カテゴリー: 教育

  • 若年層に対するプログラミング教育の普及推進に向けた調査研究報告書よむよむ

    よむよむシリーズ第うん段。

    若年層に対するプログラミング教育の普及推進に向けた調査研究報告書
    平成29年7月 株式会社 電通 総務省 情報流通行政局 情報流通振興課情報活用支援室
    http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/kyouiku_joho-ka/jakunensou.html

    調査報告書とあるけれども、実施後のアンケートを纏めたものなので、この手の資料をさらにエッセンスにするのはしんどいね。調査報告書というよりは、助成金絡みの実証実験の実施報告書。

    元ネタは全国11ブロック11団体により行われた、クラウド利用型プログラミング教育実施モデル実証。
    調査研究報告書の中ではこれの実施期間が書かれてないのだけれども、「平成28年度第2次補正予算 公開講座の日程」資料を見る限り、平成29年(2017年)の7~11月頃に開催されたものについてのの模様。

    図表 2-1 プログラミング講座の流れと本書参考箇所

    少し冗長な報告書だったので、項目の順序等は入れ替えたりなんだりした。

    実施モデルの検討

    実施モデル検討におけるポイント

    • 地域や教育委員会・学校との連携
    • 地域性(地域の特産や伝統)を考慮したテーマ、カリキュラムに

    各授業がどのように開催されたのかがここではなく、詳細は読み取れなかった。ポイントであげられている項目をみると教える側の都合であり、これ教育のモデルじゃないよね。

    メンター育成

    ・プログラミングスキル以上に子供との接し方やファシリテーションスキルを重視した

    ・地域に根ざした指導者(メンター)を育成し、教育ノウハウを伝える
    ・基礎的なプログラミングスキルと子供への接し方に関する知識が必要最低限のスキル

    プログラミングスキルなしでも、子供への接し方に慣れている人が優先されたようだ。

    必要最低限という言葉に現されているように、できる子は放置しがちな日本の教育姿勢が伺える。
    だが、プログラミングとか論理思考に適正がある人というのは出現割合がすくないので、十把一絡げの教育とは一緒にしないほうがいいように思う。これではとんがった才能を持つ子が潰されてしまう。

    トップノッチを育てるなら初期メンターにもせめてもマジシャン級ぐらいにはアクセスできるパスは儲けておくべきだ。

    実施環境の準備

    学校のPCはソフトウェアの追加インストールが困難な場合が多い。
    実行環境をインストールしたPCを別途持ち込んだケース/…/端末の調達・持ち込みには大きなコストが発生するため、ScratchやHour of Code等のブラウザベースで動作する教材の利用や、実証環境をインストールしたUSBスティックタイプPCを持ち込む

    プログラミングに熟達した人でも実行環境を整えるまではしんどかったりする。だからDockerとか、最近だとKubernetesがはやったりするのだろうけども、公教育だといろんなリソースの問題で難しいかもしれない。

    ここでも全員がハイスペックのマシンである必要はなくて、低スペックでもいいんだけれども、芽が出つつある子を足並み揃えるためにロースペックに縛るような真似はしてほしくない。BYOD(Bring your own device)がんばってほしいですね。

    メンターの確保

    モチベーションの向上方法としては、メンター同士の横連携の促進や、活動へのインセンティブとして最低限の報酬の支払い、大学単位の認定、インターン制度の活用、公的機関によるメンターの認定制度等が考えられる

    これって労働の衛生環境であって、内発的なモチベーションに関わる部分じゃないよね・・・。
    まあ役務労働に近いから甘い言葉で誘って徴用するなら、労働環境も整える必要があるとは思う。
    つか、「最低限の報酬」とあるけれども、なんで最低限なの?
    なんでも機運の情勢でやりがい搾取、安く済まそうとする風潮よくないよね。
    効果効用を明確にして、つけるところには予算確保して継続的なしくみにしないと。

    地域でプログラミング教育を継続する際に必要とされる機能・人材

    • 継続的に地域のプログラミング教育をサポートする人材・団体
    • 地域の小中学校の授業をサポートする人材
    • 地域で発展的なプログラミングを学習できる場を提供する人材・団体

    これ今までの白書でも書かれてたけれども、これ「不足する人材」だ。
    いないもんそんな人。ないものねだり。
    いてもこんな状況で手なんてあげようものなら使い潰されるだけだから隠れるよね。

    メンターに必要とされるスキル・ノウハウ

    図表 3-2 メンターに求められるスキルのイメージ

    ふふ。「不足する人材」だね。スーパーマン信仰かな。ひとりに全部をもとめるのはやめよう。

    メンター研修

    本実証で育成されたメンターのうち、プログラマーやプログラミング経験者は1/3程度であり、半数近くはプログラミング未経験者であった。

    図表 3-6 研修受講前のメンターのプログラミングスキル
    図表 3-7 研修受講前のメンターの教育経験

    教育関係者が優先された図。ここ難しいよね。

    各実証地域におけるプログラミング教育講座の概要

    教材

    • Scratch(スクラッチ)
    • レゴWeDo 2.0
    • National Instruments「LabVIEW」(ビジュアル言語)
    • python(テキスト言語)
    • 教育版レゴ マインドストームEV3(ロボット)
    • Ozobot(ロボット)
    • OzoBlockly(ビジュアル言語)
    • ScratchX(ビジュアル言語)
    • AruduinoX(サーボモーター)
    • Audiuno(テキスト言語)
    • アーテックロボ(ロボット)
    • GLICODE(お菓子を用いるプログラミング体験ツール)
    • Hour of Code(ビジュアル言語)
    • ルビィのぼうけん(アンプラグド)
    • Swift、Xcode(iphoneアプリ開発)
    • Gamesalad(テキスト言語)
    • HTML/CSS、Brackets・Mozer(テキスト言語)

    ・・・。テキスト言語ってなんだろう・・・・??
    すごいな「テキスト言語」とかでググると教育界隈がいくつもでてくる。
    はっ!もしかしてスクリプト言語のことか!!?

    スクラッチはスクラッチなんだな。ブロック言語とかじゃないのか。
    アンプラグドってなんじゃらほい?エリック・クラプトンか?プラグインじゃなくて仮想環境で動くなにかかな?あれ、ルビィのぼうけんって、北欧の女の人が作ったやつじゃなかったっけ?
    Swiftとかはiphoneアプリ開発になっちゃうのな。
    不思議分類。実施者の自己申告かな?なんだろうこれ。

    小学生ならScratch一択かな。

    お金のある家庭で小学校高学年から中学生なら教育版レゴ マインドストーム。
    レゴはすでに国際的な教育プログラムを確立しているので、STEMとかチームビルド、プレゼンテーションまで学べるので超英才教育向けにいいと思う。何回か国際優勝したチームの某監督にだいぶ吹き込まれてるので、中立的な見方ができてないかもしれないけれど。
    それより上で興味があれば、AIとかにまでタッチしうるpythonとかその他の「テキスト言語」でいいんじゃねぇのと。

    unityとかを採用したところはないんだな?なんでだろう。今の中高生とかならunityスタートのほうがいいと思うのだが。

    スペック重すぎ問題かな?サンプルコンパイルしただけで実行ファイルG単位だもんな。

    自分だったらhtml5あたりで、UserMediaつかってカメラとか音声弄らせるかな。ブラウザ動くぐらいの実行環境でいいし、使うのもJavascript+html/cssぐらいだし。
    ま、ブラウザの仕様変更ですぐ動かなくなるけれども。
    まあ、そういうしちめんどくさい環境の部分は内包しておいてくれるのがScratchだからやっぱScratchでいいんじゃないの。

    教育理念

    • 物事を創りだす楽しさ
    • 「ものづくり」に対する興味の増進を促す
    • 「ものづくり」を通じて自分の特性を知り、自分の能力を伸ばす

    気になったのはこれ。
    ものづくりとかがあって、なんか「うげぇ」とおもった。高度成長期の亡霊だ。
    「ものづくり」と「プログラミング教育」は混同すべきではない。ものづくりの評価尺度ではプログラミングを評価できないからだ。
    ものづくりを絡めてしまうと「アルゴリズム」などの不定形、アウトプットが目に見えないものないものが評価できない。

    信越 (スタープログラミング)
    プログラミング教育を手段として、子供たちの学び合いをベースに、以下の5つの資質・能力を身についけることを目標とした。

    -創造力・イノベーション
    -論理的思考力
    -問題解決力
    -自己肯定感
    -プレゼンテーション能力

    目標は理念じゃねぇとかいろいろあるかもしれないけれども、教育理念(教育目標)としてはこれが妥当なのではないか。
    プログラミングはものづくりじゃなくて、仕組みづくりだからね。思考力や解決力をアウトプットされた製品(ガワ)でみるべきではないよね。

    プログラミング教育講座に関するアンケート結果ピックアップ

    図表 4-4 受講者の講座満足度

    【受講者】Q2.1 プログラミングは楽しかったですか?

    やたらに高い満足度が92%もある。
    今後、プログラミングを続けたいですか?の問いには「今後もプログラミングを続けたい。」が7割もいた。

    図表 4-6 保護者が希望するプログラミング講座の形式

    【保護者】Q3.2 引き続きプログラミングを学ばせるとしたらどのような形式が良いと思いますか?

    学校の授業として実施して欲しい。:放課後教室やクラブ活動として実施して欲しい。
    6:4と割れている。なんとなく察せられるが興味深い。

    子供の変化

    (1) 21世紀型能力について
    プログラミング教育には、21世紀型能力の向上に寄与すると期待されている。

    ・・・21世紀型能力?
    唐突にでてくる21世紀型能力。21世紀型能力の説明はない。一般常識なのかな?

    図表 4-10 プログラムを修正する際の動き

    こんなん大人でも何をどういう風に修正するかで対応が違うので、これを見てもなにも言えないなと思った。
    周りの人に聞いてばかりでは伸びないなとも思うけれども、手持ちの情報では解決できないのにまったく聞いてこないとただ無駄な時間を過ごすだけなになるので、聞かないといけないこともある。
    パラメーター系の言語なら、細かく修正したほうがいいし、ブロック型なら命令の組み合わせを変えることで解決できることもあろう。設計が未熟ならフルスクラッチで作り直すのも有効。

    図表 4-13 ロボット教材利用の有無別、受講者の継続希望割合

    いやぁ、ロボット押しだなぁ。
    ものを売りつけたいっていう商魂が透けて見える。
    そりゃフィジカルコンピューティングのほうが子供は楽しいけどね。こういうのも、全員一律な環境にする必要はないよね。
    教える側の都合で、学ぶ対象を制限するのはよくない。参加者のアンケート回答による定性的な評価ばかり。これでは教える側が経験が積めない。

    プログラミング教育に関する支援体制等の調査

    本調査におけるプログラミング教育とは、「子供たちに、コンピュータに意図した処理を行うよう指示することができるということを体験させながら、将来どのような職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての「プログラミング的思考」などを育むこと」

    個人的な考えだけれども、子供のうちはコンピューターを使う必要すらないように思う。

    2人ペアになって電話越しとかに相手に指示を伝えて動いてもらうというような指示命令および状態報告だけで、たぶん詰まるだろうし、楽しいんじゃないかな。
    おもうように動かない相手のみが持つ不完全情報を制御しながら、目的を達するって多分大人でもなかなかできないよね。確かNASAの宇宙飛行士訓練で、片方が地図を持ってみたいなペア研修あるよね。

    図表 10-2 プログラミング教育に携わるプレイヤー

    この図だと国からの普及促進ってあるけれども、学びたいという子供からの欲求をみたしてあげる環境を整える側面も無視していいものではないよね。
    プログラミングとかは教授の関係ではなく、flipped learning(反転学習)とかactive learning(能動学習)の要素が強いので、能動的に学びたい欲求を持つ子を放置しない仕組みを強化したほうがいいように思うな。

    図 1-15 メンターの職業(N=73)

    ほとんど学生。教授に引っ張られたのかな?

    図 1-16 プログラミングスキル(N=94)

    高度なスキルを持つひとが16%もいるならいいとおもう。
    エンジニア志望で職についてても高度なスキルを持つ人そんな割合でいないと思うし。

    おまけ、感想

    エビデンスベースドラーニング

    別件、しつっこくエビデンスベースドラーニングについて引用しておく。

    教員は担当教科に関する知識はあるが,教授スキルは経験から獲得する。
    EBEは,教育・訓練への教育予算の裏づけ(インプット指標),そして,費用対効果の視点からの政策評価(アウトプット指標)の2つの面で政策プロセスの文脈にかかわるようになる。

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/60/1/60_20/_html/-char/ja

    教授スキルを経験からじゃなく定量的に分析できるといいよね。教科書とか教師に依存するのよくない。
    今回の若年層プログラミング教育についても、明らかにメンター、教師側の能力に大きく影響をうけるのだけれども、メンター側にプログラミングの経験がないのが恐ろしくてしょうがない。
    そのうえ、インプット指標とアウトプット指標をもたないままなんとなく現場におっつけてしまうのはよくないよね。

    教育者のキー・コンピテンシーが、横に展開されないままなのはよくない。

    コンピテンシー(英: competency)とは、企業などで人材の活用に用いられる手法で、高業績者の行動特性などと訳されている。

    特にプログラミングについては動画を使った教材、Mooc的な教材が重要になることだと思う。オープン教育リソース が日本でも充実してくるといいですね。

    Scratchで楽しく学ぶ アート&サイエンス

    スクラッチスクラッチ言ってたら紹介してという声がきこえた気がした

  • AI vs. 空気をよまない大人たち(2)

    前回の投稿から4ヶ月ほど下書きのまま保存されているのをみつけた・・・。そうだこの続きも書こうと思ったままになっていた。

     

    教科書が読めない子供たち

    前回の投稿の続編。

     

     

    AI vs. 教科書が読めない子どもたち 新井 紀子著

     

    曰く、教科書を読んでも文意を汲み取ることができない、教科書を読めない子どもたちがかなりいるそうな。なんとその数、約3割。おもえば中学2年の頃、数学の教科書に書かれた「任意」の使い方に納得できず、学校から教科書会社に電話してしまった口なのだが、たぶんそういうガチ中二病が3割とかそういうことではないようだ。

     

    それまで誰も疑問をもっていなかった「誰もが教科書の記述は理解できるはず」という前提に疑問を持ったのです P185

    ・・・えっと、教科書を読んで素直に頭にはいってしまうエリートさんも問題だとは思うのだが、読んでも意味を汲み取れない人がいることに気がついていなかったということには新鮮な驚きを覚えた。

     

    下手の考えサイコロのほうがまし説

    AIには「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定」がまだ難しいそうだ。

    そこで人間について調べたのだそうだが、一部のひとについてはいっそ考えないで答えてもらったほうがましという答えが出てしまった。

    図3-8 P214

    回答選択肢を適当に選んだときよりも、低いスコアを出す受験者数の割合。学年別ランダム率を示した図。

    推論や同義文判定など考慮せずに選択肢を選んだほうが得点が高くなる分野がある。逆に、係り受け、照応のランダム率は低く、ディスクレシアなどのなんらかの障害があることが考えられるとのこと。

     

    推論や同義文判定ができなければ、大量のドリルと丸暗記以外、勉強する術がありません。(略)「一を聞いて十を知る」ために必要な最も基盤となる能力が推論なのです。 P215

     

     

    問題文が読めない

    一般にテストは信頼性、妥当性、客観性が求められる。

    同じ人が同じような問題でなら何回でも同じ点数が取れるかどうかという信頼性と、用いる評価方法が測定対象となる能力や行動を測定できているかの妥当性、採点者が変わっても結果が同じかどうかの客観性が必要だ。

    表3-10 P220


    高校の偏差値と読解能力値の平均値と相関係数

    ランダム化率の高い推論やイメージ同定での相関係数の高さが注目すべき点。

     

    この相関係数の高さから、同じような能力値のひとが同じような結果を返すテストの信頼性はとかく高そうだ。もしかしたら、学校の入学試験などというのは「数学の能力」などよりも、設問を読めるかという読解能力値に評価妥当性があるのかもしれない。

     

    図3-1

    偶数奇数問題の証明の問題正答率である。典型的な誤答が国立S級以外の大学生に異様に多く、逆に言うと、国立S級の大学の子は、この手の問題に適応化、最適化されている子があつめられているとも言える。

     

    能力値別に誤読させてフィルタできる、綺麗なトラップが作れるようだ。

    この綺麗なひっかかりを見ていると、錯視に近い文章読解について脳の認知機能があるような気もする。

    聞いたこと無い単語をまぜてスポット的に認知を歪め意識を逸らさせたり、修飾語を離して読者をミスリードさせる方法とか、そういうバッドノウハウが文章問題作成という分野で蓄積された結果なのではないか。

     

    幼児期における発達で、自己と他者は異なるという比較認知やメタ認知力の成長がある。回答者の能力に差があるとすれば出題者の設問意図の斟酌。つまるところ忖度力の差なのかもしれない。

    ということは、強いAIが生まれるかどうかは、AIが己と他を認識できるようになり、忖度できるようにならないといけないということだ。

    原生生物から進化するために、自己と非自己の認識が必要であったが、AIも進化のためには自己の範囲を認識できるようになる必要がある。

     

     

    教育環境と遺伝

    近代工業化以降は、マニュアルに定めたとおりのオペレーションができるひとを社会に供給するために機能し、評価してきた。日本の教育はそのような点で効果的であったと理解している。

    就学補助率と能力値との強い負の相関です。
    //
    就学補助率が高い学校ほど読解能力値の平均が低いことがわかった
    //
    貧困は読解能力値にマイナスの影響を与えています。
    P227

    ここには極めてセンシティブな問題がある。

    親の文化資本にアクセスできないからという、環境要因と、そもそも遺伝的に発言しない形質としての認知能力、生物学的要因だ。

    「中高生は教科書を読めているか」という事実を考えようとも、調べようとしなかったのでしょうか
    //
    ビックデータに基づくサイエンスを教育に適用したのです
    P239

    経験上わかっていても、解決策がなければ蓋をして見なかったことにするのは日本の事なかれ主義では王道だ。サイエンスが教育に適用されたとき、もしかしたらそこに待っているのは現在の社会では差別とされるような区別かもしれない。

    遺伝的に長距離走に向いていない筋肉を持つひとや、短距離走に向いていない筋肉を持つ人がいるが、遺伝的配向でそもそも学ぶことができるアクセスを制限されてしまう可能性がある。

    エビデンスベースドラーニングは、教育を高効率なものにするかもしれない。しかし、他方でいままで勉強が足りないものとしていた建前も崩してしまうかもしれない。

     

    ITやAIでは代替不能な人材、意味がわかり、フレームに囚われない柔軟性があり、自ら考えて価値を生み出せるような人材
    P258

    AIに絶対に代替できない仕事の多くは、女性が担っている仕事です。子育ては汎用AIが登場したとしても、最後まで人間がすべき高度知的労働として残ります。
    //
    男性社会は女性が担っているというだけの理由で、介護や育児やアノテーション設計のような知的な仕事の担い手に対して、十分な地位と対価を支払っていません。
    P259

    ここでの対価が貨幣経済的なものであるのであれば、それはそのとおりなのかもしれない。東京医科歯科大学の入学試験でのハンデキャップのようにアンフェアな競争下にあるのも事実だ。

    しかし、他方でその男性社会が形成するような評価生態系の中にはいりこまず、女性による評価社会があるのも事実。母親としての地位はお金や組織の肩書で交換可能なものではない。代替不能なものである。
    AIに代替されないものというのは、そのような代替の脅威にさらされない役割なのだとおもう。

     

    貧困と遺伝子

    教育と親世代の年収に強い相関があり、教育格差「やむをえない」が6割を超えるそうだ。

    教育格差「当然」「やむをえない」6割超 保護者に調査
    https://www.asahi.com/articles/ASL3S5VPYL3SUTIL014.html

    交通事故と学歴に相関があることを保険会社がみつけて、保険の掛け金を変更するという現実は半分来ている。統計上の相関は破産や事故に結び付けられて考えられ、保険のような事前に結果の担保をするような仕組みにも影響を与えることだろう。

     

    AIは人間と同じ感覚器を持ちうるや

    人間が社会生活のなかで獲得している明文化されることのない暗黙知。これを理解と呼ぶのであれば、その獲得に必要なのは、人間と同じような社会生活である。

    つまり、感覚器を有して人間と同じ生活を送ることでしか外部環境、外部情報はセンシングできないので、もし、演算能力や記憶容量が増えたとしても、そこからは人間のようなAIは生まれない。

    暗黙知を教師データとして与えるにはデータ化が必要。ディープラーニング以前は、人間による職人的なチューニングが必要で、その過程でどうしても情報密度が落ちる。センシングの部分で人間の生体センサー並みの感覚器を、人間と同じようなタイムラインで保有してストックできるようになれば、AIの暗黙知と人間の暗黙知が揃うことがあるかもしれない。

    だが、現段階では計算機はそのような感覚器を持っていないので無理である。味覚センサーも、臭気センサーも、半導体が解決するより先に、生体組織で解決されるかもしれない。視覚器、聴覚器については人間のそれを超える性能が実装されてきている。映像解析や音声解析からAI化が進むのも自然な流れだろう。

     

    個体差としての認知能力

    コンテキストが認識ができず、ただひたすら暗記するよりなかったとしたら?

    中学生ぐらいで100走でいえば12秒代で、水泳でいえば100メートル自由形で70秒切れるやつとかがいる。走れる人間なら、トレーニングを詰めば10秒代に乗るかもしれないし、60秒も切れるようになるかもしれない。でも9秒を切ることはないだろう。

    言語、共感性や、運動能力で人間の能力というのは正規分布に広がる。賢さも同じようなレベルの生体機能でしかない。

    生体には限界や加齢もある。
    人工頭蓋変形で知能をあげるというような、文化風習があった歴史もあるが、遺伝子操作でもしないかぎりは、人間は生物学的なホモ・サピエンスのくびきの中にいる。しかし、AIは生物学的な制限を受けない。

    足の速さの価値が車の経済的価値におきかわったように、同じように代替されるものだとおもう。

    AIと人類の比較は、お米とガソリンの比較に似ている。
    同じジャポニカ種の、ササニシキとかコシヒカリとか、同じ料理法、似たような風味であるから比較ができるのであって、まったく異なるものとの比較品評に意味があるのかと似たようなものだ。カロリーベースで比較して意味があるか?

    思考は外部デバイスにまかせてしまえばよいやという時代がきたら、どれだけ早く入眠できかとか、視力のよさとか、皮膚の感度のよさや、味覚や嗅覚などの外部と接しうる器官の生体性能のような、現代ではおおよそ賢さとは関係ないものが賢さという意味にかわる時代がくるかもしれない。つまりのび太くんこそがAIに代替されない優秀さを持つことになる。

     

  • 世の中の大半はプログラミングを理解できない人間ばかりだ

    商店街みたいなオールドエコノミーの飲み会でうっかり「プログラミング言語」と言ったら、「FAXみたいにピーヒョロロロロってやつ?」と言われたことがある。冗談半分にだけれどもたぶん半分は真剣だ。世の中にはプログラミングを理解できない人間が存在するというが、そもそも世の趨勢はプログラミングどころか、コンピューターに系統指示をするなんてことに触れたことがない人のほうが是である。ギーク界隈は忘れがちだが、プログラミングがもつ論理構造が理解できない以前にその機会に触れられないない人達のほうが依然多い。

    世の中にはプログラミングを理解できない人間が存在する
    https://cpplover.blogspot.com/2018/05/blog-post_29.html
    人間には、それらしくでっち上げられた偽物と、本質を理解した上で作られた本物を判別するのが難しい。一方コンピューターは違う。コンパイラーはソースコードがいかに本物のソースコードらしい見た目をしていようとも、文法違反のソースコードを判別できる。

    就職適正試験を抜けプログラマーとして職を得るような人でも、採用後に真に適正があるとおもうような人は20人に一人もいないんじゃないのかなとのが体感だが、これは小学生が分数を理解できるかどうかで躓く「9歳の壁」に似たものがあるように感じる。抽象化という概念を獲得していないと、何をやりたいのかという要求定義できないし、仮説の設定ができないの機能設計に必要な共役化ができない。冗長なプログラムでも書ければまだましなほうで、そもそも、先のブログで指摘されるようにsyntaxの壁を越えられない。

     

    「AI vs 教科書が読めない子どもたち」での調査でも話題になったが、文字は読めているけれども文意が拾えない子たちがかなりの割合で存在するそうだ。意思疎通のプロトコル変更に対応できる人類の割合は、さらに少ないだろう。「赤信号だったがいけると思った」という、重大な認知過誤をのぞけば、言語による意思疎通の齟齬をある程度は互いに許容しあって成立しているのが現代社会である。

     


    cf.平成29年版 情報通信白書:情報通信機器の普及状況
    http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h29/html/nc262110.html

    日本のパソコン普及率は75%程度あるが、ごらんの通り日本は情報通信関係の教育においては圧倒的後進国であり、また、22歳以上の大学への入学率もOECD加盟諸国で最低である。つまり、一度大学などを卒業してしまうと、再教育を得る機会がないままに老人になっていく。新しい技術や技能を習得する機会がないのである。

     

    今後、社会の制度設計などを担う現在40歳以上に、一体誰がプログラミングを教えるというのか。教師には強制的なファカルティ・ディベロップメントがあるかもしれないが、それ以外の人への教育は?

     

    スマホの使い方がわからず、ドコモのサービスセンターに並ぶ老人はまだ向上心がある。しかし、同じような道具の進歩においてけぼりなっては、深刻なデジタルデバイドで社会全体が機能不全におちいることは目にみえる。

    セキュリティや社会機能はそれを構成する要素の一番低いところが最低水面になる。厳重な鍵がいくつもついたドアの横に空けっぱなしの窓があれば、それがその家のセキュリティレベルだ。

    人間の足の速さや頭の良さなどは、道具や機械をつかうことで、個体差など誤差の範囲にするほどに平準化できる。
    弱視であってもメガネがあればいいし、デスクレシアであっても補助器具を使えばいい。
    計算が遅くても電卓を使えばいいし、字が汚くても口述筆記や印刷ができれば機能は満たせる。

    こうすると道具を使っても乗り越えられないものを障害し、介助を必要なものとも言い換えるこができるのではないか。

     

    移動速度という観点かれみれば自転車や自動車や電車の前に、個人の足の速さや自走持久力はあまり関係がないが、なにがしかの理由があって乗り物を利用できない場合にはそれはが障害になる。

    記憶力の多寡はネットにつながった端末が利用な人とそうでないの前では、足の速さのように生体機能を競う程度のものであろうが、これも、情報端末がそもそも利用できないのであればこれももはや障害だ。

     

    生体機能などは成長や加齢、傷病によって変化する程度のものだ。道具の利用によって向上した機能は、その性能差によってその分布は分散を取るが、その分散に、道具を利用できない人たちの群があると、それはとても離れた二項分布になるだろう。

     

    道具が機械になってそれが結果に寄与する影響が大きいほど、深刻な問題となる。どんなに片方がドリブンして先にすすんだところで、結局のところ社会の基準水面は低い方に合わさるのである。

     

    公共情報網無き都市は、地上に如何なる文化施設を持つも、それはスラムである

    三鷹市が公共下水道普及率100パーセントを達成したのは昭和48(1973)年。当時の市長、鈴木平三郎は公衆衛生を専門とする医学博士でもあり「公共下水道無き都市は、地上に如何なる文化施設を持つも、それはスラムである」として、受益者負担金制度や市政運営への企業性の導入など大胆な手法で、全国初の下水道完備都市を達成した。
    http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_service/011/011729.html

    これを現代風に言い換えるならば、「公共情報網無き都市は、地上に如何なる文化施設を持つも、それはスラムである」ともいうことができる。というか積極的に言っていきたい気分。

    ちなみに、三鷹市は世界情報先進都市とか表彰されたそうだが公共施設でwifi利用可能なところは一個もない。なんたるちあ。

    プログラミングは反復継続することを処理するのにはとても便利なものだ。

    税務署上の定義で商売というのは反復継続するもののことを言うそうであるが、であるならば、プログラミングは経済にも大きく効いてくるはずなのだ。だが、そもそもプログラマー界隈以外でプログラミングの重要性を訴える人をなかなか目にしない。

    そりゃそうだ。世の中はプログラムがなにものであるかを理解する機会もなく、ワードやエクセルを教えてくれだとか、ホームページをつくってくれだとかはまだ可愛いほうで、パソコン直してだとか、スマホの使い方がわからないだとかの、ちょっとパソコンに詳しい便利屋さんになってしまうのである。

     

    でも、まあまずは隗より始めよ。ってことで、みなさん草の根でがんばりましょう。草が生えすぎて、草葉の陰になるまえに、なんとかなるといいねww