まだ働きと成果の見分けがつかない


思索。仕事を草むしりに例えてそれぞれの価値について考えてみる。

草むしり業界→労働者の熟練による成果の差が数倍以内に収まる業界。

草刈り業界→鎌を使って良いよ、電動草刈機を使って良いよなどの道具や設備で差。業務改善効率。

除草剤業界→除草剤ができた~などの、目的を既存の手段とはまったく別の経路で達するイノベーション。

 

##草むしり業界

草を引き抜く労働なんかは代表的な単純労働。労働者の仕事への従事時間による熟練が、仕事(成果)に影響を与える。労働集約度の高い仕事。

その差は「きちんと働いて」いさえすればどんなに習熟度に差があっても成果は2~3倍程度に収まる。
ピロリとアンダーソンの学習曲線によれば習熟度は次の学習曲線に従う。

RT を反応時間、N が練習量
RT=1.40*N^(-0.24)

こんな式で表すことができるそうだ。
指数部分が1以下(約1/4)なのでかなり早い段階で収斂する。反復量は早い段階で差に軽微な影響しか及ぼさなくなる。
草むしりビギナーが草むしりマスターと遜色ない仕事をするまでのトレーニング時間は予測できる。
マイナスかつ分数の指数の計算方法とか忘れちゃったよね。↓のリンクでも見て思い出して。
www.geisya.or.jp/~mwm48961/kou2/fractional_exponent1j.htm

1.40*N^{-0.24} = 1.40*N^(-1/4) = 1.4/4√N

こうか?

つまり
練習量を1 (1^4)とすると反応時間は1.40
練習量を16 (2^4)とすると反応時間は0.70
練習量を81 (3^4)とすると反応時間は0.47
練習量を256(4^4)とすると反応時間は0.35
練習量を625(5^4)とすると反応時間は0.28

こんな感じになる。練習量1のものと練習量625の差は1.4対0.28なのでわずか5倍。625倍の練習をしているとすればここはわずかという表現をつけて差し障りはないと思う。

 

年齢、性別別の人間の短距離走の早さはほぼ正規分布曲線に従う。
早く走ろうと適切な練習を続ければ、タイムは徐々に早くなっていく。
しかし習熟度が高くなればなるほどタイムは伸び悩む。

ウサイン・ボルトを人類の限界値とする。100mのワールドレコード9.58秒。

  • 走るのが苦手で100mに30秒かかるA君。
  • 結構走るのが早い100mを12秒で走れるB君。

A君とB君の差は28秒
B君とボルトの差は2.5秒

走るという成果(仕事)の差を見るにB君とボルトの差は1割以下、軽微なものである。
ひるがえって、ある程度の練習量を積んだ労働者と卓抜した労働者との成果の差は10%ほどの差もない。労働集約的単純労働。よしんば刺し身にたんぽぽを乗せるような単純労働では、熟練者の給料を2倍にするより2人の新人雇って一ヶ月育てた方が費用対効果は高いことが期待される。

一生懸命真面目に働いたとしても、成果限界がみえる労働集約的な仕事では、時間拘束にしか比例しない。

 

もっとも、このような労働市場は市場占有率が高い企業であるほうが規模の経済により企業としても学習曲線効果を得る(ポーターとかのマーケティング)ので、労働者の労働環境という待遇としてはよくなるかもしれないが。
スケールメリットを考えだすと、ぶれるのでここでは言及に留めるが、どんな複雑な仕事も分割してしまえば単純労働だと言ったのは、ベルトコンベアによる労働を発明したロックフェラーだったような気がする。→訂正8/13 ヘンリー・フォードさんでした。てへぺろ

 

##草刈り業界

すこし踏み込んで、装備とか道具による仕事改善効率を考える。
いばらの鞭による連続攻撃はひのきの棒の何倍であろうか…という喩えは、、、悪手。なんでそんな喩えから入ろうとしたのか>自分…
草刈りにおいて「良く磨がれた金属製の鎌をつかっていいよ」という道具の介入を許すか許さないかは仕事成果に大きな差をあたえる。この差は労働者の熟練による差を大きく上回る可能性がある。

 

土手に生えた草を綺麗にしてくださいという仕事があったとする。

草抜きの達人10人 vs 電動草刈り機を使いこなす小僧

やるまでも無く、草刈機に軍配があがりそうだ。仕事効率の差は10倍を優に超えてくる。これが道具/設備による業務改善だ。
業務改善によりこなせる仕事量は増えるので、設備や道具にお金を使うことは経済的投資価値があるとみなすことができる。道具にはその改善された業務効率分の価値がある。草むしりを続けた場合、将来、必要になったであろう仕事量の累積から、道具を維持していくための費用や故障などのリスクを抜いたものと同じだけの経済価値がある。はずだ。
製造原価を下限に上限はその期待業務改善効率で道具の価格が決定される。器械や機械により労働者の仕事は一時的に奪われるかもしれないが、実行される仕事成果量は社会全体では増える。
道具を改善せずに、人員でなんとかしようとすると、ゼンショーのすき家ワンオペモデルで報告書があったように、人員の大量動員でのりきれるわけもなく、局地において人員を逐次投下しては全滅を繰り返すことになる。

 

##除草剤業界

除草剤という具象がいわんとしているのは、著しい業務改善をもたらす手順の発見、道具の発明というイノベーションモデルだ。旧来の道具からその将来にわたり提供される期待価値を奪う。しかし、同時に発見や発明に至るまでには失敗がつきまとい、発生した希少性、プレミアムが価値に上乗せされる。プレミアムは仕事の業務効率からだけでは逆算されない。

 

長篠の戦いで織田方が鉄砲を持ちだしたように、道具の改善の延長線というよりは目的を達する別の手段、代替の脅威が顕現したっちゅう感じ。

 

##仕事の価値と希少性

破壊的な創新を伴う働きと仕事の価値について我々は真剣に考えなければいけない。草むしり業界、草刈り業界はまだ同一線上にあるが、除草剤業界から成果の報酬にまじりこんでくるのは希少性だ。

 

この希少性がとても厄介で、希少性について書き始めたのだけど、なんかすげぇ難しく、とっちらかってながくなっちゃったので、分けるね。
今日はここまで!


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  1. ピンバック: 希少性が生む価値と労働対価。失敗の価値 | ここは3.11後の日本

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