紅茶チェーン店が成功しないのはなぜなのか?
紅茶にコーヒーフレッシュでミルクティーがまかり通るのはなぜなのか?
そんなのがSNSで話題になってた。
一応、紅茶屋なので、口を挟みたくなった。長くなりそうなので、Xじゃものたらん。
でも、お店のほうのブログはもう数年更新もしてないし、このブログもサーバーの更新請求がきてて思い出したぐらいで7ヶ月ぶり・・・、だけど、まあ、よろしくお付き合いください。
紅茶とコーヒーをマーケティング観点から市場分析したこともあるけど、今日は人体の生理学的な観点から。
外食の味付、匂い付け
外食産業では味付けは甘じょっぱくするのが基本だ。
だが、甘すぎても辛すぎても浸透圧の関係から生命の危険を感じ始める濃度がある。
塩味、甘味もやがて飽和に達すると、今度はうま味で工夫するようになる。
そして、第6の味覚ともいわれる「脂肪味」、油マシマシ、オリーブオイルだばーになり、それすらも限界に達すると、今度は味覚ではなく痛覚、つまり「辛味」や炭酸のようなシュワシュワな刺激、はたまた噛んだときの食感やら喉越しみたいなもので特徴づけをするようになる。あとは視覚とかね。
香り。
動物は生存戦略の関係から焦げ臭さに敏感だ。特にタンパク質や炭水化物、油分が焦げる匂いにはごく敏感に反応する。
そして、腐敗臭、卵の腐ったような匂い、つまり硫黄臭にも敏感に反応する。だからどんなに、花粉症で鼻が詰まってもごくごく僅かに添加されているだけのチオール(ガス漏れの匂い)がわかるし、チーズ臭や焦がしねぎにんにく背脂ちゃっちゃの香りまでわからなくなる人はあまりいない。
同様に、味覚の中でも腐敗や毒と関係している酸味や苦みまでわからなくなる人は少ない。
加齢により苦みが分かりづらく、脳がアルコール代謝系にはいると酸味を好むようになるが、それでもまあ、どんなに二日酔いタバコやらで匂いも味も鈍化していたとしても、コーヒーの香りをわからない人はいないし、昭和ながらの酸っぱ苦いコーヒーの味までわからなくなるなんて人はまあ少ないのである。
これらはプレーンな紅茶にはないものだ。
だから、市販の紅茶飲料は柑橘系の香りを足したり、乳脂肪分を足したり、極限まで甘くすることで特徴づけをされる。
味力、嗅力
紅茶やらハーブティーやらを扱ってきてつくづく思ったのは、人の視力に違いがあるように、味覚や嗅覚にだって個人差があるということ。これは、努力とかではなんともならない、センシティブな部分も一部含むので、ちょっと説明や喩えが回りくどくなるかもだけどごめんして。
現代なら味覚を視力のように数値化するのはやろうと思えば簡単にできる。
例えば、お酢、砂糖、塩を溶かした溶液を希釈などして、何倍薄めたものまで、どれがお酢だとか当てられるかみたいな格付けチェック。こういうのを二重盲検でやってもらうだけで定量化はできる。脳波で反応をみてもよい。
でも、味覚や嗅覚は定量化、数値化することに意義が見出されることはなかなかない。
なぜか、視力ならメガネ、聴力なら補聴器みたいな矯正器具があるが、味覚や嗅覚には今のところそれらを補助する道具はそもそもない。
だから、その能力を定量化して計ったとしてもしようがないことだからである。
色の区別がつきにくい色弱、色盲というものがある。
赤色の感度が弱ければ、焼けた肉と生肉の色の違いをとるのは困難だ。
他方、通常の常人の100倍程度の色の見分けができる4色型色覚を持つ人なども居る。良い悪い、優れているだの劣っているだのではなく、人の特性は様々だという話。
その様々をあえて優劣という順にして並べたら、おそらくはそれらの出現頻度は身長のような感じに統計上は正規分布をとる。
おそらくと表現したのは、例えばこれに年齢や人種、職業などの生活様式で多項分布になりうるからだ。視力6.0が最頻値みたいな自然豊かなところで暮らす部族と、メガネばかりの理系学生みたいな偏った母集団を混ぜるなキケン。
遺伝子と色覚
人間の遺伝子は約32億塩基対から構成されるが、このうちわずか2箇所の文字が違うことにより瞳の色が決定される。青い色だったり茶色だったり。これは、虹彩のメラニン量の違いによるものだが、このメラニン色素の差が紫外線への感受性への差につながる。
赤道付近の金ピカの仏像やら、ネオン街、派手な看板、極彩色ごちゃごちゃした配色の町並みと、北欧とか極北の町並みの色使いの差は、単なる文化コード上だけの問題ではなく、そこに住まう人たちの遺伝由来の紫外線への感応性の差からきた指向性でもある。だから逆にはならない。
日本のように遺伝子プールが狭く、画一的な教育をうけた文化圏で生活をしていると、それらの差が、ごくわずかな比較可能な個人差となる。
日本人の場合は遺伝子的にも北と南からの流入組があるので、価値観は分かれることがあるが、まあ、同レギュレーションという前提でどんぐりの背比べをしているだけだ。世界は広いのでその前提となるレギュレーションが同一ではないことがあるということは少しだけ覚えておいてほしい。
遺伝子と味覚
さて、わかりやすく色覚をとりあげたが、同じように味覚にも遺伝子由来の差がある。
近年、人工甘味料への苦味反応における遺伝子差が発見された。
舌の受容体そのものに差があって、わかるひとには明確に違うし、わからない人にはわからないものだったのだ。そりゃ話しが噛み合わないよね。
我々の科学力はまだ、味覚において視覚における色弱と同じレベルの概念の発見にすら至っていない。
もともと積んでるセンサーのレギュレーションが異なる上に、それを受け取る脳も違う。これに生活習慣や、ウイルス感染症やら、重金属や化学物質暴露なんかで受容体のセンシングも変われば、あの人が感じている味と、この人の味が実は同じものではない可能性がある。
皮膚も違う。
他の人種と比較して、表皮は薄く真皮と皮下組織は厚い日本人。舌の味蕾にもその影響がでている可能性もある。
先天的、後天的
1枚の絵画を前に、色弱の人と4色型色覚の人では、見てるものは同じだが、見えているものは違う。
これは先天的なものだ。
爆音を聞き続ければ難聴になる。それがごく一時的なものなのか、数ヶ月で治るのか、はたまた、もう戻らないなんてこともあろう。こーいうのは後天的なものだ。
音の聞き分けや、色の分解能が人それぞれであるように、味の分解能の差が舌の受容体レベルで違うなんてことが多いにありうる。
ある種の感染症の後遺症による嗅覚味覚障害や、亜鉛不足など、味覚障害はいつなんどきでも起こり得る。
舌が馬鹿になったとか、味音痴なんて言葉はあるが、大抵はその人の前後の変化で、他人との比較で定量的に計測されることはない。
最初からわからない人には関係ないものなので、味覚を補助矯正してくれる道具や薬が生まれるニーズもないだろう。腹がふくれればいい。それだけがニーズの人もいる。
だから、食品開発をする場合は味付けは大衆向けマス層を狙って、味付けはきっぱりはっきり、そして香料をしっかり足すことになる。
おわりに
外国で日本人が料理にうんざりしたらインド人街か中華街にいけば間違いない。
日本人は味覚や嗅覚については相当なうるさ側の人種だ。日本以外で日本人が求めるそのクオリティにたどり着けることはまずないとほぼ断言できる。
香りが強く、味がわかりやすいとされるコーヒーでさえ、日本でのそれは別格だ。
闘茶やら香道など、それらをゲーム化できるのは同じようなレベルの人たちがいるからだ。
生命の危機を感じるほど甘すぎるお菓子や10分前に通過した人の香水の残り香で苦しむこともない。
牛乳やチーズなど、関税由来で触りがある分野もあるが、どんな料理も日本にもってくれば間違いがない。
だが、そんな日本でさえ、紅茶には不満を覚える人たちがいる。
売れている商品、はたまた売れなくて消えていった商品を見ると、ノンフレーバーで砂糖もミルクも足さずに、チャノキ品種ごとの煮出し汁の味の違いなんてのを楽しむことができるのは、少なくともマス層ではないからだ。
繊細すぎる分解能を持つ舌と、マス向けの味付けの利害衝突が発生している。
枯れたチェロの深みのあるビブラートを生音で聞きたい人と、こまけぇこたいいから体が揺れるほどのサウンドでフロア揺らしてくれる?って要望が同じ会場にいるようなものだ。同存しえない。
だから、もし、美味しい紅茶を飲みたければ紅茶屋をやるのがよろしいかと結論づけておきます。
でも、それはマス向けにはならないから、茶や塩にこだわると身代を潰すって諺とご一緒にご案内。
まあ、ここらへん、行き過ぎると、なぜワインが高級化するのかと似たようなものがある。
本当は違いなどわかっていなくても、知識で無双して、違いがわかるんだぞと騙れるからさ。
だって、舌や鼻にメガネはないからね。
参考
genetics.qlife.jp/tutorials/Genetics-and-Human-Traits/Is-eye-color-determined-by-genetics
jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201202216168784210