現代祭事の合理性(その2)


現代祭事の合理性(その1)では近代の祭事には防災訓練の裏目論見があってそれって近代まで結構機能してたんじゃねぇのかってことを書いた。その2では近代以前、中世における神社仏閣とかの立地についての合理性を考えてみたい。

 

拠点としての館

明治維新の時に江戸幕府の影響を廃するために、寺請制度で戸籍を管理していた寺の影響力を削ぐために、廃仏毀釈、神仏分離がおこなわれた。寺請制度は神社の氏子制度に切り替えられ、法制度として戸籍制度が運用されるまでそれが続いた。
その時におこなわれた神仏分離の影響で社寺地は現代では分離されているが明治維新より前は、神社と社寺は区別のあまりないものであった。

さらに遡って江戸時代、戦国時代の頃の社寺地を考えてみると、そこには野城、館(やかた)の機能があることがわかる。渋谷にある関東近域でも最古級の金王八幡宮(いっておくけど「こんのう」だかんねっ!)は、川を自然の掘りにした渋谷城址でもある。

c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-784e.html

中世の城の本質は権力者の居住地というよりは、食料の備蓄、領民の避難所としてのパブリックスペースとしての機能が強い。
どのようにして社寺地をそこに置くのかという判断がおこなわれたかというと、部署としては幕府の神社奉行の地検によりおこなわれた。では、彼らはどのようにして、そこが社寺地として適当かを判断したのだろうか?

 

結果から考えてみよう。
東日本大震災の折に、津波の到達地点に沿うように古い神社仏閣があったのは有名な話だが、神社仏閣は高台の比較的堅牢な地盤の上につくられた。


www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2013/0622rondan.html

日本の神様を数える単位が「柱」であることからもわかるが、おおよその神社には樹齢の高いご神木があり、巨石や巨木というランドマークがセットになっていることもある。

数十年、数百年に一度の災害だとしても大水や津波が到達するような土地では樹齢数百年の巨木は残らない。残れない。だから樹齢数百年の巨木が残っている点でその地点は高台で水害に襲われておらず、地盤も硬く液状化や異常振動もないことを証左するエリアのログ(記録)なのだ。

 

東日本大震災では同時に、比較的低い土地にあり浸水してしまったり、津波の避水に成功した神社についての調査もおこなわれているが、地形的に水が回りこみ難いなどの津波の減衰効果が認められる稜線の中腹にあることが報告されている。

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東日本大震災における神社の津波被害 現地調査報告 – 自然災害情報室
dil.bosai.go.jp/disaster/2011eq311/pdf/jasdis2012_suzuki.pdf

鉄砲水や津波で巨石などが運ばれた場合、勢いが緩まり運ばれたところが経験的な減衰ポイントになるのであろう。津波でタンカーが内陸奥深くまで運ばれていたが、昔の人ならまちがいなくそこに祠を建てて祀ったことだろう。

河川の治水が弱かった時代には、雨が降ればあちらこちらで大水になり普段川がないところにも川がながれるという。自然巨木が残るのは高台のみになるし、巨石が残っているところは水流の勢いが減衰するポイント境界ともいえる。
目端の効く不動産投資家は手っ取り早く災害強度を測るために物件の近くに社寺地があるかを重要視したりするそうな。だが、それは合理的な判断であろうと思う。

 

参考

村の神社 なぜ流されなかったのか?― 復興へ新たな伝承の場
海洋プランニング㈱所属 熊谷航氏
www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2013/0622rondan.html
東日本大震災における神社の津波被害 現地調査報告 – 自然災害情報室
dil.bosai.go.jp/disaster/2011eq311/pdf/jasdis2012_suzuki.pdf


現代祭事の合理性(その1)


祭事、いわゆるお祭りは宗教的で不合理なものの名残や、娯楽が少なかった時代の楽しみとして現存しているだけのものと思っていた。十二分に大人になって商店街などに(強制的に)参加させられることにより、お祭りを回す側に立つようになりお祭りの有用性、合理性と先人達の知恵にいくつも気が付かされる。

 
「無用の用」という言葉がある。

一見用がないように見える遊んでいる道具や人物、空間的余白でも、それは平時には機能しないだけで、必要なものであるという意味だ。
しきたりや伝統様式は、無用にも見える。形骸化して、もしかしたら既に無用の用になってしまっているのかもしれないが、なぜそのような様式が生まれたのかをリバースエンジニアリングして考えると大きな発見がいくつもある。
まっ、ま~~ったくの勘違いかもしれないんだけどね!

祭りの様式を考えたご先祖様方すげぇと思うのである。
もしかしたら、それはただの勘違いかもしれないが、裏目論見としてそれらを盛り込むことは現在の祭りでも可能なのでこっそり盛り込めばいいんじゃないかなと思う。

 

防災訓練としてのお祭り

うちの町内、三鷹の下連雀は歴史的に神田あたりの流れを汲んでる関係か(江戸時代明暦の大火、いわゆる振袖火事の時代の神田連雀町強制移転と、戦中戦後の疎開)お神輿とかがギネスに乗る程に派手で、とにかく重たい。なんでも毎年担ぐ神輿としては一番重たいんじゃないかとかなんだとか。引っ張る太鼓のでかさも日本有数だとかなんだとか。ちょっとまいっちゃうよね。


大きな太鼓や山車を大縄につけて大勢の人数で引っ張る。
巨大な神輿を百人とかが集まって担ぎ上げる。
で?なにこれ?ほんとうに神事なの?
神事だとして、なんでこんな重たいものを大人数であげたり、引っ張ったりするお祭りをそもそも始めたのだろうか?

 
理由を推測すると、噴火や火災、大地震による建物の倒壊があったからではないだろうか?
旧来の日本家屋は持ち上げれば移動できる作りになっている。
そのため、家を持ち上げれば、曳家などで家をそのまま移動させることが可能であった。
建物などが倒壊してだれかが閉じ込められても、棟、梁に担ぎ棒をつっこんで大人数で持ち上げれば救助が可能である。

 

江戸の災害は地震や火災が中心であった。
大規模火事で消化が必要なときも、建物を倒壊させるのが効果的で、建物を効果的に倒壊させるには柱に紐でもくくりつけて大人数で引き倒せばよい。
これら大人数での連携が必要な作業を災害時のみ連携するのは困難であるために、訓練が必要になるが、訓練といって人が集まるだろうか?防災訓練だからと口酸っぱくいい含めてバケツリレーをさせるよりも、ゲーミング織り交ぜてこれは祭りだっていってバケツを渡したほうが人が集まるし、訓練も習熟していく。

 

防災備蓄としての神輿蔵

祭りを行うにあったって各地域に神酒所を設営するのだが、そのために運動会でつかうようなテントを用意している。
最近は2人ぐらいで張れる便利なテントもあるが、テントを張るのにも複数人の大人の連携が必要だ。
テントを張れるような場所が地域にあることも重要だし、そもそもテントの備蓄がなければ災害時に地域拠点のようなものを立てることもできない。

 

お祭りでは、神輿の巡行にあわせて麦茶だのちょっとつまめるもの(おでん)の接待がおこなわれる。
数十分の間に600人ぐらいの担ぎ手がぐわーーーーっと押し寄せ、カオス状態になる。
それをわずかな人数で捌くのだ。(本当は神酒所運営に人が必要なのだが居ないのだ…)
これなんかまんま炊き出しだよね。

必要なリソースと、供給能、また地域で現場をしきれる人の把握が毎年テストされるわけだ。
壊れたものや、必要な地域財は毎年管理、供給されていく。

神輿を担ぐのにちゃんと人が集まったり、神酒所がちゃんと運営されるような地域は共助が機能している地域である。

 

 

まとめ

防災では自助、共助、公助という言葉がある。

地域の防災会議で「ともに助け合う共助が現代では弱い」と嘆いている爺様が居た。

お神輿を巡行をみてても、担ぎ手が集まらず落ちそうになる地域もある。
神輿ひとつ担げない地域に、共助などは期待できない。
若い人が居ないとか、地域のハブになる人物がいないとかいろいろあるだろうが、期待できないことが見える化されるだけでも良いことだと思う。

 

現代は建築物の性質も変わってきているし、火災や地震による罹災よりも懸念されるテロや疫病のパンデミックなどがある。それに併せて祭りの形は変わるべきなのかもしれないが、それにしても地域防災対応をゲーミフィケーションとしてまとめ上げた各地のご先祖連中すげぇなと。だって各地で祭りはそれぞれの地域にカスタマイズされてるでしょ?きっとそのしきたりにも意味があるはずなんだよね。そもそもなんでそういう風に始まって、なんで続いているのかを考えればきっと裏の目論見があるはずなんだよね。
さてさて、今年もお祭りの会計に苦心惨憺していて、やりくりがしんどい。若い人が入ってこないし、地域で管理しているローカルインフラもわずかな地域有志によりのみ維持管理しているのも限界に近づいている。この地域なんて人だけは沢山いるのにね、運営主体が数十人のオールドエコノミーだと限界だよね。でも、この安全バッファ詰めると、焦げ付いてしまうと思うんだ。考えないとね。


お店を育てたいならクレジットカードは使わないほうがいいんじゃね


お店に悪いから現金で払うとか、クレジットカードぐらい使わせろという意見が今更ながら盛り上がっているみたい。

今ね、土日にあったお祭りの会計残務をしてんだけど、二日間で奉納がざくーっと5~60万集まって、そして支払いで一瞬でなくなっていくんだよ。それ以外にも、お店のハンコを押されただけの超地域通貨の模擬店券の集計とかしにゃならんし、いろんなお店に支払いに回ったり、掛取りしたりと、超絶なアナログ作業がこれからまっているのだよ・・・。
まあ、つらつら思うところを書くよ。

 

 

決済手数料

クレジットカードで支払うと3~15%ぐらいの手数料が発生していて、その手数料分を店舗が負担している。
例えば1万円の支払いをしたら、現金で払った人とカードで払う人には最大で1500円の差が発生していることになる。見えなくなっているだけで消えるわけではないので、10,000円のお肉を食べたつもりがその実8500円のお肉だったみたいな話し。

 

クレジットカード会社はその価格差をお客さんに転嫁することを禁止しているので、その違いにお客さんが気がつくことはないし、そのお店の決済手数料が何%になっているのかもわからないようなっている。

その昔しは、焼肉屋さんの手数料と風俗店の手数料が同じ10%台後半だったと聞いたことがある。そのお店の決済手数料をいくらにするかはカード契約会社の腹積もりひとつで決まって、なにやら裏ぐらい時代があったとかなんだとか。

 

デフレになって経済成長が低迷している現代。小売業界の経常利益平均は上場している企業でさえ3.95%しかない。お客さんのすべてがクレジットカードによる支払いになったと仮定した場合、どこかで転嫁しないとやっていけなくなる。何回もいく予定のちいさなお店を育てたいなら現金払い1択だよ。それか、同じ商品でも相場より10%ぐらいは高くてもいいよっていう気前のよさが必要。

 

お店側のトラウマ

むかし、商店街のお店とかでもスイカとか使えたらいいなーと、いろいろ動いたことがありましたが、結局は頓挫してしまいました。まあ、むり。

リーダーのリースに20万とか、そのために専用電話回線をひかなきゃいけなかったり、経済的合理性はとことんなかったので無理もない。カードの普及率も欧米に比べると圧倒的に低いし、そんなにお店側が機会損失を被らないということもある。

 

クレジットカードの普及率が中途半端なんだよ。

カードを導入したとしても、結局キャッシュディスペンサーは設置しなきゃいけないんだから、お店からしたら手間の軽減にはならないどころか、逆に手順が増えて、従業員教育がおっつかない。いまだにカード操作は正社員だけにしているとか、そんなオペレーションのところもあるよね。

店舗側がカード社会に対するトラウマを多く抱えているので日本がカード社会になることはないとおもうよ。

 

お札や硬貨なんていう古臭いソリューションをつかわせるな

「えっ、まだ現金つかっているの???」という意見はわからなくもない。実験した人がいたけど、都市部なら現金をつかわずに生活できるようになってるし。

わずか5年ぐらいでモバイルが進んで、レジが進化して、タブレットだの、レジにICカードの読み取り装置と、お釣りまで自動で計算してでてくる総合レジが普及しだした。ぴってやれば、決済できるの便利だよね。

うちの100歳ぐらいのばーちゃんはナナコカードオンリーで生活している。、お釣りをだしたりするのにまごついたりすることもない。ログで管理もできるし、IC決済はお年寄りにこそ優しい。

 

 

販売価格統制と卸価格

卸元が小売店に販売価格を決めるのは独占禁止法で禁止されている。しかし、我が国にでそれは形骸化していて、コモディ化した商品をいくらで調達できるか、またそれを幾らで売っていいかというのは優先的地位によって決められている(ようなものだ)。
例えば缶ビールの粗利はとても小さく、ビールのみのお客がカード決済などで決済するのが常態化すると、商売をしているつもりが赤字になってしまうようなことがある。
かといって、どこでも買える商品の販売価格をあげてしまうと、競争力が低下するので、売価をいじらずに調達力のほうで差がつけられるチェーン店、量販店が圧倒的優位になる。
チェーン店のなにが優位かというと、資本力である。

資本力はあるのに地域資本に投資してくれない。チェーン店は奉納もくれないし商店街費も払ってくれないのでぶーたれたい。街路灯や防犯カメラの地域インフラにフリーライドとかして、知らんぷりなんだ。ぶーぶー。
ま、コンビニひとつとっても、積極的に関与してくれたりする協力的なチェーン店もあるので、一概に言うのはよくないけど。

 

支払いサイト

カードで支払われると売上がお金にかわるまで時間かかるからダメなんだよっていったら、じゃ、サイト60日でも回るように組めばいいだけじゃんと言われたんだけど、役務就労とか業界が違うところだと分かり難いかもしんないけど、仕入れが発生する商売で現金仕入れなのに売上が掛けって死ねるんよ。

小売や仲卸は盆暮れに需要が集中したり、夏枯れ冬枯れの2、8というぐらいにはどのお店も繁忙期、季節要因が大きい。いま話題の築地魚河岸は一年の売上を年末年始だけで半分売り上げるみたいな世界だそうだよ。

ここで、仕入れと支払いのサイトが大きくずれると資金手当大変だよね。
大規模建設工事とかで、作業開始から支払いまでが数年とかにまでなってくれば、売上を債権化して借り入れとかできるのかもしれないけど、まあ、飲食店とか仲卸とかにゃ、支払いと仕入れのサイトが微妙にずれるって死活問題なのさ。

 

総資本回転率

なぜか、とんで、総資本回転率のお話。

中小企業庁の資料から。

クリックしてH18zaimu_sihyou_youshi.pdfにアクセス

 

で、飲食・宿泊業の総資本回転率は業界平均で1.7。
これは何かっていうと、1000万の元手があったら、売上が1700万ぐらいが平均だよってこと。
このうち0.8%が経常利益になる。
ちなみに一番高い、情報通信産業は総資本利益率は3.5%もありよる。
経常利益っていうのは、売上から原価や人件費とか販売管理費、営業外収益とかを引いた利益のことね。
1700万ぐらい売り上げると13万6千円が利益として残るよってこと。
ここから、臨時収入や損害などで発生した営業外の特別損益を足し引きして税金払ってねって額。
経常利益で、13万しかのこんないのに、ま、カード決済を導入して吸収する体力は普通はないわな。
利益、ばかみたいにめっちゃ少ないよね。
そのなかでも外食飲食は自己資本比率が1.4%しかないんですってよ。そりゃ潰れまくるわ。

正直、充分な資本があるなら、商売なんかしないで国債とかの金融商品にして寝かせてたほうがお金が増えるのもリスクも少く利益もでかいみたいなことになってしまう現状はちょっと未来を考えると悲しい事態だよね。
時間があるひとは金融業界の付加価値生産額と、他の産業の生産額の分散から偏差値計算してみると面白いことがわかるよ。

 

技術の進歩

資金送金法がようやく改正された関係でデビッドカードとか、スマフォに挿して決済できるsquareとか、小口の決済、送金方法などヴァリエーションが増えて、ちょっとだけ国内でも導入しやすくなってきているね。
正直ね、お金とかは国が管理流通させるものなんだから、はやいところ中央銀行が貨幣や硬貨にかわるマイクロペイメントに耐えられる電子マネーを流通させろと強く思うんだよね。ビットコインは通貨です。ポケコインは通貨ですとかやってる場合じゃないんだよ財務省。銀行もブロックチェーンのハッカソンなんかやってる場合じゃないだろうさ。
現況をみるかぎり、日本は店頭はクレジットカード社会じゃぁないんだよ。IC社会になる可能性は充分にあるけど。
なぜなら、クレジットカード社会じゃない代わりに、銀行ATMがめちゃくちゃ進歩してる。
どこでも現金が下ろせる。というか銀行だらけ。郵便局のATMもあれば、あまつさえコンビニにまでATMが置かれる時代になっている。ほら、結局、一番儲かるの金融業だから・・・。他が利益あがんなくても、カード使わせてフローリッチになればそれだけで本業外収益を賄ってあまりあったりするんよ。

 

だから、カードがつかわれているところではカードを、現金がつかわれているところでは現金を使うのがいいとおもうよ。お店に損をさせてやろうとか、身銭切ってでもお店に得をさせてやろうとかは考えなくてもいい。
うちはネットショップとかやってるけど、ネットショップでカード決済じゃない人とかも居るんだけど、それはそれで色々大変だからね。提供されている手段で決済をすればいい。

家電量販店やネットのショッピングモールですら自社のカードをつくらせようと躍起になっているのはそっちのほうが儲かるからなんだよ。あちらこちらがATMだかけなのは、それが儲かるからなんだよ。

カードはこんなに便利なのに、なんで店頭でカード決済させてくれないんだ!というのは、そういう社会だからとしか答えられない。一部のお店を除いて経済的合理性がないか、継続性がない。

 

ま、古典落語でもよく出てくるけど、掛取り(現金の支払い)は、盆と暮れの年二回だけみたいな、現金そのものが出まわりもしない究極の信用社会っていうのもありだとは思うけどね。

 

 

もとねた

クレジットカード払いをするとお店に手数料がかかるから使わないようにしている…という意見に対して、私の持論を書いてみた。

 

カードを持ってるのに現金払いを好んで使う30代の友人に、その理由を聞いてみた。『なぜクレジットカード払いを使わないのか?』