田舎都会論がもりあがっているようです。
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都市部の悩み
昨日は東京にしては珍しく雪が降った。雪が降る中数百メートル分を雪かきをした。時間貸し駐車場の前まで一応道をつくった。駅前通りなので雪が降り続いていても歩くひとは絶え間ない。綺麗に雪かきされた道を歩くが、しかし、一時間以上雪かきをしても、手伝ってくれる人もいなければご苦労様の一言も声をかけてくれた人はいなかった。
10階建てぐらいのビルが立ち並ぶこの通りに住んでいる人は多いが雪かきをする人は地場の商店主ぐらいしかいない。それも致し方ないことなのだろう。他からきてたまたまここに住んでいるだけの他所様なのかもしれないし、そもそも土くれもない場所でスコップを持っている理由もない。人口あたりのスコップ保有率を調査したいぐらいだ。盲人用の点字ブロックは雪などが降り積もることを微塵も前提としていない雪が振らない場所では雪かきをしなければという発想もないのだろう。
近くの消防署から消防隊の人たちが大勢スコップを持ってでてきたのをみて「援軍か!」と思ったのだが、防火水槽のまわりだけゴソゴソやって帰っていった。あぁ、そこはさっきやっておいたのだよ…。
ここは三鷹。新宿というところから電車で20分程度離れた都下の街である。吉祥寺の南側が三鷹だといえば、なんとなくわかってもらえるかもしれないが住まうにはほどよくいい場所だ。
しかし祖父が三鷹に移転してきたころはまだ村で、たぬきがでるほどの田舎であった。
祖父は千代田区の銀座界隈で育っている文字通りの都会っ子だ。しかしかつての実家は空襲で綺麗にすべて焼けてしまい、面影を残すものは何一つない。
「都会」がすべてが焼けたわけではないはずだが面影を残していないもう一つの理由がある。不動産価格の上昇だ。かつては日本は土地が価値をもっておらず、純粋に建物の価値であったが戦後それが変わった。贈与、相続で猫のひたいのような土地に細かく切り分けられ鉛筆みたいなビルばかりがたった。
うちの祖父は百歳近くまで生きた長生きであったのだがとうとう先日亡くなり、我が家もその洗礼を受けることになる予定だ。地価公示価格で平均40万/㎡、坪145万としても100坪ぐらいはあるので億円クラスになる。相続税だけでちょっと普通に生きてたら無理な額だ。収益性の建物にしてビルを一棟建てるにも4億円ぐらいかかる。
年寄りもいるしできればこのまま住んでいたいのだが、あまりうかうかもしていられない。固定資産税の支払いだけでサラリーマンの可処分所得がなくなるような土地で、大根やら小松菜やらの家庭菜園をつづける経済的無駄をぶちかます余裕はさすがに相続税相手には無い。税の支払いを銀行から借り入れてしまったが故、数年でケツの毛まで抜かれたという家もある。税を払うために借入をおこして、この経済情勢、人口動態下で現在価値で数億クラスの不動産にコミットすることにあまり合理的理由もないだろう。
そもそも祖母や両親のような年齢の人間には、住み慣れた土地や家から離れるというのはお金でどうにかなる問題ではないのだ。形が変わってしまえばそこに価値はない。経済価値以外の評価についてこの国は制度設計上、想定もしていない。当時田舎だった場所に住まいをうつし、愛着があった銀座という名前をつけて、商店街をつくり街を育てたらあとから人が増えてきて、自分が死んだら女房が家から追い出される。祖父からすると、いったいどんな皮肉だろうかと思わなくもない。
富裕層への課税が45%だどうのとのめくらましの元、しれっとその対象となる贈与税の控除額が大幅に変更になることが決まっている。おそらく一般的な資産を形成する家庭でも親子3代もすればすべてお上に召し上げられることになっているので、あまり話題にもなっていないが注意が必要だ。注意したところでどうしょうもないけどな!! まあ都市部でのこるのは社寺地か土地成農家ぐらいだよ。つか、俺も店なし家無しになっちゃうんだけど、どうすべぇ……。ほんと税金っておっかねぇべ。
都市部の形成について
都合がいい環境だと後から勝手に人がどんどん増えて都会になっていく。働くのに都合がいい環境とか、静かに暮らすのによい環境だとか、子供を育てるのにいい環境だとか遊ぶのに都合がいい環境だとか人に評価尺度が違う。これらをどれも高い位置で満たすところに人があつまり環境投資された都会といわれるものになっていくのだと思う。
縄文時代であれば飲水にアクセスしやすいハケ地であったり、水害に襲われない場所が重要であった。中世にはいり外敵から攻められにくいことが重要となり城下が形成され、城壁や堀、運河が形成された。工業化社会を迎えて、資源は労働力になり、人間の集積化がすすんだ。
原材料や消費者アクセスに優位な地理的ロケーションかどうかが、いつの時代も評価軸なのだろう。しかしながら、工業化社会から情報化への変遷にあたり、「供給先」や「供給元」の定義は非常に大きくかわりつつある。工業化やユニット化で労働力は海外にも移転可能、代替可能な資源とみなされ、ホワイトカラーの知識産業はノマドよろしくロケーションフリーになりつつある。
都会の条件も医療や治安、教育のような無形財へシフトしていくことだろう。
よく整備された道路や鉄道のような交通網。デザインされ人が多くあつまる商業ビルディングは現在の都会の象徴である。六本木ヒルズは300年持つように計算されているし、東京スカイツリーは東日本大震災にも耐えた。
だが、いずれも耐久消費財なのだ。維持することにもお金がかかる。
100年後のヒルズは最新ではないし、地上波デジタル放送のアンテナも必要とされていないことだろう。そして、耐久消費財は壊すことにもお金がかかるのだ。
エンパイアステートビルはいまだ現役の世の中において、高度経済成長期に立てられた集合団地のいくつかにはすでに打ち捨てられる徴候がある。なんらかの資源へのアクセスに優位であったロケーションからはずれた街から破棄され、新しいところに人があつまる。都会と呼ばれる巨躯は人があつまらなくなるだけで著しく荒廃する。
あすの軍艦島(かつて海底炭鉱で栄えた島)はどこだ?
あすの人々が重要視する資源はなんでしょうかね?
つか、俺どうしようかなー