自分のTwitterのタイムライン界隈でやたらと前評判の高かったハードウェアハッカーが届いたので読んだ。積読を押しのけての即よみ、まあ、少し厚みはあるが技術書ではないので2日程度で読める程度のボリューム感。
感想としては、監訳の山形浩生さんがあとがきで冒頭に書いていた「これ、いったい何の本なの?」という、素朴にして簡潔な疑問に両手を上げて賛同だ。いくつかの全く知らない世界と郷愁を覚える懐かしいエピソードがあるが、平たくいえばハッカーの書いたブログがオムニバスになった感じだ。コンセプト料理のフルコースではないけれども、濃ゆくて珍妙な面白食材をどさどさと積み上げられた形。これを消化、咀嚼できるのは読み手の力量、胃腸の消化力にちょっと頼り過ぎているきもする。
Chumbyとかすごく懐かしいけど、そういう人は少ない気がするし。あぁ、Haching the Xboxの人だったのかっ、と巻末にくるまで気が付かなったが納得もした。
この本の紹介で「バイオハッキングまで!」みたいなものもあるのだけれども、バイオの部分は正直蛇足感が強い。バイオを齧った身としてはこの章まるっといらなくね?と思ったりもした。この章にはなにか奇妙さを覚えた。パールフレンドの彼女のためにねじこんだのかな?あまり「最新」とか「現代」のテクノロジーでという感はない。というか、ハックしてなくない? ちょっと古めかしさすら感じた。最近のバイオDIY的なことを期待してたんだがそういうことではないようだ。もしかしたらハードテックの方に先鋭な人たちは逆の感想を持つのかもしれない。
P379 神話:「リファレンスゲノム」は存在するか?
現在のリファレンスゲノムは、たった数名の、ほとんどがヨーロッパ人を祖先に持つ個人のゲノムをもとにして作られている。// 今のところ、遺伝子判定というのは、妥当性に問題のあるソースレポジトリを基準にした差分なのだということは、ぜひ覚えておくべきだ。
自分が学生の時分は、遺伝子編集をおこなうようなバイオセーフティーレベルが定められた研究室に所属するときには実験の過程などで自分自身がなにか酷いコンタミしていないことを確認するために、ビフォーアフターの遺伝子採取が法律で定められていた。このとき提出した自身のサンプル遺伝子は研究のために研究にもちいていいかみたいな確認項目がある。あったきがする。ま、数十年前の知識なのでうろおぼえだし、今はもう変わっているかもしれない。つうわけで、リファレンスがあるとするなば、ヨーロッパ人をルーツにもつ数名のというのは、どうなのだろう?かなり限定的なリファレンスだとおもう。
リファレンスゲノムの章立てをみたときはトバ・カタストロフで人類がボトルネック化してどうこうみたいな議論なのかなとか、ネアンデルタールと現生人類の交雑の痕跡がとか、アフリカ由来ではないホモ・フローレシエンシスとかのコードを一部アジア人は採用しているんじゃないかとか、そういうことが書かれているのかなとかを邪推した。そういうことじゃなくて、すごく平たい表層のことだった。もにょもにょ。なんていうか、perlでデフしたとかを出張らす分野なんかじゃない気がする。ヒトゲノム計画なみにフルスキャンするのはむりなので、特徴的に異なる部分だけを差分Diffをとるのはむしろまっとうなコスト意識だ。犯罪者や裁判情報となるのも人物の一致だけをみるならば、全配列をマッチさせる必要なぞない。・・・。ちょっと、この本の本質ではないところでぐだぐだ書いてしまった。
本筋にもどる。というより、気になった部分。
P233 「だれにとっても、所有するハードウェアのなかで最もクールなのは自分の体なんだ。」
せやな、と、首がもげるぐらい同意。
P150 「ダイヤラーで#0#0を入力し、あらかじめ組み込まれている自己診断プログラムを走らせた」
こういうハード系メンテナンス隠しコマンド知ってるとかっこいいよね。自己診断系は公開しておいてくれると嬉しいんだけどなぁ。おもわずiPhoneで試してみたけれども違った。
P68 「昔の大工の格言みたいなもんだ。長さは2度測れ、切るのは一度だけ。そしてどうしてもまちがって切るときには、長めにまちがえろ。」
日曜大工をするので、これまた首がもげるぐらい同意。長めに切って、現物にあわせながら少しづつ詰めたほうがきれいに収まる。ほんと切り過ぎちゃったものはどうしょうもない。人生といっしょ。
P56 「Foxconnの向上では1日に豚を3,000頭も喰うとか。深圳では豚がiPhoneに変わるんだ!」
なんていうかびっくりしすぎて、プギーってなった。一日で3千頭!!?まじで??
Foxconnでは25万人以上の従業員が働いているらしい。三鷹市と武蔵野市をあわせたぐらいの人数。東京23区のひとつの区。鳥取の半分ぐらいの人数がひとつの工場に勤めているとかにわかに信じられない。
日本の企業に例えると連結だと日立製作所が従業員30万人、東芝15万、富士通が15万、NECが10万。むぅ。
豚の成体はだいたい100キロらしい。
鳴き声以外喰えるっちゅう一匹の豚をまるっと、食ったとして、
一人一食100gの豚バラを25万人に食われたら・・・
あれ、25000Kg
250頭分・・・だな。
あれ?
200gのポークステーキでも、500頭。
一日で3000頭って言いすぎじゃね???
実際は、100キロの豚から骨とか血液とか内蔵除くと、いいところの肉は25キロぐらいしかとれないとしたら、1000頭分ぐらいだけど、一日で消費される分を一日稼働で処理するわけではないと思うので、屠畜する量で言えば、3000頭ぐらいを一日で潰すのかも。
いままで、こういう消費される命の量を考えたことがなかったので、この本の中で一番衝撃的だったのはこれでした。そういえば20年ぐらい前、上海に行ったとき、街中は近代的な日本の超高層ビル郡なのに裏道にはいると、鶏とかを生きたまま売ってる市が立ってて、びっくりしたのを少し思い出した。
一千万人が住まう東京では品川にある芝浦屠場が都内で唯一の「と場」と肉食中央卸売市場なんだけれども、いったい一千万人の口を糊するために、東京では一体何頭の豚や牛を・・・。考えたこともなかったや。ちょっと調べてみても数量的なものはでてこなかった。まあ、歴史的にもくそセンシティブな部分だもんな。・・・。
作中に、乱暴な解釈だけれども中国での工賃はお米の値段で勘案できるというような趣旨があったのだけれども、まあ共産主義において、工業製品の生産力(付加価値額)の限界費用というか、調達限界は農産畜産品の生産高からそろばんを弾くのもありなのかもしれない。
あと、新鮮な価値観だったのがIP(intellectual property)知的財産についての言及。まあ、理路を再構築して最短距離を狙いがちなハッカーにはありがちで、多分自分もそちらよりの考え方に毒されているのかもしれないけれども、作者や中国での知的財産についての考え方や振る舞いをみていると、人類の未来に貢献するのはオープンテクノロジーの方なんじゃないかと、むしろ権利保護が技術発展の阻害要因になっているんじゃないかとすら感じもした。
知的財産権とか著作権はジュネーブ万国著作権条約以降の、まあ、せいぜいここ70年ぐらいの比較的新しい権利発明で、近代での運用をみていると、発明者や著作者の発明権や財産権を守るための制度というよりは、そこに投資したひとの永続的経済的利潤を守るための運用がなされているし、大手でさえ特許回避みたいなバッドハックをしている様をみていると、それなりに害悪だなと。もちろんいい点もあるけどね。
ただ、先行特許調査だけで日が暮れてしまう日本の研究者技術者と、まだ比較的フリーダムな中国での同じ立場の人たちが競争した場合、競争にすらならないなと。レギュレーション細かくなりすぎるのも、考えものというか、レギュレーションすら競争のために変えてくる強かさが日本にはないので、ちょっと無理そうだなと。
党とかの方針変更で後からルールを変えてくる中国は、英米法に近いのかもしれないですな。ブラックリスト方式なのでイノベーションがおきやすい。大陸法系の日本はやっていいことを記載したホワイトリスト方式なので、新しいことをやるまえにお墨付きを得ないといけない。どちらにも長所短所はあるのだけれども、ことハードウエアハッキングについては、競争しようもないですね。製造者責任法とかを考えると事業リスクのほうが大きいもんね。日本じゃ。
戦後間もなくの高度成長期のころは多分日本もそうだったんだろうけども、少しだけ羨ましいなと思ったりもしました。寂しいもんです。
余談。
作中に中国語使うときはルビ降っておいてほしいぜ。しんせんなのかしんしんなのか頭のなかで悩むし、山寨とか冒頭からでてくるのに読み方もわからないのでもやもや。山塞か。
diamond.jp/articles/-/116420?page=5
中国のニセ製品でよく言われる「山寨」(Shanzhai:シャンザイ)
中国のニセ製品でよく言われる「山寨」(Shanzhai:シャンザイ)である。
山寨は山岳要塞という意味で、中央の目の届かないところで勝手なことをする梁山泊のような事柄を指す。もともとは罵倒語だったのだが、最近の発明家の間では肯定的に使う人もいて、英語圏のハックやハッカーと通じるものがある。
訳者が同じだからか、P151の説明と同じような説明だね。
そんなわけで、とくに要点も結論もないひらたい読書感想でした。