AI vs. 空気をよまない大人たち(2)


前回の投稿から4ヶ月ほど下書きのまま保存されているのをみつけた・・・。そうだこの続きも書こうと思ったままになっていた。

 

教科書が読めない子供たち

前回の投稿の続編。

 

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち 新井 紀子著

 

曰く、教科書を読んでも文意を汲み取ることができない、教科書を読めない子どもたちがかなりいるそうな。なんとその数、約3割。おもえば中学2年の頃、数学の教科書に書かれた「任意」の使い方に納得できず、学校から教科書会社に電話してしまった口なのだが、たぶんそういうガチ中二病が3割とかそういうことではないようだ。

 

それまで誰も疑問をもっていなかった「誰もが教科書の記述は理解できるはず」という前提に疑問を持ったのです P185

・・・えっと、教科書を読んで素直に頭にはいってしまうエリートさんも問題だとは思うのだが、読んでも意味を汲み取れない人がいることに気がついていなかったということには新鮮な驚きを覚えた。

 

下手の考えサイコロのほうがまし説

AIには「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定」がまだ難しいそうだ。

そこで人間について調べたのだそうだが、一部のひとについてはいっそ考えないで答えてもらったほうがましという答えが出てしまった。

図3-8 P214

回答選択肢を適当に選んだときよりも、低いスコアを出す受験者数の割合。学年別ランダム率を示した図。

推論や同義文判定など考慮せずに選択肢を選んだほうが得点が高くなる分野がある。逆に、係り受け、照応のランダム率は低く、ディスクレシアなどのなんらかの障害があることが考えられるとのこと。

 

推論や同義文判定ができなければ、大量のドリルと丸暗記以外、勉強する術がありません。(略)「一を聞いて十を知る」ために必要な最も基盤となる能力が推論なのです。 P215

 

 

問題文が読めない

一般にテストは信頼性、妥当性、客観性が求められる。

同じ人が同じような問題でなら何回でも同じ点数が取れるかどうかという信頼性と、用いる評価方法が測定対象となる能力や行動を測定できているかの妥当性、採点者が変わっても結果が同じかどうかの客観性が必要だ。

表3-10 P220


高校の偏差値と読解能力値の平均値と相関係数

ランダム化率の高い推論やイメージ同定での相関係数の高さが注目すべき点。

 

この相関係数の高さから、同じような能力値のひとが同じような結果を返すテストの信頼性はとかく高そうだ。もしかしたら、学校の入学試験などというのは「数学の能力」などよりも、設問を読めるかという読解能力値に評価妥当性があるのかもしれない。

 

図3-1

偶数奇数問題の証明の問題正答率である。典型的な誤答が国立S級以外の大学生に異様に多く、逆に言うと、国立S級の大学の子は、この手の問題に適応化、最適化されている子があつめられているとも言える。

 

能力値別に誤読させてフィルタできる、綺麗なトラップが作れるようだ。

この綺麗なひっかかりを見ていると、錯視に近い文章読解について脳の認知機能があるような気もする。

聞いたこと無い単語をまぜてスポット的に認知を歪め意識を逸らさせたり、修飾語を離して読者をミスリードさせる方法とか、そういうバッドノウハウが文章問題作成という分野で蓄積された結果なのではないか。

 

幼児期における発達で、自己と他者は異なるという比較認知やメタ認知力の成長がある。回答者の能力に差があるとすれば出題者の設問意図の斟酌。つまるところ忖度力の差なのかもしれない。

ということは、強いAIが生まれるかどうかは、AIが己と他を認識できるようになり、忖度できるようにならないといけないということだ。

原生生物から進化するために、自己と非自己の認識が必要であったが、AIも進化のためには自己の範囲を認識できるようになる必要がある。

 

 

教育環境と遺伝

近代工業化以降は、マニュアルに定めたとおりのオペレーションができるひとを社会に供給するために機能し、評価してきた。日本の教育はそのような点で効果的であったと理解している。

就学補助率と能力値との強い負の相関です。
//
就学補助率が高い学校ほど読解能力値の平均が低いことがわかった
//
貧困は読解能力値にマイナスの影響を与えています。
P227

ここには極めてセンシティブな問題がある。

親の文化資本にアクセスできないからという、環境要因と、そもそも遺伝的に発言しない形質としての認知能力、生物学的要因だ。

「中高生は教科書を読めているか」という事実を考えようとも、調べようとしなかったのでしょうか
//
ビックデータに基づくサイエンスを教育に適用したのです
P239

経験上わかっていても、解決策がなければ蓋をして見なかったことにするのは日本の事なかれ主義では王道だ。サイエンスが教育に適用されたとき、もしかしたらそこに待っているのは現在の社会では差別とされるような区別かもしれない。

遺伝的に長距離走に向いていない筋肉を持つひとや、短距離走に向いていない筋肉を持つ人がいるが、遺伝的配向でそもそも学ぶことができるアクセスを制限されてしまう可能性がある。

エビデンスベースドラーニングは、教育を高効率なものにするかもしれない。しかし、他方でいままで勉強が足りないものとしていた建前も崩してしまうかもしれない。

 

ITやAIでは代替不能な人材、意味がわかり、フレームに囚われない柔軟性があり、自ら考えて価値を生み出せるような人材
P258

AIに絶対に代替できない仕事の多くは、女性が担っている仕事です。子育ては汎用AIが登場したとしても、最後まで人間がすべき高度知的労働として残ります。
//
男性社会は女性が担っているというだけの理由で、介護や育児やアノテーション設計のような知的な仕事の担い手に対して、十分な地位と対価を支払っていません。
P259

ここでの対価が貨幣経済的なものであるのであれば、それはそのとおりなのかもしれない。東京医科歯科大学の入学試験でのハンデキャップのようにアンフェアな競争下にあるのも事実だ。

しかし、他方でその男性社会が形成するような評価生態系の中にはいりこまず、女性による評価社会があるのも事実。母親としての地位はお金や組織の肩書で交換可能なものではない。代替不能なものである。
AIに代替されないものというのは、そのような代替の脅威にさらされない役割なのだとおもう。

 

貧困と遺伝子

教育と親世代の年収に強い相関があり、教育格差「やむをえない」が6割を超えるそうだ。

教育格差「当然」「やむをえない」6割超 保護者に調査
www.asahi.com/articles/ASL3S5VPYL3SUTIL014.html

交通事故と学歴に相関があることを保険会社がみつけて、保険の掛け金を変更するという現実は半分来ている。統計上の相関は破産や事故に結び付けられて考えられ、保険のような事前に結果の担保をするような仕組みにも影響を与えることだろう。

 

AIは人間と同じ感覚器を持ちうるや

人間が社会生活のなかで獲得している明文化されることのない暗黙知。これを理解と呼ぶのであれば、その獲得に必要なのは、人間と同じような社会生活である。

つまり、感覚器を有して人間と同じ生活を送ることでしか外部環境、外部情報はセンシングできないので、もし、演算能力や記憶容量が増えたとしても、そこからは人間のようなAIは生まれない。

暗黙知を教師データとして与えるにはデータ化が必要。ディープラーニング以前は、人間による職人的なチューニングが必要で、その過程でどうしても情報密度が落ちる。センシングの部分で人間の生体センサー並みの感覚器を、人間と同じようなタイムラインで保有してストックできるようになれば、AIの暗黙知と人間の暗黙知が揃うことがあるかもしれない。

だが、現段階では計算機はそのような感覚器を持っていないので無理である。味覚センサーも、臭気センサーも、半導体が解決するより先に、生体組織で解決されるかもしれない。視覚器、聴覚器については人間のそれを超える性能が実装されてきている。映像解析や音声解析からAI化が進むのも自然な流れだろう。

 

個体差としての認知能力

コンテキストが認識ができず、ただひたすら暗記するよりなかったとしたら?

中学生ぐらいで100走でいえば12秒代で、水泳でいえば100メートル自由形で70秒切れるやつとかがいる。走れる人間なら、トレーニングを詰めば10秒代に乗るかもしれないし、60秒も切れるようになるかもしれない。でも9秒を切ることはないだろう。

言語、共感性や、運動能力で人間の能力というのは正規分布に広がる。賢さも同じようなレベルの生体機能でしかない。

生体には限界や加齢もある。
人工頭蓋変形で知能をあげるというような、文化風習があった歴史もあるが、遺伝子操作でもしないかぎりは、人間は生物学的なホモ・サピエンスのくびきの中にいる。しかし、AIは生物学的な制限を受けない。

足の速さの価値が車の経済的価値におきかわったように、同じように代替されるものだとおもう。

AIと人類の比較は、お米とガソリンの比較に似ている。
同じジャポニカ種の、ササニシキとかコシヒカリとか、同じ料理法、似たような風味であるから比較ができるのであって、まったく異なるものとの比較品評に意味があるのかと似たようなものだ。カロリーベースで比較して意味があるか?

思考は外部デバイスにまかせてしまえばよいやという時代がきたら、どれだけ早く入眠できかとか、視力のよさとか、皮膚の感度のよさや、味覚や嗅覚などの外部と接しうる器官の生体性能のような、現代ではおおよそ賢さとは関係ないものが賢さという意味にかわる時代がくるかもしれない。つまりのび太くんこそがAIに代替されない優秀さを持つことになる。

 


平成30年情報通信白書をよみよみ


「公共情報通網無き都市は地上に如何なる文化施設を持つもそれはスラムである」

 

昭和34年の三鷹市の市長は医師でもあり「公共下水道無き都市は地上に如何なる文化施設を持つもそれはスラムである」と発言し公共下水道の敷設に邁進したという。のちの昭和48年に全国で最初に上下水道普及100%を達成したが、これを現代に捉えると、情報の上り下りは上下水道に例えられる程度に社会に必要なインフラであるが、公共wifiもない都市はいずれスラムと扱われてもやむないものである。

 

公衆衛生とならぶ衛生環境として、情報通信網は文化的な生活のためにはやむないものだ。

 

情報通信白書が公開された。
www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/h30.html

 

しかもなんかクリエイティブ・コモンズらしい。ひさしぶりに読んでみる。昔はhtmlでも公開されていたが今はPDFオンリーなので一行51文字の横書きは横幅が短い画面になれてしまった自分には辛い。なんかどこを読んでいるかわからなくなる。ディスクレシアになった気分。
興味の向いたところの拾い読み。

 

第1部 人口減少時代のICTによる 持続的成長  人口減少時代のICTによる持続的成長

持続的成長を前提としているが人口動態と現在の日本の投資(リソースの分配)状況を鑑みるに、日本に持続的成長はない。あらゆるものが成長を前提として動いているため、このような白書でさえもどうすれば成長を維持できるのかという論に立っているが、古木の形を変えたくないと新芽を摘んでるのに、成長もなにもあるまいて。

図中に新市場創出、グローバル需要取り込みとあるが、ここで重要なのが日本が将来にわたり世界に対して比較優位を持てるかということである。日本の比較優位は人的資源の分布の狭さ、つまるところ、誰がやっても大きくハズレないし、期待値から外れないということであるが、これが機能するのも、人件費がやすかったからである。

組織。いままでは、ものづくり社会であり、それにあたり人的資源にアクセス容易というロケーションが競争資源であった。そのため人を大規模に運用しやすいように資本や特許などの資産を多く抱えている資本増強型の参入がおこなえる大組織が優位であった。大組織であれば、ちょっとした無駄を改善するだけで大きな生産性向上みこまれる。

しかし、これからくる生産性向上は可変的な無人化であろう。
労働資源へのアクセス優位性はむしろ競争負担となりえる。
生産資源、知的資源、もしくは、消費市場へのアクセス容易こそが競争優位になるだろう。日本はご存知の通り生産資源はほとんどない。

知的資源を抱えている大企業は、労働資源を大きく抱えてしまっているので、それらと切り離すためにホールディングス化をすすめることだろう。アセットライトとかモジュール化がすすみ、おそらくスモールセル化してくることだとおもう。

これらがもたらす日本の社会構造へのインパクトは大きい。

労働付加価値生産額などをみれば、日本は金融へそのほとんどを頼っていて、金融の与信わりつけなどは大企業ののれんや勤続年数に頼っていて住宅ローンなどを割り出している。市場、組織、人のこのループは残念ながらイテレーションしない。回りゃしないループである。

 

コンテンツ・アプリケーション

ここ数年で最も変わったのはコンテンツのサブスクリプションモデルだろう。Spotifyあたりから本格化して、AmazonPrimeVideoやnetflix、Huluのような動画配信のコンテンツクオリティは非常に高い。連続ドラマで一話あたり5億とか10億円とかふんだんに使う世界に、竹槍でかなうはずもあるめぇ。

定額以外の売上が2016と2017で27%も落ち込んでいるのはなかなかな数字だ。予測値では、60億程度を下限値として踏みとどまるようになっているが、サブスクリプションは既存のコンテンツ毎販売のマーケットそのものをクランチさせる可能性は多いにあるのではないか。

自分の場合はAmazonのPrimeVideoやyoutubeを仕事中BGMがわりに流し見ている。見放題でもいくら見ても見尽くせないほどあるのに、別途単体で購入してまで見るのは、よほど前評判とかで期待でもしていないと買わないだろう。視聴者時間の食い合いでバッティングしてしまっている。音楽や動画の単体販売モデル、とくにCDなどのメディア販売モデルは代替の脅威の前にあえなく散りぬるを。

 

LPWA


LPWA(Low Power Wide Area)最近は自治体がらみで聞くようになった単語。三鷹市で確か一基基地を実証実験で設置したところだとか、そんなレベルだと思う。勘違いしていなければ、一つの基地局で数百メートルのエリアをメッシュできるらしい。低域なので遮蔽物があるようなところには向かないだろうけれども、ネットに全くつながらないというものから開放されるかもしれない。ちょっと注目。

 

ディバイス

スマフォは完全に平衡飽和かな。

 

タブレットは低下しているようにみえるが、これはSurfaceのようなノートパソコンとタブレットの垣根がなくなってきてことによるもののように思う。

ウエアラブル。価格帯の違う商品を積んでいるだけで、メガヒットとブームアウトによるノイズがおおくて、市場規模の推移という意味ではあまり役にはたたなそうなグラフですな。

 

 


世界のサービスロボット市場規模の推移及び予測

物流、ヘルスケア・介護、外食、店舗といった製造業以外のサービスロボット。この予測値は甘さを感じる。代替が労務費なので市場規模が数倍に増えるブレイクがあってもおかしくない。1次関数的な近似曲線。

 

 


世界のドローン市場規模の推移及び予測。こちらも予測値がゆるいというよりは、過去3年が倍々で増えてるからこれからも倍々だろうみたいな感じ。2次関数的な近似曲線。

 

 

 


世界のAIスピーカー市場規模の推移及び予測。

AIスピーカーは2017年の今までなかった市場が誕生したまさにその瞬間。ディクテーションAPIは3年ぐらい前からあり、いろいろな試行錯誤があったがAIスピーカーという形に落ち着いたのも面白い点。ディスプレイモニター型になるものだとおもってた。この市場は現在は音声認識だけだが、カメラによる顔認証とか、移動とかを捉えれば業務用や防犯用途にもいくのでAIディバイスという点で新しく大きなブルーオーシャンがありそうだ。

 

 

世界のAR/VR市場規模・VRヘッドセット出荷台数の推移及び予測

Oculus Goという単語が白書中にないが、以前のOculusと違って単体スタンドアロンでわずか23800円という価格はまさに、破壊的。Oculus Riftが切り開いて、PlayStation VRが裾野を広げ、Goが普及機になりそう。あと、アダルト動画をVRヘッドマウントで見るといよいよやばいレベルになってきたらしい。未体験だ。Oculus Go買おうかな。

 

日米のICT投資額の推移

日米のICT投資額推移(実質2010年価格)

最近じゃ日本と米国を比較することすらおこがましいレベルに日本は集落してきてしまっている。

 


GDP比でみればそれほどでもないのかもしれないが、

2001が日米双方のソフトウエアとハードウエアの比率が逆転した年。
現在は2:1程度。

 

 

日米のソフトウェア比率(受託開発、パッケージ)

本文中にも従来のシステムへの過剰適合であったり、ICT導入以前の組織や業務プロセスに合わせるために行われるため、受託開発が多いとある。

明瞭な戦略にあうシンプルなシステムをたてて、オペレーションをあわせていくのが本来の経営戦略であるが、日本の場合は局所ごとの戦局にあわせてオペレーションがたてられるために、システムをそれにあわせる傾向がある。控えめに言ってくそだ。

 

ICTの経済成長への貢献

成長会計分析

このような大項目がつくられるようになったのは好ましい。そもそも売上、ちゅうか経済成長に税とかのれんなどを含んでしまっている国内会計だと、IFRSベースの会計を適用している国とそもそも比較が成立しないのではないか。TFP(全要素生産性)とかについては、不勉強につきよくわかんない。ちょっと本質的ではなさそうなものの気がする。

(生産の伸び率) から(資本分配率)×(稼動資本ストックの伸び率) と(労働分配率)×(総労働投入の伸び率)を引いたもののようだけれども、正直これだと継続的な参考指標にできるのかわかんないな。

www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sh04-01/sh04-01-fuchu.html

 

 

日米の ICT とイノベーションの現状

この章はなんかまるごとレベルが少し低いね。(出典)総務省「我が国のICTの現状に関する調査研究」(平成30年)

これがもとネタかな?検索しても出てこないな。新しすぎるのかな?

 

日米のICT人材の比較

相変わらずの日本のユーザー企業のICT人材の少なさ

いくつかの法改正なども伴い、国内での受託開発でのリスクがひたすらに上がり続けているので、いまは準委任とかそういうのが増えてきたけれども、もしかしたら、ユーザー企業の人員を受け入れてシステムを開発するのを指導しつつ育てたら返すみたいな、反請負派遣みたいのもでてくるかもね。

じゃないと日本みたいに人材流動性が低い社会環境だとユーザー企業は永遠にICTスキル獲得しようもない。

 

政府機能の電子化が進むエストニア

先月会議で同席した内閣府だか内閣官房だかのCIOのような方(ふわっとぼかした書き方)が、エストニアに視察にいかれていたお話しをされていたのでデジタルアジェンダ今度読んでみよう、少し注目。

 

 

デジタル・アジェンダ 2020

www.mkm.ee/sites/default/files/digital_agenda_2020_estonia_engf.pdf

日・エストニア間のICT・サイバー分野での協力や、両国の電子政府に関する取組みについて意見交換が行われた。エストニア相変わらず人気。ちょっと謎だよね。

 

 

2章 ICTによる新たなエコノミーの形成

汎用技術(GPT)とは
GPT:General Purpose Technology

あとで読もう

(出典)総務省「ICTによるイノベーションと新たなエコノミー形成に関する調査研究」(平成30年)

www.soumu.go.jp/johotsusintokei/linkdata/h30_02_houkoku.pdf

 

 

AI・IoTサービスマッピング

 

様々なX-Techの事例

こんなんも言ったもんがちだよね。海外の図表でもうちょっと綺麗にまとまってるのがあったからそっちのほうがいいかも。いかにもただのパワポアートっぽい。

 

電子マネー決済額の推移

 

電子マネー決済額とCDオンライン提携取引支払額の推移

 

 

シェアリングエコノミーに対する消費者の意識

シェアリングサービスの認知度(日本)

シェアリングサービスの利用経験(国際比較)(シェアリングサービスを知っている人のみ)

 


シェアリングサービスの認知度(国際比較)

 

日本のシェアリングエコノミーの認知度も体験度もひくっ!

高齢者の駐車場のシェアリングとかの認知が予想より高くてアキッパとかじゃないだろうし、なんでだろうねと話してたんだけれどももしかしたらタイムズのカーシェアとかのおかげかな?

 

第3章 ICTによる生産性向上と組織改革

OECD加盟国の時間当たり労働生産性比較

 

情報通信産業と一般産業 労働生産性指数の推移
建設部門で少し改善がみられる。少し不思議。

 


各国企業のICT導入状況

ここまでくると未導入企業でも生き残れる不思議さはあるよね。

 


各国企業が導入しているICT

未だにBYODがだめそう。たぶんこのままだめなまま進むんだろうな。

 

ICTを活かすための環境整備の状況

ほんと、ただ単に生存競争がないんだとおもう。

 

ICTによる生産性向上の効果

製品・サービスのコモディティ化 4倍!

 

第3節 組織を「つなぐ」ことで生産性向上をもたらすICT

APIの認知・公開状況

 

 


クラウドサービスに対する課題の認識状況
課題もわからない日本の状況。それでも存続できるのだからぬるくてよいじゃない。

 

 

第4章 ICTによる インクルージョン促進

「インクルージョン(包摂)」

2~3年ぐらいまえエンゲージメントとかの単語が流行ったときに同じく包摂なんて単語も聞くようになった。こういうのの仕掛け人は海外かなんかのシンクタンクかなんかなんだろうかね?

インターネット接続端末

加齢によるデジタルデバイドは解消不能なのかもしれない。介護の領域だ。

 

オフラインやオンラインで知り合う人の信頼度(国際比較)

日本人の他人の信用しなさ加減といったらすごいな。

 

 

オフラインのコミュニティにおけるソーシャルメディアの活用(国際比較)

 

第5節 ICTの進化によるこれからのしごと

人工知能(AI)導入によって自動化してほしいと思う業務(有職者)

 

学び直しや職業訓練の必要性(日本、年代別比較)

 

学び直しや職業訓練の必要性(国際比較)

 

日本の「わからない」という将来のみえてなさ。5~60代の学び直しは必要もないという諦観。老害になるか知恵袋になるか。引退後のクオリティ・オブ・ライフに大きく影響するとおもう。

老齢人口の再義務教育化で日本のだいたいの問題は解決するような気もするんだ。

 

第2部 基本データと政策動向

第5章 ICT分野の基本データ


主な産業の市場規模(名目国内生産額)(内訳)(2016年)

 


情報通信産業の名目GDP及び実質GDPの推移

 


主な産業の名目GDP及び実質GDPの規模

 


情報通信産業の雇用者数の推移

 

放送市場の動向


民間地上テレビジョン放送の視聴可能なチャンネル数(2017年度末)

 

我が国の放送コンテンツの海外輸出額

 

我が国の放送コンテンツ海外輸出額のジャンル別割合うなぎのぼり。でもほとんどアニメのみ。

 

トラヒックの状況

我が国のインターネット上を流通するトラヒックの推移

 

図表5-2-5-1

主なメディアの平均利用時間*29と行為者率
わかものの深刻な(?)テレビ新聞離れ

 

図表5-2-5-4 主なコミュニケーション手段の利用時間と行為者率
メール?

 

第3節 電波の利用動向 第4節 放送政策の展開

ここはいいかな。

 

第5節 サイバーセキュリティ対策の推進

情報連携投資等の促進に係る税制(コネクテッド・インダストリーズ税制)の創設

コネクテッド・インダストリーズ税制

最低投資金額が5000万という数字をみても分かる通り。税というより大規模優良企業の課税控除の抜け道かな。セキュリティは一番低い水準に合う、桶の水は一番低い立板から漏れるにあるように、ボトムアップこそが重要なんだけれども、これはお題目にかこつけた優遇策に見える。

 

第6節 ICT利活用の推進

4 プログラミング教育の推進

*10 若年層に対するプログラミング教育の普及推進ページ:
www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/kyouiku_joho-ka/jakunensou.html

*11 地域におけるIoT の学び推進事業ページ:http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/kyouiku_joho-ka/IoT_learning.html

*12 小学校を中心としたプログラミング教育ポータルPowered by 未来の学びコンソーシアム:https://miraino-manabi.jp/

 

 

第7節 ICT研究開発の推進,第8節 ICT国際戦略の推進,第9節 ICTによる行政・防災の推進,第10節 郵政行政の展開

NICTや異能vation、インフラシステム輸出戦略
・・・だめそう。

 

 

感想

読もう読もうとおもって、380ページぐらいの白書なんだけれども、読みはじめてから一月ぐらいかかった気がする。昔は白書系は1日でおもしろそうなところピックアップできたのだけれども、勘所も頭も鈍くなってるのかもしれない。

白書系そういえば最近読んでなかったので、今回のあとで読む系もふまえてしばらく白書を読み下そうかとおもう。


サマータイムやるくらいなら和時計復活させてパニクろう


アイディア社長が会社を潰すとは昔しから言われている格言。

政治家なのか、官僚主導なのかはわからんけれども、サマータイムとか、軽減税率とかを思いつきなのか、思い込みなのか、勘なのかわからん論拠で導入しようとするのは何故なんだろうか。愚かしいにもほどがある。思いつきで度量衡、統治の根幹にかかわる部分を動かせば国が潰れるというのに。

最近は制作決定の現場にもエビデンス・ベースド・ポリシー・メイキングって言葉が出てきたそうだ。いいことだと思う。エビデンスベース(根拠に基づいた)はIT界隈だとバグフィクス(障害を取り除く)だったり、なぜそのような設計にしたのかと言明することができるための基本となるものである。

ここ10年ぐらいは教育設計の現場でもエビデンス・ベースド・ラーニングとか言われるようになった。教育についてはほとんどの人間が実体験というエピソードを持っているため、あーじゃねぇこーじゃねぇ言いやすいし言われやすい。だから、かならず根拠に基づいた議論が必要になる。逆にエビデンスも持たねぇ主張はただの体験談披露でしかないので相手にしなくていいとまで言われている。

日本の政策決定は悲劇的なエピソードや、体験をもとに都合のいいデータをチェリーピックをして一律悉皆に適用してしまっうことがままある。100人に一人の悲劇なのか10万人に一人の悲劇なのかを無視して、センセーショナルさを利用して全体設計にまで手を伸ばして変更するのは、うまくいっている部分までをぶち壊す可能性がある。エビデンスがないために穴を塞ぐことで対応すべき類の問題と全体問題の切り分けができないのだ。エビデンス?ねぇようんなもんみたいな流言飛語でことをすすめてはならんっちゅうのに。

「政治がエビデンスベースドではなくエピソードベースドになってしまっている」という趣旨のことをネット動画番組の中で言っている議員さんがいたが(自民党の平将明議員だったかな)、まぁ、そのとおりだなと思う。

 

エビデンスベースドから、さらに現代的な開発手法になると、テスト・ファーストという考え方になる。政治でいえば特区とかレギュラトリーサンドボックスにあたるのだろうか?テストをしなければエビデンス(証拠)を積めないのだから、肝要なところでは必ずテストを実行してその結果に基づいて設計をするのは当然のことである。ちなみにサンドボックス開発もIT界隈が発信の言葉だとおもう。

テストもせず並行稼動もせずに全国一律悉皆に一括リプレイスを試みるのは蛮勇ですらない。

 

 

サマータイム

さて、サマータイムについてである。

ヴァぁぁっっあああああかぁぁああじゃやねぇええええのおおぉおぉ!!!??ああぁあぁん!!?

 

EUがここに着てサマータイムの廃止を検討しようかというタイミングで、日本でオリンピックを契機にサマータイムを導入しようとかいう話しがあがっているそうだ。

重ねていうが、ホント馬っっ鹿じゃねぇの!?

コンピューター・システム界隈の導入の困難さは改めて言うまでもないレベルで困難であることはもう言い尽くされていると思うが、普通にこれを進めようとする人の中で、サマータイムに切り替える現場経験を持つ人やサマータイムが便利だというエピソードでもいいから体験を持っている人はどれだけいるのだろうか?

経験・勘に基づいているならまだいいが、経験すらない人が海外ではサマータイムがあるらしいぞ、省エネになるかもしれないぞ程度の聞きかじりと思いつきで言い出しているだけにしか見えない。軽減税率は経済が低迷、崩壊するぐらいだがサマータイムのような無邪気な改暦は統治のシステムが崩壊する程度に愚かなことだとおもう。

親が比較的高緯度の国で赴任していたので、そちらの国に行った折、サマータイム変更のために家の時計を変えたりする役目を負ったりしたのだが、本当、めんどくさい。サマータイムが従来あるような地域ですら、めんどくいのぅと思う程度にめんどい。サマータイム切り替えボタンもない日本では家庭も企業も耐えられる気がしない。俺も耐えられない。

 

時を進めるのはともかく、戻したりするのが困難な時計はおおい。日付をあわせるために一年分まわさなきゃいけないやつとか。また内部時計など表面に見えない時計や、おまえ、こんなところに時計もってたんか!!というものが山程あるのだ。

 

家庭で考えてみる。

部屋ごとにある置き時計や掛け時計、身につけるタイプの腕時計。最近だと冷蔵庫やキッチンタイマー、コーヒーメーカー、給湯ポット、給湯設備、電子レンジにも時刻表示はついているし、オーディオコンポなどにもついている。ウォシュレットはどうだろう?あれも冬場は便座を温める時間を調整したりしているので時計がついているものがある。留守番電話機能付きの固定電話とか、エアコンのリモコンとかが電池の数、コンセントの数だけあるのだ。PCやテレビは最近のはNTPに対応しているから対応しなくてもいいかもしれないが、そんなものはごく少数だ。ぜひ、サマータイムやってもいいかなと思う人は身の回りの時計だけでもいいので数えてみてほしい。

これらの時計を実際に一時間すすめて、戻してみればいい。時間の合わせ方なんて買った時にマニュアルを見てやって以来やってなかったものが年二回×時計の数だけくるのである。とてもじゃないけれども、やってられん。

 

事業所だとこれに、レジスターだの社用車だのIT界隈のみんなが心配しているコンピューターシステム界隈がかかわってくる。そもそも日本が大好きな帳票系のシステムでサマータイムに対応しているものは無いはずである。もし、時刻を表示しているレシートなどのデザインにSTとかを表示する余裕をもってデザインされているものがあれば教えてほしいぐらいだ。表示系だけ切り分けて実装がするのが一番手数すくないとおもうけれども、どこかの誰かさんがいうように、数行なんかで済むわけがない。まちがいなく、ソフトでもハードでも対応できず運用でカバーしてくださいとかいう意味のわからない現場負担になる。

まだある、ローカルインフラだと街路灯とか防犯カメラとかの時刻物理でだれが合わせるんだよ??

本当、現場勘のないやつがあげる狼煙は信じられないものがある。なんでテストもせずに全体デプロイしようとするのか。バカジャネーノのダルセーニョ。

 

太陰暦と不定時法

明治政府がグレゴリオ暦に改暦したのは明治5年のこと。財政に貧した明治政府が一ヶ月分の給料をケチるためにやっただとかなんだとか、諸説あるが導入まで1月で改暦をおこなったために社会的に大混乱したのは歴史上間違いない。

それまで日本は幕府の天文方が太陰太陽暦を定めていた。

月の満ち欠けは万人が時計をもたない中世、古代において、誰でも夜空を見上げればわかる暦である。

また農業をするにも漁をするにも、潮汐は害虫の発生や産卵のタイミングが関係するので、生活に必要でかつ重要なものであった。

ただ、月の満ち欠けでは地球の1年の公転周期とズレが発生するため、1年を正確なものとする閏月の挿入による調整が必要であったというわけだ。これは天文方などにより計算され調整されてきた。

現在の歴も、ひと月が28日だったり31日だったりするが昔しの皇帝が誕生月だから日にちを増やせとかやられたいいかげんなもんである。28日×13ヶ月にしておけば364日なのだから正月の1日で一年の補正できるのに13ヶ月にしないのは単に宗教的な理由かな?

 

さて、日本は暦だけでなく時刻の考え方も現代とは異なるものであった。

時代劇や落語の時そばなどでも「いま何時だい?」のように、江戸時代以前の時刻の考え方と現代の時刻の有り様が違うものであったと薄々気がついていても、具体的にどのように違うのかを詳しく知っている人は少ないかもしれない。和時計について学校で習ったという人もいるが、自分は習った記憶はない。

日本の時刻のほうはもっと独特で、正午の9からはじまって8、7、6、5、4と減って、午前の9つとなり、また8、7、6、5、4となる。まさかの for(i=9;i=>4;i–)  デクリメントだ。

 

一日を昼と夜のふたつにわけ、それぞれを6刻にわける。暮六つは日が沈む時刻、明け六つは太陽が登る時刻に決まっている。つまり、夏と冬とでは一時間の長さは現在の定時法からみると異なるのである。

太陽が出てる時刻を6等分して時刻とするものであるのだから、まさにこれが日本版サマータイムというべきものである。冬は時が経つのが早いというが、物理で早いのだ。

日の出や夕暮れに寺が鐘を鳴らして知らせる時刻であるから、正午を強調して鐘で時刻を伝えるにはこれがフェイルセーフなのかもしれない。9始まりのデクリメントで時刻を数え、しかも、一刻の長さが違う。ちょっとSI単位系もまっつぁおな難解さがあるかもね。ここらへんなんでこうなったのか詳しく知らないのでいろいろ見てみたが、和時計についてしっかり書かれてるサイトでも、そこまでは書かれていなかった。

www.jcwa.or.jp/etc/wadokei.html

 

現代の科学技術からみても春分・夏至・秋分・冬至で一日の時刻がかわるような不定時法を時計として実装するのはとてつもなく大変なことだ。この和時計を機械で作ったことで有名なのは、からくり儀衛門と呼ばれた、後の東芝の創業者でもある田中久重である。

toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/toshiba_history/clock/project/skill_j.htm

その土地々に根付いた暦に基づいて活動するというのは、数千年の生命の生体リズムを考えると、もしかしたら必要なことなのかもしれないと思う。自律神経的な意味だったり、生殖活動だったり、万年発情期といえども人間も生き物なので潮汐にはかなり影響をされるはずだ。和暦を取り戻すと、地震や天候のような地球科学などにも大きな発見があるんじゃなかろうかとも思う。

 

白夜に近く夜中まで明るい高緯度の国の文化を、沖縄と北海道で2時間も日の出の時刻が違う日本に適用するのは本当ナンセンスだと思う。そんなのをやるぐらいなら、東と西でタイムゾーン分けなよ。とか、官公庁だけ始業時間就業時間変えればいいじゃないとか。どこかの実証実験特区でサマータイム導入してどのような効果があるのか確認するのが先でしょうがと思う。

時刻が周りとずれるから駄目とか、そういう言い訳があるのだとしたら、それは一斉転換でも同じ混乱がおきるのだから、よい実証になるよね。

 

日本でサマータイムやるぐらいなら、いっそ和時計復活でもさせなよ!と火を吐いたら、「冬場と夏場の3分でカップラーメン伸びちゃうじゃんか」と言われた。あぁ、そうかも。でも、ま、暦をいじるっていうのはそういうことだから。

 

・・・。
もしかしたら、冬場はお湯の温度が冷めやすいから、冬の抽出時間を長くするために昔しの人は考えてのこと・・・とか考えたけれども、そもそも昼と夜で秒数が変わるからそんなこともねぇか。

 

余談

自分が生まれる前のはなしだが祖父は時計屋をやっていた。太宰治とかがお客さんだったらしい。

金細工職人だったのだが、公家とか皇族が相手だったので戦後は商売ができなくなり時計屋になったと聞いた。現SEIKOの服部時計店とかに一族はjoin inしたのだとかなんだとか。なんとなく和時計とかでてこないかなーと期待してお店を漁ったこともあるが、柱時計がいくつかあっただけだった。