第四夜 co-枯れた才能


あなたが10年かけて身につけたものが割り箸を綺麗に割る程度の技能だとしても挫けてはならない。どうせ能力の消費期限は年々短くなっていっている。あなた自信をアップデートすればよいだけだ。

学習・訓練することへの投資が重要であることに疑いを挟む余地はない。得られる成果に個人差はあれど、どのような分野であっても効果が見込める数少ない万能のアプローチである。

輪転印刷機などの印刷機械が発明された18〜19世紀に大幅な出版コストの改善があり、本の価格がさがったことで図書館がつくられ、そして世界中に大学がつくられるようになった。20世紀終わりにはインターネットが発明され、インターネットは印刷に次ぐ規模の情報流通コストを下げる革命となった。まだ大学を継ぐような高等教育方法はでてきていない。moocなどいくつもの試みがなされている段ではあるが、そう遠くないうちに、学習と訓練の投資効率を格段にあげてくれる方法が確立するだろう。

人材価値を無視することへの疑問

ピケティの21世紀の資本では人材価値が最初から考慮外においている。「実物資本がなくて人的資本に意味があるんですか」「人的資本は物理資本にも反映されているのだ」というエクスキューズは無理筋なのではないか。

人の価値は企業価値会計にこそ乗ってこないが現在の企業評価上は重要な位置をしめる。中の人たちが欲しいからとチームを買い上げるために企業買収などがなされることがあるのに、そこの経済的価値をまるっきり考慮外におくのは変な話しだ。

例えば教育というコンテンツだけをみても、そこをとりまく物的資本がソフトウエア的な価値を内包していたり、比例しているとは考えられない。フランスなんて「のれん代」を企業資産として計上できる制度会計であったように記憶している。ブランドを価値評価できる国で人材のような無形資産についてかくも無碍にあつかってよいものか。

能力の比較優位

デヴィッド・リカードの比較生産費説なるものがある。例えば、農業国家と工業国家があれば、それぞれの得意に集中し生産したほうが、自由貿易下では互いにより高品質で多くの財を享受できるというものだ。

投入できる資源・労働力が同じであれば互いの得意なところで分担したほうが結果がよりよいものになるというのは、国よりももっと小さな法人レベルの組織でも言えるし、家庭のような最小単位でも言うことができる。労働生産が可能な複数人が参加する社会において、よりよい未来をつくろうと協力しあうのであれば、その人物は他の人物と比較して優位な部分を分担しあうのがよい。

社会はゲーム理論でいうところの非協力ゲームではないので、そのうちにその比較優位が機能するところに均衡するものと期待できるのではあるが、均衡するためには十分な繰り返しがなされなければならない。だが、個人の人生という単位でみれば根幹からの職業変更をするような機会は少なく、日本では雇用自体も非流動的であるために不適合、不合理なまま世代が終わるということはままあることである。

また個人よりも法人組織のほうが収益力も成長力も上であるので、個人の能力の比較優位の組み合わせよりも法人間の生産能力の比較優位が優先される。個人能力の比較優位が「声が大きい程度」でも、組織内政治を繰り返し非協力ゲームをしかければ能力の優位性での競争も潰すことができる。その組織の全体の生産能力を食いつぶすまでは・・・。
そのために協力ゲームのなかに嘘つきで人を喰う人狼が混じった非協力ゲームが繰り広げられることもあり、人材価値を一意的に推算することを困難にする。

能力の所在価値

プログラミングができるという能力について考えてみよう。
平均的な能力の人がプログラミングを書いたら1秒かかる処理があるとする。
とある人物はそれを0.8秒で終わらせることができるとする。
この人物は他の人に比べるとプログラミング能力というものについて絶対優位を持っているといえる。

だがしかし、処理がわずか0.2秒早くなったところで、それそのものだけで経済的価値を生み出すことは困難である。
だが、プログラミングというのは反復継続するのが得意なので、たとえばそのプログラムをもってある工場の製造工場の制御部分に導入したとすると、一秒あたりの製造効率がざくっと25%も増えるわけだ。いくつものラインで導入されれ製造数が数万、数十万という数に登れば莫大な時間削減、コスト削減、製造能力の増加になる。あるべきところに能力を置くと、経済価値を生むという例である。

だがしかし、プログラムのような複製が容易であるものの場合、社会に必要なのは1つだけである。
0.8秒のものが登場した次点で、多くの1秒のプログラムしか作れない人はお払い箱になり、そして0.8秒の人も0.7秒でつくれる人が出た次点でお払い箱になる。IT業界ではこのようにある日突然価値が無くなることをサドンデス(突然死)とよんだりする。自動機織り機が出た時代、自動車が出た時代のような新陳代謝が恐ろしいスピードで行われているのである。

ITは距離的優位性というタガがまっさきに外れた業界である。程度の差こそあれ、情報化の影響をうけない産業はないので、今後同じような流れは他の産業にも波及していくものと考えられる。
比較優位と所在価値はますます重要なものになるものになるだろう。そして、個人の振る舞いとして陳腐化の波にのみこまれないためには教育、学習が唯一といっていい解決方法である。

つづく

[財福主義]タグでまとめてます。

このシリーズも、あと2回ぐらいでおわれるかなー
もうすこしわかりやすく、面白くかける才能が欲しい。

21世紀の資本論からの参照箇所等

P327
カッツとゴールディン 高等教育と訓練への投資の明確な重要性
大学教育へのアクセスを拡大する政策は長い目で見れば必要不可欠
しかし1980年以降の米国における最上位所得の急上昇については限定的な効果しかもたなかった
・大卒と高卒以下の所得格差の増大
・TOP1%、さらに0.1% エリート校で学び続けたものに対する報酬の急増

P436
18世紀に比べ、明らかに教育がずっと重要な役割を果たす
でもだからといって社会が能力主義的になったことにはならない。
国民所得の中で、労働に対して払われるシェアが実際に増えたわけではない
人的資本の譲渡は常に金融資本や不動産の譲渡に比べ複雑なため相続財産の終焉が公正な社会を生み出したという考えの確信につながっている

参考引用など

ピケティ『21 世紀の資本』FAQ (v.1.4) 2014 年 12 月 山形浩生
cruel.org/candybox/pikettyjapaneseFAQ.pdf


第三夜 区切られた財。奪えども足りぬゆえ格差


格差がと叫ぶものあり。

かのものは共有すれば余るものを分けることに執心し足りないものにしていった。
働かずとも分配されるのであれば働かなくてもよい。
つくっても奪われるのであれば、つくる気力もなくなる。
そして創られるものは減り、分けえるものは少なくなっていった。

権力は富をつくったものよりもそれを分配するものに集中する。
企業の場合、従業員、債権者たる銀行、税をうけとるべき国は債権者たりえるものである。株主は最劣後債権者であるが、利益の処分方法を決定できるのは株主だ。株主は余ったものを最後にとる。分けるものは一番最後に受け取らねばならない。

もし、この順序が逆であったらどうなるであろうか。従業員も雇えず資金調達もできなくなり、生産活動に必要な再投資もできなくなる。次の期に撒くはずの種籾まで食ってしまえば、次の実りはさらに少ないものとなろう。あなたの権力者はどうであろうか?

税引前の当初所得格差

格差はどこで生まれどこで拡がっているのだろうか?

日本の厚労省の所得再分配調査によれば当初所得格差は拡大しているが社会保障費含む再分配所得の格差は縮小してきている。つまり、「稼ぎ」では差がついてきていてるが「分配」後の格差は縮まっている。

格差の議論をするときには、ぜひこの当初所得と再分配所得というものをわけて考えて欲しい。正社員や派遣社員の議論で給与などの待遇面、衛生環境の悪さが話題になるが実際のデータでは稼げなかった人も社会保障による再分配を受けているので結果としては格差は縮められているのだ。

データをみてみよう。

所得再分配調査
www.mhlw.go.jp/toukei/list/96-1.html

クリックしてh23hou_1.pdfにアクセス

所得再分配

Screenshot 2015-01-11 23.59.52

このレポートで注目して欲しいのは当初所得50万以下の貧困層の増大である。非正規社員が増えているからだという指摘をするものもあろう。しかし、日本の場合はそもそもが労働資本を持たず、働けない老齢人口が増えている構造だということも忘れてはならない。

年齢階級別再分配
現役世代の再分配係数はマイナスである。

OECD諸国中でも、日本はもともと当初所得の格差は小さい国である。
しかし、税による再分配比率はほとんどないため、社会保障で年金などが再分配がなされる老齢層に比べ、低所得の生産労働年齢層(現役世代)の可処分所得の助けにはあまりなっていないことにも注目すべきである。(子育て手当と生活保護ぐらいはあるだろうが・・・)

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本来は成長へ回るはずであった財を、介護や地方などの成長が期待されていない部門にまわしていてるのだから、当然成長には悪い影響がでる。

地域ブロック別

賢人の再投資

スティーブ・ジョブズであったか、はたまたゲイツかバフェットだか忘れたが「あなた稼ぎに比べ寄付が少ない」という問への返答を見てなるほどと思ったことがあった。

「毎年寄付をしていくよりも、私が持っていればどんな年金基金よりもよいパフォーマンスが出せる。死んだときに寄付をしたほうが全体として寄付できる額ははるかに大きくなる。」

例えば、資産の平均成長率が5%の社会において毎年20%づつ資産を増やせるバフェットなみの賢人がいたとしよう。この賢人は資産を将来有望な事業化に助力することができる才能をもっているとする。
この人物が資産1,000万から運用を始めたとすると10年後には6,191万、20年後には3億8,337万、30年後には23億7,376万、40年後には146億9771万と恐ろしいスピードで財が増えていく。[計算式:元本*(1+20%)^年数 ]

だがしかし、この人があげることができた利益をこの人自身が再投資することをよしとせずに、平均成長率5%から飛び出た分は税なり寄付として毎年徴収し平均成長率5%に届かない人たちに分配したとする。40年後はそれはどうなっているか? [計算式:元本(20%-5%)年数 ]
彼が寄付できた金額は40年間の合計で6,000万分になる。彼が5%成長で残せた富7,039万分をあわせても、その差は145億分にもなる。バフェットのように80歳を超えても現役なら、この再投資期間は60年にも及び、5,634億7514万もの差が生まれる。しかも再劣後である株主の取り分としてだけでだ。

投資の話しをすると、どうせ誰かから奪って集めた富なのだろうという了見の人もでてくるかもしれないが、人より多く収穫できる農家でも、鶏を育ててる畜産業のひとでもよい。他のひとより10%ぐらいパフォーマンスがよい人はいるであろう?その人の高パフォーマンスからくる成果を毎年摘みとって収穫し、再投資をさせず、他の一般的なパフォーマンスのところにばらまいて調整したらどうなるかを計算したものである。
高パフォーマンスの人の成果を平均に均せば時間経過と伴に著しい成果差が生ずる。

所得格差と能力差

もし、人の才能や仕事が誰もが真面目に取り組みさえすれば本質的に成果も均一なものであると無垢に信ずるのであれば、開腹手術をするときに医師などつかわず、次に手術を待っている患者におこなってもらう仕組みを提案してはどうだろうか?

能力は残念ながら平等ではない。
技能や才能はいくつもの試験などで量られ教育と訓練でさらに磨かれる。同じ人物であっても赤子のときと壮年期と老齢期では仕事の成果にも差が出る。つまり、個体差もあるし同一固体内でも時間によってことなる。成長率や収益率は固定値ではない。

自由競争社会では能力差によって結果に差が生まれる。
日本でも競走の結果で差がつくようになってきているが、その差は再調整されて、足が早いひとも遅いひとも同じようなタイムになるようになってきているのは所得再分配からの調査でわかってもらえたと思う。

これらの再分配調整が行き過ぎると足の早いひとは遅く走っても一緒だと思うようになるし、足の遅いひとは走らなくてもいいや、走るだけ馬鹿らしいということになる。事実、日本のここ数十年の成長率を見ると超低成長になっているので、既に牛の角は矯められていると言っていい。

再分配所得の格差を縮めるために、成長セクターの成長を衰退セクターを支えるために割り当てるのは成長には負荷になる。どのように富を創りだすかではなく、どこから富を獲ってくるか、お金をひっぱってくるかしか考えないようになる。現状の政治は既にそうなっているようにも感じる。物事の筋としては、当初所得が稼げない人をださないようにすること。つまり貧困者を出さないようにする仕組みを考えなければいけない。老齢で働けなくなった人たちにどう価値創造にまわってもらうかを考えなければいけないのだ。

経済成長と格差には相関関係はあるが因果関係はない。従属変数である格差や貧困率を再分配により下げたところで、当初所得の格差は埋まらない。
経済が成長すれば収入が増えるひとがでてくるので過去と比較して収入差は拡がるかもしれないが、それをさして当初所得格差がうまれたのは経済成長をめざすからだと結論づけるのは間違っている。テストの満点を下げれば最高得点と最低得点の格差は縮まる。それをもって0点をとった子や白紙で答案を提出する子との差が縮まったと喜ぶのは間違ってるでしょうょ。

徒競走をすれば足の遅い人と早い人に差が開くのはあたりまえじゃないか。足の早いひとに重しをつけたり、足の遅いひとに短い距離でいいよとハンデキャップをつけてあげたりすることで、結果の均衡をとることはできる。でもそんな競争で一体何がしたいんだい?

現役世代から摘んで老齢世代の維持のためにつかう。成長分を摘んで限界集落の維持のためにつかう。
それは格差是正だろうか?少なくとも当初格差の是正にはつながらないのではないかと考える。

好むと好まざるとにより我々は生存のために食物などを消費する。その分を生産をしなければならない。この生産量の質と量が生活の余裕である。
早く走れる人を早くは走らせない、競走もさせないというのは、結果の均衡化にこそなれ、そこから産まれてくる結果の質や総量はしょぼしょぼのカッスカスになってしまうのである。個々の成長なくして全体の成長はないのであるから、競走をできる環境と適性なルールが重要なのだ。

つづく

あー、次はトリクルダウンあたりか、才能の比較優位とか人口動態について書こうかな。
希望があればどぞ。
[財福主義]タグでまとめてます。

21世紀の資本論からの参照箇所等

P446 資本収益率の格差
・ポートフォリオ管理の仲介者を雇える
・規模の経済が存在する
・資金がある場合のほうが不確実性を許容できる

P461
まったくの盗窃による財産はなかなかないが、同時に完全な能力による財産もほとんどない。
1987-1994 ビル・ゲイツの前に「フォーブス」ランキングの第一位を占めていた日本の億万長者(堤義明、森泰吉郎)
かれらの資産はすべて、不動産および株式市場のバブルによるものか、芳しくないアジア流の駆け引きによるものと考えられているせいかもしれない
* 堤義明 西武鉄道グループの元オーナー
* 森泰吉郎 森ビルオーナー
日本の1950-1990年の成長は歴史的に空前の水準で、起業家たちが何らかの役割を果たした

P496 社会国家の形
国民所得の4分の1から3分の1を消費している。半分は保険医療と教育、残りはだいたい所得と移転支払い(*13章10 オンラインS13.2)

P498
現代の所得再分配は、権利の理論と、アクセスの平等という原理に基いて構築されている

参考引用など

3 税・社会保障による所得再分配 – 内閣府
www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je09/pdf/09p03023.pdf

日本の所得再分配―国際比較でみたその特徴 太田 清
www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis180/e_dis171.pdf

P.2 要旨
問題意識
経済協力開発機構(OECD)が 2005 年に出した各国の所得格差に関する分析や、
2006 年の「対日経済審査報告」では、日本は政府による(税、社会保障による)
再分配の前の所得では比較的平等な方であること、しかし、再分配が小さいた
めに、再分配後の可処分所得では不平等な方になっていることを指摘している。
また、特に労働年齢層(現役世代)の低所得層に対する再分配が小さいことを
指摘している。

日本の景気回復には格差是正が必要か?
fromdusktildawn.hatenablog.com/entry/2014/11/30/072247

日本の格差はなぜ広がったのか/「ジニ係数」が過去最大に
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131021-00000001-wordleaf-soci

所得格差の拡大は経済の長期停滞を招く ニッポンは「一億総中流」でなくなるのか
toyokeizai.net/articles/-/44935

限界集落維持のコストは国土交通省が検証へ
いままで限界集落の維持コストの試算すらしたことがなかったようなのだが今度4モデルでするそうだ。NHKのニュースであったがニュースソースが消えている。


第二夜 社畜という現代奴隷の重要性


正社員になれないのなら株主になればいいじゃないの。

ダイヤモンド就活ナビで就職したい企業ランキング現在1位の住友商事でみると一株あたりの配当利回りは4.23%である。
(( navi15.shukatsu.jp/15/contents/special/ranking/2014/ ))

2015/1/8現在の株価は1,181円であるので、2億3,600万円分の同社の株式を保有していれば、年間約1,000万円の配当金を寝てても受け取ることができる。
(( stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/detail/?code=8053.T ))

大企業に就職すれば安泰だというが、そこで働きたいと志す若者は居ても株主になりたいという若者の数は少ない。労働力はひとつの企業にしか提供できないが、資産であれば複数の会社に分散することができる。であるならば、これは、どう考えても株主のほうが安定的ではないか。

資産の無い者たち

だがしかし、これは先立つものがないと叶わないお話しである。
前段の「お金と相転移」で話したように、資産に働いてもらうのが資産を増やすにはもっとも変換ロスがすくなく効率がよいのだが、そもそも若者は資産を持っていないので労働資本をつかって資本を稼ぐよりほかない。

大戦以前はこの労働所得をいくら積み上げても、一端の資本家とよべる資産にまで達することはなかった。しかし、現代の日本では所得収益と資産収益はコントロールされており10倍の差もなく収まるようになっている。

資産のある者たち

他方、既に資産を持っているものたちにはその効率の良さを潰すべく累進的な負担が強いられる。
座して食らわば山も虚しということわざがあるが、現代先進国では正規分布から外れれば外れるほど難しい対応が必要となる。なんせ負担は%で増えるのだ。
例えば相続税、6億円以上にかかる税率は55%、1,000万円以下は10%であるが、20世紀のように一族で資産を守るべく代襲相続制、限嗣相続制などで資産を守ろうとしても前者は減らさないように努めようとしたら最低でも3億3千万をどうにかして増やしてこないと目減りしてしまうのだ。

持っていれば持っているほど累進的な負担を迫られる。その資産を現状有姿で維持し続けるのは、資産が大きくなればなるほど難易度があがる。大きな資産を防衛できるぐらいの才覚があるなら、新たにその分を稼ぎだしたほうが、資産を増やせる程度の割合に設計されている。数億円ならいざしらず数百億円規模となるなら資本では再投資しただけでは間に合わず法人などにして事業所得にしないと維持もできないのだ。

これは個人の裕福層を封じ込める網としてはなかなかのものだ。
日本は最も成功した社会主義国家だというジョークがあるが、あながち間違ってもいない。

例えば、かなりまとまった額のお金を持っているのに企業に勤めていないがため入居審査が通らずマンションも借りられないと嘆く投資家がいた。身内でも働いている人がいないので連帯保証人を求められてもマンションも借りられない。無論住宅ローンなど望むべくもない。社会として保有資産よりも安定所得に価値が認められている。とかく日本は少しでも型から外れてしまうと社会生活を営むコストは格段に跳ね上がるようになっている。

個人から法人へ

資産がある者は大きく奪われ、資産の無いものは働くよりない。ではこの2つを満たすために何が残るのか。資産は個人が所有・維持するものから法人のものとなる。これが先進国での21世紀の資本主義の潮流である。
法人の事業形態は様々であるが、活動する場所は世界中好きに選べるし、何にお金を使い、何で稼ぐかも自由に選べる。そして、国際租税条約下にある近代国家間では税率も自由に選べるといっていい。

そのため、富は資産家のものから事業家のものへと替わった。
現代日本でのお金持ちは事業所得により資産を得たGreeの田中氏やソフトバンクの孫氏のように自らの才覚で稼いだ者達であり、旧家で資産家だからということでその財を増やし続けるというようなことは叶わなくなっている。これは世界的にも同じ潮流である。それがフェアかはともかくとして一応は能力主義的平等に基づいているという前提だ。

これは能力主義に基づいたとても公平なシステムのようでいてそれなりに残酷な現実でもある。
建前上、金持ちが貧乏人にお金を分けることができるが、能力がない人へ能力をわけることはできないのだ。

つまり、能力がないものが資産を得ようとしたら、能力があるものと仲間になり、おこぼれに預かるのが唯一の方法となってしまう。しかも、何を能力と評価するかは成果という結果からの評価からでしかなく、事前に決定することは難しい。ウォーレン・バフェットはかつて世界一位の資産家にも輝いたことがある能力のある投資家であるが、彼が成功を収めるより先に彼を見出すのは困難である。ゆえに彼が一定の成功を収めたのち彼に相乗りできるか否かが、フォロアーとしての重要な能力となる。

かつての農業のように労働と生産が密接に相関している社会ではなく、現代は資本増強型の工業世界である。その実、労働資本は価値生産の重要な要素とは言えなくなってきている。しかし、資本の受け皿として生き残るものが法人、組織だけである以上、提供されるそれを労働資本として受け入れるよりない。であるとするなば、ファウンダー以外、フォロアーの能力は、価値を生産できる組織にいかに所属しているかが”能力”という意味を強めていくという可能性がある。

実際に価値生産をできるかどうかなどは二の次として、社畜となってでも稼げる組織にしがみついたほうが、不確実性も低く生存合理性が高いという社会弊害を同時に生み出す。
ああ、なんてこったい。

規制と収益

冒頭の株のように資産を 4.23%で運用できるのであれば17年寝かせるだけで配当利回りだけで資産を倍にできる。他方、日本の円預金金利は現在年率0.02% である。これを利子で倍にしたければ3,600年またなければならない計算だ。

外部要因によりどのように振る舞うのが合理的かはリニアに決定される。
低成長、デフレ下では現金を持つのが振る舞いとしては合理的であり、逆にインフレ下ではモノに投資するのが合理的である。外部環境が変化しても資産をどのような形にも変換せずに置いておくのは資産運用上はありえない選択肢である。収益率によりお金の現在価値、将来価値は変化するのであるから効率性が重要となる。((今の日本はちょっとスタグフレーションに陥ってる可能性もあるので外部環境の評価が困難かもしんない。))

で、合理的な振る舞いというので思い出して欲しいのだが、お金はお金で稼ぐのがもっとも効率がよいという話しをした。
では、ここで、上場している企業の業種別の利益率(ROE)を業界別に見比べてみよう。 (( www.tse.or.jp/market/data/examination/tanshin/ ))

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平成25年度や平成26年3月期をみると、お金を貸してお金を稼いでいるような金融業と、お金を労働力に替えて、労働力をモノに替えて、再びお金を稼いでいる製造業や全産業の収益率がほぼ同等であることに気がついていただけるだろうか。

自由競争が行われた場合、完全競争市場下では他の業界の標準的な利益になるまで新規参入が絶えないので、収益率がほぼどの業界も均一になる。逆に、収益差が維持されているような業界には政府による競争障壁などが設定されているケースがある。

しかし、実際のところは産業種別ごとに資本回転率はことなるので景気動向など外部環境への官能速度は異なってくる。在庫のようなモノとして保持する業界、労働力を所有する業界とでは外部環境への調整スピードがかわってくるのだ。国の政策などにより大きく外部環境が変わると、その収益率には差がでてくる。

企業という富を保有する組織。資本社会では富の受け皿として重要な意味をもつようになった。
この企業のステークホルダーたる労働力を提供する従業員、資本を提供する株主、そして制約をあたえる国、地方自治体。この関係は個人の富の形成についてとても重要な意味をもつようになったのである。

奴隷と雇用

社畜や奴隷という表現は人によっては嫌悪感をもよおす過激な言葉かもしれない。なぜなら現代において、従業員の時間をお金で買いとるというのはまったくの合法であるからだ。

しかし、わずか数世代前、奴隷解放運動につとめたトマス・ジェファーソン大統領は600人を超す奴隷を所有していた。これは奴隷所有が彼が解放運動をするまえはまったくの合法であった時代があったからだ。アメリカの議会で女性の奴隷を鞭打つときに上半身を裸にさせるのは是か非かについて真面目な議論が繰り広げられていた時代はそんなに昔しではない。

ブラック企業だの社畜という言葉が既に生まれているように、個人を資本で購入し、時間拘束するのが100年後も合法であるとは限らない。

かつて水飲み百姓は、耕作地を耕しても庄屋さんに年貢 for Youであった。

現在、雇用されている従業員が職務中におこなった著作物は職務作成としてあつかわれるし、職務発明であればその発明から莫大な利益を生んだとしても個人に還元されるものは給与のみである。日本では白色ダイオードで揉めたため今後そのように法規制が強まる予定である。子門真人はおよげたいやきくんを買い取り契約であったため歌唱印税を得ていない。

これらの事実から鑑みるに、知財ではまだ墾田永年私財法以前であるともいえる。

つづく

ほぼ日でシリーズで書いてます。
次回は所得と格差あたりについて書こうかいな。
[財福主義]タグでまとめてます。

参考引用など

日本型社会主義
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9E%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9

三菱東京UFJ銀行 円預金金利
www.bk.mufg.jp/cdocs/list_j/kinri/yokin_kinri.htm

ピケティ 21世紀の資本論より

P377
イギリス 限嗣相続制(げんし)
フランス 代襲相続制
財産の断片化を避け、家族の富を維持、増大させる。

P148
図4-1 ドイツの資本
19世紀後半 1870年代 国民資本の価値約300%が農地由来

P166
新世界と旧世界 奴隷制の重要性
トマス・ジェファーソン 600人超の奴隷を所有
米国1770年 40万人 1860年 400万人超の奴隷 人口の40%
農地にはたいした価値がなかかったが、土地利用に必要な労働力も所有する

P217
富裕国の富は不動産と金融資産にほぼ均等に二分されている。
金融資産のほとんどは株、債権、投資信託、確定年金、年金基金などの長期金融契約である
無利息の当座預金は国民所得の10-20% 総資産の3-4%
普通預金も含めると30%超、総資産の5%
預金金利は資本の平均収益率によってあまり重要ではなくなる。
総国富を占める住居の賃料(持ち家により所有者が賃料を払わなくてすむのを選ぶ人も含む)5%相当
民間財産、不動産や金融商品への投資