日本のエンジニアリングの足を引っ張るものの正体


日本のソフトエンジニアの足を引っ張るものは、参入障壁やら謙虚、母親の存在だとした記事があった。閉塞感を構成する要素ではあるが、これが問題の根幹にあるわけではないと思うので、原因と解決策をかんがえてみたいと思う。

日本のソフトエンジニアの足を引っ張るもの—謙虚さ、慎重な母親の存在・・・
realtime.wsj.com/japan/2013/04/18/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%B6%B3%E3%82%92%E5%BC%95%E3%81%A3%E5%BC%B5%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE-%E8%AC%99/

 

1. 新規参入に対する規制のハードル

「政府による参入障壁」は経営戦略の教科書で参入障壁の説明で日本が例として出るぐらい象徴的である。
日本の法律は何か新しいことをやろうとするときに許認可をとらなければいけない。例えばアメリカなどはやってみてそれが問題を生ずるようであれば裁判などを得て判断を積み重ね法律で規制するような根本的な方針の違いがある。

 

どちらもメリット・デメリットがあるのでどちらが正しいということも無いだろうが、日本が採用している許認可制は「新しいことをやる」というケースについては後手にまわらざるを得ない。認可をとろうにも新技術については前例や実例がない、ありもしないものについて先にルールをつくっても機能するわけがない。

 

規制そものが矛盾しあっているので、既にあるもの、既存不適格でしか成立しない。結果として強い既得権益の保護ばかりになっているが、それは結果としてそうなっているだけで、現実問題としては規制を多くしすぎてスパゲティのごとくこんがらがっているだけで、リファクタリングができていないだけだろう。前時代のソフトウエアエンジニアリングよろしく、「動いているから動かすな」の世界だ。新しいことをやるには、法律に附則をつけて但し書きをしていくしかない。結果それは強い政治利権につながる。
現在iPS細胞に関する研究がなされているがその関連で製品化やサービスに展開するときにはかならずなんらかの法規制にぶつかる。もし技術開発に成功しても、日本においてこれを製品化や商品化することはできないだろう。生命工学や情報工学のような倫理や法律に先行する技術について為す術がない。これからの技術の革新スピードはさらに増すので、このような問題にぶつかるケースは増えることになるだろうが、認識できていないかもしれない。

googleの提供した検索エンジンは著作権のフェアユース規定がない日本では違法だった。youtubeの提供した動画提供サービスも同様だ。ustreamは放送法にぶつかる。radikoが出てくるまでに何年かかったことか。この問題は重要度をますことは間違いない。
技術・倫理・法律の問題だ。昨今話題になっている救急医療のたらいまわし問題をみても痛感するが、倫理や法律の進歩スピードがテクノロジーの進歩に対して遅すぎる。
参入規制が問題なのではなく、倫理や法律の合意形成速度だ。

 

 

2. 教育の対象の狭さ

教育の質が教える側の質により左右されすぎていて共通言語を持っていないと感じている。狭い範囲で狭い領域について教えているだけなので、異なった教育を受けたもの同士の会話が成立しない。これを解决するためにテキストの統一化により対応しようとしたのが日本の教育制度だ。

多様性を犠牲にした分、大きくズレてしまっている可能性があり、その軌道修正ができていないようにみえる。教育が現状の環境変化に追いついていない。

「教える・教えられる」という体制だけではなく、自己学習や相互学習の分野においても、取り組みが不十分である。
意欲的な取り組みは多々あるが、その重要度が理解されていないことが課題なのかもしれない。
教育が問題なのではなく、知識習得が軽視されている社会風潮が課題なのだ。

 

3. 失敗への恐れ

恐れて然るべきものだろう。日本は失敗した場合、骨も残らない。
よく中小企業のオヤジが経営に失敗して首をツルなどという話しがあるが、何も企業分野だけではない。
例えば相続などで揉めて、身内に愚かな判断をするものが出た場合、連帯納税義務で「失敗」は連帯責任となる。「こんなハズじゃなかった」で引き返せない道だ。税金が理由で自己破産はできないし、破産しても支払い義務は整理されない。死んであまりある。
連帯保証人の制度が100年ぶりだかに改正するなどの話しがあるが、同じような失敗への社会的ペナルティは一族郎党に及ぶ。会社の役員になれば善管注意義務が私財に及ぶ。私財には配偶者や家族を含む。家族を守るために切腹する社長がでるのはやむない判断だろう。製造者責任、医療過誤は組織の責任ではなく関係者の個人の生命財産に帰結する。再帰は経済的にも社会的にも困難だ。恐れざるを得ないし、まわりも失敗を最大限止めようとする。
無茶をする奴がいても周りが止めるようになる。これは機能している間はメリットだ。
だが、おおきな環境変化がおきると機能しなくなることがある。船体に体を縛りつけるのは荒れた海に放り出されないという点では有効だけれども、船が沈んでるときにやるべきではない。テクノロジーの進歩は人間にとって大きな環境変化だ。

4. 謙虚さ

これは「失敗への恐れ」と同義だろう。こと日本においては傲慢さは失敗への一番の近道だ。
嚢中のキリという諺がある。能力や才能があるひとはその袋を突き破ってしまうものだというものだ。だが、そのような袋、基準に収まらない場合大概は相当な困難を前にする。出る杭は打たれるどころか抜かれるというが、袋を破ったキリは袋を破かないように先を丸められる。先が丸められたキリなどなんの役にもたたない。ならば、能力や資産は隠したほうが活きやすいのだ。

 

5. IT新興企業への就職を思いとどまらせる母親たち

こんなことってあるのだろうか?
母親の価値観ではなく、母親や父親をはじめ、本人やその友人の価値観がそうさせることはあるだろう。
だが、「日経平均株価を構成する優良企業」のお偉いさんは少なくともこのような価値観を持っていないのではないかと思う。なぜなら現在大手企業の重役は、その会社に入った頃はほとんどが会社としてはたいした規模もない会社であったことを知っている。数十年前は石炭などの会社が有望就職先であった。いつの時代もそうだが、人が群がってから群がる人におこぼれはわずかだ。だが困難も少ないのは確かだ。
能力がある人をふくめすべての人が無難な道ばかりを選択していては、群全体としては滅ぶので探索にでる尖兵隊も必要だろう。そのような尖兵に志願するものの死亡率は高く、母親は心配することだろう。
全員が特攻でも滅びるし、全員が安定でも滅びる。割合の問題だが、今は志願兵はすくないと感じる。しかしその原因は母親ではない( ´,_ゝ`)

 

結論:

技術の進歩に対して、価値観、倫理や法律がすげぇ遅行していることが日本のエンジニアリングの足を引っ張ってるものの正体なんじゃねぇの。

 

 

ここで指摘されている問題も同じ要因↓

(ブログ更新)まじめに規則を守って仕事をすればするほど、ダメになっていく日本

d.hatena.ne.jp/Takeuchi-Lab/20130420/1366411326


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