あれから7年化石燃料の輸入額はどうなったか


原発を停止すると化石燃料の輸入額が増大して大変な貿易赤字になると言われていたことを覚えている人は多いとおもう。あれから7年。どうなったか。

エネルギー調査会などで議論ベースにあった資料によると、化石燃料の輸入額は27兆にまで達し、うなぎのぼりなグラフになっている。10兆円も増えるしもう大変!みたいな。

このグラフの元になっている財務省貿易統計から鉱物性燃料の輸入額のその後の推移をみてみよう。

白いところが鉱物性燃料の年度推移。うぇぃ。半分になっちゃってるよ。

経年データを追いたいので、統計局から2000年~ 2018年の元データにあたる。
データをExcelにおとしてグラフ化した。
いっとき、28兆近くまで膨らんだ鉱物性燃料の輸入額は、18兆、12兆、16兆。

 

 

 

感想

なんかグラフだけみると、東日本大震災とは関係なさそうな要因っぽよね。

まあ、こんなもんか。

 

ここ数日、財務省の文章書き換えどうこうが話題だけど。しょーもないなーと思う。統計が嘘をつくのではなく統計で嘘をつくとはよく言ったものだが、判断の材料となるものに恣意性を混ぜ込ませると、ろくなことないよね。
まー、よくない。

 

にしても、鉱物性燃料の変化原因はなんだろうね。
シェールガス革命がらみかなっと貿易統計ながめてたら、EUからの液化天然ガスが300%とかになってるのとかがあったので、EU方面もからんでるようだ。

 

 

原発について

車みたいな比較的単純な機械でさえ、まったく乗らないような状態で動態保存ってすげぇ難しいよね。原発なんて、動かさなくても維持コストばかみたいにかかるんだから、可動年数若いやつは動かせばいいじゃないとか思う。

ただ、伊方原発お前は駄目だ。

東南海地震が遠からずってタイミングに中央構造線の前上、しかも豊後水道側にある佐田岬半島からって、ここまでくるとわざとなんじゃないかなと思う。

10年前の冷蔵庫が、消費電力は1/3で、収納容積が増えているみたいな話しがあったけれども、短期の利潤のせいで、長期的に不合理な判断をするようなことはしちゃならねぇと思う。

まず、政治、単年度予算で動くってのをやめてもうちょっと計画的になってください。

今日は311、みなさまの未来も健やかならんことを。

 

 

参考資料

品目別輸入額の推移(年ベース)

クリックしてy2.pdfにアクセス

 

1.我が国のエネルギー需給構造が抱える課題 化石燃料への依存と貿易赤字
総合資源エネルギー調査会 原子力小委員会11回会合 参考資料2

クリックして011_s02_00.pdfにアクセス

 

普通貿易統計 2018年1月
www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00350300&tstat=000001013141&cycle=1&year=20180&month=11010301&tclass1=000001013201&tclass2=000001013203&result_back=1

2018年1月分 概況品別統計品目表 (輸入 1月:輸入9桁速報) “3” 鉱物性燃料
・・・品目をコード表示ででCSV提供ってひどいよね。。。

 

集計項目 22 鉱物性燃料 年別・月別 2000年~ 2018年(昇順)
www.customs.go.jp/toukei/srch/index.htm?M=27&P=1,,,5,22,1,,,,,,2000,2018,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,20

 


くそドキュメント管理と公文書


森友学園の決済文書の問題がひどすぎる。なんてちょろ松な。

 

 

たのむから、やってくれ

  • 文書管理は紙と印鑑をやめて電磁的記録法に移行して
  • 縦割りで文書管理しないで、文書管理だけの組織を内閣官房とかにおきなよ
  • それらを管理監督する行政監察官をおいて指導しなよ
  • 行革推進本部は神エクセルだけでなく職務能力のほうでオフィシャル・ディベロップメントもしないと
  • せめて[変更履歴の記録]ボタンをポチッって記録するようにして
  • 印刷物には出力日や文書管理番号を印刷しよう

 

やれたらいいな

  • 決済印(決済レベル)ごとに異なるレポジトリーサーバーにプッシュされるようにする
  • 公開文章とかはgithubとかにもぷっしゅ&公知
  • 正副あわせて全国3ヵ所ぐらいにミラーリング
  • microsoft wordとかが印刷するときに自身のMD5とかのフィンガープリントを表示させらたら楽なんだけどね=md5(self)みたいなの。

 

まだIT土方だった若かりし頃、くそが腐って手も付けられなくなったような現場に投下されたことがある。というか、最初からきっちりやれてればトラブらないので、手を引っ張られるのはどうしても、どうにもならくなってから呼ばれるパターン。大抵のトラブってる現場っていうのは、巨神兵を率いて薙ぎ払ってから作り直したほうが早いのだけれども、なかにはどうしてもクソの上に、クソを建てることを強いられる現場もある。

 

・・・。
言葉がすさんでよくないね。

 

で、そういう軟弱地盤の上に何かを積み上げなきゃいけないとき、必要なのはまずは論拠となる文章ドキュメントなどの固定化である。

そう!システムをつくるのなんて湖の上を歩くことぐらい簡単なことさ、それが凍っていさえすればね!!
ってことで、たいていの駄目な原因は言ってることがコロコロ変わる人がハンドリングしてたりすることによるんだけど、まず、こういう奴の心臓に杭を刺してぴくりとも動かないようにしなければいけないわけだ。

 

そこで、思い出すのが、超昔、父親の本棚でみつけた品質管理工学だかの本。
「古いドキュメントを持っている奴がいないように古いドキュメントは回収しなさい」というような仕様の周知徹底と再確認が書いてあった。そだねー。そかもねー。

 

まあ、回収するのは手間なので、バージョンを表紙に印刷するとかそういう事をしていたが、横着な人が雑じってたりすると古い仕様書を印刷してそのまま持つようなのも居て、そのうちヘッダー全部にdate()とかnow()とかを矯正出力させるようにした。

こうすることで、担当プログラマー間で齟齬が生まれたりして結合のときインターフェイスがずれてたりした場合、責任の所在がはっきりさせられるので楔を打ち込むことができる。こういうのはフールプルーフじゃないとならない。

 

 

昨今、国会で話題になっている森友学園の決済文書の取扱をみてると頭を抱える。
まるで20年以上前のVisual sorce safeもsubversionも、ましてやgitもなんてない時代というか、4000年前のシュメール人の円筒印章の時代だって、もうちょっとましな文書管理してたぞと、泣きたくなる。

 

報道によると、国会議員に開示され公文書として記録管理されているものとは異なる別のバージョンの公文書があるそうだ。一部報道機関側が確認し、さらに一部のひとが「私の持っている公文書は3パターンあるぞ!」とかいっているのが現状である。ネッシー状態で、ネッシーの写真を持っているひとがいて責め立てている。なんだそれ。ほんと、なんだそれ。

 

 

決済印が押されている文書が少なくとも一通以上はあって、それ意外のバージョンが存在しないことを証明しろと言っているわけだけれども、通常であれば一笑に伏すぐらいのこれをすぐ証明できないのであれば管理されてない状態といっていいと思う。役職ごとに押される印鑑のなんとも意味のないことよ。

有印公文書であるのであろうから、決済されたのちに改竄されたのが真実だとすれば、すくなくともいくつかの明確な犯罪行為がなされているし、それらの報道などが虚偽で国会が空転しているのならば、さらに深刻な事態だ。ことさらに深刻なのは、改竄がなかったとも、差し替えられてはいないとも証明する手段がないということだ。

 

内容の違う遺言状が3通でてきたぞ状態。公証人とか弁護士とかをいれたり、複数枚にまたがるものには割り印をしたりして、最終のものがどれでという、正当性を保障する。行政文書の場合は、公文書等の管理に関する法律で管理されているはずである。電磁的記録なんちゃらについても法律はあったように思う。

が、これが機能していないということだ。

おまえらまだ紙で文書管理しているのかとか、いいたいことはいっぱいあるけれども、いまとりあげられているのは政治だけの問題じゃない。内閣総辞職だとかそういうことじゃなく、行政府への不振につながる。登記簿謄本とか、戸籍とか、文章あるけれども、書き換えされてもわかんねぇぜーわじゃはーw ってレベルで、本当に質の異なる問題だ。

 

 

まあ、くそしょーもない結末な気がするけど、あまりに前時代的な言った言わないの世界でツチノコを追うようなことを真剣にやっているので、もう、ほんと、どうにかしたほうがいい。

 

参考

行政文書の管理に関するガイドライン

クリックしてkanri-gl.pdfにアクセス

 

安倍首相vs朝日、「書き換え疑惑」で最終決戦
財務省決裁文書は1強政権の時限爆弾か?
toyokeizai.net/articles/-/211662

 

参議院議員森ゆうこさんのツイート: “明日、森友決済文書のコピー出されてもなあ コピーは私が持っているだけでも、3種類あるんだけど。 どれを出すんだろう?”

 

朝日新聞「森友新疑惑」事実なら財務省解体、誤りなら朝日が解体危機か(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
gendai.ismedia.jp/articles/-/54700


りんごと働き方改革、裁量労働制について


昨秋スーパーでちいさめのりんごを見かけた。JAZZというニュージーランド産の品種であった。英国人がこの小さいりんごの事をAppleではなくCOX(コックス)と呼んでいたのを思い出す。XとCKの発音を間違えると猥語になるので日本人発音では注意が必要だ。

 

COXとはなんであったのかと今になって調べてみると品種名のことらしい。ふじとか王林みたいなものだろう。品種名が有名になりすぎてそれそものが呼び名になるパターン。ラーメンじゃない!二郎だ!!とでもいえばよいのだろうか。

 

なんでも、りんごというのはカスピ海沿コーカサス地方が原産地で、その「コーカサス地方の(Caucasus’s)」から由来してCOXと命名されたそうな。コーカサス地方は白人種(コーカソイド)の分岐地でもある。アダムとイブ、林檎には、なにやら深い意味があるような気がするけれど、さすがにそこまでやると話しがとびまくりなので今回はやめておく。

 

はてさて、日本で林檎というと青森県が産地としても名高いが、いったいなぜ遠くコーカサス地方原産の果物なぞが青森県が名産地になったかご存知のかたはいるだろうか?

 

1884年ごろに旧津軽藩士族11名が本格栽培を始めたからだそうだ。やがて士族の世に終わりが来ると予見した当時の先見の明をもつリーダーが藩士たちに仕事として本格栽培を開始させたのだとどこかで聞きかじった。それが成功しついには林檎といえば青森県の名産と呼ばれるまでになったのだ。

 

自分がおもうに、これこそが「働き方改革」だと思う。

世の要不要は移ろいやすい。外部環境に応じて働き方を変えるのはリーダーなりの主な職責であるように思う。

 

昨今、国会では裁量労働制なるものが審議されているそうで話題になっている。裁量を奪って誰かの監督下で労務に従事させることが労働という日本語だと認識していたので、無料賃金みたいかんじで、もうなんていうかちんぷんかんぷん。KISS。シンプルにしておきなよ愚か者って感じ。

 

タスクを切り出したり分解できる能力を持つ前に、制度として「裁量労働制」なんかやっても、誰も幸せになれないよね。機能しない。売上10億あげろ。ただし手段は問わない(裁量はおまえだ)って転嫁がなされるだけな感じ。ミッションもヴィジョンもストラテジーもない根性論まだ好きなの?

 

労働市場が十分に流動性していれば、無茶を言うだけの企業なぞ自然淘汰がすすんでいい感じなのだけど、日本はほら、長期住宅ローンとか保険や銀行審査とかで職業選択の自由の自由こそがほぼ有名無実化しているじゃない?現実的に考えると厳しいよね。

 

裁量労働制が10年ぐらい前に導入されたソフトウエアエンジニア界隈などでは、誰かが20日かかって終わらせる仕事を1時間でできる一騎当千のスーパープログラマーがいたとしても、そもそも成果物で価値評価をできる仕組みなどなく、結局はその制作に必要だった時間、人月評価でしか値踏みできなかったのでエライことになった。残業し何連泊もして結果をだせない人のほうが売上あがるみたいな。しかたないので、出来るエンジニアに新人いっぱいつけて抱き合わせ販売するみたいな。

 

「定額働かせ放題」などと口悪くいうものもあるようだけど、ああ、この言い方は、事の本質を捉えていないように思う。

かつて士族の世が終わったように、今、終わろうとしているものは労働集約的な仕事だ。やがてくる未来、もしくはもうきている現在は何時間働いたところで、な~んの価値にもならないことが顕在化する価値評価社会である。働くという意味と、稼ぐという意味が分離しつつある。

何時間働いたところで金にならない人は金にならないし、稼ぐやつは労働時間とは関係なく稼ぐようになる。

 

労働がそのまま生産性に結びついた農奴の時代や、モジュール化された規格工業社会のなかでは、決められた手順でマニュアル通りに働いていれば、最終的な生産性や品質にほとんど差がでない。人間をモジュール、交換可能な歯車として運営し、組織を大規模化することで経済的メリットを得てきた。しかし、工業化が十分に進み、高度情報化がおこると、ある点から人間より機械のほうが十分に柔軟で安くなる、そんな分岐点がある。

ソフトウエア開発の現場では、平均的な100人を合計した生産性が、誰かひとりの生産性に及ばないことなど日常茶飯である。昨今、花形のコンテンツ産業で考えても労働者としてのイラストレーターを雇い入れて100人雇い入れて経済的価値を持つ労務制作がおこなえるだろうか?作曲家では?小説家では??稼ぎ頭の金融産業では?トレーダーで無秩序に100人雇い入れたりなんかしたら?99人が稼いでもバカタレひとりで吹き飛ぶよね。

 

スキルとリソースは経営資源になるがワークはただの経費。
労働が非採算部門の経費としてしか認識されなくなったのは20年も前だ。だから非採算部門は分社化や国外などへのアウトソースがすすみ、権利などを集約したホールディングス化がすすみ、その結果、ブルーカラーの職が奪われアメリカファーストだのとブロック経済への回帰の試みがうまれだしているのだ。

 

「働き方改革」なるものは「労働時間を減らして、生産性を増やしたい」がための試みなのだと理解している。

 

新たに林檎なる未知のものの栽培に挑むのが「働き方改革」で、その後、品種改良したり植樹に挑むのが「生産性革命」であってほしい。希望。どこかで誰かが植えた林檎の木から実をあまさず毟るのを「生産性革命」、何時間もいでよいか認可制にするのを「働き方改革」じゃああまりにも愚昧。

 

やがて、人口の95%ぐらいの人に働いてもらうよりもいっそのこと寝ててもらってたほうが、トータルとしての合理性があがる世の中がくるとしたら、じゃあ、どうやって既存の「労働者なるもの」をくいっぱぐれさせないようにできるだろうか?どんな仕事をつくれる?労働をどうやって再定義するのって議論をしたほうが有益じゃない?

 

裁量労働性がいきつくところは1to1の契約社会ではないだろうか。タスクを明確化させ、フリーランスのように達成する職務を明確にしたうえで取引するか、もしくは仕事ごとに製作委員会のような社会組織をくむのか、それとも一定の社会的地位や保護と引き換えに、職務制作や職務発明をするのかはわからんが、両極はこの2方向だろう。機能すべきは選択の余地と、発注者や請負人の公開ログ、レジュメかな。

 

新種の昆虫を発見することが裁量自由な仕事として任せられた場合、それは誰にでもできる仕事ではないし、誰にでも成果があげられる仕事ではないだろう。

このような仕事において成果で報酬を結ぶのか、取り掛かりで最低限の報酬を求めるのかなどは、契約者間合意による。しかし、このような卑近な契約関係にみても、個人の信用は資本の信用に及ばないので、お金を持っているほうが信用力が高く、力関係に差がでて、契約は不平等なものとなりがちだ。まあ、請負側になんらかの保護措置が必要になるのかもね。

 

まあ、銀行とかがギルドみたいな中間組織が依頼費をデポジットして、指名依頼かオープン依頼かにしたらいいんじゃないの。あとは働きの信任と貨幣はわけちゃえばいいじゃないとか思うけれど、これもまた長くなるので今日はおしまい。

 

・・・あれ、なんの話しだっけ。

 

#  参考

青森県庁内のりんご
www.pref.aomori.lg.jp/sangyo/agri/ringo-rekisi02.html

 

青森りんごの歴史年表
www.aomori-ringo.or.jp/presentation/sec03/para01/

 

裁量労働制とはこういう制度(佐々木亮) – 個人 – Yahoo!ニュース
news.yahoo.co.jp/byline/sasakiryo/20180222-00081906/

 

大胆提言!日本企業は今の半分に減るべきだ | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
toyokeizai.net/articles/-/209674