月: 2017年1月

  • ひたすら延焼していく豊洲市場問題

    いままで検出されていなかったデータから、環境基準の79倍ものベンゼンが検出されたそうな。

    いままでの環境基準というのは飲んでも問題ないという飲料水としての環境基準であったが、今回は、工場とかが排出してもよいとされる排出環境基準も10倍こえる程度のとてもとても高い濃度である。


    これはかなりものすごい数字で、お風呂一杯にラー油を一滴垂らした程度の濃度で検出されたってこと。
    ぶっちゃけ肉眼でみてわかるレベルで油膜ができているはずだ。

    観測井戸は10m間隔で設置されているが、10m×10m×1m(10万リットル)の地下水を前にこの濃度を出そうとすると79gのベンゼンが必要。

     

    ※計算根拠
    環境基準が0.01mg/リットルなので検出したのは0.79mg/L
    お風呂一杯(160リットル)相当だと121mg
    ラー油一滴をざっくり0.1mlとすると100mg
    0.79mg/L×10万リットル
    ベンゼンの比重0.88とすると、79g→90ml / 10平米 → 油膜0.009mm

     

    第9回のベンゼン類観測の跳ね上がりぐあい。

    第9回でどかんとあがっている。

     

    左下とかに第8回からあがっている箇所もあるが、縦軸のメモリのスケールが違うことに留意してほしい。

    経過から2年経ってから、このような検出をするのは科学の常識から考えるとこの数字はちとありえないという専門家会議での科学者のみなさんの感想は素直なもので、自分の感想もこりゃねぇーわというものだ。

     
    これを事実として、おもいつくのは

     

    1.  いままでの取水方法に問題があったか、測定方法に問題があった
    2.  今回の取水方法に問題があったか、測定方法に問題があった
    3.  新たにベンゼンが発生する油田が生成された
    4.  地下水の組み上げポンプが動いたことにより油膜が破けた
    5.  報道陣に地下ピットを公開したタイミングとかでぶっこまれた

     

    こんなもんかなー?

     

     

    1.いままでの取水方法に問題があったか、測定方法に問題があった

    第4回 豊洲市場専門家会議 終了後記者会見(12分のあたり)を聞く限り
    https://www.youtube.com/watch?v=ZGoAiE-ShQc
    過去の調査分析会社は計4社が担当しており、
    第1~3回 5、6、7街区 1社
    第4~8回 5,6街区   1社、7街区 1社
    第  9   回 5、6、7街区  1社

    だそうだ。1~8回の分析には3社が関与している。

    ここに問題があるとすると3社の談合が必要。

     

    分析データはこちらに公開されている。
    地下水のモニタリング調査
    http://www.shijou.metro.tokyo.jp/toyosu/siryou/monitoring/
    計量証明書を覗くと一部印影が塗りつぶされているけれども住所番地とかから伺いしれるのは、かなり大きな分析会社なのでサンプルの取扱に難があったとは正直あまり考えられない。
    取水過去については、工事とセットだったりいろいろだそうだ。(動画20分のあたり。)

    ぶっちゃけ取水には嫌疑がのこるけど取水ミスは外野からも、専門家委員会も過去にさかのぼって検証は不能。
    検体も残ってない。

     

    2.今回の取水方法に問題があったか、測定方法に問題があった

    まだ第9回のデータは公表されておらず、計量証明書もつけられていない速報値なので、なんとも言えないが、今回だけ別の新規の会社で、一般競争入札での落札だそうだ。
    泥の分離とかがうまくいっていないでデータが増えることはあるであろうと思われるが、それにしては検出された値が大きすぎる。

    ただ、値がおおきいので、現況の観測井を確認することで比較的容易に確認できるものと思われる。これだけ大きな汚染値がでたものが1~2ヶ月でなくなるのは考えにくいので追証可能なものだとおもわれる。

    専門家委員会の先生方が調査するそうで、正しい判断だとおもう。

     

    3.新たにベンゼンが発生する油田が生成された

    地下の空気も太陽光もないようなところで、嫌気性藻類オイルでボトリオコッカスとか、メタンアーキアとか由来じゃないかとかが活性化をはじめたんじゃないかとかだったら、ちょっと夢がある。が不謹慎。この埋立地は舞浜ではないので夢の国ではないのでただのブラックジョーク。ごめんなさい。

    ただ、表層土壌をとりのぞき、土を焼いて入れ替えるような処理をしている土地で操業停止から年数も経っているのに新たにベンゼンが採れるのであればそれは夢の永久機関だよね。

     

     

    4.地下水の組み上げポンプが動いたことにより油膜が破けた

    地中でマヨネーズみたいにエマルジョン安定になっていた油滴が地下水管理システムによる地下水汲み上げによる地下水移動により、表面膜が壊れて観測井付近で広がった可能性。にしては、値が大きすぎるんだよね。二年間、つゆとも解けず、どんだけ安定だったんだよと。

    観測井の間隔が10m四方なので、帯水層を1mとしても、この領域の地下水(10万リットル)に79gのベンゼンが必要。
    車でも埋まってるのかな・・・?

     

    5.報道陣に地下ピットを公開したタイミングとかでぶっこまれた

    まあ、陰謀論のたぐい。

    観測井ってどこにあるんだろう?地下ピットとかと同じ層?

    環境基準の10倍以上でたのは、水産仲卸売場棟の地下左辺だけれども報道陣とかに公開したのはどのあたりかな?


    まあ故意にやろうとしたら、ちっこいペットボトル一本分をどぼどぼなので、よっぽど。

    けど、観測井付近だけにちょいと垂らすだけなら、一滴だしね。

    観測井直径50mmのただの鉄パイプの鋼管っぽいので、ま、ちょっとガソリンとかふんずけた長靴によるコンタミで充分な気もしなくもない。

     

     

     

    やれやれ。ほんと、都政は火が燃え広がるばかりで落とし所が全く見えないね。

    5900億円にこれからの損害が1000億単位、環状二号線まわりを勘案すれば豊洲市場問題だけで1兆は新たな予算手当が必要そうで、東京都の流動資産そんなにないから、たぶんどっかにおっつけて終わるんだろうけど、民主主義のコスト高いなぁと。
    いろいろ思う所はあるけれども、今回は第4回 豊洲市場専門家会議の結果をうけてだけにしておきます。

     

    参考

    第4回 豊洲市場専門家会議(1/2)資料分析~質疑応答
    https://www.youtube.com/watch?v=DKNtHMI4x5U&t=23s

     

    第4回 豊洲市場専門家会議(2/2)宿題報告~質疑応答
    https://www.youtube.com/watch?v=ObYZB6DDIP8

     

    豊洲市場における土壌汚染対策等に関する専門家会議
    http://www.shijou.metro.tokyo.jp/toyosu/expert/

     

    市場問題プロジェクトチーム
    http://www.toseikaikaku.metro.tokyo.jp/shijyoupt-index.html

     

  • センター試験の英語ができなかった

    もう20年もまえのことだが、いまだに覚えている。

    翌日新聞にのった解答で自己採点をしていって、たしか97点だった。

     
    200満点中で。

     

    欄がずれてるとか何かの間違いなんじゃないかなと思って見直したときの絶望感。

    なにやら「便所にしまった大量の砂糖がベタベタになっちゃって超うけるぅw」とかいう長文を読まされてココロが折れ、自分は一体何を読まされているのだろうかと混乱して何やら薄暗いところでにゃーにゃとないたことだけは覚えている。
    わがはいは理科系なので、高校では古文とか漢文は選択履修もせず、いっさい勉強もしていなかったぶっつけ本番の国語ではなぜか190点ぐらいとれたのとはうらはら、あれだけ勉強したつもりになった英語ははちゃめちゃだった。

     

    英語にはいまだに苦手意識しかない

    高校生のころ英語が苦手すぎて、ラテン語とかから覚えれば知らない単語でも意味が推測できるよとそそのかされて単語を覚えたり、なぜか姉から貰ったアラビア語入門のテキストが机あったりして、方向はだいぶ間違っていたとはおもうが、塾にも通ったりしたし世間の受験生なみには勉強はしたつもりだった。
    グローバル化をむかえる日本社会において英語の学習は必須だそうだ。

    が、自分は英語に対する学習意欲というのをいまだに持てないでいる。

    社会人ならTOIECぐらいはうけたほうがいいと言われて、みんなが一生懸命勉強するTOIECというものは、どんなものだろうかと受験したこともあるが、こちらも400点代だった記憶がある。たしかヒアリングが350点ぐらいで筆記のほうが百数十点。筆記は時間が全然たりずうわーってなった。自分の実力を把握したことで、一般事務職希望の女の子とかが履歴書とかにTOIEC950点とか書いてきてるのをみて、はへぇ、すごいなぁと感想をいだけるようにはなった。

     
    で、サラリーマンになってから数年。

    本業ではまったく必要なかったんだけど、語学これじゃだめだなぁと思って、意を決して語学教室に通うことにした。

    で、中国語を習いはじめた。十年以上前の中国躍進が目覚しいころだったかな。

    台湾出身の先生にいままで教えた生徒のなかで一番発音とかが上手いと言われるようにはなった。で、とりあえず、どんなもんかと中国語検定の3級を受けてみたが、それ用の勉強をしてきたわけでもないので案の定落ちて、まあこんなもんかと、忙しくなったのもあいまって習うのも辞めてしまった。これ以上は用に迫られてからでもいいやと。

     
    中国語を勉強しようとした動機は、20歳ぐらいのときに夏休みに中国一人旅して、言葉がまったく通じなかったという体験があったからだ。「多少銭(これいくら?)」という単語を中国人が言うとおりにリピートしているつもりなのだが、現地人にまったく聞き取ってもらえない。自分にはこれが新鮮な体験で、自分の耳には彼、彼女らが言うとおりに発音しているつもりであるのにできないというのが悔しかったのだ。そんな体験があったから学習の必要を感じたのだ。だから、発音に目星がつけばもういいやと。

     

    英検3級は持っている

    中学2年のころに取ったのだが、このころにはまだ英語に対して学習意欲があったのだと思う。
    思えば、中二ぐらいが分岐点だったかもしれない。そのころ親が英国で働くようになり自分も夏休みとか冬休みにはむこうに行くようになったのだ。それから、大学入試センター試験を迎えるまでには二桁回数ぐらいは英国に行っているし、通算なら1年以上滞在しているんじゃないかと思う。向こうの家までいくのは無論一人で電車で乗り継ぎだし、ショートホームステイもしたことあったし、16歳の頃には英国内を一人旅で観光できる程度の英語力(?)はあった。だが、逆に言えば、たぶん、そういうのが受験英語にはよくなかったのかもしれない。

     
    一般的な高校生が持つ体験とだいぶ異なってしまったのだ。出題者がもっているであろう常識とも。

    米国ではなく英国。これがロンドンシティとかのほうなら違ったのかもしれないが自分はウェールズに近いほう。いってみれば英語の青森弁だ。コックニーですらない。一人旅したのもスコットランドの方。北で「サマーバケーションで日本から来てるんだ」と言えば、「バケーションなんてアメ公みたいな言葉をつかうんじゃねぇや、ホラデイだ!」と爺さまに怒らるような世界に足をおいてしまった。

     
    あるとき、駅のホームに数人しかいないような田舎で電車を待っていたら、同世代の高校生ぐらいの女子に声を掛けられた。

     
    「ねぇ、ペグもってる?」

     

     

    (あぁ・・・。ペグね。)

    その頃ギターをやっていた俺は、あのギターの先っちょについている糸巻きの事を思い浮かべた。

    持ってるわけねぇだろ、と。

    ペグに他の意味はあったっけかと一生懸命考えた。ペグ、ペグ。

    犬が思い浮かんだ。わんわん。

     
    「ペグってなんだ?」って、聞いたらなにやら手元のノートに書く仕草。

    それってば俺が「ペン」って認識している奴ではないのか?

     

    I have a penと言えればよかった。

    I have an appleと言えればよかった。Ahan!

     

     

    ちょっとステップふんで踊って回れるだけのユーモアがあれば彼女とも友達になれたかもしれないし、世界でも人気者になれただろう。だが、「でゅふ、ごめん、持ってない。」としか答えられなかった。

     
    あるときは同世代の2人組みの女の子から「今何時?」ときかれたこともある。

    そのとき俺は確かに腕時計をしていたが、こんな田舎でも時計なんてそこかしこにある。ちょうどすぐ近くにある時計塔を指して応えた。「あそこ見りゃ時間はわかるぞ」って。が、今思えば、もしかしたら彼女らは「時間ある?」と聞いたのかもしれないし、その真意は、その地域では珍しい外国人とちょっと話してみたいぐらいの好奇心だったのかもしれない。が、そんなコミュニケーションスキルはもちあわせていないのである。
    あぁ、英語ができれば!

     

    コミュニケーションお化け

    理系男子と比較するまでもなく、世のおばちゃんはコミュニケーションスキルが規格外の場合がある。うちの母親もそんな感じで、言葉がどうとかいうハンデとか、尻込み、ためらいが無い。高校生のあるとき、わしは見てしまったんじゃよ。英国でうちの母親が隣のおばちゃんと会話している様を。

     
    母親は日本語で話していた。隣のおばさんは英語で喋っていた。

     
    何を言っているのかわからねぇとおもうが、それで会話が成立していたんだ。なるほどこれが異文化コミュニケーションって思ってしまったんだ。伝えたいことや、共通で認識している暗黙知があるから会話が成立するのであって、その上に乗る言語というバーバルプロトコルは意思疎通にほんの数割も必要ないんじゃないかって。

     
    そういえば、従兄弟に尋ねられたことがある。

    従兄弟は小学生低学年のころアメリカに住んでいて、うちの母親が授業見学で来て、なにやら授業をして帰って行ったと言うのだ。なにを喋ってどうやって授業したのか子供の頃すぎて覚えてないんだけど、おばさん英語喋れないはずなのに、どうやったんだろう?という不思議体験を話してくれた。たぶん、それ、あれだ、日本語でなんとかしたんじゃね。

     

    もし、日本語という語を完璧にマスターしたとしても日本の中高生と話しはできないだろう。親戚のおじさんが「最近どうだ」と聞く程度の交流がせいぜいである。だが、およそ仲間内なら「うぇーぃw」で充分なことは多いのだ。そのことに気がついてしまえば、言葉が通じない国に旅行に行ってもなんとかなる。

     

    英語わかりません

    おっさんになった自分はいまだに英語というものができる気はしない。

    シミュレーションとシュミレーションの区別はあやふやだしタックスヘイブンは指摘されるまでタックスヘブンだと思っていた。だから、英語できる人すごいなーと思うし、勉強しているひとたちを尊敬する。
    しかし、そんなセンター100点割れ、TOEIC400点代ぐらいの自分でもupworksとかクラウドソーシングサービスつかって海外に仕事を頼めるし、海外の会社と連絡して輸入とかもする。プログラミングとかはそもそもが英語ベースだし、必要なリファレンスなんて日本語では資料もなく、英語のほうがわかりやすい。

     

    何かを知るために英語が手段として必要になることは多い。それは厳然たる事実だと思う。いろんな学術論文も英語で書かれているし、情報収集や勉強には英語は必要だとはおもう。courseraとかのMOOCSで授業をみるのに英語は必要だ。だけど、そこに必要な英語というものが日本で求められ学習されている英語と同じものと同一だとは思えないでいる。英語をつかって何かを知りたいなとは思うけれども、英語そのものを知りたいなとはあまり思えないのである。

     

    repositoryからforkしてとか、e-coil、stem cellだと、はたしてこういうのも英語なのだろうか?

    目的語の位置だとか動詞の活用とか、アクセントの位置?受験とかで問われているあれがなんなのかわからないし、設問とかで問おうとしていることそのものに興味がもてない。たぶんこの興味をもてないというのが学習阻害要因の第一位なんだとおもう。みんな一体どうしてあれに法則性をみつけて解けるのだろうか。

     

     

    そういえば、中学の頃は国語も苦手だった。「この時の作者の気持ちを選択肢から選びなさい」と問われても選択肢のなかに作者が考えそうなことがないので意味がわからなかった。だが、あるとき、作者の気持ちではなく出題者がなんて答えてほしいかを答えなさいという問題だとはたと気がついたときに、本文とか読まないで問題文の選択肢だけみてれば答えだせるじゃんと気がついてしまったのだ。もしかしたら、英語にもそんなコツとか割り切りがあるのかもしれないし、みんなは、それに沿った反復練習をしているのかもしれない。

     

     
    アメリカでコーヒーを頼んだらコーラがでてきた。

     
    自分の英語はそんなものだ。

    ここ10年は海外どころか町内からもでておらずほとんど引きこもっているが、20歳前後のころはスペイン語圏、フランス語圏、イタリア語圏、中国語圏、韓国語圏など英語以外を必要とする国々をまわった。だが、言葉が通じなくて苦労したということはほとんどない。相手が人間であれば言葉はなんとかなるものだ。それよりは、もっと違う困りごとのほうが多い。

     

     

    生粋JAPには、英語の教科書の会話の流れはほんとうに意味不明。まさに英語できない人たちのココロの声を代弁してくれている。砂糖がベタついたからいったいなんなんだと。

     

    日本では英語が小学生から必修科目になるらしい。プログラミングも必修化だそうな。

    プログラミングも試験科目や指導されていたら嫌いになってただろうなと予感する自分がいる。

     
    世の中には、日本語話者でも日本語が通じない相手がいる。

    もし、試験でちょっとやらかしてしまったり、受験で苦手科目とかがあったとしても、まあ人生けっこう選択肢は豊富なもんだし、若くこれからの皆様には、ひろく大きな世界と未来を充分に楽しんでほしいのである。

     

    受験生、風邪だけは引くなよ!

    おいちゃんが言えるのはそれくらいだ。

  • 生産性の変革で戦争はおきた

    あけましておめでとうございます。年初そうそう重テーマ。

    昨年はAI元年だったなー、だとするとまた産業革命がおきて生産余剰とかがうまれるのかなー。余剰がかさなると戦争になるのかなーー、とか、漠とおもったんだけど、なんでそういう結末になったのかよくわからないので言語化。

    IT革命、人工知能により生産性の革命がいままさにおきようとしている。
    かつて生産性に革命がおきたときどうなったのか?

     

    おサルの生産性

    去年の干支でもあったサルは自然菜食であるので、サルの生産性イコール「自然からどれだけ食料を確保できたか」である。サルの生産性が高まり、群れが充分な食料を確保できると個体数が増える。

    群れを構成できる自然限界数(ダンパー数)は50頭程度であるそうなので、これを超える前に群れが分裂する。

    サルの時間移動距離は時速数百メートル程度で、縄張り圏内に別の群れがあると生存競争のために生死をかけた争いが生じる。ちなみに人間などにより給餌がおこなわれた場合はボス猿が誕生するそうだ。なわばりが衝突しても餌が充分にあるからかな?

     

    人間のダンパー数は報告によると148名であるそうだ。

    狩猟採集から農耕になった約1万年前より定住し社会構造を得た。縄張りが重複するのでこちらも「ボスヒト」が発生する。ま、豪族、館を中心とした、氏族により利害調整をおこなわれるような感じ。ボスヒトのボスが誕生し、さらボスヒトのボスのボス(ヒトキング!)が誕生し立憲君主制に至る。中世までキングの役割は収穫地、農地獲得のための領地獲得が戦争の主な目的であった。

     

    人間の時間移動距離は街道が整備されている状態で時速4〜5km程度。詳しく調べていないのだが、おそらくこの時間内移動可能距離圏内に郷(村)が形成されてきたはずだ。高低差がない場合30キロが1日の歩行移動可能圏であるので、江戸期など中世における街道における宿場などはこの単位で整備されており、それにともない宿場町が形成される。後の中核都市。

    職業軍人が生まれる前まで戦争は農閑期におこなわれた。この当時の戦争はこのままでは食い扶持に困る若く血の気の多い余剰人員の処分先でもあった。勝っても負けても口減らしの合理がある。この理はサルの時代のそれとあまり変わらない。

    近世。ヒト類は「空気からパンを創る」科学技術の発明により自ら食糧問題を解決した。短時間あたりの移動可能距離も格段に伸びて食料問題はエネルギー問題になった。農地問題が解決されたので、都市化がすすみ、限界までつきつめた最密構造の居住空間でも生活を送れるようになった。群れの利害は食料から快適さに移行した。
    企業は、子会社化や事業部制をとり、擬似的な群れをつくることでダンパー数をなんとかこえないように合従連衡をおこなう。争いは企業間による経済戦争や政治家による利益誘導に代替されるようになった。

    だが、武力を伴った戦争もまだ人類の歴史から戦争がなくなったわけではない。
    争いの目的はなににシフトしたのであろうか?エネルギー??快適さ??他人を使役できる経済力??

     

    ヒトの近世

    ここ300年ぐらいの歴史をざくっと考えてみる。

    1. 生産性の大規模改善により人口増、社会に対して多くの余剰人員が生まれる。
    2. 余剰人員が新たな技術を開発したり科学を探求したりして産業を興す。
    3. 産業構造の変革により継代事業は立ち行かなくなり、新興が台頭し旧家の多くは没落する。
    4. 社会保障としての公共事業や公共事業的性質の兵用がおこなわれる。
    5. 新天地に移民政策、棄民政策がなされる。
    6. 戦争が大衆から望まれるようになり大規模戦争。文化衝突。

     

    1700年代 農業革命(輪栽式農業/新大陸からのじゃがいも流入)で農作物の生産性の大幅改善。
    1800年前後 産業革命で自動紡績機、蒸気機関の発明。
    1810年 缶詰の発明
    1811-17年 ラッダイト運動
    1857年 生産余剰で穀物価格が急落、世界恐慌
    1914年 第一次世界大戦

     

    ヨーロッパの超長期人口推移

    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9010.html

     

    2〜300年前は世界的な天候不順や噴火による飢饉(1839天保の大飢饉 1845ジャガイモ飢饉)があったので、戦争以外に人口増を抑制する因子が多くあった。新大陸アメリカ(1776年ごろ〜)やニュージーランド(1830年ごろ〜)、オーストラリア(1770年ごろ〜)への移民も多く出たので生産余剰や余剰人員を新天地の開拓に転用できた。もっとも新天地では恐ろしく多くの命が失われたが・・・。また、黒人奴隷の輸入により経済で他人を使役することもできた。

     

     

    日本についてみてみる。

    人口の超長期推移

    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html

     

    おもしろいのは農業生産性が大幅に向上し、これだけ人口が増えた日本において、江戸末期(5000万石=150Kg×5000万=750万トン)と現在のお米の生産量(798万トン)がほとんど変化がないことだ。一石は一人の人間(一日3合)が1年食べるのに必要な量だという。お米のみが基準になった場合、750万人が日本の適正人口だが、ま、食料は米だけではないので江戸末期には3,000万人が居た。
    江戸末期は男性の平均身長は155cmと栄養状態はあまり芳しくなかったが、今は栄養状態を改善したうえに12,000万人分の口を糊することができている。これは、畜産業や水産業の進歩、そして海外からの食料輸入ができるようになったからだ。

     

    1839 天保の大飢饉(長期の天候不順、東北の冷害) → さつま芋、じゃがいも、かぼちゃなど
    1849 伊豆韮山反射炉、1850 佐賀藩鍋島築地反射炉
    1858 日本開国(日米修好通商条約)→ 金銀貨為替による財の流出、紡績などの技術の本格流入
    1868 明治維新 → 蒸気機関、鉄道、人口爆発
    1870 ガソリン自動車の発明
    1876 電話の発明
    1878 電灯の発明
    1903 航空機の初飛行
    1906 アンモニア合成の成功(人工肥料)
    1908 ブラジル正式移民開始
    1914 第一次世界大戦
    1931 満蒙開拓移民開始
    1939 第二次世界大戦
    1939 核分裂実証実験
    1945 原子爆弾投下

    技術革新による遠洋への進出、長期保存可能な食品加工技術、鉄道の敷設により内陸部の食糧事情も大幅に改善。内陸部では余剰生産人口を絹産業などのの産業に向けることができるようになった。
    さらにそこからも余る余剰人員は満州や、中南米への棄民政策とまで揶揄された移民政策で、解決しようとした。家長制度下で相続できなかった次男、三男などが新天地を求めて旅立った。また工業化により、集団就職など農業以外の仕事でも食っていくことができるようになった。

    第一次世界大戦まではそれは功を奏し、日本でも人口は爆発的に増えた。人々に豊かさを享受し。そして戻れなくなった。で、次の戦争が望まれた。第二次世界大戦はエネルギー問題に端を発するものである。

    人が人を殺せるようになるまで誕生から最低でも15年かかるが、技術がヒト殺しの兵器になるまでは数年。論理から実証に10年。民生化に30年といったところかな。戦争は生存競争であるため科学技術を大幅に押し上げてきた。技術が押し上げられたから戦争がおきたのか、戦争がおきたから技術がおしあげられたのかはわからん。

    んー。なにが言いたいかわからなくなった。ま、少なくとも人類は第二次世界大戦により、大量生産が可能な工業化と核エネルギーを手にいれることができた。戦争で磨かれたレーダ技術は漁業に転用され、戦後の高度成長期の胃袋を支えた。

     

    ヒトは余るのか

    多くの先進国において人口の抑制政策はうまくいっている。

    少子化対策がおこなわれた結果ではなく、少子化対策を行った結果が現在の少子化なのだと思う。

    我が国の総人口の推移(出生中位(死亡中位)推計)

    http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webhonpen/html/b1_s1-1-2.html

     

    内閣府のデータ。母体数の減少をみないまま出生率をコホート無視した人口に掛けているので、低位の出生率でもちょっとシナリオがちょっと甘すぎるんじゃないかとおもうんだけど、今回はちょっとおいておく。そのうち計算してみたいな。

    日本の場合は人口オーナスがついて、これからかなり激しく生産年齢人口を減らす。老齢化は深刻ではあるが、だが、同時に希望でもあって、もし革命的な技術革新がこれからあったとしても生産余剰力は生まれないだろう。

    むしろ、豊かな暮らしを維持するために都合のいい労働力がほしいぞとばかりに移民をさせろとか言っているぐらいだ。しかし、これは技術革新で解決できる余地がある。足りないのがわかっているものは手がうてるが、余りそうなものはなんともできないのだ。

     

    http://realtime.wsj.com/japan/2011/11/15/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%8B%95%E6%85%8B%E3%82%92%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A7%E7%A2%BA%E8%AA%8D/

     

    http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/080600214/
    世界の人口は約73億人で、2050年までにアジア、アフリカで主に増え97億人にまで増加する見込みだ。

    最近、百年ぶりに新たなアンモニア合成方法が発見された。材料科学や遺伝子改良技術は、不毛地帯を農地に変えるだろう。温暖化が悲観視されているが、植物には朗報だ。人類はあとちょっとくいっぱぐれずに生きれるかもしれない。

    だが、人はパンのみに生きるにあらず。

    小人閑居して不善を為すというが、ただいたずらに人を貯めれば大きな戦争もおきよう。
    無用人間の絶望感は戦争に向かうのだ。日本ではない、いくつかの経済大国ではその気配がある。

     

    わかっててやってそうだから、質が悪いよね。

    人工知能のまえに等しく無用途人間に争わなくていいだけの些細な用途を。

     

    参考

    徒歩旅行
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E6%AD%A9%E6%97%85%E8%A1%8C

     

    石 (単位)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3_(%E5%8D%98%E4%BD%8D)

     

    2100年の世界人口は112億人、国連予測
    http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/080600214/