世界の距離と中国


まだ世界が遠かった頃、ほんの数十年前。海外渡航というのはそれなりに高価なもので、ロンドンへいくのは4~60万円が必要だった。定期的に国際電話をすると10万円コースの請求がきて、FAXだって、国を超えては送れず中継が必要だった。船便も数ヶ月かかり、ヤオハンでは緑色に変色したポカリスエットでさえもありがたく売られていた。

それから格安航空ができて、ネットができて、日本の一人負けが始まった20年ぐらい前から世界は急激に近くなった。

いまでは、うちみたいなごく小さなお店にもたまに海外から注文が入る。
国と重量によっては下手をしたら国内への配送料より安く、日数もそれほどかからない。

ところが、今年の旧正月を挟んだあたりから国際流通がおかしくなった。
茶葉を注文してもらったロシアのお客さんから「ヤカンをのせて待ってるんだけどおろしたほうがいいか」と、届かないという問い合わせにごめんなさーにゃしなきゃいけなくなり、アメリカからの注文は今3ヶ月ぐらいかかってるみたいだけどいい?と、先方からOKをもらった端から、EMS新規受付は停止ですてへぺろとなり、そして世界はまた遠くなりつつある。

ちょいと昔の中国

中国には1度だけ行ったことがある。
今からすると20年も前の事だが、夏休みに北京から上海までの道のりを20日程ウロウロした。海外旅行はすでに身近なものになってはいたが、中国はビザを大使館に取りに行く必要があるレベルには難易度高めの国ではあった。

インド旅からも帰ってこれていたので、中国なんて余裕だろと侮った若気の至り。入国3日目には北京の天壇公園でゲロをぶちまけながらぶっ倒れるという醜態を晒すことになった。命の恩人がいるとするならば、このとき通りすがりで助けていただいた日本人留学生の方だろう。あのときの亀です、その節はありがとうございました。恩返しはまだできていない。

観光地の食堂で、一口食べて、「いやいやいや、これ食用油じゃないだろ自転車の油だ。」と思ったのに食べてしまったからか、屋台街で生のパクチーののった刀削麺を食べたせいかわからないけど、まあ、日本で生ぬるく育った胃腸は耐えられず病院送りになった。

緊急避難的に上等なホテルに逃げ込んで食べたお粥の美味しかったこと。北京ダックみたいなものを出す高級飯店は美味しかったが、庶民飯との格差たるやだ。南下するに従って、市中の食堂の味も質もよくなっていった。同じ国とは思えなかった。当時において、北京が日本に追いつくには最短でもあと10年はかかるかもしれないが、上海はもう東京を追い抜いているかもしれないと思ったものだ。

道と水道

街のことは下水や道路が教えてくれる。
千年以上前の遺構の水道や道路は当時の繁栄を伺い知らせてくれる。

キレイなビルを建てたところで、上下水が整ってなければそこはスラムだ。
ビルを建てたあとから地面をかえして下水を整備することはできない。壁紙で見えないように繕っても基礎がおかしければ、遠からず結果として知ることになるだろう。買った瞬間に評価が半値になるのならば、そもそもの何かがおかしいのだ。

成長には根が必要で、都市には計画と段取りが必要だ。道路や、下水など流れるものの始末のつけかたを見ればその都市の未来が見える。政治とは本来は治水のことだ。

東京は前のオリンピックのときに、土地がないから川の上に高速道路を敷設し、下水は川にながしこみ、それにフタをして暗渠にして見えないようにするだけという取り繕っただけの最悪の場当たり対応が行われた。
現在もその負債、下水雨水合流を解消できず雨が降るとトイレットペーパーが浮く未処理の下水を東京湾に垂れ流しているのだが、そこでトライアスロン競技をやろうとしている。

その点、当時の北京は青山通りや桜田通りが片側におさまってしまうほどの道幅を確保していた。まだ車がそんなに走っていないのにである。鉄道もそんな本数はなかったが、駅舎は他の国では見たこともないほど広いものだった。

もしかしたら滑走路に転用するなど、軍事的な理由によるものなのかもしれないが、そのバカみたいに車線の多かった道路も、今ではその渋滞をおこしているそうだ。

疫病と公衆衛生

公衆衛生を見るとき、くその始末は重要な指標だ。
国や地域によっては、町中でうんこが落ちていたり、うんこをしている人を見かけたりすることがある。犬のじゃなくて人間のだ。都内でもたまに山の手線の中とかで落とし物は見かけるけど、あれは事故だとして、事故じゃなく、それが日常として鎮座ましますことがある。

ヤク中でっていうパターンもあるのだけど、普通に設備としてトイレがなかったり、教育がないためにそうして済ませることが当たり前になってしまっているのだ。日本でも立ち小便おじさんは昔しはそこらにいた。

人目を憚らずトイレを済ませるのが常識として大人になるまで育った人に、うんこはトイレでしなさいと、教え込むことはできるだろうか?もちろんできる。だが、多分、難しい。酔っ払いがそうしてしまうように、なにかの拍子にそれは選択肢たりうるのだ。そうしないために理性による制御が必要となる。なので、そうじゃないのが当たり前になるには、そうしてこなかった次の世代の台頭を待つよりない。なのでこのフラグが立ったときは最短でも30年はかかるなと思ってしまうのだ。

中国には腰高までしか壁がない、または壁そのものがないニーハオトイレ(うんこしながら挨拶できる)というものがあった。20年前にはあるところにはあったが既にそれほど使われてはいなかった。人民服の頃に行った人の話しを聞く限りでは、普通につかわれてたよと聞いた。まあ、そもそも横スリットのチャイナ服とか、子どもが着てる股間の部分をまるっとない服とか、おむつ? なにそれっていう合理さよね。

もっと扱いの厄介なもに遺骸がある。
道端に轢かれた動物の遺骸が落ちていることは日本でも田舎にいけばなくはない。だが、人間のとなるとどうだろう。インドとかだと埋葬方法としてガンジス川に流すので、プカプカと浮いて流れているわけだけど、中国も当時は交通事故があちこちでおきていて、人々は車のぶつかったのを珍しげに野次馬しているのに、そこからちょっと離れたところで人が横たわってるのは、放置されていて、なんだこの光景はと思ったものだ。
そういえばブラジルに赴任してたやつが、家の前の大きい通り沿いでは週に2回ぐらいは血だらけの人がいると言っていたのを思い出す。互いの健康に気を配れるようになるには、もっと違うレイヤーでやらなければいけないことがある場合がある。ところかわれば常識も変わるのだが、同じ文化圏しかしらないと気がつけないことがあるものだ。

・・・ほんとは、中国の経済状況とか、アメリカと中国の関係を書こうとしたのだけど寄り道したまま終わってしまった。なんの話しだったんだろう。うんこしか書いてないきがする。


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