歴史街道と崖線


こんな記事があった


東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず
仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。
(略)
国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。



因果関係が逆なのではないかと思う。

FloodMaps (洪水MAP)
もともとは地球温暖化により海面上昇があった場合にどの地域が浸水するかという目的でつくられたFloodmaps。これをつかえばその地点のおおよその標高がわかる。

flood.firetree.net/?ll=38.1616,141.0411&z=6
flood.firetree.net/?ll=38.1616,141.0411&z=9

これで海面を+6mと、+9mにしてみてみる。今回の津波被害にあった地域の海水面からの高さはもともと余り無いことがわかる。そして津波被害を避けたところは、+9mにしてもほとんど浸水がないことからみてとれるように急激に地面がもりあがっているいわゆる段丘崖であることが推測できる。

段丘崖のハケには湧水が湧く。そこまで地下水として通ってきたものが掛けで地表に現れるのだ。
吉祥寺駅の側、井の頭恩賜公園は将軍から「井戸の頭」と言われるほど、湧き水地帯だが、このような湧き水地帯というのも大体がハケだ。古代から人々はそのような場所に居を構えた。
千年とか数百年という比較的短い歴史で津波被害を考慮して道を整備したというよりは、もっと根本的な地理的背景から、旅人や馬の給水をしやすい崖線、段丘崖添い、しかも平で歩きやすい丘陵面を住居、そしてそれを結ぶ線を道としたのではないだろうか。詳しくは調べてみないとわからないとは思うのだが、因果が逆なのではないかと思う。

「歴史街道」が浸水しなかったのは、そこが標高が高いからという証明にはなっても、なぜ「歴史街道」が標高が高いところにつくられたのかは、津波の被害を避けるためという証明にはならないのではないだろうかと思う。
結果として「歴史街道」がなぜ標高の高いところにつくられたのかはもっと様々な背景推察や仮定がなされてよいのではないだろうか。

他参考
井の頭恩賜公園
武蔵野台地
まいまいず井戸
河岸段丘 – Wikipedia

段丘層・段丘面(だんきゅうそう・だんきゅうめん)
ハケ下湧水群


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