ヘビーメタル脳 with the パワー


メタル脳とは、「和田誠」と聞いて思い浮かべるのがイラストレーターではなく、キャプテンを連想する人達のことである。

異論は認める。

メタル脳 天才は残酷な音楽を好む 単行本 中野 信子著を読んだ。

本は、ちょっとしたエッセイ本で、新しい調査や報告があるというわけではない。
だけど、著者がほぼ同い年で応用化学科の出身ってことで、随所に紹介されるメタルバンドと彼女のエッセイが自身の体験とオーバーラップするところもあり、なんとなく奥底に眠っていたメタル魂が目覚めたのだ。まあ方や東大の応化でて医学博士になってる著者と、私大の応化で、今じゃタピオカ茹でてる自分とでは比べるべくもないが・・・。

だが、吾輩もメタルで育ったキッズだったのだ! フハハハハ!!

・・・。
ヘビメタというと、デーモン閣下みたいなメイクをして、クラウザーさんが如き笑い方をしなきゃいけない使命感を背負わされたり、ステージ上では鶏の首を切り落としたり、豚の血をまいたりしなきゃいけないんでしょとか、すごく誤解をされやすい音楽だよなとは思う。もうそういう偏見もいいだろうよという歳になったので、いっそ今回はずっと吾輩で通そう。

吾輩が初めて買った音楽シングルCDはカブキロックスだった。知らない人のために説明しておくと、聖飢魔IIのフォローバンドみたいなものだ。確かアニメドラゴンクエストかなんかのオープニング曲になったのに釣られたんだとおもう。今聴くとシングルカットしたわりにはだいぶ音楽としては荒い。その次、初めて買ったアルバムは米米クラブのshake hipだ。米米クラブは名前ぐらいしか知らなかったのだけど、並んでたアルバムのなかでこれが一番ジャケットがかっこよかったからこれにした程度の買い方だった。それにしては、かなりあたりを引いたと思う。

そしてその次に買ったアルバムは初めて買った洋楽でもあった。
VIPERのTheatre of Fateだ。

ブラジルの新人バンドのデビュー作、ヘビーメタル好きでも知ってる人はすくないかもしれないが、これはなかなかの名盤である。こんなアルバムが当時中学2年生だった吾輩のハートに刺さったのだ。
ヘビーメタルとクラッシクを併せたようなヘビーメタル。Xの紅のもっちょっとクラッシックよりみたいなものだ。今聞いてもなかなかいい。

邦楽はかするぐらいでブラジルのメタルバンドにたどり着いてしまったのだ。いきなりVIPERは洋楽への裏口入学だと揶揄されたが、なぜ吾輩はそんなところにたどり着いたかといえばラジオのせいなのだと思う。気がつけば、このエリアでは電波の関係でロクに入りもしないFM富士を部屋の窓にワイヤーアンテナを回して、キャプテン和田や大貫憲章がやっていたロッカダムだのの深夜のハードロックヘビーメタル番組を聞くようになっていた。

中2の頃といえば担任が音楽担当で、しかも初めてクラス担任を持つ新米教師であったために著しく学級崩壊していた。そんな中でも流行っていたのが、作曲した曲でアルバムを作ってクラス内に共有するという謎な行為だ。「僕はみみず!」とか絶叫していたりするのだが、黒歴史どころか、このテンションはなにか薬やってるのかなって思う。リアル中二病だった。6畳の部屋に20人以上入ってたのだからやっぱり病気だったんだと思う。

小学校2年の頃、音楽教師にハーモニカのテストで「こんなのもできないなら幼稚園からやりなおしなさい」言われ、家に帰って布団かぶってガチ泣きして以来、学校の音楽というものが大嫌いになっていて、その影響はずっと続いていた。音楽は嫌いだけど好きという屈曲した状態がメタルに呼び込んだのかもしれない。

その中でも刺さったのがジャーマン・メタルだ。
Halloween、GAMMA RAYやBlind Guardian、HEAVENS GATEあたりが好きと言えば、ああ、そこらへんねとわかってくれるひとはわかってくれるかもしれない。ここらへんのCDというのは、レンタルCD店などにはあるわけもなく、当然通うようになるのはセコハン屋(中古レコードショップ)である。吉祥寺が自転車圏内にあったのは幸いであった。同じようにセコハン屋を巡る友達は居たのだけど、聞くジャンルが分かれていったのは、やはり好みの問題というのはあるのだろう。本の中で触れられているLAメタルとかアメリカのHR/HMはほとんど聞かなかった。

高校で軽音もやった。
高校生1年生の頃は流行りの邦楽をやろうとして、全員素人だから一曲もできずに終わったような気がする。その後、3年生のバンドに混ぜて貰ってPERSONZのカバーバンドをやった。初めてのライブはいきなり卒業ライブでメンバーはみんな卒業してしまった。・・・。いや、ギターの先輩は留年し翌年もいたか・・・、ドラムは現役で慶応に進学して、あれ、みんな同じスタジオで練習してたはずなのにおかしいなと、思ったり思わなかったり。

大学に進学して、軽音のサークルに入った。だが活動はバンド単位だし、なんの意味もねぇよなと同い年の友達ができると最初の新歓ライブでみんなで辞めてしまった。今考えると、先輩たちもサークル活動費工面しながらライブハウス抑えたりするのは大変だったのかもしれないが、同じ学科に中のいい音楽友達ができたので、サークルに用がなくなってしまったのだ。

文系に進んだ人たちはとても信じてくれないのだけど、化学科は週に3〜4回は実験があるので、ひどいときなどレポート用紙一冊が一週間でなくなるようなヘビーな学科でもある。実験またはそのレポート提出のためにうごけなくなったりするのだ。そんな学科の中にバンドを作っても、そのうち、みんな時間が合わなくなる。その上、主要メンバーの一人は医学部に行ってしまった。

そんな経緯もあり、化学と医学の白衣混成バンドが成り行きでできあがったのだけど、都合がつかなくなると代打を立てたりするので、ライブ前になると練習も2部屋ぐらい借りたりして10人ぐらいでパートを回しながらやるようになった。半分が医学部で半分が理工学部みたいな感じ。レッチリからドリーム・シアター、アニメタルまでハードめな曲をわしゃわしゃやっていた。

本で紹介されていたところあたりでいうとメガデスである。
まだJASRACが日本のネットMIDI文化を駆逐する前のまだパソコン通信の時代、メガデスのシンフォニオブディストラクションとかスウェッティングバレットとかの曲を打ち込んでフォーラムにあげていたのは実は吾輩である。88proの音色をいくつも重ねてなんとかヘビーな音を再現しようと苦心していたので、88Pro以外で聞いても意味わからないものになっては居たが、当時のしょぼい音色のなかでギターのザクザク感をMIDIで出すには、ちょっとストロークの遅れとか、コードもダウンなのかアップなのかをちゃんとわけないといけなくて、いつの間にか数字うちになっていた。オクターブ下げた音を混ぜたり、ベースの音も頭のアタックだけほしいからスラップを頭だけ鳴らすみたいなことをやっていた・・・。ハイドンをメタル風に編曲したりもしたが、MIDI界隈でメタルをやろうとする人はほとんど居なかったよね・・・。チョーキング表現とかストリングスが難しいだよね。

だから、いつの間にかメガデスのマーティー・フリードマンや、Mr.BIGのポール・ギルバートが日本でキンキキッズのバックバンドに混ざってるのを見た時には顎の骨が抜けるかと思ったものだ。医者になったあいつの持っていたギターはポール・ギルバートモデルだったのだ・・・。いまだのこれらの感情はどう表現していいのかわからない。

さて、そんなヘビーメタルで育った吾輩だけど、最近はめっきりメタルは聞いていない。しいていえば打首獄門同好会がここ近年のお気に入りぐらいだ。あれはメタルなのだろうか? メタルのバックボーンはあると思うけど、バックドロップシンデレラほどモロではない気もする。

商店街ではここ数年ステージを組んで、バンドの子達に開放したりして、文化醸成の機会をつくるべくふるまっている。運営の主体はフォーク世代なので、吾輩などは一番下っ端だけれども、リハーサルの音出しを兼ねて大学時代のバンド仲間を呼んで演奏したりもする。若者向けにあいみょんとか、子供向けにアンパンマンマーチとか、年寄り向けに北島三郎とかだ。ギターのやつがフライングブイを持ってきている以外はメタル要素はバレていないと思う。隠れメタリアンである。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください