軽減税率は1300人が死亡する災害に匹敵する


軽減税率はなにもかもが壮大な無駄というだけでなく害悪しかない。人をも殺しうる災害だ。経済は月単位で凍りつき、花は枯れ鳥は空を捨てるだろう。

自分で掘った穴を自分埋めるただの無為な強制労働なら、土を耕したり、まだ筋肉トレーニングぐらいの効用があるかもしれない。だが、軽減税率は本当に本当に害悪でしかない。日本人を裸でシベリアに無為に抑留するようなものだ。しかも、消費税や軽減税率などの対応を迫られるのは経理や価格を決定できるマネージャークラスの人間だ。お金で外注できる労働力で済まない。才能と時間、ほどよく育った人間までをすりつぶす亡国の賊法である。海外ではやられてるじゃないかと言う人がいるかもしれない。違う。既にそれとは違う商習慣で運用がされている国に一律悉皆にデプロイしようってのが、糞い。サマータイムでも同じような話しがあった。血液型A型にB型を輸血するようなことをなぜ平然とやるのか。

趣味でやってるんでしょと言われても否定できない規模の零細な紅茶屋をやっている。うん、まあ趣味。 商売をやられている先輩方から、消費税が3-5%にあがったときはまじきつかったとそこここで聞いてはいた。1997年はバブル崩壊からの金融危機や貸しはがしがあいまって発生した不況があったから、その絡みだと思っていた。だが、前回の5から8%に消費税の税率があがったときに、体感した。あ、こりゃ納得と舌をまいた。

どんな小さな零細企業でも小売なら取扱商品は数百点はあるし仕入先は数十社に及ぶ。 飲食店とかで見た目、数十しかメニューがないようなお店でさえ、季節でメニューは変わるし、それを構成する食材などは多岐に及ぶ。コンビニなら表に並べているだけで数千点が常時おいてある。

消費税が5から8%に変わったとき、めんどくさいなぁと思いながらも棚卸しをして、値段変更をおこなった。売価を5から8%にすればいいんでしょと思ったものだ。
うちの場合はネットショップなどもあるので、楽天やamazon、ヤフー、当時は独自ドメインのショップなどもあって、カタログリスト、店舗のレジスターの変更などを考えれば、千点は優に超すぐらいの値段変更をおこなわなければならない。期末決算の棚卸し残高を求めるよりも3倍ぐらいしんどい作業ながらもおこなった。

だが、しばらくすると仕入先からも価格変更の案内が届くようになる。結構な変動幅だ。ひとつには、ヤマト運輸などの配送会社が消費税率変更に伴い大幅な値上げが敢行されたことなどがある。流通価格があがれば当然原価計算費用などにも影響してくる。そのほかには、その前の時期に発生していた急激な円安や、原材料高に由来する価格調整がとうとう耐えられなくなってきてどばっと降ってきたのだ。

長年の取引があると利益的にはほとんど出ていないけど、長いお付き合いだしということで昔ながらの価格で取り扱うことがある。でも、それも、売ったら赤字にならない範囲でだ。だけど、いろいろ価格がうごいたことで、利益率などを計算しなおしたところ、販売価格や卸が価格を変えだしたわけだ。そうすると、玉突きでポンポンと値段が変わる。中間財の仕入れ値が変わるのだから、最終財も変わるわけだ。それを仕入れて加工し販売するところはさらに値段がかわる。販売側も、そうしょっちゅうは価格変更がおこなえないので、しばらくは泣いていても、こらえきれずに価格変更をおこなう。そして、また異なった時期に玉突きで価格変更が発生するのだ。

食品などのマーケットは価格硬直性が高い業界と言われ、販売価格を変更するぐらいなら内容量を変えるという業界である。いつの間にか箱がスカスカのクッキーや空気しか入ってないんじゃないのというポテトチップスが登場するわけだ。内容量が変わっても配送料や、包装代などは発生するので、またここでも玉突きの価格変動が発生する。

結果、5%から8%に変わっただけの消費税の影響で、有に1年以上も販売価格が安定しなかったのだ。実はこの影響はいまだ続いているようにも感じる。

というのも、在庫の評価方法は先入先出法や後入先出し総平均法、移動平均法など少なくとも7種類もあり会社によって、届け出ている税務上の原価計算方法が異なるのだ。
だからどのタイミングでどのように仕入れ価格に反映されてくるかは、一律に決定されない。ひとつの商品がひとつの仕入先からだけできているわけでなはいので、同じ商品について何度も何度も価格改定の通知が来ることになる。それを涙をのんで自社で被るか、どのタイミングで売価に反映するかの判断を迫られることになった。毎月価格変更などはやっていられないし、契約の関係で1年はこの値段で納入を契約とかいろいろあるのだ。

それ以外の問題もある。

企業側からしてみれば在庫回転率、仕入れから販売までは時間がかかる。販売が成立しても売掛(クレジットカード払いなどのように実際に入金されるのは1月先とか)になる、それに対して仕入れはそれより前に発生しているので支払いと入金サイトには数ヶ月のラグがあるわけだ。世にいう黒字倒産、キャッシュフローの問題だ。

日本で上場している企業でさえ、純利益で考えれば売上に対しては5%もない。ちょいと調べてみると小売業ではわずか1.19%だそうだ。

これは100万円分を仕入れて、120万で売りましたとした場合、粗利の20万から人件費や家賃などを払ったら1万2千円が残せましたというのに等しい。

このような状況下で、仕入れから売上までの間に消費税増税分の3%だけ、利益とは関係ないところで資金需要が必要となる。いままで100万円分買えてた同じ量を仕入れようとした場合103万円の現金を用意しなければいけないことを意味する。

じゃあ余分の3万円を出せばいいじゃないと言う人も居ると思うが、それはパンがなければケーキを食べればいいじゃない論に等しい。3万まだ可能性ありだけど30万なら?300万なら?3000万なら??

そこまで資金余裕がない会社は、仕入量をへらすか、運転資金の借り入れを行う必要がある。だが、借り入れには金利が発生するので、借入先の銀行の金利ぶんまで余分に稼がないとならなくなるわけだ。行政というのはどうもお金の時間による効用を無視する傾向があり、現在価値、将来価値が無視された計画がなされることがあるが、まさにその典型だ。純利益が1%しか残らないほど過剰最適され乾いた雑巾状態の業界で、銀行金利分の数%を吐き出す資金余剰はないのである。チューニングがいきすぎたピーキーな経済はここでも悲鳴をあげ、また玉突き事故がおこるのだ。

軽減税率はさらにわろし

10月に導入するということだが、軽減税率についてわかっているひとがまわりの商店を見回しても一人もいない。国税などに聞いても会社の判断でお願いしますということになっている。

軽減税率の対象となる品目 – 国税庁の図解を貼っておく。

「Keep it simple, stupid.」(シンプルにしておけ!この間抜け)

いや、そもそも店舗にあるレジスターは項目ごとに税率を打ち出すことなんてできないのだ。どうするの?
うちの商店街のお店の人たちを見回しても、ごく最近にでもできたお店でなければ、もうレジスターを数十年使ってますけどなにか? みたいなお店も多い。レジを購入することについて助成金が出ているらしく怪しげな営業がうろうろ回っている。見せてもらったら現金を引き出すドロアーとタブレット型で3~50万ぐらい。多分助成金申請の関係で強気の値段設定なのだろう。お店に買わせて国に払わせるみたいな世界だ。だけどな、70歳過ぎた店主が新しいレジ買って新しい設定なんかできるわけがないんだよ。

そういえば昔、プログラムを書くお仕事が専業だったころレジスター周りのシステムを作ったことがある。日本だと大きいレジメーカーは数社しかないので、あれなんだけど、まあああいうのは、数店舗抱えるチェーン店はレジと独自システムを連携させて、日別の売上とかを集計したり分析したりするんだよね。何社かつくったけど、税率変わるぐらいは想定はしてたけど、そんな細目ごとに税率変更できる設計とか実装とかした覚えなんかないんだわ、ごめんなー。

対企業取引(BtoB)でも弊害が出てくる。
電話とかメールとかFAXとかで「いつものお願いしますー」と言われて、「はいよー」って言って、前回の請求書とか領収書とか伝票と同じものを日付変えて出力、商品に同梱みたいな業務なわけですよ。
でもね、茶葉は8%で茶器は10%、発送料は10%でなんて細目ごとに異なると全部の取引先に対して帳票のレイアウトから作り直しなわけですよ。

普通、小計があって、その下に消費税の項目があって、税率かけて終わりでしょ? これが作り直しになるわけですよ。ぶっちゃけ、もう一度会社をゼロから作り直せっていう規模の事務作業量なわけですよ。しかもどこまでが8%なんかもわけわからん。え、この茶缶入の茶葉は8%? でも茶缶だけで仕入れたときは10%? はい、送料無料で送料を含んじゃってる茶葉とかは税率どうしたらいいの? え、会社判断で? え、インボイス??? え、paypayとかは還元いれる??? ほえ? え!? え!!?? え?????

結論。軽減税率の導入は無理。わかるひとが一人もいねぇ。
うちの場合、商品点数半分ぐらいに絞っても、対応厳しいことになると思う。やるなら落ち着くまでしばらくお店とか閉めて寝てたほうがいいレベル。だから今は消費税が導入されない方に全掛けしている。

消費税の税収

しかもな、消費税をあげれば税収があがるならまだしも、下がるなら意味がなくない。 あがったの?

額面税収から見れば
10.8兆から17兆円代。たしかに額面は増えてるよね。

法人税率下げたとはいえ割合変わってないじゃんか・・・。
財務省絶対みとめようとしてないけど消費税率のアップで経済そのものが沈んでるし・・・。

なぜ災害に匹敵するか

平成28年度の飲食料品の事業所数は299,120件。
1事業所あたり1人が消費税対応のために半月対応したとすると、15万人月=12,500人年
日本人の平均寿命は83.98歳らしいので84歳でこれを割ると、148.8人の人生が無駄に消えていくことになる。これは少なく見積もってもだ。

生産労働年齢の定義に従って15歳から65歳の50年の月20日、一日8時間で1920年時間。計算すれば、人生で96,000時間しかないので、15万人月=150,000*160時間の労働を消化するためには250人分の社会人人生が必要となる。

小売業全体では990,246もある。卸業は364,814件。
78万人月が、なんの生産性もない付加価値もうまない税を徴収するためだけの代理をするためだけに1300人の社会人人生が無駄になる。
本当に導入されたら、どんなに温厚な俺でも呪詛を吐き続けるマンになるよ。

資料とか

14- 2 卸売業・小売業の産業別事業所数,従業者数と年間商品販売額(エクセル:29KB)
www.stat.go.jp/data/nihon/14.html

軽減税率の対象となる品目 – 国税庁
www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/zeimokubetsu/shohi/keigenzeiritsu/pdf/01.pdf


プログラマーズカフェ10周年


この6月でプログラマーズカフェが10年を迎えたそうな。まったく気にすることもなく普段どおりだったのだけど、10年一昔で何も変わらないといえば何もかわらないし、いろいろなものが変わったといえばいろいろなものが変わった。

10年前の 2009/6/4 に三鷹プログラマーズカフェβと称して第一回が三鷹産業プラザにて開催された。
そこに行けば技術の話しができる誰かがいるという、ふわっとした会で、発表したいことがある人はLT(ライトニングトーク)で発表すればいいし、もくもく自分の作業しててもいいし、まあ好きにすればいいよというゆるゆるの会である。平日昼間に都内からみれば辺境の三鷹で開催という会だったのだけど、初回は50人以上100人近い人達がわさーっと集まって泡を食った記憶がある。

それから、2013年4月ごろまで毎週木曜、計184回開催するというクレイジーな期間を経て、そこから武蔵境の武蔵野プレイスで毎月開催した。次回以降は3ヶ月ごとの開催にペースを落とす予定だ。

プログラマーズカフェを始めた当初はまだ都内でもIT系の勉強会もほとんどなく、フリーランスという働き方も珍しい時代。当時は三鷹市が推進していたSOHO(スモールオフィス・ホームオフィスの略)政策や三鷹のIT関係の事業者団体(これも当時はシステム開発会社が商工会では理容室などのサービス部会に所属したり、土木建築の工業部会に所属したりとばらばらであったために、ITはITでやりましょうやということで始まった業界団体。)の理事を自分がやっていたことなどもあり、

「IT技術者の人たちが集まれる会をやりたんだけど。」
「平日昼間ならどこかしら場所開いてるし、いいよ。」

という、お話しのわかる、大人な方たちのご助力と、運営にご協力いただいた皆様のご助力で開始することができた。ちなみに当時開催場所にしていた三鷹産業プラザとは三鷹市が出資した第三セクターの企業が管理するインキュベーションなどもかねた施設である。

当時はリーマンショックの後遺症が深刻化して、会社がばったばた潰れている頃で、おもに技術者派遣系の会社の社長さんが、社内で技術者が余っているんだけど・・・という話しを聞いたのも開催動機のひとつだ。技術者を社内で遊ばせておくなんてもったいないな。いろんな技術がガンガン生まれてるんだから合同で勉強会でもすりゃいいじゃない、というのもあったのだけど、やってみると従業員を得体のしれないただの茶飲み話しにいってきていいよという危篤な経営者の人はほとんどいなかった。

かわりに集まったのが平日昼間に集まれる結構とんがった人たちだった。

平日の昼間に三鷹に来れる人というのはどういう人達だろうか。
本当に様々だ。小学生から古希まで。バリバリのエンジニアから、失業中、転職活動中の人、学生、これからプログラミングをはじめてみたい人、すでに隠居している人、これから起業したいひと、すでにひとやま当て終わった人、駄菓子屋さんと呼ばれるような人から、もう、あれやこれやごった煮にしてゆるゆるびんびんにしたのがプログラマーズカフェなのだ。世間界隈ではマニアックすぎる話題でも誰かが反応することもあるし、ああ、あの話しねみたいな話しで談笑できるぐらいにレンジだけはとにかく広かったように思う。ただ、世間一般の「勉強会」だと思ってこの会にうっかり来て愕然とするパターンも多かったようにも思う。

参加したその回にどんな発表があるか、話題があがるかなどはその回の参加者の顔ぶれででしかないので、毎回なにがおこるかはわからない。本当にしょーもない話しだけで終わるときもあれば、踏み込んだLTがいくつもある回も超稀にだがあった。

三鷹で184回+武蔵野はざっくり72回。お? 計256回?
atndに参加登録されている三鷹分をざっくりsumするとのべ531人だったようだ。 常連さんはほとんどatnd登録もせずに着てたし、夜に開催してた大きめイベントも何回かやったので、武蔵野分もあわせればユニークでも千人は超えるであろう人たちが参加しているのではないかと思う。あんなサービスやこんなサービスをつくった中の人達や、あんな本やこんな本の著者なんかも来てた。今日はすっごくディープだったねなんていう回もそりゃなくもない。

数時間の本会のあと、カフェなどに移動して二次会三次会をして夜までずっとあーじゃないこーじゃないだべっていて、まるで大学生のサークル状態なのである。技術やビジネス経験がついているぶんかえってタチがわるいかもしれない。

この10年で時代がすすみオープンソースとかが一般化して本格的な商用に耐えるようになると大きい企業体に属していない人でも小資本でそこまで高くないスキルでもフリーランスという形で独立ができるようになった。都内では勉強会もテーマを絞ったものが盛んに開催されるようになった。
プログラマーズカフェを始めた当初はなかったコワーキングスペースという業態までいくつもできるほど、フリーランスという業態も一般化し昨今は働き方改革の関係でさらにこの流れが加速している。

三鷹から武蔵野に移動し毎月開催にしたのは、このコワーキングスペースが実験的に開業し、どうもいけそうだねと商業的に本格的のローンチされたことで、ひとつの時代を超えたからだ。集まるならコワーキングスペース作ったから、参加者から金あつめて使えと、でも、ま、そこまではできないなと。まあ、いい加減、追ん出されたともいうが。

10年前と比べて、プログラミングをめぐる環境は変わっただろうか。
小学校でプログラミングを教えるという話しはあがっているが、なんと紙のノートに穴埋めでするんだみたいな、笑えない話しもあがっている。この10年ネタには事欠かないほど、絶望する話、希望にわく話し、いろいろな話しがあった。3歩歩くと忘れるショートメモリのせいで、まったく具体例をあげて紹介できないのが残念であるが、日本にいる技術者諸兄はやるときはやるので、プログラミング界隈の未来もほどよく幸せなものになるのだろうと楽観している。

最近はろくなプログラムを書いておらず元プログラマーというレベルになってしまった。紅茶屋は黙ってタピオカ屋でもやっておけとの会の皆様からのお達しだが、きっとそのうち、なにか愉快なことができればいいですね。稀からはじめて類をなす。


中小企業! はい、技術で返してくださいね。


御代替わり


令和になりましたね!

皇室まわりの話題ってセンシティブ。
ちょっと書くのはいろんな意味で躊躇しちゃうんだけど、改元って数十年にいっぺんぐらいだろうし、こういう機会でもないとお内裏のことはなかなか話題にあげにくい、これも機会でということで、ちょっと書いておこうかなと思います。右とか左な人、それぞれあるとは思うけど、ふーん、そんな考えもあるんだぐらいに寛容に捉えてくれれば幸いです。

経営や政治って、とりうるべき選択肢のなかで最善とおもわれるものを選ぶことができるのが、いい経営者やいい政治家とよばれるものだと思うんですよね。リアルタイムストラテジーとかタクティクス、トレーディングみたいなもの。だから、考慮するための基礎情報が間違ってたり、そもそも選択肢がだめなものしかなければ結果も必然だめになる。何を選んでも詰路じゃんみたいなことはまあある。

それと対となるもので、科学や技術、STEM。これは逆に選択肢そのものを増やすためのものだと思うわけですよ。経営や政治が人を司るものであるとするならば、科学や技術は人が自然に介在しうるための術なわけですわ。
例えば、織田信長が火縄銃を長篠の戦いで採用するみたいな決断を行えたのは、火縄銃という選択肢があったからで、もし、種子島で銃をオランダ人から買い付けても、宇和島の提灯屋の職人がそれを再現できなければ、そもそもそれを選択しうることはできないわけで、「原発事故の廃炉をやりとげまぁすっ!!」となにか政治家が吠えたところで、無い技術は実現しえないし、「永久機関を発明させまぁすっ!!」と言ったところで、できないものをやれと言い続けるだけのそれはデスマーチのラッパでしかない。

だから、太古の昔しから、治水や飢饉など自然からの脅威にたいして、開発→選択→開発みたいなループをまわしつつ時代をすすめてきたわけですよね。ライズ オブ ネイションズ。

日本の教育ではなぜか歴史上に登場する人物の名前や年号を中心に覚えさせられますよね。中臣鎌足がどうしたとか、松平定信がどうしたとか、ペリーが何年にどうしたとか。なのに、輪転機や火薬、羅針盤を誰が何年に発明したかってのも記録されてないわけですよ。

電話や白熱球、はたまたスマートフォンやウインドウズみたいなOSを先導的に発明した人は技術者としてというよりは経営者としても優秀だったので世間にも知られているかもしれないけど、じゃあ、スマホの中身にはっているリチウムイオン電池は誰が考えたのとか、タッチするディスプレイって誰が考えたのとかはなかなか個人の名前としては知られないわけです。技術肌の人は功名心よりはよりよく創ることに腐心するので、動機が違うっていうのもありますが、ひとつには、最終型の前にいくつもの発明や技術があってそれを組み上げる形でなされるわけで、個人がということにはならんわけですよ。たまにアレオレ、ソレオレ的に顕示される方や手柄横取りする人もいますが、基本的には科学や技術のサイドからみたときには、「誰が」よりも、「どうやって」再現できるかのほうが重要視されるわけで、誰がどうしたみたいな歴史とはちょっと離れた世界なのかもしれません。技術の場合はつくってそこが終着駅ではなく試行錯誤しながら登っていく世界ですから。

で、これがなんで皇室と関係あるの?って話しだけど、例えば田んぼをつくる灌漑の技術の確立に成功したとして、これを採用しようとしたとしますよ。

「すっごいこと考えた! 水周り工夫するとお米すげぇ採れるんじゃね!?」って、どこの馬の骨ともわからない人が言ったところで、ふーんで終わるわけですわ。よくって身内が話しを聞いてくれるぐらい。

「あいつが言うなら間違いないかもな。やろうやろう!」ってなるまで、様子見をされ時間がかかるわけです。人間は感情の生き物なので、論理的にそうかもしれないけど、あいつが言うことが気に食わないからやらないなんてこともザラにあるわけですよ。安倍首相がいいこと言ったとしてもアベガーでニヒリスト(虚無主義)になることはありますよね。これは逆に岸信介からのヘイトを引き継いでしまっているのかもしれません。

「あいつの爺さんには世話になったから、まあしょうがねぇな」っていうのの超気長い版が皇室なんじゃないかと。信頼の権化みたいなものじゃないですか。権力と権威を分けたみたいな言い方もされるけれど、もとは技術のほうのエバンジェリストなんだとおもうわけです。神社は昔しは稲の苗を作ることが仕事だったみたいな話しがあるけれども、まあ神道とかはそっち始まりですよね。豊作を感謝するとともに作物を捧げて、それを神社が苗にして配ることで、その地域にあわせた冷害や病害に強い品種改良をおこなうとともに、技術の水平伝播を担ってきた。「しらす」が役割だと。

マチュピチュの特集番組見てたんですけど、仮説がおもいつかないことをなんでもかんでも信仰心がとか宗教でとか説明する考古学者には思考の放棄を感じます。うん、話しがそれたけど、行為には感情的納得があってこそですよね。

人が自然を制御する術が科学ならば、人と人との関係を制御するのが法、人の感情を制御するのは信頼。信頼を醸成するのには時間と実績が必要で、それを継代積み重ねてきたのが皇室なんでしょうね。

現代は、それが資本規模や、大学や大資本の研究所などのよくしられた組織の肩書になっているけれども、これらの体制だってまだ200年すら経っていないわけですよ。トヨタ自動車だって、1937年のトヨタ自動車工業株式会社で5代の社長、トヨタ自動車株式会社で6代だからわずか歴代社長だって11人しかいない。

で、皇室126代。
多分反対される方は、生まれや育ちで人物が評価されることがあってはならないと考えるのかもしれないけど、逆に生まれで評価するならこれ以上ないほどもっとも身元が確かな人になるわけですよね。衆人監視のもとこれ以上ないほど身元が確認されているって世界的にも稀有な例。

ローマ法王とか、チベットのダライ・ラマみたいに、直接の血のつながりではない継代の指導者も世界にはおりますが、男系でつながってるとかいうのは、遺伝学的にみてもとっても興味深い。・・・。これ以上はややこしくなるのでここで我慢しておきます・・・。

家なんてじいちゃんが長男でもなかったので、直系だと3代しかありゃしませんわな。 でも、日本ではすこし周りを見渡しただけで数百年、10数代続いている宗家なんてのはザラにあるわけですよ。たどれば皇室にもたどり着くとか珍しくもないわけです。お寺の過去帳とかで何代も前にまで文献として遡って残ってるとかいうのは、ヨーロッパの王族だって、そうはいないですよ? 都市部は空襲でだいぶ焼けちゃいましたが・・・。

継体天皇や欠史八代、はたまた田布施システムだとか、万世一系を訝しむ声もありますね。でも、そもそも現代の126代の定義だって水戸黄門の助さんだかが江戸期に三種の神器を論拠に編纂してまとめたものでしょ? それまでには、三種の神器以外にも神器として扱われていたものがあるとか、卑弥呼とかが載っている国宝の家系図を擁する海部氏(あまべし)のほうが、皇室より古いんじゃないかとかみたいに、あーじゃない、こーじゃない言い出したらきりがないです。

・・・。
やっぱこのネタ、気を使います。そろそろ終わりにしよう。

即位儀礼。
うちの爺さんは金細工職人だったので昭和天皇の即位儀礼かなんかの金のボタンを兄弟で手分けしてつくったとかききました。小学校には英国王室の人が来たとか、いまのうちのお店があるところには、昭和天皇の囲碁の師匠が住んでたのよとも聞いたことがあります。戦前は皇族も王族も比較的もっと身近なものであったのではないでしょうかかもしれませんね。

なんか、やまなしおちなしになった。
是非もなし。