メイカーズ 過剰生産の先にある雇用


diamond.jp/articles/-/25870
2006年に“ロングテール”、09年に“フリー”というITブームを牽引するコンセプトを作った米国の評論家クリス・アンダーソンが、今週米国で“メイカーズ”(Makers: The New Industrial Revolution)という新しい著書を刊行しました

 

Makers: The New Industrial Revolution
www.amazon.com/Makers-The-New-Industrial-Revolution/dp/0307720950

 

アマゾンからkindleで電子書籍でならすぐ読めるんじゃねぇかと思うけど、読まずに粗筋から適当に類推して、このテーマで問題になりつつある過剰生産について考えてみたいと思う。

 

 

自動化や情報化は世の中の生産効率を著しくあがってきている。
市場経済下で価格は人々の需要に相対して決定される。需要より供給が過剰に上回れば作りすぎたキャベツのように潰さなければならない。過剰に作りすぎたものについては価値が形成されず、売値より出荷する手間賃などの方が上回るからだ。

 
現代の雇用の大多数は生産に従事することによりなりたっている。鉄鉱石の掘削から製鉄、農作物、はたまた車のような加工があり、生産があるからこそ、人々を支えるサービス業などが成り立つ。

 
100の生産を行うのに100人の人間が必要な産業があったと仮定する。
1人あたりの生産性は10だ。
機会化が進むとこれが1人あたり10倍の効率で生産をおこなえるようになった。
100の需要を賄う生産に必要な人数は10人だ。
残りの80人は別の”仕事”をすることができるようになり我々の生活が向上した。
さらにオートメーション化が進み、1人あたりの生産は100倍になったとする。
100の需要を賄うのに必要な人員は1人だ。
残りの99人は別の仕事をすることができるようになった。

 

 

「できるようになった」という表現は柔和な表現だ。
残りの99人は必要とおもわれる需要を掘り起こさなければ、食べるために別の仕事にありつけないという問題をつくりだした。人間の群全体としては生産が足りていたとしても、その個体が社会から必要とされるためには、群に対してその有益性を顕示しないとならない。それが現代の働くという意味になっている。需要が創出できず市場の成長がとまればひいては雇用の問題に発展する。

 
もてあました生産性で新たな需要を求め途上国へ進出するようになった。
だがしかし、情報化社会は非熟練労働者でも同じ生産性や製造品質を実現するという水準にまで生産性を向上させ、お客さんであったニューカマーの新たな生産者に変えてしまう。新たな生産者10億人はさらに新たな市場を求めなくてはならない。

 
市場の競争は何か特定のところに利益が集まっていれば、それが平準化されるまで新規参入による挑戦が続く。
個人としての生存戦略であればスマイルカーブの両端、所謂口角の部分の部分に居られるようにするよりない。

 
だがしかし大局観をもってこの余剰生産と雇用を見つめると、%で(指数関数)効率化する情報化社会と等差級数でしか増えない需要では勝負はみえている。いずれあらゆる面で供給が需要を追い抜く。

 
そうなってくると価格を決める要素となるのは現代では希少性だけだ。
価格決定におけるプロセスにもいろいろな方法があり、原価計算による手間賃を上乗せした定率法などと、希少性などをもちいたプレミアム価値がある。プレミアム価値による価格決定は労働生産性という意味で同一軸上で評価することに意味がなくなる評価限界がいずれくるのではないかと思う。

 
実態評価(労働換算による評価)の難しいブランド価値形成がこのままいくと、受給のわずかな濃度差にレバレッジをかけたゲームになってしまい、雇用という意味あいにおいては危険である。
facebookやgoogleが史上最大の時価総額を記録しようとも、企業価値評価と雇用が結びつかないっちゅうお話しでした。でも、多分本の内容はおまえらこうしたら儲かるぞ的なことなんじゃないかと思う( ´,_ゝ`)

 


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