カテゴリー: 考古学

  • 現代祭事の合理性(その4)

    1)神酒所設営、神輿、山車には、防災訓練に通じる合理があるのではないか
    2)樹齢の高いご神木には災害忌避地のエリアログとしての性質があるのではないか
    3)鳥居は、木造の自立構造を伝承するための技術現物見本としての役割があるのではないか

    などについて書いてきた。

    今回は、現代祭事から古代祭事ぐらいまでいっきにさかのぼって、お供え(神饌)について考えてみたい。
    祭壇やお仏壇に、お米や、お酒、お塩、お魚、野菜、果物、お菓子あらゆるものをお供えする。
    現在は様式化して、まあそういうもんだと形骸化、慣習化している。
    なんでお供えをするんだろう?

    なんで、そういう捧げ物の文化がうまれ定着したのだろうか?

    宗教性をとりのぞいたときに、そこに合理性はあるだろうか??
    お供えもの。その合理について考えてみたい。

     

    市場機能

    野菜や果物が並ぶ市、マーケットというのはどのような途上国にいっても見かけるものだ。市が開催されるようになることで、生産余剰を交換でき、貨幣が機能し、生産力の比較優位から結果として全体生産力が向上する。
    日本での市の歴史をみてみると、織田信長が楽市楽座で規制緩和をおこなったことからもわかるように、行政を機能させるためには重要なポイントである。
    鉄道や道路により物流に変化がおきるまでは、門前や参道はマーケットを開催するのに適した地であった。マーケットが開かれるからそこに神社が立つようになったのか、神社があるからそこに市が開かれるのか、その因果はどちらとも言えないが、多くの人が集まるポイントに特定誰かの住居ではない半ばパブリックな建築物があることには合理がある。
    収穫物の収集と集約と評価、分配という機能があるのではないかと考えられる。

    現在の魚市場や野菜市場は、全国からの集荷と、値決め、分荷が市場としての主な機能だが、古代都市は、集落、部族ごとの交易の場としての、マーケットにお堂をたてるのは合理性がある。

     

    品種改良

    マーケットに建てられたお堂、祠。これらは世界で類型がみられる。精霊信仰などとも大差のないものである。
    しかし、日本の土着宗教において、とくに特徴的といえるのは作物、収穫物の神饌、捧げ物である。

     

    ときに秋祭りなどでは顕著で、その年にとれた出来のいいも作物などを、神前に捧げたりする。
    これに合理性はあるだろうか?

     

    もしかして、400~800年頃の日本にいた偉人はその年の実りをあつめて、品質が良かったものを翌年に育てるということをしたかったのではないか?

    冷夏が続いた年には冷害に強い稲が集まり、干ばつが続いた酷暑のあとには渇水につよい稲が集まる。
    病害虫が続けば、それに強く生き残った稲が集まる。

    それらを捧げると称して、だまくらかしてでも一同に集め、品評して、そして縁起物だからと払い下げる。植物が自力でその植生範囲を広げるより圧倒的な速さでその子孫が増えていき、歴々強く多く実る作物に品種改良がおこなわれていく。

     

    日本に稲作伝承するまえは、栗や、栃の実など、どんぐりのような落実植物だが、これは品種改良をしようとしても、歳月がかかり無駄も多い。挿し木で分けてしまったほうが早い。が、稲の場合は1粒が1000倍にもなる。品種改良に成功さえすれば、その栽培効率の改善はおおいに期待してよいものだ。

     

     

    1~3世紀に存在した邪馬台国の有力地とされる纒向遺跡(まきむく)から大量にモモの種が出土した。
    祭祀に使用されたものと考えらていれるようだ。
    だから、祭祀ってなんじゃいな。説明できないものを祭祀で片付けるのよくないよね。

     

    山中で取れる自生の桃には現在のような甘いものは少なかっただろうし、苦味があるものもあっただろう。
    甘く果肉たっぷりのものがたわわに実るさまは栄養事情に乏しかった中世以前、まさに神の御業のごとく見えたことだろう。

    集めた種から、種苗育成をおこない植生を交換していく。より甘くなったものを、植え、さらに甘くなったものを探す。苦いけど病気に強いものと、甘いけど病気に弱いものをかけ合わせて、第一世代はどうなるか、など、研究しようとするならば不可侵の神域を定める必要がある。

     
    古代に農作物の苗や種を提供してくれる農協のような広域組織はない。
    化学肥料もなく、作物のバリエーションも少なかった。
    いまではあたりまえに食べられている、じゃがいも、やさつまいも、かぼちゃ、トマトだって外来野菜だ。野菜や根菜で日本固有種というのは実にすくない。

     

    冷害や渇水で作物が充分に収穫できないと直接生死に直結する。
    海外から輸入もできなければ、冷蔵庫もないのだ。

    弱者救済のための福祉や、再分配の要素。長老的な人物を祭壇に据えておくことで、これは毒キノコじゃ、こうやれば食えるというナレッジ共有、食育もおこなえたことだろう。

     

    感謝するとかの建前はおいておいて、その年に採れたもの、その中でもいいものを、一箇所にあつめることには、

    非常に理にかなっている。

     

    中世の歌舞伎では一年にいちどその年に上演する舞台の世界定めをおこなったそうだ。その年にとれた作物を集めて、翌年に育てる種苗の世界定めをすることは、実に合理にかなっている。

     

    参考

    市場の役割と機能
    http://www.shijou.metro.tokyo.jp/about/useful/

     
    奈良・纒向遺跡で大量の桃の種 邪馬台国の有力地
    2000個超、祭祀に使用か
    https://id.nikkei.com/lounge/auth/password/proxy/post_response.seam?cid=16244431

     

    神道Q&A♪ > お供え物…右?左?♪
    野菜をお供えするとき、向きはありますか?
    http://isuzujinja.blog103.fc2.com/blog-entry-275.html

     

    なぜ美味しい野菜ができるのか種農家に聞いてきた
    http://genryudaigaku.com/archives/2924

  • 現代祭事の合理性(その3)

    お祭りには防災訓練、準備としての機能。神社仏閣には地域住民が避難でき、城としても使えるような立地の合理性があることをみてきた。その3では、技術の伝播、継承の場としての神社仏閣を考えたい。

     

    日本を代表する出雲大社と伊勢神宮、諏訪大社間では掘立柱建物と、礎石・土台建物、高床建築や平屋建物などの建築様式の戦い、さらには稲作などの主食物の伝播の戦いであったとも考えることができるのだが主題からそれるので今回はおいておく。

    今回は、神社が技術の伝播や継承に重要な役割があったのではないかという示唆だ。

    式年遷宮のような露骨な伝承のことをいっているのではなく、注連縄や、鳥居のような些細な様式についてである。

     

     

    建築構造物としての鳥居

    なぜ鳥居が建てられるのかという問いに宗教的には結界で神威を封じる結界だとか、神様の領域の境界だという答えがあるかもしれない。だけども、それらの答えは現代科学のもとに生きているおっさんには、熟練技術者が新米に細かい説明がめんどくせぇし、言ってもわかんねぇだろうから「おまじないだから覚えとけ」って言い含められたのと似たようなものだとうがった見方をしてしまう。

     

    現代につたわる鳥居には何パターンかあるが、あれはいったいなんなだろう?
    共通要素はなんだ?
    鳥居の最低限の共通要素は、「自立している2本の柱と、それを繋ぐ2本の梁があること」だと考える。
    では、なぜそんなものを建てよう、建てたほうがよいと考えたのだろうか?

     

    鳥居の種類、分類はいろいろまとめられてはいるが(※文末に引用あり)、なぜそのように種類が増えたのか、なぜそのような構造物が建てられるようになったのか「そもそも」の合理性を説き教えてくれるものはない。
    なぜ鳥居を立てようと思い、それが様式として継承されてきたのか?

    そういう宗教だからという答えは思考の放棄だ。

    鳥居のようなものを建てたほうがよいと考えた故人が居て、それが継承されてきたからには、そこになんらかの合理性があったに違いない。日本人には見慣れてている鳥居だが、そもそもあれはなんだと考えたことあるだろうか??
    調べても鳥居についてはあまり資料がないのが残念。
    しかたないので仮説を立てる。

    あれは、歴史の一点に登場した、稀代のウイザード級ハッカー(連中)がつくりだしたテクノロジーをロストさせないための「おまじない」ではないか。

     

    なぜそのように考えたかというと、あんなシンプルな鳥居に、木造家屋をつくるのに必要な技術要素がてんこ盛に盛りのフラッグシップモデルになっているからだ。

     

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    これは近所の八幡にある木造の鳥居だ。
    メインの大鳥居は石造りなので木造の小さいほうを撮影した。
    ちょっと装飾がゴテゴテしているが、まずはこの写真をじっくりみて、いったいこれはなんなのか考えてほしい。
    木造6本足基礎石オス型屋根付き鳥居型。
    土台、基礎石の上に柱が立てられていて、それに横木の梁を通していて、上はのっかる形で留めてある。おそらくホゾが掘ってあって組み上げてあるのだろう。
    横梁が抜けないように楔(くさび)もみえる。金の円盤っぽいものは釘隠しだろうか?
    木が腐らないように、切口が金属でカバーされていて、この鳥居に限っては屋根までもついていて、わーぉって感じ。雨仕舞用の水切りや、垂木(たるき)の鼻隠しっぽいものまでついててやり過ぎかっ!って感じもする。
    でもね、こんな簡単な構造物に昭和ぐらいまでの木造建築物の主要要素の大部分を含んでいるんだよね。
    鳥居は釘や留め金をつかわずに組み上げられ、柱だけで自立している。

    つまり木造の鳥居を建てられるならそれを真似すれば普通の家の構造体も建てられることを意味する。
    作りを真似るだけでよいものが、誰からも見える場所にあるところがミソ。
    鳥居はそれだけで先輩職人の技を見て盗む、学ぶことができる見本現物だ。

     

    文字も動画もなく、学校も徒弟制度もなかった時代。
    技術を持っている職人が弟子を残さずその地域から移動したり、不慮の死などでいなくなるたびに、技術が当代のみでロストしてしまう。しかし、鳥居のような、このようにやればよいという見本、現物が残れば、それを見本教師とすることができる。

     

    鳥居は風雨にさらされ痛みも激しく、家よりも頻繁に修理補修がなされる。はずだ。と思う。
    傷んだ鳥居を立て直すたびに、構造が分解、リバース・エンジニアリングされて修繕した人物らに技術が伝播していく。余計な装飾がないので、構造を学ぶのに適した見本だ。
    その構造は習熟訓練の教材としてもとてもよくできている。

     

    鳥居を自立させるために、穴を掘ってそこに立てる掘っ建て建築様式や、添え足をつけて、基礎石建築どちらの方式をとるにしても、技術練度が低ければ鳥居を自立させることができないし、横棒(梁)を渡すことができない。
    低い技術力ではすぐに倒れてしまうし、横棒も上にのせたりでっぱりに引っ掛けたりするだけではすぐ落ちてしまう。

    日本は台風も地震もある地域だから石組みよりも倒れない木組み技術が必要とされた。
    もし、見よう見まねで自立する構造物を建てられたとしても、技術力が低ければ小さな鳥居しか立てることができない。その本質がわかっていなければ割り箸ですら鳥居を構造物として再現することはできないだろう。

    鳥居というシンプルなものを建ててみせるだけで、製造物の耐久テストをおこなうことで技術練度の公表もできる。

     

    ちなみにこちらは正面の石造りの大鳥居。

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    このサイズの石造りの鳥居を安全に自立させておくことができるのであれければ、杭打ビルも建てられるよね。

     

    伊勢神宮でおこなわれる式年遷宮は技術をロストさせないための工夫らしい。
    しかし、あれは大掛かりなピンきりでいったらピン側、トップノッチ連中のための技術の伝承だ。
    民草、民衆の家屋を立てるのに最低限必要な木造建築の技術はどのようにおこなわれたか?
    字が読めない人にでもわかるように、誰からも見えるようにするための教材としての鳥居だ。

    もしかして鳥居はそれとは知られずに文字にも指導者にも頼らず技術者の伝承につかえるすげぇ教材システムとして機能してきたのではないか。

    だとすれば、考えたやつすげぇと思うのである。
    まっ、買いかぶりかもしれないんだけどね!

     

    メス型鳥居

    上で紹介した八幡の鳥居は下側の梁が飛び出ているのでオス型と呼んでいる。
    でていないものはメス型と呼んでいる。個人的な命名。
    子ども頃に不思議におもっておとーちゃんに聞いたことによると主神が男なら下の梁がでているオス型、女神だとメス型だと言っていたが真偽はわからない。
    天照大神とか、弁財天とかはメス型なので、たぶんそれであっているような気もするけど、微妙に違う気もする。

    こちらは今話題の築地市場場内の鳥居。

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    石造り2本足自立掘っ建てメス型丸鳥居型。

    水があるところの神様は女の神様が多いので、たぶん女神のような気もするけど、どうでしょうね。
    魚河岸水神社かな。祭神は弥都波能売神(みづはのめのかみ)なので女神っすね。
    最近の建築物は石造りなので、鳥居も石造りのものが多い。
    コンクリートや、石材の加工技術がないと作れないが、2本足がたも恐らく昔はほとんどが木造であったものと考えられる。

     

    2本足なので、穴を掘って埋めてまわりを固めることで自立をさせている。
    電信柱のような建て方だね。

     

    竪穴式住居の時代からつかわれてきた建築方法だ。
    !!いまの、いままで縦穴式って書くんだとおもってたよ!!
    縄文時代程度の建築技術でも自立した構造物をつくれる。

     
    メス型の鳥居は下側の梁がとび出ていない。
    釘やカスガイをつかわずにこの梁を留めるためには、ホゾ組の加工技術が必要になる。
    上の梁も落ちないようにするためには同じ技術が必要だ。
    梁を2本渡すことで、斜め方向の揺れで倒れることがなくなる。
    もし、鳥居の梁が1本だったら構造体としてすごく弱いし、凸凹の受け側が逆になっても構造として安定しない。

    シンプルな構造にして洗練されている。

     

    豊洲に建造される神社の鳥居にはぜひ子々孫々のためメンテナンスのための地下ピットを盛り込んでほしい。

     

     

    白木鳥居

    こちらは福島県の大内宿にある高倉神社。藁葺きの建物群からもわかるとおり、タイムスリップしたような村。

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    より原初の鳥居の構造を現代に伝えているように感じる珍しい白木タイプの鳥居だ。

    木造2本足自立掘っ建てメス型白木丸鳥居型。
    とても特徴的な鳥居で、どちらも左が根っこ部分の太さを残したままのせている。

    内側から見れば左頭とかなのかな??

    ホゾ組もより原始的で、太い柱に細い丸太の頭をそのままつっこんで組み上げているように見える。

     
    余談だが、こちらの神社、内殿にあがっていくと鳥居が足6本のオス型になる。

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    オス型、メス型の混在は珍しいなと思った。

     

    朱塗り、黒塗り

    同じく福島よりさざえ堂があるところの中腹の神社。厳島神社。

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    一番最初に登場した鳥居と同型の6本足同型だが、こちらは朱塗り。

    木造建築物は朱塗りなど塗装をほどこすことで、より腐食に強くなる。広島宮島の厳島神社の鳥居は、満潮になると海のなかに建つが、もしあれが白木だとあっというまに腐食してしまうだろう。

    漆や柿渋や表面を炭化させたり木酢液をつけたりするだけで、腐食には強くなるので、そういう工夫、技術の集大成だろう。水場に近いところで、無垢の鳥居をたてておくことでアジャイルテストが繰り返された結果習得された技術かもしれない。

    ここの祭神は市杵島姫命は弁才天と習合されていてどちらも女神だけど、こちらもオス型。やっぱオス型、メス型は主神の性別じゃないのかな??

     

    朱塗りに対抗して、こちらは珍しい黒鳥居(黒門)
    井の頭公園のはじっこにあるやつ。

    写真が手元にないので、三鷹の観光案内所のホームページから


    http://www.mitakanavi.com/spot/park/inokashira_benzaiten.html

    枕木なんかと同じ木酢液による黒かな?それとも炭??

    井の頭公園は弁財天なので女神だけど、オス型。やっぱり祭神の性別関係ないかも・・・。

     

    鳥居の数が封じている社格だとか神威の強さを表しているとか聞いたんだけどほんとかね?
    本殿にいくまでに鳥居の数が多いほうが強い神様だとかなんだとか。
    伏見稲荷とかどんだけ強いんだよっていう。

     

    ま、ちょっと主題とずれちゃったけども、今回いいたかったことは、鳥居は大工(見習い)に構造体技術を伝承するための合理性をもった見本だったんじゃないかなという仮説でした。
    同様に注連縄とかも、藁で縄を編むものの技術見本。

    できるだけ太くされていて撚りの構造がわかりやすいようになっている。

    縄が伝承できるようになると、エリアログとなるご神木を切らせないための目印にできたり、一石数鳥だよね。
    場所によっては、編み上げた縄でさらにそこから編んだワラジとかが奉納されていたりするでしょ?

    そもそも御神体の鏡や剣なんかが、産業革命がおきるまでは最先端テクノロジーの塊。

     

    そんなわけで、神社仏閣っていうのはそのご当地の技術展示会を常設しているコンベンション・センターだったのではないかなというのが、今回の仮説でした。仮説だけぶんなげて証明なしで終了。

    どうかな?どうだろう??

     

    参考

    鳥居の構造



    http://blog.livedoor.jp/takamimusuhinokami/archives/421685.html
    魚河岸水神社遥拝所の概要
    http://www.tesshow.jp/chuo/shrine_tsukiji_uogashi.html

     

    福島県:歴史・観光・見所(ホーム)>飯盛山>厳島神社
    http://www.fukutabi.net/fuku/iimoriyama/itukusima.html

     

    井の頭弁財天(大盛寺・黒門)
    http://www.mitakanavi.com/spot/park/inokashira_benzaiten.html

  • 3万年前の人類はどうやって海を超えたのか

    3万年前というと縄文時代(前14000年頃 – 前数世紀)より前なので、旧石器時代にあたる。

    旧石器時代はたいした石器もなかった。そのため海をわたるにしても木材を加工することはできない。木材を加工できないのであれば舟には草舟をつかったのではないかと仮説がたてられた。
    そんで、草舟で海を渡れるかという実験考古学というものが実行され・・・見事失敗したそうだ。

     

    草舟の航海 自力での到着ならず 人類渡航の謎深まる 7月18日 18時21分
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160718/k10010600141000.html

     

    すげぇ楽しそう。羨ましすぎて、ちょっと妬ましい。
    嫉妬に焦がれて、ちょっとそんなわけないじゃんとか、言いっ放してみたい。

     

    動機からの否定

    古代人が海の向こうの見果てぬ島にわたりたいという動機をいだくだろうか?
    まず抱くのは、数百メートルのちょっと沖にいけば大きな魚が取れるという程度の動機ではなかろうか。

     

    手段からの否定

    舟、船の完成形を知らない古代人が、沖に出る手段として草舟を編むだろうか?

    加工できるのが草しかないのだからしかたないという理由で葦などの素材を選ぶ?
    舟(海の上に浮かぶ状態)の形に至るまでに、試行錯誤が必要だ。
    完成形がわからない状態ではリーンスタートアップ、スモールケースが実行される。テストファーストだ!アジャイル開発だ。

    一人が数百メートルぐらい沖にでるための手軽な手段として、草の束をつかうアイディアははたして、最初のテストに耐えられるだろうか?

    葦がなどが生えてる群生地に行って、葦を束ねて、それを使って沖に出る。使い終わったあとは充分に海水を吸った葦を浜辺に引き上げる。せっかくつくった造形物は、数日、もって数週間でダメになる。そんな悠長なことをしていたら旧石器時代は生き残れない。というか、そんな草舟を設計して力をあわせて開発する能力があったら、先に日常使いされている石器のほうが発達するよね。

     

    捕まえてきた魚を裁くよりも前の発達段階なんだ。魚を捕まえなきゃいけない。

    まず、使うのは周辺にあるものだ。

    浜辺に打ち上げられた流木や海辺側の倒木を使うだろう。浮き輪代わりに小脇に抱えて、数百メートルぐらい沖にでて漁をすることだろう。

    そのうち数人で漁をするようになれば、もっと大きな流木を使うかもしれないね。なんせ鉄器も石器も人類が手にしていない原始の地球。浜辺なんてきっと流木だらけだよね。

     

    流木だらけなのに、「そうだ、草で舟をつくろう!!」とはならないでしょ……。

    流木1択なのにむしろなんで草だなんておもったんだい?草舟、、出土してるの???

     

    現存物からの否定

    ポリネシアやミクロネシアにはアウトリガーカヌーというものがある。

    シーカヤックと呼ばれる外洋にでていける高性能なもので、左右に浮きをつけて、舟の安定をとる。
    西はアフリカ沿岸のマダガスカル、東は南米沿岸のラパ・ヌイ(イースター島)まで広まった痕跡がある。
    詳しくはスター・ナヴィゲーションとか巨石文明とかそこらへん調べて。

    http://www.izuoutrigger.com/about/index.html

     

    アウトリガーカヌー
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%8C%E3%83%BC

     

    で、これが伝統的なアウトリガー・カヌー。Pōpao

    https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e1/P%C5%8Dpao.jpg/800px-P%C5%8Dpao.jpg
    ・・・。

    木材加工の技術必要か?

    流木で充分だよね。

    草を縄で造形する技術などいらず、木の皮とか蔦で結くだけだ。
    そのうえ浮力も草を束ねたものより強いし、抵抗もすくないので早く漕げる。

     

    丸木彫りをする必要すらなくて、丸太にまたがればいいだけ。
    木を削らなくても、火が扱えれば、焼き落としたり、炭にして形を整えたりすることができる。
    また、それだけでなく炭化することで腐食に大幅につよくなる。
    木を彫る石器なんかいらない。それこそ貝殻で充分だ。

     

    科学的知見からの否定

    縄文時代は寿命が14~16歳ぐらいなので、まあよく死んでいたようだ。
    3万年も前にもなればもっと短いサイクルで死んでいただろう。
    15年1世代としても遺伝的には、2,000世代程なので現世人類と遺伝的変異は数%程度だろう。
    つまり、日本人と他人種ほどの隔たりはそこにはない。

     

    旧石器時代の人間を猿かなにか程度の知恵しかないと思っているかもしれないが、教育が施されていないだけで、個体性能としては現世人類と大した差はない。というより、そこで渡ってきたのが我々の祖先なわけだから、分岐前と分岐後、つまり人種以上の遺伝差がないことは簡単に推測できる。

     

    つまり、旧石器時代といっても、現在の日本人を教育を施さないまま島流しにした中二病ランドのようなものだ。

     

     

    で、最近は遺伝子検査がすすみ、Y遺伝子(つまり父系の遺伝子がどこをルーツとするか)を追ったハプログループというものが整備されてきたのだが、南琉球人は、Oタイプが多いことが見て取れる。

    ここからわかることは、中国大陸で分岐して渡来してきたのではなく、

    https://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup#/media/File:Map-of-human-migrations.jpg

    http://livedoor.blogimg.jp/livereak-gekiyaku/imgs/1/b/1bfd5242.jpg
    http://www.gekiyaku.com/archives/30621292.html

     

    それより前のインド東北部あたりで分岐し、東南アジアから島嶼部に分岐した人たちの子孫が多くいることがわかる。
    つまり、遠いご親戚は草舟じゃなくて、いまだにPōpaoつかってるぞと。

     

    だから、正しいアプローチとしては流木でアウトリガー・カヌーは作れるだろうか?という実験なんじゃないかな。

     

     
    一方、江戸時代の佐渡ヶ島の娘っ子は惚れた男に会いに行くためにタライ(桶)を船にして40キロの日本海を渡った。人間って結構なんでもできちゃうもんだよね。

     

     

    参考

    縄文人の平均寿命、男女ともわずか14.6歳だった
    http://karapaia.livedoor.biz/archives/51581310.html