カテゴリー: 経済・エコノミー

  • 人類の継続性について方向、仕組み、資源、施行などの問題

    人類が「健康で文化的な生活を持続可能な形で実現」しようとした場合いくつかの課題を分類することができる。

     

    1. 方向性の問題  倫理、道徳、司法、国会
    2. 仕組み組織の問題  権利と義務、法規
    3. 競合の問題  国際・地域紛争、世代間摩擦、経済競争、通貨流通量
    4. 資源の問題  環境資源、生産人口、エネルギー、廃棄物処理
    5. 施行能力の問題  政府(内閣)、地方自治、法人、

     

    方向性について

    「若者には貧しくなる自由がある。貧しさをエンジョイしたらいい」というちと印象が歪められた発言がとりあげられていて話題になっている竹中平蔵氏のインタビューがある。

    竹中平蔵(上)「リーダーに必要な3つの資質」
    世界のリーダーと日本のリーダーの違い
    http://toyokeizai.net/articles/-/11917

    竹中平蔵(下)「リーダーは若者から生まれる」
    批判に耐える力、健康、英語について
    http://toyokeizai.net/articles/-/11927

    原文を読むことをおすすめする。

    ロナルド・ハイフェッツが書いた『最前線のリーダーシップ』という本の中に、「リーダーはバルコニーに駆け上がれ」という言葉が出てくる。これは要するに、「鳥の目で見ろ」ということだ。ダンスホールで踊っているときに見える光景と、バルコニーに上がって、上から見える光景は違うことがよくある。

    バルコニーに駆け上がるには浮かれたダンスパーティーをあとにしなければならないのだとしたら寂しいこっちゃ。

     

    目的は「みんなで笑いながらごはんくっていけたらいいねー」とおおよそ人類で合意できると思うのだが、「みんな」という定義でその発言者の背景を反映していろいろ変わってくる。どの地域にすんでいるかどの国に属しているのか。若者なのか老人なのか。努力している人なのか権利を持っているひとなのか。貧しいひとなのか豊める人なのか。
    理想としては最大公約数的に「みんな」が規定されるべきなのだが、これら利害の調整は互いに利害を主張しあわなければすり寄せることができない。だが、この利害を表明すると競争に不利になる。利害の調整に武力や既存優位が絡んでくるからだ。

     

    「みんな」を人類と規定してしまった場合、比較優位のモデルにならい

    リカードモデルは、各国は労働生産性が相対的に高い財を輸出し、労働生産性が相対的に低い財を輸入するという比較優位に基づいて生産パターンが決まると主張するモデルである
    http://www5.cao.go.jp/keizai3/discussion-paper/dp112-1.pdf

    各自得意なことをやったらいいじゃないとなるのだが、この技術や優位性の陳腐化に倫理や道徳の形成がおいついていかず、「ものづくり大国日本」や「列島改造論」がいまだに根強く支持される理由になっているのだと思う。日本のケースで考えると裁判で判例を積み上げないとそれが是か非かもわからない判例主義は現代では少しテンポが遅いのではないかとも感じる。

     

    仕組み・組織の問題

    日本でいま問題なのが制度疲労だ。数世代前に積み上げた運用を守り保守してきた制度や仕組み、組織のレガシーコストが積み上がりすぎて、改変や修正の保守費用が嵩んできている。

    システム開発などの場合、バージョンをあげて古いシステムとの並行稼動などで安定性を担保しつつスイッチしていくのだが、そこまで合理的な制度移行は組織や仕組みの運用面では現実の制度や運用ではまだ実現していないように思う。行政の場合、特区制度などでの試験的取り組みや、法人ではMBOやM&Aなどで評価すべき取り組みもあるが、これすらも既存体系とのチャンネル衝突により調整は難航しているようにみえる。
    特に国民の権利や義務の問題は利害が直接ぶつかる問題であり、変更以前に議題にすることも容易ではないようだ。
    最低賃金や生活保護などから、弁護士や医師などの国家資格、薬学部が近代薬学の知識を得るのに4年では足りないと6年制過程がスタートしたがそのような問題。公務員という立場や、正社員や派遣社員という労働形態にいたるまで、問題となることは千姿万態あり、

     

    仕組み組織の問題解决に悩んでいるのも日本だけではない。

     

     競合の問題

    仕組みや組織を変えようとした時に生ずるのが軋轢で、正面からぶつかると紛争となる。メキシコの麻薬カルテルとメキシコ政府はぶつりかりや、パレスチナとイスラエルのような国家間の紛争は地球上で途絶えたことがない。日本はこの70年間幸いにして戦争をせずにこれたがこれからも無縁であり続けるのは至難であろう。環境資源(食料を含む)が枯渇すればかつてがそうであったように棄民政策や戦争に人々は向かう可能性は排除しきれないし、たとえ日本にそのようなつもりがなかったとしても競合の脅威は組織が別にあるかぎり続く。
    通貨戦争はどろぬまだし、世代間の押し付けや、どちらが標準になるかなどの企業間競争は苛烈化の一途だ。

     

    資源の問題

    資源がわけあたえてなお余りあるほど充分にあればすべての競合は収まるかもしれない。
    だが、お天道さんは動いており今年とれた果物は来年も同じ量収穫できるとは限らない。だからより楽に耕作できる地をさがそうとするし、簡単に漁獲できる海洋に出ようとするし、水を我田にひこうとして、油を掘る。子々孫々まであふれるほどの資源はない。

     

    だから消費の成長率より環境開発や生産効率が上昇しなくてはならない。
    そうして科学技術や経済は成長してきたが、つくったが壊せない、作った以上に廃棄コストがかかるものをつくってしまった。これが環境の問題だ。

     

    施行能力の問題

    それらの多くの問題にも解决方法はないわけはない。だが、それを執り行うと決め、やると決めた人物に実際に施行する能力があるかは別問題だ。
    誰も反対できないような正論で予算は振られるが、measurementやindicatorのような定量的、定性的な評価軸が不明確、不明瞭であった。(KPIやKGIがないまま実行される。)
    そして、「やった」というポーズのもと、決してカットしてはいけない「安全コスト」まで食ってハリボテをつくりあげ、震度0で倒壊するような橋やビルを立てたり、崩落するトンネルをつくったり、水かぶっちゃって爆発しちゃう原発をつくっていてはいけない。

     

    不作為も問題だが、耐久消費財への投資がおこなわれるときは運用、保守費用などを含めて、それを施行する能力があるか、また不都合がおきたときにコントロールできる範囲かを踏まえ施行能力としなければならない。

     

     

    つまり何かっつうと、方向性がはっきりしてそれにあった仕組みや組織をつくり競合を回避して資源も確保できればあとはやるだけで、人類が抱えてる問題なんて解决できるゎー! というこっちゃ。

     

    ・・・できねぇから問題なんだけどさ( ,_ノ`)

     

  • 金利が0.7%と1.6%ならどっちを選ぶ?

    日本の金利は0.74%でアメリカが1.680%
    でも、物価上昇率は日本が-0.1%でアメリカ2.4%
    さぁどっちがお得?

     

    [解説]

    金利が3%あっても物価が3%あがるならば将来的につかえるお金の価値にかわりがないのは大丈夫?
    100円に3%の利子がつくというのは一年後に103円をもらう権利をゲットだぜということ。
    でも、100円で買えていたジュースが110円になるような物価上昇があったばあい、3%の利子をつけてもらっただけじゃ釣り合わないので預けていたお金だけではジュースは買えずにありゃりゃーーとなる。
    日本くんにお金を預けると100円を一年後に101円で返してくれる。
    アメリカくんにお金を預けると100円を一年後に102円で返してくれる。

    日本くんの物価はほとんど変わらないので100円のものも一年後に100円で買うことができる。もしかしたら99円になっているかもしれない。でも、アメリカくんは100円のものを一年後に買おうとしたら102円出さなければいけなそうだ。
    日本くんにお金を預けて日本くんからモノを買えば101円ー100円で1円が残る。アメリカくんにお金を預けてアメリカくんからモノを買えば102円ー102円で0円になる。
    あらためて・・・・・・、さぁどっちがお得だ??

     

     

    結果としての評価だと1円でも残る日本くんにお金を預けるのがよさそうだ。
    金利の0.7%と1.6%だけを比較すると、アメリカのほうがお得そうだけど、日本の物価上昇率を加味すれば、
    日本 0.74%-(-0.1%)=0.84%
    アメリカ 1.680%-2.4%=-0.72%
    つまり、”実質的”なお金利率は日本が0.84%で、アメリカの金利は-0.72%になる。物価上昇率まで考えれば円高がすすんでいる理由もわかるよね。

     

     

    [詳説]

    ここで掲示した金利というのは新発10年物の国債の金利のこと。国債の金利上昇が話題になっているが、同時に物価上昇率もみなくてはならない。物価上昇率は各国政府が毎月統計調査を発表している。日本の物価は長年、デフレとよばれる局面で物価が下落している。また、金利も低い状態で保たれたままだ。アジアの成長率が二桁あったなかで金利も物価上昇もなく、むしろ物価などは下落傾向にあった。

    アメリカの中央銀行はヘリコプターから金を撒いてでも、市場に出回る資金量を増やすと宣言し、実質そのとおりに量的緩和第3弾(QE3)まで実行している。QE4のフォーはフォーエバーのフォーやぁぁぁあああ!!って感じで頭をモヒカンにしてでも、とことんまでやるんじゃねぇかってさ。
    アメリカだけでない。
    主要国のマネタリーベース残高の推移
    http://kokka-vision.jp/_src/sc1203/92868CB4.pdf

    上記の表からもわかるとおり、日本以外の主要国は2009年あたりから露骨な金融緩和策を繰り出してまでくりだした。世界はお金じゃぶじゃぶ状態にある。
    2012年は選挙イヤーだった。フランスで波乱はあったものの中国や米国は順当に決まり、それでおそらく見計らったのだろう。日本の野田総理も解散を決めた。日銀のスタンスには変わりはなさそうだけれども、自民党阿部総裁が口先介入でインフレ・ターゲットなどのさらなる量的緩和を匂わせている。建設国債がどうだのこうだのと変な政治とメディアな駆け引きはあるようだが、金利をマイナスにもっていくことなどできないので、物価がどうにかなるようにしていくよりあるまい。
    経済面でも人口動態面でも税収がさらに見えて下がることが予想されるなか、各国政府の経済政策は延命策でしかないが、喩え延命治療であったとしても何もしなければどえらいことになる。財政赤字はもう折り返し地点をとうに過ぎていて、利払いだけで、アメリカも日本もあっぷあっぷだが、自国の国民を食わせるためには、他の国とバランスをとりつつもなんとか落とし所をさぐるよりない。

     

    [他、参考]

    某プライベートなビジネス学習会で金利の説明があって反復学習ってことで、調べたりなんだりしたのがキッカケです。

     

    将来価値/現在価値
    100万円×(1+金利%)^年数
    ft.com marketsdata Bonds & rates

    http://markets.ft.com/RESEARCH/Markets/Government-Bond-Spreads

     

    国際投信投資顧問 HOME > Market Information
    http://www.kokusai-am.co.jp/fncj004/mktInfoDetail.do?type=2

    各国国債利回り(%) 直近値 前日比 前日終値 取得日時
    日本10年国債利回り 0.741 +0.000 0.741 11/23 01:05
    米国10年国債利回り 1.680 +0.000 1.680 11/24 08:43
    英国10年国債利回り 1.847 +0.000 1.847 11/23 04:53
    ドイツ10年国債利回り 1.432 +0.000 1.432 11/23 05:39
    フランス10年国債利回り 2.191 +0.010 2.181 11/23 09:01
    イタリア10年国債利回り 4.786 -0.005 4.791 11/23 03:00

    Consumer Price Index CPI Databases
    http://www.bls.gov/cpi/home.htm#data
    ↓(データを抜き出して全アイテムで前年同月比を計算した計算結果)

    アメリカ
    2.93 2.89 2.65 2.3 1.73 1.68 1.42 1.7 2 2.18

     

    消費者物価指数(CPI)/ インフレ率


    http://www.stat.go.jp/data/cpi/

    前年同月比

    直近12ヶ月平均
    日本-0.1
    アメリカ2.4
    イギリス3.7
    ドイツ2.1
    フランス2.2
    イタリア3.3

    直近6ヶ月平均
    日本-0.1
    アメリカ1.8
    イギリス3.0
    ドイツ1.9
    フランス2.0
    イタリア3.2
    直近3ヶ月平均
    日本-0.4
    アメリカ1.7
    イギリス2.9
    ドイツ1.9
    フランス2.0
    イタリア3.2

     

    グラフつくってみたけど、今年にはいって一応おちついてはきてるんだね。

  • メイカーズ 過剰生産の先にある雇用

    http://diamond.jp/articles/-/25870
    2006年に“ロングテール”、09年に“フリー”というITブームを牽引するコンセプトを作った米国の評論家クリス・アンダーソンが、今週米国で“メイカーズ”(Makers: The New Industrial Revolution)という新しい著書を刊行しました

     

    Makers: The New Industrial Revolution
    http://www.amazon.com/Makers-The-New-Industrial-Revolution/dp/0307720950

     

    アマゾンからkindleで電子書籍でならすぐ読めるんじゃねぇかと思うけど、読まずに粗筋から適当に類推して、このテーマで問題になりつつある過剰生産について考えてみたいと思う。

     

     

    自動化や情報化は世の中の生産効率を著しくあがってきている。
    市場経済下で価格は人々の需要に相対して決定される。需要より供給が過剰に上回れば作りすぎたキャベツのように潰さなければならない。過剰に作りすぎたものについては価値が形成されず、売値より出荷する手間賃などの方が上回るからだ。

     
    現代の雇用の大多数は生産に従事することによりなりたっている。鉄鉱石の掘削から製鉄、農作物、はたまた車のような加工があり、生産があるからこそ、人々を支えるサービス業などが成り立つ。

     
    100の生産を行うのに100人の人間が必要な産業があったと仮定する。
    1人あたりの生産性は10だ。
    機会化が進むとこれが1人あたり10倍の効率で生産をおこなえるようになった。
    100の需要を賄う生産に必要な人数は10人だ。
    残りの80人は別の”仕事”をすることができるようになり我々の生活が向上した。
    さらにオートメーション化が進み、1人あたりの生産は100倍になったとする。
    100の需要を賄うのに必要な人員は1人だ。
    残りの99人は別の仕事をすることができるようになった。

     

     

    「できるようになった」という表現は柔和な表現だ。
    残りの99人は必要とおもわれる需要を掘り起こさなければ、食べるために別の仕事にありつけないという問題をつくりだした。人間の群全体としては生産が足りていたとしても、その個体が社会から必要とされるためには、群に対してその有益性を顕示しないとならない。それが現代の働くという意味になっている。需要が創出できず市場の成長がとまればひいては雇用の問題に発展する。

     
    もてあました生産性で新たな需要を求め途上国へ進出するようになった。
    だがしかし、情報化社会は非熟練労働者でも同じ生産性や製造品質を実現するという水準にまで生産性を向上させ、お客さんであったニューカマーの新たな生産者に変えてしまう。新たな生産者10億人はさらに新たな市場を求めなくてはならない。

     
    市場の競争は何か特定のところに利益が集まっていれば、それが平準化されるまで新規参入による挑戦が続く。
    個人としての生存戦略であればスマイルカーブの両端、所謂口角の部分の部分に居られるようにするよりない。

     
    だがしかし大局観をもってこの余剰生産と雇用を見つめると、%で(指数関数)効率化する情報化社会と等差級数でしか増えない需要では勝負はみえている。いずれあらゆる面で供給が需要を追い抜く。

     
    そうなってくると価格を決める要素となるのは現代では希少性だけだ。
    価格決定におけるプロセスにもいろいろな方法があり、原価計算による手間賃を上乗せした定率法などと、希少性などをもちいたプレミアム価値がある。プレミアム価値による価格決定は労働生産性という意味で同一軸上で評価することに意味がなくなる評価限界がいずれくるのではないかと思う。

     
    実態評価(労働換算による評価)の難しいブランド価値形成がこのままいくと、受給のわずかな濃度差にレバレッジをかけたゲームになってしまい、雇用という意味あいにおいては危険である。
    facebookやgoogleが史上最大の時価総額を記録しようとも、企業価値評価と雇用が結びつかないっちゅうお話しでした。でも、多分本の内容はおまえらこうしたら儲かるぞ的なことなんじゃないかと思う( ´,_ゝ`)