平成最後の夏期講習PoliTech働き方について考える


働き方について、ポリティカル&テクニカルに考えてみる。
働きかたっつったって、働いてるやつぁもういい年した大人なんだから手前の面倒は手前でみて好きなように働けばいいじゃないのと突き放した考えをもってしまうのだけれども、そういうわけにもいかない事もあろう、ってなわけでいろんなケースについて考えてみたい。今回で平成最後の夏期講習シリーズはおしまーい。

まとめテンプレ

  • 今までの分野の課題
  • 今後の分野の課題
  • 問題解決の指針(何をどうしたら)
  • ポリ(政策的に解決するには)
  • テック(技術的に解決するには)
  • その分野の未来ビジョン

F:働き方

第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)F:働き方

2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
Fテーブル「AI時代の働き方について、考える」
★厚生労働省老健局総務課課長補佐(政策調整委員)古川弘剛
・株式会社Studio Gift Hands 代表取締役/産業医/眼科専門医 三宅琢
・一般社団法人WITH ALS 代表 武藤将胤
・つくば市 副市長 毛塚幹人
・島根県 教育魅力化特命官 地域・教育魅力化プラットフォーム共同代表 岩本悠
・富士通 本多達也

議論ピックアップ

障害のある方の働き方
つくば市役所は外部人材を採用するため勤務条項を外している
固定化された価値を変えていく
都会にいかないと仕事がない
人間は本質的になんで働かなければいけないのか
多様性をいかにうけいれられるか
働き方って小中高とかで習ったことがない
ジョブディスクリプションを明確に決めて

今までの働き方の課題

働きの成果を測る方法が時間拘束になってしまっていること。

働くのは価値を創造するためである。人は価値を創造することで所属しているコミュニティから報酬を得る。
株式会社が発明されたのは、遠く航海しても胡椒をもちかえれない、つまり無駄働きに終わり価値を生み出せない人が出るからで、その失敗や成功を調整するために掛け金が調整されたにすぎない。平準化することでハイリスクはハイリターンに、ローリスクはローリターンに調整された。

大量生産の時代になると、労働者が生み出す価値は労務提供の時間と比例し、勤怠管理にて想定容易なものとなった。働き手がどこでどのような仕事にどれくらい従事したかが雇用側に重要となった。

情報化社会以後、ソフトウエア開発やコンテンツ製作が本流になってきた現代において、労働時間や設備施設と労働生産性が比例しないケースが顕著になってきた。できるソフトウェアエンジニアの生産効率は1000倍では収まらない。文章が書けるだけの人を千人集めても、シェイクスピアの物語にならないようなものだ。かつてはクリエーションの現場だけに見られた「タレントの出現」を待つだけだった現象が反復することが信条のビジネスの場でも見られるようになってきた。

ある種の製作において、働きがどの程度のリターンをうるべきなのかについての社会的コンセンサスはまだない。価値を測る方法は今のところ経済評価が一般的であるが、経済的リターンは仕事が完了した後にのみ発生するだけで、事前の想定と実際に乖離が合った場合や、グループワークである場合、貢献度や分配で大抵は揉める。資本社会における株主資本のような、出資とキャピタルゲインのような関係にあるものがまだなく、あったとしてもそのものさしはまだ過渡期であり万全には機能していない。

例えば係争になった例として青色ダイオードの発明がある。LED特許のような発明は特定の企業に巨額の利益をもたらしたが、発明者は給与にわずかな職務上の報奨を得ただけだったため裁判に発展した。また、アニメや映画の原作になった漫画家も職務上の作成で買い取りであるため映画などの興行成績が数億円の大ヒットしようが百万円程度の報酬しか得られなかったりするし、数億稼ぐ人気者の芸能人が事務所から50万にもいかない給与制でしかも移籍が困難になるよう占有的に支配されたりする。

職務発明や職務製作、タレントの育成などは、企業がトータルでリスクを負っているという言い分もある。成果を生み出せない人にも給与は払い出さなければならないし、後進も育てなければならない。だが、企業戦略論的にいうならば独立を防いで新たなコンペティターを産ませないようにするための参入障壁構築でもある。

しかしこれもそれも、働きの成果を測る方法が未成熟であるためにおきていることだ。声が大きいだけや、長時間会社に詰めているだけの人を過大評価してしまったり、自分がどのような仕事をしたのかを伝えなかったり、自己評価が低いひとの謙遜などを真に受けて過小評価してしまったりする。

今みている洋物ドラマ(ちなみに今はクリミナル・マインドをみてる)で言い争いになるとappreciate(真価を認める)を連呼するが、appreciateって重要。慧眼。

今後の働き方の課題

働き手がどれだけの価値を生み出したのかを計測する方法が未整備。

例えば、フリーランスや個人事業主が仕事をしようとしたときには、どこかの下請け的に働くケースがあるが、優越的地位の濫用が平然とおこなわれる。下請法や準委任契約とか再販売価格の拘束とか、いろいろあってなかなか対等の商売関係を結ぶのは難しい。公正取引委員会とかあるけれども、これらが機能した例などというのは中小零細では聞いたこともない。普通は波風立てないように (片方が泣いて) 収めて終わりだ。

会社勤務の従業員の場合は、働いても働かなくても給料はあまり変わらないのであるから社会主義国の例に例えれば「飯配給の時は前に、仕事のときは後ろに」ということになる。特に公務員などは営業成績が悪いから解雇というようなこともなく、より問題を起こさずやりすごそうというマインドにシフトしてしまうのも当然だ。

問題解決の指針(何をどうしたら)

従業員の業務評価は会社の資産となっているが、個人の資産としてデータポータビリティの対象にするべきかもしれない。年に何度もない給与査定のみで自分がどのように評価されているのかを推測するのでは、人材のミスマッチも硬直化するし、仕事の生産性向上にも役立たない。

改善方法にはリモートワークの場合はupWorksやランサーズなどのクラウドソーシングなどで行われている2つのやり方が参考になる。

  • PCのロギングや「Harvest」のようなTime Tracking Softwareをつかって時間をベースに進捗を管理する方法
  • 仕事をタスク単位に細かく分け、それごとに報酬を設定して取引(予定価格の提示、デポジット、成果報酬)

少し大規模なプロジェクトになればレベニューシェアなどのやり方もあろう。いずれにしろジョブディスクリプション(お仕事の細かい内容)とコントラクト(契約)が重要になるのであるが、日本はここをどうもなーなーに済ませてしまってぐずぐずだ。仕事を発注する側や上司が納得するまで検収しないなんてことがある。これじゃ働く側のコストが青天井だ。

「そりゃ俺の仕事じゃねぇな、契約に入ってないぞ」って言える労使関係、受発注関係が必要だ。極まると責任回避のためだけの縦割り役所がやるたらい回しになってしまうけれども、たらい回しが価値を生み出すことは無いんだから成果で判断できればこれらは解決できる。減点方式から加点方式へ。

ポリ(政策的に解決するには)

職務発明や、職務製作の権限を強くしようとしている動きあるよね。権利管理が煩雑になるとビジネスの足も遅くなるので集約しようとしているのはわかるんだけれども、だとしたら懲罰的損害賠償を認めないとイノベーションなんて起きないよね。リターンも罰則もないのだから、リスクをとろうとするわけがない。

資本差がある企業間の取引においても、ものすげぇ違約金がついた納品とか、最初の契約に相当な歪みがある不平等条約なみの契約が横行してて、それで真面目なだけの零細は事故が発生した際にやられちゃったりするので公正取引委員会仕事してくださいって感じですな。八百屋の仲卸とか、魚の仲卸とかの一次産品の流通でつまずいているのから政策的な手当が必要なように思う。

情報産業とかのニューエコノミーのほうは比較的、順調だと思うけれども、これも製造者責任とかの転嫁とか、一度お金を払えばどこまでも製造者に作業を要求できると勘違いしているヤクザみたいな企業、担当者もおおいからこれを取り締まる実効性のある法律をプリーズ。

日本社会において給与が上がらないことが問題になっているが、勤続年数などが住宅ローンの際の重要な審査項目になっているのであるから致し方ないことだとおもう。勤続年数が重要視されるのは年功序列で生え抜きが優遇されたからだ。ここにも個々の働きの細かい評価を雇用側が諦めた現実がある。だが、工業社会が終わった今、そういう事はいってられなくなった。

解決する方法は、会社の業績が悪いから給料があがらないのか、自分のチームの業績が悪いからなのか、自分の評価が悪いからなのかを福利厚生上の法的義務として従業員へ公開することを会社に義務付けることが必要なのではないかと思う。

テック(技術的に解決するには)

せっかく法人番号制度(法人のマイナンバー制度)が始まって全国の法人が管理できるようになったのに、企業の全部事項履歴とか、処罰状況が表示されないのはどういうわけなんだろうね。

下請けへの支払い状況とか、障害者雇用促進法の処罰履歴とか、税の支払い状況とか、求人状況や退社率とかの状況は知りたいな。
帝国データバンクとか東京商工リサーチとかが企業の信用情報を値踏みしたりしているけれども、それらの民業圧迫することなく、労働基準関係法令違反に係る公表とか入札停止命令とかをPDFで出すんのではなく、公的な処罰状況は法人番号検索をしたら出てくるとか、もうちょっと一目でわかるようにオープンデータ連携進んでもいいと思う。
こういう法人そのものについてのバイラルサービスやれば今ならマーケットの開拓できると思うので誰か意欲ある人やればいいよ。テック的にはあまり難しいことではないのですぐできる。給料未払いとか、未払い問題とか社労士とか弁護士とかと連携すれば比較的マネタイズの道もありそうだし。うん、悪くないね。やってみようかな。すぐ忘れちゃうと思うので、やってみたい人いたら声かけて。

個人のほうは、あれかな、個人が自己申告の履歴書もって回るのはおかしいよね。学歴だの納税情報とか、執行猶予中だとかそういうのはわかるんだから、その人が見せたいところだけ見せる設定にして公的認証のバッチつけられるようにするのがいいんじゃないかな。
「あれ、この応募者学歴に公的認証のバッチつけてないな?」ってのから先は会社判断にできるし。雇用側が提出された情報がうそっこなのかどうかを個別に看破するのは膨大な社会コストになっているので、プライベートデータ連携、公的認証、データポータビリティがんばってひろがってほしいですね。linkedinみたいなソーシャル相互認証に頼らずに済むところはちゃちゃっと済むようにしておきたいですね。

働き方の未来ビジョン

カフェとかで仕事をするノマドが未来の働き方だとか煽るイメージあるけれども、カフェは仕事場じゃねぇから長居すんなって喫茶業もやっていた身からは思う。手に職を持っているひとは、コワーキングスペースとか、カフェを自分で創業する立場に立てばいいと思うよ。そうしたら好きにできるし。

正直、飲食店の創業は素人参入も多いため、恐ろしい勢いで出来ては消えていく悲しい業界なのだけれども、別業が収入をあげる算段があって始めるカフェとかならどんどんやればいいと思う。

副業や独立創業については、未だリスクの方が多いので、平常のやり方でひと上がりしてからでも遅くはないとご忠言いたすところでござるが、満員電車に揺られ鶏ゲージのように働くのも精神衛生上よろしくないこともあるので、堪えられなくなったら適度にリトリート(退却)するのも大切だよねー。

ワークライフバランスだとか言うけれども、そもそもが働くことと、生活をわけずに済む未来がくるといいですね!

毎週パーティー三昧!? 前代未聞の介護付き住宅「はっぴーの家」に行ってきた
こういうのいいよね。苦労は堪えなさそうだけれども。

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今回はBの島の教育コミュニケーションについて、ポリティカル&テクニカルに考えてみる。

教育コミュニケーションねぇー。

まとめテンプレ

  • 今までの分野の課題
  • 今後の分野の課題
  • 問題解決の指針(何をどうしたら)
  • ポリ(政策的に解決するには)
  • テック(技術的に解決するには)
  • その分野の未来ビジョン

B:教育コミュニケーション

第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)B:教育コミュニケーション

2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
テーブルB<教育・コミュニケーション>
「どうすれば多様で自由で信頼性の高いメディア空間を創れるのか?」
★NewsPicks取締役CCO 佐々木紀彦
・読売新聞東京本社編集委員 猪熊律子
・PLANETS 編集長 宇野常寛
・東京大学 情報理工学系 准教授 川原圭博
・株式会社LOUPE 代表取締役 浅谷治希
・カドカワ株式会社 代表取締役社長、株式会社ドワンゴ取締役CTO 川上量生

議論ピックアップ

教師の数が多すぎる
先生が生徒にとってのメディア
教師が現実を知らない
教室のオープン化が必要
社会保障の楽しさを教えてこれなかった
工業社会ではなく情報社会なのに教育が変わってない
教育を変える唯一の解決方法は「なし崩し」
多様性を持ったAIのよるカスタマイズされた教育
教える方、教科書に読んでもらいたいというサービス精神がない
学校教育は十数%しかインパクトがない(遺伝が半分、残りは家庭)
テクノロジーを使って海外やお爺さんお婆さんと繋げないか
世代間対立につながる可能性
徴教師制(教えたいと思ってない人を教師にする)
既存のシステムを変えようと思ってない人が教師になっている
学習進度が違う子達を纏めて指導するのは無理
大人になって必ず必要なものにもうちょっと時間を割いて(社会保障、金融)

今までの教育コミュニケーションの課題

先日中小企業振興公社の方に聞いたところ東京では「ものづくり」での起業はわずか4%程度しかないという。しかしながら、産業支援制度をはじめ教育制度もいまだにものづくり社会を念頭に制度設計がなされている。

ものづくり社会においてはマニュアル通りにそつなくこなせる人材が有用である。汎用的に要領のよい人材が求められ、それらを評価するために型に嵌める教育がおこなわれてきた。しかし、機械化が十分に進んだ現代では量産型人材の活躍の場は限定的になってきている。柔軟性、応用性が求められるこれからの社会において求められるのは代替不可能な個性だ。いかにその個人の特性を伸ばすかが重要となる。考える力や、学ぶ力をどのように身に着けるかが課題となる。

日本の22歳以上の大学への入学者比率は世界的にみても断トツの最低である。これはつまり大学が新しい知識や技術を学ぶ場所としてはまったく機能していないことを意味する。リカレント教育が声高に叫ばれているが、きちんとした最新の知識や技術を習得する場としての大学が機能してねぇのにリカレントしてもしょうがないだろうがよ。大学は就職予備校ではないとの掛け声で現実から目をそむけているが、民間ではもはや通用しないような、古い設備や古い知識で飾られてた大学。764校もの大学が教員の終身雇用(テニュア)のために維持されている側面も無視してはならない。

商業高校や工業高校はあまり勉強が得意ではない子でも食い扶持を確保する受け皿になってきた。しかし現代においては簿記ができたとしても企業の経理部門の人手は弥生会計を入力する程度しか必要なくなり、車や家電の修理をする技術よりも、あらゆるものがモジュール化された社会においては無人化された工場で生産された部品を買い直したほうが安く早い。これじゃあ食っていけない。

労働集約型産業が終焉を迎えようとする社会において、口を糊することができる最低限の教育の場は必要だ。産業別に考えれば現代ではサービス業なのかもしれないが、そちらにフォーカスできている教育機関は少ないように思う。また、ぴかぴかのトップノッチを磨くことができる教育の場も必要だ。数学オリンピックに出ちゃうようなのはスーパーサイエンスハイスクールとかがあるので、まだこちらのほうは機能しているように思うが、双方をしっかり機能するものを揃える必要がある。

今後の教育コミュニケーションの課題

核家族化が進み地域に個人商店のようなものもなくなった現代において、子供が普段の生活のなかで接することができる大人は両親か教師のみとなってきている。あまりにも少ない。親が駄目で教師も駄目だってぇと、子供が自律的に機会を得て立派に育つのは大変な困難だ。

ファカルティ・ディベロップメント(教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組)も機能しているとはいい難い。ドイツだったか10年教授をしたら5年は民間で働くというように制度を日本も取り入れるべきかもしれない。徴教師制ででもいい、「でもしか先生(教師でもやろう、教師しかできない)」はもうやめよう。

教員が受ける3万円の免許更新講習の中身とは – 放送大学編
既に知っている内容
スキップ可能な動画
番号だけ入れればよい履修確認
ほぼ過去問であるテスト

クラスの学級委員決めるときでもそうだったが、「俺がやりたい!」という立候補よりも推薦できめたほうが、大抵はうまくまわる。本当にたよりになるやつは謙虚で控えめだからな。政治家もいっそ強制的な推薦による徴政治家制とかにしたら、どう回るか社会実験したいよね。まあ今の社会は地域のつながりが失われすぎていもう無理かもしれないけれども。推薦するにも周りの人をもう知らなくなってしまっているか?

子どもたちの生活を取り巻く外部環境の変化は過去数十年のそれとはまったく異なるスピードで変化している。これは情報化社会となったことが契機であるが、インターネット以前と以後、スマートフォン以前と以後、ディープラーニング以前と以後でまったく様相が異なるように同じよう規模とスピードで今後も変化が連続するものと思われる。これらについていけないデジタルディバイドなどを抱えた人たちが混在する環境下での教育は困難を極める。もう無理って感じ。

社内研修がしっかりしている大企業はともかく、最後に勉強したのは数十年も前じゃったかのぅという老人は社会に多い。社会のセキュリティ水準や運用水準は一番低いところに合わさるので、「数十年勉強とかしたことねぇわぁー」っていう人達の知的水準にあわさって社会は運用される。
大人の義務教育を課すべきだと思うんだよね。スマホとかインターネットの使い方とかそんなもんでいいから。還暦になったら義務教育もやり直そうぜって感じ。テストをパスできなかった人だけ2年ぐらいでいいからさ・・・。老人体育とかやれば認知症も発見できるし、いいことづくめじゃね?あ、クラス内恋愛で熟年離婚とかになると悲劇か?

問題解決の指針(何をどうしたら)

ひとりの教師が多数の生徒を抱えた密室空間。閉鎖性をかかえるのよくない。小中学校は別の問題で難しいかもしれないけれども、大学ぐらいはオープンエデュケーションで外部評価可能なものにしようぜ?

中高等は、生活面を指導する担任と、授業を教えるのはわけるべきだ。
授業もピカイチに面白く、内容もとびきりの動画素材である。Moocなどの形式で配信すれば、教師はチューターレベルでいいんじゃないかな?

英語のように、わかっていない人がわかっていない人にわかったふりして教えることほど悲劇なことははないよ。子供向けプログラミング教育の必修化とか絶対無理。こういう悲劇なんとかしようよ。

ポリ(政策的に解決するには)

昨今の文科省の不祥事や、大学への資源分配失敗を見ていると教育行政しくじってるな感がぱない。
獣医学部の新設が52年ぶりだとか、私立医学部の入試で女子は一律点数を引かれてたとか、中学生に性教育したらけしからんとか、あんなのこんなの。
なにやってるんだかって感じ。ここらへん闇しかないよね。
もったいないよ。

政治が教育に絡むと強烈なアレルギー反応があるので、アンタッチャブルだったのは理解できなくもないのだけれど、せめてもエビデンスベースドラーニングにしようよ。なんでそういしているのか、比較対象もないものを慣例だからとやり続けるのよくないよね。

中高一貫校みたいに、地域内で並行稼動でいろいろなシラバスを選択可能にして、評価できるようにしないと。日本だって北は北海道みたいな広大なエリアに広がったところから、東京みたいな小中学校が狭い地域に林立しているところがあるんだから、全部を同じ仕組みでぶん回そうとするのが無理じゃもんな。
その地域で一番適したパッケージを選べるようにしなきゃ。中国がやっている新疆に強制的な教育施設と何が違うのってことになる。
人間は選択肢が複数ないと間違えやすいんだ。教育も選べるようにしておくべきだとおもうよ?

テック(技術的に解決するには)

やっぱMoocかな。アクティブラーニングや反転学習は家で動画とかを見て勉強して、学校には宿題をやりにいくところっていうような仕組み。日本ではただのビデオ学習と混同されて誤解を含んだ形で拡がりを見せているけれども、本来は座って授業を聞いても学習定着率ほとんどないんだから、もっと能動的に学ぼうぜっていうの。

体感でもそうだけれども教育効果はラーニングピラミッドの研究通りだと思う。

ラーニングピラミッド
www.osaka-c.ed.jp/blog/ichioka/kocho/images/img_al1.gif

座って誰かの御高説聞いても5%ぐらいしか記憶に残らないの。
だから一番学習効果が少ない講義なんていうのは、お家で済ませて、学校みたいなみんなで合う場所で互いに教えあいっことか議論することに時間わりふったほうがいいよね。

オープン教育リソースとかみたない、教材開発のムーブメントもテクニカルには重要だよね。でもこれも反転学習が進めば自動的に普及されるんじゃないでしょうか。

もひとつは、二回ぐらい前のブログに書いた品川女子の学生が保護者のファンドからお金をひっぱって事業化までおこなうみたいなプロジェクトベースドラーニングの集大成。なかなかこれはそこらの学校でできることではないけれどもやれたらすごいね。

ここらへんをやるには、一般企業並みにテクノロジーに明かるい専任が必要となる。
ちゅっと詳しいぐらいの先生が片手間に面倒をみるんじゃ無理だ。学校業務の事務や情報管理は専任をおくべきだよね。むしろ教育に片手間のテクノロジーぐらいしか介在していないのだとしたら、その教育は外部環境を無視した手淫的なお慰みでしかない。そんなものに学ぶ側を巻き込むなっていいたい。

教育コミュニケーションの未来ビジョン

X年後の日本。
会社づとめのA氏に地元の中学で本年度40時間の教育実習の割当がおこなわれた。この制度で選ばれると陪審員制度と同じように、特別な理由が無い限り拒否できない。と言っても、昔の教師のように教壇に立って教科書を読み上げるように教える必要はなく、生徒達は各々の進度に応じ動画を見て勉強してくる。

教室ではディスカッションをしたり、それぞれが学んだことについてショートプレゼン(Show&Tell)をおこなう。大人はそれを円滑にすすめたり議論が変な方向に進んださいにファシリテーションしてあげるだけでいい。
クラスには複数人の大人がいるので得意なことを担当すればよく負担もすくない。
自分が担当した子どもたちのチームはある事業を企画して利益をあげ納税するまでのプロジェクトベースドラーニングを提案してきた。資金は他のチームがやったように地域クラウドファウンディングで募るらしい。
その分野なら自分の業務知識も役立つし、少しは教えてあげられるかもしれない。
子供達の授業に参加した結果、自分も本格的に学び直したくなった。これが落ち着いたら、2年ほど大学に戻って業務知識と先端科学をあわせて新しく論文を書いてみようかと思う。

・・・なんて事になればいいね!

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kuippa.com/blog/%E5%B9%B3%E6%88%90%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%A4%8F%E6%9C%9F%E8%AC%9B%E7%BF%92politech%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88/)


平成最後の夏期講習PoliTechスポーツ健康について考える


平成最後の夏期講習と題し、落合陽一氏、小泉進次郎氏の企画で、政策と技術であれこれ社会課題を解決しようというような大人の夏期講習がおこなわれたようだ。いろんな分野の人たちが5分程度のライトニングトークをして、それぞれテーマにわかれた島でディスカッションして最後に議論をまとめて発表するというような形式で、動画配信している。

ポリティカル×テクノロジーでPoliTechだそうで、議論のしかたも今どきだし、いいねと思ったでのピックアップ。全体の様子およびガイダンス、講義・インプットおよびガイダンスはこちらで見れる。

  • ●ヤフー株式会社CSO 安宅和人  我が国の未来に向けたリソース投下の現状と課題
  • ●株式会社メディヴァ代表取締役社長 大石佳能子  人生100年の幸せな老後
  • ●メディアアーティスト 落合陽一  今後10 年でやってくるテクノロジーの転換点
  • ●株式会社Campus for H共同創業者、予防医学研究者 石川善樹  社会保障のオリジン
  • ●一般社団法人WITH ALS代表 武藤将胤  障がいと向き合う事で、生まれるイノベーショ

各テーブルごとの議論はこちらから。
www.youtube.com/channel/UCcQ5QML9wkc-hj8aWEf-NYA/videos

各位の議論はおいておいて、それぞれのテーマごとにせっかくなので、自分なりにポリテックについて考えてみたいと思う。今回はAの島のスポーツと健康について。

まとめテンプレ

  • 今までの分野の課題
  • 今後の分野の課題
  • 問題解決の指針(何をどうしたら)
  • ポリ(政策的に解決するには)
  • テック(技術的に解決するには)
  • その分野の未来ビジョン

A:スポーツ健康島

第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)A:スポーツ健康

2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
テーブルA<スポーツ・健康>
「なんのための健康・スポーツか?― Well-beingという視点」
★株式会社Campus for H 共同創業者・予防医学研究者 石川善樹
・東京慈恵会医科大学 総合医科学研究センター先端医療情報技術研究部准教授 高尾洋之
・公益社団法人日本フェンシング協会 会長 太田雄貴
・株式会社Deportare Partners代表取締役 為末大
・国土交通省 総合政策局政策課 政策企画官 喜多功彦
・サイボウズ・ラボ主幹研究員/東京工業大学特定准教授/一般社団法人未踏理事 西尾泰和

議論ピックアップ

スポーツとエクセサイズをわけたほうがいい
スポーツが社会参画の一助になっている
イギリス、公園管理者には植物の専門家だけでなく、スポーツマネージャーがいる
海外では公衆衛生法の中に公園があるところがある
予防医学は病院で見れない
病院は病気しか見ない、健康を見れない
e-sports 対戦相手が必ずいるから寂しくない

今までのスポーツ健康の課題

スポーツや健康がいまだに根性論に支配された精神論であること。
科学からいまだ遠い。
疫学的な論理性、客観性、再現性がスポーツ健康分野でも必要。
民間療法がいまだに幅を効かすことができるのは、その余地があるからだ。

今、スポーツ選手のパワハラの問題が話題になっている。オリンピック候補生クラスの子がコーチにビンタされている様子などが動画が出回ったりあちらで会見、こちらで会見などがおこなわれている。指導の姿勢とかそういう以前に公の法律レベルでアウトなことは閉じた世界だからといってやっていいことではない。程度が低すぎて議論の余地もない。

自分が子供の頃、水泳とか陸上とかは学校選抜になる程度に身体的運動能力に恵まれていた。小学生の頃、新潟県に数年間いた。新潟県は縦長なので上中下にわかれてるのだが、そのうちの上越と中越の大会で優勝したことがあるし、国際規格のプールで大会記録や会場記録なんかを持っていた。だが、通っていたスイミングでは中級コースに留まっていた。なんでかっていうと選手コースには絶対にいきたくなかったからだ。

なんで嫌だったかというと、指導とは名ばかりのプールサイドから割れた竹刀で頭を叩くぐらいしか、コミュニケーション・プロトコルをもたないおじさん達しかいなかったからだ。東京から引っ越してきた自分にはかなりのカルチャーショックだった。ここで何か水泳に役に立つ指導をされた記憶はないがこういう大人もいるのかという社会勉強にはなった。中級コースですら何回かはサボっていた。月謝を払って理不尽に堪えるのはなかなかマゾい。

低年齢時におけるスポーツにおける競技成績など、おおよそは年齢に比較した発達ともとよりの生体機能でしかない個体差だと思う。

水を飲むな!休むな!のように、ひたすら追い込んで、生き残ったやつがいい奴だみたいなトレーニング方法があるが、これはトレーニングではない。生存者バイアスと兵卒をふるい分けるときに用いられた新兵訓練方法だ。
第二次世界大戦後、帰還兵に職を斡旋した際これらの訓練方法が野球などのトレーニング方法として取り入れてしまったことが現在までスポ根の悲劇の根底にあるように見える。

知能テストは第一次世界大戦時に、新兵の兵科を決めるためにおこなわれたことをルーツとしている。この知能テストから漏れた新兵の練度をあげ脳筋に仕立てるための「しごき」がフルメタル・ジャケット的なブートキャンプである。
中世時には口減らしの要素もあった戦争だが、近代戦において突撃兵ぐらいにしか役に立たない脳筋はかえって足手まといとなるようになった。戦争よりも高尚なスポーツの世界でならなおさら根性論の運用は辞めるべきであろう。

今の一流のプロスポーツ選手を見ればわかるが、みなさん頭も切れる。例外もあるが・・・。
「小人閑居して不善をなす」のことわざの通り、体力が有り余っている若者にはスポーツでもやらせておけという更生プログラムとしてのスポーツはもう役目を終えたことだと思う。今はなんだ?その役割はスマホゲームとかに任せておけばいいんじゃないかな?

今後のスポーツ健康の課題

最近では遺伝子タイプ別に投薬する抗がん剤を変えたり、遺伝的に速筋と遅筋の割合を調べマラソンに向くのか、短距離に向くのかなどの検査をおこなえるようにもなってきている。

人間は同じように見えて個別に独立した生体であるため、同じことをおこなっても再現性がなかったり、結果や効果効用に差が生まれる。しかし、人間の細胞より人間の腸内にある最近の数のほうが多いぐらいなので、塊りとしての人間はそれほど単純でもない。だから統計的傾向により推論して精度をあげていくよりない。

都合のいい結果が出たデータばかりをチェリーピッキングするのではなく、効果がなかったり、失敗したデータの蓄積こそがこれから重要になっていく。何事にも例外は生まれるが、これの取扱を間違ってしまうと、因果と擬似相関の取扱を間違えてしまうことになる。

成功があるとすれば、それは失敗にかたどられた空白域である。だから失敗の蓄積をいかにしていくかが今後の課題となる。健康分野については成功談などではなく失敗にこそ価値がある。

問題解決の指針(何をどうしたら)

個人を診察したカルテは病院のもので個人の生体に関する情報を日本人はほとんど持っていない。
把握しているのは身長体重血圧、よくってコルステロール値ぐらいなものだ。それも年に一度ぐらい健康診断で測定されて紙に印刷される程度のもので経過観察も困難だし、診察する病院が変われば前年度データへのアクセスも困難になる。正直、高級肉牛ほども人間の健康は管理されていない。

熱心な人は睡眠時間や運動量などを記録したりしているが、不摂生で健康に難がある人ほど健康診断をうけなかったりする。だが、この分野の一律悉皆の強制はやるべきではないので、意識が高い系の人たちだけでも、ライフロギングをできるインフラを整え、データポータビリティを充実させる必要がある。それらのデータが貯まればあとは保険の掛け金など経済要因が調整してくれるだろう。

ポリ(政策的に解決するには)

データポータビリティ権はEUで施行されたGDPR(EU一般データ保護規則)で掲げられている権利だ。
もしかしたら遠くない将来に個人の遺伝情報をフルスキャンできる時代がくるかもしれないが、それを私企業や公的機関がデータ保持の主体となると、自身にまつわる情報ですら自由に動かせなくなる。
農作物、畜産動物などでは遺伝子特許が認められつつある現況において、こと人間、個人の生体情報の所属をその個人ではなくしてしまうと、生存権にも影響がでるだろう。

データポータビリティ権はこれから重要なものとなるが、これをどのように扱うか法制化できるのは政策的な動きだけである。

中国のように個人格付けを中央で管理する統制型社会もありといえばありだが、そちらの方向にいかないのであれば、個人にまつわる情報も個人に帰属する財産として法文化する必要があろう。いずれにしろ検討も指針も決めないという無策は論外である。

テック(技術的に解決するには)

農工大の先生だったかな?
歩行者の様子を画像解析してボーンをつくると、感情などは肩の動きに現れると言った先生が居て、デモ動画を見せられて、あー、ほんとうだーと関心したことがある。
似たような研究に、医師でもわからない初期の認知症は歩行者の足の運びで検出できるとするものもあったように記憶している。警備の分野では不審者検知とか、迷子などの検出精度もあがってきているそうだ。

うちの商店街は防犯カメラを数箇所に設置している。ネットワークに繋がってもいないスタンドアロンで警察がなにか事件があるとはしごに登ってSDカードを取り出したりしているが、機械学習バンザイの時代にちょっともったいないよなとも思う。けれども、権力とか監視社会が嫌いな人も多いのでセンシティブ。

だが、テクニカルな面からだけ見れば、公共空間に設置されたカメラを社会リソースとして利用しない点はない。
今は、個人が保持しているスマートフォンなどのデバイスで、加速度センサーなどをたよりに運動量の測定などをしているが、かなり不正確だ。こういうのは外部のカメラで全景センシングしたほうがいい。
数百メートル離れた防犯カメラ間を何秒で移動したから歩行時速が何秒だとか、酩酊状態であるとか、自律神経に異常兆候がみられるとか、歩行者の姿勢などはウエアラブルなディバイスでは解決できない。

これを国や行政が一元管理してしまうと問題があるので、先に定義しなければいけないのがデータポータビリティ権なのだ。
自分の歩いている姿勢や歩行速度、毎日の表情などのロギングがどこかの誰かのものではなく自分のものになるのであれば、犯罪発生時にしかつかわれない監視カメラなどに別の役割が生まれる。

地域防犯カメラなどのローカルインフラは有事以外意識もされないので、ごく一部の有志の負担者によって維持されているが、データポータビリティがうまく機能すれば平時にも活用できるので、設置維持も進むことだと思う。オンネットワークの防犯カメラなどまだセキュリティ面が難しいが、いずれにしろ無自覚なフリーライドはすくなくできるなくなる。

スポーツ健康の未来ビジョン

けん玉初心者がVRで特訓、9割が現実でも「できた」 驚きのVRゲームが生まれたワケ

重力加速度は人間には制御不能なものであるが、仮想空間でならばコントロールが可能である。
楽器の練習などであれば、ゆっくり弾いて弾けるようになったからだんだんテンポをあげるというようなことができるが、重力に支配されているけん玉やおてだまのようなものは一番簡単なものができないと、そこから修練を積む余地もない。

だが、仮想空間であれば低重力下で反復練習を積んで慣れたのち、だんだん現実の重力に慣らすというようなトレーニングができる。

早く走ったり、泳いだりする感覚を掴むためにゴムで引っ張ったりするトレーニングがある。体操でのバク転なども最初は介助者が支えることで重力の影響を直にうけないように、ゆっくり練習することから始まる。VRやARはこれらの新しい仕組みになりえる。

スポーツ健康の俺未来ビジョン

  • 町中カメラ
    • 歩行がふらついているのを認知。メールが届く。
    • 認知症登録の人が歩いていたら家族に連絡が行く。
    • 歩行速度を記録。閲覧可能。
    • 歩行速度姿勢などから肉体加齢状況を推計。
  • 町中プロジェクションマッピング
    • ランニング記録から適切なペースメーカーがARでランナーの前に表示される
    • 歩幅が狭く緩慢になっている人に年代別の適切な歩幅を知らせる
  • どこでもスポーツ
    • アーチェリーや射撃のような専用の施設がないと困難だったものをVRなどで解決
    • e-スポーツにフィジカル要素(Virtuix Omni的なもの)
    • ポケモンGOが高齢者にも受けてるように、町中でARドラクエなど
    • 地域コミュニケーションにゲーミフィケーションを導入。(Xさんが5日見えません。姿を見かけたら声を掛けたらXポイントゲットなど)

今のフィジカルVRはこんな感じになっていたりする。

Virtuix Omni