐賀藩鍋島築地反射炉
1858 日本開国(日米修好通商条約)→ 金銀貨為替による財の流出、紡績などの技術の本格流入
1868 明治維新 → 蒸気機関、鉄道、人口爆発
1870 ガソリン自動車の発明
1876 電話の発明
1878 電灯の発明
1903 航空機の初飛行
1906 アンモニア合成の成功(人工肥料)
1908 ブラジル正式移民開始
1914 第一次世界大戦
1931 満蒙開拓移民開始
1939 第二次世界大戦
1939 核分裂実証実験
1945 原子爆弾投下

技術革新による遠洋への進出、長期保存可能な食品加工技術、鉄道の敷設により内陸部の食糧事情も大幅に改善。内陸部では余剰生産人口を絹産業などのの産業に向けることができるようになった。
さらにそこからも余る余剰人員は満州や、中南米への棄民政策とまで揶揄された移民政策で、解決しようとした。家長制度下で相続できなかった次男、三男などが新天地を求めて旅立った。また工業化により、集団就職など農業以外の仕事でも食っていくことができるようになった。

第一次世界大戦まではそれは功を奏し、日本でも人口は爆発的に増えた。人々に豊かさを享受し。そして戻れなくなった。で、次の戦争が望まれた。第二次世界大戦はエネルギー問題に端を発するものである。

人が人を殺せるようになるまで誕生から最低でも15年かかるが、技術がヒト殺しの兵器になるまでは数年。論理から実証に10年。民生化に30年といったところかな。戦争は生存競争であるため科学技術を大幅に押し上げてきた。技術が押し上げられたから戦争がおきたのか、戦争がおきたから技術がおしあげられたのかはわからん。

んー。なにが言いたいかわからなくなった。ま、少なくとも人類は第二次世界大戦により、大量生産が可能な工業化と核エネルギーを手にいれることができた。戦争で磨かれたレーダ技術は漁業に転用され、戦後の高度成長期の胃袋を支えた。

 

ヒトは余るのか

多くの先進国において人口の抑制政策はうまくいっている。

少子化対策がおこなわれた結果ではなく、少子化対策を行った結果が現在の少子化なのだと思う。

我が国の総人口の推移(出生中位(死亡中位)推計)

www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webhonpen/html/b1_s1-1-2.html

 

内閣府のデータ。母体数の減少をみないまま出生率をコホート無視した人口に掛けているので、低位の出生率でもちょっとシナリオがちょっと甘すぎるんじゃないかとおもうんだけど、今回はちょっとおいておく。そのうち計算してみたいな。

日本の場合は人口オーナスがついて、これからかなり激しく生産年齢人口を減らす。老齢化は深刻ではあるが、だが、同時に希望でもあって、もし革命的な技術革新がこれからあったとしても生産余剰力は生まれないだろう。

むしろ、豊かな暮らしを維持するために都合のいい労働力がほしいぞとばかりに移民をさせろとか言っているぐらいだ。しかし、これは技術革新で解決できる余地がある。足りないのがわかっているものは手がうてるが、余りそうなものはなんともできないのだ。

 

realtime.wsj.com/japan/2011/11/15/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%8B%95%E6%85%8B%E3%82%92%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A7%E7%A2%BA%E8%AA%8D/

 

natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/080600214/
世界の人口は約73億人で、2050年までにアジア、アフリカで主に増え97億人にまで増加する見込みだ。

最近、百年ぶりに新たなアンモニア合成方法が発見された。材料科学や遺伝子改良技術は、不毛地帯を農地に変えるだろう。温暖化が悲観視されているが、植物には朗報だ。人類はあとちょっとくいっぱぐれずに生きれるかもしれない。

だが、人はパンのみに生きるにあらず。

小人閑居して不善を為すというが、ただいたずらに人を貯めれば大きな戦争もおきよう。
無用人間の絶望感は戦争に向かうのだ。日本ではない、いくつかの経済大国ではその気配がある。

 

わかっててやってそうだから、質が悪いよね。

人工知能のまえに等しく無用途人間に争わなくていいだけの些細な用途を。

 

参考

徒歩旅行
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E6%AD%A9%E6%97%85%E8%A1%8C

 

石 (単位)
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3_(%E5%8D%98%E4%BD%8D)

 

2100年の世界人口は112億人、国連予測
natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/080600214/

 


大晦日で人工知能


人工知能について年暮ひがなうつつ宿題を。

東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」 単行本 – 2014/10/15
松尾 豊 (著), 塩野 誠 (著)

 

松尾さんの動画やらなにやらをよく見たので本も読んでおこうとおもって買ったもの。
間違えてカートに2冊ぶっこんでたのに気が付かずに届いたら2冊入ってて愕然とした。
レイアウトがあれでちと読みにくかったのと、まさかの対談方式の本だった。

 

本の内容については特に書くことはないのだけど、章の間に宿題がでててそれが面白かったので今年のうちに宿題をしておく。

 

ISSUE 1

1.人間は不要になるか?

予測精度が異様に高い人工知能が、人間の役割にとって代わり、自己複製をはじめたとき、人間の存在意義はどこにあるのか?

これに答えるにはヒトは使役動物であろうか?という問についても考えなければいけない。

蒸気機関普及後、使役動物としての牛や馬はその数を大きく減らした。江戸、明治初期の馬数は住宅戸数とほぼ同程度であったが現在は住宅件数と比べるべくもない。

先進国とされる国々において、身分制度や、奴隷制こそ終わりをつげたものの、ヒトの多くは経済動物としてその任を得ている。社会への奉仕。勤労の義務こそが社会構成員としての人間の存在意義であることは日本国憲法にも明記されている。「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」これは、社会を回すために必要な任である。

封建制が終わった現代ではその任は特定誰かのためになされるものではないが、全体への奉仕としてなされる。社会をよくまわすための使役動物としてのヒトだ。年齢割合が歪み、子供や老齢者はどうするという構造問題を解決できていないが、今はそういう運用がなされている。自ら然して利他し、社会に対して義務を果たすのが、己の利益にもつながろうという社会で、そのように機能している。
で、ここで、ひとつ動画をぽいっと。

オランダ LELY(レリー)社のアストロノートA4
www.cornesag.com/product/milking/milking_robot/astronaut_a4/feature.html
乳牛さん達は、自分たちの意思で装置の前に列をつくり搾乳を待つ。餌もくれるし、乳も絞ってくれるから。

一定時間を経過していない牛は素通りさせられる。システムで管理された高度な装置である。牛は人間にとって家畜としての価値がある。肥育牛も、乳牛も。

もし、ヒトの提供できる価値が人工知能に代替されたあと、ヒトが社会に提供することができる価値とはなんであろうか。まさかヒトが肉や乳を人工知能に捧げることを望まれるわけではあるまい。では、馬のように荷を運ぶことだろうか?

ヒトがヒトに必要とされるのは面倒を見てもらうため。互いに助け合うため。

おそらくは、この原初的な欲求が解決されれば、現在のような数は必要なくなるので、使役動物としての馬のような推移をたどることだろう。ヒトが多くの子供を必要としたのは乳幼児死亡率が極端に高かったからであり、老後の面倒を見てもらうためだった。ヒトはヒトによって必要とされているが、ヒトがヒト以外に必要とされる数はとても少なくなるものと考えられる。ま、不要の用。

 

2.犯罪予備軍を事前に逮捕できるか?

ある人間が、将来的に犯罪を起こす可能性が高いかどうかが明らかになったとき、事前に逮捕することは許されるか?

マイノリティ・リポートか、アニメのPSYCHO-PASS サイコパスかって話。(まだ、どちらも見てない・・・)
オランダだったっけかな?ネットワークで繋がった防犯カメラを地域で配備して歩行の目的地の不確定さによって、不審者検出ができるようになったそうな。トラック強盗が多い地域にそれを配備した結果、パトカーが急行できその地域の犯罪は激減した。で、かわりにその地域の周辺の犯罪発生率が上昇したとかいうオチまで付いたお話。
これはAIというよりは、遺伝子の問題でもあるように思う。反社会性因子と遺伝子の相関が統計的に79%とか出た場合、例えばそれをどうするか?犯罪をおかしてなくても事前に逮捕するのか??クレジットカード破産者が持つ遺伝子に強い相関があった場合貸付限度額をどうするのか?交通事故違反者に多い遺伝子に強い相関があった場合、交通事故保険料がおなじでいいのか?
その相関を偽相関とみるか、ビックデータのパラドクスだと押しやるかは難しい問題である。

個人的には、犯罪を犯すより前に、心身の拘束などはするべきではないと思うし、罰は罪とセットであるべきだと思う。だけれども、追跡タグをつけたりするのは罰ではないと思うので、そういうのはいいんじゃないかな。

そのヒトだけ付けるのは不公平であるので、みんなでつけるっていうのもありだとは思う。
あと、犯罪についてだけれど、もし、罪を犯しやすい気質があったとしても、その罪という概念が時間や環境で変化することはある。戦争などの時に人を殺したり、粗暴なことに気後れしちゃう気質の人ばかりでは組織を成さない。

完全に悪と断定できる犯罪でさえも、社会を強くしていくためには一定確率で必要かもしれない。

近代国家以前は、直系卑属を根絶やしにするために一族郎党打ち首獄門なんていうのもあったようだけど、流民がでていない状態ならそのような事や、名誉殺人のようなことをしてはいけないとおもうな。

 

3.人工知能の小説家は誕生するか?

現在、SF小説の要素の組み合わせ、短編小説を書く実験がすすんでいる。人間の独壇場であった「想像力」はどこに活路を見出していくだろう?

これはするよ。星新一プロジェクトみたいな実際の取り組みもそうだけど、作成しうると思うな。

そう遠くない時間に、人間が書いたものか、プログラムが書いたものかを人間が見分けることはできなくなるとおもう(チューリングテスト的な意味でも)。

ここらへん少し気になっていたので物語論、ナラトロジーとかの本を買ってみたんだけど、人間が類型化したナラトロジーの分野がまだまだ未発達なのね。面白くなかった。
逆にAIからの章解析によって、プロット解析ができるようになれば、もっと面白い作品がいっぱいつくれるようになると思うんだよね。もし作れないというのなら、創る方向に力をいれて証明する側にまわってもいいとおもうぐらいちょっと魅力的な分野だとおもうな。

 

ISSUE 2

 

1.投資家は不要になるか?

身体的な制限がないコンピューターが、株式市場の「穴」を見つけ、そこを突き続けはじめたとき、人間の投資家は太刀打ちできるか?

これはできないよ。もうできない。

市場というものが、ただの流動性確保の場になって久しいけれど、カブロボとかが登場したときは長期に企業価値算定をきちんとしないとダメだよ!っていう義憤に燃えて立ち向かったのももう十年も前のことだ。10年前だったら、あえて穴をムシした正統派も太刀打ちできる要素があった。いまはもうシステムトレードでもそんな余地はない。穴をつくアルゴリズムを一杯食わせるぐらいはできるけれども、それはもうなにしているのかわからないよね。

システムトレーダーをつくる人間をつかまえて、太刀打ちできていると表現するならばそれは太刀打ちできる。

あとは、すべて焼き払い単独で相場を動かせるほどの資本力があればできる。

 

2.人工知能を信じられるか?

人工知能によるレコメンデーションは、直感的な因果関係を重視する人間にとって腑に落ちないものになることが予想される。それでもなお、勇気をもって人工知能の判断に従えるか?

人間よりい信用できるっていう人もいるだろうし、そのAIの啓示を伝えてあげる占い師おばば的なエバンジェリスト的な人間を一枚かませばいいだけじゃないかな。

データもわかるし、論理的にも納得できるか、情動的にお前に言われるから賛同できないってことは、人間社会でもよくある話しだし。伝え方、伝える経路なんていくらでも変えられると思う。

 

3.「国」はなくなるか?

物理的な制約がなくなり、個々の行動履歴がすべて国境に関係なく記録され活用され、どこからでもサービスを受けられるとき、国という概念自体もなくなるか?

むしろ増えるんじゃないかな。国というシステムを大きく重厚長大にしたのは、軍事的な要素と、運用のための度量衡を揃える効率化のため。日本のような島国であっても、地域言葉は異なっているし、幕藩体制のころは通貨発行権や、租税の体型も地域ごとに異なっていた。兌換や流通、教育、軍事、言葉などの効率性という点をAIなどが解決してくれれば、国という運用単位はもしかしたら市区町村単位で連邦的に運用されるようになるかもしれない。
どんなに社会が効率化しても、ご近所レベルの地域社会はなくならない前提だが。

でも、経済でみてもモジュール化がすすんでいるので、小さくなる傾向はあるようにおもうな。

 

ISSUE 3

1.意識はコピーできるか?

脳が工学的に再現可能になり、自己の保存が実現すると、そこに本当にヒトの「意識」は存在するか?

20年ホルマリン漬けにしてた脳みそに、ニコチンなどをぶっこんだら脳波が観測できたっちゅうお話しがあった。

いつ脳は死ぬのか?【When Is The Brain Dead-ホルマリン漬けの脳が20年の時を経てなお活性を示す】
togetter.com/li/1062912

脳みその構造を再現でき(これは、たぶんできない)るのであれば、意識はその脳回路を伝わる電気信号とそこから惹起された化学物質により構成されるものであるので、意識のシミュレーションはできるようになる。

 

2.コンピュータ脳における「記憶」とは?

脳が完全にコピーされ移植されたとき、特徴量を作る方法自体が異なってくる。そのとき、世界はどのように把握され、記憶はどのように変化するだろうか?

人間は脳みそのみによって考えるのみにあらず、肌による皮膚感覚や、腸は第二の脳という程度には、体内、体外の環境に思考を強く影響される。これら付属の情報がなくなり、その他情報のインプットの経路が異なるようになった場合、記憶の重要度のランクは現生体のそれとはまったく異なる。
景観の美しさや、静寂さなどよりも、周りの埃の量や、静電気、地場の変化が気になるようになり、電圧の変化に美しさを見出すようになるかもしれない。
結論に至るまでに神経の興奮を感情と呼ぶならば、電圧の異常などで各所に発生するエラーが最終的に検算されて、正確な答えにいたるまでの、エラーハンドリングを感情と呼べばよい。そんで、そのログを記憶とでも読んだらどうだろう。

 

3.人間の仕事はなくなるか?

ほとんどの仕事が機械に代替されたとき、人間は何をして日々を過ごしていけばよいのだろうか?

ん?

紅茶でも飲んでひがな一日すごしてればいいんじゃない?

ただ、修行僧のような生活がすべての人に耐えられるとも思えないけど。
思索にふけって楽しめるのはスキゾイド人口の10%ぐらいか。

 

 

ISSUE 4

1.犯罪の「見逃し」が必要になるか?

顔認識技術が発達し、町中に監視カメラが設置されると、どんな軽微な犯罪も白日の下にさらされる。そのとき、すべての犯罪を罰する必要はあるか?

途上国とかにいくと、くじ引きみたいに交通違反取り締まってるよね。交通違反がたまりすぎると表の道が走れなくなるんだ。罪には罰だけれども、罰も軽微すぎると意味がないからポイント・マイレージ性にでもしたらいいんだよ。

カルマポイント貯まりすぎちゃったから今月ボランティア10時間だー。みたいにね。
見逃す必要はないとおもうよ。貯めておけばいい。

 

2.自動運転は本当にできるか?

機械に運転を任せられるようになると、社会全体がより最適化される。一方、事故が起きた場合に誰が責任をとればよいのだろう?

技術的にはできるとおもうけど、人間社会があと1~2世代は許さなそう。人間側の価値観変化の問題なので、それをマテばいいいんじゃないかな。変化しないなら導入されないだけ。

 

3.命の価値は、誰が決断するのか?

すべての社会的判断の結果がスコアリング可能になったとき、「誰が不利益を被るか」を決める判断が必要になるが、その重責を負うのは誰だろう?

最初の方の論に戻るけれども、不用の用というのがあって、なにかの価値というのはそのスケールでの価値であって、スケールを変えれば並び順は変わる。オーダーバイの仕方を1軸しかもたなかったり、集計の粒度を変更できなかったり、ascやdescもできないようなスコアリングは無価値になるべきだ。
責任を追うのは代議された人か、またはその代表でいいんじゃね。

 

ISSUE 5

### 1.学校は不要になるか?

個人のレベルと環境に合わせたウェブ動画での学習が可能になったとき、学校や学年というものは不要になるか?

むしろ必要になるとおもう。ただ、既存の座学という用途以外の意味で。そのエリアのWAN基地とか集会所とか、運動場としての価値とかとしてね。

 

2.情報の飢餓体験は必要か?

いつでもどんな情報でも手に入る状況になると、思考の習熟が望めない。子どもの教育のために、あえて情報を制限する必要はあるか?

イスラム教のラマダーン、断食には学ぶべきことは多くある。不便を学ぶ機会は重要だとおもうし、ストレステストや、BCP上も、正常系から外れたテストと備えはしておくべきだとおもう。実際体験してみないと、気がつけないことは多いし、気がついたことに対して、備えができるのは正常下でのみ。

日本は災害大国なので、情報からの断絶時にどうしたらよいかについても体験しておくことは有用であると思う。ま、デジタルデトックスたまにはしないとね。

 

3.教育で身につけるべき能力とは?

何かに気づく、法則を見つけるという役割はコンピュータに任せる場合、人間が教育で身につけるべき能力とは何か?

ん~。

  • 怪我しない、死なないようにすること(フィジカル、クリニカル)
  • 苦労しない、道具をつかえるようにすること(テクニカル、プラクティカル)
  • 楽しめる、悲しみをわかちあえるようにすること(エモーショナル)

ここら、あたりじゃねかな。

ではみなさまよいお年を!!

 

参考

『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』松尾豊東京大学准教授セッション

【5金スペシャルPART1】松尾豊氏:人工知能が閻魔大王になる日

【5金スペシャルPART2】松尾豊氏:人工知能が閻魔大王になる日

文科省の「AI研究」新拠点 トップに東大41歳教授
(1/2ページ)2016/4/9 7:54 杉山将・東京大学教授
「AIP(Advanced Integrated Intelligence Platform Project)センター」
www.nikkei.com/article/DGXMZO99433730Y6A400C1000000/
犯罪に走る人には、”悪の遺伝子”がある? 犯罪者と非犯罪者を分ける決定的要素
toyokeizai.net/articles/-/63200

When Is the Brain Dead? Living-Like Electrophysiological Responses and Photon Emissions from Applications of Neurotransmitters in Fixed Post-Mortem Human Brains
www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5131983/


裕福層だとか格差がどうこう


年の瀬に格差が格差がと叫ぶものありて、日本は格差がひろがっているのだそうな。

日本が富裕層人口の増加でアメリカ抜き初めて世界一に(2016年対前年比)、アベノミクスで格差拡大

アベノミクスを早くやめさせなければ、貧困と格差は拡大するばかりです。
ameblo.jp/kokkoippan/entry-12233028623.html

 

 

なんとも難儀な話しです。

世界の上位1%、10%の人口がアメリカを日本が増加率でぬいてなんとやら、それっていいことじゃないのかねぇとのんきにおもってしまうのであります。主義主張はいろいろあっていいとおもうので、同じ引用元からいくつかのグラフを引用しておきます。

 

Global Wealth Report 2016
www.credit-suisse.com/ch/en/about-us/research/research-institute/publications.html

 

日本が裕福になるためにはそもそもの金持ちの人口も増やさないとね・・・。5000万ドル以上もってる人の人口がイタリア以下、台湾並だよ。

 

2016年は日本の富がおおきく増えました。が、まぁ為替の問題です。ドル建てでみてるからってだけだよね。

 

 

日本は家計の部門でも1位の増加率。ま、為替。

 

で、格差がひろがっているのか狭まっているのかは今回はおいておいて、

世界の各家庭ごとの保有資産割合を国別で気になった所をピックアップしていきましょう。

 

これが日本です。100万以下の資産をもつ割合が10%ぐらいいます。年齢コホートないとわからないですが、ちょっと気になりますね。それよりも特徴的なのが1000万円~1億円の資産をもつ層の多さ。そしてその層と比較して1億以上のスーパーリッチ層の少なさがきになりますね。累進課税が効いているというよりは、それ以上を持つひとは政治団体をつくったりキャピタルフライトをしちゃう動機にあるのかもしれませんね。

 

で、同じような構造になっているシンガポール。こちらは日本をモデルに教育に投資をおこない、一人あたりのGDPで日本をぬいて燦然と輝く近代化を遂げた国家であります。日本よりは「格差」がありそうです。

 

で、気になるのが中国。

0.2%しかいない超裕福層は日本からみると信じられないようなお金持ちだったりする。最初にあげた図からみてもわかるとおり、5000万ドル以上もっている人口は数でみると日本の4~5倍もいるのに割合でみると0.2%しかいない。

蓄財もできていない貧困層の割合はとてもおおく、格差というよりも貧困が深刻。このマスの貧困層が中間層に移行するのか、中間層がまた貧困層におちるのかで国の明暗がわかれる。高齢化という速度でみると日本より深刻。

 

人口ボーナスという点で期待があつまるインドと、なぜかそれと同じような構成になってしまっていて、日本と政治的には急接近中のロシア。

おなじような構成になっているのが興味深い。多分中間層が今後中国なみに増えるのだと思う。

 

アベノミクス?

なんだろうね?

 

 

 

www.kantei.go.jp/jp/headline/seichosenryaku/sanbonnoya.html

結果からみるに、3本の矢のうち、第一の矢、第二の矢はよく効いたとおもいます。

ただ、第三の矢は正直及第点以下かな?

国内設備投資はまだ本営大発表ですら「回復の兆し」であり、成果の果実にまでたどりついたとはいいがたいです。

っちゅうか、言いたいのだけど、この第三の矢だけ、政策じゃなくて戦略なんだよね。

1本目、2本目は矢。
でも、3本目はどこを目指すかという的であって、矢ではない。
じゃ、矢はなんだ?規制緩和か??

せめて、矢にしていれば今は結果としてだいぶ違ったのかもしれないけれども、規制緩和にすると新自由主義がどうこうとアレルギーを持つひとも多いので、矢ではなく的になっちゃったんでしょうね。真の実力を発揮できる社会だってw

 

吾輩の真の実力はまだまだこれからぞ!

 

変身を残したボスみたいだね。

多分、それって何が人々をモチベートさせるかだけだとおもうけども。

 

 

みなさまなにとぞよい年の瀬を。