第六夜 時間選好による隠者の経済 リスクフリーレート


世の喧騒に飽きて身をかくすように迷彩を施し隠者を気取る。
時間選好に身をまかすと、いつのまにか隠者からただの世捨て人のそれになっている。
侘しさを解する風流も、花も付けぬ枯木に求めたる由もなし。

・・・なんのこっちゃ。
まあ、そんな感じです。今回はなにがおこってるのかわからない金利の回なので、なんのこっちゃ回です。

世の賢人はr>gだという。だが、もし、r<gだったりr=g だったらどうなるか?
経済成長率のほうが資本収益率より高い世界を想像してみよう。
それはもしかして既にある世界かもしれない。

リスクフリーレート

新発10年ものの国債の金利のことをファイナンスの世界ではリスクフリーレートという。
リスクがフリー。つまり、不確定要素から開放されているというレートのことだ。

通貨が信任されている世界では資金の運用先として一番リスクのない運用先は国債である。
通貨の価値を決めるのは政治とは離れた中央銀行の役割で、ものの価値を測るのが通貨となっている以上もっとも確度が高いのが通貨の価値すらも決定してしまう国債ということになる。であるならば、この国債の利率より低いリターンしか見込めないのにリスク(不確定要素)も高いものがあればそれは運用先、投資先としてはまったくの価値がないものである。

企業は資本を銀行や投資家から調達して利益を稼ぐ。銀行には金利を、資本家には配当を払う。
これは企業側、会計財務では資本調達コストという考えで計算される。営業の原資を調達すればそのお金には紐がついていて、いくらのリターンをつけて返してねということが期待される。であるから調達するお金にはコスト計算が必要となる。一般には銀行より再劣後債権者である投資家のほうがリスクを負うことになるので、投資家の資本調達コストのほうが高く計算される。

企業が営業活動をおこなうには「このリスクフリーレートは最低超えてね」という命題を抱える。
いろいろな不確定要素を抱え込んだ事業計画の段階で最低限超えてきてねというリスクフリーレートのハードルすら超えられないのであれば営業体としては投資価値がないので、実行されないというわけだ。

株式会社という仕組みは、未知の航海へ旅をして黄金にも匹敵するスパイスを持ち帰るからという約束で出資者から軍資金を募った。冒険者は生死というリスクを、出資者は資金というリスクをわけあった。
しかし、期待されるものがリスクフリーレートすら下回るなら寝かせてたほうがいいということになるわけだ。資金も人も。そこには冒険の価値もない。みんな港で酒でも飲んでろって話しだ。

集団的酔狂

それでも冒険に出たがる酔狂者はでてくる。
平和な日本に暮らしているとISISに行きたいとかいい出すやつは一定の割合で出てくるものだ。ああ、できれば、そういうやからは希望としては少ない割合であってほしいと願うが。

ところが、日本ではあまりの低成長が続いたために、結果として国債のレートを超えられないような投資先が増えた。
結果として、寝てたほうがマシだったねというのが多い方の割合をしめるようになってしまった。


www.rakuten-sec.co.jp/web/special/foreignbondfund/images/index-img-01.gif
www.rakuten-sec.co.jp/web/special/foreignbondfund/


www.morningstar.co.jp/fund/analyst/2014/3q/images/i140710-03.gif
www.morningstar.co.jp/fund/analyst/2014/3q/MFA120140710.html

不動産、株式ですらリスクフリーレートを下回っていて・・・、えっと、これはかなり悲劇的なことなのだけど、あまり話題になることはない。これを話題にして利する立場の人間はいないのであたりまえといえばあたりまえか。話題にもあがらない不遇の時代である。国債を営業で売りたい人が、国債は有望な投資先ですよと宣伝するときに使われるぐらいのものである。

だが、繰り返すがこれはかなり悲劇的なことなのだ。冒険に出た連中は死んでだれも黄金のスパイスを持って帰るものは居ませんでした。だから、ほら、リスクなんて取らなかったほうが利益高いでしょ?っていう証明をして誰が幸せになるというのか。

リスクを取らないリスク

できてしまった慣習から抜けきることは難しい。雇用がどうだとか、建ててしまった建物がどうこうと、いちど背負ってしまったポジションはなかなか解消することができない。変更することにより不確定要素がまじりこむからだ。

ピケティは「資本収益率>経済成長率」と言った。
しかし、少し調べてみて欲しい。
日本の経済成長は1994年から20年でわずか2%である。
20年でわずーーかに2%。
アメリカが120%、ポーランドあたりの10年で200%とかというような成長もなければ、資本収益率もリスクフリーレートすら下回る有り様。
(※ここらへんは自国通貨建てでみるかどうかで割合が変わるので別のところでデータを並べる)

0.33%、これは日本の2015/02/06 現在のリスクフリーレートであるが、この低ハードルすら超えられない。(参照: www.bloomberg.co.jp/markets/rates.html )

rもgもどちらも超がつく低水準。
低水準すぎて業界によっちゃr=g、場合によっちゃg>rになっているのだ。
リスクを取らないほうがリターンが多かったと分かっていたとしても、ギャンブルと同じ。辞められないのである。あるいは辞めたくても辞めことによる不確定要素が大きすぎて辞めるのもままならない状況に追いやられているのである。
いや、事業者の判断だけでなく、文化的や法律的にも失敗や撤退を許さない仕組みなのかもしれないが、

金利

住宅の貸付、フラット35の金利はさらに最低水準を更新した。
住宅ローンが35年の固定で1.370%になった。これは貸し出すほうの経済性に従えば利益は 1.370%以下しか期待されていないということだ。
www.flat35.com/

日本の政府は2%のインフレを目指すと言っている。
金利は35年固定で1.37%で運用するよといっている。
あれ? なんかおかしくない??
資本収益率のほうが経済成長より上にいくなら、だとしたら資産増やし放題だ!やったね!

政策金利と国債

金利のさや取りで最近恐ろしいことがおきた。
先日スイスの中央銀行が持ち上げておいてから数日後にはしごを外すという、どえらいことをぶちかましてFXの人たちを阿鼻叫喚地獄に叩き込んだ事件をご存知だろうか。

もともとスイスは日本と同じく超低金利(政策金利0%)で有名で、金利の低いスイス通貨を売って金利の高い他国通貨を買うというようなクロストレードをする堅実な人が多く居た。なのにコツコツ堅実に稼いでデタラメなほど負けるというかわいそうなルートが発生しており、いやはやなんとも声のかけようもないことである。投機的に動いて失敗したような人はともかくとして政策金利差を埋める市場の需給調整帯まで完膚なきほどなぎはらわれたのをみてこれがマッターホルンの北壁アイガーかと後の世に語られたという(?)

スイスフラン騒動で大儲けした人と大損した人の阿鼻叫喚の叫びまとめ #fx
matome.naver.jp/odai/2142132210649651101

海外投資データバンク. HOME > 債券投資 > スイスの長期金利推移
www.world401.com/saiken/bond_swiss.html

主な国の政策金利
Screenshot 2015-02-08 02.55.38
www.rakuten-sec.co.jp/web/market/data/interest_top.html

スイスの政策金利 3month LIBOR Target Rate -1.25%~-0.25%
www.gaitame.com/market/swiss.html

-1.25%ってどういうことだろう・・・ね。
お金借りたら年々返す額が少なくなるとてもやさしい世界・・・。

日本の国債と金利


www.tdasset.co.jp/column/kamiyatakashi/vol109/img/vol109_1.gif
www.tdasset.co.jp/column/kamiyatakashi/vol109/

日本 無担保コール翌日物 0.073%
日本 公定歩合 0.30%

世界で金利のマイナスがおきはじめている。日本でもとうとうマイナス金利だ。

短期国債、再びマイナス金利 最高落札利回りは初 2014/10/30 23:42
www.nikkei.com/article/DGXLASGC30H0V_Q4A031C1EE8000/

金利。もう何がおきているのか意味がわからない。
マイナスってなんだ???
「今年の林檎の収穫はマイナス1個です。」
「???????」

定着するマイナス金利、銀行再編の引き金となるか
滞留するマネーを刺激する劇薬の合理性
倉都 康行
>>バックナンバー2012年8月8日(水)
business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120806/235362/?rt=nocnt

金利がマイナス。なにそれ・・・。
何がおきているのか?
わからない。これをどうこう言えるのはもう少し先の未来なのではないかな。

利益率と歴史

誰だい?「資本収益率が歴史的に4-5%で安定している」なんて言ったのは?
まあ、「歴史的に地面は安定している」(ただし地震がおきないとは言っていない)

そんなものかもしれない。
株式のROEなどは5%程度で見るぐらいがいいだろうし、この5%という規模感は自分も首肯できる。でもいまおきてるそれを説明するものではない。

この、いくつかの国でおきている金利の問題は、いったいなんなのだろうかと思う。
物価上昇にみられる実質と名目の差や、政策金利、ここらへんを勘案したら、資本収益率はいったどのように捉えればよいだろう?
アベノミクスは成長戦略だとうたっているが、成長を戦略にしなければいけないほどの現状とは??

であるならば、この状態を時間選好に任せたら一体どうなるのだろうか?
成長度がマイナスに育つ木を見たことがあるか?
そこあるのは枯れ木だろうか、それともこの枯れ木に見える枯木には時分の花が咲くのであろうか。

つづく

今回はよくわからない回でした。金利については正直何がおこってるんだかよくわかりません。
率じゃなくて量で、マネタリーベースとサプライあたりで追ったほうがよさそうな気もします。

21世紀の資本読んで熱が維持できたのは5日ぐらいでした。
なんかCODEvsとかいうAI戦わせるプログラムとか書いてうほほーいって遊んでたら、すっかり忘れてしまっていた経済の話。
GDPや企業のROEの推移など、まだ掲示してなかったっけか?
データ・セットで調べたものを貼っつけて無い気がするので、次回はグラフだけの回にしようかな。
これだけ書いて、まだ書くことがつきないんだけど、だいぶいい加減になってきてしまったね。

21世紀の資本論からの参照箇所等

P373
時間選好の問題
伝統社会の農地収益率は今日の社会の不動産の収益率同様リスクの少ない投資形態 4-5%
これらは現在が優先される時間選好という概念にもとづいている
時間選好率θ
効用関数
資本収益率が歴史的に4-5%で安定しているのは最終的には心理的理由によるものだ


第五夜 資本と時価


あなたの価値はあなたがいままで胃袋にいれた食品の合計価値で決まるであろうか?

お勉強回です。ちょっと間があいちゃったね。

資産と資本って違うんじゃね?というつっこみが入った。
人的資本を絡めてしまったために混乱を招いてしまったようだ。資産と資本についてもちっと踏み込んで書いておかねばいけない。

ちょっとだけ財務会計と管理会計

言葉の定義でもにょもにょするのは嫌なので、定義が明確な企業の財務会計でみてみよう。財務会計は法での規定がある会計のことだ。企業は反復継続する事業を営む組織であり、この事業体が営業をおこなうためには営業資本(経費)を必要とする。これは貸借対照表で左側の資産の部にあらわされる部分だ。現金預金とか、売り物の商品とかがいる。
右側、負債の部+純資産の部の合計とバランスする。純資産の部には株主資本とかがいる。

主な科目の貸借対照表

※見やすいように議論に必要な科目をぬきだした貸借対照表
↓詳しくはwikipediaでもみてね
ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E5%80%9F%E5%AF%BE%E7%85%A7%E8%A1%A8

多くのひとが商売の原資、営業資本として認識するのは貸借対照表の左側位にいる資産の部のことだ。現金預金も、商品も製品も、仕掛品も、売掛金も資産である。何が流動で、何が固定かは正常営業循環基準、ワンイヤールールにのっとって評価され一年で現金化されるか否かで決定される。

で、当然、この財務会計上の貸借対照表には人材価値などというものはのってこないし、土地の含み益のようなものものらない。例えば土地のようなものは取引価格が上下するので、最終的な取引時に益を抱えることも損をかかえることもあろうが、日本の財務会計では取得原価主義会計が基本となっている。購入したときの値段だ。課税根拠も簿価上の取得価格と、売却したときの実売価格を差額を根拠に課税されるので、取引が発生する前の現在の時価相場価格がいくらだからということで評価されることはない。

ただ個人の相続税などの場合は、実際に売らなくても取得価格と公示価格より算出された額との差益について課税されるし、また最近は裕福層のキャピタルフライトを防ぐために保有株式などの含み益にも海外に出国するときに課税をしてしまおうと法規制をしようではないかという取り組みもある。

・・・。
この話し、、誰もついてきていない気がしてきたけど・・・、つづけるよ!

株式市場で評価される会社の時価総額は「発行株式×最終取引価格」であらわされる。この時価総額はマーケットからの評価をえたものであるのでそこには人材価値や不動産の含み益などを含めたものとして評価されているではないかという反論もあろう。

しかし、マーケットでの最終取引価格がどうであれ、財務会計上は貸借対照表の右下にいる純資産の部に鎮座する額面であり市場取引価格ではない。株式市場は株を持っている株主が取引をするための市場で、(もちろんそのなかには自社株を売り買いするのも自由であるが、)企業が資本を市場から調達できるのは上場や新規株式発行など自社株式を売却したタイミングだけである。(キャピタルゲイン)

参考:就職したい企業ナンバーワンということで引き合いにだした住友商事の貸借対照表

住友商事2013決算短信

住友商事
2013年度 通期 決算発表 決算短信
www.sumitomocorp.co.jp/ir/report/summary/2013/

個人事業主の貸借対照表(国税庁 貸借対照表作成のてびきより)
個人事業主貸借対照表

簿価と時価

さてさて。
しかし、会社が自社の業務を正常に管理するためには、含み益、含み損も管理しておくことは重要である。これは法律では定められていない各社の裁量に基づいた管理会計によっておこなわれる。管理会計下では、抱えている在庫を全部予定の売価で売り切ったらいくらになるかなどの管理をおこない経営の助けにする。
管理会計、ある意味においては時価主義会計主義といえるかもしれない。相場価格にもとづいて、まだ発生していない取引を想定して在庫などを評価する。財務会計上の在庫の評価は税務署に届け出をおこなった先入れ先出しなどの取得原価によっておこなうが、管理会計上は取得価格、棚卸し高だけではなく、じゃあそれを売ったらいったいいくらになるんだい?という管理などをおこなう。

原材料をいくらで仕入れていくらで販売する(予定である)という、時価的な評価の場合はたしかにそこには人材価値や事業価値が内包されるかもしれない。まだ加工もされていない原材料に付加価値をつけたものが売価であるので、それがいくらで売れるかが決定されていればそれにこしたことはない。実際に取引は発生すれば簿価にのることになる。

時価総額

住友商事 の 2015/1/19 の株式の終値は 1,172.5円であったので、時価総額はこのようになる。
住友商事時価総額

しかし、ここから算出された時価総額は最後におこなわれた株価に発行した株式数をかけたものにすぎず、そのお金を用意すればその株式をすべて買い占められるわけではない。時価はまだ成立していない取引の目安としての価格なのである。実際に買い手がその会社を買い占めようとしたらその値段より高くなることも安くなることもある。
時価総額はその企業の参考価格にすぎない。(1,466,332百万円)

もうひとつ企業には参考価格と言えるものがある。
解散価値とも呼ばれるもので、今日その時点で会社を精算したら資産から負債をさしひいた純資産の部は残るよねと。まあこんなような簿価上の価値も企業の参考価格だ。(2,540,184百万円)

実際の企業の経済価値の評価をしようとしたら事業内容や個別事象をつぶさに掘り下げた価値算定、バリュエーションが必要となる。法人が事業売却するときの相場がその会社の営業利益の3~5年分だとか、そういう相場はあったとしても、じゃあ実際にいくらで取引するかは買い手と売り手の状況に応じた時価である。

築地に水揚げされたマグロだって買う人と売る人がいて初めて値段がつく。時価取引だ。
モノや法人の取引でさえ、こうなのだ。人物の経済的価値を割り出そうとして、その人を育てるのに食費がいくら、学費がいくら掛かったからという積み上げ原価だけで計算する人はあるまい。最低限の賃金はそこから決定されることぐらいはあるかもしれないが、そこからいくら積み増せるかは、その人がもっている才能が労働市場などでどれだけの比較優位をもっていて経済価値があるかで時価が形成されるであろうことは、想像に難くない。

で、そういう取引として発生していない、統計値としては拾えないようなあやふやなものは除いて考えよう、人材価値とかは考慮外にしてデータを追っていこうと言ったのはピケティである。

成立した取引(時価)は誰かの簿価として記録される。誰かの簿価になれば、それは統計として集計できる。実際に取引された資産の価格を追っていけば、どのように資産が成長したかは追えるよねというのが21世紀の資本の主張根拠で、これを法人のような卑近な例でまとめると財務会計でいうところの資産の部をながめながら、I/S(インカムステートメント、PL)がどのような時間経過で変化したかを率で追う話しをしているにすぎない。

株式市場において、その日の終値を追い続ければ、会社の成長率や収益率がわかるよねと。
土地価格の定点調査をしていけば土地の価格上昇がわかるよねと。

まあ、参考指標としてね。

時価には何が挟まってくるのか?

ピケティの21世紀の資本についてまとめた記事から引用してみる。

ベストセラー『21世紀の資本』 の翻訳者・山形浩生が、原書を読んで真っ先に思ったこと


『21世紀の資本』の要旨は、「r>g」というひとつの数式に集約することができる。つまり、ピケティによれば「r(資本収益率)」は常に「g(経済成長率)」を上回るとされ、今後「r」は平均4%程度に落ち着き、先進国の「g」は1.5%となるとしている。

ここでのrは資本収益率で、資本売却益を考慮するものではないことに注意が必要であると思う。rもgもどちらもフローに注目した話しで、フローが高いからストックにも差がでていくという理路である。

株式でいえば配当益。不動産でいえば賃料。ここには一義的には売却益などは含んでいないものとかんがえられる。しかし、上にも述べたとおり個別の個人や企業は取得原価主義にて取り扱われるが、統計上の国民総生産や企業の利益の合計には、資産を売却して本業外利益として特別損益を経常するような会社も入ってくる。一部であるが、その年に精算された売却益も含むものである。

なので、I/Sを市場全体の統計値としてみてしまえばこれらの収益率には資産の売却益も内包したものになる。売却益には人材価値などのマーケットによる価値評価も受けているので、含んでいるものとして考えちゃっていいんじゃねっと。

筋はとおっているし、言いたいこともわかるが、ここでの収益率には農地であれば農民の価値創造や、事業であれば付加価値分が内包されているということを考慮してやらないといけないんじゃないのというのが、前話まででのいいたかったことの背景にある。土地の価格だって、周りの環境醸成があるからあがるのであって、それって単純な資産の成長じゃないよね、と。企業の資本がのびたのは営業活動がおこなわれたからだよねっと。営業資本は黙ってても成長するんじゃなくて、そこに付加価値活動がおこなわれたから資本が増加するんだよね、と。

だから個人よりも才能の比較優位を組合せられる組織のほうが収益率が高くなるんじゃねぇの、と。
そりゃ価値付加活動がおこなわれた資本の収益率のほうが、全体の経済の成長率より高くなるよね、っと。

余談

利益を得られなかった会社は精算、財産処分をおこなわなかったり、負債を抱えたまま債権整理に回るなどの市場選考的なバイアス、銀行などがおこなう信用再生産分など、資本収益率と経済成長の話しをするのであれば、同階層で考慮にあたいする部分はあといくつかあるように思う。ここらへんはまた後ほど書きたい・・・。リスクフリーレートより営業活動の収益率のほうが上にくるのはいうまでもないことだと思うのだけれども。

直営店の店舗不動産をフランチャイジーに払い下げしてその売却益を本業の利益にのっけるなんてことをしてちゃダメだってのは、営業外の収益がそんなところに乗ってしまっては企業の成長力を見誤るからだ。でも、実際はそこまで含められた値として出てきてしまっているので本業の成長率をみたいときはその影響を取り除いてやらにゃならん・・・。

つづく

ま、ちょっとこの方向で書き続けると泥沼るのでこれくらいにして、次回以降は実際に日本のデータとかみながら、ストックとフローについて考えたいと思います。ちょうど平成25年度国民経済計算確報(ストック編)も1/16に出たしね。

いやぁしかし、書いてていったい誰に伝わるんだろうかとすごい不安になる内容でした。
この回はまるごとお蔵入りにしてもよかったかもしれない・・・。

このシリーズは[財福主義]タグでまとめてます。

参考引用など

貸借対照表作成の手引き – 国税庁
www.nta.go.jp/tetsuzuki/shinkoku/shotoku/tebiki2010/pdf/42.pdf

企業会計原則―貸借対照表原則―資産の評価基準―取得原価主義会計(簿価会計・簿価主義会計) 取得原価主義会計とは
kanjokamoku.k-solution.info/2005/06/_1_132.html


第四夜 co-枯れた才能


あなたが10年かけて身につけたものが割り箸を綺麗に割る程度の技能だとしても挫けてはならない。どうせ能力の消費期限は年々短くなっていっている。あなた自信をアップデートすればよいだけだ。

学習・訓練することへの投資が重要であることに疑いを挟む余地はない。得られる成果に個人差はあれど、どのような分野であっても効果が見込める数少ない万能のアプローチである。

輪転印刷機などの印刷機械が発明された18〜19世紀に大幅な出版コストの改善があり、本の価格がさがったことで図書館がつくられ、そして世界中に大学がつくられるようになった。20世紀終わりにはインターネットが発明され、インターネットは印刷に次ぐ規模の情報流通コストを下げる革命となった。まだ大学を継ぐような高等教育方法はでてきていない。moocなどいくつもの試みがなされている段ではあるが、そう遠くないうちに、学習と訓練の投資効率を格段にあげてくれる方法が確立するだろう。

人材価値を無視することへの疑問

ピケティの21世紀の資本では人材価値が最初から考慮外においている。「実物資本がなくて人的資本に意味があるんですか」「人的資本は物理資本にも反映されているのだ」というエクスキューズは無理筋なのではないか。

人の価値は企業価値会計にこそ乗ってこないが現在の企業評価上は重要な位置をしめる。中の人たちが欲しいからとチームを買い上げるために企業買収などがなされることがあるのに、そこの経済的価値をまるっきり考慮外におくのは変な話しだ。

例えば教育というコンテンツだけをみても、そこをとりまく物的資本がソフトウエア的な価値を内包していたり、比例しているとは考えられない。フランスなんて「のれん代」を企業資産として計上できる制度会計であったように記憶している。ブランドを価値評価できる国で人材のような無形資産についてかくも無碍にあつかってよいものか。

能力の比較優位

デヴィッド・リカードの比較生産費説なるものがある。例えば、農業国家と工業国家があれば、それぞれの得意に集中し生産したほうが、自由貿易下では互いにより高品質で多くの財を享受できるというものだ。

投入できる資源・労働力が同じであれば互いの得意なところで分担したほうが結果がよりよいものになるというのは、国よりももっと小さな法人レベルの組織でも言えるし、家庭のような最小単位でも言うことができる。労働生産が可能な複数人が参加する社会において、よりよい未来をつくろうと協力しあうのであれば、その人物は他の人物と比較して優位な部分を分担しあうのがよい。

社会はゲーム理論でいうところの非協力ゲームではないので、そのうちにその比較優位が機能するところに均衡するものと期待できるのではあるが、均衡するためには十分な繰り返しがなされなければならない。だが、個人の人生という単位でみれば根幹からの職業変更をするような機会は少なく、日本では雇用自体も非流動的であるために不適合、不合理なまま世代が終わるということはままあることである。

また個人よりも法人組織のほうが収益力も成長力も上であるので、個人の能力の比較優位の組み合わせよりも法人間の生産能力の比較優位が優先される。個人能力の比較優位が「声が大きい程度」でも、組織内政治を繰り返し非協力ゲームをしかければ能力の優位性での競争も潰すことができる。その組織の全体の生産能力を食いつぶすまでは・・・。
そのために協力ゲームのなかに嘘つきで人を喰う人狼が混じった非協力ゲームが繰り広げられることもあり、人材価値を一意的に推算することを困難にする。

能力の所在価値

プログラミングができるという能力について考えてみよう。
平均的な能力の人がプログラミングを書いたら1秒かかる処理があるとする。
とある人物はそれを0.8秒で終わらせることができるとする。
この人物は他の人に比べるとプログラミング能力というものについて絶対優位を持っているといえる。

だがしかし、処理がわずか0.2秒早くなったところで、それそのものだけで経済的価値を生み出すことは困難である。
だが、プログラミングというのは反復継続するのが得意なので、たとえばそのプログラムをもってある工場の製造工場の制御部分に導入したとすると、一秒あたりの製造効率がざくっと25%も増えるわけだ。いくつものラインで導入されれ製造数が数万、数十万という数に登れば莫大な時間削減、コスト削減、製造能力の増加になる。あるべきところに能力を置くと、経済価値を生むという例である。

だがしかし、プログラムのような複製が容易であるものの場合、社会に必要なのは1つだけである。
0.8秒のものが登場した次点で、多くの1秒のプログラムしか作れない人はお払い箱になり、そして0.8秒の人も0.7秒でつくれる人が出た次点でお払い箱になる。IT業界ではこのようにある日突然価値が無くなることをサドンデス(突然死)とよんだりする。自動機織り機が出た時代、自動車が出た時代のような新陳代謝が恐ろしいスピードで行われているのである。

ITは距離的優位性というタガがまっさきに外れた業界である。程度の差こそあれ、情報化の影響をうけない産業はないので、今後同じような流れは他の産業にも波及していくものと考えられる。
比較優位と所在価値はますます重要なものになるものになるだろう。そして、個人の振る舞いとして陳腐化の波にのみこまれないためには教育、学習が唯一といっていい解決方法である。

つづく

[財福主義]タグでまとめてます。

このシリーズも、あと2回ぐらいでおわれるかなー
もうすこしわかりやすく、面白くかける才能が欲しい。

21世紀の資本論からの参照箇所等

P327
カッツとゴールディン 高等教育と訓練への投資の明確な重要性
大学教育へのアクセスを拡大する政策は長い目で見れば必要不可欠
しかし1980年以降の米国における最上位所得の急上昇については限定的な効果しかもたなかった
・大卒と高卒以下の所得格差の増大
・TOP1%、さらに0.1% エリート校で学び続けたものに対する報酬の急増

P436
18世紀に比べ、明らかに教育がずっと重要な役割を果たす
でもだからといって社会が能力主義的になったことにはならない。
国民所得の中で、労働に対して払われるシェアが実際に増えたわけではない
人的資本の譲渡は常に金融資本や不動産の譲渡に比べ複雑なため相続財産の終焉が公正な社会を生み出したという考えの確信につながっている

参考引用など

ピケティ『21 世紀の資本』FAQ (v.1.4) 2014 年 12 月 山形浩生
cruel.org/candybox/pikettyjapaneseFAQ.pdf