プログラマーズカフェ10周年


この6月でプログラマーズカフェが10年を迎えたそうな。まったく気にすることもなく普段どおりだったのだけど、10年一昔で何も変わらないといえば何もかわらないし、いろいろなものが変わったといえばいろいろなものが変わった。

10年前の 2009/6/4 に三鷹プログラマーズカフェβと称して第一回が三鷹産業プラザにて開催された。
そこに行けば技術の話しができる誰かがいるという、ふわっとした会で、発表したいことがある人はLT(ライトニングトーク)で発表すればいいし、もくもく自分の作業しててもいいし、まあ好きにすればいいよというゆるゆるの会である。平日昼間に都内からみれば辺境の三鷹で開催という会だったのだけど、初回は50人以上100人近い人達がわさーっと集まって泡を食った記憶がある。

それから、2013年4月ごろまで毎週木曜、計184回開催するというクレイジーな期間を経て、そこから武蔵境の武蔵野プレイスで毎月開催した。次回以降は3ヶ月ごとの開催にペースを落とす予定だ。

プログラマーズカフェを始めた当初はまだ都内でもIT系の勉強会もほとんどなく、フリーランスという働き方も珍しい時代。当時は三鷹市が推進していたSOHO(スモールオフィス・ホームオフィスの略)政策や三鷹のIT関係の事業者団体(これも当時はシステム開発会社が商工会では理容室などのサービス部会に所属したり、土木建築の工業部会に所属したりとばらばらであったために、ITはITでやりましょうやということで始まった業界団体。)の理事を自分がやっていたことなどもあり、

「IT技術者の人たちが集まれる会をやりたんだけど。」
「平日昼間ならどこかしら場所開いてるし、いいよ。」

という、お話しのわかる、大人な方たちのご助力と、運営にご協力いただいた皆様のご助力で開始することができた。ちなみに当時開催場所にしていた三鷹産業プラザとは三鷹市が出資した第三セクターの企業が管理するインキュベーションなどもかねた施設である。

当時はリーマンショックの後遺症が深刻化して、会社がばったばた潰れている頃で、おもに技術者派遣系の会社の社長さんが、社内で技術者が余っているんだけど・・・という話しを聞いたのも開催動機のひとつだ。技術者を社内で遊ばせておくなんてもったいないな。いろんな技術がガンガン生まれてるんだから合同で勉強会でもすりゃいいじゃない、というのもあったのだけど、やってみると従業員を得体のしれないただの茶飲み話しにいってきていいよという危篤な経営者の人はほとんどいなかった。

かわりに集まったのが平日昼間に集まれる結構とんがった人たちだった。

平日の昼間に三鷹に来れる人というのはどういう人達だろうか。
本当に様々だ。小学生から古希まで。バリバリのエンジニアから、失業中、転職活動中の人、学生、これからプログラミングをはじめてみたい人、すでに隠居している人、これから起業したいひと、すでにひとやま当て終わった人、駄菓子屋さんと呼ばれるような人から、もう、あれやこれやごった煮にしてゆるゆるびんびんにしたのがプログラマーズカフェなのだ。世間界隈ではマニアックすぎる話題でも誰かが反応することもあるし、ああ、あの話しねみたいな話しで談笑できるぐらいにレンジだけはとにかく広かったように思う。ただ、世間一般の「勉強会」だと思ってこの会にうっかり来て愕然とするパターンも多かったようにも思う。

参加したその回にどんな発表があるか、話題があがるかなどはその回の参加者の顔ぶれででしかないので、毎回なにがおこるかはわからない。本当にしょーもない話しだけで終わるときもあれば、踏み込んだLTがいくつもある回も超稀にだがあった。

三鷹で184回+武蔵野はざっくり72回。お? 計256回?
atndに参加登録されている三鷹分をざっくりsumするとのべ531人だったようだ。 常連さんはほとんどatnd登録もせずに着てたし、夜に開催してた大きめイベントも何回かやったので、武蔵野分もあわせればユニークでも千人は超えるであろう人たちが参加しているのではないかと思う。あんなサービスやこんなサービスをつくった中の人達や、あんな本やこんな本の著者なんかも来てた。今日はすっごくディープだったねなんていう回もそりゃなくもない。

数時間の本会のあと、カフェなどに移動して二次会三次会をして夜までずっとあーじゃないこーじゃないだべっていて、まるで大学生のサークル状態なのである。技術やビジネス経験がついているぶんかえってタチがわるいかもしれない。

この10年で時代がすすみオープンソースとかが一般化して本格的な商用に耐えるようになると大きい企業体に属していない人でも小資本でそこまで高くないスキルでもフリーランスという形で独立ができるようになった。都内では勉強会もテーマを絞ったものが盛んに開催されるようになった。
プログラマーズカフェを始めた当初はなかったコワーキングスペースという業態までいくつもできるほど、フリーランスという業態も一般化し昨今は働き方改革の関係でさらにこの流れが加速している。

三鷹から武蔵野に移動し毎月開催にしたのは、このコワーキングスペースが実験的に開業し、どうもいけそうだねと商業的に本格的のローンチされたことで、ひとつの時代を超えたからだ。集まるならコワーキングスペース作ったから、参加者から金あつめて使えと、でも、ま、そこまではできないなと。まあ、いい加減、追ん出されたともいうが。

10年前と比べて、プログラミングをめぐる環境は変わっただろうか。
小学校でプログラミングを教えるという話しはあがっているが、なんと紙のノートに穴埋めでするんだみたいな、笑えない話しもあがっている。この10年ネタには事欠かないほど、絶望する話、希望にわく話し、いろいろな話しがあった。3歩歩くと忘れるショートメモリのせいで、まったく具体例をあげて紹介できないのが残念であるが、日本にいる技術者諸兄はやるときはやるので、プログラミング界隈の未来もほどよく幸せなものになるのだろうと楽観している。

最近はろくなプログラムを書いておらず元プログラマーというレベルになってしまった。紅茶屋は黙ってタピオカ屋でもやっておけとの会の皆様からのお達しだが、きっとそのうち、なにか愉快なことができればいいですね。稀からはじめて類をなす。


中小企業! はい、技術で返してくださいね。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください