カテゴリー: 社会

  • 平成最後の夏期講習PoliTechスポーツ健康について考える

    平成最後の夏期講習と題し、落合陽一氏、小泉進次郎氏の企画で、政策と技術であれこれ社会課題を解決しようというような大人の夏期講習がおこなわれたようだ。いろんな分野の人たちが5分程度のライトニングトークをして、それぞれテーマにわかれた島でディスカッションして最後に議論をまとめて発表するというような形式で、動画配信している。

    ポリティカル×テクノロジーでPoliTechだそうで、議論のしかたも今どきだし、いいねと思ったでのピックアップ。全体の様子およびガイダンス、講義・インプットおよびガイダンスはこちらで見れる。

    https://www.youtube.com/watch?v=fV37SGxMqZs
    • ●ヤフー株式会社CSO 安宅和人  我が国の未来に向けたリソース投下の現状と課題
    • ●株式会社メディヴァ代表取締役社長 大石佳能子  人生100年の幸せな老後
    • ●メディアアーティスト 落合陽一  今後10 年でやってくるテクノロジーの転換点
    • ●株式会社Campus for H共同創業者、予防医学研究者 石川善樹  社会保障のオリジン
    • ●一般社団法人WITH ALS代表 武藤将胤  障がいと向き合う事で、生まれるイノベーショ

    各テーブルごとの議論はこちらから。
    https://www.youtube.com/channel/UCcQ5QML9wkc-hj8aWEf-NYA/videos

    各位の議論はおいておいて、それぞれのテーマごとにせっかくなので、自分なりにポリテックについて考えてみたいと思う。今回はAの島のスポーツと健康について。

    まとめテンプレ

    • 今までの分野の課題
    • 今後の分野の課題
    • 問題解決の指針(何をどうしたら)
    • ポリ(政策的に解決するには)
    • テック(技術的に解決するには)
    • その分野の未来ビジョン

    A:スポーツ健康島

    第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)A:スポーツ健康

    2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
    テーブルA<スポーツ・健康>
    「なんのための健康・スポーツか?― Well-beingという視点」
    ★株式会社Campus for H 共同創業者・予防医学研究者 石川善樹
    ・東京慈恵会医科大学 総合医科学研究センター先端医療情報技術研究部准教授 高尾洋之
    ・公益社団法人日本フェンシング協会 会長 太田雄貴
    ・株式会社Deportare Partners代表取締役 為末大
    ・国土交通省 総合政策局政策課 政策企画官 喜多功彦
    ・サイボウズ・ラボ主幹研究員/東京工業大学特定准教授/一般社団法人未踏理事 西尾泰和

    議論ピックアップ

    スポーツとエクセサイズをわけたほうがいい
    スポーツが社会参画の一助になっている
    イギリス、公園管理者には植物の専門家だけでなく、スポーツマネージャーがいる
    海外では公衆衛生法の中に公園があるところがある
    予防医学は病院で見れない
    病院は病気しか見ない、健康を見れない
    e-sports 対戦相手が必ずいるから寂しくない

    今までのスポーツ健康の課題

    スポーツや健康がいまだに根性論に支配された精神論であること。
    科学からいまだ遠い。
    疫学的な論理性、客観性、再現性がスポーツ健康分野でも必要。
    民間療法がいまだに幅を効かすことができるのは、その余地があるからだ。

    今、スポーツ選手のパワハラの問題が話題になっている。オリンピック候補生クラスの子がコーチにビンタされている様子などが動画が出回ったりあちらで会見、こちらで会見などがおこなわれている。指導の姿勢とかそういう以前に公の法律レベルでアウトなことは閉じた世界だからといってやっていいことではない。程度が低すぎて議論の余地もない。

    自分が子供の頃、水泳とか陸上とかは学校選抜になる程度に身体的運動能力に恵まれていた。小学生の頃、新潟県に数年間いた。新潟県は縦長なので上中下にわかれてるのだが、そのうちの上越と中越の大会で優勝したことがあるし、国際規格のプールで大会記録や会場記録なんかを持っていた。だが、通っていたスイミングでは中級コースに留まっていた。なんでかっていうと選手コースには絶対にいきたくなかったからだ。

    なんで嫌だったかというと、指導とは名ばかりのプールサイドから割れた竹刀で頭を叩くぐらいしか、コミュニケーション・プロトコルをもたないおじさん達しかいなかったからだ。東京から引っ越してきた自分にはかなりのカルチャーショックだった。ここで何か水泳に役に立つ指導をされた記憶はないがこういう大人もいるのかという社会勉強にはなった。中級コースですら何回かはサボっていた。月謝を払って理不尽に堪えるのはなかなかマゾい。

    低年齢時におけるスポーツにおける競技成績など、おおよそは年齢に比較した発達ともとよりの生体機能でしかない個体差だと思う。

    水を飲むな!休むな!のように、ひたすら追い込んで、生き残ったやつがいい奴だみたいなトレーニング方法があるが、これはトレーニングではない。生存者バイアスと兵卒をふるい分けるときに用いられた新兵訓練方法だ。
    第二次世界大戦後、帰還兵に職を斡旋した際これらの訓練方法が野球などのトレーニング方法として取り入れてしまったことが現在までスポ根の悲劇の根底にあるように見える。

    知能テストは第一次世界大戦時に、新兵の兵科を決めるためにおこなわれたことをルーツとしている。この知能テストから漏れた新兵の練度をあげ脳筋に仕立てるための「しごき」がフルメタル・ジャケット的なブートキャンプである。
    中世時には口減らしの要素もあった戦争だが、近代戦において突撃兵ぐらいにしか役に立たない脳筋はかえって足手まといとなるようになった。戦争よりも高尚なスポーツの世界でならなおさら根性論の運用は辞めるべきであろう。

    今の一流のプロスポーツ選手を見ればわかるが、みなさん頭も切れる。例外もあるが・・・。
    「小人閑居して不善をなす」のことわざの通り、体力が有り余っている若者にはスポーツでもやらせておけという更生プログラムとしてのスポーツはもう役目を終えたことだと思う。今はなんだ?その役割はスマホゲームとかに任せておけばいいんじゃないかな?

    今後のスポーツ健康の課題

    最近では遺伝子タイプ別に投薬する抗がん剤を変えたり、遺伝的に速筋と遅筋の割合を調べマラソンに向くのか、短距離に向くのかなどの検査をおこなえるようにもなってきている。

    人間は同じように見えて個別に独立した生体であるため、同じことをおこなっても再現性がなかったり、結果や効果効用に差が生まれる。しかし、人間の細胞より人間の腸内にある最近の数のほうが多いぐらいなので、塊りとしての人間はそれほど単純でもない。だから統計的傾向により推論して精度をあげていくよりない。

    都合のいい結果が出たデータばかりをチェリーピッキングするのではなく、効果がなかったり、失敗したデータの蓄積こそがこれから重要になっていく。何事にも例外は生まれるが、これの取扱を間違ってしまうと、因果と擬似相関の取扱を間違えてしまうことになる。

    成功があるとすれば、それは失敗にかたどられた空白域である。だから失敗の蓄積をいかにしていくかが今後の課題となる。健康分野については成功談などではなく失敗にこそ価値がある。

    問題解決の指針(何をどうしたら)

    個人を診察したカルテは病院のもので個人の生体に関する情報を日本人はほとんど持っていない。
    把握しているのは身長体重血圧、よくってコルステロール値ぐらいなものだ。それも年に一度ぐらい健康診断で測定されて紙に印刷される程度のもので経過観察も困難だし、診察する病院が変われば前年度データへのアクセスも困難になる。正直、高級肉牛ほども人間の健康は管理されていない。

    熱心な人は睡眠時間や運動量などを記録したりしているが、不摂生で健康に難がある人ほど健康診断をうけなかったりする。だが、この分野の一律悉皆の強制はやるべきではないので、意識が高い系の人たちだけでも、ライフロギングをできるインフラを整え、データポータビリティを充実させる必要がある。それらのデータが貯まればあとは保険の掛け金など経済要因が調整してくれるだろう。

    ポリ(政策的に解決するには)

    データポータビリティ権はEUで施行されたGDPR(EU一般データ保護規則)で掲げられている権利だ。
    もしかしたら遠くない将来に個人の遺伝情報をフルスキャンできる時代がくるかもしれないが、それを私企業や公的機関がデータ保持の主体となると、自身にまつわる情報ですら自由に動かせなくなる。
    農作物、畜産動物などでは遺伝子特許が認められつつある現況において、こと人間、個人の生体情報の所属をその個人ではなくしてしまうと、生存権にも影響がでるだろう。

    データポータビリティ権はこれから重要なものとなるが、これをどのように扱うか法制化できるのは政策的な動きだけである。

    中国のように個人格付けを中央で管理する統制型社会もありといえばありだが、そちらの方向にいかないのであれば、個人にまつわる情報も個人に帰属する財産として法文化する必要があろう。いずれにしろ検討も指針も決めないという無策は論外である。

    テック(技術的に解決するには)

    農工大の先生だったかな?
    歩行者の様子を画像解析してボーンをつくると、感情などは肩の動きに現れると言った先生が居て、デモ動画を見せられて、あー、ほんとうだーと関心したことがある。
    似たような研究に、医師でもわからない初期の認知症は歩行者の足の運びで検出できるとするものもあったように記憶している。警備の分野では不審者検知とか、迷子などの検出精度もあがってきているそうだ。

    うちの商店街は防犯カメラを数箇所に設置している。ネットワークに繋がってもいないスタンドアロンで警察がなにか事件があるとはしごに登ってSDカードを取り出したりしているが、機械学習バンザイの時代にちょっともったいないよなとも思う。けれども、権力とか監視社会が嫌いな人も多いのでセンシティブ。

    だが、テクニカルな面からだけ見れば、公共空間に設置されたカメラを社会リソースとして利用しない点はない。
    今は、個人が保持しているスマートフォンなどのデバイスで、加速度センサーなどをたよりに運動量の測定などをしているが、かなり不正確だ。こういうのは外部のカメラで全景センシングしたほうがいい。
    数百メートル離れた防犯カメラ間を何秒で移動したから歩行時速が何秒だとか、酩酊状態であるとか、自律神経に異常兆候がみられるとか、歩行者の姿勢などはウエアラブルなディバイスでは解決できない。

    これを国や行政が一元管理してしまうと問題があるので、先に定義しなければいけないのがデータポータビリティ権なのだ。
    自分の歩いている姿勢や歩行速度、毎日の表情などのロギングがどこかの誰かのものではなく自分のものになるのであれば、犯罪発生時にしかつかわれない監視カメラなどに別の役割が生まれる。

    地域防犯カメラなどのローカルインフラは有事以外意識もされないので、ごく一部の有志の負担者によって維持されているが、データポータビリティがうまく機能すれば平時にも活用できるので、設置維持も進むことだと思う。オンネットワークの防犯カメラなどまだセキュリティ面が難しいが、いずれにしろ無自覚なフリーライドはすくなくできるなくなる。

    スポーツ健康の未来ビジョン

    けん玉初心者がVRで特訓、9割が現実でも「できた」 驚きのVRゲームが生まれたワケ

    重力加速度は人間には制御不能なものであるが、仮想空間でならばコントロールが可能である。
    楽器の練習などであれば、ゆっくり弾いて弾けるようになったからだんだんテンポをあげるというようなことができるが、重力に支配されているけん玉やおてだまのようなものは一番簡単なものができないと、そこから修練を積む余地もない。

    だが、仮想空間であれば低重力下で反復練習を積んで慣れたのち、だんだん現実の重力に慣らすというようなトレーニングができる。

    早く走ったり、泳いだりする感覚を掴むためにゴムで引っ張ったりするトレーニングがある。体操でのバク転なども最初は介助者が支えることで重力の影響を直にうけないように、ゆっくり練習することから始まる。VRやARはこれらの新しい仕組みになりえる。

    スポーツ健康の俺未来ビジョン

    • 町中カメラ
      • 歩行がふらついているのを認知。メールが届く。
      • 認知症登録の人が歩いていたら家族に連絡が行く。
      • 歩行速度を記録。閲覧可能。
      • 歩行速度姿勢などから肉体加齢状況を推計。
    • 町中プロジェクションマッピング
      • ランニング記録から適切なペースメーカーがARでランナーの前に表示される
      • 歩幅が狭く緩慢になっている人に年代別の適切な歩幅を知らせる
    • どこでもスポーツ
      • アーチェリーや射撃のような専用の施設がないと困難だったものをVRなどで解決
      • e-スポーツにフィジカル要素(Virtuix Omni的なもの)
      • ポケモンGOが高齢者にも受けてるように、町中でARドラクエなど
      • 地域コミュニケーションにゲーミフィケーションを導入。(Xさんが5日見えません。姿を見かけたら声を掛けたらXポイントゲットなど)

    今のフィジカルVRはこんな感じになっていたりする。

    Virtuix Omni

    https://youtu.be/WDmwu5KQT7k
  • くそドキュメント管理と公文書

    森友学園の決済文書の問題がひどすぎる。なんてちょろ松な。

     

     

    たのむから、やってくれ

    • 文書管理は紙と印鑑をやめて電磁的記録法に移行して
    • 縦割りで文書管理しないで、文書管理だけの組織を内閣官房とかにおきなよ
    • それらを管理監督する行政監察官をおいて指導しなよ
    • 行革推進本部は神エクセルだけでなく職務能力のほうでオフィシャル・ディベロップメントもしないと
    • せめて[変更履歴の記録]ボタンをポチッって記録するようにして
    • 印刷物には出力日や文書管理番号を印刷しよう

     

    やれたらいいな

    • 決済印(決済レベル)ごとに異なるレポジトリーサーバーにプッシュされるようにする
    • 公開文章とかはgithubとかにもぷっしゅ&公知
    • 正副あわせて全国3ヵ所ぐらいにミラーリング
    • microsoft wordとかが印刷するときに自身のMD5とかのフィンガープリントを表示させらたら楽なんだけどね=md5(self)みたいなの。

     

    まだIT土方だった若かりし頃、くそが腐って手も付けられなくなったような現場に投下されたことがある。というか、最初からきっちりやれてればトラブらないので、手を引っ張られるのはどうしても、どうにもならくなってから呼ばれるパターン。大抵のトラブってる現場っていうのは、巨神兵を率いて薙ぎ払ってから作り直したほうが早いのだけれども、なかにはどうしてもクソの上に、クソを建てることを強いられる現場もある。

     

    ・・・。
    言葉がすさんでよくないね。

     

    で、そういう軟弱地盤の上に何かを積み上げなきゃいけないとき、必要なのはまずは論拠となる文章ドキュメントなどの固定化である。

    そう!システムをつくるのなんて湖の上を歩くことぐらい簡単なことさ、それが凍っていさえすればね!!
    ってことで、たいていの駄目な原因は言ってることがコロコロ変わる人がハンドリングしてたりすることによるんだけど、まず、こういう奴の心臓に杭を刺してぴくりとも動かないようにしなければいけないわけだ。

     

    そこで、思い出すのが、超昔、父親の本棚でみつけた品質管理工学だかの本。
    「古いドキュメントを持っている奴がいないように古いドキュメントは回収しなさい」というような仕様の周知徹底と再確認が書いてあった。そだねー。そかもねー。

     

    まあ、回収するのは手間なので、バージョンを表紙に印刷するとかそういう事をしていたが、横着な人が雑じってたりすると古い仕様書を印刷してそのまま持つようなのも居て、そのうちヘッダー全部にdate()とかnow()とかを矯正出力させるようにした。

    こうすることで、担当プログラマー間で齟齬が生まれたりして結合のときインターフェイスがずれてたりした場合、責任の所在がはっきりさせられるので楔を打ち込むことができる。こういうのはフールプルーフじゃないとならない。

     

     

    昨今、国会で話題になっている森友学園の決済文書の取扱をみてると頭を抱える。
    まるで20年以上前のVisual sorce safeもsubversionも、ましてやgitもなんてない時代というか、4000年前のシュメール人の円筒印章の時代だって、もうちょっとましな文書管理してたぞと、泣きたくなる。

     

    報道によると、国会議員に開示され公文書として記録管理されているものとは異なる別のバージョンの公文書があるそうだ。一部報道機関側が確認し、さらに一部のひとが「私の持っている公文書は3パターンあるぞ!」とかいっているのが現状である。ネッシー状態で、ネッシーの写真を持っているひとがいて責め立てている。なんだそれ。ほんと、なんだそれ。

     

     

    決済印が押されている文書が少なくとも一通以上はあって、それ意外のバージョンが存在しないことを証明しろと言っているわけだけれども、通常であれば一笑に伏すぐらいのこれをすぐ証明できないのであれば管理されてない状態といっていいと思う。役職ごとに押される印鑑のなんとも意味のないことよ。

    有印公文書であるのであろうから、決済されたのちに改竄されたのが真実だとすれば、すくなくともいくつかの明確な犯罪行為がなされているし、それらの報道などが虚偽で国会が空転しているのならば、さらに深刻な事態だ。ことさらに深刻なのは、改竄がなかったとも、差し替えられてはいないとも証明する手段がないということだ。

     

    内容の違う遺言状が3通でてきたぞ状態。公証人とか弁護士とかをいれたり、複数枚にまたがるものには割り印をしたりして、最終のものがどれでという、正当性を保障する。行政文書の場合は、公文書等の管理に関する法律で管理されているはずである。電磁的記録なんちゃらについても法律はあったように思う。

    が、これが機能していないということだ。

    おまえらまだ紙で文書管理しているのかとか、いいたいことはいっぱいあるけれども、いまとりあげられているのは政治だけの問題じゃない。内閣総辞職だとかそういうことじゃなく、行政府への不振につながる。登記簿謄本とか、戸籍とか、文章あるけれども、書き換えされてもわかんねぇぜーわじゃはーw ってレベルで、本当に質の異なる問題だ。

     

     

    まあ、くそしょーもない結末な気がするけど、あまりに前時代的な言った言わないの世界でツチノコを追うようなことを真剣にやっているので、もう、ほんと、どうにかしたほうがいい。

     

    参考

    行政文書の管理に関するガイドライン
    http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/hourei/kanri-gl.pdf

     

    安倍首相vs朝日、「書き換え疑惑」で最終決戦
    財務省決裁文書は1強政権の時限爆弾か?
    http://toyokeizai.net/articles/-/211662

     

    参議院議員森ゆうこさんのツイート: “明日、森友決済文書のコピー出されてもなあ コピーは私が持っているだけでも、3種類あるんだけど。 どれを出すんだろう?”

     

    朝日新聞「森友新疑惑」事実なら財務省解体、誤りなら朝日が解体危機か(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
    http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54700

  • りんごと働き方改革、裁量労働制について

    昨秋スーパーでちいさめのりんごを見かけた。JAZZというニュージーランド産の品種であった。英国人がこの小さいりんごの事をAppleではなくCOX(コックス)と呼んでいたのを思い出す。XとCKの発音を間違えると猥語になるので日本人発音では注意が必要だ。

     

    COXとはなんであったのかと今になって調べてみると品種名のことらしい。ふじとか王林みたいなものだろう。品種名が有名になりすぎてそれそものが呼び名になるパターン。ラーメンじゃない!二郎だ!!とでもいえばよいのだろうか。

     

    なんでも、りんごというのはカスピ海沿コーカサス地方が原産地で、その「コーカサス地方の(Caucasus’s)」から由来してCOXと命名されたそうな。コーカサス地方は白人種(コーカソイド)の分岐地でもある。アダムとイブ、林檎には、なにやら深い意味があるような気がするけれど、さすがにそこまでやると話しがとびまくりなので今回はやめておく。

     

    はてさて、日本で林檎というと青森県が産地としても名高いが、いったいなぜ遠くコーカサス地方原産の果物なぞが青森県が名産地になったかご存知のかたはいるだろうか?

     

    1884年ごろに旧津軽藩士族11名が本格栽培を始めたからだそうだ。やがて士族の世に終わりが来ると予見した当時の先見の明をもつリーダーが藩士たちに仕事として本格栽培を開始させたのだとどこかで聞きかじった。それが成功しついには林檎といえば青森県の名産と呼ばれるまでになったのだ。

     

    自分がおもうに、これこそが「働き方改革」だと思う。

    世の要不要は移ろいやすい。外部環境に応じて働き方を変えるのはリーダーなりの主な職責であるように思う。

     

    昨今、国会では裁量労働制なるものが審議されているそうで話題になっている。裁量を奪って誰かの監督下で労務に従事させることが労働という日本語だと認識していたので、無料賃金みたいかんじで、もうなんていうかちんぷんかんぷん。KISS。シンプルにしておきなよ愚か者って感じ。

     

    タスクを切り出したり分解できる能力を持つ前に、制度として「裁量労働制」なんかやっても、誰も幸せになれないよね。機能しない。売上10億あげろ。ただし手段は問わない(裁量はおまえだ)って転嫁がなされるだけな感じ。ミッションもヴィジョンもストラテジーもない根性論まだ好きなの?

     

    労働市場が十分に流動性していれば、無茶を言うだけの企業なぞ自然淘汰がすすんでいい感じなのだけど、日本はほら、長期住宅ローンとか保険や銀行審査とかで職業選択の自由の自由こそがほぼ有名無実化しているじゃない?現実的に考えると厳しいよね。

     

    裁量労働制が10年ぐらい前に導入されたソフトウエアエンジニア界隈などでは、誰かが20日かかって終わらせる仕事を1時間でできる一騎当千のスーパープログラマーがいたとしても、そもそも成果物で価値評価をできる仕組みなどなく、結局はその制作に必要だった時間、人月評価でしか値踏みできなかったのでエライことになった。残業し何連泊もして結果をだせない人のほうが売上あがるみたいな。しかたないので、出来るエンジニアに新人いっぱいつけて抱き合わせ販売するみたいな。

     

    「定額働かせ放題」などと口悪くいうものもあるようだけど、ああ、この言い方は、事の本質を捉えていないように思う。

    かつて士族の世が終わったように、今、終わろうとしているものは労働集約的な仕事だ。やがてくる未来、もしくはもうきている現在は何時間働いたところで、な~んの価値にもならないことが顕在化する価値評価社会である。働くという意味と、稼ぐという意味が分離しつつある。

    何時間働いたところで金にならない人は金にならないし、稼ぐやつは労働時間とは関係なく稼ぐようになる。

     

    労働がそのまま生産性に結びついた農奴の時代や、モジュール化された規格工業社会のなかでは、決められた手順でマニュアル通りに働いていれば、最終的な生産性や品質にほとんど差がでない。人間をモジュール、交換可能な歯車として運営し、組織を大規模化することで経済的メリットを得てきた。しかし、工業化が十分に進み、高度情報化がおこると、ある点から人間より機械のほうが十分に柔軟で安くなる、そんな分岐点がある。

    ソフトウエア開発の現場では、平均的な100人を合計した生産性が、誰かひとりの生産性に及ばないことなど日常茶飯である。昨今、花形のコンテンツ産業で考えても労働者としてのイラストレーターを雇い入れて100人雇い入れて経済的価値を持つ労務制作がおこなえるだろうか?作曲家では?小説家では??稼ぎ頭の金融産業では?トレーダーで無秩序に100人雇い入れたりなんかしたら?99人が稼いでもバカタレひとりで吹き飛ぶよね。

     

    スキルとリソースは経営資源になるがワークはただの経費。
    労働が非採算部門の経費としてしか認識されなくなったのは20年も前だ。だから非採算部門は分社化や国外などへのアウトソースがすすみ、権利などを集約したホールディングス化がすすみ、その結果、ブルーカラーの職が奪われアメリカファーストだのとブロック経済への回帰の試みがうまれだしているのだ。

     

    「働き方改革」なるものは「労働時間を減らして、生産性を増やしたい」がための試みなのだと理解している。

     

    新たに林檎なる未知のものの栽培に挑むのが「働き方改革」で、その後、品種改良したり植樹に挑むのが「生産性革命」であってほしい。希望。どこかで誰かが植えた林檎の木から実をあまさず毟るのを「生産性革命」、何時間もいでよいか認可制にするのを「働き方改革」じゃああまりにも愚昧。

     

    やがて、人口の95%ぐらいの人に働いてもらうよりもいっそのこと寝ててもらってたほうが、トータルとしての合理性があがる世の中がくるとしたら、じゃあ、どうやって既存の「労働者なるもの」をくいっぱぐれさせないようにできるだろうか?どんな仕事をつくれる?労働をどうやって再定義するのって議論をしたほうが有益じゃない?

     

    裁量労働性がいきつくところは1to1の契約社会ではないだろうか。タスクを明確化させ、フリーランスのように達成する職務を明確にしたうえで取引するか、もしくは仕事ごとに製作委員会のような社会組織をくむのか、それとも一定の社会的地位や保護と引き換えに、職務制作や職務発明をするのかはわからんが、両極はこの2方向だろう。機能すべきは選択の余地と、発注者や請負人の公開ログ、レジュメかな。

     

    新種の昆虫を発見することが裁量自由な仕事として任せられた場合、それは誰にでもできる仕事ではないし、誰にでも成果があげられる仕事ではないだろう。

    このような仕事において成果で報酬を結ぶのか、取り掛かりで最低限の報酬を求めるのかなどは、契約者間合意による。しかし、このような卑近な契約関係にみても、個人の信用は資本の信用に及ばないので、お金を持っているほうが信用力が高く、力関係に差がでて、契約は不平等なものとなりがちだ。まあ、請負側になんらかの保護措置が必要になるのかもね。

     

    まあ、銀行とかがギルドみたいな中間組織が依頼費をデポジットして、指名依頼かオープン依頼かにしたらいいんじゃないの。あとは働きの信任と貨幣はわけちゃえばいいじゃないとか思うけれど、これもまた長くなるので今日はおしまい。

     

    ・・・あれ、なんの話しだっけ。

     

    #  参考

    青森県庁内のりんご
    https://www.pref.aomori.lg.jp/sangyo/agri/ringo-rekisi02.html

     

    青森りんごの歴史年表
    http://www.aomori-ringo.or.jp/presentation/sec03/para01/

     

    裁量労働制とはこういう制度(佐々木亮) – 個人 – Yahoo!ニュース
    https://news.yahoo.co.jp/byline/sasakiryo/20180222-00081906/

     

    大胆提言!日本企業は今の半分に減るべきだ | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
    http://toyokeizai.net/articles/-/209674