カテゴリー: 社会

  • 妖怪はいつから墓場で運動会ができるようになったのか

    墓場として認識されている現在の形。
    四角い石でできた墓の歴史は存外浅い。ここ180年の事である。

    603年 冠位十二階
    646年 大化の薄葬令 薄葬令、公葬制 ← 豪族の大規模な墓の禁止、庶民土葬指示
    685年 冠位四十八階
    701年 大宝律令 ← 30位階制、喪葬令
    757年 養老律令 喪葬令 ← 庶民の墓の禁止
    1612年 寺請制度 ← 領民の戸籍管理
    1831年(天保2年) 墓石制限令(葬式石碑院号居士等之儀ニ付御触書)による庶民の墓石許可、 百姓院号禁止令
    1873年 火葬禁止令 ← 神仏分離令の関係でだされたが都市部で混乱が発生
    1875年 火葬禁止令を廃止
    1984年 東京都など土葬禁止(墓地等の構造設備及び管理の基準等に関する条例)

     

    薄葬令で豪族が古墳のように大規模化してきたトレンドにはじめて法律という形で終止符がうたれる。
    喪葬令では身分のあるものは墓(碑)を立てなさいよという指示がなされた、そして過度なものを禁じた。
    これと同時に身分制がつくられたので、身分のないもの(庶民)は身分のあるものと同じようなことをしちゃダメよという命で、事実上庶民は墓を建てることが禁じられた。階層的秩序導入の一貫として碑や墓石が禁じられたわけだ。

     

    そこから江戸時代に入り、寺請制度で戸籍(出生転入転出死亡)を管理するようになり仏教と近しくなった庶民。とりわけ地方の豊かな百姓が過度な院号をつけたり墓をつくるようになってしまい、時の政府、幕府は百姓の院号禁止を命じた。その時に同時に墓石の大きさの制限を命じた。「4尺(1.2m)よりでかくすんな!」と制限を課したわけではある。逆にそれ以下のサイズであれば墓を建てていいよということであり、これがどうも歴史上は庶民の墓(墓石)を許した日本でのはじめての制度らしい。これが180年前。

     

    由緒のある寺などに行っても、あって天保年間ぐらいでさして古い墓がないのはここらに由来する。偉人クラスでも後世に建てられた碑や墓のようなものはあったりするが、西洋の偉人のように「ここに埋めてあります(物理)」というような墓はほとんどない。徳川将軍家でも霊廟という形で寺と空間そのもので祀るものであり、墓石という形をとるのは将軍家でさえ明治時代まで存命し、神道形式で谷中墓地に埋葬された最後の将軍、徳川慶喜まで時代を下る必要がある。

     

    軽く調べるられる範囲で、検索すると、5代将軍徳川綱吉の母 桂昌院(1627年 – 1705年)京都府京都市西京区の善峯寺の墓ではなく遺髪の塚である「桂昌院廟」が、現在の墓石に近しいもののように見える・・・。

     

    http://akkamui212.blog86.fc2.com/blog-entry-663.html
    んー、石が新しそうだから再建かなぁ?

     

     

    http://blog.goo.ne.jp/oyamada920/e/0235c712ac6682805930d165c1682cbf

    増上寺の宝塔(こちらが墓)を見る限り、仏舎利、ストゥーパに近いものであり、現在のような直方体ではない。

     

    東京の祖師谷霊園や谷中墓地には、なかなかに古い墓はあるのだが、300年を遡るような古い墓は・・・?はたしてどうであったか。

     

    反例をなにかないかなと探そうと思って、徳川の前、豊臣秀吉の墓とかどうなっているのかなと検索してみた。負ければ賊軍とはよくったもので、そもそもの霊廟は墓は打ち捨てられていて、明治30年になってから再建されたもののようだ。哀れ秀吉。

    豊国廟
    中腹に葬られ、墳上には祠廟、山麓には社殿
    明治30年(1897)、秀吉の300年忌に際し、廟宇が再建され
    https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=250

    太閤にまでなった身分のある人でも山麓に葬るのが通常であったので庶民の墓など推して知るべし。もし、もっとも古い現存する現在のような四角い墓石を知っていたら教えてほしい。
    いったい誰の墓なんだろうか?

     

    個人の墓石

    うちのすぐそばに森鴎外や太宰治の墓がある。著名人の墓といっても明治以降まで生きた著名人でなければ個体識別可能な墓という形での碑はなかなか存在しない。
    これより前になってしまうと、土葬が主流だし、そもそも庶民には墓石が存在しないし、これより時代を下ってしまうと、大正中期からは墓地土地不足のために「~家の墓」と纏めていくスタイルになってしまい個人の墓ではなくなる。個人の墓石というと、大正時代から昭和初期のごく限られた時代。
    現代はさらなる墓不足のために、集合墓地や宗旨・宗派を飛び越えて、樹木葬だのまででてくる始末。郵パックで遺骨を送って、墓じまいをするだのの話題が社会問題として顕在化してきている。永年永代供養とはよく言ったもので、それまでそうじゃなかったらそう言う必要があり、永続性という観点からもそれは困難であるわけだ。

     

    古典落語などを聞いていると、土葬時の手順で、何周忌とかで棺桶の蓋が腐って落ちるから遺族であつまって掘り出して、仕上げるなんて表現がでてくる。なるほど、49日だとか一周忌だのには経験則にもとづいた合理的な意味があったのだなと思うよしである。土地の再利用というかなんというか。棺桶をつくったり埋葬しているならまだよし、雨戸に乗せて、野原に打ち捨てに行くとかまあいろんな弔い方法の風俗が落語程度の古さの口伝では残ってる。

     

    火葬が主流になるまで日本では、丁寧に埋葬するのでも土葬がメインで丸桶+座屈の埋葬地に重たい墓石なんて上に置いたら、腐って「仕上がった(落語風言い回し)」時に墓石ごと落ちこんでしまう。半生のときに掘り出したら大変なことになる(落語風言い回し、繰り返すが死者への冒涜とか悪意はない)ので、再度掘り出す時のための目印石がせいぜいであろう。

     

    今後100年、長期人口推移からみても、予定される死者数から大正時代から続く墓制度は大きく変わることは容易に想像できるが、じゃあ実際に墓がどう変化していくかの想像はなかなかつかない。いま多磨霊園にいくとかつての分譲地はどんどん小さくなっていっているし、それにともない墓石のトレンドもずいぶん変化したように感じる。

    土地用地の問題から山岳信仰的な山中埋葬に戻るような気もするし、遺伝子学的に生体サンプルだけ残しておけばいいやとか、今からは想像もつかない方向になる可能性もある。ま、どうなるんだろうねぇ。我々の生きてるうちの話しじゃねぇから関係ないかもしんないけど。

     

    キューブモノリス、四角い墓

    仏教はヒンズー教のリンガ(男根象徴崇拝)に強い影響をうけている。なので仏塔は円柱か円錐を模している。卒塔婆(仏舎利塔、ストゥーパ)からもわかるとおり、日本の墓も初期は屋根をつけたりして、いわゆる、えっと、そのような形であった。原始宗教として子孫繁栄を祈念する男女対になったりしているご想像の道祖神に近い。

    ちなみにこちらは昨日畑から届いたご立派様である。ぼくは人参の写真を貼っただけで、なので、ある。

     

    ま、、、なので当然、四角くはない・・・はずなのだが。

    まあ、「何言ってんのコイツ?普通は四角いよな??」っていうなら、わしゃあ全力で土下座せにゃならん・・・が、四角くなったのは、石材屋さんの切り出し都合であろうなというのは想像に難しくはないのだが、他に理由がなにかあるだろうか?地震や雪で屋根をつけてもすぐ壊れちゃうとか、そういう理由で先端部分の屋根がとれていったのは想像はつく。しかし、なぜ四角四面になったのだろう?

     

    水戸黄門が1692年に兵庫県神戸市の湊川神社、楠本稲荷神社に建てさせた楠木正成(1336年没)の墓。

    「嗚呼忠臣楠子之墓」と墓石に直筆を刻ませて碑石を建立している。水戸光圀公の時代からすでに数百年前に没した人物なので墓というよりは碑である。これが当時たいそう人気になったそうで参拝名所になったそうだ。さすがご隠居さま。名プロデューサーである。で、この「墓」、四角くてなんか「~之墓」も「四角い墓」も日本の初めてを探すとかなりの確率でたどり着いてしまうこの爺さんが四角い墓の犯人なんじゃねぇかという疑惑が・・・。

    もしかしたら碑というよりは、馬鹿でかい篆刻(印鑑)なのやも。

    http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic27.html
    http://www.minatogawajinja.or.jp/history/

     

    西洋の墓

    特にキリスト教圏は、来るべき最後の審判、復活の日のために土葬すべしという風習がある。そのため、後世になってから再評価されたような偉人でも墓というのを各所で確認することができる。
    ゾンビとかドクロとかあいつら好きすぎんだろと思うのだが、骸骨寺とよばれる納骨堂が骸骨で彩られた教会というのが実にあちらこちらにあることを考えれば文化的背景から当然なのかもしれない。

    もっとこれらの墓も東ローマ帝国後期(1204年 – 1453年)や黒死病(1347年ごろ)以降なので、せいぜいが4~500年程度なのではあるが、それでも遺伝子検査するねってレベルで墓所が残っているのはすげぇなと思うのである。

    科学者 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1515年頃没
    文筆家 ウィリアム・シェイクスピア 1616年没
    科学者 チャールズ・ロバート・ダーウィン 1882没
    画家 クロード・モネ 1926年

    教科書にでてくるような人物の、「ここに埋まってます(物理)」は、ちょっと日本人からすると、新鮮な驚きがある。1888年の切り裂きジャックのDNA検査して犯人特定したとか、ありえないじゃないですか。

    吉田兼好ここに埋まってます、とか、俵屋宗達はここですよとかはちょっと日本だと無いじゃないですか。
    まあ、石の文化圏の話しですね。日本も仏像の中に塗り固められたりするのかな?

     

    風化と腐敗

    日本は風土の関係から木材だけでなく、腐るのが早過ぎるんですよね。
    高温多湿なだけじゃなくて、多雨と冬場の寒さと夏の暑さ。
    岩石の風化年数(化学的風化、物理的風化)は何年なんでしょうか?ちょっとぐぐった範囲ではみつけられなかったけど、構造物としては日本だと1000年持たない気がする。超高層ビルとかは限界耐用年数300年想定ときいたことがありますが、墓石も自立構造物として残れるのは300年ぐらいとかなんじゃねぇかな?どうだろう?どうなんですか??

     

    東京都 「墓地等の構造設備及び管理の基準等に関する条例」
    http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1010893001.html

    土葬(死体(妊娠四箇月以上の死胎を含む。)を土中に葬ることをいう。以下同じ。)を行う場合の墓穴の深さは、二メートル以上

    なんで2mにしたんだろうか??

    好酸素菌である腐敗菌が活動できるのが地下30-50cmぐらいの深さまでなので、2mもの深さに掘ったら、腐敗菌が生息できる有酸素土壌より下になっちゃって腐敗にすごく時間かかかまったく腐敗しない可能性が・・・。コンポスト(生ごみ堆肥製造機)とかでも、深く掘り過ぎると、腐ってなくてやり直しになったりするんだけど、今も深度2mで昔みたいな掘り返し運用していないのだとしたら、結構怖いことになってるんじゃないかと思った。1980年からだから・・・。あー・・・。まあそんな運用されてないのかな。。。。

     

     

  • どこのだれだかを識別するための記号としての名前と歴史

    明治維新以降100年かけて増えた人口はこれからの100年でどかんと戻る。

    日本長期人口推移2015-12-15 19_10_48
    http://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf
    総務省 我が国における総人口の長期的推移より

     

    人類史上このような大規模な人口減少というものは、破局噴火が理由による飢饉や黒死病などのパンデミックを含めても歴史上類を見ない。75,000年前のトバ山のカタストロフィ破局噴火来だ。もしかしたら情報爆発というのは、噴火と同じ程度のパニックを人類にあたえているのかもしれない。

    人口減少、多老化は、未来の各年齢の最大値が決まっている確定事項なのでどうしょうもないとして、問題はそれに伴い何がおこるか?である。

     

    近代のシステム、政治システムや、社会保障、または企業の雇用形態、義務教育の形など、仕組みと呼ばれるあらゆるものが明治維新以降につくられたものである。明治維新から2004年に人口がピークを迎えるまで一貫して急激な勢いで人間は増えた。その増える仕組み下で社会を回すためにどんな仕組みがつくられたか、名前や戸籍を中心に歴史をみてみよう。

     

    戸籍制度など人々の身分を示す仕組み

    1612年 寺請制度 移住、婚姻、死亡時にその地域の寺に請証文を書かせる(←合法的な転居制度の確立)
    1871年 戸籍法
    1875年 平民苗字必称義務令
    1947年 戸籍法(現行法) 戸籍に入った原因と年月日で個人を記録
    1967年 住民基本台帳法 氏名、生年月日、男女、世帯主や続柄、戸籍や本籍、住民となった年月日
    1985年 グリーンカード構想(廃案)
    2015年 マイナンバー法施行
    2016年 改正マイナンバー法施行

    2015/12/16、つまり今日、最高裁判断で夫婦別姓は合憲という判断がくだされた。
    昨今は女性の社会進出が盛んになると夫婦別姓の議論がされるようになったが(労働人口的にはほぼ今がピーク)、そもそも平民に苗字を名乗ることが許されるようになったのは急激な人口増加がおこった1875年。遡ること140年前である。

     

    それまでは江戸八百八町とよばれる世界最大の都市でも、「本郷八百屋お七」だの、「質屋遠州屋梅乃」だのと「在所+屋号(生業)+名前」とするだけで、どこの誰だかを一意に特定できた。
    産業革命後、工場制手工業から工場制機械工業に産業の主体がうつると、雇われ労働者が増え、人々の所在も動くようになる。「どこの誰べえ」だけでは特定できないようになってしまった。
    で、平民にも苗字をあたえて、居住地ごとに戸籍管理をしていく。「苗字(ファミリーネーム)+名前(ギブンネーム)」で、特定するようになった。
    さらに社会がすすみ数万人単位の会社がうまれてくると、「どこの」「どちらの」が所属を意味するように変わる。
    サラリーマンなら誰しもが持っている名刺という文化をとりあげても「会社名+所属部(+課)+役職+氏名」までが個人の特定情報に必要なものになったしまった。かつて有力氏族のみがもっていた「苗字」という勢力をあらわす記号を「企業名」が代替するようになる。氏名のうち、苗字が結婚などにより変わってしまうと混同や特定が困難になり経済的損失をこうむるってんで、夫婦別姓が議論されるようになった。住まう場も所属もかわりうる現代において、場所と名前だけで一意個体識別できない以上、苗字の変更は社会的立場の消失につながりかねないからだ。

     

    海外の歴史をみても、ナザレのイエスのように、「地名+名前」程度で識別が可能だった時代から、ファミリーネームやミドルネームだの洗礼名だの短縮名だの、時代を追うごとにいろいろ増えている。定住地を持たない民族などでは、親の名前を先入先出法でエンキュー、デキューしていく方法などもある。例えば、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ・イブン=アブドゥルムッタリブ(アブドゥルムッタリブの息子アブドゥッラーフの息子ムハンマド)「本人名+父名+祖父名(+部氏族名)」など。サウジアラビア、アラブ圏や~スタンのペルシャ語圏などでみられる。父親名や母親名を継承し、名前のチェーン数を増やす(フォローキーを増やす)ことで一意に特定できるユニークキーにしているわけだ。

     

    日本も人口が一国で1億人とか超えると、もはや、名前という伝統的な限定数のハッシュキーだけでは、個体識別が困難になってきた。戸籍ではふりがなを必要としないハックを利用して、読み方で差をつけるキラキラネームが増えたのなんかは同名の存在で苦労した親世代の現れなんじゃないかとも考えられる。

    大規模にお金と人を突っ込んでも、社会保障の名寄せができなかったことは既に立証済みだ。もはや氏名だけでは特定できなくなっている。だから運営のためには16桁の番号が必要なのだ。名前や戸籍は、我々人類の数が増えてきたことに由来する仕組みによる解決法なのである。

     

    でも、それもこれも人口が増えてたから必要なしくみなのである。これからの100年、日本では極端に人口が減る。今、我々が常識だとおもっていることの大半はこの100年の急激な人口増加という文化背景のもと培われたことだ。

    これまでの常識よりももしかしたら、コミュニティの広さという意味では江戸時代ぐらいが近い。

     

    そうなったら何がおこるか??

     

    人口が減少し、さらにはフラットに世界と繋がったネット社会になると、「あざな、いみな」なんかがハンドルネームとして復権してくるかもしれないね。真名(マイナンバー)がバレると魔法に掛けられちゃう世界。いや、まあ冗談だけれども、まー、それくらい現代からすると突拍子もない社会的知性の変化が訪れるんじゃないでしょうーか。

     

    さ、どう思います?

  • 地方活性化どうこうに見る違和感の正体

    先日RESASをつかった「地方創生 政策アイデアコンテスト2015」というものがあり、地方創生なるものについて考える機会があった。

    RESASであなたが見つけた「課題」と「アイデア」で地元を元気にする!
    http://expo.nikkeibp.co.jp/bdc/resas/contest2015/
    地元を元気にしたいんじゃー!

    自分がデータを眺めて分析したところ、結構おもしろいことがわかったのだけれども、身も蓋もない結論になってしまった。応募したんだが選外だったようだ。詮なきこと。せっかくなので、調べたデータを何回かにわけて紹介していきたいと思う。

     

    でもその前に「地方活性化」なるものの定義が曖昧なのでそれについての問題意識を共有しておきたい。

    やる気がある状態とない状態

    ハーズバーグの二要因理論をご存知だろうか?
    やる気がある状態や、やる気がない状態は一直線上にあるわけではなく、動機付けの要因と衛生要因に分解される。
    従業員のやる気について言われていることは、給与水準が平均より低いと衛生要因が悪化して不満足があがるが、給与をたくさんあげたとしてもモチベーションには結びつかないことが知られている。

    飲食店への満足や不満足

    満足要因:ごはんがおいしい、心地良い空間
    不満足要因:料理が不味い、トイレが汚い、愛想の悪い店員

    トイレだけをどんなに綺麗にしても飲食店としての満足とはならない。不満を稼ぐポイントと、満足を稼ぐポイントは異なるのだ。満足を覚える点と不満足を覚える点は同時に存在する。

     

    健康と不健康の定義

    健康:肉体的にも、精神的にも、社会的にもすべてが満たされた状態(WHOの健康の定義)
    不健康:病気である

    ただ単に病気から回復した状態をもって健康であるとは言わない。

     

    慰めるのか奮い立たせるのか

    「XXが死んじゃったの」 ← 慰めを必要としている
    「なんか面白いことないかなー」 ← 景気付けを必要としている

    沈みそうな船と早く進みたい船

    沈みそうな船 ← 嵐だ帆をタタメ! 船底から水をかき出せ!
    早く進みたい船 ← 帆を張れ! 船の外を漕げ!

    化学反応

    一酸化炭素(CO):酸素たんないわー
    二酸化炭素(CO2):安定だわー ←化学的にはここが不活性
    三酸化炭素(CO3):酸素あまってるわー
    酸素が足りない状況からニュートラルな安定状態にするのと、酸素を吐き出させるような状況をつくるのは反応経路や投下させるものがまったく異なる。一直線上にはまったくない。

    地方不活性化と活性化

    お金、人、仕事がたんない!! ← 不活性都市(?)
    お金、人、仕事はあるけどね? ← 活性都市(?)
    お金や仕事がないと叫ぶ都市にお金をつかって、人をなんとか移住させようとして、活性化を目指すの?
    でも、その不活性と活性は連続した直線上にはないよね?
    風邪で寝込んでいる人に「毎日のランニングは健康にいいですよ走るべきです」と勧めてくる医者がいたらどう感じるだろうか?
    親族を亡くして落ち込んでいるひとに、「宴会芸を披露して楽しい気分にさせよう!」とする友人がいたらどうだろう?
    嵐のなかで沈みそうな帆船を「沈むより早く進めば大丈夫だろう!」と帆を張る船長がいたらどうだろう?
    一酸化炭素中毒が怖いからと「酸素を足し続ければ酸素を生み出す物質になるんじゃないかな」と密室で一酸化炭素相手に酸素を足し続ける化学者がいたらどうだろうか?

    死ぬ前に目を覚ませ。どうかしていると言わざるを得ないが、こと「地方創生」という獏としたマジックワードのもとではおなじようなことが起きているように感じる。
    人が住んでられないと出て行く要因と、人が集まる要因は異なる。一直線上にはない要因だ。
    ネガティブループをとめるための方策と、ポジティブループをすすめるための方策は異なる。
    地方活性化?
    現段階でもネガティブな向きではあるが既に活性状態にあるといえる。

    地方創生の定義
    地方が成長する活力を取り戻し、人口減少を克服する。
    http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kyouginoba/h26/dai2/siryou1.pdf

    年寄に若々しい肉体を再び授けようと約束しているような怖さを感じる。
    成長する肉体は成長期のものだよね……。
    地方活性化の定義を「財政的にも、居住環境も、将来展望もすべてが満たされた状態」だと仮に定義するならば、何がネガティブ要素で、どこがポジティブ要素かも切り分けは比較的容易だ。

    若返りの薬をひたすら求め、胡散臭い山師に騙され続けるのはそろそろ辞めにしていただきたいところ。
    そこに夢だの希望だのはあるかはおいておいて、何がおこっているかは統計データがおしえてくれている。