投稿者: kuippa

  • 消費者物価指数ポテチ

    「ポテトチップス」は145円から126円になっている。ものすごい価格の下落だ。

    実は前者はレギュラーサイズ90gで後者は現在流通している60gサイズだ。
    お値段さがって中身も減ってんだけどこれもデフレなのかな?チョコパイやポテトチップスなんかの流通品は中身が激減している。もし日本がチョコパイ本位制ならもしろこれはインフレに相当すんじゃね?

     

    ポテチ値段の歴史(wiki 「カルビー」より抜粋)
    1975 内容量90g 定価100円
    1999 価格据え置きで100g→90g
    2007 90gから85gに減量。参考価格145円
    2008 85g 参考価格 158円→148円

    2013年現在、コンビニで販売されているポテトチップスのうすしおは60gで126円。90g145円の時代にはグラムあたり1.61円であったものが2.1円となっている。30%の価格上昇に相当する。1975年のグラムあたり1.1円と比較すると倍ちかくになっている。しかし、148円のものから126円のものに変化している。これは物価下落?

     

    CPI(消費者物価指数)は、総務省統計局(http://www.stat.go.jp/data/cpi/)により毎月発表される。品目ごとに重み付けがされて指数化され、この統計情報をもとに国の施策が決定される。
    判断の根拠となるデータが間違っていたら正しい判断などすることができないのは言うまでもないが、間違う、間違っていないというミスの問題であれば改善のしようもあるが、消費者物価指数のように荷重付けを変えたとなると解釈の問題であって、結果の合理性以外で最適解をだすこともできない。
    CPIは連続性のあるデータなので、こういうものだと思えば統計情報として十分に利用価値があるものだとおもうし、重要な情報だとおもうのでその存在を否定するなどということはしないけれども、いろいろなものさしがあるなかでたったひとつ本営大発表だけでは心もとないのは確かだ。

     

    東京大学 渡辺努教授が、スーパーのPOSデータと連動させた即時性のもった消費者物価指数を発表していく方針であるというニュースがあった。異なるデータソースを使って深刻な統計的エラーは無いとした一方、現在の統計局の発表のCPIより1%近く低い2%近いデフレになっている可能性があるという。(リエティ・ハイライト 44 P28)
    異なるデータ・ソースを確保することは簡単な話しではないので、しかもそれを即時性のあるオープンソーシャル、オープンデータ化するのはとても価値がある取り組みなのでぜひやってもらいたいと思うのだけど、冒頭で述べたようなポテチにあらわれている事象についてはなお実態として考慮が必要だとおもう。

     
    1930年台のアメリカの大恐慌のデフレは7%相当であったそうだ。だけれどもだけれども、現代は1930年のような物流でもないし、情報密度でもない。

    > バターには300点を超える種類があるが、「容量が200グラムのカルトンバターで食塩不使用」という条件を課すことで、約30点の商品に絞り込む。… 売れ筋のバターが事前にわかっている場合は総務省方式が望ましい。
    http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/watanabe/05.html

    例えば、去年、一昨年とバターが入手できずにパン屋さんやケーキ屋さんやカフェは困りはてていた。
    食品卸しはバターを配給制にして既存の取引企業を優先してわりあて、スーパーはお一人様あたりの購入制限をかけた、そもそも入荷がないため、結果価格の上昇はそれほど顕著なものはなかったが、これを連続性のある価格情報としてみていいものだろうか。入荷できなかった商品、その値段では売れそうにないので仕入れの段階で断念された商品は消費者物価指数には現れない。それ以外にも同じ商品、同じJANコードで流通している商品でも、価格維持のために内容物のグレードが下げられているものは多い。

     

    >2年で物価2%到達には年間6%強の成長が必要
    http://www.price.e.u-tokyo.ac.jp/img/news/np-006.pdf
    2000から2012までのデータをみると、需給ギャップが生じてもその影響が物価上昇に結びつきにくくなっているという。

     

    何か特定の商品の供給が減少していも豊富な代替品があるため、先述のバターのように欠品が続いても深刻な価格上昇に結びつかない。しかしこれは代替の脅威というよりは、購入者の脅威だ。事業者は価格をあげたら、購入者がいなくなるので、別の商品を提供するよりない状態にある。「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」で本当にケーキがでてきてしまうのが現代の需給ギャップが価格上昇に結びつかない要因だ。小売をしている事業者の身としても消費者としての体感としても、1%のデフレといわれ、もやっとしてしまうのは多分ここらへんが原因だろう。
    イカ釣り業者がストに突入するぐらい一次産業の収支が悪化しているのに、競り価格が下がるのは、冷凍イカが豊富に入荷するからという供給だけではなく、高く競って仕入れてもイカ以外の豊富な選択肢がある状況では売れないからだ。限界がある個人の需要に品目にとらわれないあふれる供給がある。
    個人が自由につかえるお金が減っていて、購入消費財にたいしてシビアになる一方、供給のバリエーションは豊富になっている。

    提供される商品が一定以上の品質が担保されているため事業者側は競争力を確保する主な主戦場が価格競争になり、結果利益が平準化するギリギリまで値段が下がる。
    中間財や上流の原材料価格については明確に上昇しているのに最終消費財の価格が下がっているのは企業努力(競争)の結果といえば聞こえがいいが価格感受性の高い消費者相手に、平衡状態になるまで利益を吐き出させられている状態にほかならない。流通コストが増し内容量を減らしてでも、相手企業にシェアを奪われるわけにはいかないことによる競争による価格決定だ。消費者物価指数には、価格決定されたあと、淘汰されたあとの価格しか現れない。

     

    製造原価、取得費用が高騰しているのに、販売価格の硬直性が強い以上、チョコパイやポテトチップスの中身は減るし、イカの値段は上がらない。

     

    情報通信機器の値段の下落は著しい。これは技術革新によるものだ。メモリを増設するのに数千万かかった時代もあったそうだが、いまは数ギガがお小遣いの範囲だ。結局これも技術革新による、競争優位の減少、消滅だ。
    古い製造設備や技能が陳腐化することにより、独自性や新規性で競争優位を維持できる期間が極端に短くなっていて、価格競争に突入するまでの時間が短くなっている。
    現代において小売業界は参入障壁構築のために、原価割れをしてまで販売を続けることがあり、かならずしも標準的な利益を確保していない。コアなし業界のごとき破滅的競争を繰り広げている。小売だけでなく製造業やはたまたサービス産業まで、直面しているのは、際限のある個人の需要と、需要の減少においつかない供給の競争だ。

     

    • 豊富な供給
    • 豊富な代替手段
    • ワールドワイドな競合
    • 新規手法、新商品の出現
    • 消費者価格感応度の上昇
    • 品質の均一化・粗悪商品の減少

     

    消費者物価指数は重要な指標であることにかわりはないが、ポテトチップスの中身が少なくなったのは消費者物価指数というものさしでははかりきれないし、取り扱い品目に制限がなく、かつ売掛などで仕入れのリスクも負っていないところを一列にならべて時系列でおってもなかなか数値としての経過を観測しずらいってことがありますよね。

     
    んー。小売業者に取り扱い品目の限度数でもないと、こんなんコアなしだよね。仕入れ価格も支払いサイトも異なってきているのに最終価格の連続性はちょいとねー・・・

     

    と、思いました。

    コンビニだけに絞って店舗あたりの収益に占める顧客平均購買力指数変化とかのほうが時局をよむにはよさそうだよとかおもっちゃったりなんだり。

     
    **参考

    小売価格調査 主要品目一覧 >> 品目分類 食料 >> ポテトチップスの物価推移
    2010年 小売価格調査(ポテトチップス) 都道府県庁所在市及び人口15万以上の市(一覧)
    http://price.color-me.jp/PriceMakers/ListPrice/1783/2010/
    http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20130427
    http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/watanabe/05.html

    http://www.rieti.go.jp/jp/about/Highlight_44/Highlight_44.pdf

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%BC#cite_note-2

    http://www.bloomberg.co.jp/news/123-M1MDTO07SXKX01.html

    http://www.price.e.u-tokyo.ac.jp/img/news/np-006.pdf

     

  • 日本のエンジニアリングの足を引っ張るものの正体

    日本のソフトエンジニアの足を引っ張るものは、参入障壁やら謙虚、母親の存在だとした記事があった。閉塞感を構成する要素ではあるが、これが問題の根幹にあるわけではないと思うので、原因と解決策をかんがえてみたいと思う。

    日本のソフトエンジニアの足を引っ張るもの—謙虚さ、慎重な母親の存在・・・
    http://realtime.wsj.com/japan/2013/04/18/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%B6%B3%E3%82%92%E5%BC%95%E3%81%A3%E5%BC%B5%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE-%E8%AC%99/

     

    1. 新規参入に対する規制のハードル

    「政府による参入障壁」は経営戦略の教科書で参入障壁の説明で日本が例として出るぐらい象徴的である。
    日本の法律は何か新しいことをやろうとするときに許認可をとらなければいけない。例えばアメリカなどはやってみてそれが問題を生ずるようであれば裁判などを得て判断を積み重ね法律で規制するような根本的な方針の違いがある。

     

    どちらもメリット・デメリットがあるのでどちらが正しいということも無いだろうが、日本が採用している許認可制は「新しいことをやる」というケースについては後手にまわらざるを得ない。認可をとろうにも新技術については前例や実例がない、ありもしないものについて先にルールをつくっても機能するわけがない。

     

    規制そものが矛盾しあっているので、既にあるもの、既存不適格でしか成立しない。結果として強い既得権益の保護ばかりになっているが、それは結果としてそうなっているだけで、現実問題としては規制を多くしすぎてスパゲティのごとくこんがらがっているだけで、リファクタリングができていないだけだろう。前時代のソフトウエアエンジニアリングよろしく、「動いているから動かすな」の世界だ。新しいことをやるには、法律に附則をつけて但し書きをしていくしかない。結果それは強い政治利権につながる。
    現在iPS細胞に関する研究がなされているがその関連で製品化やサービスに展開するときにはかならずなんらかの法規制にぶつかる。もし技術開発に成功しても、日本においてこれを製品化や商品化することはできないだろう。生命工学や情報工学のような倫理や法律に先行する技術について為す術がない。これからの技術の革新スピードはさらに増すので、このような問題にぶつかるケースは増えることになるだろうが、認識できていないかもしれない。

    googleの提供した検索エンジンは著作権のフェアユース規定がない日本では違法だった。youtubeの提供した動画提供サービスも同様だ。ustreamは放送法にぶつかる。radikoが出てくるまでに何年かかったことか。この問題は重要度をますことは間違いない。
    技術・倫理・法律の問題だ。昨今話題になっている救急医療のたらいまわし問題をみても痛感するが、倫理や法律の進歩スピードがテクノロジーの進歩に対して遅すぎる。
    参入規制が問題なのではなく、倫理や法律の合意形成速度だ。

     

     

    2. 教育の対象の狭さ

    教育の質が教える側の質により左右されすぎていて共通言語を持っていないと感じている。狭い範囲で狭い領域について教えているだけなので、異なった教育を受けたもの同士の会話が成立しない。これを解决するためにテキストの統一化により対応しようとしたのが日本の教育制度だ。

    多様性を犠牲にした分、大きくズレてしまっている可能性があり、その軌道修正ができていないようにみえる。教育が現状の環境変化に追いついていない。

    「教える・教えられる」という体制だけではなく、自己学習や相互学習の分野においても、取り組みが不十分である。
    意欲的な取り組みは多々あるが、その重要度が理解されていないことが課題なのかもしれない。
    教育が問題なのではなく、知識習得が軽視されている社会風潮が課題なのだ。

     

    3. 失敗への恐れ

    恐れて然るべきものだろう。日本は失敗した場合、骨も残らない。
    よく中小企業のオヤジが経営に失敗して首をツルなどという話しがあるが、何も企業分野だけではない。
    例えば相続などで揉めて、身内に愚かな判断をするものが出た場合、連帯納税義務で「失敗」は連帯責任となる。「こんなハズじゃなかった」で引き返せない道だ。税金が理由で自己破産はできないし、破産しても支払い義務は整理されない。死んであまりある。
    連帯保証人の制度が100年ぶりだかに改正するなどの話しがあるが、同じような失敗への社会的ペナルティは一族郎党に及ぶ。会社の役員になれば善管注意義務が私財に及ぶ。私財には配偶者や家族を含む。家族を守るために切腹する社長がでるのはやむない判断だろう。製造者責任、医療過誤は組織の責任ではなく関係者の個人の生命財産に帰結する。再帰は経済的にも社会的にも困難だ。恐れざるを得ないし、まわりも失敗を最大限止めようとする。
    無茶をする奴がいても周りが止めるようになる。これは機能している間はメリットだ。
    だが、おおきな環境変化がおきると機能しなくなることがある。船体に体を縛りつけるのは荒れた海に放り出されないという点では有効だけれども、船が沈んでるときにやるべきではない。テクノロジーの進歩は人間にとって大きな環境変化だ。

    4. 謙虚さ

    これは「失敗への恐れ」と同義だろう。こと日本においては傲慢さは失敗への一番の近道だ。
    嚢中のキリという諺がある。能力や才能があるひとはその袋を突き破ってしまうものだというものだ。だが、そのような袋、基準に収まらない場合大概は相当な困難を前にする。出る杭は打たれるどころか抜かれるというが、袋を破ったキリは袋を破かないように先を丸められる。先が丸められたキリなどなんの役にもたたない。ならば、能力や資産は隠したほうが活きやすいのだ。

     

    5. IT新興企業への就職を思いとどまらせる母親たち

    こんなことってあるのだろうか?
    母親の価値観ではなく、母親や父親をはじめ、本人やその友人の価値観がそうさせることはあるだろう。
    だが、「日経平均株価を構成する優良企業」のお偉いさんは少なくともこのような価値観を持っていないのではないかと思う。なぜなら現在大手企業の重役は、その会社に入った頃はほとんどが会社としてはたいした規模もない会社であったことを知っている。数十年前は石炭などの会社が有望就職先であった。いつの時代もそうだが、人が群がってから群がる人におこぼれはわずかだ。だが困難も少ないのは確かだ。
    能力がある人をふくめすべての人が無難な道ばかりを選択していては、群全体としては滅ぶので探索にでる尖兵隊も必要だろう。そのような尖兵に志願するものの死亡率は高く、母親は心配することだろう。
    全員が特攻でも滅びるし、全員が安定でも滅びる。割合の問題だが、今は志願兵はすくないと感じる。しかしその原因は母親ではない( ´,_ゝ`)

     

    結論:

    技術の進歩に対して、価値観、倫理や法律がすげぇ遅行していることが日本のエンジニアリングの足を引っ張ってるものの正体なんじゃねぇの。

     

     

    ここで指摘されている問題も同じ要因↓

    (ブログ更新)まじめに規則を守って仕事をすればするほど、ダメになっていく日本

    http://d.hatena.ne.jp/Takeuchi-Lab/20130420/1366411326

  • 金融資源は漁業のような天然資源に近い

    漁業は稚魚のうちに乱獲して資源を枯渇させてしまうのではなく漁獲規制をすることで安定的な漁場を確保できるようになるそうだ。

     

    金融にも持続可能な取り引きルールの策定が重要で取引回数の規制や取り引き総量の規制をすることでマネーの無秩序な奔流を防ぐことができるし、コンマ何秒のロジックトレードのような投機的で芽を出した瞬間に刈り取られる社会的には無意味なスカルピングから成長を守ることができる。
    例えば株式市場でも取り引き高の制限があれば、無秩序に売り買いをされ株価が乱高下しなければ、より企業の将来に対する成長、正味の企業価値が吟味されることになるだろう。

     
    ここで言っているのはサーキット・ブレーカーのような市場全体ではなく、漁業のように参入者ごとの割り当てのこと。これがあれば中央銀行だって市場という緩衝溶液のpHを気にしながらマネーサプライで慎重に滴定しくような真似もしなくていい。値上期待から活用されない土地建物が死蔵されることで生まれる地域の成長を犠牲にしたうえでの肉食的な利益回収も予防できるようになる。いいことづくめなのではないかと思う。

     

     

     
    ・・・だが、漁業で適切な漁獲高の制限できないまま資源の枯渇が心配されているように、金融でも適切な取引高を制限することは容易なことではないだろう。困難の理由は同じ。まああまり管理規制だらけはごめんだけど、やったもん勝ちにしちゃうと持続性なくなる。お魚と一緒。

     
    【さかなTV】第4回 勝川俊雄さんに聞いてみよう!
    ↓おもしろかった

     

     

    ここで、一句!

    白川の冷たき水に流されてどじょうだらけの黒田に分水

    やがて田あふるるまで