投稿者: kuippa

  • 第一夜 自然科学と経済の白熱教室

    朽木とは徐々に腐るものであるが、崩れるのは突然である。

    フランスの詩人はこういったという。
    ・・・たぶん。
    まぁ、そんなような事を言ったやつもいただろう・・・。

    だから、NHK のパリ白熱教室を見逃すのもいたしかたのない話しである。だってチャーリだもの(Je Suis Charlie、、黙祷)

    経済と科学

    経済を考えるときにいつも考えてしまうことがある。これはいったいなんであろうかと。

    化学で言えば、溶液を混ぜあわせるのに割合、%だけで論じてコントロールしようとしているレベルに見える。
    溶液AとBを30:70で混ぜてみよう! っと。溶液Aの濃度も定義されていなければ温度もわからない。かろうじて体積がわかる程度。それを割合や率だけで論じて、混ざった溶液を味見して「しょっぱすぎた!」だの、「薄めすぎた!」だのやっている。
    なんだかよくわからないものが混じって「すっぱくなっちゃった!」とかパニックになっている。

    経済は人間同士の営みであるのだから互いに緩衝しあう緩衝系溶液のようなものである。
    反応をすすめたいと滴定をしてもしばらくは緩慢な反応しかしないが、当量点に達したとたん反応が一気にすすむ。化学的な単純なモデルですら非連続なのだが経済などの評価は連続的にすすむものとして扱われることが多い。だが実際は腐った木が倒れるように、自然では変化面は非連続となるほうが一般的なのだ。


    中和滴定曲線
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%92%8C%E6%BB%B4%E5%AE%9A%E6%9B%B2%E7%B7%9A

    結果からしか評価できない

    経済活動なんてないような限界集落も、1キロ四方に6,200人以上を詰めこんだような都市もおどろいたことに同じ制度で運用がされている。率があてはめられ、ざっくりとした割合で論じられている。

    生活様式も違えば生産様式も違う。だけれども出てきたものを同じ通貨で評価して、稼ぎに応じて%を変えたり、控除を設けたりして、そしてまたごちゃまぜにして分配したりしてなんとか均衡を保っている。

    広大な大地がある北海道の土地と都内が十把一絡げに同じ税率になる。目的も中身も違うものを一律で、しかも割合で管理しようというのだ。なかなか豪胆なしくみをつくったものだ。修正修正を繰り返し職人技による運用でなんとか制度を維持している。

    あぁ、で、やっぱりこれはなんだ?

    エネルギー交換則とピケティの原則

    ピケティがうたった原則はシンプルだ。

    r > g (資本収益率 > 成長率)

    という式、資本がもたらす利益は成長率を常に上回るというものである。

    自然科学からすると、この式にすらなっていないように見えるなにかはきっと時間での積分を考慮する必要があるのだろう。確かにそのような仮定であれば格差は開く一方であるし彼が示したデータもそれは一定正しいように見える。

    経済のいやなところは、物理学でいえばまだ第一法則の範囲内で”もちゃもちゃ”しているところだ。そのほとんどが等加速度的な単純なモデルを提示することで終わっている。ずっと利子と格闘していて%と指数だけが支配する世界にいる。
    正か負のフィードバックがかかるかはすれ、なんらかの近似線に収斂するものと仮定される。そして循環、再帰する。

    このような理路で物事を捉えると、坂道を下る車はずっと加速し続け、細胞分裂はとまらず、火がついた森は時間とともに火勢がましつづけ、温めた水は温度があがりつづけることになる。しかも循環するだって?

    だが、実際は坂道を下る車はどこかでコースアウトするし、森林火災は燃える森がなくなったら鎮火し、水は沸騰して相がかわる。過去100年に一度も観測もされなかった現象は毎年のようにどこかしらで発生するものだし、白い鴉は居るものだ。(( ヘンペルのカラス ))そしてアキレスだって亀を追い抜くだろう。((ゼノンのパラドックス))

    人工知能がディープラーニングにたどり着く手前でビッグデータパラドクスに捕まっているかのようだ。猫についてあらゆる特徴を定義していけばいつか猫を認知できるに違いないと細かいラベリングに苦心している。だが事象の観察から特徴量が多い部分を抽象化してラベル付けし、モデル化しただけでは定義同士の衝突がおきてしまうのだ。

    そのやわっこい土台をもつ経済に、それをなんとかコントロールしようというさらによくわからない政治や政策が絡む。なんかもうちょっと悲惨な事態だ。

    政策というやつは失敗しようものならすぐさま認知され非難されるが、上手くいったものについては注目されもしない。もっと言うと上手く回っているもことすら気がついてもらえないがために、そこに仕組みがあることに気がつくのも困難なのだ。

    経済なるものは時間とともに変化し、ほんの少し予測をしただけで容易に結果に干渉してしまうやわっこいものだ。

    再現性と客観性がないものは科学ではないという。
    ん~、であるならば、経済とはやはり一体なんなのであろうか?

    お金と相転移

    お金を稼ぎたいのであればお金を使ってお金を稼ぐのが一番効率がいい。お金にお金を連れて帰ってきてもらうのだ。例えばお金を貸し付けて利子をもらうなどのやりかただ。(お金→お金)
    流動性を落としてリスクを分散したいのならば株券などの有価証券をつかうのもよいだろう。国債に投資すれば不確実性は無視できるほど小さくできる。(お金→流動資産→お金)
    流動性はさらに犠牲になるが不動産に投資することもできるだろう。(お金→固定資産→お金)
    権利に投資するという方法もある。(お金→権利→お金)

    では、お金を稼ぐのにモノをつくったり、サービスを提供したりするのはどうだろうか?(お金→人→労働→モノ→お金)(お金→人→サービス→お金)

    これらには人の仕事が介在することで価値創造分が付与されるので、収益率からだけで投資効率を比較をすることはできないが、人がそこに労働価値を付与しなかったらどうなるかを想像してもらうだけで十分であろう。

    お金を熱エネルギーとして考えれば、熱エネルギー交換則よろしくエネルギーの形が変わるごとに無駄が発生する。閉鎖されていない系ではエネルギーの完全交換は成立せず、永久機関が完成することはないからだ。

    お金が人間の労働力にかわり、労働力がモノにかわり、物がお金になって再投資される。この相転移の過程でロスが発生する。仲介者や中間業者がはいればはいるほど効率は悪くなるのだ。

    財産と労働資本

    若い人は労働資本というものを持っている。
    この労働資本というのは働けるという可能性のことだ。
    労働資本は実際に労働をすることで資産と交換することができる。
    交換された資産は貯めることができる。

    やがて年をとって労働資本がなくなるころには人によって残酷な現実がありこそすれ資産が貯まっていることになる。その資産をつかって若い人に働いてもらうという連綿とした流れがある。

    1872-1912年ごろの大戦以前のフランスでは裕福層は労働資本をつかうことなく、その資産の一部をわずかに再投資するだけで、労働者が労働資本から得る効率の100倍近い所得を得ていた。

    この時代は労働資産をいくら積みあげても、g(労働資本の蓄積成長率)がr(資本収益率)を上回ることはなかった。

    相場を動かせるほどのまとまった財があれば、その投資効率は極めて高く、一部を再投資して財をさらに増やすのが実に容易なことであるというのは歴史的にみても自明である。ピケティの資本論でも中心的にかかれていたが、何故そうなるのかについては、すこし内容がそれるので後述することとする。

    しかし、これも大戦後崩壊する。財閥は解体され、累進課税がつくられ、不労所得生活者は事業所得者ほどの収益をあげることができなくなった。

    資産で資産を稼ぐのは効率がよすぎるので、税金という%での負荷がかかる、お金同士の反応を制御する半透膜がつくられたのだ。

    そして21世紀は大戦により吹き飛ばされた裸一貫の男たちが能力主義的希望に基づいた所得格差社会となった。

    つづく

    次は、能力主義的社畜についてでも書きます。

    関連しそうな参考引用

    (**16章33)
    Google「利潤や給与よりも多くの富を社会に対して貢献しているのだから、われわれが税金をあまり払わないのも合理的なことだ」
    企業や個人が製品の値段よりも大きな限界厚生を経済全体に貢献しているのであれば、税金は減るし補助金をもらってもいい。正の外部性。本当にしていると証明する根拠など提出していない。各個人が自分自身の税率を自分で決められるような社会を管理するのは容易ではない。

    P385
    ベル・エポック期パリ市民で最も裕福な1%は当時の平均賃金の80-100倍の資本所得を得ていた(1872-1912)
    ごく一部を再投資して相続した富を増やせた。
    大戦間で崩壊
    次世代に平均賃金の30-40倍の資本所得をどうにか生み出す程度しか遺せなくなった
    1930年代末期には平均賃金の20倍にまで減じ不労所得生活者にとってこれは終わりの兆しとなった

    なるほどわからん。頭がカオス化する、気の遠くなるような10のパラドックス(論理的矛盾)の世界 : カラパイア
    http://karapaia.livedoor.biz/archives/52182078.html

  • 序論 盗人と資本主義

    プロローグ?

    「失礼しますよ。」

    日本庭園に面した縁側から音もなくあがりこんできた男をみてギョっとする。
    およそ料亭には似つかわしくないシルクハットに片眼鏡。
    部屋の中の男達が反応もできずにいるうちに、狼藉者は帽子を外し席についた。

    誰かいるか!と大声をあげども誰もはいってこない。
    向かいに座る男も唾きを飛ばしながら何やら叫んでいるようであるが声が聴こえない。
    大きな声が、まるで掻き消されるように口から出た途端に霧散する。

    「お静かに、おやめなさいな。危害など加えませんよ。ちょっとお二方のお話しに混ぜてもらおうと思いましてね。呼ばれてはいないのですがお邪魔した次第です。なに、経済なるものについてお話しをしたいと思いましてね。」

    狼藉者はよく磨かれた天然木一枚板の長机に人を殴り殺せそうな厚みがある本を置く。

    「あなた方もその物騒な武器をおろしていただけますか?
    そんな、三本の矢を同時につがえたって全部なんか飛びやしませんよ。
    そちらのお方もバズーカーなんておやめください。お味方ごと吹き飛ばすおつもりですか。」

    トマ・ピケティ LE CAPITAL 21世紀の資本

    アメリカ人が書いたら数ページのエグゼクティブ・サマリーで終わりそうな内容をフランス人に説明させるからこういうことになる。700ページぐらいあったであろうか。ながら読みとはいえ正月三ヶ日だけは読み終わらず一週間ぐらいひらいていた。なかなか読み下すのに根性がいる本である。ようやく読み終わったと思ったら注釈のページが100ページ待っていた時はどうしてくれようかという気持ちが味わえるので是非君も読んでくれたまえよ。

    この本がベストセラーになっていることは私にはにわかには信じられない。アメリカ人の好きな格差論に触れたからであろうか、面白い記述はいくつか見つけることはできたが、全体を通せばそれほど新しい知見でもない、ひたすら回りくどい。なにせ結論は表紙に、序論に書いてあるのだ。それについてご高説をたまわる形だ。

    それと、日本語翻訳の版で読んだが運のつき「トップ百分位」という語が1頁中に10個ぐらい並ぶ。頁中のトップ百分位単語百分率でも算出しなければいけないのだろうかという使命感に襲われる。なにもフランス人のまわりくどい言い回しに付き合うこともあるまいて。「上位1%」とでもして、後は「あいつら」だとか「それ」とか言っておけばよいものを。

    いや、なに、なんだ、そう結論を急くこともあるまい。フランス流のエスプリに習ってつれづれ綴ってみようではないか。きっとLE CAPITALを読み下した読者の方々ならこれくらいの回りくどさにもつきあってくれるに違いあるまいさ。

    さて、この資本論が導こうとしていた結論を考えると、「資本のそれは成長のあれよりもでけぇから、なんじゃかんじゃ、ずっとその差は大きくなっていくよ」程度の事が書かれている。それに物理的な厚みと重量を持たせることで、説得力を獲得できるというリアリズムも同時に学ぶことができるだろう。なんだったら、「ちみは資本論は読んだかね?ふむふむ。」とスノッブな振る舞いをするのにもあの本の厚さは役立つのかもしれない。

    だが、しかし、まことに残念なことにピケティさんは予想もしていなかったかもしれないが、この本が読まれている遥か極東2015年の日本なのだ。この国は世にも珍しい、資産のほうが預金よりも伸びるというピケッテイが出しているひとつの重要な結論 (( http://youtu.be/h7X_vbexeaY?t=12m48s )) が通じない経済圏なのだ。

    2015年1月 住宅ローンフラット35 はとうとう1.47%となった。 (( http://www.flat35.com/ )) リスクフリーレートとも呼ばれるリスクの基準となる新発10年ものの日本国債の金利は応募者利回りで年0.254% (( http://www.mof.go.jp/jgbs/individual/kojinmuke/shinmadohan/issue/ten/h27/January.html ))
    そして2014年日本の短期国債取引においてとうとうマイナス金利を記録した。わずか0.0018%であるがマイナスなのだ。言っている意味がわかるかい?国債の金利がマイナスなのだ。
    (( http://www.nikkei.com/article/DGXLASGC30H0V_Q4A031C1EE8000/ ))
    一体何がおこっているのだろうか? ピケッティの導いた結論と、まるでここは異次元ではないか。でもここは日本なのだ。この国から眺めたら資本論はどのように咀嚼できるだろうか?

    すべてのカラスは黒いという命題に、いとも簡単に反例をあげることができてしまう国だからこそ真剣に考えなければならない。日本人から見れば、この日本でおきたことを無視して、舶来品の21世紀の資本論としてただご拝領いただいて喜んで終わりというわけにはいかないのだ。てやんでぇ、いきがけの駄賃だ、ってんで、おフランス流を噛み砕いて日本の味付けにしなきゃと思えたのである。

    つづく

    全X回にわたってほぼ日で書き綴ることにした
    データ集めてちょっと真面目に書くよ!

    [財福主義]タグで書いていきます(予定)

  • 2015年を迎えるためにエボラとむきあう

    2014年のビッグニュースを3つあげるならエボラは外せない。残りはイスラム国とクリミアあたりかな。エボラは日本のニュースではあまりとりあげられないのだが、世間理解が不十分なまま国内で感染者がでるような事態になると酷いことになるので、素地ぐらいはつくっておくべきなのではないかとおもうのだ。まあ、でもSTAP細胞の騒動をみるとマスコミにその役割を期待するのも無理かもしれないが・・・

    さて。

    厚生労働省>エボラ出血熱への感染があり得る患者の発生について
    http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000070198.html

    シエラレオネから帰国した男性が、23日に帰国後29日未明に38.2度の発熱した。
    「埋葬に立ち会い、遺体が入った袋に触れた」とある。エボラで死亡した遺体とは書かれていないのでそれがどのような埋葬であったのかは不明である。
    明け方には37.2度に下がっているので、急激な気候変化と旅疲れが出た程度のものだろうと推測はされるのだが、23日は祝日であり、成田から都内の自宅まで移動されたことを考えると、もし感染者であった場合その潜在的な接触者数はもう追跡不能である。スーパースプレッドぱねぇことだ。

    30日にはエボラ陰性ということが判明したと続報がでた。件の男性はエボラにも効くというなんとか水を売るためにシエラレオネに入り、不注意からエボラで死亡した人の遺体袋に触れてしまったとあり、もうなにをどうコメントをしてよいかわからない人物であったようだ。

    また、29日の別のニュースでは英国スコットランド グラスゴーでシエラレオネから帰国した医療従事者がエボラ出血熱に感染していることが確認されたとある。
    http://www.afpbb.com/articles/-/3035411

    日本は島国であるから大丈夫だというのは、感染者が出た英国も島国であるという一例だけで否定できる。エボラはまだ西アフリカでは収まっていないし、倍々ゲームのように感染者が増えている。二次感染もアメリカでは既に起きている。先進国では大丈夫だというのは幻想だ。流行の被害が増えている以上、日本においても二次感染、三次感染が起きる可能性は高まりつつある。
    エボラについて無関心、知識なしでいるわけにはいかない。世界各地への伝播は現状においては時間の問題であるので最上位の注意感心が払われるべき事項である。
    知識なしで事態にのぞみ、初期対応での生物学的、物理学的な封じ込めに失敗すると家族間感染や医療従事者感染率が高いエボラでは人の動きを封じるしか手立てがなく、経済崩壊、医療崩壊がまっている。
    病巣の源泉となる遺骸も片付けることができずに文明が維持できなくなる。

    ウイルスと菌

    菌とウイルスはどちらもとても小さく区別されないことが多いが全く別のものである。
    ウイルスはちいさいとされる菌のさらに1,000分の1程度の大きさしかない。
    これは素焼きの植木鉢ぐらいの粗さであれば自由に通り抜けられる程度のサイズである。

    エボラはウイルスである。
    ウイルスは生物の最小単位である細胞を持たず、自身で増える活動をすることもないので生物の定義には当てはまらない。
    ゆえに、生物ではない。
    そもそもが生きていないので殺すことはできない。
    壊すことはできる。
    この壊す行為のことを不活化するという。
    殺菌、除菌という表現は菌につかうものでウイルスにつかうものではない。
    ウイルスは細胞に入って、入った先の細胞が増える活動にともなって増えるだけの居候である。

    エボラウイルスの場合はその不活化条件がちょいと厳しい。なかなか壊れない。
    60℃であれば30-60分、煮沸で5分。
    プラ、ガラス、金属の表面上であれば20-25℃で15.4hごとに37%減少する。
    つまり朝ついたのが晩まで経っても半分も減らないということだ。
    4℃なら50日超え保存(乾燥させた培地上細胞層内)ができる。

    この条件となると、自然界に放逐されたウイルスの自然不活化にはそれなりの時間がかかることだと予想される。

    WHOから最新情報をフォローする

    26日速報値からの計算

    Ebola response roadmap – Situation report
    http://apps.who.int/gho/data/view.ebola-sitrep.ebola-summary-20141226?lang=en

    リベリア 感染者 7,862 死者3,384 死亡率43% ※
    シオラレオネ 感染者 9,203 死者2,655 死亡率29% ※
    累積死者 7,693
    累積患者数 19,695

    ※ 死亡率は死者数を感染者数で割った単純計算したものである。感染者のうちこれから死亡するものは含んでいないため、エボラの致死率として発表される数値より低くなっていることに注意。

    参考までに1976年から2012年までに発生したエボラでの死者数/患者数は1590/2387=66.6%である。
    http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs103/en/

    24日発表の詳細レポート

    http://www.who.int/csr/disease/ebola/situation-reports/en/

    リベリア 感染者 7,862 死者3,384
    シオラレオネ 感染者 9,004 死者2,582
    アメリカ 感染者 4 死者1
    累積死者 7,573
    累積患者数 19,463
    21日間 1,488

    リベリアでは沈静化したようにも見える。

    リベリアの時間経過と感染者数の感染拡大期の推移を見ると、15人/月程度の初期の傾きと、150人/月程度のアウトブレイク期、2つの傾きが見てとれる。辺境村落から都市への感染が広がったためだろうか?

    今回のエボラは一国の首都にまで入り込んだという点でも特徴的である。リベリアは8月8日国家非常事態宣言 8月19日に夜間外出禁止令などを出している。11月13日非常事態宣言は解除されている。解除後増えて…

    直近21日間のレポートを見る限りシオラレオネの被害が特に酷い。この21日間で1,000名を超す患者がでていままさにアウトブレイク中である。潜伏期間を経たのちこれからギニア、リベリア並の致死率になるものと考えられる。シオラレオネは国家的な決断が必要であろう。


    http://apps.who.int/ebolaweb/sitreps/20141224/images/image009.png

    http://apps.who.int/ebolaweb/sitreps/20141224/images/image011.png

    人口密度と感染率

    リベリア

    人口 420万人
    人口密度 30人/km2
    感染人口比 0.19% (7,862/4,200,000)
    感染者密度0.07人/km2(7862/111,370)

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2

    シオラレオネ

    人口 600万人
    人口密度 82人/km2
    感染人口比 0.15% (9,203/6,000,000)
    感染者密度0.13人/km2(9203/71,740)

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8D

    東京都

    人口 1,339万人
    人口密度 6,120人/km2

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD

    日本は島国なので流行は中東やヨーロッパの後であろうと考えていたのだが、ヨーロッパでの感染数よりアメリカでの感染者発見の方が多いので、アメリカと交流文化的に近い日本はアメリカ経由で入ってくる可能性もある。

    人口密度が高い日本では一度入ってしまうと恐ろしいほどの勢いで一瞬でパンデミックになるかもしれない。ニューヨークの地下鉄にエボラ陽性患者が乗って、ボーリングに行ったというニュースがあったが、持ち込んだ人は運悪く感染してしまっただけなのか、それとも運良くそれが広まらなかったのかは天のみぞ知るである。

    感染率0.1%で流行にはいったとすると東京だけで感染1.3万人、死者6,000人が予見されることになる。これは人類の厄災としては被害が大きいのか少ないのか?

    日本でインフルエンザの感染者推計1,000万、直接死因214〜1,818人(2001〜2005年)、直接的及び間接的な死亡は推計で毎年約1万人とされている。そう考えると人口密集地でインフルエンザをやりとりして1万人死んでいる衛生環境に住まう民族であるので、日本人にはインフルエンザ程度の怖さだと割りきってしまうこともできなくもない・・・・・・。

    http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html

    まあ、それでもエボラなのだ。

    インフルエンザ 感染率 10% 致死率 0.1%
    エボラ 感染率 0.1% 致死率 66%

    この致死率の高さ。
    エボラのほうが結果被害は大きくなる。ちょっと寝こむ程度では済まない。
    患者との濃厚接触がある家族や医療従事者への感染率が高いのも特徴だ。
    治療する側が患者になってしまったのでは、ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのこと。ワクチンも無いために医療従事者も予防ができないのだ。そして薬もない。

    そして、もうひとつの特徴として体力の落ちているお年寄りや子供よりも、エボラでは働き盛りの方が死んでいる。
    http://apps.who.int/gho/data/node.ebola-sitrep.ebola-summary-age-sex?lang=en
    まあこれは、感染者÷年齢をすると多くなるというだけで、介護をした人が感染者になったりといった、人的交流半径の違いだろうと推測される。西アフリカでは公衆衛生の問題で乳児死亡率や年配者の寿命があまり長くないというのもあるかもしれない。

    家族や医療従事者への感染率はwhoあたりのページのどこかで見た気がするのだが再び見つけられなかった。英語での最新情報がみつけられなかったので厚労省のページから医療従事者の患者数および死亡者数を抜き出しておこう。

    http://www.forth.go.jp/topics/2014/11061501.html

    http://www.forth.go.jp/topics/141106_WHO_ebola_roadmap_table2.jpg

    患者数546人 死者 310人
    感染者のうち医療従事者が占める割合
    ギニア 88/1457 6.04%
    リベリア 315/2451 12.85%
    シオラレオネ 128/4057 3.16%

    この数字はどうであろうか?医療従事者の罹患率が%オーダーだとは思っていなかったな。高いね。

    医師・歯科医師・薬剤師調査
    http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kiban/chosa_tokei/eisei/sanshi.html

    東京都 医療施設の従事者 39,116

    日本の高度医療設備と高練度の人員は初戦は完璧に近い対応ができるであろうと期待される。しかし、指数的に患者が広がった場合、また、高練度人員が倒れ(斃れ)、高度医療機関そのものがコンタミ施設となってしまった場合、戦況が一気に悪化する可能性がある。
    シオラレオネなどでは医療崩壊がおき死体の収容もままならないと報道されていたが、そのリスクアセスメントは過剰ともいえる最適化が進んだ日本のほうが異常事態への対応のりしろは小さいように思う。

    インフルエンザとか

    インフルエンザもウイルスである。
    人類はインフルエンザウイルスに対して抗体を持っている。
    というのは抗体を持っていない人類は死亡したからだ。
    スペイン風邪というのはインフルエンザウイルスのことであった。
    感染者6億人4〜5000万人の死者を出し第一次世界大戦を終わらせたとも言われる。
    ちなみに、かつて黒死病でヨーロッパ人口の3〜60%(2〜3,000万人) が死亡したと推定されるペストは菌である。

    鳥インフルエンザ (H7N9)が昨年から今年はじめにかけて中国で50名程度確認されはじめていて、これもヒトヒト感染可能な型に変化がすすんでしまうと、スペイン風邪並みの死者がでるのではないかと懸念されている。ここでもやっぱり東京の人口密度が・・・
    http://www.who.int/influenza/human_animal_interface/influenza_h7n9/en/

    地震などの防災対策と同程度には、パンデミックには訓練が必要だよね。
    とくに、人々のリテラシーが心配。
    ウイルスを不活化といってもわかりにくいので表現として殺菌というような使いかたをすることはあるが、その本質的違いをわかっていないまま、除菌!だとか、完全ブロック!とかいう文言が平気でおどって、エボラに効く水とかいっちゃってるのが商売にできちゃうぐらいの世の中が心配です。

    エボラ出血熱は、発症段階で初めて感染力を持つ?

    厚労省のサイトに一文だけあった。本当かね?
    http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000070198.html

    ノロウイルスのように100個以下の極少量でも感染するウイルスと異なり、エボラは発症に必要とするウイルス量が多いのだろうか? そのようなソースをみつけられなかったので気になるところである。
    経口感染ではなく、体液などの接触感染なので・・・ということなのだろうか?
    感染はしても増えるより先に、体の免疫機構で壊してしまうため発症しないのだろう。
    ネット上にはエボラはわずか数個で感染するなどという、大腸菌とウイルスの違いもわかっていない胡散臭い情報もあるので注意が必要だ。

    なんで西アフリカであったかについての想像

    いったい西アフリカで何がおきているのだろうか?
    個人的推測では、2012年ごろに発生したかつてないほど深刻だと言われた飢饉が影響しているのではないかと考えている。大規模干ばつから発生した飢饉で数百万人が影響を受けたが、その影響の範囲は人間だけではなかったはずだ。動物もその生態系や活動領域の変更を余儀なくされたであろうし、また人間もいままで食べなかったようないきものを生きるためには食べなければならなかったことだと思う。

    食べ物が豊富であれば食べなかったであろう、病気で死んだ動物、例えばエボラウイルスを抱えたコウモリの屍肉を食べる機会があったのかもしれない。もしくはそれを食べた野生動物を捕食するなどということもあったのだろう。
    著しい衛生環境の悪化と、栄養不足による身体の抵抗力の減少は出血熱が蔓延するのに十分な素地があったとも言える。

    そして僻地での病気が都市部に入り込んで、人類はそこでもウイルスの物理的封じ込めに失敗した。
    感染者が助けてくれる病院を探すべく、タクシーで動きまわり、よかれと思って感染者を隔離したら病院に連れて行かれると殺されてしまうという原因と結果が入れ違った悲劇的な齟齬により、武装した家族が病院を襲撃して感染者を連れだすという自体に陥った。

    前者はいたしかたないにしても後者は教育がなされていれば防げた事態だ。しかし、日本で同じような事態がおきないとは言い切れない。でなければ、わざわざシエラレオネに行って発熱して帰ってきたライターだの水売りだのをただの偶発的事故として片付けなければならない。

    他参考資料

    エボラウイルス疾患について (ファクトシート)
    http://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2014/05091411.html

    ウガンダ:”マールブルグ出血熱”が発生――エボラと類似の感染症
    http://www.msf.or.jp/news/detail/headline_1748.html

    http://ja.wfp.org/news/stories/12-05

    http://www.phac-aspc.gc.ca/lab-bio/res/psds-ftss/ebola-eng.php


    PHYSICAL INACTIVATION: Ebola are moderately thermolabile and can be inactivated by heating for 30 minutes to 60 minutes at 60°C, boiling for 5 minutes, or gamma irradiation (1.2 x106 rads to 1.27 x106 rads) combined with 1% glutaraldehyde Footnote 10 Footnote 48 Footnote 50. Ebolavirus has also been determined to be moderately sensitive to UVC radiation Footnote 51.

    SURVIVAL OUTSIDE HOST: Filoviruses have been reported capable to survive for weeks in blood and can also survive on contaminated surfaces, particularly at low temperatures (4°C) Footnote 52 Footnote 61. One study could not recover any Ebolavirus from experimentally contaminated surfaces (plastic, metal or glass) at room temperature Footnote 61. In another study, Ebolavirus dried onto glass, polymeric silicone rubber, or painted aluminum alloy is able to survive in the dark for several hours under ambient conditions (between 20°C and 25°C and 30?40% relative humidity) (amount of virus reduced to 37% after 15.4 hours), but is less stable than some other viral hemorrhagic fevers (Lassa) Footnote 53. When dried in tissue culture media onto glass and stored at 4 °C, Zaire ebolavirus survived for over 50 days Footnote 61. This information is based on experimental findings only and not based on observations in nature. This information is intended to be used to support local risk assessments in a laboratory setting.

    A study on transmission of ebolavirus from fomites in an isolation ward concludes that the risk of transmission is low when recommended infection control guidelines for viral hemorrhagic fevers are followed Footnote 64. Infection control protocols included decontamination of floors with 0.5% bleach daily and decontamination of visibly contaminated surfaces with 0.05% bleach as necessary.

    http://ja.wikipedia.org/wiki/2014%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%A5%BF%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%83%A9%E5%87%BA%E8%A1%80%E7%86%B1%E6%B5%81%E8%A1%8C