Singularity is Peer


ことしのエントリーことしのうちに。

Singularityという言葉を一躍有名にしたレイ・カーツワイル2005年の著書に「Singularity is Near」という本がある。とても分厚い本で読むのに腰を据える必要がある内容だ。

 


が、なぜか日本語のタイトルは、「ポスト・ヒューマン誕生」で、がっかりタイトルここに極まれりである。

 

ポスト・ヒューマン?

ポスト・ヒューマンという語がでてくるのは、本文中おそらく一箇所だけで、それも、

P495
論者の中には、特異点のあとに来る時代を「脱人間」(ポスト・ヒューマン)と呼び、脱人間主義の時代になると予想している人もいる。
「新たな」種の創造だという人もいる。
特異点の根底にある転換は、生物の進化の歩みを一歩進めるだけのものではない。生物の一切をひっくり返そうとしているのだ

「ポスト・ヒューマンなんてもんじゃねぇぞ」という論旨の中であり、だからこそのシンギュラリティという単語なのだが、まさにタイトルと論旨が逆・・・なんやこの邦題タイトル。ちょっと悲しくなる。
で、Singularity is Nearが2005年だとすると、2016年はまさにpeer! 横に並んだところ、そしてティッピング・ポイント。今年は、ある程度の閾値をこえたところなんじゃないかとおもう。

 

 

技術的特異点

技術的特異点(Singularity)などないという人もいるが・・・。

人がなんらかの機能を自分より高効率でこなせるような機能をデザイン設計するのが、人工知能だとする。
人工知能がなんらかの機能を自分より高効率でこなせる機能をデザイン設計できるようになるのが、技術的特異点(Singularity)と定義すれば、本当に今年まさに見えているところだと思う。
技術的特異点を超えるとAIはArtificial(人造の)じゃなくなる。
それをなんて呼ぶかはわからないけれども、AIがAIを設計できるようになる。
反復し繰り返すことをコンピューターは得意とする。
その繰り返しのサイクルは人間よりも圧倒的に早い。
なので、人工知能が自分よりも少しでも賢い人工知能をつくれるようになった瞬間、

loop(AI^1.01)→∞
loop(AI^0.99)→0

AIの性能も発散しだす。

人間は1世代繰り返すのに最短でも15年のライフサイクルが必要であるが、ハードウェア上の制約も「集積回路上のトランジスタ数は18か月(=1.5年)ごとに倍になる」という1965年に提唱されたムーアの法則も人間とは比べ物にならないサイクルである。演算上のloopはもっと短い。

 

1950年代にトランジスタガールズと呼ばれる女工さんたちが、まさにハンドメイドしていたものが、現在のICチップはすでに完全無人化のもと製造がなされている。

トランジスタガールズ


www.shmj.or.jp/shimura/ssis_shimura1_24.htm

そもそも塵ひとつ混じっただけで不良品になってしまう集積回路で、ホコリの固まりである人間が製造工程に立ち会うのは不良化の原因でしかない。そういう意味ではハードの部分は既に人の手を離れている。ソフトウエアの自己最適化はさらにちょっぱやだ。

 

 

囲碁の世界と原子分子

Google DeepMindによって開発されたコンピュータ囲碁プログラムAlphaGoと18回の世界王者。世界トップ棋士九段のプロ囲碁棋士 リ・セドルの間の囲碁五番勝負でAlphaGo側が4勝した衝撃はまだ記憶にあたらしい。

Dwangoが開発している「DeepZenGo」が趙治勲名誉名人に初勝利し、さらにそれを正体不明のGod Moves(神の手)が初手天元とかふざけたことをかまして、圧倒するとかわずか1年の間に群雄割拠状態。

1980年代の第2次人工知能ブームから、2010年代の第3次人工知能ブームになってから、2016年はまさにエポックだ。

 

チェスの場合の数

チェスの盤面は8マス×8マス 64盤
最初においてあるコマを動かしていく、取られたコマは盤面上から無くなりキングをとれば勝ち。
平均して30手~40手で1ゲーム(チェックメイト&リザイン)
この盤面の局面数はおよそ「10の120乗」通り。
1997年IBMのスーパーコンピューター「Deep Blue」 世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフを相手に勝利した。
現代ではコンピューターのガイド付きだったり戦局分析サポートがされたりしている
(テレビ中継で有利不利が数字で表される)
ディープ・ブルー
gigazine.net/news/20160301-chess-game-visual-look/

 

将棋の場合の数

将棋の盤面は9マス×9マス 81盤
敵コマの復活ありで、相手の王将をとれば勝ち。投了(決着がつくまでの手数)は100~150手程度。
場合の数は「10の220乗」通り。
2016/4 第1期電王戦二番勝負第1局、Ponanza電脳戦 の山崎隆之八段 Ponanzaの勝利(二局目は5月)

「第1期 電王戦」、PONANZAが先勝
www.itmedia.co.jp/news/articles/1604/11/news135.html

 

囲碁の場合の数

囲碁の盤面は19路×19路 361目
石はどこに置いてもよく、相手の石を囲えば取れる。勝敗は自分の石が囲っている地所の大きさによる。
オセロと違って、石の取り合いが発生するのでゲーム終了までの手数が決定されない。
投了までは200~250手程度で「10の360乗通り」の局面があるとされる。

 
えっと、10の360乗それってどんな数???
いちばん馴染みのありそうな大きな数で、高校化学あたりで習う、アボガドロ定数を引き合いに出すと、6.02*10の23乗。
1モル数あたりの原子の数だけど、常温で空気1molの体積はおよそ22.4リットル。

 

計算計算っと、
10^360通り=(6.02*10^23)^15
22.4L^15=1.79*10^20L=1.79*10^17m^3
(1000L=1m^3)

ここでみんな大好き、大きな数の単位、ザ・東京ドーム!
東京ドーム一杯分の体積は124万立方メートルなので

1790*10^10÷124=14.4*10^10
ちゅうことは、囲碁の局面の数は

 

東京ドーム14.4兆個分にふくまれる空気の原子と同数!

 

まさに天文学的数だよね。いや、計算適当ーなので、どっかでいいふらすときはちゃんと検算してね。
ま、そんなわけで、囲碁はその複雑さからプロ棋士に勝てるようになるのは演算能力のハードの向上スピードからすると10年以上先とも言われていたんだけど、十数年分一気に前倒しされちゃったわけさ。

 

囲碁や将棋は局面理解が必要なのでチェスの10の100乗倍以上複雑になると言われている。
Ponanza(将棋)は1秒に10万局面を検討できるそうだけど、囲碁は1秒で300局面検討がせいぜい。
1000台以上のプロセッサを束ねたクラウドサーバ、報道では30~60億分円の演算リソース(たぶん実費で1億2千万ぐらい)をぶっこんでいるんでないかと言われている。
3千万の教師データ棋譜を学習させる→57.0%の確率で、人間の指し手を模倣し、計算に3ms(0.003秒)。
一局300手で終わると考えると1.8秒(0.003*300*2)で1ゲームが終了する。
一手5μ秒=0.000005秒でおわる軽量版同士を戦わせてそこから得られた3000万の新たな棋譜からさらに学習

 

人間の対局が1局仮に1時間程度だとすると(プロのタイトル戦などでは各自の持ち時間が4時間~9時間)
仮に1時間とすると3000 0000 h÷ 24÷365 =3,424年分不眠不休で指し続けた時間に相当。
それってほぼ人類の歴史じゃんね・・・。
まさにある分野においては人類の思索の歴史とPeerした瞬間。

 

まとめ的なもの

知性と呼ぶにはまだ言うべくもないけれど、AIはすでにいくつかの役割において、大多数の人間を上回るパフォーマンスを出せるようになってきていて、その領域を着実に広げつつある。

複雑さのスケールから想像できるとおもうけど、人間には検知できないレベルの微細情報からの異物検査や異常検知、シミュレーション精度向上によって新素材の開発や創薬とかにもたぶんブレイクスルーがおきる。たぶんおきてる。
ロボットの機能を駆動、センシング、ロジックの3つに大別すると、駆動は蒸気機関のときには既にもちろんのこと、2016年には局面理解が必要なロジックの部分も勝てなくなったと見ていい。生物がいま現在も勝っているのは周囲の空気を読む、センシング部分である。嗅覚、触覚などをとってもまだまだ生体と同等の性能を出すには、サイズ、費用ともに現在の延長線上をたどるだけであればまだまだ代替まで時間的猶予はありそうにもみえる。カメラ、音波、赤外線センサー、人間には真似できないものも多くあるが、まだまだ生物のそれはイオン分子いっこで駆動したりする、すばらしいものだ。
しかして、人類。
ATCGを4進数、ヒトゲノムは約31億塩基対よりなる。
コンピューター01の2進数、8ビット=1バイト、4進数の31億は8進数の3,200,000=3.2MBであり、人間の設計図はフロッピーディスク2枚分。FDとかいっても、もう若い子には伝わらない感じだけど、iPhoneとかで撮影する写真1枚以下の容量でしかない。
研究室でえっちらと寒天に遺伝子ながして合成してた細胞分子合成もとんでもなく安価に高速自動におこなえるようになった。遠からず分子生物を利用したセンサーが流通することだろう。それは菌糸類とか植物とかそういう倫理的にもライトなところからかもしれないし、いきなり人間をセンサーとして利用すべく後頭部にジャックをぶっ刺す攻殻な形かもしれない。
2017年、Singularityがtearとにならずにdearとならんことを。

メリークリスマス。

 

参考

人工知能の歴史
blogs.itmedia.co.jp/itsolutionjuku/2015/07/post_105.html

ネット上の超絶棋士「神の手」 囲碁界騒然、正体は?
www.asahi.com/articles/ASJDM75CMJDMUCVL031.html

AlphaGo対李世ドル
ja.wikipedia.org/wiki/AlphaGo%E5%AF%BE%E6%9D%8E%E4%B8%96%E3%83%89%E3%83%AB

人間を超えたアルファ碁(AlphaGo)は、どのようにして強くなったのか
cakes.mu/posts/12685

AlphaGo の論文をざっくり紹介
technocrat.hatenablog.com/entry/2016/03/14/011152?1458093145366=1

AlphaGoの運用料金は30億円以上?
www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/24/news058.html
囲碁AIの勝利でさらに注目? 今年の将棋「電王戦」は“頂上決戦”
thepage.jp/detail/20160408-00000010-wordleaf
machine intelligence landscape
www.oreilly.com/ideas/the-current-state-of-machine-intelligence-2-0

億(10^8)→兆(10^12)→京(10^16)→垓
10^23 千垓
10^60 一那由他
10^64 一不可思議
10^68 一無量大数
360乗は表せないのか・・・。
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%A4%A7%E6%95%B0


知性と遺伝


知性と遺伝をからめて扱うときは気をつけなされぇとコメントをもらって、たしかにぃとおもったので、ちょいと書き書き。結論などない。
最近、相模原障害者施設殺傷事件(やまゆり園)で発生した、知的障害者の大量殺人事件もあったばかり。

トランプ、ドゥテルテ、ムカベとか世界もいろいろきな臭くなってきた。第二次世界大戦下でナチス・ドイツがおこなった優生思想に基づく民族浄化政策や、KKK(クー・クラックス・クラン)による白人至上主義団体など、遺伝を絡めると、わりと簡単に人類のタブーにたどり着ける。人類の暗部はすぐそこに今もある。

 

人種差別的偏見が認知力の低さに相関があると調査論文がでたのは皮肉なことであるが、そのようなやり過ぎジェノサイドも含め、過ちを繰り返すのも人類の本質の一部であると心するよりほかない。知能指数、IQなんちゅうものはそもそも年齢と比較しての発達をみるためのものでしかなく、同じスケールで計測できている段階でIQ80も120も単なる個体差にすぎない。同じモノサシの上にのっているものだ。

 

クジラとウシは兄弟

遺伝については世間的な認知度が人によって大きく異なるので、ちょっと遺伝的多様性について、ひいた所から書いていく。極端な例から詰めていくよ。
クジラもウシも同じ鯨偶蹄目である。

カラスはスズメ目で、犬はネコ目だ。

体重3キロ以下のチワワも体重100キロを超すセント・バーナードも同じイエイヌ亜種である。
羽生善治も吉田沙保里も同じホモ・サピエンス・サピエンス亜種で、どちらも日本人だ。
クジラは賢いから食べちゃだめだというが、遺伝的にはウシも同じ目なんだよね・・・。

カラスは賢いというが、遺伝的にはスズメさんのお仲間だ。チュンチュン。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやっていうけど故人が鴉と類さなかったのは慧眼だよね。
生物は進化や分岐の分類で、界>門>亜門>綱>下綱>目>亜目>下目>上科>科>亜科>族>亜族>属>種>亜種のようにわけられる。ヒトを簡易的な分類で見ると次のようになる。

界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
綱 : 哺乳綱 Mammalia
目 : サル目 Primates
科 : ヒト科 Hominidae
族 : ヒト族 Hominini
属 : ヒト属 Homo
種 : ホモ・サピエンス
亜種 :ホモ・サピエンス・サピエンス

現生人類はホモ・サピエンス・サピエンスのみ現存している。

黒人(ネグロイド)や白人(コーカソイド )、黄色人種(モンゴロイド)などは歴史的人種分類概念もあるが、これら外見上の肌の色や瞳の色は、単なるメラニン色素の量によるもので遺伝的にみると、約31億ある塩基配列のうち、わずか1~2ヵ所が異なっているに過ぎない。(と、現在までの科学では知られている。)

 

人類だいたい兄弟

身長は親子間で比較的つよい遺伝影響があるのは体験的にも実感があると思う。

背の高い親から生まれた子供は、背が高くなる可能性が高い。しかし、その身長の高さは子は平均に近くなることも知られている。

 

ちょっとこの理由を誰にでもわかるようにひとことで説明をするのがむずかしいのだけれども、これは分散の問題。偏差値で表現すると、たとえば身長偏差値75の親から生まれた子は、身長偏差値65ぐらいになって、さらにその子は55ぐらいになるというように、たしかに平均よりは高いけれども、より平均値、最頻値に近づく。

簡単な理由をあげると、交配しているからなんだけど、もし、遺伝で身長偏差値が85、95とどんどん離れる方向に動くなら、それは種の分化だ。遺伝的多様性は交配によってその種のなかでは収斂していく。

あと、江戸時代の平均身長が男性155~158cmなかったことからもわかるように、遺伝以外の環境要因も強く作用する。

 

遺伝由来の頭の良さ悪さが資質としてあったとして、同じスケールで測れる範囲であれば、そんなものは進化の系譜のなかでは個体差にすぎない。逆に突然変異種になってしまうぐらいの遺伝的変化が発生した場合は、そもそも同種と交配ができないか、交配してもその子がF1種や、ライオンと虎の子のライガーやロバと馬の子のラバのようにその子供が繁殖能力がなく結果絶えてしまう。

 

数個前のエントリーで破局噴火について書いたが、トバ・カタストロフ理論によれば、今から7万年前から7万5千年前に人類は大量絶滅をしている。その時に生き残れたのはわずか1,000組~1万組ほどの夫婦である。1万組が72億人の現在人口のオリジナルの版下だ。江戸時代末期に3千万人しかいなかったのが平成の1億2千万人のルーツである。なので、本質的には兄弟種で、遺伝的にはほぼ同じものといっていい。

 

だが、ほとんど同じであるからこそ些細なところを比較することができるのだ。そして同質でありすぎるが故にその些細な違いが目立つのだ。

 
ここでY染色体ハプログループをみてみる。


一番最初のA~Bタイプの分岐が20~26万年前。

Bタイプの分岐が60,000~65,000年前。

Kタイプの分岐が47,000年前。

東南アジア、日本人にも多い、Oタイプへの分岐が23,000~32,000年前

 

ヒトの繁殖間隔を仮に15年で1世代とすると、20万年で1万3千世代。6万年で約4000世代となる。
※縄文人の平均寿命は14.6歳、15歳まで生きたヒトでも男性16.1年、女性16.3年だそうな。

 

暗黒品種改良

京都大学で60年もの間、まったくの暗闇で育てられているハエが居るそうな。

暗闇に適応できないと死ぬ、適応できれば有利に繁殖できるとという過酷な環境下で約1400世代を重ねた結果、通常のハエと比べると約5%の遺伝変異があるという。もともとヒトの肌の色が違うのはメラニン色素の量の問題だ。人間は紫外線を浴びることでビタミンDを合成するが極地と赤道付近で日照量が異なるために外部環境に適応が必要だった。まあわずか数千世代前の話。

 

農業をはじめたであろう最古のギョベクリ・テペで約1万年前。縄文後期で紀元前4500年ごろ。縄文人と現世人類はせいぜい300世代ぐらいしかなく、ぶっちゃけ変化がおきたとは考えにくい。どうにも日本人は海藻を消化できる遺伝子を手に入れているぐらいの変異ぐらいかねぇ。

 

知性と遺伝を並べたのは、同じイエイヌ亜種のなかで同じ犬種でもバカ犬と、賢い犬がいる。同じ親から同時期に生まれた子達でも性格が異なる。躾の効き方も違う。愛玩動物だけでなく、サラブレッドや家畜などでも血統証明書管理され、人為的な選択、選び出しによる、掛け合わせ、品種改良がおこなわれる。

 

遺伝的資質がほぼ同じだからこそ些細な違いを比較できるのだ。

 

交配によって最頻値に収斂していくのが自然の摂理なら、その摂理になんとか抗おうとするのが品種改良だ。より賢い犬、より乳がでる牛、早く走れる馬、肉付きのいい豚。そうやって些細な差を大きくすることが求められた。

 

どの文明にも見られる本人の意思に関係ない縁談や身分制度などは、人類の品種改良の歴史でもある。文官は頭の良さに、武官は体力に、農民は胆力に、職工は器用さに、商人は財力とかに特化しようとし縁談を組み、あれこれしてきたんじゃないかな。まぁここらへんもまだまだ配慮を要する分野か。ちょっと暴論すぎたね。

 

現代社会は自由競争の名の下、賢く利他するものよりも敏く強欲なほうが機会を得る。

 

評価基準も記憶力や定型条件下での問答の応答速度であったりする。まあ、そのようなことが得意なヒトもいよう。だが、それは局所最適にすぎない。全員をそのモノサシに乗せ過ぎれば人類の家畜化だ。遺伝的同質化が極端に進むと、過剰最適しているようなもんで環境変化とかの外部要因で簡単に大量絶滅に陥る。とても危険なことだ。

高いIQを求めるのは、成長が早熟であることを求めるのと同義であるが、そればかりを求めて、いったいぜんたいどのような次世代を作りたいのだろうか。十把一絡げにそれぞれの長短を潰してまで遺伝的収斂を急ぐ必要はまったくないとおもう。遊びのぶぶんたいせつ。

 

選択による品種改良のほか、もっと直接的に遺伝子組み換えもできるように我々は手段を手に入れた。社会的モノサシ、評価基準が最終的に経済に帰結してしまうような軸1つ2つしかもたないのは、いささか危険すぎる。

 

まあ、なんども歴史は繰り返しているので、そうやってちょっと遠回りするのも人類。もしかしたら行き過ぎたらアルジャーノンがなんとかしてくれるかもしれないし、黒い頭のネズミが全部喰らいつくしちゃうかもしれない。
ま、なんとかなるさ(楽観)

 

参考

「IQの低さと偏見・人種差別主義の傾向に関連」カナダの研究チーム
news.livedoor.com/article/detail/6237319/

 

Bright minds and dark attitudes: lower cognitive ability predicts greater prejudice through right-wing ideology and low intergroup contact.
www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22222219

 

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
肌の色について「個人差」と「人種による違い」の2点がどのようなメカニズムで起こってくるのか、についての資料を探しています。
crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000142944

 

トバ・カタストロフ理論
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95%E7%90%86%E8%AB%96

 

Y染色体ハプログループ
ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
暗黒バエ
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%BB%92%E3%83%90%E3%82%A8

 

縄文人の平均寿命、男女ともわずか14.6歳だった
karapaia.com/archives/51581310.html
レファレンス事例詳細(Detail of reference example) 江戸時代の男女の平均身長はどれくらいか。
crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000013899


教育と訓練。遺伝と環境。


テストで点数をとるためのトレーニングが教育と勘違いされるようになって久しい。本末転倒で残念なことだ。勉強にも教育にもあれこれいいたいことはあるが、今回は、「同じ勉強をしているのに差がつくのはなぜか?」ということについて。

同じ勉強をしていて差がつく「本質的な理由」できる子とあと一歩の子の意外と大きい違い
石田 勝紀 :緑進学院 代表取締役
toyokeizai.net/articles/-/149489

理由を「やっぱり頭の構造が違う」「遺伝だ」など、努力しても手に入らないところに置き、自分を擁護したりすることもあるでしょう。
(中略)
一部の天才的な子はそうかもしれません。しかしそのような子が存在する確率は非常に小さいはずであり、身近にそんなにたくさんいるものではありません。

勉強ができる子は、寝てる時以外も学びに関心がいっているから勉強ができるんだってっさ。あはは。

「一を聞いて十を知る」という故事があるけれども、同じ感受情報からでも辺縁まで探索できる探索網の深さと広さは、そのものずばり、脳みその性能差なんじゃないかなと思うんだけど。「存在する確率は非常に小さいはず」というのは、遺伝的多様性を過小評価しすぎではないか。

脳みそも生体機能のひとつであるので運動能力と同程度にはその出現率は正規分布に従うはずだ。

 

同じ体育(トレーニング)をしているはずなのに足の速さに差がでるのは「寝ているとき以外、すべてトレーニング」しているからと言えるだろうか。野生の虎は強いが生活そのものが鍛錬だからだろうか?

筋細胞の割合や骨格、速筋の割合は遺伝にも強く支配される。アルコールの分解能に個人差があるのは、酒を呑む訓練していないから、「呑んでいるとき以外、すべて肝臓鍛錬」しているからだろううか?分解酵素を発現できない遺伝特性がある人を訓練でどうにかできるだろうか。

 

fellowshipoftheminds.com/2014/10/11/how-smart-or-stupid-is-your-country/
知能指数にはいくつか種類があるそうだが、50~69は軽度知的障害として分類される。35~49は中度。71~85はボーダー(境界域)。

知的障害
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E7%9A%84%E9%9A%9C%E5%AE%B3

受験勉強で競うステージに立つのはおそらくはボーダー以上で、しかも入塾テストなどでも弾かれているため、極めて均質限定的な遺伝的同質性を前提にした議論であるように感じる。

東大生の平均IQは(ネットででまわっているレベルの言説によると)120だそうだ。120ぐらいを最頻値にする母集団のなかで、145以上のIQを持つひとを天才と認知するのであれば、それはごくごく稀な存在として認知されるかもしれない。

 

おそらく、さらに上のIQをもつ人もいるだろうが、重度知的障害者と同様、他の合併症などを併発している可能性が高いため大学生活のような凡庸な場には出てこないのではないだろうか。社会で接しうる観測範囲のなかでは稀と感じるかもしれないが、個体としての出現率はおそらくは正規分布に従うはずだ。

 

東アジア、中国、韓国、日本あたりではIQ105あたりが平均値だそうだ。中央値と最頻値にあまり差のなさそうな分布になっていて、知的障害者が社会的にも分離されてしまっているために、そう感じるのかもしれない。おそらく日本の大学受験勉強ぐらいだと、標準的な知能の子が点とりゲームにいかに熟達しているかが合否をわけることがあるので、おおかた訓練量の多寡が一番影響を与える変数なのかもしれない。

 


www.liveleak.com/view?i=cd7_1462213771&comments=1

世界のIQ分布。

この図によるとアフリカが酷く低い状態となっているので、差別を助長していると勘違いされかねないが、知能指数や運動能力は遺伝だけでなく、幼少期、発達期の栄養状態にも大きく影響をうけることを忘れてはならない。

 

人類の遺伝的多様性は過小評価すべきではない。

字が読め、文意が理解でき、思索がおこなえている時点で相当に恵まれているのだ。

  • 9歳の壁:分数が理解できない。
  • AIがぶち当たっている壁:文意が理解できない。

これらは、トレーニング量の多寡だけでは解決しない。ポアンカレ予想や、リーマン予想、シェイクスピアやモーツァルトが残した成果に学習量の多寡で到達しえないのと同じようなものだ。

 

しかし、運動能力が車やバイクなどの移動装置で補完できるように、知性も外部装置化でおおよそ補完できる。

スマフォや、コンピューター、ネットの有り無し、手順書の有り無しは、結果に対して知能指数由来の要因以上の影響を与えるだろう。

自動運転装置などは、老齢化し認知能力が低下した人類にも役にたつだろう。

 
テストの点に差が出るのは、訓練の成果でもある。

訓練を積めばウエイトリフティングで重たいものもあげられるようになるのと同程度に生体機能向上がみこめる。しかし、トレーニングに偏重し、重量挙げを筋肉だけで課題解決をしようするのならば人類に発展はない。

脳みそは生体機能である。トレーニングも有効ではあるが衰退や老化もする。同時に過負荷のトレーニングや稼働をおこなえば故障もする。点をとることに執着し訓練を積み、過剰最適をおこなえば偏狭になる。頭のいいバカを量産するのはいかがなものか。

 

 


木造建築にタバコの吸い殻を捨てちゃうような、火を扱うのには早すぎる人類も居る。

fool-proofこそが文化資本だ。

 

 

勉強を教える(テストで良い点をとれるようにトレーニングさせる)よりも、環境を整え文化資本にアクセス容易なように障壁をとりのぞく環境をつくことことこそが教育側の役割ではないか。例えば、プログラミングができるようになる、ならないは本人の資質以上に学ぶことができる環境構築ができるかできないかにかかっている。

努力ができる環境を。そして、局所最適、過剰最適しすぎない環境を。

 

 

同じ勉強をしていて、差がでるのは自然なことだ。

しかし、その差ばかりを重要視してはならない。外部装置による影響のほうがでかくなってきているのに、勉強の成果だけを基準にするのは、いささかモノサシが足りない。他人の感情を理解できるみたいな、そのほかの会的な評価モノサシを増やさないと、文明は低迷する。(んじゃねぇかな。ど?)

 

参考

日本、中国、韓国人は「世界で最も頭が良い」、英国の研究者の知能指数調査で明らかに―香港メディア
news.livedoor.com/article/detail/10151293/
WORLD RANKING OF COUNTRIES BY THEIR AVERAGE
iq-research.info/en/page/average-iq-by-country
IQ mode average countryでイメージでぐぐった。