初めてのあてもない一人旅はスコットランドだった。16歳の夏であったろうか。
当時英国の左っかわの方に両親が住んでいたこともあり、それまでも一人で海外行きの飛行機にのったりなど国内外一人で長距離移動するのも比較的慣れたものであったのだが、宿泊先がきまっていたり、どの電車に乗ればいいかなど路順を事前に調べてもらったりしていたので旅という旅ではなかったように思う。
まだ青臭いガキンチョはどこに泊まるかも決めずに、ちょっとスコットランドの方に行ってくるねと行って旅に出た。
宿泊地はグラスゴーとエディンバラ。その後、私もおっさんになり世界各地いろいろなところに行った気もするのだが、はじめてタヨリもアテもない一人旅であったゆえ、最初の宿泊地グラスゴーという都市だけは今でも鮮烈に覚えている。
当時のグラスゴーは強烈な不況にあえいでいて、英国内でも最悪に近い状態の治安の悪い都市の一つだった。サッチャー政権が1980年頃に炭鉱閉鎖を決めたため街には失業者があふれていた。その失業問題は以後20年以上解消できないままでいた。無論当時の私はそんな事など知ろう由もない。
グラスゴーの駅にあったインフォメーションで朝食のついた安い宿泊施設を案内してもらい、B&Bというよりはホテルに近いエレベータのあるユースに泊まる。ちょっと厚めのベーコンとソーセージにハッシュドポテト、目玉焼きと薄いパン。シリアルとやたらに美味しい牛乳とオレンジジュースのありふれた朝食を寝坊して食べ損なったのを今でも記憶しているのだから食べ物の恨みというのは恐ろしい。自業自得なのだが…。はて、食事の内容を覚えているのに食べれなかったことも覚えているということはどういうことだろうか。数泊したのだろうか? もしかしたら行きと帰りで立ち寄ったのかもしれない。
まあ、そんな宿泊施設。地上から4~5階だっただろうか、街の屋根を見下ろせる程度の高さの部屋であったことは覚えている。鉄パイプと薄いマットのベッドに大きいソファー・チェアー。夜、開けた窓から乾いた炸裂音が何度か聞こえた。パン、パンパンと。そんな音がたびたび。何度か。これダメなほうの炸裂音だと気がついたときに気休めにドアの前に大きめの椅子を動かしてバリケードを築いてから寝たのは別に臆病だと責められるほどでもないように思う。あぁ、寝坊も許されようというものだ。
経済が悪いのはすべてイングランドのせいらしい。そんなスコットランドが独立したいのだという。
グラスゴーでは賛成派が反対派をうわまったが全体では否決された。
東京の地下鉄でサリン事件が起きていた頃、ロンドンの地下鉄ではIRA(アイルランド共和軍?)のものとみられる爆弾テロが相次いでいた。彼らは昔からなんとしでも独立したいのだ。独立を主張したいのだ。失敗した今、またかつてのように先鋭化した集団が過激な手段がとられないことを願うばかりだ。
日本では英国のことを「イギリス」と呼称する。しかしアイルランドとかでイギリスなんていおうものなら、胸ぐらぐらいは掴まれることは覚悟しなければいけない。イギリスとはイングランドのことであって、スコットランドはイギリスではないのだと物静かそうなおじいさんからも説教をうけるだろう。日本の学校で習ったような英語をつかうとアメリカ人みたいな言い方はやめろと注意される。とても気むずかしい地域なのだ。ちなみにイギリスといわれて快く思わない地域は多いので、日本以外ではユナイデット・キングダム、U.K(ユーケー)と言うのが無難である。あ、もちろん日本でUKなんていおうものなら生暖かい目をされるので、日本では空気を読んでイギリスと言うようにしよう。空気を読んだ世渡りはかくも難しいものである。
言葉も違うし、違うことも強いこだわりがあって、違う通貨も出回っている。(通貨単位は一緒のポンドなのだけど、アイルランド中央銀行というものがあって、違う肖像のお札やコインが出回っていたりする。いまでもあるのかな?)
また万里の長城のように、イングランドとスコットランドの間にはハドリアンウォール(ハドリアンズウォール)という列島を東西に横断する物理的な壁がある。
これは神聖ローマ帝国時代に国境線としてAD122年頃から建設が始まったもので、当時のローマ帝国も抵抗が激しいスコットランド側の平定を諦めることに決めた地点でもある。かれらの先祖はローマ帝国ですら退けた。つまり、2000年も前からかの地は併合容易ならざらぬ地域なのだ。
ロシアとクリミア、シリアの問題、イスラム国の問題、中国と南沙諸島の問題。いつだって国境とそこに帰属する人たちの問題は地球上から一度たりとも消えたことがない。一度収まった国境ですら今回のように分離を叫ばれることがある。所以はどうあれ現代国家の一部地域が独立を果たすというのは生易しいものではない。生易しい問題ではないが、まったく考えなくてもよいわけでもない。
近代国家が戦争をするというコストはかつてのそれより格段にあがってきている。
かつて戦争をすることによって得られる利益というものがあったが、近代国家は戦争によって得られる利益よりも損失のほうが大きくなっている。
近代戦による焦土化、戦争による経済の停滞、国際商流からの仲間はずれ、負傷兵への保証、家族への保証、国際連合からの報復。いずれも、先進国であればあるほど看過できない問題だ。また勝っても併合コストは生易しいものでない。得られるものよりも失うもののほうが大きすぎるため先進国同士での戦争はわずか数十年ばかりではあるがこれまでは回避されてきた。
戦争をすることのコストがあがり、戦争の脅威が少しでも遠くにおいやられると抑止力たる暴力装置(軍)の問題がうかびあがる。軍などは集約化したほうが運用コストが下がる。市町村で組織された自警団をいくらたばねても軍にはらならいが、市町村を束ねてから国をつくり国の自警団をつくれば軍隊になる。ある種の大掛かりなものは国というレベルで運用したほうが、コストも下がり成果があがる。
しかし、国より大きな枠組ができたときはどうか。国連という連合組織や、EUという協同運用体がスコットランドにとっては、イングランドと組むよりもよいのではないかと天秤にかけることができるようになる。国よりも大掛かりな経済的な枠組み、治安維持装置ができてしまうとこんどは国という枠組みが形骸化する。
国の眼目は秩序を維持するための暴力装置と、通貨を運用し信用を維持するだけの信用。それを支える税収、その集まった税を分配する分配権にある。税の再分配は不平等を感じさせるものであってはならないし、信用を維持するためには将来にわたり継続性が予見されなければならない。
信用担保のための通貨(ユーロ)は国連やEUに依存できるとしたときに、先進国の一部地域の独立というのは選択肢としてありうるべきものとなる。
現実問題として考えると、スコットランドが独立することへの経済的な合理性はまったくもってないし、そもそもユーロに加盟できるのかとか、軍の問題はどうするのかとか、秩序維持ができるのかとか、通貨の信用性は担保できるのかなど、外部からみると、人々が扇動されているようにしかおもえない熱病にうなされた何かなのだが、それがアイデンティティなのだよと言われれば、なるほどそうなのかとも思わなくもない。
変化に対するリスクが考慮され今回は否決されたが、このような問題は再噴することだろう。もしかしたらそれはスコットランドでではないかもしれないが、国というものが地域のあつまりで集合離散を繰り返すものであるのであるので外部の環境が変われば国の状態もかわる。
やらかした国への国際制裁がうまく機能しなかったとき、内政的要員により指導者が誤った判断をするしか選択肢がないとき、大衆扇動がうまく機能したとき、自然や人的な災害に見舞われた時。ささいな連続性の喪失で変化は突然に訪れる。
やれやれ、なんの話しであったか。
おおぉそうじゃった。国じゃったな。
かつて人々は国をつくるメリットを見出した。お互い少しづつ譲りあって大道合意形成をする。国は最大公約数的な枠組みをつくる。経済連携などで国同士があつまって妥協点を探る。大きな枠組が完成に近づくにつれ、最小単位は国からもうすこし小さなユニットになる可能性は十分にある。
日本全体を指す時、全国という言葉がつかわれる。日本もお国の集合体なのだ。