地震のリスクアセスメントってなんじゃらほい


  • リスクヘッジ:ひとつのカゴに卵を盛るとカゴを落としたら全部割れてしまうのでカゴを分ける
  • リスクアセスメント:卵が割れる事故を受け入れられるか?卵が割れただけで他の事まで破綻しないようにする

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Creative Commons License photo credit: CLF
日本は、「事故は無いようにする」という青雲の志のためか「事故がおきたときどうするか」というリスクアセスメントが蔑ろにされる傾向があるようです。
無事故率を99.0%を99.9%にするのに躍起になってお金と時間を投入し、残りの0.1%の事故がおきたときの事象に対して資源投資をおこなわないのはバランスを欠いています。この%が例え99.9999%になっても同じです。事故事象を評価しない無事故率には意味などありゃしないのだぜ。事故はおこるものです。事故を抑えることは極めて重要ですが、起きた事故に対応できるかが揃って初めて両翼となります。
今回の地震では津波ひとつとっても、未解明のメカニズム(プレート間の堆積層が跳ね上がった?)で想定外の高さになりました。500年に一度の災害に備えリスク算定をおこなっていたガスタンクも炎上しました。テロリストが飛行機でつっこんでも事故はおきないといわれていた原子力発電所が事故をおこしました。
いままでは考慮外でよかったレベルのリスクの桁が文字通りあがってしまっているわけで、リスク算定を見なおす必要があるのはもちろんのことですが、このリスクアセスメントがいかに蔑ろにされてきたのかも場所によって露呈してしまっています。あずかり知らないひとたちの一部の利権を守るために事故がおきたら打つ手なし、みんな仲良く滅びましょうに巻き込まれてはたまったものではありません。
原子力発電所を活断層の上に立てたり、津波が来る場所に立てたり、電源が30分とまっただけで炉心融解してしまうような設計はリスクを評価しているとは言いがたいです。さらには原子力発電所を密集させて銀座状態にしたりしているのはリスクヘッジもできていないと言わざるを得ません。事故がおきたら福島のように避難指示しかできなかったり、もんじゅのように廃炉にもできなかったり、六ヶ所村のように数%漏れただけで北半球に人が住めなくなるようではリスクアセスメントもとれているとは言いがたいです。

最近はBCP(business continuity plan/事業継続計画)がもてはやされています。事故が発生し環境の変化がおきたときに、企業は事業を継続できる計画があるかということです。同時に同じ考え方は生活にもあてはめることができるのではないかと思います。なにか変化が発生したときに健康で文化的な生活を営む権利が侵害されないかは非常に重要な事項です。
あまり機能しているとは言いがたいですが、一応は代表民主制なので我々の信託をうけ代表者たる政治家がそのチェックをおこなっているはずなのですが……、そのような、体制そのものがはたして本当に機能しているのかどうかを確認したほうがよさそうです。余人を持ってかえがたいなんてとても言えない交換可能な部品のような量産型政治家の政治生命なんて貰ってもなんのたしにもなりゃしません。
いずれ、首都直下型の海溝型地震に見舞われることでしょう。その時期が問題ですが、地殻への応力変化をかんがえると誘発で地震が起きる可能性は切迫しているのではなかろうか。スマトラの時やチリの時は数ヶ月後にマグニチュードを1落とした程度の地震が数百キロ離れた地点で発生しています。
首都圏直下型がおきた場合、政府想定では5000~10000人程度の人的被害と100兆円程度の経済被害が想定されています。首都圏の3000万を超す昼間人口を考えれば、わずか0.3%の被害ですがこれも東日本大震災以上に対応が困難な事象でしょう。

さらには日向灘・南海・東海・東南海4連動型巨大地震も現実味を帯びた懸念材料として加えなければならず、また原発のぜい弱性まで考慮しなければいけないものになりました。地震のリスクアセスメントでなんで放射能汚染とかまで考慮しなきゃならないってのがなんかもう残念。しかも生存権を脅かすものだから許容しきれないしね。

だとすると、なにかがズレてるんだけど、よくわからないのでまた今度。


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