財布の値段と年収の相関関係と因果関係


年収は、なぜ「使う財布の値段」の200倍になるか? (プレジデント) – Yahoo!ニュース BUSINESS
newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130204-00008500-president-nb

 

因果と相関のとりまちがえ

事実の観測で相関があるものに対して因果があると認識してしまうことがある。
年収と使用している財布の値段には相関関係はあるだろう。しかし因果関係はない。

 

ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E9%96%A2%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%A8%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E9%96%A2%E4%BF%82

因果関係の逆転

火災現場に出動する消防士が多いほど、火災の規模は大きい。
したがって、出動する消防士が多くなることが、火災が大きくなる原因だ。

 

これはwikipediaに書かれている因果関係の逆転の例。
これを財布と金持ちに例えるとこのようになる。

 

お金持ちが所有している財布が高価である。
したがって、高価な財布を持っていることがお金持ちになることの原因だ。

 

引用の主張は相関と因果を平然と取り間違えていてちょっとおっかない。もしくは誤謬させるような書き方をしていることがおっかない。聴衆の注目をひくためのわざと因果を混同させるテクニックなのかもしれないが、結果としてその目論見がある程度成功しちゃてるのもおっかない・・・ね。

 

財布と年収に相関関係はあるか

充分にある話しだろう。
財布とよばれる商品の価格が数千~高いものでも十万円以上と比較的綺麗な正規分布になっている。日本人の年収も比較的綺麗な正規分布になっている。可処分所得が多いひとが高価な財布を購入する率が高いことは充分に考えられる話しだ。

 
日本は東証一部の社長でも年収が1億を超えることはほとんどない。他方、正規雇用の一般従業員でも平均年収が440万円あるので、その差はわずか10倍未満に収まる。

 

 

アメリカのようなブルーカラーと社長の年収が400倍を超えるような標準正規分布ではなく二項分布になっているような社会ではこのような議論は成立しないだろう。

 
はてなブックマークコメントで「ビルゲイツが年収の200分の1の財布を使っているイメージが浮かばない。」とあった。当然だ。
b.hatena.ne.jp/entry?mode=more&url=http%3A%2F%2Fnewsbiz.yahoo.co.jp%2Fdetail%3Fa%3D20130204-00008500-president-nb

 

 

 

日本も非正規雇用も増えているし、財布の値段にも値崩れが生じている。100円ショップの財布でいいやというコメントもおおかった。100円の財布の200倍は2万円だが、最低賃金法がある日本で年収が2万ということはあるまい。しかし100円の財布も商売になるほどに売れている。
このように正規分布から外れた例を探せば、この財布の200倍理論は容易に崩すことができるだろう。

 

ちなみに、うちの会社のおさいふも100円ショップのペン・ケースです・・・・・・。大きい領収書も畳まずにはいるし、下ろしたお金は封筒ごといれられるので混ざらないしで、まじで便利なんだよ・・・。

 

なぜ社長さんは長財布か

社員数万人を抱える上場企業の社長より中小企業の社長のほうが年収が多いなんてことがザラにある。ファーム所属でない税理士さんにお願いするのは個人事業主か不動産収入がある個人か中小企業の社長ぐらいなものだろう。

 
小さい事業主の社長/店長は銀行間送金や掛売りや掛け買いをしないニコニコ現金商売であることが多い。商売で仕入れや支払をおこなうと日常的に数万円~数十万円はやりとりすることになる。

 
折りたたみ財布にお札を10枚以上いれてみればわかるが、例えば89,000円とかを財布にいれようとすると財布を折り曲げることができなくなる。お札のせいで、パカーっと開いてしまうのだ。
しかも、支払や釣り銭などのためにお金を崩してもっておくことも多い。銀行のひきおろしで一部両替をするとででてくるお札は全部1000円札だ。このやろうとは思うが千円札10枚以上を持っているなどというケースは商売をしていれば当然の光景だ。

 
折りたたみ財布の場合、開いてしまうと中身がでてしまうようなつくりになっていることが多いので、そもそも事業で使うお金を管理する場合は折りたたみ財布を使うことが物理的にできない。そりゃぁ、古きよき社長さんはセカンドバック持ちあるいてますよね。

 
そんなわけで、お財布に10枚以上のお札が入る機会があるひとは必然的に長財布になるのですよ。
ちなみにキャバクラのおねーさんとかはお客さんが折りたたみ財布だとタカるのを諦めるそうですよ。

 

 
あ、わたしは個人的にはもう何年もつかってる折りたたみ財布です( ´,_ゝ`)
バカになってるのでヘアゴムバンドでとめてます。プレゼントしてくれる人がいるか居ないかは財布でバレますな・・・。

 


日本の個人資産1500兆円は正しいのか?


なんか俺が子供の頃から日本の個人資産は1000兆円あると言われたままあまり動いていない気がする。

日本経済凄過ぎワロタwwwwwwwwwwww
alfalfalfa.com/archives/6262676.html

経済が凄いかどうかは置いておいて、今回は個人資産1,500兆円という本営大発表はどれくらい信じられるのかについてかるーく調べてみようと思う。
まず、個人資産1,500兆などとマスメディアや政治家が口にする根拠は、日本銀行の資金循環統計による。

 

最新のレポートを貼っておく。

資金循環統計(2012年第3四半期速報):参考図表
www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf

まずここから家計の金融資産の残高を抜き出す。

1
※右側に今季の四半期ごとの図がでてくるが通期のみでみるのには邪魔なので削った。
マネタリーベースやサプライは日銀さんを信用するしなかいので置いておいて、比較的考慮しやすい、株式・出資金に注目したい。残高の推移でみると05年、06年が多く、他の年では半分程度になっている。

3
他方、こちらはTOPIX東証株価指数のここ10年のチャートだ。
stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/chart/?code=998405.T&ct=z&t=ay&q=c&l=off&z=m&p=m65,m130&a=

2

 

TOPIX東証株価指数でみると、2006-2008年にピークがきている。このずれが意味するところはなんであろうか?

家計残高の株式・出資金は時価の取引価格ではなく、取得額の価格をベースに計算していいるということではないだろうか。

 

次に注目したいのは、保険・年金準備金だ。家計のなかで現金・預金につぐウェイトをしめている。これは、企業が積み立てている年金などを含む資産だ。
年金は、厚生労働省の年金積立金運用報告書から裏付けることがImage4できる。

 

 

平成23年度 年金積立金運用報告書 – 厚生労働省

クリックしてhoukokusho_h23_01.pdfにアクセス

39ページ目に「(参考3-1)年金積立金額(簿価、時価)の推移」という表があり、そこに感心なことに時価まで乗っている。

 

この10年で簿価ベースで30兆円吹っ飛んでるのはちょっと引いちゃう渾身のギャグだとして、平成6年から運用スケールという点ではあまり大きな推移はない。こちらにも時価の計算は償却原価法でというような制限はあるようだ。しかしグラフからみると400兆円分ぐらいありそうな年金は100兆しかないことがわかる。年金の3倍、300兆ぐらいが民間保険などの積立金であるようだ。

 

結論。実際に資産としてお家に持って帰えって自由につかえるお金として個人資産1,500兆円が存在するわけではない。あくまで年金や保険を含んだ、帳簿上の資産ということになる。
たとえば、わたしは個人事業主の延長で一人で有限会社をやっているが戻るあてもない資本金も個人資産として簿価計上されているし、個人事業主の運転資金も資産としてカウントされていることになる。

 

この帳簿上の資産、例えば債権などを自由に使えるお金としてみんなが現金化しようとすると、信用収縮がおきてしまうので、正確にそれがいくらあるのかなど測ることは難しいのではあるが、1,500兆円のうち半分は株券や債権と、また株や債権で運用されている年金、さらには正体不明の保険ということでした。

チャートのカーブでみるとこの失われた20年で本来増加するはずであったであろう3~400兆円分ぐらいが海外に流れたのかな?家計にしめる保険をもっと踏み込んで探ると面白そうだけど淵が深そうなのでやめておきます。

 

最後に「(図表5-1) 一般政府の金融負債」

Image5
無理ゲー・・・( ´,_ゝ`)

 


終末医療と死者の匿名性


アメリカが2020年代半ばまでに中東を抜いた世界最大の産油国になる見通しで、アメリカの中東への関心は急速に減少しているそうだ。

 

ソマリア沖の海賊行為などを取り締まるべく莫大な金と人員を割いて米国が警備する横を日本や中国のタンカーなどがフリーライドしてきたがアメリカそのものが東アフリカや中東の産油国であるということに興味がなくなれば順次プレゼンスを減少させていくことだろう。アルジェリアでおきたような地域の紛争や内乱は活発になり日本が巻き込まれるようなことは今後も増えていくのかもしれない。

 

 

アルジェリアで被害にあった人達を弔うべく名前を公開すべきだというメディアの主張がある。企業側は公開することで不利益を被ることのほうが大きいと判断し公開しないようだ。
どうも匿名のAさんで死にたくはないという事らしいが、メディアに報じられなければまるで名前がないかのような記者の言説には疑問をおぼえる。そのような事をせずとも情報伝達網が発達した現代では必要充分な人達には連絡がまわるようになっている。死んで名を報じられることが少なくとも現代では功績(prize)/名誉とは世間はとらえなくなってきている風潮があるのだろう。その新しい風潮と旧態然とした価値観に溝ができている。

 

 

最近は葬儀のあり方にも変化がある。密葬や家族葬も増え大規模な参列者をともなった葬儀というのは減ってきている。経済的な背景が強いのかもしれないが、老齢化により亡くなる人の数が増えているということも関係しているのだろう。
麻生元総理、現財務相が終末期医療に関し「さっさと死ねるようにしてもらわないと」と発言したと問題に取り立てられた。
www3.nhk.or.jp/news/html/20130121/k10014949511000.html

「『生きられるから』といって生かされちゃかなわない。それを政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い」

「私は遺書に『さっさと死ぬからその必要はない』と書いてあるが、そういうことをしておかないと死ぬことができない。『いい加減、死にたいな』と思っても、とにかく『生きられるから』といって生かされちゃかなわない」と述べました。

そして、「それを政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろいろ考えないと、この種の話は解決しない」

 

NHK スペシャル「終(つい)の住処(すみか)はどこに 老人漂流社会」
www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0120/index.html
前日、この番組を見ていた親父が同じことを言っていた。
「胃ろうだとかその類の治療は必要ない」と。かねてから常々言われているがあらためて念を押された。
番組では、歩行が難しくなった身よりもないお年寄りが、生活保護を受けながら地域自治体の担当者から、「危篤になったときの出来る限りの医療をウケますか?」と確認をされて老人がしぼりだすようなうめき声ののち「ハイ」と答えていた。

 

 

デリケートな問題で人それぞれではあるのだが、少なくとも我が家では食べ物が咀嚼できなくなって自律呼吸も困難になったらそのまま死なせてくれという本人の尊厳は大切にしたい。終末医療でどのようなことがされるのか事前の情報もないまま「最善をつくした治療うけますか? はい/いいえ」 で問われたら「はい」と答えてしまうし、なんの準備もないまま家族にそのような選択を迫られる時がきて、このような治療ができます。やりますか? はい/いいえで問われたら普通は「はい」と答えてしまうだろう。

 

 

栄養をとるために点滴や鼻からチューブで栄養摂取をすることがあるが、さらにそれも困難になると胃に直接栄養を送り込めるように「胃ろう」という措置がとられるようになる。呼吸補助器があてがわれ、食べ物は胃ろうで、排尿などはカーテルでというような麻生氏が言うようなチューブ人間になってしまうと、死にこそしないかもしれないが、老人の場合はもう再度文化的な生活が送れるまでに回復することは絶望的だ。
チューブを老人が自分で取ったりするとベットに縛り付けられ、手が拘束される。やがて完全に寝たきりになってしまう。
そのような状態でチューブを外すと、今度は家族や医師が殺人罪になってしまうので、誰も外すことも動かすこともできなくなってしまう。文字通りいい加減死にたいなと思っても、本人は物理的に発言することもできないし、それが実行されることも法的にできない。死にこそしないだけのliving in bed 状態で心臓の鼓動がとまるまでお金がかかっていく。病院は病気を直したり死なないようにはしてくれるけれども再び生活ができるようにしてくれる施設ではない。

 

件の番組の漂流老人の場合は、7万円の年金に対して、不足の7万円を生活保護で自治体が引き受けていた。これが終末医療になれば、その額を払う家族が潰れ、自治体が潰れ、やがて国が潰れるだろう。いまはまだ終末医療にかかる老人の数がすくないが、あと10年もすれば団塊世代が平均余命に達してくる。まさに政治的な方向づけが必要な問題だ。茶化されて終りにしていいものなのか。

 

死にたくても死ねない匿名のAさんでこそ死んでほしくはない。