未成年が危険とされる海外に渡航することについて


海外に一人で飛行機に乗って行くようになったのは中学生の頃。その頃、親がイギリスに住んでたからだ。最初の頃はあちらで空港に迎えに来てもらってたり姉と一緒に行ってたがそのうちに一人でいくようになった。ハリー・ポッターのように9と4分の3番線の駅で乗り換えにどぎまぎしていたのはかの本が書かれるより昔の話だが、いつの時代も慣れぬターミナル駅というのは子供にとってはドキドキするものらしい。田舎にいくために東京駅で乗り換えをするようなものだ。

初めて宿も決めずに出た一人旅は、夏休みに暇を持て余した高校生が考えそうな事で16歳の頃だった。お小遣いを貰って英国の家を後にしてスコットランドの方に旅立った。絵葉書かなにかで見かけたエジンバラに行ってみたかったのだが最初に泊まったグラスゴーは当時最悪の治安で、夜、響く銃声を前に、安いユースホステルの薄いドアの前に部屋の椅子を並べて気休めのバリケードを作ったのを今でも覚えている。

父は、仕事の関係で渡航が多くパスポートを増刷するタイプの人でいろんな国に行っていたので相当旅慣れしている方だと思う。あちらでは夏休みが長く、家族でヨーロッパにも足を伸ばしたりした。いつしかローマで合流ねとかやってもなんとかなる家族になっていた。

そして、どこに行ってもなんとでもなると調子にのった19歳の私はインドに一人向かった。 ジョジョの第三部も読んでいたし、河童さんの本も読んでいた。地球の歩き方とかなぞも持っていった予習はばっちりだ。

某難関国立大出身の男性が『インドの貧困が見たい』と言ってインドに入国したら、身を持って『貧困』を体験する事になってしまった話
togetter.com/li/1319757

そんな自分もニューデリーからアーグラ行きの車に一人乗せられて車窓から風景を眺めることになった。もう20年も前の話し。外国人で目立つ姿である以上あのイベントは避け得ないと思う。ツイッターでは事前に情報を調べないのかとか、平和ボケだとか、バカなのではないかとかいう批判があるが、あんなものはいくら旅慣れてしていて情報を事前に収集していたところで不可避だ。避けちゃいけないのだ。どちらが平和ボケだ。

相手はそれまで何百人何千人と相手にしてきた警官、駅員までぐるのプロ集団である。素人がいくら情報武装していったところで多勢に無勢。スキップ不能なチュートリアルに近い。
もし強引にチュートリアルをスキップしてしまうハードプレイをすると遠からず死ぬ事になる。リスクは回避するだけでなく不可避な場合は許容してコントロールすることも大事だ。当時のインドの場合、どうやったら騙されないかではなくどの人にぼられるならダメージが少ないかで行動しなければならなかった。駅員を買収するぐらい勢力があるところならそこまで無茶なことはしないだろうと割り切るよりない。

これに忌避感を示したり、騙されたと怒っていてはどんどんと死に近づくのだ。札付きの悪から逃れようとすると札なしの悪を個人で個別に相手にしなければいけなくなる。札もつかない小悪党は限度を知らない。どこの国でもそうだが脅して奪うより、殺してから奪うほうが楽であるから、そうしてしまいがちなのだ。命を守るためには奪うのが殺すよりも楽な状態にしておかねばならない。

空港の両替所だってちゃんと両替してくれるかわからないし、タクシーが強盗のこともあるし、マージンを貰える怪しいホテルに送ろうとしてくるし、駅でチケットを買おうとすれば外人はあちらだと怪しいパラダイスツーリストを案内され、旅行代理店は旅行客が減った紛争地帯を案内してくる。だから彼らがもらう予定の金額より、いくばくか色をつけて逆買収をせねば安全が確保できないのだ。

自分のときは当時紛争地帯だったカシミール送りを避け、帰りはカルカッタから出るからという嘘も方便で、アーグラへの片道だけの車に乗り現地についてから程よく儲けさせてあげてさよならした。旅の資金の半分ぐらい(4万ぐらいかな?)をここで毟られたが、まあ必要経費の範囲だと思う。前の人が強引に突破をして無茶をするとそこから学習されて次の人が死ぬことになる。ぼったくりグループに次の日本人には優しくしてねと朗らかにして分かれることぐらいがせいぜいだ。

インドのホテルでは行方不明になっている日本人の張り紙などが沢山ある。死体はガンジス川に流す風習だし、道端には何某かの動物の死体が落ちているのが日常だ。不幸に見舞われた人の現実は死ぬ以上に厳しいものがあると聞く。不幸な話しも多く聞いたし、北に行って刺されちゃったというような人も居た。見聞を広げるための勉強代にしてはちょっと高いかなと思う。

百聞は一見にしかずという。
人間同士のコミュニケーションには言語化されたバーバルコミュニケーションと、非言語なノンバーバルコミュニケーションがあるが、機微に敏い人ほど対面形式とテキストなどで得れる情報量は違うだろう。
異文化への接触も同じだと思う、感受性の高い子が見ず知らずの場所に実際に行くことで得られるものはある種の社会集団(民族)とかにとってもまさにプライスレスだと思う。そういうはみ出しものがいたから人類は絶滅せずにこんな極東の島国にまでたどり着いたのだ。日本という遠く困難な場所にまでたどり着いた子孫のアイデンティティは無視してほしくない。

気候や風土、食べ物の味や風や匂い、行かないとわからない事は多い。
いくらインターネットで情報過多になった時代とはいえ、それはあくまで誰かが発した二次情報でしかなく今でも本物に触れないとわからない事だらけなのだ。

とくに思春期には、価値観ができあがってしまった大人が旅するより気がつくことも多いし、得られる影響も大きい。大人はそれまでに獲得したものさしの範囲でしか物事を測ることができなくなるが、思春期の子たちは触れたもので異なったベクトルのものさしを獲得できるゴールデンタームだと思う。

ただ、裸足で全米横断したいとか、虚栄心や功名心のために愚かなリスクテイカー、危険感受性が麻痺した人たちが確率的に存在しているので、ここに合わせる必要はないが、もがく思春期の子たちを大人の目が届く安全の範囲に子供を押し留めておくのもよろしくないと思う。

安全に楽しむ観光なら歳をとってから十二分にできる。
おだんご屋のおねーちゃんは還暦超えてから、ジンバブエはじめあちこちに行っているが危ない目もあわずに物見遊山できているのは金を積んだ添乗員付きのツアーだからだ。

安全は金で買えるが、これは経過観察と参与観察ぐらい違う。旅には体力と若さが必要だ。 若くないと適応も回復もできずに死ぬ。

マダガスカルの熱帯雨林に行って寄生虫にやられてこいというのを薦めているわけでないない。ただ、慶長遣欧使節や天正遣欧少年使節が地球を回った頃より、いろんなところに安く気軽にいけるような時代になっている。その分フロンティアがどこだかわからなくなってしまっているかもしれないが、危険は知識や知恵で回避できる。不確実性は減っている。

安全バッファーを多めにとるのは守るものができてからでも遅くない。若い人には愚かにはならずに見聞は深めてほしい。

ちなみに、インドは2週間の滞在で病原性大腸菌O-1に感染して日本で栄養価が高いものを食べたら倒れた。翌年、インドがなんとかなったんだから中国ぐらい余裕だろうと思ったが3日で倒れた。
世界は広い。


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