映画「来る」と祓いとか流行り病


映画「来る」の、柴田理恵がめっさかっこいいとか岡田准一の殴られの体捌きが相変わらずすごいとか、宗教習俗の人が監修がすげぇとかツイッターで話題になっていたのでAmazon Primeで見た。 なるほど細かすぎて伝わらない宗教監修w

特撮ヒーローものっぽしや

前半の人間ドラマパートは苦手な感じだけど後半の怒涛の展開がかっこいい。 なんかこの感じ子供のとき見てた特撮ヒーローものぽさがある。ウルトラマンまだかなみたいな。
宗教版シン・ゴジラだの、宗教版アベンジャーズゆーてはる人がいましたが、言うて妙。 ドラマパートで鬱積ためてからのカタルシスかや。
いやしかし、各地の宗教精鋭返り討ちってどんだけ荒御魂ってんだろう、これ。 これを超す重要案件なんてあるかえ。いや、祓うのを諦めちゃえばこれはそれほど害はないやつなのかな?

宗教と用

宗教の主な役割には、人が集まる場、価値観の共有、情報の伝達がある。
いや、この3つは今、適当に考えた。

キリスト教圏では90%は自分は信仰を持っていると答えるが実際に教会に通うのは5%。日本人は宗教をもってると答えるひとは5%しかいないが90%はなんらかの宗教行為をおこなっている・・・みたいな話しをどこかで聞きかじった。たぶんイザベラバードの日本紀行あたり。生活の一部になりすぎていて、それが宗教的な行為だと認識していないのだそうだ。

自分も宗教建築とか民俗学的なものは好きなんだけど、科学に基礎足をおいちゃってるのでどうしても、神性とか霊とか怪異とかそんなのを信じるとか信じないとかよりも、なぜそう思うんだろうとか、どうして習慣化されたんだろうみたいな事のほうに興味がむいてしまう。土着の祭りや奇祭は本当にいろいろあるが、なぜそんな風習が生まれ、かつ、継承することができたのか不思議でならない。

たとえば神社で祭壇に供物を供えるのはなんでだろうとか考えたことはあるだろうか。 神仏分離の前、神社は稲の苗とかを育てて農民にわたす種苗業者の役割をしていたという。
作物を神饌として集めその後みんなで食す直会(なおらい)なんか、まんま一度集めて選り分けて翌年の植えるものを決める作物の品評会からの品種改良のプロセス。これはこう食べるとか、誰々ん家の作物が美味いからわけてもらおうとか、育てたものを地域で一同で知識や体験として共有する。そして、毎年冷害だったり日照りだったりで不作になっても作物を選りすぐって供える。供えたあとはシェアする。結果、その風土にあった育種がなされる。

鳥居なんかはなおによし。いかにも在来工法技術の粋であろう。
ものによっては掘立てや礎石の上に建てた2本の柱の上にホゾを彫った梁をのせ、ヌキを通し、クサビをうつ。漆をぬりたるものもあるし、屋根をふくものまである。大工技術の見本市やーーっ!!

ふた柱で永年自立する構造物を建てられるなら、その技術を用いて建てた家はより堅牢なものになろう。 壁や屋根を葺いた後では構造体は見えなくなるが、鳥居は自立構造物としては簡素にして至高。

ここらへん、具体的には国譲り神話のあたり、出雲渡来系と、諏訪縄文系の礎石と竪穴の建築技術の文化の衝突だみたいなこともあるのだけど、・・・話しがそれるのでそれはまた今度。

鳥居は神域との境界だなんて理由付けがあったりするが、交通が不発達だった時代は、雨ざらしの構造体である鳥居を見れば、そのエリアの建築技術水準やそれの財政状況、趨勢がわかるわけで、まさに文明の境界域だったのだろう。

キリスト教でも12使徒で判明している職業は石切(大工)と漁師だ。
石積みの構造物の場合は、2×4工法もそうだが、こちらは壁が全体を支える構造物になる。だから教会系は壁とアーチ構造が見てて楽しい。石積みの壁に窓枠の支えなしに窓穴をあける。窓穴が先でステンドグラスは後。そういう視点でみると世界の構造物はいろいろわくわくすっぞ! ・・・めっちゃ話しがそれた。

ま、そんな感じで、修験道だったらソバの打ち方とかを伝承して山でサバイブする方法を教えるよ、とか、そういう具体的で実用的な用がどんな宗教でもそここに隠れていたりする。

忌みの意味

宗教がただのメンタルヘルス的なものに成り下がったのは大量生産時代だからだろうか。 生産技術の革命的進歩で形骸化してそれが伝える用の本質が失伝しつつあるのも背景にあるのかもしれない。

仏教が伝える大事な要素に遺骸のケアがあるとおもう。かつてまだ土葬の時代、ほにゃらら回忌で墓を掘り起こすタイミングを伝え、お骨として纏めていたりとか、そういうナレッジの塊だった。通夜で親族が不寝の番をするのも、死亡診断技術がなかったからだ。

亡くなった方の家族は49日喪に付すのも死因が判別しなかった時代の、感染症をそこの家族内で留めるためStay Home策に他ならないのではないかと思う。

除菌と禊

「使えるもんはなんでも使う」っていうんで一時期ネットで話題にもなってた「ファブリーズ除霊」を一生懸命岡田准一がシュッシュしているのをみて、ふふふってなった。「びっくりするほどユートピア」がなかったのはそれを入れるととたんにお笑いになっちゃうからだろうか。

12モンキーズは、バイオテロを背景にしたSF映画であるが、目に見えないウイルスや病原菌を信じられず「そんなものは石鹸屋の陰謀だ!」というセリフがあった。同じようなセリフをつい最近ブラジル大統領が言っていてヒックリ返った。台風なので「田んぼの様子をみてくる」ぐらいのフラグ発言である。

新型コロナウイルスの対応策や、ホラー映画の登場人物たちの行動をみていると、なぜそこでそんな判断をするのか、なぜそんな行動をするのかと突っ込みたくなる行為が多い。状況や情報が違えば判断も異なろう。傍目八目。FPSでは見えない視点というのもあるもんだ。

昔しから不思議なのだが、テレビが映ることや、携帯で話しをできることには恐怖を感じないのに、おばけとなると途端に怖がる人がいるのはなぜなのだろうか。霊的なものを怖がる人にテレビの仕組みを理解している人が多いとは正直おもえない。いや、そうか、だから霊能者がもてはやされるのか。いや、ならなぜエンジニアがもてはやされぬのだ。解せぬ。

目に見えぬものも存在する。
幽霊粒子ニュートリノの存在証明はそれこそ雲を掴むよりも難しい。
知覚できない範囲での匂い。恐怖を感じたときに分泌されるホルモン。例えばそれはほんのわずかな分泌物であるが、そこに残存する。
重力異常地点とか、異常磁場、地下水脈により流れる水により発生する異常磁場とか、もしくは、そこからおきる低周波。どれも人間の認知知覚系に異常をもたらすのは十分だ。植物毒や目に見えぬ真菌系(カビ)の毒、そして菌毒、ウイルスなどの生物毒は枚挙にいとまがない。そして、完全無音や完全無菌それがまったくないことで生ずる弊害すらある。

古い伝統宗教もこれらをよく理解している。
幻覚系成分を含む植物を火にくべる護摩や、読経や真言(マントラ)でトランス状態に持っていくようなもの、火渡りや滝行のようなドーパミンや肉体刺激系など。など。

日本酒は麹菌ででんぷんを糖化したのち、その糖を酵母菌で発酵させ、さらにはそれを火入れするという世界的にも珍しいステップを踏むお酒である。たしかこの3つを1フローでやるのは日本酒だけだったとおもう。
この日本酒、麹菌の発見まで糖化は人間の唾液に含まれる酵素でおこなっていた。口噛み酒。

日本は醸造発酵食品が幾多幾百あり、目に見えない有用微生物群の扱いには成熟していると言っていい。 そして、それらの働きを妨げる生物学的汚濁、コンタミネーションも非常によく理解していた。

腐敗と醸造、腐敗と発酵、その違いをもたらすものが穢れで、穢れを祓うためには禊で綺麗にしなければならない。コンタミを避けなければならない現代のバイオハザードと基本的考え方は一緒である。作法とは手順の再現で、現象の再現の積み上げがエンジニアリングである。現象の理解とは別のものだ。

神社の参拝儀礼に手水場での手洗い口漱ぎがあるが、外(外界)から来たら、手洗いうがいをする文化はこうして二千年前から広められていた。なぜこれができたかと言えば、崇神天皇(第10代天皇)の頃に疫病が流行ったために造らせたからである。

センメルヴェイス・イグナーツが手洗いの重要さを産婦人科医に説いて回ったのはわずか100年程前であるが、パスツールがその理屈を発見するまえに、理屈はわからないけど何故か使いこなしていたのが伝統の収斂に耐えた作法なのである。理屈はわからないけど効果があるものはおまじないとして残ることがある。
お辞儀やブルカ(ヒジャブ)といった、ソーシャルディスタンシングの解決方法はもしかしたら既に世の中のどこかにあるのかもしれない。

ウイルスは紫外線で壊れる。新型コロナウイルスの場合は太陽光で1分半で不活化する。 Dead by Daylight、それは陽の光で死ぬである。

鶏鳴三声、かぁーーけぇーーーこぉーーーー

ところで、芋虫の種類がわからなくてモヤモヤしています。
あれ、なんの芋虫?


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