3万年前というと縄文時代(前14000年頃 – 前数世紀)より前なので、旧石器時代にあたる。
旧石器時代はたいした石器もなかった。そのため海をわたるにしても木材を加工することはできない。木材を加工できないのであれば舟には草舟をつかったのではないかと仮説がたてられた。
そんで、草舟で海を渡れるかという実験考古学というものが実行され・・・見事失敗したそうだ。
草舟の航海 自力での到着ならず 人類渡航の謎深まる 7月18日 18時21分
www3.nhk.or.jp/news/html/20160718/k10010600141000.html
すげぇ楽しそう。羨ましすぎて、ちょっと妬ましい。
嫉妬に焦がれて、ちょっとそんなわけないじゃんとか、言いっ放してみたい。
動機からの否定
古代人が海の向こうの見果てぬ島にわたりたいという動機をいだくだろうか?
まず抱くのは、数百メートルのちょっと沖にいけば大きな魚が取れるという程度の動機ではなかろうか。
手段からの否定
舟、船の完成形を知らない古代人が、沖に出る手段として草舟を編むだろうか?
加工できるのが草しかないのだからしかたないという理由で葦などの素材を選ぶ?
舟(海の上に浮かぶ状態)の形に至るまでに、試行錯誤が必要だ。
完成形がわからない状態ではリーンスタートアップ、スモールケースが実行される。テストファーストだ!アジャイル開発だ。
一人が数百メートルぐらい沖にでるための手軽な手段として、草の束をつかうアイディアははたして、最初のテストに耐えられるだろうか?
葦がなどが生えてる群生地に行って、葦を束ねて、それを使って沖に出る。使い終わったあとは充分に海水を吸った葦を浜辺に引き上げる。せっかくつくった造形物は、数日、もって数週間でダメになる。そんな悠長なことをしていたら旧石器時代は生き残れない。というか、そんな草舟を設計して力をあわせて開発する能力があったら、先に日常使いされている石器のほうが発達するよね。
捕まえてきた魚を裁くよりも前の発達段階なんだ。魚を捕まえなきゃいけない。
まず、使うのは周辺にあるものだ。
浜辺に打ち上げられた流木や海辺側の倒木を使うだろう。浮き輪代わりに小脇に抱えて、数百メートルぐらい沖にでて漁をすることだろう。
そのうち数人で漁をするようになれば、もっと大きな流木を使うかもしれないね。なんせ鉄器も石器も人類が手にしていない原始の地球。浜辺なんてきっと流木だらけだよね。
流木だらけなのに、「そうだ、草で舟をつくろう!!」とはならないでしょ……。
流木1択なのにむしろなんで草だなんておもったんだい?草舟、、出土してるの???
現存物からの否定
ポリネシアやミクロネシアにはアウトリガーカヌーというものがある。
シーカヤックと呼ばれる外洋にでていける高性能なもので、左右に浮きをつけて、舟の安定をとる。
西はアフリカ沿岸のマダガスカル、東は南米沿岸のラパ・ヌイ(イースター島)まで広まった痕跡がある。
詳しくはスター・ナヴィゲーションとか巨石文明とかそこらへん調べて。
www.izuoutrigger.com/about/index.html
で、これが伝統的なアウトリガー・カヌー。Pōpao
upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e1/P%C5%8Dpao.jpg/800px-P%C5%8Dpao.jpg
・・・。
木材加工の技術必要か?
流木で充分だよね。
草を縄で造形する技術などいらず、木の皮とか蔦で結くだけだ。
そのうえ浮力も草を束ねたものより強いし、抵抗もすくないので早く漕げる。
丸木彫りをする必要すらなくて、丸太にまたがればいいだけ。
木を削らなくても、火が扱えれば、焼き落としたり、炭にして形を整えたりすることができる。
また、それだけでなく炭化することで腐食に大幅につよくなる。
木を彫る石器なんかいらない。それこそ貝殻で充分だ。
科学的知見からの否定
縄文時代は寿命が14~16歳ぐらいなので、まあよく死んでいたようだ。
3万年も前にもなればもっと短いサイクルで死んでいただろう。
15年1世代としても遺伝的には、2,000世代程なので現世人類と遺伝的変異は数%程度だろう。
つまり、日本人と他人種ほどの隔たりはそこにはない。
旧石器時代の人間を猿かなにか程度の知恵しかないと思っているかもしれないが、教育が施されていないだけで、個体性能としては現世人類と大した差はない。というより、そこで渡ってきたのが我々の祖先なわけだから、分岐前と分岐後、つまり人種以上の遺伝差がないことは簡単に推測できる。
つまり、旧石器時代といっても、現在の日本人を教育を施さないまま島流しにした中二病ランドのようなものだ。
で、最近は遺伝子検査がすすみ、Y遺伝子(つまり父系の遺伝子がどこをルーツとするか)を追ったハプログループというものが整備されてきたのだが、南琉球人は、Oタイプが多いことが見て取れる。
ここからわかることは、中国大陸で分岐して渡来してきたのではなく、
en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup#/media/File:Map-of-human-migrations.jpg
livedoor.blogimg.jp/livereak-gekiyaku/imgs/1/b/1bfd5242.jpg
www.gekiyaku.com/archives/30621292.html
それより前のインド東北部あたりで分岐し、東南アジアから島嶼部に分岐した人たちの子孫が多くいることがわかる。
つまり、遠いご親戚は草舟じゃなくて、いまだにPōpaoつかってるぞと。
だから、正しいアプローチとしては流木でアウトリガー・カヌーは作れるだろうか?という実験なんじゃないかな。
一方、江戸時代の佐渡ヶ島の娘っ子は惚れた男に会いに行くためにタライ(桶)を船にして40キロの日本海を渡った。人間って結構なんでもできちゃうもんだよね。
参考
縄文人の平均寿命、男女ともわずか14.6歳だった
karapaia.livedoor.biz/archives/51581310.html