平成最後の夏期講習PoliTech高齢者について考える


今回はCの島のC:高齢者について、ポリティカル&テクニカルに考えてみる。

高齢者ネタかぁ、真面目に考えるとおっかねぇ事いっちゃいそうで怖いわ。
でも、ま、あえて過激な論調とらないと高齢者問題については、道義と現実で乖離がうまれつつあるから踏み込まないとだめかもね。有識者達の議論を聞く限りはただのおためごかしでつまらんかったし。

まとめテンプレ

  • 今までの分野の課題
  • 今後の分野の課題
  • 問題解決の指針(何をどうしたら)
  • ポリ(政策的に解決するには)
  • テック(技術的に解決するには)
  • その分野の未来ビジョン

C:高齢者

第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)C:高齢者

2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
テーブルC<高齢者>
「高齢者が最期まで可能な限り自立して、社会参加しながら、
 幸せに過ごすにはどうすれば良いのか?」
★株式会社メディヴァ 代表取締役社長 大石佳能子
・理化学研究所 網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー高橋政代
・新潟大学大学院現代社会文化研究科 教授 鈴木正朝
・NPO法人あい・ぽーとステーション代表理事(恵泉女学園大学学長) 大日向雅美
・株式会社シルバーウッド 代表取締役社長 下河原忠道
・NPO法人 町田市つながりの開 DAYS BLG ! 代表 前田隆行

議論ピックアップ

高齢者ドライバーについて
75歳以上の交通死亡者数は全体が減少しているのに減っていない
75歳以上の認知症テスト
街プロ(まちづくりプロデューサー)を養成している
コネクティッドカー(市場性がない)
高齢者問題がすべて認知症にしない
高齢者の視覚障害
地域相互連携
免許更新時、眼科や認知症の医療情報と連携できればいいのに

今までの高齢者の課題

超高齢社会になって自助共助公助では支えきれない年寄りが増えること。

9月17日の敬老の日で70歳以上の割合が20・7%、人数は100万人増の2618万人となったそうだ。我が家もことほぐなんちゃらで内閣総理大臣と都知事から贈答品が届いた。100歳以上は7万人近くいるらしい。そのうちの1人だ。

自分の血縁は父方母方いずれも長生きで早死で97歳とかだ。おそろしい。100歳越えも耳が遠くなって足腰が弱っている以外は頭もしっかりしているし病気も抱えていない。頭のしっかりさで言えばたぶんそこらの70歳とかよりもしっかりしているように見える。
養護施設には七十いくつでもう前後不覚よいよいになっている方たちも多くいるが、施設のなかでも最高齢がかくしゃくとしているのに、その子供年齢のほうがもうボケちゃってるのはわびしさひとしお。ばあちゃん曰く「本当にいろんな人がいるのよぉ頭が(手を開くゼスチャー)になってしまってたり。」100歳に気を使われる若年寄りさん達。

介護離職などという言葉があるように、ボケもせず自然老化で養護施設に厄介になるなどというのは稀有な例だと思う。健康寿命が寿命より先に尽きて、入退院を繰り返したり、それを支える経済的基盤がなかったり、そもそも介護できる家族が居なかったりなど、介護問題は少し見聞きするだけで解のないエピソードに溢れている。そう、この問題に正解などないのだ。

加齢は何人も避け得ぬ自然現象である。ここに加齢由来の痴呆や傷病が重なる。一昔前であれば、自然淘汰の中で老齢期まで生存するのは困難であった。しかし今の日本人の平均寿命は[女性が87.26歳、男性が81.09歳][2]である。

一番少子高齢化が進んでいない東京都でみても、老齢人口は22%を越える。

老年人口(65歳以上):3,005,516人 (22%)
生産年齢人口(15歳~64歳):8,734,155人 (64%)
年少人口(0歳~14歳):1,518,130人 (11%)

高齢化が顕著な秋田県ではなんと33%にも及ぶ。

老年人口(65歳以上):343,301人 (33%)
生産年齢人口(15歳~64歳):565,237人 (55%)
年少人口(0歳~14歳):106,041人 (10%)

東京だと働き手1人あたり0.34人のお年寄りの食い扶持を稼ぐ必要があり、
秋田だと働き手1人あたり0.6人のお年寄りの食い扶持を稼ぎ介護する必要があることになる。

今後の高齢者の課題

なにせ少子高齢化だ。将来に生産年齢に移行する子供の数も少ないので、将来になればさらに負担は増大する。
東京都の2045年推計では

老年人口(65歳以上):4,175,687人 (30%)
生産年齢人口(15歳~64歳):8,023,423人 (58%)
年少人口(0歳~14歳):1,407,573人 (10%)

秋田県の2045年推計では

老年人口(65歳以上):301,422人 (50%)
生産年齢人口(15歳~64歳):255,932人 (42%)
年少人口(0歳~14歳):44,295人 (7%)

東京だと働き手1人あたり0.52人のお年寄り、
秋田だと働き手1人あたり1.18人のお年寄りとなる。

この負担割合は出生率が改善しない限り、どんどん増加していく一方だ。
稼ぎ手の生産余力を年寄りに割り振っているのだから、出生率が改善するわけがない。
現在の出生率のままいくと、消滅する自治体や日本人そのものが絶滅危惧種になる。

問題解決の指針(何をどうしたら)

これが樹木の話しなら簡単な問題だ。
葉も実もつけなくなった枯枝が若枝の成長を邪魔しているならば切ってしまえばいい。動的平衡を維持するためにも新陳代謝や世代交代は重要だ。

しかし人間は道徳観からなのかなかなかそういうわけにもいかない。

いくつかの生物種は育児という仕組みを発明し、種の生存率をあげることに成功した。そのうち霊長類のホモ・サピエンスのうち先進国に属する人類は介護というものにたどり着いた。介護は人類の未来のなにに貢献するだろうか?決して回復し得ない老いという加齢現象に対して、人間という社会動物は群れとしてどこまで資源を割いて対応するべきなのだろうか?

古希(こき)はその古さの稀を讃えたものであるが、今や70歳なら現役、若造扱いされても珍しくもない。生き字引で年寄りが群れの中でも希少価値があったのは数世代前の話である。医療が急激な発展を遂げ、幼児死亡率や平均余命が大幅に改善したのは戦後になってからである。

姥捨て行為がおこなわれたのはそれほど昔しの話しでもない。尊属殺人という忌避感からか、手を汚さずに環境淘汰にまかせていたのだ。現在の法律でいえば保護責任者遺棄致死だけれども、飢饉時などであれば緊急避難にあたるのだろうか?当時は同時に子供の口減らしなども状態的に行われていた。

食べ物を飲み込めなくなり意識朦朧でも胃ろうなどで生かされる。殺すわけにもいかず、見捨てるわけにもいかない。雪山で遭難した登山隊が共倒れしないためには、どの段階で仲間を見限るべきなのだろうか?法律で線引すべき問題なのだろうか?どこまで自活してもらい、どこまで家族や地域が支え、どこからは国などの制度が助けるべきなのだろうか?
介護を苦に無理心中などの痛ましい事件はこれからさらに増えるだろう。
立法が線引が難しいならそれらを礎に司法の判断を判例法に運用していくよりない。しかしそれではあまりに、あまりすぎる。

ポリ(政策的に解決するには)

LGBTには生産性が無いといって炎上した国会議員が居たが、老齢化問題はまさにコストと生産余剰リソースを天秤にかけた撤退戦である。得るものはないので、どこまで失地を広げないかだけの議論になる。しかし、年寄り人口のほうが多くシルバー民主主義下の多数決では改善のしようがない。大鉈をふるわない限り将来世代を食いつぶしてまで老齢世代に投資せざるをえないだろう。
政治家が耳障りよく社会保障でどこまでも面倒見ますよというのはたやすい。しかしそれはあまりに未来に対して無責任であろうと思う。

オランダは安楽死法を制定しているが、日本も尊厳死については政治的検討をおこなう時期であろうと思う。少なくともサマータイムよりは優先的に。
介護度5にもなると寝返りもうてず、食事も排泄も自分ではおこなえなくなる。しかもこれは加齢によりひきおこされた事象で現代医学では改善の余地もない。胃ろうを始めてしまうと辞めたときに殺人罪に問われかねないので、生命維持装置を外せないなどという論はナンセンスだと思う。法的に医療機関や親族を保護する立法が必要だ。

介護度3~4でも調理や掃除などがおこなえず、常に誰かの助けがいる状態だ。この状態の老人を独居させておくのは危険であるので、つきっきりの介護が必要となる。養護施設などに入れないと介護離職などにつながる恐れがある。待機児童の問題も深刻であるが、待機老人も出すべきではない。個別に対応しては、全体が沈むのでもっと高効率な運用体制を見直すべきだ。現在の制度はこれからの老齢人口の増加に対応を見越しておらず、将来への進展性がない。

要支援、介護度1~2が買い物支援などが必要になるのだと思うが、このボリューム層をいままでの生活を維持させたまま個別に支援しようとすると資源が足りない。年寄りが多く、働き手がすくなくなるからだ。若者の比率が減るのであるから、高効をあげて運用する手立てを講じるよりない。

生前財産処分や、空き家対策特別措置法などを活用して財源確保をしてはどうだろうか。老齢人口の保護を年金や生活保護のような資金投与で運用するのではなく、国営の老齢保護施設をつくり老齢者用の保護シェルターをつくっていくべきではないだろうか。豪華な新築でなくてもよい。老人長屋を街の一角につくるとか、とにかくバラバラに対応するより、どこかにまとめるよりない。

日本は税による分配はそのほとんどが社会保障によるもので現金による分配がほとんどない。そのほとんどないうち年金は現金でおこなわれる。まだ可処分所得もすくなく子育てなどで消費が必要な若年生産年齢人口の所得から現金を徴収して、老人へ再分配をおこなっているのだ。消費意欲が旺盛な若者へは現金による再分配をおこなって、消費行動や将来への投資行動がない老人は社会保障による分配にするべきではないだろうか。逆だろ逆。なんで日本は逆やってんの?わざとか?参勤交代か??

テック(技術的に解決するには)

限界村落を自動運転の地域巡回カーを回らせるというのは、まあ正統的な高齢化社会対策。というか、都市部でもミニバスとかの自動運転の巡回カーほしいよね。

あとは見守り技術。遠隔カメラや、電気ポットやトイレにつけた見守り装置。買い物支援をおこなえるスマートフォン的な端末。空調や体温などを管理するモニター装置類。あとは、スマートスピーカーを兼ねたテレノイドのような会話BOT。

介護士用のウエアラブルなパワーアシストスーツ。腰を傷めての離職率が高いらしいのでこれの普及で結構結果違いそうだよね。

あとは住宅技術かな。
家族が同居もしておらずフォローしきれなくなった独居している老人の見守りや巡回が大変なのであるからこれを物理的に一箇所にまとめるよりない。老人専用の集合住宅施設ってあまりデザインされていないよね?介護ステージに応じたリトリートアパートのようなものが開発されるかもね。

高齢者の未来ビジョン

未来がないのが高齢者。途中で死ななければ高齢者になるのが未来。

夢のないこと書いちゃった・・・。

未来の老人モデルケース

加齢により自炊が困難になってきたので自宅を引き払って老人用シェアハウスに入居。それぞれ自活はできるが、お風呂に入ったまま出てこないことがないよう見守りを兼ねている。老老介護未満の老老見守り住居だ。
一定額の財産処分と年金返上をすることで、死ぬまでお金の心配をすることなく利用できる。最後の交通費として六文ぐらい残しておくだけでよいので将来の心配がない。

新しい環境への移動と新しい人間関係はストレスだが、環境適用はできるだけ若いうちのほうがいいというので、70代から移住。要介護度があがってしまったルームメイトは専用介護施設に転居した。
遠からず自分も介護施設に入居するだろう。介護度が5にあがった際には尊厳死を適用してもらうよう手配済みだ。

こんな感じ。

つか、もしかしたら、あと数十年もしないうちに若返りの薬とか出回るかもしれないけどね。災害や戦争、飢饉もおきないなんてことはないし、意外と別の問題で上書きされることで、高齢化には対応しなくてもいいかもしれない。木が倒れるなら古枝の心配はしなくてもいい。倒したくないなら台風の前に古枝は落とせ。

まあ全体論と、個別論は違うよね。やっぱ最後は支える家族の問題じゃね?

関連投稿はこちら

[平成最後の夏期講習PoliTechスポーツ健康について考える](https://kuippa.com/blog/%E5%B9%B3%E6%88%90%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%A4%8F%E6%9C%9F%E8%AC%9B%E7%BF%92politech%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88/)

平成最後の夏期講習PoliTech教育コミュニケーションについて考える

[1]高齢者3557万人 70歳以上は総人口比初の2割超え
[2]平均寿命、男女とも過去最高 2017年厚労省


平成最後の夏期講習PoliTech教育コミュニケーションについて考える


今回はBの島の教育コミュニケーションについて、ポリティカル&テクニカルに考えてみる。

教育コミュニケーションねぇー。

まとめテンプレ

  • 今までの分野の課題
  • 今後の分野の課題
  • 問題解決の指針(何をどうしたら)
  • ポリ(政策的に解決するには)
  • テック(技術的に解決するには)
  • その分野の未来ビジョン

B:教育コミュニケーション

第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)B:教育コミュニケーション

2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
テーブルB<教育・コミュニケーション>
「どうすれば多様で自由で信頼性の高いメディア空間を創れるのか?」
★NewsPicks取締役CCO 佐々木紀彦
・読売新聞東京本社編集委員 猪熊律子
・PLANETS 編集長 宇野常寛
・東京大学 情報理工学系 准教授 川原圭博
・株式会社LOUPE 代表取締役 浅谷治希
・カドカワ株式会社 代表取締役社長、株式会社ドワンゴ取締役CTO 川上量生

議論ピックアップ

教師の数が多すぎる
先生が生徒にとってのメディア
教師が現実を知らない
教室のオープン化が必要
社会保障の楽しさを教えてこれなかった
工業社会ではなく情報社会なのに教育が変わってない
教育を変える唯一の解決方法は「なし崩し」
多様性を持ったAIのよるカスタマイズされた教育
教える方、教科書に読んでもらいたいというサービス精神がない
学校教育は十数%しかインパクトがない(遺伝が半分、残りは家庭)
テクノロジーを使って海外やお爺さんお婆さんと繋げないか
世代間対立につながる可能性
徴教師制(教えたいと思ってない人を教師にする)
既存のシステムを変えようと思ってない人が教師になっている
学習進度が違う子達を纏めて指導するのは無理
大人になって必ず必要なものにもうちょっと時間を割いて(社会保障、金融)

今までの教育コミュニケーションの課題

先日中小企業振興公社の方に聞いたところ東京では「ものづくり」での起業はわずか4%程度しかないという。しかしながら、産業支援制度をはじめ教育制度もいまだにものづくり社会を念頭に制度設計がなされている。

ものづくり社会においてはマニュアル通りにそつなくこなせる人材が有用である。汎用的に要領のよい人材が求められ、それらを評価するために型に嵌める教育がおこなわれてきた。しかし、機械化が十分に進んだ現代では量産型人材の活躍の場は限定的になってきている。柔軟性、応用性が求められるこれからの社会において求められるのは代替不可能な個性だ。いかにその個人の特性を伸ばすかが重要となる。考える力や、学ぶ力をどのように身に着けるかが課題となる。

日本の22歳以上の大学への入学者比率は世界的にみても断トツの最低である。これはつまり大学が新しい知識や技術を学ぶ場所としてはまったく機能していないことを意味する。リカレント教育が声高に叫ばれているが、きちんとした最新の知識や技術を習得する場としての大学が機能してねぇのにリカレントしてもしょうがないだろうがよ。大学は就職予備校ではないとの掛け声で現実から目をそむけているが、民間ではもはや通用しないような、古い設備や古い知識で飾られてた大学。764校もの大学が教員の終身雇用(テニュア)のために維持されている側面も無視してはならない。

商業高校や工業高校はあまり勉強が得意ではない子でも食い扶持を確保する受け皿になってきた。しかし現代においては簿記ができたとしても企業の経理部門の人手は弥生会計を入力する程度しか必要なくなり、車や家電の修理をする技術よりも、あらゆるものがモジュール化された社会においては無人化された工場で生産された部品を買い直したほうが安く早い。これじゃあ食っていけない。

労働集約型産業が終焉を迎えようとする社会において、口を糊することができる最低限の教育の場は必要だ。産業別に考えれば現代ではサービス業なのかもしれないが、そちらにフォーカスできている教育機関は少ないように思う。また、ぴかぴかのトップノッチを磨くことができる教育の場も必要だ。数学オリンピックに出ちゃうようなのはスーパーサイエンスハイスクールとかがあるので、まだこちらのほうは機能しているように思うが、双方をしっかり機能するものを揃える必要がある。

今後の教育コミュニケーションの課題

核家族化が進み地域に個人商店のようなものもなくなった現代において、子供が普段の生活のなかで接することができる大人は両親か教師のみとなってきている。あまりにも少ない。親が駄目で教師も駄目だってぇと、子供が自律的に機会を得て立派に育つのは大変な困難だ。

ファカルティ・ディベロップメント(教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組)も機能しているとはいい難い。ドイツだったか10年教授をしたら5年は民間で働くというように制度を日本も取り入れるべきかもしれない。徴教師制ででもいい、「でもしか先生(教師でもやろう、教師しかできない)」はもうやめよう。

教員が受ける3万円の免許更新講習の中身とは – 放送大学編
既に知っている内容
スキップ可能な動画
番号だけ入れればよい履修確認
ほぼ過去問であるテスト

クラスの学級委員決めるときでもそうだったが、「俺がやりたい!」という立候補よりも推薦できめたほうが、大抵はうまくまわる。本当にたよりになるやつは謙虚で控えめだからな。政治家もいっそ強制的な推薦による徴政治家制とかにしたら、どう回るか社会実験したいよね。まあ今の社会は地域のつながりが失われすぎていもう無理かもしれないけれども。推薦するにも周りの人をもう知らなくなってしまっているか?

子どもたちの生活を取り巻く外部環境の変化は過去数十年のそれとはまったく異なるスピードで変化している。これは情報化社会となったことが契機であるが、インターネット以前と以後、スマートフォン以前と以後、ディープラーニング以前と以後でまったく様相が異なるように同じよう規模とスピードで今後も変化が連続するものと思われる。これらについていけないデジタルディバイドなどを抱えた人たちが混在する環境下での教育は困難を極める。もう無理って感じ。

社内研修がしっかりしている大企業はともかく、最後に勉強したのは数十年も前じゃったかのぅという老人は社会に多い。社会のセキュリティ水準や運用水準は一番低いところに合わさるので、「数十年勉強とかしたことねぇわぁー」っていう人達の知的水準にあわさって社会は運用される。
大人の義務教育を課すべきだと思うんだよね。スマホとかインターネットの使い方とかそんなもんでいいから。還暦になったら義務教育もやり直そうぜって感じ。テストをパスできなかった人だけ2年ぐらいでいいからさ・・・。老人体育とかやれば認知症も発見できるし、いいことづくめじゃね?あ、クラス内恋愛で熟年離婚とかになると悲劇か?

問題解決の指針(何をどうしたら)

ひとりの教師が多数の生徒を抱えた密室空間。閉鎖性をかかえるのよくない。小中学校は別の問題で難しいかもしれないけれども、大学ぐらいはオープンエデュケーションで外部評価可能なものにしようぜ?

中高等は、生活面を指導する担任と、授業を教えるのはわけるべきだ。
授業もピカイチに面白く、内容もとびきりの動画素材である。Moocなどの形式で配信すれば、教師はチューターレベルでいいんじゃないかな?

英語のように、わかっていない人がわかっていない人にわかったふりして教えることほど悲劇なことははないよ。子供向けプログラミング教育の必修化とか絶対無理。こういう悲劇なんとかしようよ。

ポリ(政策的に解決するには)

昨今の文科省の不祥事や、大学への資源分配失敗を見ていると教育行政しくじってるな感がぱない。
獣医学部の新設が52年ぶりだとか、私立医学部の入試で女子は一律点数を引かれてたとか、中学生に性教育したらけしからんとか、あんなのこんなの。
なにやってるんだかって感じ。ここらへん闇しかないよね。
もったいないよ。

政治が教育に絡むと強烈なアレルギー反応があるので、アンタッチャブルだったのは理解できなくもないのだけれど、せめてもエビデンスベースドラーニングにしようよ。なんでそういしているのか、比較対象もないものを慣例だからとやり続けるのよくないよね。

中高一貫校みたいに、地域内で並行稼動でいろいろなシラバスを選択可能にして、評価できるようにしないと。日本だって北は北海道みたいな広大なエリアに広がったところから、東京みたいな小中学校が狭い地域に林立しているところがあるんだから、全部を同じ仕組みでぶん回そうとするのが無理じゃもんな。
その地域で一番適したパッケージを選べるようにしなきゃ。中国がやっている新疆に強制的な教育施設と何が違うのってことになる。
人間は選択肢が複数ないと間違えやすいんだ。教育も選べるようにしておくべきだとおもうよ?

テック(技術的に解決するには)

やっぱMoocかな。アクティブラーニングや反転学習は家で動画とかを見て勉強して、学校には宿題をやりにいくところっていうような仕組み。日本ではただのビデオ学習と混同されて誤解を含んだ形で拡がりを見せているけれども、本来は座って授業を聞いても学習定着率ほとんどないんだから、もっと能動的に学ぼうぜっていうの。

体感でもそうだけれども教育効果はラーニングピラミッドの研究通りだと思う。

ラーニングピラミッド
www.osaka-c.ed.jp/blog/ichioka/kocho/images/img_al1.gif

座って誰かの御高説聞いても5%ぐらいしか記憶に残らないの。
だから一番学習効果が少ない講義なんていうのは、お家で済ませて、学校みたいなみんなで合う場所で互いに教えあいっことか議論することに時間わりふったほうがいいよね。

オープン教育リソースとかみたない、教材開発のムーブメントもテクニカルには重要だよね。でもこれも反転学習が進めば自動的に普及されるんじゃないでしょうか。

もひとつは、二回ぐらい前のブログに書いた品川女子の学生が保護者のファンドからお金をひっぱって事業化までおこなうみたいなプロジェクトベースドラーニングの集大成。なかなかこれはそこらの学校でできることではないけれどもやれたらすごいね。

ここらへんをやるには、一般企業並みにテクノロジーに明かるい専任が必要となる。
ちゅっと詳しいぐらいの先生が片手間に面倒をみるんじゃ無理だ。学校業務の事務や情報管理は専任をおくべきだよね。むしろ教育に片手間のテクノロジーぐらいしか介在していないのだとしたら、その教育は外部環境を無視した手淫的なお慰みでしかない。そんなものに学ぶ側を巻き込むなっていいたい。

教育コミュニケーションの未来ビジョン

X年後の日本。
会社づとめのA氏に地元の中学で本年度40時間の教育実習の割当がおこなわれた。この制度で選ばれると陪審員制度と同じように、特別な理由が無い限り拒否できない。と言っても、昔の教師のように教壇に立って教科書を読み上げるように教える必要はなく、生徒達は各々の進度に応じ動画を見て勉強してくる。

教室ではディスカッションをしたり、それぞれが学んだことについてショートプレゼン(Show&Tell)をおこなう。大人はそれを円滑にすすめたり議論が変な方向に進んださいにファシリテーションしてあげるだけでいい。
クラスには複数人の大人がいるので得意なことを担当すればよく負担もすくない。
自分が担当した子どもたちのチームはある事業を企画して利益をあげ納税するまでのプロジェクトベースドラーニングを提案してきた。資金は他のチームがやったように地域クラウドファウンディングで募るらしい。
その分野なら自分の業務知識も役立つし、少しは教えてあげられるかもしれない。
子供達の授業に参加した結果、自分も本格的に学び直したくなった。これが落ち着いたら、2年ほど大学に戻って業務知識と先端科学をあわせて新しく論文を書いてみようかと思う。

・・・なんて事になればいいね!

関連投稿はこちら

[平成最後の夏期講習PoliTechスポーツ健康について考える](
kuippa.com/blog/%E5%B9%B3%E6%88%90%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%A4%8F%E6%9C%9F%E8%AC%9B%E7%BF%92politech%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88/)


平成最後の夏期講習PoliTechスポーツ健康について考える


平成最後の夏期講習と題し、落合陽一氏、小泉進次郎氏の企画で、政策と技術であれこれ社会課題を解決しようというような大人の夏期講習がおこなわれたようだ。いろんな分野の人たちが5分程度のライトニングトークをして、それぞれテーマにわかれた島でディスカッションして最後に議論をまとめて発表するというような形式で、動画配信している。

ポリティカル×テクノロジーでPoliTechだそうで、議論のしかたも今どきだし、いいねと思ったでのピックアップ。全体の様子およびガイダンス、講義・インプットおよびガイダンスはこちらで見れる。

  • ●ヤフー株式会社CSO 安宅和人  我が国の未来に向けたリソース投下の現状と課題
  • ●株式会社メディヴァ代表取締役社長 大石佳能子  人生100年の幸せな老後
  • ●メディアアーティスト 落合陽一  今後10 年でやってくるテクノロジーの転換点
  • ●株式会社Campus for H共同創業者、予防医学研究者 石川善樹  社会保障のオリジン
  • ●一般社団法人WITH ALS代表 武藤将胤  障がいと向き合う事で、生まれるイノベーショ

各テーブルごとの議論はこちらから。
www.youtube.com/channel/UCcQ5QML9wkc-hj8aWEf-NYA/videos

各位の議論はおいておいて、それぞれのテーマごとにせっかくなので、自分なりにポリテックについて考えてみたいと思う。今回はAの島のスポーツと健康について。

まとめテンプレ

  • 今までの分野の課題
  • 今後の分野の課題
  • 問題解決の指針(何をどうしたら)
  • ポリ(政策的に解決するには)
  • テック(技術的に解決するには)
  • その分野の未来ビジョン

A:スポーツ健康島

第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)A:スポーツ健康

2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
テーブルA<スポーツ・健康>
「なんのための健康・スポーツか?― Well-beingという視点」
★株式会社Campus for H 共同創業者・予防医学研究者 石川善樹
・東京慈恵会医科大学 総合医科学研究センター先端医療情報技術研究部准教授 高尾洋之
・公益社団法人日本フェンシング協会 会長 太田雄貴
・株式会社Deportare Partners代表取締役 為末大
・国土交通省 総合政策局政策課 政策企画官 喜多功彦
・サイボウズ・ラボ主幹研究員/東京工業大学特定准教授/一般社団法人未踏理事 西尾泰和

議論ピックアップ

スポーツとエクセサイズをわけたほうがいい
スポーツが社会参画の一助になっている
イギリス、公園管理者には植物の専門家だけでなく、スポーツマネージャーがいる
海外では公衆衛生法の中に公園があるところがある
予防医学は病院で見れない
病院は病気しか見ない、健康を見れない
e-sports 対戦相手が必ずいるから寂しくない

今までのスポーツ健康の課題

スポーツや健康がいまだに根性論に支配された精神論であること。
科学からいまだ遠い。
疫学的な論理性、客観性、再現性がスポーツ健康分野でも必要。
民間療法がいまだに幅を効かすことができるのは、その余地があるからだ。

今、スポーツ選手のパワハラの問題が話題になっている。オリンピック候補生クラスの子がコーチにビンタされている様子などが動画が出回ったりあちらで会見、こちらで会見などがおこなわれている。指導の姿勢とかそういう以前に公の法律レベルでアウトなことは閉じた世界だからといってやっていいことではない。程度が低すぎて議論の余地もない。

自分が子供の頃、水泳とか陸上とかは学校選抜になる程度に身体的運動能力に恵まれていた。小学生の頃、新潟県に数年間いた。新潟県は縦長なので上中下にわかれてるのだが、そのうちの上越と中越の大会で優勝したことがあるし、国際規格のプールで大会記録や会場記録なんかを持っていた。だが、通っていたスイミングでは中級コースに留まっていた。なんでかっていうと選手コースには絶対にいきたくなかったからだ。

なんで嫌だったかというと、指導とは名ばかりのプールサイドから割れた竹刀で頭を叩くぐらいしか、コミュニケーション・プロトコルをもたないおじさん達しかいなかったからだ。東京から引っ越してきた自分にはかなりのカルチャーショックだった。ここで何か水泳に役に立つ指導をされた記憶はないがこういう大人もいるのかという社会勉強にはなった。中級コースですら何回かはサボっていた。月謝を払って理不尽に堪えるのはなかなかマゾい。

低年齢時におけるスポーツにおける競技成績など、おおよそは年齢に比較した発達ともとよりの生体機能でしかない個体差だと思う。

水を飲むな!休むな!のように、ひたすら追い込んで、生き残ったやつがいい奴だみたいなトレーニング方法があるが、これはトレーニングではない。生存者バイアスと兵卒をふるい分けるときに用いられた新兵訓練方法だ。
第二次世界大戦後、帰還兵に職を斡旋した際これらの訓練方法が野球などのトレーニング方法として取り入れてしまったことが現在までスポ根の悲劇の根底にあるように見える。

知能テストは第一次世界大戦時に、新兵の兵科を決めるためにおこなわれたことをルーツとしている。この知能テストから漏れた新兵の練度をあげ脳筋に仕立てるための「しごき」がフルメタル・ジャケット的なブートキャンプである。
中世時には口減らしの要素もあった戦争だが、近代戦において突撃兵ぐらいにしか役に立たない脳筋はかえって足手まといとなるようになった。戦争よりも高尚なスポーツの世界でならなおさら根性論の運用は辞めるべきであろう。

今の一流のプロスポーツ選手を見ればわかるが、みなさん頭も切れる。例外もあるが・・・。
「小人閑居して不善をなす」のことわざの通り、体力が有り余っている若者にはスポーツでもやらせておけという更生プログラムとしてのスポーツはもう役目を終えたことだと思う。今はなんだ?その役割はスマホゲームとかに任せておけばいいんじゃないかな?

今後のスポーツ健康の課題

最近では遺伝子タイプ別に投薬する抗がん剤を変えたり、遺伝的に速筋と遅筋の割合を調べマラソンに向くのか、短距離に向くのかなどの検査をおこなえるようにもなってきている。

人間は同じように見えて個別に独立した生体であるため、同じことをおこなっても再現性がなかったり、結果や効果効用に差が生まれる。しかし、人間の細胞より人間の腸内にある最近の数のほうが多いぐらいなので、塊りとしての人間はそれほど単純でもない。だから統計的傾向により推論して精度をあげていくよりない。

都合のいい結果が出たデータばかりをチェリーピッキングするのではなく、効果がなかったり、失敗したデータの蓄積こそがこれから重要になっていく。何事にも例外は生まれるが、これの取扱を間違ってしまうと、因果と擬似相関の取扱を間違えてしまうことになる。

成功があるとすれば、それは失敗にかたどられた空白域である。だから失敗の蓄積をいかにしていくかが今後の課題となる。健康分野については成功談などではなく失敗にこそ価値がある。

問題解決の指針(何をどうしたら)

個人を診察したカルテは病院のもので個人の生体に関する情報を日本人はほとんど持っていない。
把握しているのは身長体重血圧、よくってコルステロール値ぐらいなものだ。それも年に一度ぐらい健康診断で測定されて紙に印刷される程度のもので経過観察も困難だし、診察する病院が変われば前年度データへのアクセスも困難になる。正直、高級肉牛ほども人間の健康は管理されていない。

熱心な人は睡眠時間や運動量などを記録したりしているが、不摂生で健康に難がある人ほど健康診断をうけなかったりする。だが、この分野の一律悉皆の強制はやるべきではないので、意識が高い系の人たちだけでも、ライフロギングをできるインフラを整え、データポータビリティを充実させる必要がある。それらのデータが貯まればあとは保険の掛け金など経済要因が調整してくれるだろう。

ポリ(政策的に解決するには)

データポータビリティ権はEUで施行されたGDPR(EU一般データ保護規則)で掲げられている権利だ。
もしかしたら遠くない将来に個人の遺伝情報をフルスキャンできる時代がくるかもしれないが、それを私企業や公的機関がデータ保持の主体となると、自身にまつわる情報ですら自由に動かせなくなる。
農作物、畜産動物などでは遺伝子特許が認められつつある現況において、こと人間、個人の生体情報の所属をその個人ではなくしてしまうと、生存権にも影響がでるだろう。

データポータビリティ権はこれから重要なものとなるが、これをどのように扱うか法制化できるのは政策的な動きだけである。

中国のように個人格付けを中央で管理する統制型社会もありといえばありだが、そちらの方向にいかないのであれば、個人にまつわる情報も個人に帰属する財産として法文化する必要があろう。いずれにしろ検討も指針も決めないという無策は論外である。

テック(技術的に解決するには)

農工大の先生だったかな?
歩行者の様子を画像解析してボーンをつくると、感情などは肩の動きに現れると言った先生が居て、デモ動画を見せられて、あー、ほんとうだーと関心したことがある。
似たような研究に、医師でもわからない初期の認知症は歩行者の足の運びで検出できるとするものもあったように記憶している。警備の分野では不審者検知とか、迷子などの検出精度もあがってきているそうだ。

うちの商店街は防犯カメラを数箇所に設置している。ネットワークに繋がってもいないスタンドアロンで警察がなにか事件があるとはしごに登ってSDカードを取り出したりしているが、機械学習バンザイの時代にちょっともったいないよなとも思う。けれども、権力とか監視社会が嫌いな人も多いのでセンシティブ。

だが、テクニカルな面からだけ見れば、公共空間に設置されたカメラを社会リソースとして利用しない点はない。
今は、個人が保持しているスマートフォンなどのデバイスで、加速度センサーなどをたよりに運動量の測定などをしているが、かなり不正確だ。こういうのは外部のカメラで全景センシングしたほうがいい。
数百メートル離れた防犯カメラ間を何秒で移動したから歩行時速が何秒だとか、酩酊状態であるとか、自律神経に異常兆候がみられるとか、歩行者の姿勢などはウエアラブルなディバイスでは解決できない。

これを国や行政が一元管理してしまうと問題があるので、先に定義しなければいけないのがデータポータビリティ権なのだ。
自分の歩いている姿勢や歩行速度、毎日の表情などのロギングがどこかの誰かのものではなく自分のものになるのであれば、犯罪発生時にしかつかわれない監視カメラなどに別の役割が生まれる。

地域防犯カメラなどのローカルインフラは有事以外意識もされないので、ごく一部の有志の負担者によって維持されているが、データポータビリティがうまく機能すれば平時にも活用できるので、設置維持も進むことだと思う。オンネットワークの防犯カメラなどまだセキュリティ面が難しいが、いずれにしろ無自覚なフリーライドはすくなくできるなくなる。

スポーツ健康の未来ビジョン

けん玉初心者がVRで特訓、9割が現実でも「できた」 驚きのVRゲームが生まれたワケ

重力加速度は人間には制御不能なものであるが、仮想空間でならばコントロールが可能である。
楽器の練習などであれば、ゆっくり弾いて弾けるようになったからだんだんテンポをあげるというようなことができるが、重力に支配されているけん玉やおてだまのようなものは一番簡単なものができないと、そこから修練を積む余地もない。

だが、仮想空間であれば低重力下で反復練習を積んで慣れたのち、だんだん現実の重力に慣らすというようなトレーニングができる。

早く走ったり、泳いだりする感覚を掴むためにゴムで引っ張ったりするトレーニングがある。体操でのバク転なども最初は介助者が支えることで重力の影響を直にうけないように、ゆっくり練習することから始まる。VRやARはこれらの新しい仕組みになりえる。

スポーツ健康の俺未来ビジョン

  • 町中カメラ
    • 歩行がふらついているのを認知。メールが届く。
    • 認知症登録の人が歩いていたら家族に連絡が行く。
    • 歩行速度を記録。閲覧可能。
    • 歩行速度姿勢などから肉体加齢状況を推計。
  • 町中プロジェクションマッピング
    • ランニング記録から適切なペースメーカーがARでランナーの前に表示される
    • 歩幅が狭く緩慢になっている人に年代別の適切な歩幅を知らせる
  • どこでもスポーツ
    • アーチェリーや射撃のような専用の施設がないと困難だったものをVRなどで解決
    • e-スポーツにフィジカル要素(Virtuix Omni的なもの)
    • ポケモンGOが高齢者にも受けてるように、町中でARドラクエなど
    • 地域コミュニケーションにゲーミフィケーションを導入。(Xさんが5日見えません。姿を見かけたら声を掛けたらXポイントゲットなど)

今のフィジカルVRはこんな感じになっていたりする。

Virtuix Omni