サマータイムやるくらいなら和時計復活させてパニクろう


アイディア社長が会社を潰すとは昔しから言われている格言。

政治家なのか、官僚主導なのかはわからんけれども、サマータイムとか、軽減税率とかを思いつきなのか、思い込みなのか、勘なのかわからん論拠で導入しようとするのは何故なんだろうか。愚かしいにもほどがある。思いつきで度量衡、統治の根幹にかかわる部分を動かせば国が潰れるというのに。

最近は制作決定の現場にもエビデンス・ベースド・ポリシー・メイキングって言葉が出てきたそうだ。いいことだと思う。エビデンスベース(根拠に基づいた)はIT界隈だとバグフィクス(障害を取り除く)だったり、なぜそのような設計にしたのかと言明することができるための基本となるものである。

ここ10年ぐらいは教育設計の現場でもエビデンス・ベースド・ラーニングとか言われるようになった。教育についてはほとんどの人間が実体験というエピソードを持っているため、あーじゃねぇこーじゃねぇ言いやすいし言われやすい。だから、かならず根拠に基づいた議論が必要になる。逆にエビデンスも持たねぇ主張はただの体験談披露でしかないので相手にしなくていいとまで言われている。

日本の政策決定は悲劇的なエピソードや、体験をもとに都合のいいデータをチェリーピックをして一律悉皆に適用してしまっうことがままある。100人に一人の悲劇なのか10万人に一人の悲劇なのかを無視して、センセーショナルさを利用して全体設計にまで手を伸ばして変更するのは、うまくいっている部分までをぶち壊す可能性がある。エビデンスがないために穴を塞ぐことで対応すべき類の問題と全体問題の切り分けができないのだ。エビデンス?ねぇようんなもんみたいな流言飛語でことをすすめてはならんっちゅうのに。

「政治がエビデンスベースドではなくエピソードベースドになってしまっている」という趣旨のことをネット動画番組の中で言っている議員さんがいたが(自民党の平将明議員だったかな)、まぁ、そのとおりだなと思う。

 

エビデンスベースドから、さらに現代的な開発手法になると、テスト・ファーストという考え方になる。政治でいえば特区とかレギュラトリーサンドボックスにあたるのだろうか?テストをしなければエビデンス(証拠)を積めないのだから、肝要なところでは必ずテストを実行してその結果に基づいて設計をするのは当然のことである。ちなみにサンドボックス開発もIT界隈が発信の言葉だとおもう。

テストもせず並行稼動もせずに全国一律悉皆に一括リプレイスを試みるのは蛮勇ですらない。

 

 

サマータイム

さて、サマータイムについてである。

ヴァぁぁっっあああああかぁぁああじゃやねぇええええのおおぉおぉ!!!??ああぁあぁん!!?

 

EUがここに着てサマータイムの廃止を検討しようかというタイミングで、日本でオリンピックを契機にサマータイムを導入しようとかいう話しがあがっているそうだ。

重ねていうが、ホント馬っっ鹿じゃねぇの!?

コンピューター・システム界隈の導入の困難さは改めて言うまでもないレベルで困難であることはもう言い尽くされていると思うが、普通にこれを進めようとする人の中で、サマータイムに切り替える現場経験を持つ人やサマータイムが便利だというエピソードでもいいから体験を持っている人はどれだけいるのだろうか?

経験・勘に基づいているならまだいいが、経験すらない人が海外ではサマータイムがあるらしいぞ、省エネになるかもしれないぞ程度の聞きかじりと思いつきで言い出しているだけにしか見えない。軽減税率は経済が低迷、崩壊するぐらいだがサマータイムのような無邪気な改暦は統治のシステムが崩壊する程度に愚かなことだとおもう。

親が比較的高緯度の国で赴任していたので、そちらの国に行った折、サマータイム変更のために家の時計を変えたりする役目を負ったりしたのだが、本当、めんどくさい。サマータイムが従来あるような地域ですら、めんどくいのぅと思う程度にめんどい。サマータイム切り替えボタンもない日本では家庭も企業も耐えられる気がしない。俺も耐えられない。

 

時を進めるのはともかく、戻したりするのが困難な時計はおおい。日付をあわせるために一年分まわさなきゃいけないやつとか。また内部時計など表面に見えない時計や、おまえ、こんなところに時計もってたんか!!というものが山程あるのだ。

 

家庭で考えてみる。

部屋ごとにある置き時計や掛け時計、身につけるタイプの腕時計。最近だと冷蔵庫やキッチンタイマー、コーヒーメーカー、給湯ポット、給湯設備、電子レンジにも時刻表示はついているし、オーディオコンポなどにもついている。ウォシュレットはどうだろう?あれも冬場は便座を温める時間を調整したりしているので時計がついているものがある。留守番電話機能付きの固定電話とか、エアコンのリモコンとかが電池の数、コンセントの数だけあるのだ。PCやテレビは最近のはNTPに対応しているから対応しなくてもいいかもしれないが、そんなものはごく少数だ。ぜひ、サマータイムやってもいいかなと思う人は身の回りの時計だけでもいいので数えてみてほしい。

これらの時計を実際に一時間すすめて、戻してみればいい。時間の合わせ方なんて買った時にマニュアルを見てやって以来やってなかったものが年二回×時計の数だけくるのである。とてもじゃないけれども、やってられん。

 

事業所だとこれに、レジスターだの社用車だのIT界隈のみんなが心配しているコンピューターシステム界隈がかかわってくる。そもそも日本が大好きな帳票系のシステムでサマータイムに対応しているものは無いはずである。もし、時刻を表示しているレシートなどのデザインにSTとかを表示する余裕をもってデザインされているものがあれば教えてほしいぐらいだ。表示系だけ切り分けて実装がするのが一番手数すくないとおもうけれども、どこかの誰かさんがいうように、数行なんかで済むわけがない。まちがいなく、ソフトでもハードでも対応できず運用でカバーしてくださいとかいう意味のわからない現場負担になる。

まだある、ローカルインフラだと街路灯とか防犯カメラとかの時刻物理でだれが合わせるんだよ??

本当、現場勘のないやつがあげる狼煙は信じられないものがある。なんでテストもせずに全体デプロイしようとするのか。バカジャネーノのダルセーニョ。

 

太陰暦と不定時法

明治政府がグレゴリオ暦に改暦したのは明治5年のこと。財政に貧した明治政府が一ヶ月分の給料をケチるためにやっただとかなんだとか、諸説あるが導入まで1月で改暦をおこなったために社会的に大混乱したのは歴史上間違いない。

それまで日本は幕府の天文方が太陰太陽暦を定めていた。

月の満ち欠けは万人が時計をもたない中世、古代において、誰でも夜空を見上げればわかる暦である。

また農業をするにも漁をするにも、潮汐は害虫の発生や産卵のタイミングが関係するので、生活に必要でかつ重要なものであった。

ただ、月の満ち欠けでは地球の1年の公転周期とズレが発生するため、1年を正確なものとする閏月の挿入による調整が必要であったというわけだ。これは天文方などにより計算され調整されてきた。

現在の歴も、ひと月が28日だったり31日だったりするが昔しの皇帝が誕生月だから日にちを増やせとかやられたいいかげんなもんである。28日×13ヶ月にしておけば364日なのだから正月の1日で一年の補正できるのに13ヶ月にしないのは単に宗教的な理由かな?

 

さて、日本は暦だけでなく時刻の考え方も現代とは異なるものであった。

時代劇や落語の時そばなどでも「いま何時だい?」のように、江戸時代以前の時刻の考え方と現代の時刻の有り様が違うものであったと薄々気がついていても、具体的にどのように違うのかを詳しく知っている人は少ないかもしれない。和時計について学校で習ったという人もいるが、自分は習った記憶はない。

日本の時刻のほうはもっと独特で、正午の9からはじまって8、7、6、5、4と減って、午前の9つとなり、また8、7、6、5、4となる。まさかの for(i=9;i=>4;i–)  デクリメントだ。

 

一日を昼と夜のふたつにわけ、それぞれを6刻にわける。暮六つは日が沈む時刻、明け六つは太陽が登る時刻に決まっている。つまり、夏と冬とでは一時間の長さは現在の定時法からみると異なるのである。

太陽が出てる時刻を6等分して時刻とするものであるのだから、まさにこれが日本版サマータイムというべきものである。冬は時が経つのが早いというが、物理で早いのだ。

日の出や夕暮れに寺が鐘を鳴らして知らせる時刻であるから、正午を強調して鐘で時刻を伝えるにはこれがフェイルセーフなのかもしれない。9始まりのデクリメントで時刻を数え、しかも、一刻の長さが違う。ちょっとSI単位系もまっつぁおな難解さがあるかもね。ここらへんなんでこうなったのか詳しく知らないのでいろいろ見てみたが、和時計についてしっかり書かれてるサイトでも、そこまでは書かれていなかった。

www.jcwa.or.jp/etc/wadokei.html

 

現代の科学技術からみても春分・夏至・秋分・冬至で一日の時刻がかわるような不定時法を時計として実装するのはとてつもなく大変なことだ。この和時計を機械で作ったことで有名なのは、からくり儀衛門と呼ばれた、後の東芝の創業者でもある田中久重である。

toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/toshiba_history/clock/project/skill_j.htm

その土地々に根付いた暦に基づいて活動するというのは、数千年の生命の生体リズムを考えると、もしかしたら必要なことなのかもしれないと思う。自律神経的な意味だったり、生殖活動だったり、万年発情期といえども人間も生き物なので潮汐にはかなり影響をされるはずだ。和暦を取り戻すと、地震や天候のような地球科学などにも大きな発見があるんじゃなかろうかとも思う。

 

白夜に近く夜中まで明るい高緯度の国の文化を、沖縄と北海道で2時間も日の出の時刻が違う日本に適用するのは本当ナンセンスだと思う。そんなのをやるぐらいなら、東と西でタイムゾーン分けなよ。とか、官公庁だけ始業時間就業時間変えればいいじゃないとか。どこかの実証実験特区でサマータイム導入してどのような効果があるのか確認するのが先でしょうがと思う。

時刻が周りとずれるから駄目とか、そういう言い訳があるのだとしたら、それは一斉転換でも同じ混乱がおきるのだから、よい実証になるよね。

 

日本でサマータイムやるぐらいなら、いっそ和時計復活でもさせなよ!と火を吐いたら、「冬場と夏場の3分でカップラーメン伸びちゃうじゃんか」と言われた。あぁ、そうかも。でも、ま、暦をいじるっていうのはそういうことだから。

 

・・・。
もしかしたら、冬場はお湯の温度が冷めやすいから、冬の抽出時間を長くするために昔しの人は考えてのこと・・・とか考えたけれども、そもそも昼と夜で秒数が変わるからそんなこともねぇか。

 

余談

自分が生まれる前のはなしだが祖父は時計屋をやっていた。太宰治とかがお客さんだったらしい。

金細工職人だったのだが、公家とか皇族が相手だったので戦後は商売ができなくなり時計屋になったと聞いた。現SEIKOの服部時計店とかに一族はjoin inしたのだとかなんだとか。なんとなく和時計とかでてこないかなーと期待してお店を漁ったこともあるが、柱時計がいくつかあっただけだった。

 


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