現代祭事の合理性(その1)


祭事、いわゆるお祭りは宗教的で不合理なものの名残や、娯楽が少なかった時代の楽しみとして現存しているだけのものと思っていた。十二分に大人になって商店街などに(強制的に)参加させられることにより、お祭りを回す側に立つようになりお祭りの有用性、合理性と先人達の知恵にいくつも気が付かされる。

 
「無用の用」という言葉がある。

一見用がないように見える遊んでいる道具や人物、空間的余白でも、それは平時には機能しないだけで、必要なものであるという意味だ。
しきたりや伝統様式は、無用にも見える。形骸化して、もしかしたら既に無用の用になってしまっているのかもしれないが、なぜそのような様式が生まれたのかをリバースエンジニアリングして考えると大きな発見がいくつもある。
まっ、ま~~ったくの勘違いかもしれないんだけどね!

祭りの様式を考えたご先祖様方すげぇと思うのである。
もしかしたら、それはただの勘違いかもしれないが、裏目論見としてそれらを盛り込むことは現在の祭りでも可能なのでこっそり盛り込めばいいんじゃないかなと思う。

 

防災訓練としてのお祭り

うちの町内、三鷹の下連雀は歴史的に神田あたりの流れを汲んでる関係か(江戸時代明暦の大火、いわゆる振袖火事の時代の神田連雀町強制移転と、戦中戦後の疎開)お神輿とかがギネスに乗る程に派手で、とにかく重たい。なんでも毎年担ぐ神輿としては一番重たいんじゃないかとかなんだとか。引っ張る太鼓のでかさも日本有数だとかなんだとか。ちょっとまいっちゃうよね。

大きな太鼓や山車を大縄につけて大勢の人数で引っ張る。
巨大な神輿を百人とかが集まって担ぎ上げる。
で?なにこれ?ほんとうに神事なの?
神事だとして、なんでこんな重たいものを大人数であげたり、引っ張ったりするお祭りをそもそも始めたのだろうか?

 
理由を推測すると、噴火や火災、大地震による建物の倒壊があったからではないだろうか?
旧来の日本家屋は持ち上げれば移動できる作りになっている。
そのため、家を持ち上げれば、曳家などで家をそのまま移動させることが可能であった。
建物などが倒壊してだれかが閉じ込められても、棟、梁に担ぎ棒をつっこんで大人数で持ち上げれば救助が可能である。

 

江戸の災害は地震や火災が中心であった。
大規模火事で消化が必要なときも、建物を倒壊させるのが効果的で、建物を効果的に倒壊させるには柱に紐でもくくりつけて大人数で引き倒せばよい。
これら大人数での連携が必要な作業を災害時のみ連携するのは困難であるために、訓練が必要になるが、訓練といって人が集まるだろうか?防災訓練だからと口酸っぱくいい含めてバケツリレーをさせるよりも、ゲーミング織り交ぜてこれは祭りだっていってバケツを渡したほうが人が集まるし、訓練も習熟していく。

 

防災備蓄としての神輿蔵

祭りを行うにあったって各地域に神酒所を設営するのだが、そのために運動会でつかうようなテントを用意している。
最近は2人ぐらいで張れる便利なテントもあるが、テントを張るのにも複数人の大人の連携が必要だ。
テントを張れるような場所が地域にあることも重要だし、そもそもテントの備蓄がなければ災害時に地域拠点のようなものを立てることもできない。

 

お祭りでは、神輿の巡行にあわせて麦茶だのちょっとつまめるもの(おでん)の接待がおこなわれる。
数十分の間に600人ぐらいの担ぎ手がぐわーーーーっと押し寄せ、カオス状態になる。
それをわずかな人数で捌くのだ。(本当は神酒所運営に人が必要なのだが居ないのだ…)
これなんかまんま炊き出しだよね。

必要なリソースと、供給能、また地域で現場をしきれる人の把握が毎年テストされるわけだ。
壊れたものや、必要な地域財は毎年管理、供給されていく。

神輿を担ぐのにちゃんと人が集まったり、神酒所がちゃんと運営されるような地域は共助が機能している地域である。

 

 

まとめ

防災では自助、共助、公助という言葉がある。

地域の防災会議で「ともに助け合う共助が現代では弱い」と嘆いている爺様が居た。

お神輿を巡行をみてても、担ぎ手が集まらず落ちそうになる地域もある。
神輿ひとつ担げない地域に、共助などは期待できない。
若い人が居ないとか、地域のハブになる人物がいないとかいろいろあるだろうが、期待できないことが見える化されるだけでも良いことだと思う。

 

現代は建築物の性質も変わってきているし、火災や地震による罹災よりも懸念されるテロや疫病のパンデミックなどがある。それに併せて祭りの形は変わるべきなのかもしれないが、それにしても地域防災対応をゲーミフィケーションとしてまとめ上げた各地のご先祖連中すげぇなと。だって各地で祭りはそれぞれの地域にカスタマイズされてるでしょ?きっとそのしきたりにも意味があるはずなんだよね。そもそもなんでそういう風に始まって、なんで続いているのかを考えればきっと裏の目論見があるはずなんだよね。
さてさて、今年もお祭りの会計に苦心惨憺していて、やりくりがしんどい。若い人が入ってこないし、地域で管理しているローカルインフラもわずかな地域有志によりのみ維持管理しているのも限界に近づいている。この地域なんて人だけは沢山いるのにね、運営主体が数十人のオールドエコノミーだと限界だよね。でも、この安全バッファ詰めると、焦げ付いてしまうと思うんだ。考えないとね。


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