8/21-23にかけてMusic Hack Day Tokyoが開催されるそうな。
二回目の参加を予定しているのだが、でも音楽の未来ってなんじゃいな?
音楽のハックしどころ
音楽の構成要素はシンプル。音の高低、長さ、強さからなる。
しかし、受け手が人間であるので、それだけで完結はしない。
音色だの歌詞だの、はたまたダンスだのの付加要素が音楽をインターフェイスだけのものにしない。
誰が歌っているだとか、誰とどんな時に聞いた思い出だの、どんなときに作られた曲だのの背景情報、文脈が音楽に絡まってきて複雑怪奇なものにする。
音楽という現象を観察しようとするならば、三方向から観察できるのではないか。
- オーディエンスサイド
- プレイヤーサイド
- クリエイターサイド
それぞれ分解して未来を考えてみよう。
オーディエンスの未来
CDという円盤は確実に絶滅危惧種になったのだが、いまだにアルバムカットが前提となったままであるなど流通のミスマッチがオーディエンスを不幸にしているそうな。プロモートされたアーティストや曲ばかりに晒され、偶発性が奪われたままだ。既知のアーティストや曲など検索できるものしか検索できない現状がある。プッシュされて送られてきたものに聞き手側が文脈を持てというのは酷な話だ。
フェスやライブ
人々はフェスやライブに回帰するようになったのは非予見性、偶発性を求めるようになったからなのではないか。
アイディアソンでも話あったことなのだが、ジャケ買いのように偶然の出会い。検索させない音楽への出会いの方法を提供するようなサービスは必要となるかもしれない。
より体感的に、フィジカルに
立川の爆音上映でマッドマックスを見てきた。ウオーボーイズが「よく死んだ!」と褒められるたびに映画館が空振する。爆音すぎて音が耳ではなく肌で聞けるのだ。音楽というより、あんなんはもはや肉体言語だ。
常識破りの成功 映画館に革命を 立川シネマシティ「極上爆音上映」の野心
weekly.ascii.jp/elem/000/000/355/355161/
下記はマキシマムザホルモンのMETROCK 2015 のyoutubeにあがってたものであるが、
3分40秒のあたりをみてほしい。
会場が一体になってヘッドバンギングしてステージが揺れたり、ウオールオブデスなどのモッシュピットが発生したりしている。観客がこういうフィジカルに音楽を楽しむという傾向は強まってきているように感じる。
はたまたブルーノートのように食事やお酒を楽しみながら、はたまたVJ+DJで踊りながらなど、様式は多様なれど、音が音楽から分離したもので楽しむのではなくより原始音楽に近い形で顕現してきているのは、きっとイモータンジョーも保証してくれることだろう。
音楽というカテゴリに含めてよいかはわからないが、
この動画は亡くなられた高校の先生をハカというニュージーランドの民族舞踊で迎えるという非常に伝わるものがある動画なのだが、こういうものが音楽の原点にあるのだとして、音楽はそこに回帰していっている最中なのではないか?
テクノロジーによって音楽は聴くだけに留まらず、フィジカル方向に拡張される未来だ。
レコードプレイヤーから流れた音波の再現だけの技術水準から、ヘッドマウントディスプレイに低周波マッサージ器で筋肉をビリビリさせる未来がもしかしたら1mmぐらいはあるかもしれない。
長くなったので続きはまた明日!