枯れ葉


落ち葉の掃除が大変な時期がやってきた。掃いた端から降ってくる。
なんで植物は冬に葉を落とすという進化をしたのだろうか?
冬葉が生えたっていいじゃないか。

針葉樹は冬にも葉を落とさないが、広葉樹のほうがより進化適応した植物だと習った記憶がある。

では進化の途中で、夏は葉っぱを広げて、秋口からは松みたいな芯芽を生やしておけば冬でも光合成できるではないか。冬と夏で日照時間が短くなるとはいえ、光合成に必要なエネルギーが得られないほどだとは思えない。もし、冬は光合成できないほどであれば、太陽光発電なぞは夏だけ稼働するものになってしまうだろう。
効率坊の植物はいなかったのかな?

光合成の速度はともかくとしては、水分の蒸散の速度は違うだろうなとは思う。
だが植物は、夏毛と冬毛を生え変わらすことをせずに、冬はいっそ諦めるという潔さをとった。不思議だ。

なぜ、丸坊主になるまで葉を落とすのだろうか。まてよ、草なんかはいっそ枯れてしまって、冬場は種とか球根になってしまうやつまでいる。お前ら冬で諦めすぎじゃね?冬は諦めて冬眠でもするのが自然の摂理なのかもしれない。だとしたら俺も冬眠したい。

蒸散の速度が原因?

葉による水分の蒸散速度が低下することが影響するのはなんだろう?
カルビン回路か、懐かしいね。暗反応とかあったな。二酸化炭素の固定にも水は必要だよね。もう、こうなってくるとわからないからぐぐろう。

個葉の光合成速度が決まるしくみと測定原理
> 数種常緑広葉樹の光合成・蒸散速度の日変化と季節変化について 小杉緑子・小橋澄治・柴田昌三


図2蒸散速度の日変化および季節変化

季節変化では夏と冬の差が非常に顕著で,冬はほとんど蒸散しない


図3光合成速度の日変化および季節変化

秋以降低下するアラカシ,クスノキに対して,マテバシイでは秋でも夏と変わらない光合成活動が見られた。

あはぁん~。
うん、まあ予想通り。
夏冬で、蒸散速度は結構違うけど、冬でも光合成してる植物はいるみたい。

マテバシイは、どんぐりの木、ブナ科の常緑高木。あれ、どんぐりの木って、冬は葉っぱを落とさなかったっけ?そういえば近所の御神木のスダジイとか冬も葉っぱついているな。少し考えたら、生け垣のネズミモチとか、広葉樹だけど冬にも葉をつけっぱなしのやつは多いぞ。あれ、冬に葉を残すのは針葉樹だけじゃないのか・・・。

・・・。
そういえば、広葉樹にも枯れて葉を落とすやつもいれば、落とさないやつもいるね……。
はい、終了。

冬といえば針葉樹という頭があって、夏場は広葉樹で、冬場は針葉樹になるハイブリッド種ができたら最強じゃね!?とか思ったけど、別に広葉樹の葉っぱのまんまでいけたみたい。

なんか、特別な進化上の淘汰があって、そういう進化をしたやつもいたけれども気候に対して過剰最適した結果、気候変動とかで滅びたのかなとかまで考えたんだけど、冬は寒から諦めるよーってやつもいれば、諦めないやつもいる。植物の世界は存外多様性があった。

目につく枯れ葉にだまされるな。冬来たれり。


科学技術週間国立4研究施設の一般公開



JR中央線沿いの三鷹と京王線沿いの調布は電車などがつながっておらず南北の行き来が困難である。その交通の空白地とも揶揄されるエリアになかなかおもしろい研究施設などが集まっていて4月22日、科学技術週間の恒例行事として、海上技術安全研究所(NMRI)、交通安全環境研究所(NTSEL)、電子航法研究所(ENRI)、そして、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の4研究施設の一般公開がおこなわれた。

このエリアは武蔵野台地のヘリとなっていて崖地となっている。そのため井の頭や深大寺のように掘らずとも自然と湧き水が出て綺麗な川が流れ出る地域である。青森についで日本で二番目に古い土器は井の頭公園でみつかったものだそうで、縄文時代には湧水が文化揺籃に重要だったことが推測できる。

湧水と緑豊かなのでわさび田などがいまだにあり、昔の人がここに国立の天文台を立てようと考えたぐらいには空がよくみえた山の稜線なのである。江戸期は一泊ぐらいでいける行楽地として、明治後期には別荘地として開拓され、その後、中島飛行機などの軍需工場として住民の流入が相次いだ。江戸の大火や、東京大空襲のときの疎開地として街が興った。

東京と八王子を結ぶといっておきながら三鷹と府中で終わっている東八道路は通称30メートル道路とも呼ばれ、比較的道幅が広くまっすぐな道路だ。真偽は定かではないのだが、一説によると、戦時緊急時に滑走路としても転用可能なように考慮されているとかなんだとか。本当のことはわからないけれども、多分転用はできるようにはなっている。

上記の4つの国立研究所はその30メートル道路沿いにある。滑走路をそこにつくるなら、駐機場にするにはこれくらいの土地は必要だってくらいバカ広い。

なぜ三鷹みたいな内陸に海の研究所や、宇宙の研究所があるんだよ!?と思うかもしれないけれども、おそらく戦中戦後、まだ人口密度が高くなかったころの名残だろう。現在、学園研究都市といえば、筑波だが、それくらいの郊外感覚で、電気通信大学や国際基督教大学、そして国立の研究所がたてられたんじゃないかなと推測する。全部推測だ。あはは。

 

毎年、商店街に科学技術週間のポスター貼ってと送られてくるので存在はしっていたのだが、今回始めて見に行ってきた。これはいいものだよ。うん。前置き長くなりまくってしまったけれども、写真でもアップしようとおもう。

 

海上技術安全研究所(NMRI)

この馬鹿長い建物は、長さ400m×幅18m×水深8mもある水槽がはいっている建物。いっそあと600m足して東京オリンピックのカヌー会場にしよう。

高校生時分水泳部だった自分らは、この近くの25mプールでせこせこ泳いでたので、一度でよいからこの400mプール泳いでみたかった。

 

波の発生装置とかがある。お魚ロボットとか。

極地の氷の上をどうやって進むかとか、氷が貼られているプールとかがあった。めちゃめちゃ暑い夏日だったが、圧扉のなかは寒い。宇宙よりも遠い場所だ。

 

交通安全環境研究所(NTSEL)

時速60キロ相当の風洞体験とか、交通シミュレーターとか。こちらも、鉄道運転体験装置とかあったのだけれども、子どもたちが写り込んでいるので、後ろ姿だけのこの写真だけ。

電子航法研究所(ENRI)

管制系とかシミュレーター系は子どもたちに大人気で、長いことならばいないといけなかったので残念ながら、駆け足にてちら見。

 

宇宙航空研究開発機構(JAXA)

宇宙より遠い場所から、宇宙へ。

みんな大好き。スパコン。

みんな大好き大きなタービン。

みんな大好きばかでか風洞。

まあ、他にも機体とかいろいろあったけれども、まあこんな所で。

 

あんま人がはいらないからか、よくわからない植生になっていて、雑草の一本から楽しかった。

背高泡立草の群生とか、やたら茎の細い酸葉(すぱんぽ)の群生とか、15cmも背丈がない菖蒲だかあやめだかあからない紫の花とか、で、この紫のこいつは何者だろう。あんま見かけたことがない気がするので、パシャリ。

 

 

まあ、そんなわけでみんなも来年はいけばいいとおもうよ!

 




3万年前の人類はどうやって海を超えたのか



3万年前というと縄文時代(前14000年頃 – 前数世紀)より前なので、旧石器時代にあたる。

旧石器時代はたいした石器もなかった。そのため海をわたるにしても木材を加工することはできない。木材を加工できないのであれば舟には草舟をつかったのではないかと仮説がたてられた。
そんで、草舟で海を渡れるかという実験考古学というものが実行され・・・見事失敗したそうだ。

 

草舟の航海 自力での到着ならず 人類渡航の謎深まる 7月18日 18時21分
www3.nhk.or.jp/news/html/20160718/k10010600141000.html

 

すげぇ楽しそう。羨ましすぎて、ちょっと妬ましい。
嫉妬に焦がれて、ちょっとそんなわけないじゃんとか、言いっ放してみたい。

 

動機からの否定

古代人が海の向こうの見果てぬ島にわたりたいという動機をいだくだろうか?
まず抱くのは、数百メートルのちょっと沖にいけば大きな魚が取れるという程度の動機ではなかろうか。

 

手段からの否定

舟、船の完成形を知らない古代人が、沖に出る手段として草舟を編むだろうか?

加工できるのが草しかないのだからしかたないという理由で葦などの素材を選ぶ?
舟(海の上に浮かぶ状態)の形に至るまでに、試行錯誤が必要だ。
完成形がわからない状態ではリーンスタートアップ、スモールケースが実行される。テストファーストだ!アジャイル開発だ。

一人が数百メートルぐらい沖にでるための手軽な手段として、草の束をつかうアイディアははたして、最初のテストに耐えられるだろうか?

葦がなどが生えてる群生地に行って、葦を束ねて、それを使って沖に出る。使い終わったあとは充分に海水を吸った葦を浜辺に引き上げる。せっかくつくった造形物は、数日、もって数週間でダメになる。そんな悠長なことをしていたら旧石器時代は生き残れない。というか、そんな草舟を設計して力をあわせて開発する能力があったら、先に日常使いされている石器のほうが発達するよね。

 

捕まえてきた魚を裁くよりも前の発達段階なんだ。魚を捕まえなきゃいけない。

まず、使うのは周辺にあるものだ。

浜辺に打ち上げられた流木や海辺側の倒木を使うだろう。浮き輪代わりに小脇に抱えて、数百メートルぐらい沖にでて漁をすることだろう。

そのうち数人で漁をするようになれば、もっと大きな流木を使うかもしれないね。なんせ鉄器も石器も人類が手にしていない原始の地球。浜辺なんてきっと流木だらけだよね。

 

流木だらけなのに、「そうだ、草で舟をつくろう!!」とはならないでしょ……。

流木1択なのにむしろなんで草だなんておもったんだい?草舟、、出土してるの???

 

現存物からの否定

ポリネシアやミクロネシアにはアウトリガーカヌーというものがある。

シーカヤックと呼ばれる外洋にでていける高性能なもので、左右に浮きをつけて、舟の安定をとる。
西はアフリカ沿岸のマダガスカル、東は南米沿岸のラパ・ヌイ(イースター島)まで広まった痕跡がある。
詳しくはスター・ナヴィゲーションとか巨石文明とかそこらへん調べて。

www.izuoutrigger.com/about/index.html

 

アウトリガーカヌー
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%8C%E3%83%BC

 

で、これが伝統的なアウトリガー・カヌー。Pōpao

upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e1/P%C5%8Dpao.jpg/800px-P%C5%8Dpao.jpg
・・・。

木材加工の技術必要か?

流木で充分だよね。

草を縄で造形する技術などいらず、木の皮とか蔦で結くだけだ。
そのうえ浮力も草を束ねたものより強いし、抵抗もすくないので早く漕げる。

 

丸木彫りをする必要すらなくて、丸太にまたがればいいだけ。
木を削らなくても、火が扱えれば、焼き落としたり、炭にして形を整えたりすることができる。
また、それだけでなく炭化することで腐食に大幅につよくなる。
木を彫る石器なんかいらない。それこそ貝殻で充分だ。

 

科学的知見からの否定

縄文時代は寿命が14~16歳ぐらいなので、まあよく死んでいたようだ。
3万年も前にもなればもっと短いサイクルで死んでいただろう。
15年1世代としても遺伝的には、2,000世代程なので現世人類と遺伝的変異は数%程度だろう。
つまり、日本人と他人種ほどの隔たりはそこにはない。

 

旧石器時代の人間を猿かなにか程度の知恵しかないと思っているかもしれないが、教育が施されていないだけで、個体性能としては現世人類と大した差はない。というより、そこで渡ってきたのが我々の祖先なわけだから、分岐前と分岐後、つまり人種以上の遺伝差がないことは簡単に推測できる。

 

つまり、旧石器時代といっても、現在の日本人を教育を施さないまま島流しにした中二病ランドのようなものだ。

 

 

で、最近は遺伝子検査がすすみ、Y遺伝子(つまり父系の遺伝子がどこをルーツとするか)を追ったハプログループというものが整備されてきたのだが、南琉球人は、Oタイプが多いことが見て取れる。

ここからわかることは、中国大陸で分岐して渡来してきたのではなく、

en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup#/media/File:Map-of-human-migrations.jpg

livedoor.blogimg.jp/livereak-gekiyaku/imgs/1/b/1bfd5242.jpg
www.gekiyaku.com/archives/30621292.html

 

それより前のインド東北部あたりで分岐し、東南アジアから島嶼部に分岐した人たちの子孫が多くいることがわかる。
つまり、遠いご親戚は草舟じゃなくて、いまだにPōpaoつかってるぞと。

 

だから、正しいアプローチとしては流木でアウトリガー・カヌーは作れるだろうか?という実験なんじゃないかな。

 

 
一方、江戸時代の佐渡ヶ島の娘っ子は惚れた男に会いに行くためにタライ(桶)を船にして40キロの日本海を渡った。人間って結構なんでもできちゃうもんだよね。

 

 

参考

縄文人の平均寿命、男女ともわずか14.6歳だった
karapaia.livedoor.biz/archives/51581310.html