ヘビーメタル脳 with the パワー


メタル脳とは、「和田誠」と聞いて思い浮かべるのがイラストレーターではなく、キャプテンを連想する人達のことである。

異論は認める。

メタル脳 天才は残酷な音楽を好む 単行本 中野 信子著を読んだ。

本は、ちょっとしたエッセイ本で、新しい調査や報告があるというわけではない。
だけど、著者がほぼ同い年で応用化学科の出身ってことで、随所に紹介されるメタルバンドと彼女のエッセイが自身の体験とオーバーラップするところもあり、なんとなく奥底に眠っていたメタル魂が目覚めたのだ。まあ方や東大の応化でて医学博士になってる著者と、私大の応化で、今じゃタピオカ茹でてる自分とでは比べるべくもないが・・・。

だが、吾輩もメタルで育ったキッズだったのだ! フハハハハ!!

・・・。
ヘビメタというと、デーモン閣下みたいなメイクをして、クラウザーさんが如き笑い方をしなきゃいけない使命感を背負わされたり、ステージ上では鶏の首を切り落としたり、豚の血をまいたりしなきゃいけないんでしょとか、すごく誤解をされやすい音楽だよなとは思う。もうそういう偏見もいいだろうよという歳になったので、いっそ今回はずっと吾輩で通そう。

吾輩が初めて買った音楽シングルCDはカブキロックスだった。知らない人のために説明しておくと、聖飢魔IIのフォローバンドみたいなものだ。確かアニメドラゴンクエストかなんかのオープニング曲になったのに釣られたんだとおもう。今聴くとシングルカットしたわりにはだいぶ音楽としては荒い。その次、初めて買ったアルバムは米米クラブのshake hipだ。米米クラブは名前ぐらいしか知らなかったのだけど、並んでたアルバムのなかでこれが一番ジャケットがかっこよかったからこれにした程度の買い方だった。それにしては、かなりあたりを引いたと思う。

そしてその次に買ったアルバムは初めて買った洋楽でもあった。
VIPERのTheatre of Fateだ。

ブラジルの新人バンドのデビュー作、ヘビーメタル好きでも知ってる人はすくないかもしれないが、これはなかなかの名盤である。こんなアルバムが当時中学2年生だった吾輩のハートに刺さったのだ。
ヘビーメタルとクラッシクを併せたようなヘビーメタル。Xの紅のもっちょっとクラッシックよりみたいなものだ。今聞いてもなかなかいい。

邦楽はかするぐらいでブラジルのメタルバンドにたどり着いてしまったのだ。いきなりVIPERは洋楽への裏口入学だと揶揄されたが、なぜ吾輩はそんなところにたどり着いたかといえばラジオのせいなのだと思う。気がつけば、このエリアでは電波の関係でロクに入りもしないFM富士を部屋の窓にワイヤーアンテナを回して、キャプテン和田や大貫憲章がやっていたロッカダムだのの深夜のハードロックヘビーメタル番組を聞くようになっていた。

中2の頃といえば担任が音楽担当で、しかも初めてクラス担任を持つ新米教師であったために著しく学級崩壊していた。そんな中でも流行っていたのが、作曲した曲でアルバムを作ってクラス内に共有するという謎な行為だ。「僕はみみず!」とか絶叫していたりするのだが、黒歴史どころか、このテンションはなにか薬やってるのかなって思う。リアル中二病だった。6畳の部屋に20人以上入ってたのだからやっぱり病気だったんだと思う。

小学校2年の頃、音楽教師にハーモニカのテストで「こんなのもできないなら幼稚園からやりなおしなさい」言われ、家に帰って布団かぶってガチ泣きして以来、学校の音楽というものが大嫌いになっていて、その影響はずっと続いていた。音楽は嫌いだけど好きという屈曲した状態がメタルに呼び込んだのかもしれない。

その中でも刺さったのがジャーマン・メタルだ。
Halloween、GAMMA RAYやBlind Guardian、HEAVENS GATEあたりが好きと言えば、ああ、そこらへんねとわかってくれるひとはわかってくれるかもしれない。ここらへんのCDというのは、レンタルCD店などにはあるわけもなく、当然通うようになるのはセコハン屋(中古レコードショップ)である。吉祥寺が自転車圏内にあったのは幸いであった。同じようにセコハン屋を巡る友達は居たのだけど、聞くジャンルが分かれていったのは、やはり好みの問題というのはあるのだろう。本の中で触れられているLAメタルとかアメリカのHR/HMはほとんど聞かなかった。

高校で軽音もやった。
高校生1年生の頃は流行りの邦楽をやろうとして、全員素人だから一曲もできずに終わったような気がする。その後、3年生のバンドに混ぜて貰ってPERSONZのカバーバンドをやった。初めてのライブはいきなり卒業ライブでメンバーはみんな卒業してしまった。・・・。いや、ギターの先輩は留年し翌年もいたか・・・、ドラムは現役で慶応に進学して、あれ、みんな同じスタジオで練習してたはずなのにおかしいなと、思ったり思わなかったり。

大学に進学して、軽音のサークルに入った。だが活動はバンド単位だし、なんの意味もねぇよなと同い年の友達ができると最初の新歓ライブでみんなで辞めてしまった。今考えると、先輩たちもサークル活動費工面しながらライブハウス抑えたりするのは大変だったのかもしれないが、同じ学科に中のいい音楽友達ができたので、サークルに用がなくなってしまったのだ。

文系に進んだ人たちはとても信じてくれないのだけど、化学科は週に3〜4回は実験があるので、ひどいときなどレポート用紙一冊が一週間でなくなるようなヘビーな学科でもある。実験またはそのレポート提出のためにうごけなくなったりするのだ。そんな学科の中にバンドを作っても、そのうち、みんな時間が合わなくなる。その上、主要メンバーの一人は医学部に行ってしまった。

そんな経緯もあり、化学と医学の白衣混成バンドが成り行きでできあがったのだけど、都合がつかなくなると代打を立てたりするので、ライブ前になると練習も2部屋ぐらい借りたりして10人ぐらいでパートを回しながらやるようになった。半分が医学部で半分が理工学部みたいな感じ。レッチリからドリーム・シアター、アニメタルまでハードめな曲をわしゃわしゃやっていた。

本で紹介されていたところあたりでいうとメガデスである。
まだJASRACが日本のネットMIDI文化を駆逐する前のまだパソコン通信の時代、メガデスのシンフォニオブディストラクションとかスウェッティングバレットとかの曲を打ち込んでフォーラムにあげていたのは実は吾輩である。88proの音色をいくつも重ねてなんとかヘビーな音を再現しようと苦心していたので、88Pro以外で聞いても意味わからないものになっては居たが、当時のしょぼい音色のなかでギターのザクザク感をMIDIで出すには、ちょっとストロークの遅れとか、コードもダウンなのかアップなのかをちゃんとわけないといけなくて、いつの間にか数字うちになっていた。オクターブ下げた音を混ぜたり、ベースの音も頭のアタックだけほしいからスラップを頭だけ鳴らすみたいなことをやっていた・・・。ハイドンをメタル風に編曲したりもしたが、MIDI界隈でメタルをやろうとする人はほとんど居なかったよね・・・。チョーキング表現とかストリングスが難しいだよね。

だから、いつの間にかメガデスのマーティー・フリードマンや、Mr.BIGのポール・ギルバートが日本でキンキキッズのバックバンドに混ざってるのを見た時には顎の骨が抜けるかと思ったものだ。医者になったあいつの持っていたギターはポール・ギルバートモデルだったのだ・・・。いまだのこれらの感情はどう表現していいのかわからない。

さて、そんなヘビーメタルで育った吾輩だけど、最近はめっきりメタルは聞いていない。しいていえば打首獄門同好会がここ近年のお気に入りぐらいだ。あれはメタルなのだろうか? メタルのバックボーンはあると思うけど、バックドロップシンデレラほどモロではない気もする。

商店街ではここ数年ステージを組んで、バンドの子達に開放したりして、文化醸成の機会をつくるべくふるまっている。運営の主体はフォーク世代なので、吾輩などは一番下っ端だけれども、リハーサルの音出しを兼ねて大学時代のバンド仲間を呼んで演奏したりもする。若者向けにあいみょんとか、子供向けにアンパンマンマーチとか、年寄り向けに北島三郎とかだ。ギターのやつがフライングブイを持ってきている以外はメタル要素はバレていないと思う。隠れメタリアンである。


goosehouseと地域音楽


goosehouseというシンガーソングライターのグループがあるんだけども、今はあったんだけどって過去系なのかな?ミュージシャンにおなじみのレーベル移籍騒動みたいなのがあったようで、ごたごたしているようだ。ジョニーだけ残ったのがなんともらしくていいなと。ムーミン谷が最高の場所だと確認するために旅にでるスナフキンみたいだな。

地域で音楽ライブをやるにあたってクラウドファンディングを始めたので音楽についてちょろちょろ書く。
faavo.jp/tokyomitaka/project/3328

で、せっかくなのでgoosehouseについて書こうとおもって 、どうも2012年ごろに書きはじめたまま放置されてた記事をひっぱりだしてきた。「わしゃぁgoosehouseを褒めそやしたいのじゃ」というタイトルで、投稿直前まで書いてたのだけども、みたところ、いろんなミュージシャンの曲を聞いたり調べたりしようとして途絶えている。ということは、音楽聞いているうちにどうでもよくなっっちゃったんだとおもう。ありがち。でも、内容を読んで見ると2012年も2018年もあんま実態変わってねぇなと。

サカナクションのNFパンチ(NF将棋が好き)ちゅうyoutube番組の中で、若者集めて音楽について討論番組っぽいのをやってたりして、「CDって必要?」「ミュージックビデオって音楽?」こういう討論テーマがあった。曰く音楽をどのようにリリースしたらよいか、どんなメディアで聞いたらよくかわからない時代になってしまったそうである。聴衆者の受難であるだけでなく、作曲側、演奏側の受難の時代なんだそうだ。


music hackathon tokyo に参加したのはかれこれ一年前も前になる。もうすぐSpotifyが上陸するよと言っていたのに、まだ上陸する気配がない。もしかしたら天正遣欧少年使節団と一緒に旅立って、慶長遣欧使節とでも一緒に帰国するのかもしれない。だとしたら数年かかるのもいたし方のないことだ。

SpotifyやPandoraは音楽を無料または定額で聴き放題にするサービスなのであるが、日本には素敵な音楽著作権管理団体があるのでバテレン追放令下に入国するようになかなか上陸できない。国内でも開発者用アカウントを特別にアクティベートしてもらった人たちがいるのだが、便利すぎて手放せなくなったと聞いた。本当、わしもアクティベートしてもらえばよかったのぅと後悔している。


これは何年も前に書いたものなのだけど、結局Spotifyが日本で公開されたのは2016年9月なので、数年かかるは妥当な読みだったね。1600年の航海技術ではヨーロッパに行って帰ってくるのに7~8年かかってるけど、現代の日本でも先端潮流が入国するのには7~8年かかるみたい。なんじゃそりゃ・・・。

その音楽の流通の妨げのひとつになっていた悪名高い包括契約が最高裁で否定された、のも、今じゃ数年前の話しか・・・。ここの部分はまるっと削除っと・・・。

本来であれば、どの局でなんの曲がいつ掛かったかというのは管理団体がモニタ、記録して、権利者に見える状態で管理され著作権使用料が著作権者に払われるそうなのが、日本ではそうなっていない。著作権管理団体はほぼ独占寡占であるために、その管理を放送側におしつけることが可能でテレビ局やラジオ局、はたまたyoutubeやニコニコ動画に至るまでその管理がいらない包括契約が常態化されてきた。管理楽曲ごとにJASRAC使用許諾番号などを得てから放送などという手続きは現実的ではないし、e-Licenseなど他の著作権管理団体の管理する楽曲を流すことが難しい状態となっていた。

私的録音録画補償金制度は、カセットテープやMDに始まって、CD-R、DVD、Blu-ray、そして音楽がダウンロードするものになるようになると、パソコンやポータブルレコーダーのようなハードディスクを持つものについても課金を求めようとしている。コンテンツを保護するためにDRMのような暗号化が施され、それを煩わしいとストリーミングに移行してはまた新たな問題を産む。

結局なんじゃのかんじゃのと作り手側とそれを聞きたい側の途中になんか作り手側にも、聞き手のためにもならない余計なものが挟まる。

著作権は万国著作権条約ぐらいを起点とした70年程度の歴史しかない比較的新しい権利であるが、ここのところ、職務上の発明や著作をどのように扱うかという問題がうまれつつある。

音楽が商業化され、媒体を通して流通するモノ化すると、この職務上や契約上の作曲や作詞が、契約上の問題をうむようになった。ネット登場以前は、流通枠は固定されていたのでプロモーション費用を十分にかけられたメジャーレーベルのアーティストが市場を支配的に独占することができた。小資本とかが暗黙則を破ったら市場からしめだせば事は済むので、優越的地位は揺るぎようがなかった。

自分がgoosehouseを褒めそやしたかったのは、そういう時代の流れの中で、音楽に再び愉しみを呼び戻してくれたからだ。荒削りでも育つ様まで見れるのは面白い。
彼、彼女らの説明を簡単にしておくと、それぞれが独立したシンガーソングライター6~7人からなるグループで、それぞれがユニットを組んでカバー曲を披露したりしながら、やいのやいのと談笑する月一セッションライブをustreamからYoutubeLiveに流してきた。検索ヒット率が高いポピュラー・ソングを高めのクオリティで多人数でやるので、絨毯爆撃のように数を提供でき、youtube内の関連動画にあがってくる率や、Twitterの登場などもあってSEO的にもばっちりだ。ここらへんの作戦練ったひとすごいなとつくづく思う。

大人な邪推を言うと、どこかのレーベルとかの契約研修生とかをレッスン費用あたりとバーターで安く契約して、まあ、芽が出たらラッキーとかやってたのかなとか考えちゃうんだけど、まあ事実はわかりませんが、大人都合はともかくとして、なんにせよ当人たちが楽しそうだったのがいいよね。
まあ、脱退前は数ヶ月むっつりしてたりするのをみると、大人な事情が透けてみえたりもするのであれだけれども、体制を支える側の成功率や透視台効率を考えると、これもまぁしょうがないよね、と。同じことをメンバー変えてやってもなかなかマジックは生まれないし。成長したらインキュベーションからはできるだけ追い出していかないと育たないし。

でね、ここのところメンバーも固定化して、新旧の入れ替えもおきなかった。いつのまにかガチョウのインキュベーションからGooseという群れになった。巣立った卒業生も力をつけてきて、飛び立ったのが戻ってきたんだろうね。そりゃニルスも大慌てさ。

・・・で、ここからどうやって地域音楽につなげよう?

そう、goosehouseみたいに苦労しつつもある程度華やかな舞台に出れた子はよいとしても、そこに至れない子や、そこから数十年を経た人たちはどうなるか?

お向かいに俳優の橋爪功さんがやられている劇団の事務所があって、縁あって数年前から商店街でステージイベントをやるようになって気がついたんだけれども、地域には若くてこれからがんばりたい!っていうミュージシャンや、ベテラン勢まで、そういう人たちがごろごろ居るんですね。

音楽みたいなそれぞれの趣味が大きく異なるもので、大きな音がでるものを開放系の公共空間でやるのは、主催側としてはかなり頭がいたい問題が何ダースもくっついてきて、下げる頭も、首の筋肉もたりなくなるのですが、だけども、若い人たちとかに機会をつくるのは大人の役割ですよね。わしも大人になったもんだのぅ。また、60、70歳の年配者たちが楽しげに演奏してたりするのを見せるのも、当人達の楽しさだけじゃなくて、大切なことなんじゃないかと思うわけです。

あの大御所のバックバンドで演奏してたんだよとか、好々爺善としているけど、あの人、若いときスター誕生の優勝者してデビューしてたんだよとか、あっこのお店の女将は、大手レコード会社のボーカルオーディションでグランプリだったんだよとか。そういう諸先輩方が身近にいるのに、いままでは気が付きもしなかった。世阿弥も風姿花伝で時分の花と老木の花を例えてたけど、若い時分の消費されるだけの草花に目は移りがちだけど、葉もつけない枯木にまことの花を探すのは実に難しい。

公共施設はクラッシクみたいな格式高い演奏会をする場所はあるのだけど、小さなものはない。ライブハウスは吉祥寺や荻窪とかに吸われていってしまうし、まあ、演奏したいだけなら大人ならお金だせば借りられるけど・・・、でも、地域っていう横串でもなければ、世代やジャンルが交じる機会なんていうのはないですよね?

才能や練度は、もちろん人によって様々。
でも、音楽というものが再び形を変えつつある今、もう少し身近な音楽体験ができる、プラットフォーム造りというか原体験提供の機会は、これからますます重要になってくるんじゃないかと思う。オーディエンスとして消費するんじゃなくて、全員がミュージシャンになるぐらいでちょうどいいんじゃなかろうか。盆踊りのそれに近い。

正直クラウドファンディングでお金を集めても手数料で2割持っていかれてしまうし、お金集まらなくても運営できるように手はずは整えてはいるのだけど、それでも、わざわざクラウドファンディング化したのは、地域の片隅でその場に来た人たちだけが楽しかったねーのいっときのもので終わりにしたくなかったから。

ここは連雀町。グーズハウスの決め台詞「一人でも飛べるけどみんなと一緒だともっと飛べる」みたいに、「雀は一匹だとチュン、二匹だとチュンチュン、三匹だとチュンチュンチュン」みたいなのを標語にして頑張りたいと思います。

クラウドファンディングどんとおまちしております。
faavo.jp/tokyomitaka/project/3328

参考

Ustreamのライブアーカイブもおおよそすべて残っているので気に入ったひとはこちらも見るとすげぇ楽しめます。
www.ustream.tv/channel/playyouhouse?rmalang=ja_JP

2012年のカバーで俺がHOIに選んだのはメモによると
レーザービーム/Perfume(Cover)でした。
youtu.be/LVPcTo5nGnU

作り物で押し固めた音楽、Goose Houseをボロクソに批判したい。
basement-times.com/goose-house/

こういう批判もありますよね、ぼかぁ演奏後の「ありがとうございます」っていうのが、プロスポーツ選手がインタビューで間に挟む「そうですね」ぐらいに違和感はあった。


音楽教室と音楽著作権について



楽曲の著作権を管理するJASRAC(日本音楽著作権協会)が音楽教室からも著作権料徴収をするとして反感がわきあがっている。
音楽教室は儲かってそうだから上前ちょっとよこせ?
著作権を守らせるためには音楽文化を根絶させることも辞さないような愚かな行為だ。

音楽教室から著作権料徴収へ JASRAC方針、反発も
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170202-00000014-asahi-musi

JASRACの外部理事 東京大学先端科学技術研究センター 玉井克哉教授のツイートを伺うに、

音楽事業で利益があがっているから(取り立てる側が)泣き寝入りはしないぞということらしいです。
小さい音楽教室なんかは対象外だから心配するなってのも部外者からするとなんじゃそりゃ感。恣意的運用もいいところ。法を背景にうごいている人たちがこんなことをしてていいのかな?
音楽や文化振興の未来を蝕んでいるんじゃないのかな?
日本の子どもたちの未来になにしちゃってくれてるの??
それこそが目的なの?

 

プロのミュージシャンが他人の著作楽曲をつかって観客から入場料をもらうのが営利事業なのはわかるし、そこから入場料のいくばくかを楽曲の製作者に還元するというのもわかる。で、その徴収行為をそれぞれが行うのは大変だから管理団体が立ち上がるのも、まあわかる。

で、なんで練習や教育にも著作権侵害が絡んでくるの?というのが素直な疑問。

 

音楽著作権について

一般に学校教育などにおける授業において著作権の侵害は発生しておらず著作権料の支払いは不要とされている。

 

著作権法
www.houko.com/00/01/S45/048.HTM#s2.3.5
(営利を目的としない上演等)
第三八条 公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

 

学校が音楽著作物を利用できるのは非営利目的であることと、聴衆から入場料などを得ていないこと、演奏者に報酬を払っていないことが法的な建付けになっている。

せっかくなのでJASRACのホームページからその主張を考えてみたい。

www.jasrac.or.jp/copyright/outline/index.html

 

今回は音楽教室は著作財産権うち上演権・演奏権について音楽教室は営利目的の団体だから違反しているじゃないかという論のようだ。生徒が教師に対して、もしくは教師が演奏しているから、伴奏などで楽曲を演奏するからが論拠のよう。

 

かつては、カラオケはただの楽曲の私的利用ではないかという係争もあったようだが、カラオケの機械が演奏者で、カラオケを唄っている客こそが聴衆。で、聴衆がカラオケボックスに入場料を払っているのだから営利目的の演奏にあたるのでアウトだということのようだ。んんん?と思わなくもないけれども、まあ録音楽曲を営利で公衆送信をおこなっているのでまあなんというか、うん、まあ、うん。

 

学校はオッケーだけど、音楽教室はアウト。

学校法人はオッケーだけど、塾はアウトみたいな感覚なのかもしれない。
だが、最大手のひとつヤマハ音楽教室は、一般財団法人ヤマハ音楽振興会が主体となっていて、公益目的の法人である。一般財団法人は拠出された財産を運用する目的の団体だ。法人の性質上余剰金の分配はおこなわれない。財務諸表などをみてみると経常収益は260億円であるが経常費用は266億で今年度循環でみるかぎりは赤字である。流動資産が78億、固定資産が22億(固定のほうが少ないって珍しくね?)で、利益を伸ばしているようにも見えない。

www.yamaha-mf.or.jp/activity/setsuritu.html

 

 

 

こんな論もある。

「生徒は講師の演奏を聴くために授業料を払っているのではない」「教師は演奏の対価として給料をもらっているのではない」
bylines.news.yahoo.co.jp/kuriharakiyoshi/20170206-00067411/

しかし、その理屈がとおるならば学校法人だって利益をあげているじゃないかと言うことができてしまうはずだ。多くの学校法人もその運営のために毎年余剰金を積み立てているはずで、それは貸借対照表上はまぎれもなく利益だ。

 

管理楽曲の利用があるだけで「教師は演奏の対価として給料をもらっている」ことの可能性を排除することは難しい。
JASRAC管理下の曲が一曲紛れ込んだだけで、すべての商行為がライセンス感染する。オープンソースソフトウェア界隈であるGPL汚染というか、ポイゾニングなみの恐ろしさがある。本来はその楽曲の貢献度、影響度について計算したうえで”それ”はなされるべき性質のものだが、枝葉末節であったはずの音楽のしかもたかだか数曲のしかも数フレーズが、その外を無視して結果すべてにかかってくるのだ。
音楽教室のあげる利益の源泉が楽曲利用にあるのであればそれもよいかもしれないが、どう考えてもそうではないだろう。

喫茶店が楽曲を利用していからJASRACが来たり、ライブハウスでアマチュア出演者が演奏するからというのでJASRACが来たりしていたけれども、とうとう、教室にまで進出してきたかという感じ。

 

巨大な利権と天下り先か?

天下りが問題になるのは、天下る人の問題じゃなくて、辞めた人が現役現場に影響力を持ち続けることができる現場の膠着性。またはそれを維持するための法的参入障壁と寡占市場のほうにこそ問題の根幹があるとおもう。なので、天下りとか利権をどうこういうことの意味を感じはしないのだけれども、ツイッターなどの意見がそこに集まっているようなので、財務についてのほうには触れておこうとおもう。

 

情報公開 (業務及び財務等に関する資料の公開について)
www.jasrac.or.jp/profile/disclose/index.html

 

一般会計と信託会計にわかれていて、信託会計の収入の部をみてみると手数料収入は1638億円に登る。演奏や放送の徴収額と支出額が億、十億単位でずれているが、どうしてなのか俺には推測もできない。

「JASRACの給与・役員報酬の合計は約36億円」というツイートもみかけたのだが、正確には2015年度の役員報酬は2億3千万、6億2千万である(管理費)。事業費のほうの給与(たぶんこちらは一般社員のほう)は33億7千万。

正味財産増減計算書
www.jasrac.or.jp/profile/disclose/pdf/2015/2015_general02.pdf

役員等一覧
www.jasrac.or.jp/profile/outline/officer.html

常任理事以上9名
理事22名
監事4名 の計35名。

一般理事はほとんど費用をもらっていないなどの事情でもなければ、それほど膨大な報酬を得ているとは思えない。ただ、信託会計収入合計1,638億、一般経常収支143億もありゃ、この管理団体の収入だけで電子書籍市場の規模1,800億に相当するわけで、絶大な影響力があるのは想像に難しくない。

音楽著作権管理団体にはJASRAC以外にe-Licenseなど後発もあるが、こちらは資本金6億の株式会社だ。ここらへんに触れだすと包括契約がどうこうとかいいたくなるのでやめるけど、まだまだ寡占市場であることは間違いない。

 

かんそー

「著作物」とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)
著作権や知的財産権の根幹にあるものは、頭の外にだされ固定化されていなければならない。頭の中にあるだけのアイディアなどは保護されないのだ。

 

音楽の場合、表現が楽譜やメディアとして記録されるようにできるようになったためにどのようにそれを管理すればよいか迷走している。果たして、誰かが表現した楽曲を、再び演奏者が表現し直すのはどこまでその類似性を許すのか。
コード進行は?メロディーの類似性は?それ本当にAIとかで楽曲類似判定かける時代になっても別の曲だと言いきれますか??
俺には日本の有名なあの曲だって外国のあの曲にしか聞こえないものが多くある。
リスペクトとパクリとマッシュアップは同じもの?
外国の民謡を自分が作曲者だといいはる人物を守るのが本当に文化振興事業なのでしょうか。

 

著作権の考え方のベースになっている万国著作権条約がつくられたのが1952年。まだ60年ちょっとしか経っていない。しかし、この60年のあいだに出版物や音楽を取り巻く環境は大きく変わった。音楽の演奏形態もおおきくかわった。

ネット配信が主流になった今では、曲はフリーで配布して、コンサートやグッズで稼ぐなどアーティストの利益回収のための仕組みもかわってきた。

だからといって、手数料収入がおちてきたから音楽教室に手をいれようとか、そんなタコが足くうようなことしてちゃだめだよね。いい大人が考えたアイディアがそれじゃ筋がわるすぎる。いったいどこらへんが音楽文化振興なんですかと。

もしかしたらこんなことも今話題の文科省の天下りあっせん調査がすすめば解決したりしてね。

 

 

 

 

参考

音楽教室でJASRAC管理楽曲は「演奏」されているのか。
benli.cocolog-nifty.com/benli/2017/02/jasrac-3747.html
→弁護士の見解

 

宇多田ヒカルさんは勘違いされているのではないか?
bylines.news.yahoo.co.jp/kuriharakiyoshi/20170205-00067379/
→ 弁理士の見解

 

togetter.com/li/1077579
→ JASRACの外部理事 東京大学先端科学技術研究センター教授の関連ツイート

 

残酷な天使のテーゼの作詞者「音楽はタダではない。でも音楽を学びたい子供達には自由に使わせてあげてほしい」
togetter.com/li/1077289